2014年4月30日水曜日

記憶の不思議

 私には娘が一人います。
以前にも何回もブログに書きましたが
今はイタリア住まいです。
彼女はもちろん私たち夫婦の実子であり
日本の大学卒業までは私たちと共に
生活していました。ですから記憶は積み重ねられています。
順番に年齢を重ね、保育園、小学校・・・・・・。と思い出します。
 しかし、保育園勤務の時の記憶に残る子供たちはあきらかに
違います。記憶に積み重ねがないので
5歳から、子供たちは私の記憶の中で年とらないのです。
大人になって、はるかに私を超えた人生を歩んでいるのに
「ケンカはだめでしょ」「好き嫌いしてはいけないわ」「どうしたの?転んだの?」
「手が痛いの?」「うるさいわよ、お昼寝でしょ」など・・・・・・。
大人になっているのに、この腕に抱きしめてやりたいと思ってしまいます。
記憶が止まったままになるのはなぜでしょうか

今日は子供たちの花を載せました。
真っ白くて無垢な色は子供色です。

2014年4月29日火曜日

今日は栃尾のお祭です。記憶はマジックです。


実母を車に乗せて、「これからお祭見に行くからね」と話したら
痴呆の母が「じゃあ、今日は27日だか?」と珍しく反応ありで、
聞き返してきました。
「ばあちゃん、そだね昔は4月27日 だったもんね。今は29日になったんだよ」と
答える私。
昔、覚えた事は忘れないようです。
記憶はマジックかもしれません。


 からす天狗は怖い顔をしています。でも本当は誰よりも優しいの
母の後ろにくっついて、そっと手を差しだすと「飴」がもらえたの
昔懐かしい想い出が頭の中でクルクル回ります。

今年のお祭は少し寂しい感じでした。子供たちが少なかったのでしょうか

2014年4月28日月曜日

必死の定義は

 ある映画監督さんが
「毎日必死で、仕事をこなしています」と仰っていました。
必死って素晴らしい事と思いました。
例えば、浅田真央さんがオリンピックで演じたフリーは必死で全身全霊の力で頑張ったと思います。女優田中好子さんは病気と闘い、感謝の言葉を残したビデオ・・・こちらも女優の最期として必死に言葉にしたものだと思います。自分に与えられた課題を必死に乗り越える事は
本当に素晴らしいと思えます。
結果や見返りは考えていないから、必死になれる。
さて、私は?仕事が少し大変である。大変はたくさん、たくさんあるのですが
必死がない
これでいいのだろうか
と必死をさがさなjければ・・・・・・。

 ゴールデンウイークもはじまりました。
豆撰では従来の栃尾の油揚げだけでなく
いろいろな味をご用意しております。
①オリーブオイル揚げのジェノベーゼソース、トマトソース味
②栃尾の油揚げ納豆のはさみ焼き
③ネギみそ油揚げ(地場産味噌使用)
④油揚げバーガー
⑤かつおぶしトッピング栃尾の油揚げ

スタッフ一同笑顔でお待ちしております。




2014年4月26日土曜日

朝食のバナナから

我が家の朝食に欠かせないのは
もちろん、豆撰の栃尾の油揚げ入り味噌汁。野菜もたっぷりです。
そして、もう一つ欠かせないのは、自家製ヨーグルトの中に果物を入れます。
今日は、手間のかからないバナナにしました。
私の子供のころは1ドル360円と決まっていた時代です。
めったに、食べられない高級果物でした。

 父が病院で闘病生活を送っていた時
もう、食欲もなく栄養補給のほとんどは点滴に頼っていました。
そんなある日、母と私のおにぎりを黄色のハンカチに包み
病室のテーブルに置きました。
ベットに横たわる父は「俺にもバナナをくれんか」と
つぶやいた一言が思い出されます。
父はきっと、私以上にバナナが高級で栄養価の高い果物と思ったのでしょう。
「これはハンカチだよ、今度たべられるようになったら、買ってくるからね」と私。
でも、父はバナナを食べることはありませんでした。
 なんだかバナナを見る度に、この話をしているような気がしてきました。
記憶とは繰り返されることで忘れない・・・・・・。
相棒が送ってくれた、この本に書いてあったことは、
このことかもしれないとふと思いました。

2014年4月25日金曜日

城山でみつけたもの

城山へ上るには豆撰から車で10分くらい走り、山田町の城山登山口から車で上ります。
山の中腹には駐車場があります。
そこから、歩いて10分くらいで上れます。
 城山への登り口は諏訪様からと表町からも上れます。
こちらは、片道ゆっくり歩いて30分くらいかかります。



