2015年8月31日月曜日

私の夢



昨日は天国と地獄の境界線を行ったり来たりと
心の落ち着かない一日を過ごしました。
それは、豆撰の生搾り機械の入れ替え日だったからです。
豆撰創業以来、一貫してこだわり続けた
昔ながらの「生搾り製法」、豆を水につけ生のまま搾るのです。
搾るのは、石臼の機械です。
この製法は今では、ほとんど使われていません。
豆を煮てから搾る、煮搾りが主流です。
簡単に、豆乳量も多くとれる為です。その分、皮についている大豆独特のえぐみが豆乳に入ってしまいます。
しかし、生で搾ると、豆の皮、つまりおからと豆乳に分けられ、
えぐみはなく、高糖質、高蛋白質の、豆の香りがする、美味しい豆乳になります。
時代に沿う、量産よりも
こだわり続けたものは「美味しい豆乳」を作ることです。
26年使い続けた、生搾りの機械も限界を迎え、
新規導入となったわけです。
いつもより少し長い夏休みをとらせていただいたのは、
この生搾り機械の入れ替えがあったからです。
ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございません。
それでも美味しい豆乳、美味しいあぶらげを作り続けるための
入れ替えです。
朝から、私の心臓は高鳴り、私自身の仕事も手につかない状態でした。
工場に入るのは遠慮していました。
怖かったと言った方が正解かもしれません。
幾度となくスタッフに様子を聞き、焦る気持ちを、なんとか抑えようと自分の仕事に集中?してみたり、FB友達に書き込みをしたり、
幾度もコーヒーを口にしたりと
居場所のない、居心地の悪い長い時間を過ごしました。
夕方近くになり、妹から「できたから味みして」と言われ、
恐る恐る工場に行きました。
あぶらげがいつものように串にささって油切りされています。
姿形も、まずまず、成功に近い。この感激は言葉では表せません。
そして、社長と私と妹で最初の試食です。
味もいける。もう少し濃度が上がれば、本来の生搾りの特徴をだせる。
美味しいあぶらげになると確信することができました。
あぶらげ作りの大変さは機械の働きも大きいのですが、
それ以上に、人の感性が重要になってきます。
水切り、揚げ方には、相当の熟練、つまり感性が必要となります。
工場に入らなくなって、もう10年くらい過ぎます。
社長と妹の感性を信じています。
出来るはずですが心配と不安は
相当のストレスとなった長い一日でした。
あぶらげ作りに取り組み26年が過ぎようとしています。
今回の大仕事は創業以来の、大掛かりな仕事でした。
私の夢は
社長と妹とそして、美味しいと言ってくださるお客様のいる限り、豆撰の仲間と美味しいあぶらげを作ることです。
それ以上でもそれ以下でもないことを知りました。
天国と地獄の1日でした。
明日からは、自信を持って、販売に向け頑張ります。
皆様の応援、よろしくお願い申し上げます。

2015年8月29日土曜日

生きものの記録

昭和30年は私の生まれた翌年である。
監督黒澤明、主演三船敏郎。
もちろんモノクロの映像と音声は割れ、聞き取りにくい。
若い三船敏郎を想像していたので
一体どこに、何の役で、主役なのか最初はわからなかった。
話が進むにつれて、老人中島を演じていたことを理解する。
三船は35歳の若さで70歳を演じているとは
思えなかったからです。
少し背中を丸め歩く姿はまるで老人そのものである。
裁判所の調停委員役原田は志村喬とすぐにわかった。
私が、この映画に登場する俳優さんがいったい誰なのか
理解出来ないのは当たり前である。
若い俳優さんと私の知っている俳優さんは
なかなか一致しない。
繰り返し、繰り返される、水爆と原爆への恐怖を表現する
スローな演出。戦後10年の日本事情。
丸い小さな座卓、すだれ、カンタン服など
私の幼いころの時代背景である。
ビキニ環礁での第五福竜丸のことなど知るすべもなかった
幼少期の私に小学校の先生が
「雪には放射能が付いているから、雪をたべてはいけません」と
言ったことが思い出されます。
アメリカ、ソ連そして福島へと続いてきた原発事故を
昭和30年に黒澤監督は
想定しこの作品を作り上げたのかと思うと
身ぶるいさえ感じる。
「死ぬのはやむを得ん、だが殺されるのは嫌だ」と嘆きながら
最後は廃人となり「地球が燃えている」と
叫ぶ。精神病院の先生は自分の方が異常で老人の方が
正常なのではと原田に嘆くシーンは福島の事故責任がだれにあるのか
だれも責任をとらないことと同じであるような気がしてならなかった。

この短い2日間の夏休みに実行したことは
3本の映画を観たこと。
他は何もやらなかった、明日からの大変な仕事に
戸惑っても、この3本を想いだしたら
何のことはないと思えるのではないだろうか
私はこうして、気楽に生きているのだから・・・・・・。



