2016年9月29日木曜日

「怒り」の気持ち

渡辺謙主演「怒り」の
予告編のイメージは怖くて、私には目を開けて見ていられるかどうか
自信がありませんでした。
それでも見たかったのは、話題作であり、FB友達のSさんの
お勧めだったからです。

朝8時40分上映、ちょっと忙しい朝でした。

最初から、血まみれの生々しい衝撃シーンです。
とはいえ、殺害のシーンではなく、犯罪後の検証シーンです。
目を覆うほどのことなく観ることができたので
胸をなで下し、犯人探しを始める私。
そして、3組のカップルが全く交わることなく物語は進みます。

主演の渡辺謙さん演じる父親の姿は、新潟の田舎生まれと親近感を感じてしまいました。
ハリウッドスターなのにごめんなさい。いえ、なるほどハリウッドスターでした。
娘を想う父親は、少し背中を曲げ前かがみに演じるのです。
宮﨑あおいさんも凄い。スッピンの顔で迫ってくる。大きなスクリーンに素顔が映ると
迫力と女優さんの職業意識の高さを感じ、将来は大竹しのぶさん級の
大スターになること間違いないと確信しました。
男同士のからみでは黒い肌と白い肌が印象に残ります。さてどなたでしょうか?
若いカップルのふたりの体当たり演技も恐怖と迫力で心臓がドキドキ。
そして推理を続ける私。

この映画の「怒り」とは一体なんでしょうか?
日常、様々な人間とかかわり生きている私たち。
映画のように重たく引きずるほどの体験はなくても
「怒り」はあります。この映画の中の怒りは怒ることとちょっと
意味が違っていました。
何故、どうしてという自分に対する悲しみであり嘆きなのです。
怒りが先にあるわけではない、愛と信頼をどう貫けるか・・・・・・。
そして、思うのです、怒りは決して最終の感情ではないと。
怒りの後に優しさや人を想う気持ちが生まれることがあると・・・・・・。
自分を必要としていないと思い続けていても、人は必ずどこかで
ちゃんと見ていてくれたと想うことがあるはずです。
映画の全てはラストで決まります。感動!まさに愛の怒り。
さて、推理どうりだったかどうか?皆様の推理は?
是非劇場でご覧下さい。
それから、「花蓮」の三浦貴大さんが刑事役で好演、お見逃しなく。





2016年9月26日月曜日

85歳前日、母を風呂に入れる。

実母、明日は85歳のお誕生日です。
今日は、山の家に来て、父に手を合わせる。
母は水を替える。

母を、お風呂に入れます。
少食な割にお腹まわりは大きく、
何?この腹と私が笑うと母も笑う。
シャンプーになると、両耳にしっかり指を入れふさぐ。
気持ちが良いのだろう
嫌だと言わない。
石鹸で体を洗うと、もういいという。
何言ってんの、ばあちゃん何もしないくせにと
私は母の背中から足までゴシゴシ洗う。
ゆっくりと、湯につかり、やれやれ。
バスタオルで体を拭いてやる。
着替えを、子供のように順番に並べておく。
15分以上かかって着替える。
玄関ベンチに座り、守門を眺めている母。
はい、次はつめきりです。
今日はいい子です。いやと言わない。
iPadを取り出し、アメリカの娘に電話。
今何時?と娘が聞くと、柱時計を見て、
11時10分前と答える。時計はまだ読めるようです。
その他は会話せず、ただニコニコしているだけ。
私は持ち込んだ仕事を終え、時計を見ると
あらまあ、時計は止まっているではありませんか。
早速湯を沸かしお茶を入れ
お弁当を食べる。大好きなかぼちゃを4切れも食べ満足そう。

認知症の母をみていると、
寂しくなります。

88歳まであと3年。このまま認知症が進まないことを願う。

私も母の年まで生きたいと願うようになった。
認知症にならず、大病しないようにしなければと父に目配せする私。



2016年9月24日土曜日

レミングスの夏・・・命の重さはウサギのポシェット?

