2014年10月30日木曜日

痴呆症も蛙の子は蛙?

今日はトラベルマスターズさんバスツアー、湯沢を廻り広神そして栃尾の杜々の森
最後は 豆撰に立ち寄っていただきました。
お客様の中に知り合いの方がおいででした。
お天気に恵まれとても楽しかったと話された後で
「〇さんのおばさんはいかが?」と尋ねられました。
「介護が必要のようです」と答えました。
すると
「私もそうなるかと思うと・・・・・・」と首を傾げて心配そうな表情でした。
「あら、私も同じです」と答える私。
痴呆の親や叔母を抱えると
自分もたどる道なのかと不安なってしまいがち・・・・・・。
今日も誰かに言われました。「礼子さんが作ったんでしょ、忘れないで下さい」
困ったものです、引き出しがもういっぱいで、要らないものから忘れたらいいのに
必用なことから忘れてしまう私。
対策が必要である。トホホホ・・・・・。

写真は豆撰自慢の「ざるとうふ」です。 これからの季節は湯豆腐に最高に美味しいです。

2014年10月29日水曜日

ようやくめどがついたようです





栃尾の秋は駆け足でやってきて、駆け足で去っていきそうな勢いです。

なんと言っても、寒い。

我が家の猫殿はポットが移動するのを見計らって、下に敷いてある、敷物を手でよけます。
そして、その場にまるくなる。
それを見ていた夫は
「マメにも電気カーペット買ってやらんばんな」
「えっ?どうして」と私。
「お前だって寒いといってエアコンつけてるじゃないか」
「そうだけど・・・・・・・。」

義母は丹精込めて作った「あずき」を干して、剪定しています。
お正月のあんこもちの準備です。孫夫婦がイタリアから帰国するから
ばあちゃんの味を食べさせたいのでしょう。

実母は自宅のカーペットでいい気持ちで一日昼ねを?して いたようです。
一度も豆撰に来ませんでした。

私の好きなお家は赤い屋根、その横に大きなイチョウの木。
このお家を見るたびに「小さなおうち」の主人公たちを想い出します。
今朝は、赤い屋根のおうちの、手前からイチョウの葉が舞っていました。
みんなみんな、秋から冬へ向かっているようです。

私も相棒や娘の力を借りて、「おてがみれしぴⅡ」のめどが立ちそうです。
秋から冬に向かって、豆撰では一番忙しい季節はもうそこまで来ています。

2014年10月28日火曜日

間違いが2つありました。

昨日のブログ内容に間違いがありました。
1つは、サトイモの根っこは親イモにあります。
子供にも少し・・・・・・。
つまり、親が人間のように栄養をとって、子供や親を大きくするようです。
母親のお腹にいる赤ちゃんのように・・・・・・。
もう一つの間違い?
右腰上が痛い、座って起きる時が辛い
いつもの整体に行きました。
「肉離れですね、座るお仕事なのに一日農業祭で立っていたからでしょう」と
テーピングと湿布をしていただきました。
自宅に帰って夫に訴えると
「サトイモ堀だろう」と指摘されました。
慣れない仕事の上、足腰の筋肉の衰えから・・・・・・。
ははーんそうなんだと納得。
そして、90歳の義母は平気なのに「どうして?」と情けない自分でした。

オリーブオイル栃尾油揚げで作った美味しいレシピをご紹介 致します。

2014年10月26日日曜日

野菜つくりに思う

夫は、毎朝畑に行きます。
義母も一緒です。
畑から帰ってきて、朝食を食べる時の会話を聞いていると
二人のやさしが感じられます。
野菜の成長に合わせ、水をやったり、おからの肥料をやったり
まるで、二人は子供に接しているような会話です。
めったに畑に行く事のない私が
サトイモ収穫のお手伝いをしました。
高く土を盛ってもらったサトイモは大きな葉っぱです。
葉の下には、親と子供と孫イモが
仲良く育っているのです。
親イモの先には、長い根っこのひげがあります。
土の中から栄養をもらい、大きくなるのです。
親から子へ孫へとイモの大きさが違います。
親は大きいのは当たり前、子供はその次そして孫たちと
イモの大きさが違ってきます。
土からサトイモのかぶつを取り出し、「あら?これでっこいよ」
「あら、ちょっとかわいそう栄養不足かしら」
と感嘆の声を上げる私。「サトイモ家族は仲良しね、くっついているんだから」などひとりごと・・・・・。
あら、いつの間にか夫は、ほとんどのサトイモを収穫してしまいました。