船越英二主演「野火」を観る

昨日観た映画「日本のいちばん長い日」は新作映画でした。
その前に撮られた作品を探しに行ったのですが
見つけられませんでした。
そこで、見つけたのは船越英二主演の「野火」です。
人間の限界とはなんと哀しいものでしょうか。
昨日の映画が美談とされるなら
今日の映画は真実かもしれない。
残酷、卑劣、飢餓、どの言葉を使えばいいのでしょうか
市川監督の命題とは何なのか
人間の感情は極限ではどう変貌するのか
ただただ、画像の進むまま
目を離さず観ていました。
敵地の十字架に何を求めたのか
船越英二演じる田村の遠くを見つめる意識のない瞳と
覚悟をする鋭い瞳がせつない。
私は15歳。栃尾高校に入学した45年前のことです。
地理の先生は米山先生。
当時もかなりの年配でおられ、地図、特に世界地図を書くのが
お得意の先生だったように記憶しています。
15歳の私は全く地理には無関心。先生の話ははほとんど右から左通過。
それでも、同期だったと語る船越英二談話になると
先生の話に耳を傾けていました。
飛行機の話がほとんです。そしてそのころテレビドラマによく出ていた
船越英二さんの自慢話をするのです。
ふたりとも予備軍だったのだろうか。
「運がよかった、俺も船越も」と語るだけでした。
何故、先生は飛行機の話や同期の俳優の話に夢中になっていたのに
肝心な戦争のことはほとんど話さなかったのか、
「野火」を観終わって、その訳が
今わかるような気がする。
随分前に先生は亡くなったと風の便り聞いています。
この映画が真実であれば、そして先生が体験していたならば
15歳の高校1年生に語れない真実を胸にしまっておられたのでしょう。
心が重くても、これこそ真実かもしれないと
感動とはほど遠いが心に深く残る映画となりました。
そして、この映画がモノクロであった事に安堵しています。



2015年8月28日金曜日

日本のいちばん長い日

終戦70年の年にあわせた映画だろうか
観たい映画だった。
歴史上の実在人物が次から次へと
スクリーンに映る。
玉音放送までの、長い日。
そして、現代語訳にかえた「耐えられないことも耐え」と訴える映画の
真意はなんなんだろうか?
スクリーンに映し出される、重厚な家々。天皇のお住まい。地下会議室。
などが日本文化を楽しませてくれたのもこの映画のすごみかもしれません。
歴史的にみて脚色してあることはさておき、
役所広司演じる阿南陸軍大臣の存在はこの映画のいちばんの
みどころでした。
体格に似合う軍服と容姿、この役は他のだれにも演じきれない
何か大きなものを魅せつけられたようです。
鈴木総理大臣役の山崎勉の深いしわにも同じ魅力がありました。
これだけの俳優にはこれだけの重厚な背景が必要であり
観る人をその時代に誘導してくれたようです。
そして、内閣の署名場面にも現れていた。
日本の文化、毛筆の美しさと重なってそれぞれの想いが筆の走りに、伝わるのです。
それでも、この戦争を終えるための長い日に
怒りと愚かさを感じました。
広島、長崎のみならず
爆弾が投下され、どれだけの若者が自分の意志と無関係に
死の世界に去った事でしょうか。
戦死することは美談ではない。
まして、玉音放送まで戦争を引きづり、戦争を続けようとした日本の軍隊、内閣、それにあやつられた神?の存在に
憤りが心をしめつけました。
判断はだれが下すのでしょうか
善し悪しはだれがきめるのでしょうか
若者を奪ってしまった戦争を考えると
阿南陸軍大臣の美談も天皇の美談も小さな小さな灰となって
飛んで行ってしまいました。
あなたの自害がことを収めたのでしょうかと叫びたくなりました。
戦後10年生まれの私には自害も含め人を殺すことは
絶対にあってはならないと思います。
命より大切なものはありえないはずなのに・・・・・・。








お疲れ様、夏休み!





お中元、お盆の行事もおわり

子供たちは学校に通い
いつもの日々が秋風とともにやってきました。
豆撰もちょっと遅い夏休みが今日からはじまりました。
お盆中休みなく働いてくれたスタッフに感謝です。
そして、私の夏休みは・・・・・・。
豆撰の夏休みに合わせて、
26年も使っていた機械の入れ替え作業、コンクリートの塗り替え、よくぞ、頑張ってくれたものです。御礼申し上げますと機械に頭を下げます。