4月5月初めは「桜」「キスミレ」「ミズバショウ」「カタクリ」などの花が
出迎えてくれます。
頂上に上れば栃尾の街が見渡せます。
耳を澄ませば、野鳥のさえずりに心が踊り、目を閉じれば、昭和の時代へ、
もっと、もっと遡れば戦国時代、上杉謙信公が幼少の頃、
ここから敵陣を見張っていた様子が想像できます。
 もうじきやってくるゴールデンウイークには
栃尾の雁木通りや城山ハイキングを楽しみ、
そして是非新発売「オリーブオイルで揚げた栃尾の油揚げ」を食べに
豆撰へお立ち寄り下さい。





2014年4月24日木曜日

桜散る頃は新芽が美しい季節

 栃尾の大野から城山への途中に「大野園」があります。
両脇に桜並木のトンネル、
道の横を見ると、だんだん畑が続きます。
だんだん畑からは桜の木にかくれて
守門岳も顔を覗かせてくれます。

桜の散る道の向こうは新芽の美しい木々が見え、雪深い栃尾もいっきに春です。

新緑の美しさは心も体も元気にしてくれます。
 老婆ふたりの歩く後、カメラをもち
こんな日を週に一度あるといいなあと思いながら豆撰に戻りました。

2014年4月23日水曜日

医療について、誤診は?

今から13年前、大好きな叔母は右肩が痛いと訴えてきました。
56歳でしたから
「50肩でしょ、整形病院に行ってみたら」
と軽い応答をする私。
「なんだか、手術しないと治らないそうよ、でも1ケ月動けないんだって」
様子を見ることにしました。
それからも「痛くて、眠れない」と悲痛な助けを求める叔母の声
症状を詳しく聞き
医学書を読みあさりました。
そして私がたどり着いたのは
肺がんか骨肉腫だったのです。
もちろん、叔母の家族には言いません。私の仮説ですから。
「どうか大きな病院に診てもらって」と家族と本人を説得しました。
その結果は、不幸にも私の素人判断が当たっていたのです。
整形から内科にすぐ回されました。
検査の結果は肺がんでした。
こんなことあっていいのでしょうか
もし、初診で見つかっていたらと強い怒りがこみ上げてきました。
しかし、患者も家族もなすすべなく、もちろん家族でない
私には、まったくどうしようもないことだったのです。
なぜ、医療は専門化だけに研究が進んだのでしょうか?
医療器具の発明進化に並行して、専門化は今もなお進んでいるようです。
しかし、医師は総合的知識をもっと身につけてから
専門分野に取り組むべきと思うのは私だけでしょうか
例え、初診で叔母の病気が見つかったとしても
命の長さは、変わらなかったかもしれない・・・・・。と
家族も、私も「あきらめて」しまいました。
「あきらめ」は決して次の世代に「誤診」をしない
大切な診療を考えさせることはできないのではと思っています。

2014年4月21日月曜日

ゴミの山はどこへ


 海も山も、ステキな風景はたくさんあります。
それは小さな栃尾の街でも、
日本各地、海を渡れば沖縄でも
娘の嫁いだジェノバの町も
まだ、訪れていない世界のどこでも
心を癒し、夢や希望、元気まで私たちに与えてくれます。

なのに、私たちは悪い事を意識せず、日本を汚し、海を汚して
世界を汚し続けているようです。

子供たちは一体これからどう立ち向かうのでしょうか

下記は娘のブログからです。

http://ciaogiappone.com/2014/04/20/garbage-island/

2014年4月19日土曜日

父とさくらんぼの花

 父は、晩年70歳から74歳まで
里山つくりに情熱を注ぎ、
まだ小学生の幼い孫を相手に
一生懸命、雑木を切ったり、植林をして老後を楽しんでいました。

その頃植えた、さくらんぼの花がきれいに咲きました。
 「じいちゃん、こんなにきれいに咲いたよ、ありがとう、もう少し、長生きしてほしかったよ」
と私が話すと
「幸せだったよ」と遠くの山から父の声が春風にのって聞こえてきました。