人間の子供たちも同じだと思います。
栄養をやりすぎても、ほったらかしにしても育ちません。
子供の気持ちを考えながら、大人の無償の愛で子供は大きくなるのではないでしょうか
そして、きっと子供も孫も親の気持ちを考えて成長しているような気がします。
愛情には見返りや強制はないと思っています。
子供の成長の先には見えるのは、親の作った画像ではなく
子供たちがその時に精一杯頑張った事を見守ることのような気がします・・・・・・。

グレース・オブ・モナコ

久しぶりの映画観賞です。
脚本の内容がどれくらい真実なのか?
とモナコ公妃について調べたくなる
興味深い映画でした。
とにかく演じた女優の気高い美しさに
鳥肌が立つような印象。
妻として母として、女性ならばだれでも
おとぎ話の世界で生きているのではないでしょうか?
愛こそ…大切なもの。
映画の中に登場する歴史的人物
私の知らない時代の権力
この映画は女優と公妃を全うした
一人二役の生涯伝記を読みたいと思わせてくれました。
そして、映画の中にヒッチコック監督の「マーニー?」に
興味をひかれました。

家に帰り
私より先に、この映画を観た夫に一言
「美人は薄命なのね」と。
夫「お母さん、60まで生きたね」
心の中で、「そうよ、もしかしたら90歳かも?」

さて、本日は栃尾オリナスで農業祭りです。
豆撰も栃尾産栃尾の油揚げ、油揚げバーガーを販売します。
もちろん、豆撰店頭でも販売いたします。
栃尾の秋を楽しみながら、油揚げを食べに来てください。
栃尾の秋は真っ盛りです。

2014年10月25日土曜日

朝活がひとつ増えてしまいました



日が昇る時間がだいぶ遅くなりました。
朝4時は真っ暗です。魔法使いとお日様が眠っているからです。
私は彼らとは違って
きちんと、ルールを守って
同じ時間に目を覚まします。本当は年のせいです。
昔亡くなった父が「若い時はいくらでも寝られるもんだ」とさみしそうに
言った言葉を思い出します。
さて、そのルールのせいで4時に起きて掃除、洗濯、料理をやるには
少し、寒くなりました。
寒くなると、布団の中が一番気持ちがいいのです。ぬくぬくと・・・・・・。
そこで、どうずり(横着)になり
ぬくぬくの中である人のブログを読むことが私の一日のはじまりになりました。
世界中を回っておられたようで、次から次へと知らない世界のことが
明確に書かれています。これはブログの域を超えています。
知らないことだらけですので、読んだあとから
頭の中で整理する機能を持ち合わせていない
私の頭にはとどまりません。でも心にはなんだか残るのです。
そして、生き方も生きてきた道も全く違うのですが
栃尾生まれということが朝活のひとつ増えた最大の理由です。

写真は我が家の秋です。

2014年10月23日木曜日

課題と苦労は続きます

ようやく、本当にやっと
「おてがみれしぴ2」に載せるレシピ写真を撮り終えました。
終えたとは、完全とは意味が全く違います。
すべてが手づくりなのですから・・・・・・。
私を助けてくれた仲間は
事細かにあきらめずに指導をしてくれました。
ほとんどがFBでのやりとりです。
まして、イタリアとのやり取りは時差もあり
国内のようなやりとりが出来ず四苦八苦です。
ある方に「もう大変です」とお話したら
「多田さん、最高チームじゃないですか、なかなか集まりません」と
社交辞令をいただきました。
「そうでしょ!私には最高の相棒、娘、Gさん、そして夫がいるんだから」と
心の中で呟いていました。

油揚げを作る事の苦労は25年経験してきました。
今回は、新たなる事への挑戦です。
上手下手はもちろんあります。
スタジオもなく、百円ショップ、ムサシ、原信に通い
お料理をし、セットし、作り上げたものには、自己満足ですが
「頑張った」と思っています。写真だから、味は写らないからと、
美味しさよりも見た目だけを考えた撮影は、ことごとく却下されてきました。
そして、手間をかけ、材料を選び、真心を込めて作ったお料理は
写真に反映されることも学びました。

さて、皆様の心にどう届くのでしょうか
不安で心臓がドキドキです。
私の心臓の音、聞こえますか?


