てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ
とてるてる坊主を作りながら歌う孫
その訳を聞いたら
私の心にガーンと弓が命中
「明日雨が降るとプール遊びがなくなって
算数に変わるんだって、絶対嫌だよ算数なんて」
と歌い続ける孫は必死。
朝になりますカーテンを開けて
「やった!ババ晴れだよ」と飛び跳ねて喜ぶ。
そんなに算数が嫌なの?
「私算数って聞いただけでアレルギー」
はははは!
よく似たもんだ。
日日是好日
てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ
とてるてる坊主を作りながら歌う孫
その訳を聞いたら
私の心にガーンと弓が命中
「明日雨が降るとプール遊びがなくなって
算数に変わるんだって、絶対嫌だよ算数なんて」
と歌い続ける孫は必死。
朝になりますカーテンを開けて
「やった!ババ晴れだよ」と飛び跳ねて喜ぶ。
そんなに算数が嫌なの?
「私算数って聞いただけでアレルギー」
はははは!
よく似たもんだ。
日日是好日
若者言葉に日本語の美しさが失われていくと心の中で思っていた。ところがイタリアから日本に来た孫の一番多く発する言葉は「めっちゃ」と「やばくない」である。1ヶ月もこの言葉を聞いていると
「やばいよ、今日はめっちゃ疲れたよ」とあたしゃ言ってしまった。
朝活5時から、朝ごはん作り、子どもらとジャガイモ掘り、続いて水遊びの監視役、着替え手伝い、トランプ遊び、2回目の洗濯、お昼ご飯の買い物、30分休憩、3回目の洗濯、アニメを見ている間に夕飯のハンバーグ作り。公園にてサッカーとバレーボールをする。ドライブは孫のナビに従う。オリナス隣り公園にてブランコ乗りに付き合う、夕飯の準備。
やれやれもうダメ、めっちゃ疲れて動けない。自室に閉じこもる。
日日是好日
七夕の飾りを親子3代で作る
天の川、星、リングなどなど。ジジは竹を切ってくる係り。ババはお得意でしょと娘に言われたけれど40年も50年も前のことです。星の折り方も忘れてしまいました。
それに七夕のお話もうら覚えです。一年に一度だけ彦星と織姫が会える日、その日にお願いを短冊書くこと。あれ?天女、羽衣、あら忘れた!これはどうしたことでしょう!毎年毎年子どもらに読んでいた紙芝居を忘れるなんてこりゃあ認知症の始まりかな?と思っていたら娘が日本昔ばなしの七夕をiPadで映してくれた。ババ、娘、孫は製作中の七夕飾りの手を止めて物語を真剣に観る。ようやく記憶の糸が解けてきて、そうだった羽衣を盗んだっけ、そうそう1000足の草履を作らなければならなかったのに999足でやめてしまった。などなど思い出した。
孫はどこまで理解しただろうか?私はどこまで悟っただろうか?成し遂げたら願いが叶う努力も最後の最後で諦めたら、その努力は水の泡になる。これは哲学者が考えた物語かな、読み手によって思うことは100通りもあるだろう。
さて完成。短冊の願いは?
ババは孫が優しい子になりますようにと書く。「それって、私は優しくないってこと?」と口をとんがらせて言う孫。
そして、孫の願いは、「来年はもっと長く日本にいられますように」「パッピーが怒らないように」と書いてあった。
日日是好日
孫とふたりで眠った夜
突然起こされる。
「ババ、眠れないの、どうしたらいい」
「まだまだ真っ暗です。目をつむって楽しいことを考えたらどう」
この問答を繰り返す。そのうち階段を下り、リビングに行ってしまう。リビングのソファに孫は横になるとようやく眠り始める。そーっと携帯を取りに行く。
「ババがいなくなって、私を置いてジジの所に行ったかと思った」と寂しそうな声で話す。どこにも行かないことを話す。「ババ本を読んで」と言う。あたしゃ眠いんだけど、、、。「ババ選んで」と言われて一冊の絵本を取り出す。それは「スーホの白い馬」タイトルを読むとどう言う意味?と質問をなげかける。スーホは人の名前であることだけ話し、読みはじめる。途中つっかえるとどうしてちょっと止まるのと指摘される。日本人なのにと思ったのだろう。私はメガネをかけることにした。これで大丈夫だ。静かに聞いている。読み終わると孫は死んだけれど白い馬の魂はスーホのそばにいつもいるんだよね。私もハムスターのピッポーが死んだとき悲しかった。でももう2歳でハムスターにとってはおばあさんだったんだ。と話す。そしてババはある人の話をする。
