2016年9月24日土曜日

レミングスの夏・・・命の重さはウサギのポシェット?

もうじき先行上映される「レミングスの夏」
とても楽しみにしています。
原作は江戸川乱歩賞を受賞した竹吉優輔氏
脚本,監督は地元長岡の五藤利弘氏
映画化されると知り?
まずは原作を読む。
なかなか難しいテーマで、中学生の復讐って
あるだろうかと悩みながら読みました。
内容はネタバレにならない程度にとどめます。

少女のお気に入りはウサギのポシェット。
お母さんの手作りでした。
このポシェットがとても気になりました。

そこで、図々しく、サザエおばさんのなせる技で、
五藤監督に直々の談判。
サキちゃんのウサギのポシェット作らせてください。
とお願いしました。
優しい監督さんは私の願いを聞いてくださいました。
まさかのビックリです。

でも、それからが大変でした。  
どんなウサギがいいか?四苦八苦し、考えたり、ネットを見たり、
ショップに行ったりしました。
これはどうかしら?と監督さんにおすすめしてみましたが、
いずれモ、ノーでした。
監督の中ではイメージが出来上がっていたのです。
さすが映画監督は頑固と悟りました。

あまり度々ノーと言われると
わがまま勝手なサザエおばさんは、小道具でしかないし、
映画の中で使われるかどうかもわからないと
半ば開き直り。

それでも監督にお願いしたのは私です。
諦めず、素材選びからはじめることにしました。

ふわふわの真っ白いウサギだから普通の布では表現できないなと
思いついたのは、保育園勤務時代の経験。
子供たちにはお気に入りのタオルがあったことを思い出したのです。
触った時のもやもや、ふわふわは優しいお母さんの感触です。
洗濯された匂いも子供たちにはお母さんの匂いなのです。
というわけで素材は決定。
ところが、タオル地は、何十年もミシンかけをしていない私には
無理無理。無理です。

そこで、お友達にお願いしたのです。お友達は縫製のプロです。
これで一安心。赤い目と鼻をつけて、耳は立たせないといけないからと
いろいろ工夫をしてもらいました。お友達と私は悪戦苦闘。
とこだわった結果、監督さんからようやくゴーサインをもらったのです。

出来上がったウサギのポシェットは映画の中で、
どう活躍するのかわかりませんが
私は想うのです。
命をいただき、その命に感謝し、喜んだり、悲しんだりして
生きている私たちにとって
命ほど大切なものはありえません。

映画の中でどんな役割をウサギのポシェットは語ってくれるのでしょうか?
みなさんはどう感じるのでしょうか?
是非、劇場へ。















2016年9月22日木曜日

君の名は

評判で、マスコミは高い評価を毎日発信。
それならばと興味深々で映画館に参上。
何、どうしたの?
チケット購入に行くと、ほぼ満席。こんなこと初めて。
席は中段の一番端しかありませんでした。
これほど人気ならばさぞかし感動する映画に間違いない。
と思って観る。
ああ、私はもう本当におばさんでした。
意味が理解できない。どうして男女が入れ替わったの、
その理由がわからない。避難、爆発についてもどうしてかよく理解できない。
これって、想像力の欠如、加齢かとちょっと落ち込んでしまいました。
それでも、しつこいサザエおばさんは「君の名は」を観たスタッフに
私のわからないところ聞くのでした。
わからないところを追求するのではなく、それはルールのようなもので
と言われました。
ふーんそうなのか?納得していないのに納得している私。
ストーリーの疑問は追求しないことにしたわけです。
細かい画像はまるで美術館のように次から次へと繊細な絵を描いていて素晴らしかった。
また、光と影の使い方は、日頃気にせず撮っている写真を
光のとらえ方、角度をもっと考えて撮ってみようと思わせてくれた。
普段見慣れている映画とアニメの違いは
観る人の感性角度によるようだ。
ぐるっと一周してどこに焦点を持っていくかで感じ方は随分変わるようです。
そうそう、ピカソの絵を見る、意味はなかなか理解できないが
すぐにピカソの絵だとわかることと似ている「君の名は」でした。


2016年9月20日火曜日

妹・・・まり子





雨に濡れた彼岸花の写真をみつめていると


父と母がふたりがかりで
壊れ物を抱くように、お風呂に入れていたまり子を思い出す。
昭和32年。

私は3歳。
妹まり子は生後3ケ月。
「たいどく」で死んでしまった。
丹毒というのが正式な病名かもしれません。

頭に腫物ができているのです。
おばばは「いじると、おこるってがんに」と私につぶやく。


親戚の人が座敷にいっぱい集まって、
お膳がたくさん並べられていました。
父はまり子が死んでしまったことを親戚の人に話しています。
背の高い父はうなだれ、声が震えていました。
「生まれたばかりですから、葬儀をしないことも考えましたが
こうして、皆様からお集まりただき、良かったと思います」