2014年4月18日金曜日

親子3代の楽しかった日々は桜の花とともに

 栃尾の中心部、旭通りの旭橋側に大きな1本の桜の木があります。
Sさんのお宅の桜です。
夜はライトアップなさって、私たちを楽しませてくださいます。10年位前にお邪魔させていただいたことがあります。
そこでお話していたら
私たち夫婦の結婚記念日に植えた桜と同じ年に植えられた事を知りました。
なんとなく、姉妹桜のように思っていました。
 でも、我が家の桜はその後、あの7・13水害で
我が家と共に
すべてを無くしてしまいました。
今朝曇り空の下、Sさんのお宅の桜を見上げると、娘が誕生し、桜の木の下で私たち夫婦と虫取りやままごとをしたこと
家族5人で娘の誕生日を祝ったことなどが
走馬灯のように浮かんできました。
あの頃は家族がそろっていて「良かった」と
この姉妹桜を見ながら懐かしい日々を想いだしました。


2014年4月17日木曜日

自分の生まれ育った景色に勝るものはないのかもしれません。

 栃尾の桜巡りも半分くらい終えました。
今度は栃尾の街から少し離れた、刈谷田ダム、栗山方面に
足を向けたいと思っています。
今週末はいい時期かなと思っています。
昨日は友達に誘われ、 桜の並木が続く、村松公園へ
まるで「はなさかじいさん」の絵本を見ているように桃色の山に驚きでした。
展望台からは競技場を囲む桜並木も素晴らしい眺めでした。

ただ、ここに来たのが初めてだったこと
栃尾の桜は並木というより1本2本3本とすぐに数えられ
自分の思い出が刻まれていることに比べたら
豪華な花咲山なのに、何かが足りないと思ってしまいました。
やはり、自分の生まれ育った景色に勝るものはないのかもしれません。


2014年4月16日水曜日

15年間、子供たちと一緒に見てきた桜

 栃尾の原町の高台に私が15年間通い続けた
保育園があります。
私の誕生と共に設立された保育園ですから
今年で、60年 還暦の年を迎えるはずです。
栃尾の桜巡りをしているうちに懐かしくなり
今朝は、保育園まで一走りしてきました。
 
「今日はお天気がいいから桜の下で、給食食べます」
子供たちは「やったあ」と歓喜の声を上げます。
うす桃色のはなびらが舞う下で、ピンクの制服を着た子供たちは
笑顔満点でした。
あの子達の天真爛漫な笑顔は世界中で一番輝いていました。
食べ終わると、もう園庭からお寺様の庭、お墓を駆けります。
 大きな古木にそっと手を当て、耳をあてると
聞こえます、見えます私が子供たちと過ごした、大切な
一番の宝物が・・・・・・。

2014年4月15日火曜日

桜の季節は想い出がいっぱい

 栃尾の桜は今週が見ごろです。

私は幼い頃、よくひきつけを起しました。
父がおんぶして駆け込むお医者さん家の桜です。
大先生は「また来たのか」と父に何やら説明しておられました。
私は、先生のこの声で目が覚め、気がつき
どうして病院にいるだろうかと、いつも不思議に思っていました。
病院の入り口には、この大きな桜の木と門があったような記憶がよみがえります。
 また、今は山田町の区民会館になっていますが、
この場所は私の遊び場でした。
同じ年のよしのぶ君といつものように
山道を通り探検を楽しみました。
まだ小学校に行く前の年だったと思います。
これより先の山道を下り、進むうちに私たちは迷子になってしまいました。
「泣かないで大丈夫だから 」と言ったのは私。
 それから、山を上り、桜の見える場所に辿り着いた時
遠くから、「れいこ!よしのぶ!」と呼ぶ私の両親と彼のお母さんを見つけ、泣かなかった私も急に嬉しくなり、泣きじゃくったことを思い出します。
栃尾の街に、うす桃色の桜が一斉に咲くと
この桜は、あの桜はと古木と共に歩んだ想い出が、毎年私の頭の中を駆け回ります。
 あら!忘れていました。私の青春時代。
大事な場所の桜をまだ見ていませんでした。
明日は豆撰出勤前に行ってみましょう。


2014年4月14日月曜日

コシノカンアオイとギフチョウ

 
春の訪問者には
コシノカンアオイを餌とするギフチョウたちが
心地よさそうに羽を広げ舞っています。
春の天使のようです。
60歳を前に私はまるで子供のように
喜び、夫に「早く撮って」とせがみます。
もう一歩前に、前に・・・・・・。
天使は春が嬉しくて仕方ないのです。
なかなか静止してくれません。
 すると山道の真ん中で、のんきに休んで
顔を洗っている天使に出会いました。
チャンスです。
「やったね」と大喜びする私でした。

