2014年11月30日日曜日

五藤利弘監督とゆめはるか

五藤監督作品の新作「ゆめはるか」の試写会を観ました。
私が観る映画の本数は限られています。
仕事中心の私にとって映画を観る事は「自分の時間」を作ることからはじまります。
その少ない限られた映画に何を基準に選ぶのかと考えてみました。
まずは、その作品のテーマが何か?次にキャストを選びます。
そんな中で、栃尾を舞台に映画を撮られている五藤監督作品だけは
テーマやキャストに関係なくほとんどの作品を観ています。
そして今回どうしても早く観たかった理由がありました。
それは、「人の想い」がゆめはるかにどう表現されているのか
観たかったのです。
映画の途中、病院のナースステーションに飾られている1枚の花の絵と
1枚のあどけない幼児の写真が映し出されます。
お花の絵は白血病でなくなられた方がお描きになった絵。
写真は私の娘のお友達と娘。お友達は中学生になった年に他界しました。
この絵と写真は私の胸をしめつけました。
涙があふれ、私の震える声が隣の方に聴こえないようにと
必死でこらえました。
そんなわけで、どうしても試写会を観たかったのです。
映画の話やキャストの方々の話は数多くの新聞に取り上げられていますので
是非、ご覧いただきたいと思います。
話は前後してしまいますが
舞台挨拶の五藤監督はいつものスタイルではありませんでした。
スーツに革靴です。いつもはジーパンにスニーカーでした。
舞台に立つと、またまた変な気持ちになってきました。
大きな体と小顔ではありませんが、なかなかの二枚目に見えました。
私にお花の絵を描かれた方の声が聞こえるのです。
「立派になって、ご苦労様ね」とささやく声が天から聞こえるのです。
もし、生きておられたら、私よりもう少し年を重ねておられたでしょう。
きっと、天国で嬉し涙を流されているでしょう。
こんな想いで「ゆめはるか」を観てきたわけです。
この映像に映されないかったけれども。たくさんの方の「生きる」ことへのメッセージが
たくさんたくさん宝物のようにつまっていると思います。
是非是非ご覧下さい。
いろいろなことを考えながら、今日豆撰に歩く途中の風景は360度
山郷に霧がたちこめていました。
もし、予算がもっとあったら、この風景もゆめはるかに撮り入れてほしかった
栃尾のキャラクターを手にする「はるか」の想像する地は
栃尾であるべきだったと勝手に想って歩きました。
五藤監督の「モノクロームの少女」はやはり監督の想いの原点だと
あらためてひとりで感じながら、急ぎ足で豆撰に・・・・・。









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