2017年5月29日月曜日

看護師さん 母をわかってください。






母の作った栃尾の油揚げ寿司の味は忘れられません。
今度は、私が作った栃尾の油げ寿司と豆撰のお母ちゃんスタッフが作った
「絹揚げと鶏肉の栃尾だんご」を
母に食べさせたいと思っています。

今日も母のリハビリを見守り
グーチョキパーを繰り返す母、視野が狭く、15度くらいしか見えない。
今日は少しだけ目を動かす。30度くらいに。
輪投げをする。
私もその輪を持ってみる。なんとかなり重いのです。
母は頑張っているのです。途中で疲れてやめてしまいますが
励まし、「頑張れ、頑張れ」と手を思いっきりたたき応援すると
その気になって再度挑戦するのです。

車椅子に乗ると、首が安定せずに、どんどん上を向いてしまう。
覚醒していないとできない「飲み込み」の練習を看護師さんにしてもらう。
「あーん」と私は言葉と一緒に自分でも大きな口を開けます。
母が、口を開けるまで、隣の病室まで聞こえそうな声で
「あーん、あーんして、ばあちゃん」を繰り返すのです。

あっという間に時間は過ぎ、私は豆撰に帰る時間に、
声は出ませんが…少しずつ頑張っている母。
どうか、看護師さん、母をわかってください。
耳は聞こえているのです。

手袋をはめた右手をかすかに動かし、バイバイです。
「お昼から和子さんが来るからね」と
私は病室に母を残して・・・・・・。

2017年5月27日土曜日

世界の片隅のひとつ、平和な日々。

今朝4時起床
窓から緑の絨毯が波打っている。
予報は6時過ぎに、雨は上がるらしいが、
一晩中止まずに降り続いた雨です。
守門登山道は、かなりの泥道と石の上の危険を想像させました。
入院中の母のこと、初めての出産を目の前にしている娘のことを考えたら、
無理は出来ませんでした。

アイパットをひらくと
昨夜連絡を待っていたお友達からのメッセージが入っていました。
熱、咳続きと聞き、肺炎ではと心配していたのです。
大丈夫と書かれてありました。
私は診察結果の知らせを、待ちくたびれて眠ってしまったようです。
夜遅い時間に書き込んでありました。
これで安心しました。

守門岳登山を断念した私は
お店の座布団を縫ってくれたお友達にお礼の気持ちをお届けしようと
長岡の角上へ行くことにしました。
その前に、久しぶりにカメラを手にとり、雨でちょと困った顔のお花を撮りました。
濡れているから寂しそうにも映るけど、その寂しさが憂いに写って、結構綺麗で
雫が花たちの顔を引き立たせてくれていました。

お魚をたくさん買い求め
その後は、娘に頼まれた包丁を買いに三条の産業センターに行きました。
そこで、初めてセンターの中にあるレストランで昼食。
「オマール海老のリゾット」ちょっと高めでしたが奮発、なかなか美味しかった。
しあわせ。
帰宅してから、娘に送る荷物を箱に詰め、郵便局に。
夕食準備までまだ時間があります。2ヶ月も放り投げていた、原田マハさんの「太陽の棘」を読みました。もう少しで読み終わるところですが、夕食準備の為中断。
夕食作りの合間に自己弁護。
今日は母のお見舞いに行けなかったこと。たまには許して、いいでしょうと言い訳をしている私。
夕食後、残された数ページを読了すると
自己嫌悪も含め
この本から伝わったものは「この世界の片隅」のように、何気ない一日こそ
しあわせなこと……。を感じるのでした。



2017年5月24日水曜日

岩の鼻口から城山へ 母の元気な姿が映るのです。




 



今朝は四時起床。
朝食の準備とお掃除をすませ、6時に出発。
岩の鼻口からの登りは
木道の階段が続き、その上かなりの急勾配です。
でも、今週末、守門岳に登ると決意したからには
足慣らしをしなければなりません。
と言う訳できつくて難儀な道を今日は選択しました。

息が荒くなり、諏訪神社からのコースは楽チンコースだと
あらためて感じました。

それでも、鶯の声や木の祠に心がなごみます。
祠に夫はお賽銭をそっとおきました。
先日はお賽銭を持って行かないで、お願いをしてきたので
今日は用意してきたようです。
願いはやはり一つ。娘の安産祈願だと思います。

くもり空のため視界はあまりよくありませんでしたが
街並みや山々が霧にかかったように目に入り
そのくもった景色が、昔の自分を想いだす懐かしいフイルムに
変わっていきました。