もうじき先行上映される「レミングスの夏」
とても楽しみにしています。
原作は江戸川乱歩賞を受賞した竹吉優輔氏
脚本、監督は地元長岡の五藤利弘氏
映画化されると知り?
まずは原作を読む。
なかなか難しいテーマで、中学生の復讐って
あるだろうかと悩みながら読みました。
内容はネタバレにならない程度にとどめます。

少女のお気に入りはウサギのポシェット。
お母さんの手作りでした。
このポシェットがとても気になりました。

そこで、図々しさは、サザエおばさんのなせる技で、
五藤監督に直々の談判。
サキちゃんのウサギのポシェット作らせてください。
とお願いしました。
優しい監督さんは私の願いを聞いてくださいました。
まさかのビックリです。

でも、それからが大変でした。  
どんなウサギがいいか?四苦八苦し、考えたり、ネットを見たり、
ショップに行ったりしました。
これはどうかしら?と監督さんにおすすめしてみましたが、
いずれも、ノーでした。
監督の中ではイメージが出来上がっていたのです。
さすが映画監督は頑固と悟りました。

あまり度々ノーと言われると
わがまま勝手なサザエおばさんは、小道具でしかないし、
映画の中で使われるかどうかもわからないと
半ば開き直り。

それでも監督にお願いしたのは私です。
諦めず、素材選びからはじめることにしました。

ふわふわの真っ白いウサギだから普通の布では表現できないなと
思いついたのは、保育園勤務時代の経験。
子供たちにはお気に入りのタオルがあったことを思い出したのです。
触った時のもやもや、ふわふわは優しいお母さんの感触です。
洗濯された匂いも子供たちにはお母さんの匂いなのです。
というわけで素材は決定。
ところが、タオル地は、何十年もミシンかけをしていない私には
無理無理。無理です。

そこで、お友達にお願いしたのです。お友達は縫製のプロです。
これで一安心。赤い目と鼻をつけて、耳は立たせないといけないからと
いろいろ工夫をしてもらいました。お友達と私は悪戦苦闘。
とこだわった結果、監督さんからようやくゴーサインをもらったのです。

出来上がったウサギのポシェットは映画の中で、
どう活躍するのかわかりませんが
私は想うのです。
命をいただき、その命に感謝し、喜んだり、悲しんだりして
生きている私たちにとって
命ほど大切なものはありえません。

映画の中でどんな役割をウサギのポシェットは語ってくれるのでしょうか?
みなさんはどう感じるのでしょうか?
是非、劇場へ。















2016年9月22日木曜日

君の名は

評判で、マスコミは高い評価を毎日発信。
それならばと興味深々で映画館に参上。
何、どうしたの?
チケット購入に行くと、ほぼ満席。こんなこと初めて。
席は中段の一番端しかありませんでした。
これほど人気ならばさぞかし感動する映画に間違いない。
と思って観る。
ああ、私はもう本当におばさんでした。
意味が理解できない。どうして男女が入れ替わったの、
その理由がわからない。避難、爆発についてもどうしてかよく理解できない。
これって、想像力の欠如、加齢かとちょっと落ち込んでしまいました。
それでも、しつこいサザエおばさんは「君の名は」を観たスタッフに
私のわからないところ聞くのでした。
わからないところを追求するのではなく、それはルールのようなもので
と言われました。
ふーんそうなのか?納得していないのに納得している私。
ストーリーの疑問は追求しないことにしたわけです。
細かい画像はまるで美術館のように次から次へと繊細な絵を描いていて素晴らしかった。
また、光と影の使い方は、日頃気にせず撮っている写真を
光のとらえ方、角度をもっと考えて撮ってみようと思わせてくれた。
普段見慣れている映画とアニメの違いは
観る人の感性角度によるようだ。
ぐるっと一周してどこに焦点を持っていくかで感じ方は随分変わるようです。
そうそう、ピカソの絵を見る、意味はなかなか理解できないが
すぐにピカソの絵だとわかることと似ている「君の名は」でした。


2016年9月20日火曜日

妹・・・まり子





雨に濡れた彼岸花の写真をみつめていると


父と母がふたりがかりで
壊れ物を抱くように、お風呂に入れていたまり子を思い出す。
昭和32年。

私は3歳。
妹まり子は生後3ケ月。
「たいどく」で死んでしまった。
丹毒というのが正式な病名かもしれません。

頭に腫物ができているのです。
おばばは「いじると、おこるってがんに」と私につぶやく。


親戚の人が座敷にいっぱい集まって、
お膳がたくさん並べられていました。
父はまり子が死んでしまったことを親戚の人に話しています。
背の高い父はうなだれ、声が震えていました。
「生まれたばかりですから、葬儀をしないことも考えましたが
こうして、皆様からお集まりただき、良かったと思います」

死について知る由もない3歳の私の記憶です。


それから、母の姿がなく
私は2階にかけあがり「母ちゃん」と呼ぶと
部屋の隅で嗚咽していた母が
「あっちに行っていなさい」と泣きながらいうのです。

これが私がはじめって知った「死」です。
妹まり子の死は私にとって不思議と悲しい気持ちではなかった。
ただただ、母の涙と父の震える声に
怯えを感じたのです。

それから、50年が過ぎ、父は闘病中に妹まり子の50回忌を迎えました。
今から9年前のある日。

父と母と私は菩提寺に行きました。
住職の読経はそれぞれの心の中にどう響いたのでしょうか
「俺の仕事はすべて終わった」と
菩提寺の世話人役もおり
お寺を後にする父の背中は小さく小さく丸まっていました。

