2014年12月31日水曜日

家族のありよう

昨日は娘の手作り料理をいただきました。もちろんイタリア料理です。キノコとコンソメとチーズを使ったリゾット、鳥のもも肉にオリーブをあしらったメイン料理です。ワインをは栃尾産です。その前に買い物に長岡に行きました。夫は満車の駐車場で待機、娘と外人婿殿と私はイタリア料理の材料を買いに、買い物が終わったら、夫に電話する事になっていました。ところが買い物途中で、私は携帯を持ってこないことに気がつきました。今年最後の本当に最後の失態と、笑い飛ばしていたところ、夫が私たちを探し回って、ようやく見つけたとのこと。駐車券を渡すために、駐車料金をただにしてもらうためでした。大晦日に必要な材料も買い揃え、次に立ち止まったところはスイーツのお店。タルトを購入することに、代金を払い、前にある総菜屋さんを見ているとスイーツのお店の若い方が、スイーツを持って来てくれました。お金は払ったのですが、品物を持って来ることを忘れていました。またまたやってしまったこのドジで間抜けな母を見て、みんなは大爆笑です。さておき、イタリア料理は日本の料理と出てくる順序が逆です。リゾットを食べ、メインを食べるのですから、結構お腹いっぱいになります。夕食を食べ終わり、日本語でしりとりや、有名人を当てるゲームをしました。国が違っても、家族です。この先私たちが一緒に過ごせる時はどれくらいあるのでしょうか、15回くらい会えるのでしょうか?それでも家族です。離れていても、会えなくても、家族です。

2014年12月30日火曜日

いつもこのブログを読んでいただきありがとうございます。

ブログを書き始めて、
私のありのままを書き続けてきました。
たくさんの方に読んでいただき、本当に嬉しく思っています。
ブログとフェイスブックではたくさんのお友達に出会え
不思議な縁を強く感じております。
豆撰にとっても飛躍挑戦の年でした。
新しい油揚げへの挑戦そして「おてがみれしぴⅡ」の作成
することができたことは皆様のおかげと心より感謝申し上げます。
新年豆撰の営業は1月4日より営業させていただきます。



2014年12月23日火曜日

雪雪雪雪・・・曇り

天気予報の雪マークはどんな記号より重要です。
雪だるまに雪がたくさん降っているマークを見ると
心が沈みます。
曇りマークに半分雨のマークだったら小喜び。
曇りマークなんて最近おめにかかれない。
もちろん、ここ一週間は雪のマークしか見ていない。
今週末は娘夫婦が帰国です。
1年ぶりの再会です。
無事に飛行機が飛び、成田に着陸してくれることを
今から願っています。
「遠き落日」三田佳子さん、三上博史さんの映画を思い出します。
あの時代とは違って、メール電話の普及で安否の心配はありませんが
母が子を想う気持ちは同じです。
そして、娘に伴侶がいることも大きな安心材料です。
「お父さん、28日は私は仕事だから御寿司頼んでおくね」と
夫から送ってもらった車の中での会話は雪のことから
徐々に娘のことに変わってきています。指折り数える母です。



2014年12月22日月曜日

俺は人間の世界がわからない

「お母さん、何でまた、2時から起きているんですか?」
「雪が気になってね、マメあなたもお腹すいたでしょ、どうぞ」
「ええっ、お母さんまだ夜中だけどもらって良いの」
「良いわよ、気にしないで」
「・・・・・・。なんだかお母さん優しい、変だ!
だからさ、俺はいつも想っているんだよ、人間様は神様より偉いらしいじゃないか、
間違った事が命に別状あるわけでもないのにさ、許さないだろ、
いつもは、お母さんは意地悪な人だと想っているけどさ、今日の2時起きには
ちょっとかわいそうだね、夜中に洗濯機も動いていたし・・・・・・」
「何マメ、ぶつぶつ言ってんの、まだ早いけどストーブつけてやるからさ
そこのソフアでおやすみ」
「おお、遂に、お母さんの頭は壊れたかもしれない、お父さん~!」

2014年12月18日木曜日

実母の朗読

先日の村田裕之さんの記事をヒントに
今日は認知症の実母に
昔話のタイトルをいくつか私が話し
その中でどの昔話が好きかと聞いて見ました。
すると「浦島太郎」とこたえました。
早速プリントアウトしてやり
実母に音読を進めました。
12行程度の文章ですが
思った以上に難しい漢字が含まれていました。
それでも
なんなく音読する母でした。
「亀に跨り 」と読む母に「こんなに難しい字なのに、認知症には見えないね」と
私がつぶやくと、スタッフのHさんが
「おばあちゃんは忘れるだけです、ボケていません」と
言ってくれました。
母が完璧に朗読したこととHさんの言葉に
少しへこんでいた心が支えられた ようです。


2014年12月17日水曜日

私の感じた「ゆめはるか」



お花にも、動物にも、そしてもちろん人間にも
それぞれの「想い」がたくさんあるはずです。
生まれたばかりの赤ちゃんは両親、祖父母、叔父さん叔母さん
たくさんの人から愛しまれます。
母の胸に抱かれる赤ちゃんは多くの人に見守られ、人生の道を誰でも歩き出すはずですが、たくさんの夢と希望の道へ進むはずの道に、大きな石でその道が行き止まりになったら人は
「どうして、私の道だけが」と泣き叫ぶでしょう。この映画「ゆめはるか」に、その「どうして」を探り、どうしての先にある多くの方々の悲しみを「さくら」に表現した五藤監督の「想い」と
私の想う「ゆめはるか」を重ねてみました。
陸上選手として希望でいっぱいだった主人公「はるか」の病気は大変な病気です。
両親のせつなさが伝わってきます。そして、はるか自身の「想い」は葛藤の連続です。
生きたいと思う自分と、もう生きられないと思う自分から
両親への「想い」と心が変化していったのではないでしょうか。
家族のためにそして自分のために、入院し治療しなければと心が動いたのでしょう。
そして、私はこの映画の中にもうひとりの主人公をみつけました。
一番私が感動したのは、はるかと対照的な少女「未来」の「想い」です。
未来は自分の命の期限を知っているのですから・・・・・・。
未来はとても真が強く、とても優しい少女だと思いました。
桜の咲く季節に対する未来の「想い」は
もしかしたら、次におとづれるはずの桜の季節を見ることは出来ないという想い、未来の切なさが胸にしみ、涙がとまりませんでした。
一枚の桜の絵と重なる桜風景描写には「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」の2作と共通する
五藤監督の「想い」が込められていると強く感じました。
監督が表現したかったのはこの「想い」ではないだろうか。
ちょっと振り返ると誰にも思い出すことがあるはずです。助けたい命、祈って、願って、目を閉じると涙がこぼれ落ちてしまう、大切なわが子、大切な親、大切な友人
それぞれの生かしたかった、たくさんの人たちの想いをさくらに描く。
そして、画像の中で、主人公はるかの命を救ったのは、はるかの生きようとする力と医師、看護士さん、家族のそれぞれの想いを「生きる」ことに「未来」へとつないだのは、
生きてほしかった、今も会いたと想うたくさんの方々の気持ちを伝えたかったのではないでしょうか。そこに、五藤監督の「想い」を感じました。