2014年10月22日水曜日

すべてのはじまりは出会いから

この年になると・・・
いえいえこれは人生の中間点かもしれません。

私を生んでくれた母にありがとう。今は痴呆症だけど
母がいなかったら、もちろん父がいなかったら私はこの世に生れていないのですから
勉強は、まったく得意ではなかったけど
野望だけは大きく私なりの「志望校」がありました。
それで、私なりに勉強をしたつもりでいました。
しかし、見事に進路変更!そのおかげで
今は進路変更した栃尾高校時代のお友達が私の財産です。
志望校に入っていたら今の友達とは出会えませんでした。
高校卒業を目の前にして
奨学金のもらえる短大受験を試みました。
試験は「よくわからなかった」いえ、「英語はちんぴんかんぷん」でした。
奨学金試験はみごと失敗でした。
でも奨学金をもらうことはできないけど、入学はできたのです。
当時、入学金20万円でした。
父にどうするのかと問われ。即答「行きません」と答えました。あまりにも大金なので、私はこの大金を使ってがんばるほどの能力はないと判断したのです。
そして成人になり、保育園勤務しながら保母試験に挑戦。
ここは私の人生を「楽しく」してくれました。
子供たちと遊ぶといろいろなことを学ぶことができました。
子供たちから教えてもらった15年間は私の大きな大きな財産です。
その間に、いっぱいいっぱい失敗しました。失敗だらけです。
その失敗も出会いがあったからこそです。
それから、結婚。夫とはまるで性格が違います。
それでも、私にとっては夫との出会いは最高の出会いだったと思っています。
若いころは、毎日喧嘩を繰り返していましたが・・・・・。
娘を授かった時は天にも昇る気持ちでした。
子育ての苦労はその後にはじまりました。
それでも、娘よ、ありがとうお母さんにしてくれて。
35歳、一生の仕事と保育園勤務を続けていた私に
亡き父のたった一言「油揚げ屋を手伝ってくれ」
そこで、悩みもせず、豆撰で働くことを決心。
豆撰で働くと、今までの世界が嘘のようでした。
民間の大変さ、お金のこと、家庭のこと。大変な月日は続きました。
でも、ここでもたくさんの出会いをいただきました。豆撰で泣きながら仕事をしたからこそ
いろいろな人に出会えました。
振り返ると、苦労の中での失敗は、たくさんの出会いを与えてくれたようです。

さあ、今日こそは最後の(おてがみれしぴ)撮影日になりますように!!!!!
私の失敗人生は駆け足でした。

栃尾の秋は駆け足です。

2014年10月21日火曜日

同じことを繰り返す

老化現象のひとつは・・・・・・。
今メガネをはずして、さてどこ置いたのか?からはじまります。
同じ場所に置くことに決めておけばいいのですが
忙しさを理由にあっちこっちと投げ放題です。
これは、大変です。
そのくせ、
キッチンの皿は所定位置にないと
落ち着きません。
つまり、自分のことはすぐに忘れるのに
自分以外の人が私流のルールを守らないと
気になるのです。
これが老化のはじまり。
家庭内、この老化現象が介入してくると大変です。
もう、この現象は確実に介入から占領しそうです。
今日こそは食い止めねばと決意しているところです・・・・・・。


2014年10月20日月曜日

てんびんの詩

毎週一回整体に通っています。
今日は先生と映画の話や本の話をしました。
すると先生(30歳後半くらいでしょうか?)に
「てんびんの詩を知っていますか」と聞かれました。
「いいえ」と応えると
先生は
「僕がこの仕事をした、きっかけなんです」と教えてくれました。
早速調べてみました。
http://tenbinnouta.ciao.jp/tenbin1.html

