58歳の誕生日は目の前でした。7月11日。
14年前のあの日、6月20日に叔母は逝ってしまった。
私を置き去りにして、
私はまだ47歳でした。
私と叔母は10歳違いです。
私が生まれた時から家族の間では叔母は「姉ちゃん」、
私は「礼子ちゃん」と呼ばれていました。
3歳違いの妹が生まれる(この妹は生後3ケ月で死亡)と私は祖母と姉ちゃんと
一緒の寝床で眠ります。
寝床の端に欅の座卓がおいてあります。
姉ちゃんが高校を卒業し、私が小学1年生になった年にその机を
譲り受けることになるのですが、そのちょっと前にちょっとした事件がありました。
我が家の方針では一年生になる前に、
自分の名前が読めて書けたら、それで合格でした。
私は、書きにくい「れ」のひらがなを結構うまく書くことが出来ました。
「この子は頭がいいかもしれない」と孫バカの祖母は
名前以外のひらがなを私に教え始めたのです。
ひらがなが読めるようになり、嬉しくて嬉しくて、
そこで見つけたのは、座卓の引き出しの中に潜んでいた手紙の数々です。
隠れて、そうです。姉ちゃんに見つからないようにその手紙が読みたかったのです。
5歳の私の妄想です。これはもしかして、ラブレターかもしれない。
一通、二通とひろげまくって、一生懸命に盗み読みを試みたのですが、
困ったことに漢字が多いのです。ひらがなの間に漢字が入ると、ちんぷんかんぷんです。
封筒と便箋を散らかし、かたずける知恵はなく、知らんぷりの私。
すると、その散らかっている手紙を見つけた姉ちゃんは
私を攻撃するのです。そして祖母に言いつけている、
女優のようにきれいな顔が般若顔に変身したのです。
胸元にぐさりと刀が刺さったかのように
私はひるんだ事を絶対に忘れません。
その後、姉ちゃんはお嫁に行くことになるのですが、そのお見合いの日に
二度目の般若顔を見ることに・・・・・・。
姉ちゃんの命日が近くなり
57年生きた姉ちゃんについて、書いてみようかと思いました。
続きは後日。
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