その後4か月後に父は他界。

彼岸花「曼珠沙華」は雨に濡れています。
父の涙のようです。
生きていてほしかった妹。
3姉妹で喧嘩したり、笑ったりしたかったね。





2016年9月19日月曜日

彼岸花に想う




雨降りの朝でした。
夫が畑から帰ってくると
「彼岸花が咲いたぞ」と私に知らせます。
夫はいろいろな花を育てます。
そして私は育てた花を愛で楽しむのです。
きっと、夫は私の「綺麗ね」の一言が聞きたくて
花を育てているのだと思っています。
わかっているのですが
「うん、わかったあとで見てみる」とそっけなく言います。

仕事に出かけるために
車に乗り込む寸前に
夫の言葉を思い出し、カメラを取に行きました。

雨はあがっていました。
カメラを覗くと
真っ赤な細い花はキツネのかんざしのようです。
雨の雫は涙に見えました。

お彼岸に想い出してくださいと
天国の父とおばばと妹と叔母たちが
私を悲しそうに見つめているような気がしました。

大丈夫、大丈夫ちゃんと思い出しているからさ・・・・・・。

2016年9月16日金曜日

生産者のお言葉は「手当」

新潟の最北の地朝日村に豆の生育状況を見学に行ってきました。

生産者の方を含め販売者、私を含めた加工業者とデスカッション。
そこでは、これからの農業の動き、特に豆の生産について。

「連作障害はほとんどないと思います。土地を痩せさせず、
生育過程での手当さえしっかりしていれば何の問題もありません。
農家がどれだけ、手当をするか、放置するかによるのです」
と話された生産者の言葉。

栃尾の油揚げを作るにも
手当は重要課題です。朝日村からの契約栽培大豆は豆撰にとって
90%を占めています。
その他、力を入れている栃尾産大豆10%弱。
外国産大豆と比べたら狭い土地で育つ豆っこたちは均一ではありません。
微妙に性格が違っているのです。
その上、栃尾の油揚げ作りは気候に左右されます。
水の温度、室温、油の温度と複雑です。
そこで、一番大切なことはやはり手当です。
データーを元にその複雑な問題を毎日毎日クリアーしていかなければなりません。
そして、最終段階「手揚げ」では一枚一枚を丁寧にかつ敏速に
ころあいを揚げ手がしっかり自分の目で確かめて、あぶらげを返すことです。
揚げ手の愛情の掛け方ひとつで、いい子になったり、時には暴れん坊になったりするのです。
毎日、毎日のあきらめない努力こそ手当であり愛情だと思っています。

畑を耕し豆を蒔き豆を育てる愛情
その豆を販売してくれる人の愛情
栃尾の油揚げを加工する愛情

そして、栃尾の油揚げを買ってくださる皆様の愛情に感謝しなければと思った視察でした。

朝日村の大豆収穫は10月後半だそうです。
美味しい豆っこになりますようにと願っています。










2016年9月15日木曜日

栃尾駅から長岡駅へ

あの日は初めて、ふたりで長岡の映画館に行きました。

栃尾の駅前は西谷線や東谷線のバスがひっきりなしに到着したり、発車したりと
忙しない風景でした。
駅構内に入る前に左手に小さな売店があります。
街まで行かないと本屋さんはありませから、
毎週、おばばにねだり、発売日を目指しその売店に行くのです。
「マーガレット」のマンガ本を買うために。
売店から少し離れたところに、公衆電話がありました。
この頃、家にも電話はありましたが、
コソコソとこの公衆電話を使ったものです。

さて、初めてふたりで栃尾駅構内に入ります。
右端にベンチが並んでいます。
構内は結構広く、床はただのセメント張り。
左手に切符売り場。
切符はそれぞれがお金を出します。
いくらだったか忘れました。
車両は2台。
満席だったかどうかも覚えていません。
ふたりは椅子に座ります。私はもしかして、知っている人が乗っていたらどうしよう
とそればかり考えていて、終点長岡駅まで一言も話さなかった。
映画館に行き「007ロシアより愛を込めて」を見たような記憶ですが定かではありません。