冷蔵庫の点検もあり、と様々なことが重なっています。
普段できないことを、この夏休みにと社長の想いが強く感じられます。
さて、機械のこと、その他の作業は社長におまかせ。
私は秋に向けてのパンフつくり、第3弾「おてがみれしぴ」の準備にとりかかるつもり。
その間に息抜きもしなければなりません。
お友達から届いた本の整理整頓、どの本から読みましょうか?
そうそう、今日は今まで観ることのできなかった映画を
映画館で観ることを、お友達と約束しています。
その前に、忙しすぎて、手抜きお掃除だった、キッチンとお風呂場のお掃除と
娘がアメリカに戻った?ので 彼女の部屋も片づけなければなりません。
ふふん・・・。なんだか仕事をしている時よりやることが多くなっている。
明日は久しぶりに夫と出かける約束もしたし・・・・・・。
2日間の夏休みは夏休みにならないな。と
口をとがらせながらブログを書いている私でした。

2015年8月26日水曜日

もうひとつの花火ものがたり

栃尾の花火は、鳩峰で打ち上げられます。
丁度、豆撰の裏手になります。
駐車場からは2カ所で打ち上げられる花火が
とてもよく見られます。
この日は妹夫婦に招待され、妹の家族と
一緒に観覧しました。もちろん認知症の母も甥っ子も一緒です。
長岡花火のような大きな規模ではありませんが
私がもの心ついた時から行われている行事です。
昔は繊維祭りといったような記憶があります。
栃尾の街は、機屋さんが多くて
その昔は賑わいを見せていました。
機屋さんでない私のような百姓の子は、
学校で少し、引け目を感じたものです。
今ではその機屋さんは、ごくわづかしか残っていません。
花火の歴史や打ち上げられた花火の散り舞う姿は
綺麗ではありますが
物悲しさも感じてしまいます。
私たちの隣には、もうひと組。
家族大勢で花火を観覧しています。
この家族は私よりも年下の従妹の家族です。
孫が3人、双子姉妹は3歳くらいでしょうか。
ヨチヨチ歩きをしている弟と一緒です。若いママとパパ。
髪を結い上げ、ゆかた姿がとても可愛いく、
あらあら、もう女性の雰囲気。
さて、最後の栃尾では一番長い花火が終わりました。
夫は花火とともに楽しんだお酒で、
酔いがまわっています。
ふた家族を後にお先に失礼しますと、帰路につきました。
そして、よく日の話です。
従妹に「昨日はよかったわね。」と話すると
私たちが帰った後に、もうひと組みの親子が登場したそうです。
従姉妹の娘とその子供です。名前は空と言います。
時々豆撰に遊びに来ては、
私の母と手をつなぎお散歩したりします。
空は4歳です。
空は母のところにまっすぐに駆け寄り「お茶屋のおばあちゃん待っていた?」
と抱きついたそうです。
その光景を見ていなくても、母の笑顔が浮かんできました。
空はわかっているのです。母は弱い人間で、守ってやらなければならないことを。
たった4歳の子でも知っている、人を守ること。
人に親切にすることを……。


2015年8月24日月曜日

頭をひねくりまわすより、お話しましょうか?








黄色の花がいっぱいです。

朝の憂鬱な心に
百日草たちは「がんばれ」と声をかけてくれました。
お水をたくさんやって
「美味しい?」ってわたしも声をかけました。
すると
となりにお住まいの方も
「美味しいですか?」と声をかけてきました。
おとなりさんの家は軒下。
ピーピーとないていた赤ちゃんも
大きくなり
あなたがお父さん?お母さん なの?
あらあら、息子さんはどっち?

朝の一瞬の会話は楽しい。

少しばかり、気取って
頭をひねくり回して考え込むのは
よしましょう。

さあさあ、笑って笑って・・・・・・・。




2015年8月23日日曜日

雨あがる

暑い夏も終わりに近づき
時々にわか雨が降る。
車を走らせると、通り雨に出会ったりする。
久しぶりの雨は秋を知らせているようだ。
仕事の合間に、息抜きにDVDを借りに行く。
洋画はどれが面白いのかわからない、出した手を引っ込め、
邦画の中から選ぶことにした。
雨が降ったからだろうか
「雨あがる」を選ぶ。
見てみようかと思っていた映画だったせいか
自然とすぐに目に入って、すぐに手にして決めた。
まるであたりまえのように。
 豪華なおなじみのキャストが次から次へと登場する。  
若い人は知らない役者さんかもしれない。みんな若い。
最近の映画だとこれほどの豪華キャストだと、
嫌気がさすのだが
今回は、いい感じである。脇役がその役をみごとに演じ、
主役を食わずに存在感を自然に出しているようだ。
映像も綺麗である。先日、観た「夢」の映像に似ている。
主人公にあたる光と影、刀の鞘まで気を配って撮影されてい
る。空、川の反射も同じだ。とても丁寧に作られていることがわかる。
ひとりの侍の生きる道は、妻の支えにあり、妻の凛としたものいいに、凄みと安堵を感じる。
なかなか言えない言葉を痛快に言ってのけるラストは
いい。さてはて、私の人生の道はどう進むことやら、
定年年齢の夫婦である。
雨あがる時はいつになるのか、
欲が邪魔をしない、雨があがり、ふたりで、好きな山を登り
おにぎりを頬張りあの空をふたりで見上げたいものだ。
山に登れなくなったら、「良かったね」と
背中を丸めてふたりでこの映画が見れたらいい。

