終戦70年の年にあわせた映画だろうか
観たい映画だった。
歴史上の実在人物が次から次へと
スクリーンに映る。
玉音放送までの、長い日。
そして、現代語訳にかえた「耐えられないことも耐え」と訴える映画の
真意はなんなんだろうか?
スクリーンに映し出される、重厚な家々。天皇のお住まい。地下会議室。
などが日本文化を楽しませてくれたのもこの映画のすごみかもしれません。
歴史的にみて脚色してあることはさておき、
役所広司演じる阿南陸軍大臣の存在はこの映画のいちばんの
みどころでした。
体格に似合う軍服と容姿、この役は他のだれにも演じきれない
何か大きなものを魅せつけられたようです。
鈴木総理大臣役の山崎勉の深いしわにも同じ魅力がありました。
これだけの俳優にはこれだけの重厚な背景が必要であり
観る人をその時代に誘導してくれたようです。
そして、内閣の署名場面にも現れていた。
日本の文化、毛筆の美しさと重なってそれぞれの想いが筆の走りに、伝わるのです。
それでも、この戦争を終えるための長い日に
怒りと愚かさを感じました。
広島、長崎のみならず
爆弾が投下され、どれだけの若者が自分の意志と無関係に
死の世界に去った事でしょうか。
戦死することは美談ではない。
まして、玉音放送まで戦争を引きづり、戦争を続けようとした日本の軍隊、内閣、それにあやつられた神?の存在に
憤りが心をしめつけました。
判断はだれが下すのでしょうか
善し悪しはだれがきめるのでしょうか
若者を奪ってしまった戦争を考えると
阿南陸軍大臣の美談も天皇の美談も小さな小さな灰となって
飛んで行ってしまいました。
あなたの自害がことを収めたのでしょうかと叫びたくなりました。
戦後10年生まれの私には自害も含め人を殺すことは
絶対にあってはならないと思います。
命より大切なものはありえないはずなのに・・・・・・。
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