お昼には地下の食堂に連れて行ってもらいました。
同級生なのに、こんなところに良く来るのだろうか
お金持ちの家庭なんだなと思いながらも
私にとっては、初めての場所です。
ソワソワ、ドキドキ。
チャーハンをいただきました。
それから、間も無く、電車に乗って、また話すことなく終点の
栃尾駅に戻りました。
駅で別れて、私は家路に
一体あの時何回声を出しただろうか
「同じものでいい」とぶっきらぼうに応えたことしか思い出せない。
遠い遠い昔話は栃鉄の想い出と一緒に
こそばゆく思い出す。

2016年9月13日火曜日

栃尾鉄道の想い出

映画祭後の打ち上げで栃尾から悠久山まで走っていた
栃尾鉄道の話題で盛り上がったそうです。私は参加していませんでしたが
そのお話をブログ上で読んでいると
私は5歳。初めて栃尾駅から遠い終点駅悠久山まで保育園の旅行。
今から58年前の記憶が懐かしく、少し寂しかった思い出が頭に浮かんできました。
幼少の私にとって一時間半くらいの時を大きな長四角の箱の中で過ごすのです。
しかも、走るのです。
夢のようなドキドキ気分です。
母の手作りワンピースを着て、ピカピカのリュックサックにお弁当を詰め
水筒を持って、電車に乗るのです。窓を開けると、風が私の顔を撫でます。
あんまり嬉しくて、顔も手も思い切って窓の外に出して叱られました。
座席に座ると、電車が揺れる度に小さな体全体に感じる揺れは
たまらない快感でした。
長四角の空間は魔法の動く玉手箱のようでした。
でも、一つだけ寂しかったことがありました。
それは、お友達みんなの付き添いはお母さんでした。
私は凄いおばあちゃん子だったけど
この時は母と一緒が良かった……。
今思い出すと、母ちゃんはもっともっと寂しかっただろうに。

2016年9月11日日曜日

一分間だけ




タイトルの「一分間だけ」にどんな想いが込められているのだろうか

少し、首をかしげながら読みました。作者は原田マハさん。
生後三か月で家族の一員になった犬とその家族のお話です。

ペットショップに並んでいる愛くるしい子犬を見ると
いつもほしくなります。
仕事やめたら犬を飼おうかなって
夫につぶやくと
決まってこういうのです。
「誰が毎日散歩するんだ」
「決まってるでしょ、私よ」と口をとがらせ反論するのですが。
わかっています。そう簡単でないこと。
おまけに我が家には「吾輩は猫」と自由気ままに人生を
謳歌しているアメリカンショートヘアーたるものがいるのですから
この猫は随分長生きです。16年くらい生きています。
老人たち(義父母)は100歳万歳確実だといつも思っています。
おまけにこの猫もそうなのです。
我が家で、病気で入院をするのは夫、娘、そして私なのです。
私のつぶやきは決まっています。
「ねえ、マメ!は良いよね。毎日働かないのに食事を与えられ、
おまけに自由気ままでさ、たまにはお母さんの替りに仕事してよ」
こんな毎日を送っている私に
この一冊の本は涙涙でした。

犬の名前はリラ・・・・・・。
リラは賢く、主人公の藍に大切なものは何かを教えてくれたのです。
藍はリラがいなければ、世話もしなくていい、仕事も出来る。
リラさえいなければと
この場面になるともう苦しくって苦しくって
涙が止まらなくなるのです。リラが可愛そうでなりません。
でも藍の気持ちもわかる私。

元同居人の恋人と主人公が、一番大切ことに気づいた時は
リラはもうこの世にいませんでした。でもリラは残してくれたのです。
石ころや雑草をみつけて遊ぶ世界がどんなに素敵なことか。

私は自転車で今日も通勤しました。
いつもより、ゆっくりと川や土手の草花に目をやり
リラが教えてくれた大切なものを感じながら・・・・・・。

このタイトル「一分間だけ」について私の感想を書いたら
まだ読んでいない方に失礼になるからここでやめておきます。
中盤から最後は涙を流しながら一気に読んだ一冊でした。
もしお読みになられた方がいたらこっそりと
ご感想を聞かせてください。
最後が切なすぎて・・・・・・。

2016年9月7日水曜日

栃尾の油揚げがつないでくれるもの

栃尾の風景と豆撰恒例の感謝祭が
動画になっております。
「栃尾の油揚げと人」をテーマに
五藤利弘監督より昨年撮影していただきました。


国内名水百選にも選ばれている杜々の森の湧き水など栃尾には
美味しい湧き水がたくさんあります。
この水が、「あぶらげ」に一番大切な素材である上質な大豆を育て、
また、「あぶらげ」づくりのなかでも使われています。
美味しい水がある土地には必ず美味しいものあります。
そして「あぶらげ」が人と人をつないでくれます。
そんな「想い」の動画です。
ここで、ちょっとお知らせ・・・秋葉神社の階段から街を見て
想いにふけっている後姿はサザエおばさんの私です。
いつの間に監督さんは撮ったのかしら
これもいい記念です。
一番この動画の中で、私が気に入っているのは
社長と妹のツーショットです。
合わせてご覧ください。