2014年4月13日日曜日

雪国植物園にて

 雪割り草の見ごろは過ぎましたが
「シラネアオイ」に「キスミレ」など春の花が手入れされた里山に
咲いていました。
山桜にガマズミ・・・水辺には大きなミズバショウ。
夫はさっさと上ります。
私は小さな雪割り草を見つけては
大喜びでゆっくり歩きます。

キツネノカンザシを見つけると
幼い頃、髪にさしたこと、スミレを見つけては
おままごとを楽しんだ日々を想像してひとり楽しんでいました。
いつの間にか、夫の姿はなく・・・
あら?どこ行ったの?と思いつつも夫を探すでもなく
雪椿の畑で、赤、ピンク、白の花を見ながら歩きました。
遠くから「おーい」と夫の私を呼ぶ声。
「いったい、どこ行ってるんだ、雪割り草を見にきたんじゃないのか 」と
「だって、お父さんが見えなくなってさ・・・。」
私は逆方向に歩いていたようです。
道とカタカナ文字が覚えられない、もちろん英語もですが
なんとか症候群のようです。



2014年4月12日土曜日

ここにも幸せいろめっけました

青麻様神社の上り口に、鮮やかに咲く
「レンギョ」の花です。
しだれのように垂れ下がり、黄色で可憐な花をたくさん咲かせます。
春を知らせる花の1つで、黄色はやっぱり幸せ色です。

 今日は亡き父の姉、私の叔母の3年忌です。
集まる人は6人くらい身内法要のようです。
叔母の闘病生活は2か月位の自宅介護でした。
自営業で叔母の面倒が見やすかったことと
叔母が入院拒否をしたからです。
これからたくさんの人が、そして私たち夫婦も直面する
問題です。
 私たち夫婦はイタリアに住む娘に迷惑をかけないようにとは
思いません。
出来るなら、日本でもイタリアでもいいから
最後は叔母のように家族に看取ってもらいたいと願っています。
はたして、娘夫婦はどう思っていることやら?


2014年4月11日金曜日

この栃尾に生まれてよかった

豆撰から見上げる「鳩峰」の山はピンク色になり
遠くから見ているだけでは、もう我慢ができません。

ひと走りしてきました。
坂の途中から見渡す栃尾の風景、川をはさみ町並みが続く、手前にはバスが並ぶ。
花桃は7分咲きくらいかしら
小さな花の妖精が「生きているっていいね」と笑いかけます。
そして、花桃
から楽しい歌声が聞こえてきます。メジロたちのコーラスです。
そっと、そっと、1歩近づき、息を止め、デジカメを構える。だんだん近づいてきたと
思ったら、今度は風の妖精がやってきて
メジロたちは一斉に飛び立ってしまいました。
栃尾の空、花、小鳥となんて素晴らしい栃尾の春!
苦しいこと、悲しいこと、辛いこともこの自然の魔法薬があれば
生きられる・・・と思ってきました。 そしてこの感動を夫や私の大好きな仲間たちに伝えたいと思いました。

2014年4月10日木曜日

良いお天気に誘われて


本当に何ヶ月ぶりでしょうか
実母の手を引き、お散歩を楽しみました。
桜の花がほころび、あちらこちらに列を組んで咲く水仙たち。
チンチョウゲのあまい香りを母に知らせましたが、
痴呆になると匂いに鈍感になるらしく、母はチンチョウゲには興味を
示さなかったことは少し悲しかった。
それでも、久しぶりに出会う、ご近所のおばあちゃんたちに
「ひさしぶりだの、元気だかの、いっぷくしてげさ」と声をかけら
母は軽く、会釈する。
そして、 散歩の途中で「ここは○さんの家だっけ?」「ここはどこんちだっけ?」と
口数の少ない母もお天気に誘われ、一言二言質問をしてきます。

少し高台に上ると久しぶりの歩きに疲れ、しゃがんでしまいました。
しゃがんで休む母を見て、すこし遠くの山がにじんでしまいました。


2014年4月9日水曜日

山のように積まれたものは

山のように、こっちには読みかけの本が積まれています。
おまけに、バックの中にも1冊読みかけ本が入っています。
我が家の部屋も片付けさん(私)が病のため、散らかり放題です。
さて、仕事に行けば、机の上から下まで処理できていない書類が
あっちこっちと…。3月決算のうえ4月から消費税8%とさらに仕事は
増えています。はやく片付けないと大変なことになりそうです。
なのに、今朝は友達に五藤監督作品のDVDを見ませんかと
誘いのメールを送る私。