この若い先生は人の気持ちを大切にする方だと
今まで以上に信頼の気持ちが膨らみました。

もし、観る事が出来たらいいのにと今思っています。

2014年10月19日日曜日

脳の活動は睡眠中


「おてがみれしぴ」の写真撮影に
あたふたとしております。
なかなか思うような写真が撮れません。
でも、性分なのでしょうか
自分が納得できないと、
頭の中がもやもやして、いろんな仕事が手につかなくなります。
私流で、この状態を打破する方法は一つです。
睡眠をとることです。
昔から、考えても考えても、結論が出ない時は
朝方の「夢」に
結構良いヒントが出てきます。
それにしても、仕事の量が半端でなくなって
秋なのに、大好きな山に登れず
その反動で「食べる、食べる」
ああ、このままだと大変なことになりそうな、嫌な予感がしています。

去年、八方台で撮りました。ガマズミの実です。
いついけるかな?????




2014年10月18日土曜日

お日様が昇る前に

栃尾の秋は短い。
色づいたと思うとあっという間に
冬になります。
今朝は冬になる前に駆け足で、泉へ大川戸橋まで
散歩をしてきました。
夏に間に合わなかった綿毛を一本みつけました。
しばらく歩くと、セイタカアワダチソウの群れの中で黄色のお家をみつけました。
外来種で広範囲に勢力を伸ばすこの雑草は、みんなの嫌われあわれ者です。
でも、こうしてみると、メルヘンの感じがします。
大きな工事現場に行くと、老人ホームです。
私には3人の親が健在です。
日頃は鬼嫁ですが3人を老人ホームには入れたくありません。
私を育て、孫を育てくれたおかげで、私は保育園に勤め、今は豆撰で働けるのですから
大川戸橋には火炎土器が飾られ
もちろん複製ですが
この文様の時代、栃尾には縄文時代から私たち栃尾人が
住み
文化を作っていたことを考えるとちょっと誇らしく感じました。
橋から栃堀方面を望み
もやのかかった景色に癒され
今日はがんばれそうな予感!
頑張って、納得できるレシピ写真に再度挑戦です。

2014年10月17日金曜日

生きる

大好きな叔母が57歳で癌と闘った時に
私は志村喬さんの「生きる」を観ました。
そして
なんとか、生きている今をがんばってほしいと願い続けました。
私に出来る事は何でもしました。病院から自宅療養になれば
毎日山を越え1時間かけて叔母の顔を見に行きました。帰ってくるのは
12時を廻っていました。
東京にある免疫力をたかめる鮫の軟骨、尿から作るワクチン
放射線治療のために群馬大学病院にも出かけました。
結果は2年と宣告された命より短かった。
いろいろな治療をしながら、春は桜を愛で、死の半年前には
車椅子にのせて、沖縄旅行をしました。
沖縄旅行は手も足も脳腫瘍転移のためとても大変な移動でした。
それでも、叔母は沖縄で食べるものを「美味しい、美味しい」と
連発していました。
今思えば、痛み止めを飲みながら、私と叔母の夫、そして私の娘に
対する感謝の言葉だったのでしょう。
その時は、本当に美味しかったんだと単純に私の方が自己満足していました。
あの痛みの中で、美味しさは薄らいでいたはずです・・・・・・。
月日が過ぎ、13年過ぎてみて、
叔母の人に対する思いやりの気持ちをつくづく感じました。
何故、今日は命日でもないのに、叔母を思い出したのか不思議です。
それは、私が今できる最大限のことをしてみようと思ったからです。
昨日撮り始めていたレシピの写真が思うように出来なかったからです。
「出来るでしょ、礼子、生きているんだから」と叔母が励ましてくれたのでしょか・・・・・・。

2014年10月16日木曜日

懐かしい看板を探し求め

塩、たばこ、酒などは許可の必要な売り物でした。
今では、塩はどこでも買えます。
塩のカンバンが置いてあるお店は
町内に、村に必ず1件あったように記憶しています。
昔は塩は相当重要な調味料だったのでしょう。