2015年8月21日金曜日

小路は秘密の味がします。

10年前、ドイツのフライブルクに行った時のこと、
小路に入ると、石畳の小さな川が流れていて、その小路の先にある家々にかけられている
小さな橋は、とてもきれいだったように記憶しています。川は透明で、私はそこに、すいこまれそうになりました。
初めてのヨーロッパ旅行だったこともあり、日本とは違う美しさを強く感じたのでしょう。
ドイツとは全く感じが違いますが、栃尾にもたくさんの小路があります。
その小路は、不思議に秘密めいているのです。
新町から大町へ抜ける手前は子供たちの小路、秘密の近道でした。
昔は神明町と言った町名 にかけられた、神明橋は車が一台やっと通れるくらいの狭い橋です。今も昔のまま橋はかかっています。
この橋を渡ると、大人の匂いがしました。中学生の私は夢多かりし乙女です。
大人の小路にちょっと、戸惑いながら、お寺の裏道へ抜けるのでした。
この小路を五藤監督作品で見つけた時の不思議な感動を今思い出しています。
どうして?この橋を知っているの?私たちの秘密の小路よ、狭い橋は私たちの想い出橋よ。どうして知っているの。
この想い、もう一つのモノクロームの少女、「想い出はモノクローム」に映し出されているような気がします。
9/23にアオーレ長岡で上映されます。モノクロームの少女をみた方、またまだご覧になって
いない方に、ぜひ観ていただきたいと思います。
懐かしさで心がワクワクします。
自然の多い映画の中で取り入れられた、小路には五藤監督の想いが詰まっているのではないでしょうか?

2015年8月20日木曜日

おーいきこえる?






2か月ぶりの「歩く」でありました。

自転車の風景と同じなのですが
スピードがないので
想いがたくさん浮かびます。
お盆も過ぎ、各家庭におりた御霊は
ふたたび天国へもどったことでしょう。
この夏の想い出の中に忘れてはいけない
二人のあどけなく、かわいい女の子を
思い出さずにはいられません。
まだ3歳になったばかりの、ともちゃんは
私のクラスでした。さくら組は3歳未満児のクラスです。
目が垂れていて、ほっぺはふっくら
髪はおかっぱの天真爛漫のともちゃんは
クラスのアイドルでした。
もうひとりはともちゃんのお姉ちゃんです。
お姉ちゃんも私の勤めていた保育園の園児でした。その時は
小学1年生でした。
一瞬の交通事故、ふたりとも救急車に乗せられ
姉は意識があり、妹は大丈夫かと心配していたそうです。

おーい、聞こえる私の声。
ふたりとも天国で仲良くあそんでいるの?
おばあちゃんとおじいちゃんと一緒だね。


幼い命の声が
空の向こうに見えてきて
メガネがくもってしまいました。
あれから35年。
35歳と38歳を迎えたのかな・・・・・・。

2015年8月18日火曜日

夏の終わりに






お盆と暑い夏と娘の帰国が
トリプルで重なり私は大忙しでした。
それでも、たくさんの方から豆撰に来ていただけたことは
本当に嬉しいことでした。おひとり、おひとりにご挨拶できなく
申し訳ございませんでした。
このお盆の大忙しの中、従妹のお手伝いは
とてもよかったことの一つでした。
彼女は私より年下です。明るい声と丁寧な受け答えを
聞いていると、いつも平らな心と笑顔は見習わなければと思いました。
お惣菜の「あぶらげロールまき 」「卯の花サラダ」も好評をいただきました。
大きな栃尾寿司は定番になったようです。
大忙しの中、なかなか娘と過ごすことができませんでしたが、
洗濯もの、洗物をまかせて仕事に来れたのは
とても、ありがたかった。
来年はアメリカにいかなくっちゃと心に決めています。

あわただしい日々が過ぎ
庭に出てみると
夏の終わりが感じられます。
戦後70年の夏も終わります。
願うことは
平和な世の中です。

娘がいなくなって寂しくって仕方のない義母を見て
今日は優しい言葉を久しぶりにかけました。
やさしい言葉ひとつだけで
義母は嬉しそうに。しわだらけの顔が笑うのです。