主人公は「はるか」かもしれませんが
この映画は「はるか」「未来」その他映画に登場していない
たくさんのたくさんの方へ「生きてほしかった」と
天国に召された、母に子供に、友人に宛てたお手紙であり
困難を乗り越えようと頑張る方々へのメッセージだったように感じました。
最後に私の娘は生きています。元気です。でも、この映画の中の
数秒画像の中に出てくる「先生はこの子を治すことが出来なかった」と看護師がはるかに語った娘の友達がこの世を去ってから長い年月が過ぎました。思い出すことも少なくなりかけていたこの頃でしたが、この映画によって
私の心の中に戻って来てくれました。

2014年12月16日火曜日

脳の衰え

4日前から探しているデジカメの充電器がいまだ見当たらない。
土曜にお出かけする前に探していたのだが
あきらめて、東京へ。
せっかくの孫親共演?の写真もとれず
心の中では「がっかり」でした。
そして栃尾に帰ってきて探しまくりましたが
やはり見つからない。
とうとう私は決意?
夫に充電器を買ってきてと依頼。
すると「型が古いからないと思う」と言われました。
「じゃあ仕方ないから新しいの買ってきて」と私。
これは、認知症の方がレジで支払い勘定ができず
大きなお札を出すのと同じ現象。
ああ、さっきブログで読ませていただいた記事は
私への警告かもしれない・・・・・・。
ご参考にhttp://bb.hiroyukimurata.jp/hint/5478/
こちらの記事はテレビでもよくお見かけする
栃尾出身の村田裕之さんのお話です。

2014年12月15日月曜日

孫親参観を体験

土曜日は長岡出身の五藤利弘監督作品「ゆめはるか」の初日上映を
保育園時代に担任させていただいたSさんと夫と一緒に観ました。
映画は「想い」がテーマのように感じています。
想いとは人と人をつなぎます。
想いとは生きている私たちとわけあって天国に召された人をつなぎます。
想いは命の限り精一杯生きることだと思っています。
もし、このブログを読んでくださっておられる方が、「ゆめはるか」をご覧いただけたら
とても嬉しいです。
それぞれの想いがきっと心に響くと思います。
さて、その映画はもちろんでしたがもう一つの「想い」を見つけてきました。
それは、Sさんの息子G君が老人ホームで「踊り」を披露しました。
踊りを見る事を夫に話すと「そうか、祖父母になるんだな」と
祖父母経験のない私たち夫婦は願ってもない体験をさせていただきました。
踊りの始まる前に「Gから先生に手紙だってさ」とSさんから封書を渡されました。
その手紙の書き出しが大きな字で「れいこせんせい」と書いてありました。
その書き出しに大きな「想い」を感じ、嬉しくなってメガネが曇ってしまいました。
一生懸命書いてくれたお手紙、踊りの内容が書かれていました。
踊りを私が理解できるようにと書いてくれた一枚の手紙は私の宝物になりました。

2014年12月14日日曜日

世界一強いのは、ネズミでなかったかも?

お日様は世界一強いですね。
いいえ、雲さんにはかないません。私を隠してしまいます。
雲さん雲さんは世界一強いですね。
いいえ、風さんです。私を吹き飛ばしてしまいます。
風さんは世界一強いですね。
いいえ、壁さんにはかないません。いくら私が吹いてもビクともしません。
壁さんは世界一強いですね。
いいえ、ねずみさんにはかないません。
私はねずみさんにかじられてしまいます。

お日様が笑っていた東京から
新幹線事故の為、新幹線運休・・・見合わせ中・・・・・・。
12時過ぎの新幹線の乗ることが出来ました。
新幹線から眺める窓の外は、「晴れ」冬とは思えない景色。
新幹線遅れがまるで嘘のようでした。
ががーん、なんじゃこりゃ?
トンネルを抜けると・・・のちょっと手前から雪景色。
さらに、トンネルを抜けると雪景色ではありません。
窓の外は、真っ白くて何も見えない恐怖の世界。
湯沢を過ぎ、長岡、湿った雪の大群は重そうでした。
栃尾に無事到着すると、屋根には人が・・・・・・。
雪おろしが始まっていました。

ねずみさんにお聞きします。
世界で一番強いのはあなたですか?
それともお日様ですか?

2014年12月12日金曜日

生きていることの大切さ

47年前になるのでしょうか
私の祖母は肝臓癌だったようです。
その時私は13歳。
妹は幼稚園年長児でした。
そして、生まれたばかりの従妹は生後1ケ月に満たない赤子。
寒い寒い日でした。
家族、親戚の大人たちは病院に集り
私は妹と生まれたばかりの赤子をおんぶして
家にいました。

寒い家の中で、仏壇の前に座り、ろうそくの灯りをつけ
手を合わせました。
もちろん、祖母の命を救ってくださいと、
みたことのない先祖様にただただお願いをしていました。
妹は私の真似をして、私の隣に座り、手を合わせていました。
赤子は私の背中で泣き続けます。
私にとって、とてもとても怖い暗闇の時間でした。
どれくらいの時が過ぎたのでしょうか
母が私たちを迎えにきました。
病院の部屋には親戚が一同に集り、祖母を囲んでいました。
「おばば、死じゃあだめだよ、馬鹿馬鹿馬鹿・・・。」と泣き叫ぶ私に
「・・・・・・。」言葉にはなりませんがうなずいていました。
それから、父に「こんな夜遅く、みんなに迷惑をかけてはならないから帰ってもらうように」
とやっとやっとの小さな小さな言葉を並べました。
私は父に家に帰り、家で待つようにと言われ、赤子をおんぶして、妹の手を引き
家に戻りました。
夜中になり
そりに乗った祖母が帰ってきました。
祖母の葬儀はもう一人の妹についで2回目の経験でした。
きっと、明日2回目の映画「ゆめはるか」を観に東京へ行きます。
このことが祖母を振り返ることのきっかけになっているようです。
命の限り精一杯生きなければなりません。

2014年12月11日木曜日

一枚の絵に重ねる想いは

突然、叔父がやってきました。
この油揚げの絵を持って来てくれました。
早くに亡くなった私の大好きな叔母の夫です。
頭は白くなり、背の高い姿に、少し腰にその年齢を感じさせていました。
叔父は叔母が生きている時から、絵が大好きで描いていました。
でも、叔母が亡くなってからの方がたくさん描いているようです。
「どうだ?礼子ちゃん上手に出来ただろ!」と
箱から取り出す絵は豆撰の油揚げでした。
クレパスで描く油揚げに、亡き叔母を想い出し
ひとつひとつ色を運んだ様子が伝わります。
撰んだお皿には、すこし寂しさが感じられました。
クレパスで自分の想う色を塗りながら
叔母と一緒に過ごした30年を振り返っているのでしょう
楽しかった日々辛かった日々
そして、叔母が亡くなって13年・・・・・・。
叔母に対する、夫として姪としての想いは同じだと思います。
何年過ぎようが、「もう少し生きていてほしかった・・・・・。」と想いを共有したかった
叔父の気持ちを考えると、涙がにじんでしまいます。