2014年4月8日火曜日

震度4の揺れ

がたっと揺れる、目は覚めていましたがベットの中。
地震とわかっているのに
「地震だよね」と夫に確認する私。
幸いにも、揺れはすぐに収まり安堵しました。
10年前の中越地震を思い出してしまいました。
あの恐怖からもう10年を迎えるのです。
長岡と栃尾を結ぶ道路や陸続きの山古志の道路などの
復旧の早かったこと。さすが日本と思いました。
けれど、今は違います。地震の大きさ、それに伴う見たことのない津波。
そして一番犠牲者をだし、目に見えない敵と戦い続けている「原発」
果たして、私たちは今幸せと言えるのでしょうか

ブログの書き込みの途中に友達からメールが届きました。
「今日は角田に上りました。雪割り草とカタクリがきれいでしたよ」と。
そして「リフレッシュが必要です」と。
難しいことを考えながら書き込んでいたブログでしたが
今、私は友達のメールに心が救われたような気がしました。






2014年4月7日月曜日

入園式の思い出

一人娘は2年保育を経験させました。
私たち夫婦は共働きでした。夫は市役所勤め、私は保育園勤務。
でも 、乳幼児から保育園に入園させる必要はまったくありませんでした。
義母が家にいて、農業を主に家事のいっさいを引き受けていたからです。
義母は52歳くらいでした。
今の私を想像したら、あの頃の義母は若かったと感心させられます。
愛情たっぷりの家庭で育った娘ですが
仕事柄集団生活の経験も必要と思い1年目は私の勤務保育園に
通いました。行きは私と娘と一緒です。約50分くらい歩きました。
帰りは義母が迎えに来てくれました。
私も娘も義母も、大変な道のりを歩いた1年間でした。
そして1年が過ぎ、就学1年前学区の同じ自宅近くの保育園に
娘と手をつなぎ入園式に行きました。
娘は「お母さん、今日からお友達にお母さんのこと、先生って呼ばなくてもいいよね」と
新しい制服を着て話しかける娘の笑顔が今も忘れられません。

2014年4月5日土曜日

夫婦



体調を崩してから、食欲もなく・・・・・・。
この辺で、元気を回復せねばと、おもいきって「桜」を訪ね
小江戸川越に夫婦で行くことになりました。
長岡から新幹線に乗ります。電車は空き席多く、3席並んだ座席の中央に荷物を置き
両端に座る中年夫婦。
会話、別になし。
大宮から川越へ
喜多院では、さくらまつりで多くの人たちでに賑わっていました。
初老夫婦はそれぞれの持つカメラにさくらを収め
無言で歩きます。
せっかくだからと以前観た蔵通りを過ぎ、
川辺の桜並木を船下りで観ることに決め
目的地にタクシーで向かうと
3時間待ちとのこと。
断念し、川面にうつる桜をカメラに収めていると
花嫁さんが船に乗り込む、
ちょっと良い風景でした。
また神社でも雅楽の音色が響きわたる
古式豊かな結婚式も見られました。
どの夫婦も遠くから観ていてもしあわせ感が桜の花よりも
あふれて見えました。
さて、我々35年夫婦と言えば、「じゃあ、帰るか」と
また無言で新幹線に乗り、長岡駅に到着すると
一言「いくら使った?」と口を開いた夫の言葉。
夫婦って、時間が過ぎると本当に空気?になってしまうと感じた一日でした。

2014年4月4日金曜日

なかなか敵は手ごわいぞ

体調を崩し10日も過ぎたのに、健康は回復せず
不定愁訴の日々が続きます。
30年くらい寝込んだことや会社を体調不良のために休んだことのない自分
にがっかりしています。忙しく余裕のない、毎日なのか
それとも、これが60歳の壁なのか?
つい弱気になり
「私はイタリアには行けないわ疲れて、あの子たちから
きてもらわんばんね」と。
夫は「一年に1回あったっとしてあと15回くらい会えるのかな」
なんとさみしい会話でしょうか
この敵さえ消えたらきっと元気になるはず
その頃は栃尾も桜が満開かなと想像している今朝でした。




2014年4月2日水曜日

夫の朝活



雪の少ない年だったせいか
大きな粒のそろった、ふきのとうが畑いっぱいに広がっていたようです。
籠の中にいっぱいのふきのとうはこぼれそうなくらいでした。
お店にもっていき
さっそく、ふきのとう味噌を作りましょうか
ふきのとうに添えた私の手がなんだか
しわだらけでちょっと悲しい風に映っていましました。