2015年8月17日月曜日

写真家 濱谷浩展へ

長岡へ足をのばしました。
お昼には少し早かったので、美術館に立ち寄って、
生誕100年記念「濱谷浩」の写真展を見ました。
モノクロの世界が5章にわかれています。
戦前のモダンな東京から、雪国「高田」、裏日本そして
終戦の年の太陽、
學芸諸家につづいていました。
初めて見る濱谷浩の世界は光と影、構図の素晴らしさは
素人の私にはよくわかりませんでしたが、
数々の写真に「怒り」と「自然体」が映し出されているようでした。
映画の世界とも違う、もちろん本の世界とも違う、
一枚の写真に「想い」が伝わってくるようでした。
戦前の日本が求めていたモダンな世界と対照的な地方の文化
その時々の現実を見つめる視点に共感を覚え、平成の今にも通ずる世界観だと思わずには
いられませんでした。
戦後に生まれた私。そして昭和の終わりに生まれた娘。
それぞれの受けとめ方は違っても、写真家濱谷浩の独自の世界観を共有できたことは親子にとっても
大切な想いとなりました。





2015年8月16日日曜日

別れの日

自宅にいる娘からメールが仕事場に届く。
「ばあちゃんが泣いている」
「明日のお昼は家でたべんばん」
ふーん。そうか。仕方ない。
ヨーロッパと、アメリカ生活でかれこれ10年の娘。
その間に帰国しても長くて10日間。
今回は長かった。
といっても家族にとってはあっという間の2か月である。
毎日一緒に過ごしていた義母にとっては
孫が帰ってしまうことが切ないらしい。
気持ちはよくわかる。
でも、母親にとっては、明日の出発のために
休みをもらっておいたのだ。
義母の悲しみのために、親娘の最後の1日を失うのも
なんというか、悔しさも実は心に残る。
90歳の義母にしたら、これが最後かもと感傷的だ。
言いたいのを我慢しています。
「ばあちゃんは100歳まで、いえ、それ以上に長生き出来ますよ」と鬼嫁になっている私。


障子戸からの灯り






日本家屋なのに、障子戸はリビングと
仏間の仕切りと仏間だけ。
昔の家は全部障子戸と唐紙、そして重い木戸だった。
押入れの戸も重い木戸、欅だったのだろうか?
悪いことをすると、必ず押入れに閉じ込められた想い出がある。
私なにをしたんだろうか
思い出せない。
聞き分けのない子供ではなかったはず。
まして、人に迷惑をかける、知恵など持っていなかった。
でも、真っ暗らな押入れに入れられた。
泣き叫び、助けを求める、押入れに私を閉じ込めるのは
父ちゃん。
私を助けるのはおばば。
障子から朝陽がさす。
心臓がどきどきする。
なぜだろうか
ブログを書きながら
涙が頬をつたい
文字がにじむ。

2015年8月15日土曜日

飲み残しのペットボトル


飲みかけのペットボトル
ボトルの底に少しだけのこっている麦茶
傾けるとシーソーのようだ
ぎったんばったと左右に揺れ動く
飲み残しの麦茶は
哀しい気がした

あと2日で夫の待つ遠い国へ帰る娘
2か月は長いと思っていた
でも、長くなかった
娘はこの日を待ち望んでいた
私たち夫婦と義父母の4人+愛猫の
日々がまたはじまる・・・・・。

来年、再来年、秋、冬、春、夏
飲み残しの麦茶は
どうなるのだろうか






楽しいひと時

夕べは早めの帰宅。
表向きは「おてがみれしぴ」第三弾の打ち合わせ。
娘から本格的な
イタリア料理を作ってもらい、
Sちゃんと私の家族とで夕食を楽しむ。
保育園の時のまままであるSちゃん。
話し方も変わらない、あの頃も
子供なのに、妙に大人びて、話す。
時には子どもの時のように口をとがらせるしぐさ。
そのしぐさは変わらない。
夕べは娘と交わって、二人とも元気いっぱいに、語り合う。
政治のこと、教育のこと、本のこと、
私のわからないことを二人はよく知っている。
私は昔とちがう、話し手から聞き手に回っている。
この子らの成長が心から嬉しい。
娘の料理も美味しく、先日
安曇野で購入したワインはこの日のためにとっておいた。
お酒も、いただいたあった米百俵をとっておいた。
料理とワインとお酒は夫を久しぶりに楽しませてくれたようだ。
遠慮もなく、言葉を選ぶ必要もなく、楽しい会話は弾む。
なごりおしいけれど、彼は同級会へと去る。
私は車で同級会場に送る。
「じゃあ、またね」と手をふり別れると、彼はお店の前を通り過ぎ
スタスタと雁木を歩く。
車で追って、窓を開け「どこに行くの」
……またやってしまった会場は別のところだった。
今朝も、楽しいひと時の余韻が残っている。

2015年8月10日月曜日

お盆を迎える


お盆前に、サギソウが咲きました。
刈谷田川にはいつもサギが魚を狙っています。
狙っているサギはかなり注意深い鳥です。
遠くからカメラを向けているのに察知します。
すぐに、空に舞ってしまいます。
その時の姿がサギソウに、似ているのでしょうか?
優美な姿はどちらも、羨ましい。
空を舞う鳥たちは・・・・・・・
トンビは円を描いて舞う、ツバメは水平飛行がお得意、
彼らはすごい、空を自由に飛ぶのですから。