私の子供のころは
塩で生きていたかもしれません。
塩は醤油になり、みそになります。
小学校から帰って「ただ今、お腹すいた」とランドセルを投げ出し
流し〔台所〕に行くと、大きな味噌おにぎりが握ってあります。
その、美味しいこと。実母は私の帰り時間を見計らって作っておいてくれるのです。
秋はさつまいもがふかして〔蒸して〕 あります。
その時も少し塩をつけて食べます。甘さが倍増するのです。
塩の味は忘れられない、最高のレストランだったのです。
先日、焚きたての新米に味噌を付け焼き、大葉ではさみ焼いてもらった
おにぎりの美味しさは格別の味でした。〔焼いてくれたのは夫、
依頼したのは私〕

実はそこで昨日、塩の看板を探して見ました。
一之貝、栃堀、塩谷方面の茶屋を廻ってみたのです。
すると、昔どこの村にもあった茶屋はほとんどなくなっていました。
建物は改築されています。
各村には空家も多く、あったはずの家もありません。
もちろん、田んぼも畑も荒地でした。
これでは、茶屋は存在しないわけです。
みつけたのはたった2軒でした。
ちょっと、寂しくなりました。



2014年10月15日水曜日

4プラス1の家族です。

感謝祭を終え
少し早めの帰宅。
我が家の息子愛猫は家族全員が揃うと
安心して、義母の椅子を横取りし、スヤスヤと寝息をたて
寝込んでしまいます。
私が、尻尾に触っても、しらんぷりです。
家族だからです。
年に一度帰ってくる娘の事もしっかり覚えていて
帰ってくると娘の後を追い掛け回しています。
我が家は4プラス1の家族です。

2014年10月14日火曜日

新聞の死亡欄を見る義父



私が家族の中で一番気にならない存在は義父です。
つまり、かかわりが少ないのです。
私が朝食の準備をすると、自室よりリビングへ
相当、嫁に気を使っているのか必ず義父から「おはよう」と挨拶をします。
35年間変わらない挨拶です。
それから、薬の準備をします。
今朝は、なんと新聞をひろげていました。
ちょっと、覗き込むと「長岡市の死亡欄」の名前をおっていました。
月に一度街の医者に行くこと、友達のところへはお天気がよければ
出かけるようです。
元気とは言えませんが、もう90歳ですので、それなりの老化現象です・・・・・・。
義父自身が自分の老化を感じている様は
少しかわいそうな気がしました。
もう少し、優しい嫁になってやればいいのに・・・・・・。
それなのに、嫁は必要以上の会話をしないのです。

写真は栃尾秋葉神社です。
烏天狗、牛若丸が彫られています。



2014年10月13日月曜日

ありがとうございました。

皆様のおかげでお天気に恵まれ
豆撰大感謝際は無事終了することが出来ました。
遠くは名古屋から、石川から来ていただきました。
ありがとうございます。
栃尾の人たち長岡の人たち、見附の人たち、三条、魚沼、新潟の人たち
本当に本当にありがとうございました。

今年の感謝際には22歳の新人「こうちゃん」が9月より加わりました。
彼にどうだった初めての豆撰の感謝祭は?と質問すると
「想像以上です。びっくりしました。大勢のお客様に」と弾んだ声。
また、スタッフの子供たち栃尾高校の二人が応援に来てくれました。
二人とも素直でまじめな高校生です。
スタッフのお母さんの育て方がものがたっていました。
実は、そのスタッフの一人が感謝際直前にけがをしました。
治療は私がやりました。
指先です。私はしっかり止血して治療しました。
本当は病院に行かせたかったのですが私の経験で私でも大丈夫と判断をしました。
彼女は感謝祭であること、猫の手も借りたいほどの忙しさの中で我慢をしてくれました。
昨夜はバンソウコウを変え治療しなおしました。
そして高校生の息子に
「あなたのお母さんはけがをしても人に迷惑をかけたくなかったから痛いのを我慢してくれたのよ
あなたはお母さんを誇りに思ってね、もし、あなたが悪いことがしたくなったら、お母さんの優しさと我慢強さを思い出してね」と話しました。
彼はうなずき、彼の瞳にはひかるものが・・・・・・。