実母と一緒に城山に登った日はいつだったか
父が他界してからですから80歳くらいまでは
頑張って登ったな・・・・・・。
数段登っては休む、
「もうだめだ」という母を「ゆっくり時間をかけて登れば大丈夫だよ」
と励まして・・・・・・。
前かがみになり、手を腰の後ろに組んで登る母でしたが、まだまだ元気でした。
そして私はこういうのです
「ばあちゃん、きっと今日城山に登った人の中で、一番年をとった人かもよ」と
すると無口な母は にっこりとほほ笑むのでした。

懐かしい自分映画はジ・エンド。

バタバタと自宅に帰り、朝食を済ませ
豆撰に直行。
伝票の整理、やらなければならないことを一応終え、
いざ、病院へ。母のリハビリに間に合うように
往復時間を含め約2時間の御見舞です。
今日は、反応が悪くてがっかりでした。
眠くて、リハビリは中止。
せっかく来ているのにとテレビをつけ、刺激を加えると
なんと、目を開きました。
やりました。すかさず看護師さんにお願いしました。
ごっくんの練習です。
大成功!

お昼過ぎに豆撰に戻り通常仕事!
忙しい一日でした。






2017年5月21日日曜日

上杉謙信公旗揚げの地 城山散策

城山への道は何通りもあります。
今回は、諏訪神社から上ってみました。
神社入り口の階段を上ると、さっそく出迎えてくれる
草花ににっこり。

諏訪様に手を合わせます。
「何お願いしたの」と夫に尋ねる。
夫は無言です。
私は「ひとつだけしかたのまなかったわ」
夫は無言。
きっと夫も私と同じことをお願いしたのです。
もう少しで、誕生する孫の出産安全祈願だったはずです。

今回は写真でご案内いたします。
豆撰から諏訪神社まで車で5分、諏訪神社から本丸まで
歩いて30分くらいです。













2017年5月19日金曜日

看護の先に見えるのは姥捨山

思ってしまいます。人の世話になることなくころりと
あの世に行きたい。

高齢者を抱えると、自分の20年後を想像してしまいます。
いつか自分も病に倒れるはずだと・・・・・・。
夫婦の会話の最後は「あんまり長生きしたくないね」に
たどり着くのです。

実母の突然の入院生活
同居していた妹夫婦にも、私にも
大きな問題となってきました。

誰もが命の期限を宣告されると、とても優しくなります。
それは、家族だけではありません。病院の先生、看護士さんも親切に
してくださります。実際父、叔母、叔父が死に直面した時は
優しい言葉で励まされたり、促されたりしているのを隣で見ていました。

しかし、今回はちょっと違うのです。
「脳梗塞」という病には段階があります。
症状がかなり重くなり、高齢になると、治療もなくなります。
すると、入院しているのに、看護士さんはまるでロボットのように機械的なのです。
忙しくて大変なことはわかります。
でも、患者は無抵抗な弱い人間なのです。
母は、言葉が出ません。意思表示はうなずくかうなずかないかです。
私と妹の言葉は母に伝わります。なぜなら、伝わるように根気よく繰り返し
話すからです。看護士さんには言葉がでないこと、左半身まひという
事実から、寄り添う気持ちを伝えようとはしないようです。
看護ってどういう意味でしょうか

着替えのシャツを持って行く時間が10分遅くて、母はお風呂に入った後、パジャンマだけ
着せられていました。
翌日、母はシャツを着ていません。と看護士に伝えると
そうですね。と言ってシャツをロボット人形にでも着せるように
作業をしました。
話ができなくても、全身全霊で伝わるように話せば
母はわかるのに、なぜ伝わるように話してくれないのか
看護士さんに不信感がつのってしまいます。

高齢者の病の先に見えるのは
姥捨山なのでしょうか


2017年5月16日火曜日

絹あげと鶏肉の栃尾だんご誕生まで






豆撰がイートインをはじめて、早2か月が過ぎようとしています。

何からお話したらいいでしょうか
まず、イートインスペースをどうしたらいいか、一番の難関でした。
限られたスペースです。店舗を増設することが、一番のなのですが、
豆撰は新潟でも雪の多い豪雪地帯です。
駐車場の確保以外に除雪した雪の捨て場が必要なのです。
そこで、仕方なく店舗の配置を考えた次第です。
窓際に椅子を並べてはどうか、テーブルを増やそうかなどなど
なかなかことは進みませんでした。

私の人生は、親、夫、娘はもちろんですが、お友達に感謝感謝の人生です。
運がいいのです。困った時に困ったことを解決してくださる人に
必ず出会うのです。今回も、そうでした。FB友達つながりの長岡出身の
建築家の先生とのご縁があってこそのイートイン。
幾たびかの、写真やメールのやりとりで相談をさせていただきましたが
私の不手際と私のいい加減な性格に、先生はしびれを切らし
東京から栃尾へ数回足を運んでくださりました。
「お金をかけずに、再利用しましょう!」のお言葉(信念)をいただきました。
元々豆撰に存在していた、大きな蔵の戸を使ったテーブルは、みんなの邪魔もの、
なんて、言ったら亡き父が「こら!れいこ」と怒鳴りそう・・・。ですが欅は重いのです。
でもなんだか、大きくって重厚でいい感じの座敷に出来上がりました。
それから、ショーウィンドウの位置を、まさか動かすなんて、思いもつかないことでした。