さて、いよいよお盆を迎えます。
先日、我が家と実家のお墓掃除に行ってきました。
我が家のお墓を磨きながら、私は遠くの空を見上げました。
自由に空を舞う鳥を追いながら、
果たしてこのお墓は、いつまで存在するのだろうか?
遠くに住む娘を想うと
ふと寂しくなり、このお墓の行方が気になってしまいました。
実家のお墓は妹夫婦が守り、その息子が守ることは確実ですから、
何も心配はありません。
お盆が近づくと、毎年恒例行事のように
このお墓の行方が心配になるのです。
夫が先にあの世に行ってくれた方がいいのですが、
このお墓を残されたら、ちょっと困ります。
きっと、この私と同じ悩みを持つ方は多いのではと思ってしまいます。
終活の大切さは、ここから始めなければならないかもしれませ ん。

サギソウを愛でながら
ふと終活を、思い浮かべ
明日に近づいたお盆に想う今日この頃です。

歌を忘れたカナリヤは・・・・・・。

叔母と会っていたのは
私が小学生の頃、たぶん1年生くらいまでです。
とてもきれいな人で、髪の毛が長くて、三つ編みをしていました。
背の高い人だった気がします。
赤い着物を着て帯をしめていました。
おしゃれな人だったのでしょう。
洋服も、ドレスみたいな長いワンピースを着ていました。
叔母の部屋にはたくさんの本がありました。
漢字だらけの本ですから、私にとっては無縁でしたが
叔母は勉強のできる人なんだなあと思っていました。
その叔母は突然いなくなりました。
「どうしていないの」「どこにいったの」と母に聞いても
母は無言で首を横に振るだけでした。
母は洗濯や風呂焚き、ごはん炊きの時
よくこの歌を歌っていました。

(一)                    (四)
   歌を忘れた カナリヤは      歌を忘れた カナリヤは
   うしろの山に すてましょか    ぞうげの舟に 銀のかい
   いえいえそれは なりませぬ   月夜の海に 浮かべれば
                       忘れた歌を 思い出す
  (二)
   歌を忘れた カナリヤは
   背戸のこやぶに うめましょか
   いえいえそれも なりませぬ
 

  (三)
   歌を忘れた カナリヤは
   柳のむちで ぶちましょか
   いえいえそれは かわいそう
  

母の口ずさむこの歌は
叔母のことを語っているのではないかと
こどものころから今日まで想っていました。

いえいえそれかわいそう・・・・・・。
今日叔母の死を知り
ようやく、叔母はかわいそうでなくなりました。



2015年8月9日日曜日

事件は現場で






この猛暑の中、豆撰の工場は、とても暑くて大変です。

豆の管理、豆の浸水時間、あげるタイミング
すべてが、その時々によって変わってきます。
この暑さの中、あぶらげつくりはとても繊細で難しいです。
だから、気を緩めずに、そのタイミングをはかって
日々の仕事をこなしさなければなりません。
工場のスタッフは息が抜けません。社長をはじめみんな
汗だくになりながら、頑張っています。

この暑さで気がつかない、見過ごしてしまうこともあります。
そんな時一番若い、豆撰のアイドル?の良いところは
気がつかなかったことを指摘されると、すぐに行動することです。
言い訳よりも先に行動するのです。
すぐ行動するって大切なことだと思っています。


さて、お中元の季節から、もうすぐやってくる「お盆」。
お盆には帰省客のみなさんも多いので
新しいメニューも取りそろえ、お迎えしようと頑張っています。

皆様のお越しをお待ちしております。
8月28日から9月1日まで豆撰の夏休みです。





2015年8月7日金曜日

黒澤明映画「夢」の続き

黒澤明映画「夢」には続きがありました。夢の中のシーンは
桃畑。だんだん畑に桃の木があり、桃の花が咲き誇る。その情景を
雛人形たちが表現し、桃の木が切られ、悲しむ少年の私役、
伊嵜充則さん。
彼の黒い瞳の奥に、ただものでない、魅力を感じる。
子役ですから小学生でしょうか。セリフが多いわけではないのですが、
瞳から映画を観る人への深いメッセージが感じられます。
黒澤明映画に出演されているので、黒澤明監督のお目に留まった、
すごい俳優さんであることには間違いないはずです。
その子役の少年伊嵜充則さんが、栃尾の映画作りをしておられる
五藤利弘監督映画にも
出演されていたことを知りました。
五藤監督のファンタジーな世界「ジョフクの恋」の主演女優さんは、
私の大好きな「相棒」シリーズに
主演されている水谷豊さんの娘首里さんです。
その彼女の先生役で黒澤明映画に抜擢されていた、
伊嵜充則さんが出演されていたことを知り、もうびっくりです。