2014年12月9日火曜日

雪国の竹

栃尾の街は山々に囲まれています。
そして、山々には各集落がたくさんあります。
集落にあるほとんどの民家は崖や崖の下の狭い平地に建てられていて、その崖には竹藪があります。
雪の重みで竹は大きく曲がります。だから崖の竹はまっすぐのものがありません。
倒れる竹を防ぐために、先人たちは〔私の父も〕春、竹の子が伸び、まだ枝が出ないうちに竹をゆすり、竹の頭を振り落とし、背を低くし竹の倒れるのを防ぎます。
今では竹の手入れをする人が少なくなりました。

栃尾の冬がはじまり
この風景を眺めると
雪国の竹は雪国の根性そのもののような気がしてきます。
長い冬の雪の重み
降りしきる雪を踏みしめる
そして歯をくいしばり、長い冬のトンネルから
見える春を待つのですから・・・・・・。

高台にある家から道に出るまでは坂道
その坂道を両親は何回もかんじきをはき
道つけをしてくれました。
学校に行く前、学校から帰る前
父ちゃん、母ちゃんありがとう
遠い昔、昔のはなし。

2014年12月8日月曜日

猫のこころ

「お母さん、何?冷蔵庫を開けたり閉めたりしてんだよ」
「マメには関係ないでしょ」
「ふーん、そうかな、俺は一日ここにいるんだぜ、俺はみんなのこころをみているんだぜ」
「・・・・・・・。」
「だからさ、昨日おかあさんがおばあちゃんに味噌はどれをつかえばいいかって聞いていただろ、それなのに、お母さんは冷たい言葉で、私が出しておきますからって・・・・・・」
「そうよ、その味噌が見当たらないから探しているの、もう黙ってあっちへ行ってよ」
「ふーん、そうか、じゃあ教えないよ、味噌はおばあちゃんがタッパーに移し替えたんだよ、
人のこころとはそういうものさ!」
「何にブツブツ言ってんの?」

「お父さん、昨日出した味噌しらない」
「ばあさんがタッパーに入れ直していたぞ」
「えっ・・・・・・。」
「だから俺は一日中みんなの心を観ていると言っただろ、お母さんは人のこころが読めないね」

2014年12月7日日曜日

猫の目線

「お母さんに言いたいんだよな
俺が耳を後ろ向きにして、みんなの話を聞いているのは
お母さんが意地悪だからだよ
口では言わないけど、心の中は見え見えさ

夕べ料理したのはおばあちゃんだぜ
90歳なのにがんばって
きんぴら、煮菜、打ち豆と一生懸命頑張っているんだ
朝起きてきて、キッチンが汚れている、同じ場所に食器がしまわれていないくらい
なんだっていうんだよ
たいした問題じゃないさ
生きていくのに、それほど重要な事じゃあないだろう
戸が開いていたくらいであきれたような顔しなくて良いじゃないか
お母さんの方がよっぽどの忘れ物名人だろ
何回お父さんからお弁当届けてもらったと思ってんだよ
まあ、小さな事はどうでもいいさ
縁があって一緒にいるんだからさ
それより、お願いだからおれの食事だけは忘れないで!
お母さん、お願いします。」

「わかっているわよ、私だって優しいお母さんになりたいと思ってんの。
マメに言われたくないよ・・・・・・。」

2014年12月5日金曜日

昭和38年大雪

まだ夜のあけない栃尾の朝を
窓から眺める、街燈に照らされる道には白いものがありませんでした。
田んぼと屋根に少しだけ雪の妖精は下りてきていました。
雪が積もらずほっと胸をなで下ろしながら街燈の灯りをみつめ

昭和38年の豪雪を思い出しました。
栃尾は盆地です。
市外に抜ける道は峠を越えなければなりません。
車の数も少ない時代です。栃鉄も封鎖でした。
もちろん、除雪車などありません。
こしき、かんじき、しゃべるのみが除雪道具でした。

家々は雪の中にすっぽり埋まってしまいました。

屋根に積もった雪を下ろす場所さえなくなるのですから・・・・・・。
50年以上前のことを思い出しながら
50年は長かったのか短かったのか
今まで生きてきた道のりより
今から歩く道のりの方がはるかに短いでしょう・・・・・。

そして、この大雪のこの写真の大変さを経験しているのに
この写真を引き出して見つめると
懐かしさだけでなく
なんだか、しあわせだったと想えるのは何故でしょうか・・・・・・。

2014年12月4日木曜日

嬉しい書き出し

夕べ遅くに、メールが入っていました。

夜遅くの帰宅だったようです。
メールの内容は、「(私が送った物が)届いていました。」
と御礼のメッセージでした。
書き出しがいつも「先生」なのです。この先生の意味は
ニックネームみたいなものです。
本来の意味とはまったく違いますので
私を誤解しないで下さい。
そして、今朝夫と家族と一緒に朝食を食べながら
「ねえ、世の中には先生と呼ばれる人が多いけど
本当に様々だよね、政治家も先生だしね・・・・・・」
「お前みたいな間違い字だらけのブログかくやつもいるからな」と
夫から明確な解答をもらいました。

さあ、今日は豆撰も大忙しです。
この大忙しもまた楽しい一日のはじまりなのです。
若い人の邪魔にならないようにがんばります。


年末年始配達「栃尾の油揚げ冷凍ボックス」受付ております。

2014年12月2日火曜日

揚げたて宣言。

最新の冷凍技術で
お店の味をそのまま
お届けします。
豆撰の新ギフト「揚げたて冷凍ボックス」は
「3D冷凍」で揚げたてつくりたてのあったかいうち
瞬間冷凍をかけます。
その結果
・ふんわり大豆の香りがひろがる揚げたての味が味あえます。
・長期保存が可能で、賞味期限を気にせずいつでもご家庭で楽しめます。
・霜がつきにくい冷凍だから解凍してもうま味が逃げません。

