2015年8月6日木曜日

夢を観る





今日は、私が15年間お世話になった保育園時代の園長夫人であり

住職の奥様のお葬式の日でした。
90歳で迎えられた奥様の死に、なぜか悲しみはなく
極楽浄土への「夢」を感じながら
本堂に響き渡る読経を気持ちよく聞き
袈裟の微妙な色の変化、すり足の音、響く太鼓と鐘は
まさに極楽浄土への道案内のようでした。
そして、私はまるで「夢」をみていたようです。
それも黒沢映画の夢を・・・・・。
この日のために、予知していたように「夢」のDVDを借りていました。
いくつかのストリーの組み合わせは
過去への夢であり、未来への警告の夢であるようです。
広島に原爆が投下された日に、この映画を観たことも
偶然ではなかったような気がします。

最初は確かに黒沢監督は未来を予知し
この映画を作ったのかもしれないと想いました。
虹の映える山、ひな壇の桃の花、雪が襲いかかる、亡霊との戦い、
戦争がもたらした多くの犠牲、
目に見えない放射能と夢は怖い。
しかし、最後の水車の川辺ストリーで夢は今日の葬儀と重なったのです。
生きることは辛いことではない。死は悲しいことではない。
水草が水に流れ、木の橋を渡る。水と緑が人間の生きていく上で大切な
宝物であることを語る老人に
五藤監督の「ゆめのかよいじ」で映し出された栃尾の石積みシーンを想いだす。
栃尾を2回も撮影舞台に選んだ五藤監督の「夢」と重なる。
横道にそれましたが
身内のそれも手立ての施しようのない「癌」によって他界した
祖母、叔母、父の死は私にとって一番哀しく辛いことでしたが
この映画の最後を観て、彼らも奥様と同じく
極楽浄土の道をわたったのだと思えたのです。
そう思える「夢」を観たことは、偶然ではなかったような
不思議な気持ちです。

そして、映像の中に、強烈に目に入る赤の世界。雅楽を含めた
音響効果。撮影舞台など黒沢監督の世界が広がった夢の作品でした。

写真は8/7、石積みの風景です。



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