2014年10月11日土曜日

大感謝祭1日目終了しました

お天気に恵まれ、おかげさまで大盛況でした。
明日も9時から夕方5時まで
25周年記念大感謝祭で-す。
今日お越しになれなかった方是非お越し下さい。
お待ちしております。
豆撰の発送用ご贈答品 も年に一度の大サービス価格になっております。
バーガーは豆乳を使った「バーデンバーデン」さんのソーセージを挟みました。
おからと米粉の「コ-ンラスク」は豆撰のおからと笹川流れの塩を使っております。
「実松」さんのオリジナルです。
チョコ味、カレー味、チーズ味と3人兄弟です。
一度お試し下さい。
まだまだ、たくさん手作り商品が並んでいます。
ばありゃんのつくった「かた煮豆」
人気商品「おばけあげ」新発売「抹茶入り豆乳プリン」
また、赤こがね、白子がね、おいなりさんの味は豆撰の味、栃尾の味です。
新発売「オリーブオイルで揚げた栃尾の油揚げ」の人気も上場です。

たくさんのお客様の生の声を次回にお届けします。
明日もお待ちしています。


2014年10月9日木曜日

親の役目

甥っ子は来春大学卒業です。
野球少年だった彼には夢があります。
子供たちと一緒に野球をすることです。
彼の夢のための就職活動には高い壁があり
夢が、叶うかどうか心配なところです。
妹夫婦は彼の夢のために、彼の納得いく道を見つけるために
猶予期間を設けているようです。
叔母の立場からすると
どうして?夢が叶うとは限らない。
どこかで妥協しなければと内心思っていたのですが・・・・・・。
私の娘のことを考えたら、彼の親、つまり私の妹に何も言えなくなりました。
なぜなら、娘は私から観ても自由奔放な生き方をしているのですから
それを、親は見逃して、それからあきらめの気持ちに移行します。
そして、現在は応援しているのですから、摩訶不思議な親の気持ちの変化です。
もう少し遡ってみれば、私自身も、親の言う事を聞くことなく
家を飛び出しています。結果的には親のもとで仕事が出来ていますから
私の両親はそれなりに安心しているはずです。
でも、そのことについて尋ねたくても尋ねる父はいません。
母は痴呆・・・・・・。
子供のやりたいことをさせるにも勇気が必要です。
亡き父は勇気があったのでしょうか
それとも愛情でしょうか・・・・・・。

2014年10月7日火曜日

台風一過のあと・・・・・・。

















 今朝から、ひとりで大笑いです。
「台風一過の後は・・・・・・。」FBのお友達の記事をいくつか読み
あら?あれ?
「台風いっか?」は「台風一過」って書くのか。
60年も生きてきて、耳から覚えた日本語は
私の頭脳の中では「台風一家」とインプットされていました。
親戚の子供が集って大騒ぎのあと
祖母や父母は「ああやれやれ、台風一過のようだ」と言っていた言葉が
私には台風家族とイメージしてしまっていました。
こんな間違いを60歳で気がつくとは
さすが私しかいないなと、ひとりで爆笑していました。
そのすぐあとに、娘からのメール
台風一家に勝るとも劣らない
写真が送られてきました。
それは、DNAの恐ろしさです。
娘生まれたての写真と夫の現在の顔の表情がうりふたつ。
娘五才の写真と夫一年生の表情、口の閉じ方、目線がうりふたつ。
ここに、のせられないのが残念ですが・・・・・・。
私は、涙を流しながら笑いこけました。

さて、栃尾の朝をお届けします。


2014年10月6日月曜日

あめふりくまの子

朝食を食べながら庭の外を眺めていると
サトイモ畑の大きな葉っぱに雨の雫がたまっています。
しばらくじっと眺めていると
雫が流れ落ちました。
「この瞬間撮れないの?」と夫に尋ねると
ぐだぐだと理屈を並べ、その結果「これを撮るにはカメラがいる。
だからプロがいるんだ」とのこと。
「あらそう?」と私
この会話の途中で私は
この歌を頭の中で歌っていました。
保育園勤務時代一番好きな歌だった・・・・・・。
あれから25年が過ぎます。
そして豆撰勤務25年・・・・・・。