年末年始にお届けできます。(12月30日から1月5日)
「冷凍ボックス」お届け日のご指定もできます。
ご予約締め切り日は12月20日とさせていただきます。

2014年11月30日日曜日

五藤利弘監督とゆめはるか

五藤監督作品の新作「ゆめはるか」の試写会を観ました。
私が観る映画の本数は限られています。
仕事中心の私にとって映画を観る事は「自分の時間」を作ることからはじまります。
その少ない限られた映画に何を基準に選ぶのかと考えてみました。
まずは、その作品のテーマが何か?次にキャストを選びます。
そんな中で、栃尾を舞台に映画を撮られている五藤監督作品だけは
テーマやキャストに関係なくほとんどの作品を観ています。
そして今回どうしても早く観たかった理由がありました。
それは、「人の想い」がゆめはるかにどう表現されているのか
観たかったのです。
映画の途中、病院のナースステーションに飾られている1枚の花の絵と
1枚のあどけない幼児の写真が映し出されます。
お花の絵は白血病でなくなられた方がお描きになった絵。
写真は私の娘のお友達と娘。お友達は中学生になった年に他界しました。
この絵と写真は私の胸をしめつけました。
涙があふれ、私の震える声が隣の方に聴こえないようにと
必死でこらえました。
そんなわけで、どうしても試写会を観たかったのです。
映画の話やキャストの方々の話は数多くの新聞に取り上げられていますので
是非、ご覧いただきたいと思います。
話は前後してしまいますが
舞台挨拶の五藤監督はいつものスタイルではありませんでした。
スーツに革靴です。いつもはジーパンにスニーカーでした。
舞台に立つと、またまた変な気持ちになってきました。
大きな体と小顔ではありませんが、なかなかの二枚目に見えました。
私にお花の絵を描かれた方の声が聞こえるのです。
「立派になって、ご苦労様ね」とささやく声が天から聞こえるのです。
もし、生きておられたら、私よりもう少し年を重ねておられたでしょう。
きっと、天国で嬉し涙を流されているでしょう。
こんな想いで「ゆめはるか」を観てきたわけです。
この映像に映されないかったけれども。たくさんの方の「生きる」ことへのメッセージが
たくさんたくさん宝物のようにつまっていると思います。
是非是非ご覧下さい。
いろいろなことを考えながら、今日豆撰に歩く途中の風景は360度
山郷に霧がたちこめていました。
もし、予算がもっとあったら、この風景もゆめはるかに撮り入れてほしかった
栃尾のキャラクターを手にする「はるか」の想像する地は
栃尾であるべきだったと勝手に想って歩きました。
五藤監督の「モノクロームの少女」はやはり監督の想いの原点だと
あらためてひとりで感じながら、急ぎ足で豆撰に・・・・・。









2014年11月28日金曜日

お弁当忘れたついでに



家を出て、お日様が刈谷田川とその向こうの家々を照らしています。
この何気ない風景に安堵します。
歩きながら、お弁当を忘れてしまった事に気がつきました。
便利な携帯を取り出し夫に「お弁当忘れた、スズクラさんの反対を歩いています、ついでにカメラ持ってきて」とお願いしました。
夫の声は激怒「そういうことはしないでくれ」と。
しばらく歩くと、お弁当とカメラが届きました。
「ありがとう」と私。
川沿いの黄色の絨毯がきらきら
流れる水は冬に向うせいか、少し荒々しい。
刈谷田川と西谷川の合流点を過ぎると
石が動く
良く見ると鴨たちが戯れていました。
水に流されないように、彼らは一休みしているようでした。
そうそう、私も流されないように、立ち止まったり、休憩することも大切。
明日はひとりで東京日帰り旅です。
時にはひとりで骨休みしましょう。
豆撰に到着、見上げる看板に25年の歳月が照らされました。


2014年11月27日木曜日

おばあちゃんのことこと煮豆

広い土間に、大きな囲炉裏がありました。

この季節になると
我が家では、大根のべた煮や煮菜、こくしょう(のっぺい)そして煮豆などの鍋が
囲炉裏の「かぎさま」にかかります。
学校から帰って玄関に入ると、匂いで夕飯のおかずがわかりました。
煮菜には、油揚げと打ち豆が入ります。
酒粕がは入っていると私は大喜びでした。
こくしょうの中に入っている蒲鉾が大好きで
蒲鉾ばかりを拾って食べて、母に叱られて・・・・・・。
きっと、蒲鉾は我が家にとっては高級食材だったからでしょう。
煮豆は少し固い煮豆です。皮がしわしわになって甘く煮てあります。
お菓子のように甘くて、それはそれはとても美味しかった。

その味は、高級料亭でも味あう事の出来ない
想い出味だからでしょうか

豆撰では、この固いしわしわの煮豆をつくりました。
是非、一度懐かしい味をご賞味ください。







2014年11月26日水曜日

栃尾ワイン


栃尾ワインは栃倉遺跡で有名な栃尾の地「栃倉」で栽培された
葡萄で作られています。
今年は全般的には葡萄は不作だったのに
栃尾ではいつもの1.5倍の収穫だったそうです。
今年出来たての栃尾ケルナーをいただきました。
アルコールに弱い私ですが
少しだけいただきました。
ワインの知識はないのですが
いつもより酸味があり、私には丁度いい感じでした。
そして、栃尾ワインは栃倉遺跡縄文時代の香りが
口の中で広がったような気がしました。
栃尾には古くは縄文時代、平家の時代と歴史は古いようです。
私は60歳。この60年間を長かったと思えない理由がわかったような気がしました。
人間の寿命はせいぜい80年くらい
でも、栃尾に伝わる伝説は多く、歴史も古い

私はその歴史の中のほんの一雫しか生きられない・・・・・・。
その一雫を大切に行きたいものです。



2014年11月24日月曜日

今朝の西谷川です。


芳香稚草園をまっすぐ行くと、中央公園手前には備橋が架かっています。
栃尾の西谷方面から川の水は流れています。
その橋を渡り十字路の交差点に「松」の木があります。
この松は私が小学校に通っていたころもありました。
小学校に登校するには、この松の木を通り抜け、正門に入ります。
一年生から六年生までの2000人くらいの子供たちの泣いた顔、怒った顔、笑った顔
いろいろな栃尾っ子の顔を見守っていたことでしょう。
松をデジカメに収めていると、遠くに私の最初の職場の保育園が見えました。
通っている時は、遠くを見ることもなかった・・・・・・。
備橋を渡り、小学校は中央公園になり市民ホール、市民体育館になっています。
その脇を通り・・・
西谷川も刈谷田川同様栃尾の街を支えてきたのでしょう。
洪水もありました。橋が流された事もありました。
でも、今は立派に栃尾の街を支えています。

2014年11月23日日曜日

この曲がった川が好きです

栃尾には2本の川が流れています。
この川の左の道を私は歩きます。
白い大きな建物は栃尾高校です。改築されました。
栃尾の街に住む人は橋がなければ生活できません。一日に何回どの橋を渡るでしょうか?
小学校、中学校、高校・・・・・・善昌寺保育園へ通う。今は豆撰へ通う。
そして渡る橋・・・・・・。
この反対、右に進むと西谷川です。川沿いには大きな大きな小学校がありました。
東と西に別れ、体育館は2つ、中庭も2つありました。中庭のポプラの木は大きく
小学生の私は授業そっちのけで、その大きなポプラをみつめては
ジャックになった気分で妄想を続けていました。グランド脇の川沿いには大きな桜並木が続
きます。鳩峰から街を眺める風景がいつの間にか
昔の風景と重なります。
今と昔では景色が随分と違っていますが
私の妄想癖は変わらないようです。
この道この橋は人生を運んでくれたようです・・・・・・。
そしてこれからもこの道を歩き橋を渡り続けます。