これは「夢」の続きかもしれません。巨匠黒澤明監督と
長岡出身の五藤監督との繋がりが
とても大きく、大きな大木を見上げているような、夢の世界です。
夢が繋がっている、不思議な想いです。
これは、ただの偶然ではないような気がします。
夢はどんな続きを見せてくれのでしょうか
楽しみに待ちましょう。
そして、もう一度「ジョフクの恋」を観たくなりました。

2015年8月6日木曜日

夢を観る





今日は、私が15年間お世話になった保育園時代の園長夫人であり

住職の奥様のお葬式の日でした。
90歳で迎えられた奥様の死に、なぜか悲しみはなく
極楽浄土への「夢」を感じながら
本堂に響き渡る読経を気持ちよく聞き
袈裟の微妙な色の変化、すり足の音、響く太鼓と鐘は
まさに極楽浄土への道案内のようでした。
そして、私はまるで「夢」をみていたようです。
それも黒沢映画の夢を・・・・・。
この日のために、予知していたように「夢」のDVDを借りていました。
いくつかのストリーの組み合わせは
過去への夢であり、未来への警告の夢であるようです。
広島に原爆が投下された日に、この映画を観たことも
偶然ではなかったような気がします。

最初は確かに黒沢監督は未来を予知し
この映画を作ったのかもしれないと想いました。
虹の映える山、ひな壇の桃の花、雪が襲いかかる、亡霊との戦い、
戦争がもたらした多くの犠牲、
目に見えない放射能と夢は怖い。
しかし、最後の水車の川辺ストリーで夢は今日の葬儀と重なったのです。
生きることは辛いことではない。死は悲しいことではない。
水草が水に流れ、木の橋を渡る。水と緑が人間の生きていく上で大切な
宝物であることを語る老人に
五藤監督の「ゆめのかよいじ」で映し出された栃尾の石積みシーンを想いだす。
栃尾を2回も撮影舞台に選んだ五藤監督の「夢」と重なる。
横道にそれましたが
身内のそれも手立ての施しようのない「癌」によって他界した
祖母、叔母、父の死は私にとって一番哀しく辛いことでしたが
この映画の最後を観て、彼らも奥様と同じく
極楽浄土の道をわたったのだと思えたのです。
そう思える「夢」を観たことは、偶然ではなかったような
不思議な気持ちです。

そして、映像の中に、強烈に目に入る赤の世界。雅楽を含めた
音響効果。撮影舞台など黒沢監督の世界が広がった夢の作品でした。

写真は8/7、石積みの風景です。



2015年8月4日火曜日

五藤監督と「モノクロームの少女」撮影場所をめぐる

栃尾出身のシニアビジネスなどたくさんの本を出されておられる
村田裕之先生のお仲間 とご一緒に
五藤監督と「モノクロームの少女」撮影場所を巡る集いに
参加させていただきました。
栃尾の美術館から見渡す栃尾市街地、秋葉公園から見上げる城山。
ここでは 吉祥寺にある豆撰の油揚げの食べられるお店「ベルギービール」さんのお仲間と一緒。
そして、秋葉神社の127段の階段を下り。常安寺様脇の秘密の通路を通りねけ
五藤監督のおすすめ、家の中を流れる川を見ました。「ここは栃尾のヴェネチア」と
歓喜の声があがりました。
それから、古くて小さなコンクリートの橋「神明橋」を渡りました。
映画のシーンがよみがえってくる懐かしい橋です。
大町の雁木通りを通り、
やはりここは一番。栃尾の油揚げを皆さんで堪能してもらいました。
40度の工場をのぞき、皆様もご満悦?だったのではと思っています。
この時にも、偶然下北沢で豆撰の油揚げが食べられるお店「かざまん家」の
皆様もご参加。
それから、五藤監督が探しあてた棚田風景に歓声の声。
映画では暗闇の幻想的シーンなのですが
さすがに真夏、蝋燭をともすことはできず、それでも
長い階段を上り猫又権現様と対面。
村田裕之先生のお仲間たちは介護のお仕事をなさっておられる方が多く
皆様明るく、よく笑う。さわやかな方たちです。
猫ポーズでばっちり記念撮影。
映画ではちょっとスリル感があって、ドキドキの撮影場所なのに
今回はとても賑やかな撮影となりました。
それから、道院高原でバーベキューです。
お腹もすいていないからと少し池の周りを歩きました。
歩いても皆様のお腹はすいていないと・・・・・・。なのに、
栃尾コシヒカリおにぎりに
「美味しい、美味しい」を連発し
最後に、焼きそばもたいらげてしまいました。
なんと楽しい楽しいツアー !