今年の感謝祭は10月8日、9日に企画しています。
皆様のお越しをお待ちしております。






2016年9月6日火曜日

久しぶりの自転車

心電図検診の結果は不整脈もなく良好とのこと
問題は血圧、下の血圧が高いのです。
でも、強情にも薬を拒否する私。

ならば食事療法と運動で改善するしかありません。
そういえば、ここ数ケ月まったく歩いていないのでした。
残暑厳しい毎日です。歩くにはちょっと抵抗あり・・・・・・。
自転車にしようと決意して、久しぶりに刈谷田川沿いを走ると
土手に朝顔の花がいっぱい咲いていました。
いつものおじさんが背をまるめ畑仕事をしていました。
心の中で「お元気でしたか? 」と声をかけ通り過ぎました。
高校前の橋を横切ると
男の子とおじいちゃんが見えてきました。
きっと、男の子は私のこと待っていたはずと意識過剰。
すると待っていたのはおじいちゃんの方だったようです。
私が声をかける前に
「おはようございます」と先を越されてしまいました。
それから
私はちょっとあわてて「お、おはようございます」と返しました。
それから、男の子が「おはよう!」

やっぱり自転車はよかった。
健康にもいいし・・・・・・。

2016年9月3日土曜日

鐘楼のふたり

青木ヶ原樹海の森で出会った若いふたりと初老の男性。
この撮影場所は映画「追憶の森」で渡辺謙さんが主演されていたところですが、
その映画よりも先に樹海を舞台に撮影された「鐘楼のふたり」は五藤利弘監督作品です。この映画の魅力は森の中の明暗です。若いふたりに降る、木漏れ日の美しさ、
癌に冒され、死に場所を求めた初老に射す影と光。
この美しさは自然光だからでしょうか?
私の憶測です。
最近の映画はCGばかりが目につく中で、私にとって「鐘楼のふたり」は癒しの映画のような、心に響くものでした。
そして、いつか誰にでも、迫ってくる老いに対して
前向きに、残された人生、後悔しないように、自分らしく生きたいと
思わせてくれる映画でした。
特にラストシーンの初老の男性が電車に乗る、若いふたりが見送るシーンに
残りの人生再出発の重さと優しさを伝える表現は五藤監督の持ち味であり、
こだわりかもしれません。

この上映の前に、「モノクロームの少女」に深くかかわった
俳優加藤武さんと恩人諸橋酒造社長の追悼フィルムが
音楽スネオヘアーさんの曲とともに回されました。

監督の想いに熱いものが流れたのは私ばかりではなかったのではないでしょうか。





2016年9月2日金曜日

後妻業の女 から学ぶ

後妻業という職業があるらしい。
豆撰は食品分類によると豆腐製造業となります。
ということは後妻業は詐欺師分類になるのでしょうか?

なんとも言えない!
老人男たちの本性なのだろうか!

その男たちを意図も簡単に、あっけらかんと操る
大竹しのぶさんの演技に、引き込まれてしまいます。
同世代の顔に、女優魂が感じられます。
素の彼女は、結構甘い声で、年齢に合わない話し方がちょっと鼻につくこともあるのですが
一度女優に変身すると、完全に役になりきっている、どの映画でもその迫力に
押されてしまいます。さすが大女優と納得します。
今回も、少し滑稽な笑いの中で、しっかり、完全後妻業の女を演じていました。
そして、男とはなんと単純動物なのかしらと地で演じていたように感じたのは
私だけだったでしょうか?特にあの方(Tさん)とあの方(Mさん)です。
後妻業の女に騙されても、殺されても、老人たちは満足して、
死に場所を見つけて逝ったような気がします。
ここで一番重大な鍵は
妻を亡くした老人を看取るのは、子どもだった時代は、もう遠い昔のこと。
そこで、「私よりも先にあの世に逝ってください」と夫に訴える私。
初老夫婦に待っているものは
孤独な老人ホームであり、家族葬は簡単便利の時代が確実がせまっているような・・・・・・。

いえ、そんなことは映画の世界です。
娘!お葬式の日くらい駆けつけてくれるはず?
と願うサザエおばさんでした。