2014年11月22日土曜日

想う

娘の部屋から望む景色が好きです。
道をはさんで資材置き場には丸太が並んでいます。
この日は丸太の上に霜が降り
それを照らすお日様との関係が
とても私の心を癒してくれました。
刈谷田川の向こうに見える、家並みと山の景色に
「想い」をみつけています。
1つはもうすこしで会える娘夫婦への想い。
1つは仕事への想い。
そして最後は私を取り巻く人たちへの想いです。
昨日夜遅くに届いた「想い」の映像は
心に響く語りでした。
届けてくれた方はきっと想いを伝えたかったのでしょう。
そして、私もその方の想いを感じて嬉しく想いました。

苦しいことや切ない事をたくさん経験した方ほど、
想像や創造が生まれるらしい・・・・・・。
その中に私は想うのです
必ず辛い事をたくさん経験していても「愛」を
感じる素晴らしい人との出会いの瞬間があったからこそだと。






2014年11月21日金曜日

朝2時間の活動


寒い朝
4時に目を覚ましましたが、寒いのでしばらくはベットの中でぬくぬく。
でも、やっぱり起きることを決意
スタンドの明りで本を読みはじめました。

山口瞳の小説です。早く結末を知りたいとあせっているのですが
なかなか
時間がとれずに読み始めて、すぐに朝食準備に入りました。

途中お友達のブログ拝見・・・・・・。
洗濯、掃除・・・・・・。
しばらくすると、「今日の霜はすごいぞ」と夫。
私は二階にバタバタとデジカメをとりに上がりました。
FBのお友達がロンドンの風景をアップしておられたのを見て
最近は油揚げレシピ中心で、家の廻りを撮らなかったと思ったからです。
霜は小さな夢の砂糖菓子、まるでおとぎの国の物語のようです。
洗濯物を干し、朝食を済ませ、食器を片付け
お茶を飲んで
バタバタと出勤しました。



2014年11月20日木曜日

老齢介護

今朝の夫婦の会話の中から・・・。
義父は、昨日床屋に電動式車いすに乗って行ったものの、帰りは雨になり
電動式車いすを置いてきたそうです。
義父は歩行困難と、少し痴呆がはじまっています。

床屋さんから自宅まで送ってもらいました。
しかし電動式車いすは床屋さんに置いたまま
そこで、夫は歩いて床屋さんに行き、電動式車いすに乗り
夫は自分だと気づかれないように帽子を深めにかぶり、 自宅に
戻ってきたそうです。
その話を聞き
ケタケタと笑い転げる妻は私でした。

この冬のおすすめギフト
ほっこりあたたまる豆撰プレミアム鍋セット好評いただいております。

2014年11月18日火曜日

ちょっと、口論。


妹、20年来のお仕事仲間のSさん、そして私。
机の上には山のような仕事があるにもかかわらず
国会解散、消費税、原発問題の議論に発展してしまいました。
3人とも軸はおなじなのですが、少しずつ立場や年齢から
意見が微妙に違ってきます。
最年長の私は頑固です。
必ず最後に「だから子育て、教育にもっと力を入れないと、だめです」となってしまいます。
子供のころは理解できなくても・・・・・・。
口癖のように祖母や母に
「靴はそろえておくもの、ごはんつぶは茶碗にのこしてはだめ、挨拶は大きな声でするもんだ」
こんな些細なことを言われて育ちました。
「わかってるって」と心の中で口答えをしていました。
大人になると、それが自然と身についているのです。
そして、実母はアルツハイマーですが
私が豆撰のスタッフのMさんのことを
「ねえ、ばあちゃんMさんは太りすぎだよね?どう思う?」と実母に尋ねると
「そんげんことねえってば、ちょどいいって」と彼女に笑みを浮かべて言っていました。
痴呆となっても母のおもいやりのある言葉に私はこの人に育てられて良かったと思いました。

御歳暮のカタログが出来上がりました。
ご希望の方はお電話ください。電話0120-05-5006

2014年11月17日月曜日

年は隠せない



人間だけではありませんでした。
我が家の豆太郎は10歳です。
人間であれば、還暦に近い歳です。
寒いせいもありますが、
今朝はストーブの傍から離れない、
それだけではありません。餌をねだらない。
そこで、デジカメを向けても反応なし・・・・・・。
写った豆太郎をみて、
夫「もっとかわいく撮ってやればいいだろう」
私「歳はかくせないでしょ」

2014年11月16日日曜日

夫婦の会話

栃尾の里山も街も落ち葉が舞い始めました。
守門岳麓から流れる水も
いつの間にか冷たく、手がしびれそうです。

朝のトップニュースは錦織選手
こちらは、睡眠不足を覚悟で夕べはテレビ にかじりついていました。
若い努力と才能のパワーに、ただただ驚くばかりでした。
きっと、来年は勝てるとおばさんは確信 しました。
次のニュースは振り込め詐欺について・・・・・・。
「ねえ、お父さん私たちは大丈夫だね、あの子の仕事も会社の名前も
大学の名前さえ覚えようとしてないもんね」と私。
「関係ないだろ」と夫。


詐欺の手口の方がデーター化していて
防ぐことが出来ないのだろうか?


朝のニュースを見ながらの夫婦の会話がはじまり
私は後片付けをちょっと遠慮させていただき
洗濯ものを干し、豆撰へ急ぎました。

すると、ばあちゃんのてづくり、昔ながらの煮豆パッケージが娘から届いておりました。


2014年11月14日金曜日

もてる力を出し切って


「おてがみれしぴ」、冬の商品ご案内
そして、いつもの私の手紙がそろいました。
今日から、豆撰のお客様に発送できます。
ここまで来るのには大変な苦労の連続でした。
それでも、
もてる力を100%、それ以上を「根性」で乗り越えたと自負しております。
豆撰25周年の節目に「おてがみれしぴⅡ」をつくることが出来こと
あわせ、私の還暦の年・・・・・・。
今、少し、ほっとした気持ちで
みつめています。

2014年11月13日木曜日

自分分析

中学3年の時に
背はあまり高くなく、決してハンサムとは言えない
社会の先生が私の担任でした。
今考えても、何故かわからないのですが
その先生が好きでした。
勉強嫌いの私がその年の1年だけは
今の私では考えられないほど社会の勉強だけ頑張りました。
そんなこんなで、先生は私の気持ちに気がついていたようです。
そのころ、高校受験を迎えるころになると
個人面談がありました。