この絵本をあなたに読んでやったのは2回目であること。その前には一度ババのお友達のボニーと言う犬のお家に遊びに行ったこと。そのお友達がこのお話を読んでくれたこと、
そして最後にボニーは死んじゃったんだよ。と話すと
ボニーのおばあさんもスーホも私もおんなじだね。と呟く。
それから、2階にひとりで寝ているジジのところに行こうよと促してみる。イヤイヤながらジジのところにいくとジジが優しく孫に3人で寝ようとジジのゴツゴツの手枕を孫の頭に差し出す。ババはブヨブヨのデブデブだけどジジは硬いよねとか言いながらスースーと眠りました。
娘夫婦は二人だけで日本小旅行中です。
日日是好日
夫の緊急入院から今日で6日目を迎える。(病名は腸閉塞)
入院翌日から私の一日は急変。朝の起床時間はさほど変わらないが、起床とともに洗濯機を回し、車で5分で着く山の畑に直行。サル柵のソーラーを切り柵の中に入る。その前に虫除けスプレーを手と顔に噴霧して、網付きの帽子を着用。
(秘密ですが昨日朝、サル柵を締め忘れていました。夫にはなにぶん秘密厳守でお願いします)
キューリとキヌサヤの収穫。昨日丁寧に収穫したから今日はそうそうないだろうと思ったが、なんと私の腕ほどに成長したキューリ2本。めのっこしだ。畑にはまだまだ成長過程の苗達が綺麗に整列している。整列の中に混じっている草を取ったり、トマトの芽を摘んだり。YouTubeで調べてみたが、よくわからないので隣の畑のH子さんに聞く。彼女は我が家の畑に来てくれて丁寧に教えてくれた。
畑仕事を1時間で終わらせ帰宅。
この度はイタリア家族が帰省していたので朝ごはんは娘、お風呂掃除は孫と分担できたことは非常にラッキーだった。その後買い物と銀行に行き、続いて病院へ。少し時間があったので久しぶりに2冊本を購入。フレンチトーストとコーヒーでランチ。
そして夫の待つ病院へ
まだ絶食中だった。
本日27日午後4時ようやく水摂取許可が出たとメールが届く。やれやれひとまずクリア!
これでも日日是好日かな?
庭のエゴの木にヒヨドリが通っていた。しばらくしたら巣作りを始めた。孫が見つけて「格好悪いよ、プラスチックで作っているよ」
なるほど木の枝に混じって確かに白いビニール紐が混じっている。
ゴミを道路に平気で投げ散らかす人間がいる。私の散歩道は町内でゴミ拾いをしているが、その翌日にはプラスチックの袋が散らかっている。環境汚染をしているのは人間である。鳥たちの巣にも使用されている。縄は藁で作るものが今ではビニール紐が当たり前。
なんとこれを便利というのだろうか?
我が家での巣作りは、はじめてである。嬉しくって、大きな音を立てないように家族は見守っているが、はて?これでいいのか?
日日是好日
57歳だった。10歳違いの叔母。日赤病院に泊まるのは私の番でした。この日の数日前から強いモルヒネ点滴が始まって意識がなかった。しかし息をしているのです。ですから生きているのです。生きているだけでいいと願ったり、もう十分頑張ったからいいよね。と言う気持ちが交差していました。祖母が亡くなった時、叔母と私は号泣したことがふと脳裏をかすめる。その叔母が目の前で死の淵に近づいている。私は47歳だった。一人で看病していると血圧が急激に下がってきた。祖母の時と同じである。看護師さんを呼び、慌てて叔母の家族を呼び寄せる。まだ暗い黒の世界だった。東京から叔母の兄が朝一番の新幹線に乗って病室に入ってきた。そのすぐ後に叔母の息が止まった。あたりは黒から青の世界に変わった。叔母の家族と叔母の兄弟姉妹が見守る中、安らかな眠りについた。叔母はとても綺麗な人だった。残念なことに私は母方に似てしまって叔母とは全く似ていない。
綺麗な顔に白いものをかけているが邪魔だと思った。
遠い記憶のアルバムは黒でもなく白でもない。見えない色になってしまいました。
今ではたった一人残っている父の妹、つまり叔母の姉は94歳で健在です。足腰が弱ってきて、年相応の脳のようです。母がアルツハイマーになった時たくさん面倒を見てくれた叔母です。今度は私も叔母の面倒をみれる環境ですから、少しでも恩返しをしたいと思っています。
日日是好日