2022年6月17日金曜日

朝ドラ見て泣いている私




我が家の崩壊は2004年7月13日で

した。

そして

あの崩壊した我が家には愛猫の

豆太郎が残されていたのです。

ドドッドドと唸りをあげ

スローモーションビデオのように

山が木が崩落する。

奇しくも、私と夫はその様を

見ていたのです。

私がこの家に嫁いだ日から

娘が生まれ、家族と過ごした25年の

思い出が走馬灯のように

映し出されました。

そして想い出も家も全てを

失ってしまった。と思った。

唸りの停止とともに

あの橋から聞こえる叫び声は

妹。

き は るさーん。と叫んでいる妹。

崩壊する数秒前に夫は豆太郎の

救出に行こうとしていた。

橋の上からそれを見ていた妹は

夫は土砂の中に埋まってしまった

と思ったようでした。

運命は夫の命を救ってくれました。

その後、愛猫を探しても

瓦礫の中から出てくることはなく

それでも、諦めず娘は愛猫を呼び

続けました。数日後のある日

娘の呼び声を聞いて、黒い影が。


娘は仕事があり東京へ戻りました。

私たちは仮住まい探しと

それぞれが仕事に戻りました。

7月26日の夕暮れまじか

意を決し

リュックと餌を持って

瓦礫の山に行き豆太郎を呼び続けました。

すると痩せ細った愛猫の姿が

でも彼の目は恐怖で震えていました。

お母さんこと私と分かっても

瓦礫の中から外へ出ることは死と同じ

だったのでしょう。

呼び続け、餌で誘導しました。

恐る恐る顔を出した瞬間に

リュックに押し込め、

助けてと叫ぶ私。

土砂の後始末をしている土木職人さんが

駆けつけてくれた。

私はリュックから飛び出そうとする

豆太郎を全身の力で押さえ込み

トラックに乗せてもらい

仮住まいの家に到着。

それから一年は仮住まいの縁の下

生活が続いたのです。

生きていてよかった愛猫は義母の死後

まもなく夫の見守る中

息をひきとりました。

いろいろなことあって

今生きている私。

少しずつ歩けるし、朝ご飯くらいできる

ようになり、

朝ドラを見て今日は涙しています。

日日是好日








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