「自分のことは自分が一番よく知っていると思っているだろうが
本当はそうではないんだよ」と先生に言われました。
心の中で、「自分じゃない人の方が私を良く知っているの?」
なるほど、だから私の成績では志望校は無理と
先生は言っているんだと・・・・・・。
もう一つ、「お前は感受性が強いな」と言われました。
なるほど、 感受性が強いことはあんまりよい事ではないらしい・・・・・・。
と妙に納得した自分を思い出しています。

そして、還暦を迎えたからでしょうか
途中で挫折やら、感情に任せた人生の途中もあったけれど・・・・・・。
今は、あの頃の自分に戻りたいと思います。
私を取り巻く家族、遠く離れている家族、栃尾の街の人たち
いろいろな分野のお友達、豆撰の仕事仲間、大切なお客様、その人たちの言葉を
あのころのように受け止めようと思う今日この頃です。

冬囲いの終わった庭を眺め、1年前、10年前を思い出しながら
12月末に帰ってくる娘夫婦のことを考えています。

 豆撰からのお知らせ
http://www.mamesen.com/、今年はほっこりあたたまる鍋セットをご用意しております。

2014年11月12日水曜日

こんなお手紙がとどきました

先日、職場訪問に豆撰見学をした子供たちからのお手紙が届きました。

拝啓
紅葉の美しい季節となりました。
皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしの事と思います。
私たちも元気に学校生活を送っています。
さて、先日の体験学習では、私たちの学習にご協力いただきまして、
ありがとうございました。・・・・略。
私がこの活動で一番心に残っていることは
「マジで本気でやっているからみんなもマジになって聞いてね」と言われたことです。
なにをやるにも「マジ」が必用なんだと思いました。
その他にも油あげだけでなくプリンやお菓子などの商品も多くてビックリしました。
「大豆は捨てるところが何もない」と聞いてそれにもビックリしました。
・・・・・・・略・・・・・。

長岡の中学1年生5人の職場見学でした。
妹は「私たちは本気で仕事をしています。
だから、見学するあなたたちも本気で勉強してください。」とお話したそうです。
大人の本気は、子供たちにしっかりと伝わったようです。
この、お手紙を読み
嬉しくなりました。

今日の仕事

秋といえば「もみじ」です。
私の実家のもみじも、とてもいい色に染まっていました。
私が高校生の頃に植えたもみじです。
父の人生も波乱万丈?でした。
私は高校1年生になったばかり、妹は幼稚園。
子供の将来は考えていなかったと思います。
勝ってに農協を辞職。その当時は結構良いポストにいたのではと思います。
それなのに・・・・・。
仕事がなく「暇」の最中にやったことは
このもみじを含めた「庭」つくりでした。
大きな石を運び、松、おっこ、もみじ、池までつくって、あげくのはて
錦鯉を飼う・・・・・・。
父の好き勝手人生のはじまりでした。
このもみじの彩りをみつめると

そんな昔が蘇ります。でも、妙に好き勝手人生を生きた父を憎めません。
今はこの世にいないからでしょうか?
それどころか、私にもその血が流れ、そして娘にも・・・・・・。


そして、このもみじで「しおり」を作って、お客様にお届けしようと思っています。



2014年11月11日火曜日

朝日に照らされた山を駆け上る

遠くの景色が目に映りました。
私が子供の頃に遊んだ山が赤く染まっています。
もう、抑えることの出来ない「想い」で
豆撰のお掃除をさっさと、手抜きして
駆け足で40年ぶりその山に行ってきました。
いつも、私が上る山の隣に位置し、少し低いのです。
私の生まれた家のすぐ裏山です。
もみじが語っています。
「よく思い出してくれましたね。あなたの来るのを待っていましたよ」
「大丈夫、大丈夫、時は流れても、想いはいつまでも心に残りますよ」 ・・・・・・と。

だいぶ変わっていました、もうもみじには登れません。
大きくなって・・・・・・。
山の下は切り開かれ、お墓がいくつかありました。

山から望む街は朝日で照らされいました。
希望の光のように・・・・・・。

2014年11月10日月曜日

「おとうと」を観る

前日に続き、吉永さん主演の「おとうと」の上映が栃尾のオリナスでありました。
友達に誘われ、行って来ました。
2日続けて、吉永小百合主演、鶴瓶さんの映画 を観たことになります。
それぞれの、キャストはやはり大物揃いです。
今回私が気になった方はおとうとを診察している医師です。
医師役の演技のことではありません。
この映画に登場しているような「お医者さん」 に深い想いを感じたのです。
この年になると、「生きる」と言う意味の先には
「今は生きている、そしていつか死がおとづれる」と、
なんとなく意味合いが微妙に違ってきています。
保育園勤務時代に不慮の事故で命を落とした子供たち
肉親、さらに実父を失った時の「悲しみ」・・・・・・。
辛い想い出は一切消え、生きていた時に優しい笑顔
ばかりが頭の中に浮かびます。

つまり、死を見守る側から、いつか訪れる死に対して
この映画に登場したような医師、先生に出会って死を迎えられたら
と想ったのです。

おてがみれしぴⅡが11/14に出来上がります。
新商品「オリーブオイルで揚げた栃尾の油揚げ」れしぴ満載!
11/12より御歳暮 のご注文をいただいた方にもれなくプレゼントさせていただきます。
また商品案内のパンフご希望の方はこちらまで0120-05-5006 にお電話下さい。

2014年11月9日日曜日

ふしぎな岬の物語を観て


やりました。待っていました。
映画が1100円で観られる60歳を迎えたのです。
早速、60歳2日目で
「ふしぎな岬の物語」を昨日、観てきました。
最初は笑いがたくさんありました。
阿部寛さんの演技に大爆笑、20人くらいのお客様が
一斉にハモって「笑う」
こういう観客席の連帯感もなんとなくいい感じです。
大物スターの登場ですから
この俳優さんは何の役?と
頭の回転を早めなければなりませんでした。
そして、こんなシーンが数回出てきます。
「おいしくなあれ、おいしくなあれ」とコーヒーにおまじなをかけるのです。
私も13年前によく、おまじないをかけていたことを思い出しました。
叔母が癌との闘いで、足から腰全てに電流が走るように「痛み」を訴えました。
私は決まってこういいます。
「姉ちゃん、大丈夫、礼子が来たから、私の手にはすごい、気があるから」と
私はそっとそっと、痛いと叫ぶ叔母の足をさすってやりました。
30分くらいすると
「礼子ちゃん効いてきたよ、ありがとう」と微笑む叔母。
吉永さんのおまじないに自分のおまじないを重ねて
涙で画像がくもってしまいました。映画には不思議な力があります。
映画の場面に関係ないことを蘇らせたり、想像させたりする・・・・・・「おまじない」が
あるかもしれません・・・・・・。