何とか、イートイン改築は終了のはずなのに
私は豆乳ソフトクリームの器械のサイズをすっかり先生に報告することを忘れ
まあ、なんといいましょうか
私は小さく小さくなって、「ごめんなさい」と謝るのみ。
それでも、先生の後輩の建具屋さんのおかげで、機械も食洗機も無事に
棚の上に収まることができ、やれやれ。

ここからが本番です。食器選び、
「アツアツ栃尾の油揚げ定食」の副菜
「栃尾寿司弁当」の副菜 と頭の中はいっぱいいっぱいになってしまいました。
そこで、今度はFB友達の料理家にSOS!
レシピのヒントをいただきました。(建築家と料理人さんは同一人物)
豆撰の人気商品「絹揚げ」を細かく刻み、鶏肉をミンチして
どこにも売っていない、豆撰独自の新商品へと・・・・・・。

さて、はて、もっとも重要ことはイートインのシュミレーションと評価が問題です。
お忍びで、東京からお越しいただきました、シニアビジネスの第一人者のMさんと
私の保育園時代の先輩ご夫婦から、貴重なご意見をいただくことになりました。
この重要な場面でもお友達から助けてもらうことが出来たのです。
シュミレーションがなかったら、一体どうなっていたことやら・・・・・・。
まだまだ、たくさんの本当にたくさんの方々の応援をいただくことが出来たのです。

話は前後してしまいますが
多くの多くの方々の応援、イートインに来てくださった方々、豆撰のお客様から
「だんごを売ってください」との声がたくさん!
嬉しくって、ありがたくって、
「絹揚げと鶏肉の栃尾だんご」を販売することになりました。
パッケージにはサブタイトル「お母ちゃんの手作り」を入れました。
一流の料理人にはなれませんが、健康と栄養バランスを考えた
お母ちゃんスタッフの愛情を栃尾だんごにいっぱい、いっぱい、詰め込んでいます。
夏のパンフに載せます。お楽しみにお待ちください。
世界にひとつだけのお母ちゃんの味を・・・・・・。









2017年5月8日月曜日

はーい。100点です!母のリハビリ。

三日ぶりに
入院中の母の顔を見に行きました。
母は声が出ません。
「おはよう、ばあちゃん」と声をかけると
口を少しだけ開き、お・は・よ・う
と唇だけ動かします。
今日は調子が良いのか「目を開けて」と母の耳元で
大きな声でいいます。
小さな目(亡き父曰く母ちゃんの目はドジョウの目)をそっと開きます。

母の手を握ると、握り返してきます。
親指はどの指と問うてみました。反応ありです。親指を動かしました。
小指はの問いに小指も動かしました。
凄い、進歩です。
それから、リハビリの先生から腕伸ばしをしていただき
「今日は調子がいいようなので、リハビリ室にいきましょう」
となり、私も一緒に移動。
車椅子に乗っている母の首は右向きです。
左の麻痺のせいで顔を正面に向けられないようです。
病院から外の景色を見る
車がいっぱいの駐車場、その向こうにはバイパス
「見える?」と問う、うなずく母。
母の目の先に烏が飛行していました。

母は歌が大好きな人でした。
山道を30分以上歩いて、田植えに行きます。
行き道は、私も歩きます。何歳だったのでしょうか。
父と母は田植えをします。私はおたまじゃくしを捕まえようと必死になって
泥んこです。なかなか捕まえられず「父ちゃんとって」と半べそ。
山の田んぼですから
お昼はおにぎりを持って行きました。
大きな大きなおにぎりの中は、もちろんうめぼし。
親子三人で食べるおにぎりの味は今でも覚えています。母ちゃんの味です。
おにぎりを食べ終わると、父はおたまじゃくしをとってくれます。
泥で小さな私専用の池を作ってくれます。
日が暮れると
からっぽになった馬かごに私はのって、楽ちんらくちん。
母は烏を見つけて
「カラスの母ちゃんも父ちゃんもこどもたちの待っている山に帰るんだよ」

烏なぜなくの
烏は山に
かわいい七つのこがあるからよ・・・と母の歌を聞きながら
コックリ、コックリ

病院から見た烏と若き日の母が重なり
思わず目頭があつくなりました。

視界の狭くなった母がなんと今日は輪投げに挑戦しました。
できました。できました。
「はーい。100点」と拍手をするわたし。
それを見て、リハビリの先生もニッコリ。