私は芸能人並みの忙しくて、でも楽しいは一日でした。
皆様ありがとうございました。

栃尾ツアーを企画なさりたい方は豆撰にお電話ください。



2015年8月3日月曜日

追悼と花火

夜空といっても、長岡の街のネオンはうるさいくらいに明るい。
だから空が違う。
栃尾の空と違う。
ネオンの向こうに見える花火が本当の空に打ち上げられたら
もっと綺麗なのにと思った。
それでも久しぶりに見る花火は
大きく、いっぱい上がった。
さすが、栃尾の花火とは比べものにならない。
見ごたえのある、これでもかと打ち上げられる花火に
酔いしれる気持ちがわかる。経済効果も大きいはずである。

大きな尺玉が上がり大きな円を描くと、そのすぐ後に流れて
消えていく。
この尺玉が一番好きだ。
でも、不思議である。
流れる様は哀しいと叫んでいるようにも映る。
まるで、戦地で亡くなった人々の嘆きが聞こえてくるようだ。
長岡の空は真っ赤で綺麗だったと話した、
明治生まれの祖母を想い出す。
しかし、「長岡の空を綺麗だった」の後に続く言葉がどうしても思い出せない。
何かとても大切な言葉が続いたはずなのに。
戦争を知らない私に何を語りたかったのだろうか。
信じられない光景にただ呆然と立ちすくんだのだろうか。
長岡は負けないと打ち上げる花火に
少し疑問が残るのは間違っているのだろうか。
ここまで豪華でなくてもいい。
昔、娘を連れて河原で長岡花火を見た30年前とは規模が違う。
最後に打ち上げらる三尺玉を背にしながら帰ったあの時が
なぜか情緒があり懐かしい。




2015年8月2日日曜日

2度目の安曇野は親子3人で


 
 





暑い日が続く中、豆撰のお中元も落ち着きました。
そこで、今日は何十年ぶりかの親子3人、日帰り旅行をしました。
合わせて160歳。年月の流れは早くてびっくりです。
車を運転する夫は白髪だらけ、私は中年おばさんからおデブおばさんに変貌。
娘は大人になり、3人の環境変化、外見変化は、凄まじい感です。
さて、安曇野のわさび園につき、まずは川下り。湧き水の川を漕ぎます。
4年前に夫と二人だけで訪れた時は、とても涼しく、快適だったので
よーし、娘にも涼を感じてほしいと、再度訪れたのです。
ところが、川下りも大きな木の下を通る時だけで、
それ以外は燦々と降り注ぐ太陽を背に、汗だくになりました。
黒澤監督作品「夢」の水車小屋だけが、黒澤監督の遺品のように・・・・・・。
ギイーコと鈍い音を立て回っていました。
鈍い音は時代を遡り、暑さは涼に変わっていくようでした。
それからわさび園を歩く3人。あまりの暑さに全部は廻らず
楽しみにしていた「わさびソフト」を食べることに。
でもちょっとがっかり、わさびの味がしなかった。
それからパンフに載っていた安曇野ワイナリーに走りました.
まだ若いぶどうの木です。私たち親子よりも若いぶどうの木ですが
若い房はたくさんついていました。
まだ熟さない青いぶどうの房を見ていると 親子の若い時の想い出が蘇ってきます。
暑い日でしたが 私の人生の想い出の一ページとなるかもしれません。




2015年8月1日土曜日

インターステラーを観て


5日前に借りてきました。さて、この長時間映画を映画館でなく、
自宅のテレビでみ終えることが果たして可能かどうか、とても心配でした。
しかし、睡魔に襲われず。
映画は、地球が砂漠化して、人類滅亡もあり得そうなSF。
相対性理論?物理学?宇宙など、難しい内容に、戸惑いながらも、
時空を彷徨う不思議さと怖さは、次はどうなるのかと まったく長時間を感じさせない。


それと、親と子のつながりを描く内容が映画を盛り上げてくれます。
空間を通り抜ける。5次元の世界とは摩訶不思議でありそうにないけどありそうな未来世界にドキドキハラハラ。
監督の難しい宇宙理論は理解できない部分もありましたが 、
愛は人間の生きのびつづけることの一番大切なものであり、
今を生きている私も日本人、アメリカ人、人類に変わりない共通点は
家族、親子の愛にあることが描かれている未来映画にホッとしたところです。
一番素敵なシーンはラスト。年老いた娘のセリフでした。
まだご覧になっておられない方のため省略します。
いづれにせよ、私には遠いであろう未来ですが
いつか現実となるであろと想像させる映画でした。
そして、人類に一番大切なことは愛であり、
時空の迷路には、信念と愛の道が続いているようでした。
遠い未来を現実化し想像させる、映画の魅力は大きい。
しかし、土星に生き延びる人類の虚しさも感じてしまう。
地球をここまで汚し、なおも
汚し続ける人間の知恵とは一体なんなんだろうか?
人間の知恵は火を起こし、怖い燃料を作り、そしてそのエネルギーを元に
科学が進歩しようと、人類、人間同士の戦いは今も続いているのだから
矛盾だらけであることを感じずにはいられない……。

この写真の風景に生きている。
今が一番幸せなのかもしれません。