さて、豆撰では11月12日より「御歳暮」のご注文を賜ります。
今回は「おてがみれしぴⅡ」をつくりました。
前回と大きく変わったところは、「楽しい家族」をイメージしました。
一枚の栃尾の油揚げで家族や友達に笑顔が生まれ、楽しくおいしく食卓を囲んでほしいとの願い。
そして、笑顔を大切な方へお届けすることが出来ますように・・・・・・と、おまじないをかけました。
お電話、FAX.メールをお待ちしています。
フリーダイヤル0120-05-5006 ネットショップはhttp://www.mamesen.com/です。
なお、はじめてご注文くださる方に、もれなく「おてがみれしぴⅡ」をプレゼントさせていただきます。

2014年11月7日金曜日

昭和29年から・・・・・・。









昭和29年は栃尾市制定
私の最初の職場「善昌寺保育園」開園
そして、私の生まれた年です。
今日、目覚め、60歳を迎え
夫に「ああ、いやだわ、とうとう60歳になって」と話しました。
夫曰く「みんなおんなじだ、年はとる」・・・・・・。


今一番感じていることは「生きている」ことです。

「生きている」から悩み、苦しみ、喜び があると思います。
想い出はたくさんありますが、その時の感情はすでに
新しい感情に変わっています。だから、最近は
やりたいことがあればやる、そして自分の間違いを正してくれる人に
感謝する。その反対のこともあります。
素直な気持ちで初老を過ごしていけたらいいと思っています。
出来るなら70歳までに世界旅行がしたいと夢を描いています。

※節目の年に2回目の「おてがみれしぴⅡ」を作ることが出来ました。
豆撰の想いと私が豆撰に想うことを書き込んだ、ちょっと長めのお手紙です。
この制作には昨年同様、私の保育園勤務時代に子供だった、Sさんの協力なしには
出来ませんでした。Sさんには心から感謝し不思議な縁を感じています。
また娘のデザイン、そして写真撮りにアドバイスを
いただいたGさん、そのほかたくさんの方々のおかげで、ようやく印刷される
のを待つばかりとなりました。
私が60歳を迎えた最高の大仕事でした。最後に夫の写真撮影にありがとうです。









2014年11月5日水曜日

お天気に誘われて


今日はとてもよいお天気のせいでしょうか
実母の状態が「変」なのです。
久しぶりに、回路がつながって
亡き父と過ごした山の家に行き、「自分の家が一番良い、山がきれいだこて」とか
懐かしい写真を見て、笑みを浮かべています。しばらく、一緒に写真をみていると
私の手元には残っていない写真がでてきました。

今から30年くらい前の写真です。3人はいつも仲良く良く遊んでいました。
仲良し3人のお姉さんは娘より1歳年上です。
とても、利発な愛らしい子供でした。
中学生になり、一度も通うことなく、天国に召されてしまいました。
長い、苦しい闘病生活に耐え、大きな夢見ていたさやかちゃんです。
どうして、この写真が実家にあったのかちょっと不思議です。
しばらくして、早めの昼食をすませ、日のあたる縁側でごろりと母と二人で横になりました。
実母は、昔の話をします。
自分の着ている洋服を指差し「この服はどっからもいたがあ?」と私に聞きます。
私は「去年買ってもろうたろ」と説明しても納得しないのです。
・・・・・・。目頭が熱くなり、こぼれそうな涙をこらえ、ひとり庭に・・・・・・。

記念日は仕事

昨日は34回目?の結婚記念日でした。
忘れていたわけではありません。
でも、どうしても仕上げなければならない仕事のために
帰宅は11時になってしまいました。
待ちくたびれたのでしょう
夫は眠っていました。
34年前の11月4日は晴天でした。
朝4時ころから、花嫁衣装の着付けとあわただしく
着付けを終えて、部屋でその時を待つ私に
声をかける家族はなし。
それはそうでしょう、この日の結婚式を私の家族親族は誰一人として
喜んだ人はいないのですから。
私は大橋家の跡取り娘として妹が誕生したその日から
育てられ、教育?されてきたのですから
他家へ嫁ぐなど、もってのほかです。
その日、式場に向かうために玄関を下りたその瞬間に
亡き父は本当に哀しそうな今にも涙があふれそうな瞳で
「いつでも、帰ってきたくなったら、もどってこい」とつぶやきました。
私の結婚式はめちゃめちゃです。この一言から私は
披露宴が終わるまで泣き続けました。
だから、私の結婚式のスナップ写真はお葬式のように
叔父、伯母、妹、もちろん両親は下を向き泣いていたものばかり・・・・・・。
あれから、ずいぶんいろいろなことがありました。
今では、夫は私の大切な秘書?です。
「お父さん、メガネ知らない?」からはじまり
「パソコンのとこにあったぞ」などなど・・・・・・・。
今では私の漫談に合わせくれる良き夫です。きっと、天国の父も
泣いて笑っていることでしょう!!

写真は10年前の私たち夫婦と従姉、立山にて



2014年11月4日火曜日

この連休は・・・・・

映画を3本観ました。
2本は長岡の監督五藤利弘作品です。どちらも2回目「スタンディングオーバー」と「花蓮」です。
もう一本ははじめて観る太田監督「朝日のあたる家」です。

映画好きとまでは行きませんが、小6年ころから観始めました。
もちろん、その頃は大変です。映画を観るのに、電車に乗って1時間。
長岡駅から歩いて「グランド劇場」にいくのですから、
同じ映画が何回も繰り返されます。通路も観客席で満員でした。
今思うと、映画代と電車賃はどうして捻出いたのか思い出せません。

この頃は私の青春のはじまりだったと思います。
「サンド・オブ・ミュッジク」を観ては感激して、
憧れたものです。「ウエストサイド物語」では
もう、夢中になりました。ジョジー・チャキリスに恋い焦がれました。
少し学年が上がると背伸びをして「ひまわり」などを観ました。きっともう一度みると
その意味や映画に込められた想いが、子供のころとだいぶ違っていることでしょう。
「カラーマゾフ の兄弟」という大作もこの頃だったように記憶しています。この映画は
まったく、意味がわからなかった・・・・・・。

2日間、映画三昧だった私が一番気になった事は
この3本の映画観賞者に中学生や高校生がいなかったことです。
映画は私の青春であり、癒しであり、考えることを教えてくれました。
何故、どうして、今の若者は映画を観ないのでしょうか
映画関係者も中学生や高校生を対象にしていないのでしょうか
背伸びして観た映画だからこそ、心に残りました。
子供たちに観てもらうには文部省推薦とかがないとだめなのでしょうか?
映画は想像力と感性の芽を育ててくれるのにと心寂しく、
残念に思いました。

画像は秋葉公園です。今年はなかなかいけません。この写真は昨年母と行きました。

2014年10月30日木曜日

痴呆症も蛙の子は蛙?