おやまに あめが ふりました
あとから あとから ふってきて
ちょろちょろ おがわが できました

いたずら くまのこ かけてきて
そうっと のぞいて みてました
さかなが いるかと みてました

なんにも いないと くまのこは
おみずを ひとくち のみました
おててで すくって のみました

それでも どこかに いるようで
もいちど のぞいて みてました
さかなを まちまち みてました

なかなか やまない あめでした
かさでも かぶって いましょうと
あたまに はっぱを のせました


頭に葉っぱをのせて子供たちを連れて歩く私を想像していました。


2014年10月5日日曜日

引き続きやり直しの撮影

素人の夫婦が

見よう見真似で、インスタントスタジオを作り
お料理をして、
器を選び(数少ない器から選び)
脇役は何がいいか考え(娘と息子?にほとんどおんぶ)
いざ、出陣。
夜6時から始め、終わったのは夜8時半近くでした。
疲れが頂点です。撮ってはパソコンで写して、素人ながら
初老夫婦はああでもないこうでもないと論議を重ねました。
途中に、油揚げの切り込みの仕方を実演し、撮影したのですが
なかなか、うまく表現できません。
まあ、いいかといつもの私。
ところが、あれあら?私の手は確実に老化した
しわだらけの手です。
これは、修正もかなわない事実と受け止めなければなりません。
手だけなら写真に耐えられると思っていたのに・・・・・。
そして、撮影結果をすぐに息子?と娘にメールをしました。
ふたりとも、厳しいお言葉。
何?????ああもうこれが限界だよ・・・・・・。
でも、明日挑戦してみようかと疲れがとれない朝を迎えました。

2014年10月4日土曜日

確率について



人は、夢を叶えられる確率はどれくらいなのかと考えてみました。
私の周りの人のことをまず思い浮かべます。
学校の先生、保育園の先生、縫製職人、店員、事務員、看護士
私には 到底想像できない職種もあります。
中でも映画監督、弁護士、編集
同級生の中には、プロ野球選手のお子さんを育て上げた人もいます。
本当に職業は様々です。
特に、レベルの違う方々に対しては尊敬の念と
やっぱり、頭の作りが違う、持って生まれた才能の違いを常日頃私は感じて
還暦を迎えようとしています。
ところが、最近気がついたのです。
私は医者にもなれない、弁護士にもなれない.、編集者にもなれない
でも、
栃尾の油揚げ作りの仕事をしている確率は日本人の中では
非常に低いことに気がついたのです。
すると、還暦を目の前にして、「何も勉強らしい勉強をしてこなかった、世の中ことが良くわからない」などの自己否定が薄らぐのです。
私は他の人には出来ない
栃尾の油揚げをつくる事は出来る。栃尾で一番美味しく、安心安全な油揚げを
栃尾、長岡、日本中にお届けできるではないか?
のびしろもまだまだある。と人には出来ない確立、倍率で仕事をしている自分を
ちょっと誉めています。〔自己満足というのでしょう!〕
10月11(土)日12日(日)
は恒例秋の感謝祭です。
揚げたてあつあつ油揚げが無料で 食べられます。
会場豆撰店舗
時間9時から5時(揚げたては3時まで)



2014年10月1日水曜日

脳と記憶について

科学的なことはまったくわかりませんが
私の脳と記憶の関係は?
40年位前の記憶が鮮明に思い出されました。
その間、記憶の出し入れを頻繁にしていたわけではありません。
むしろ、40年間、忘れてしまっていた事でも
あるきっかけがあると、断面的に思い出すのです。
プール遊びで、私の肩にしがみついて震えていたあの子
雪合戦でしつこいくらい私に雪のボールを投げてきたあの子
発表会では大きな口をあけて、一生懸命歌っているあの子
昨日はあの子のお誕生日だったようです。
私はすっかり忘れていました。
それなのに
昔の事は、断面的に思い出すのです。

実母もそうです。痴呆症なのに時として鮮明に思い出すことがあります。
実母にとっては楽しい思い出が記憶に残っていないのか
辛い事だらけを思い出すのです。

だんだん衰える私の脳ですが
時々、今日のように突然記憶が蘇ると、とても不思議です。
脳にはフイルムをしまっておく引き出しがいっぱいあって、何かのきっかけで
引き出しが開くのかもしれません。

今朝、刈谷田川を歩きながら野生の豆を見つけました。
夫が昔私に教えてくれました。見つけた野生の豆の記憶は「夫」になっているようです。