今日はトラベルマスターズさんバスツアー、湯沢を廻り広神そして栃尾の杜々の森
最後は 豆撰に立ち寄っていただきました。
お客様の中に知り合いの方がおいででした。
お天気に恵まれとても楽しかったと話された後で
「〇さんのおばさんはいかが?」と尋ねられました。
「介護が必要のようです」と答えました。
すると
「私もそうなるかと思うと・・・・・・」と首を傾げて心配そうな表情でした。
「あら、私も同じです」と答える私。
痴呆の親や叔母を抱えると
自分もたどる道なのかと不安なってしまいがち・・・・・・。
今日も誰かに言われました。「礼子さんが作ったんでしょ、忘れないで下さい」
困ったものです、引き出しがもういっぱいで、要らないものから忘れたらいいのに
必用なことから忘れてしまう私。
対策が必要である。トホホホ・・・・・。

写真は豆撰自慢の「ざるとうふ」です。 これからの季節は湯豆腐に最高に美味しいです。

2014年10月29日水曜日

ようやくめどがついたようです





栃尾の秋は駆け足でやってきて、駆け足で去っていきそうな勢いです。

なんと言っても、寒い。

我が家の猫殿はポットが移動するのを見計らって、下に敷いてある、敷物を手でよけます。
そして、その場にまるくなる。
それを見ていた夫は
「マメにも電気カーペット買ってやらんばんな」
「えっ?どうして」と私。
「お前だって寒いといってエアコンつけてるじゃないか」
「そうだけど・・・・・・・。」

義母は丹精込めて作った「あずき」を干して、剪定しています。
お正月のあんこもちの準備です。孫夫婦がイタリアから帰国するから
ばあちゃんの味を食べさせたいのでしょう。

実母は自宅のカーペットでいい気持ちで一日昼ねを?して いたようです。
一度も豆撰に来ませんでした。

私の好きなお家は赤い屋根、その横に大きなイチョウの木。
このお家を見るたびに「小さなおうち」の主人公たちを想い出します。
今朝は、赤い屋根のおうちの、手前からイチョウの葉が舞っていました。
みんなみんな、秋から冬へ向かっているようです。

私も相棒や娘の力を借りて、「おてがみれしぴⅡ」のめどが立ちそうです。
秋から冬に向かって、豆撰では一番忙しい季節はもうそこまで来ています。

2014年10月28日火曜日

間違いが2つありました。

昨日のブログ内容に間違いがありました。
1つは、サトイモの根っこは親イモにあります。
子供にも少し・・・・・・。
つまり、親が人間のように栄養をとって、子供や親を大きくするようです。
母親のお腹にいる赤ちゃんのように・・・・・・。
もう一つの間違い?
右腰上が痛い、座って起きる時が辛い
いつもの整体に行きました。
「肉離れですね、座るお仕事なのに一日農業祭で立っていたからでしょう」と
テーピングと湿布をしていただきました。
自宅に帰って夫に訴えると
「サトイモ堀だろう」と指摘されました。
慣れない仕事の上、足腰の筋肉の衰えから・・・・・・。
ははーんそうなんだと納得。
そして、90歳の義母は平気なのに「どうして?」と情けない自分でした。

オリーブオイル栃尾油揚げで作った美味しいレシピをご紹介 致します。

2014年10月26日日曜日

野菜つくりに思う

夫は、毎朝畑に行きます。
義母も一緒です。
畑から帰ってきて、朝食を食べる時の会話を聞いていると
二人のやさしが感じられます。
野菜の成長に合わせ、水をやったり、おからの肥料をやったり
まるで、二人は子供に接しているような会話です。
めったに畑に行く事のない私が
サトイモ収穫のお手伝いをしました。
高く土を盛ってもらったサトイモは大きな葉っぱです。
葉の下には、親と子供と孫イモが
仲良く育っているのです。
親イモの先には、長い根っこのひげがあります。
土の中から栄養をもらい、大きくなるのです。
親から子へ孫へとイモの大きさが違います。
親は大きいのは当たり前、子供はその次そして孫たちと
イモの大きさが違ってきます。
土からサトイモのかぶつを取り出し、「あら?これでっこいよ」
「あら、ちょっとかわいそう栄養不足かしら」
と感嘆の声を上げる私。「サトイモ家族は仲良しね、くっついているんだから」などひとりごと・・・・・。
あら、いつの間にか夫は、ほとんどのサトイモを収穫してしまいました。

人間の子供たちも同じだと思います。
栄養をやりすぎても、ほったらかしにしても育ちません。
子供の気持ちを考えながら、大人の無償の愛で子供は大きくなるのではないでしょうか
そして、きっと子供も孫も親の気持ちを考えて成長しているような気がします。
愛情には見返りや強制はないと思っています。
子供の成長の先には見えるのは、親の作った画像ではなく
子供たちがその時に精一杯頑張った事を見守ることのような気がします・・・・・・。

グレース・オブ・モナコ

久しぶりの映画観賞です。
脚本の内容がどれくらい真実なのか?
とモナコ公妃について調べたくなる
興味深い映画でした。
とにかく演じた女優の気高い美しさに
鳥肌が立つような印象。
妻として母として、女性ならばだれでも
おとぎ話の世界で生きているのではないでしょうか?
愛こそ…大切なもの。
映画の中に登場する歴史的人物
私の知らない時代の権力
この映画は女優と公妃を全うした
一人二役の生涯伝記を読みたいと思わせてくれました。
そして、映画の中にヒッチコック監督の「マーニー?」に
興味をひかれました。

家に帰り
私より先に、この映画を観た夫に一言
「美人は薄命なのね」と。
夫「お母さん、60まで生きたね」
心の中で、「そうよ、もしかしたら90歳かも?」

さて、本日は栃尾オリナスで農業祭りです。
豆撰も栃尾産栃尾の油揚げ、油揚げバーガーを販売します。
もちろん、豆撰店頭でも販売いたします。
栃尾の秋を楽しみながら、油揚げを食べに来てください。
栃尾の秋は真っ盛りです。

2014年10月25日土曜日

朝活がひとつ増えてしまいました



日が昇る時間がだいぶ遅くなりました。
朝4時は真っ暗です。魔法使いとお日様が眠っているからです。
私は彼らとは違って
きちんと、ルールを守って
同じ時間に目を覚まします。本当は年のせいです。
昔亡くなった父が「若い時はいくらでも寝られるもんだ」とさみしそうに
言った言葉を思い出します。
さて、そのルールのせいで4時に起きて掃除、洗濯、料理をやるには
少し、寒くなりました。
寒くなると、布団の中が一番気持ちがいいのです。ぬくぬくと・・・・・・。
そこで、どうずり(横着)になり
ぬくぬくの中である人のブログを読むことが私の一日のはじまりになりました。
世界中を回っておられたようで、次から次へと知らない世界のことが
明確に書かれています。これはブログの域を超えています。
知らないことだらけですので、読んだあとから
頭の中で整理する機能を持ち合わせていない
私の頭にはとどまりません。でも心にはなんだか残るのです。
そして、生き方も生きてきた道も全く違うのですが
栃尾生まれということが朝活のひとつ増えた最大の理由です。

写真は我が家の秋です。