死について知る由もない3歳の私の記憶です。


それから、母の姿がなく
私は2階にかけあがり「母ちゃん」と呼ぶと
部屋の隅で嗚咽していた母が
「あっちに行っていなさい」と泣きながらいうのです。

これが私がはじめって知った「死」です。
妹まり子の死は私にとって不思議と悲しい気持ちではなかった。
ただただ、母の涙と父の震える声に
怯えを感じたのです。

それから、50年が過ぎ、父は闘病中に妹まり子の50回忌を迎えました。
今から9年前のある日。

父と母と私は菩提寺に行きました。
住職の読経はそれぞれの心の中にどう響いたのでしょうか
「俺の仕事はすべて終わった」と
菩提寺の世話人役もおり
お寺を後にする父の背中は小さく小さく丸まっていました。

その後4か月後に父は他界。

彼岸花「曼珠沙華」は雨に濡れています。
父の涙のようです。
生きていてほしかった妹。
3姉妹で喧嘩したり、笑ったりしたかったね。





2016年9月19日月曜日

彼岸花に想う




雨降りの朝でした。
夫が畑から帰ってくると
「彼岸花が咲いたぞ」と私に知らせます。
夫はいろいろな花を育てます。
そして私は育てた花を愛で楽しむのです。
きっと、夫は私の「綺麗ね」の一言が聞きたくて
花を育てているのだと思っています。
わかっているのですが
「うん、わかったあとで見てみる」とそっけなく言います。

仕事に出かけるために
車に乗り込む寸前に
夫の言葉を思い出し、カメラを取に行きました。

雨はあがっていました。
カメラを覗くと
真っ赤な細い花はキツネのかんざしのようです。
雨の雫は涙に見えました。

お彼岸に想い出してくださいと
天国の父とおばばと妹と叔母たちが
私を悲しそうに見つめているような気がしました。

大丈夫、大丈夫ちゃんと思い出しているからさ・・・・・・。

2016年9月16日金曜日

生産者のお言葉は「手当」

新潟の最北の地朝日村に豆の生育状況を見学に行ってきました。

生産者の方を含め販売者、私を含めた加工業者とデスカッション。
そこでは、これからの農業の動き、特に豆の生産について。

「連作障害はほとんどないと思います。土地を痩せさせず、
生育過程での手当さえしっかりしていれば何の問題もありません。
農家がどれだけ、手当をするか、放置するかによるのです」
と話された生産者の言葉。

栃尾の油揚げを作るにも
手当は重要課題です。朝日村からの契約栽培大豆は豆撰にとって
90%を占めています。
その他、力を入れている栃尾産大豆10%弱。
外国産大豆と比べたら狭い土地で育つ豆っこたちは均一ではありません。
微妙に性格が違っているのです。
その上、栃尾の油揚げ作りは気候に左右されます。
水の温度、室温、油の温度と複雑です。
そこで、一番大切なことはやはり手当です。
データーを元にその複雑な問題を毎日毎日クリアーしていかなければなりません。
そして、最終段階「手揚げ」では一枚一枚を丁寧にかつ敏速に
ころあいを揚げ手がしっかり自分の目で確かめて、あぶらげを返すことです。
揚げ手の愛情の掛け方ひとつで、いい子になったり、時には暴れん坊になったりするのです。
毎日、毎日のあきらめない努力こそ手当であり愛情だと思っています。

畑を耕し豆を蒔き豆を育てる愛情
その豆を販売してくれる人の愛情
栃尾の油揚げを加工する愛情

そして、栃尾の油揚げを買ってくださる皆様の愛情に感謝しなければと思った視察でした。

朝日村の大豆収穫は10月後半だそうです。
美味しい豆っこになりますようにと願っています。










2016年9月15日木曜日

栃尾駅から長岡駅へ

あの日は初めて、ふたりで長岡の映画館に行きました。

栃尾の駅前は西谷線や東谷線のバスがひっきりなしに到着したり、発車したりと
忙しない風景でした。
駅構内に入る前に左手に小さな売店があります。
街まで行かないと本屋さんはありませから、
毎週、おばばにねだり、発売日を目指しその売店に行くのです。
「マーガレット」のマンガ本を買うために。
売店から少し離れたところに、公衆電話がありました。
この頃、家にも電話はありましたが、
コソコソとこの公衆電話を使ったものです。

さて、初めてふたりで栃尾駅構内に入ります。
右端にベンチが並んでいます。
構内は結構広く、床はただのセメント張り。
左手に切符売り場。
切符はそれぞれがお金を出します。
いくらだったか忘れました。
車両は2台。
満席だったかどうかも覚えていません。
ふたりは椅子に座ります。私はもしかして、知っている人が乗っていたらどうしよう
とそればかり考えていて、終点長岡駅まで一言も話さなかった。
映画館に行き「007ロシアより愛を込めて」を見たような記憶ですが定かではありません。

お昼には地下の食堂に連れて行ってもらいました。
同級生なのに、こんなところに良く来るのだろうか
お金持ちの家庭なんだなと思いながらも
私にとっては、初めての場所です。
ソワソワ、ドキドキ。
チャーハンをいただきました。
それから、間も無く、電車に乗って、また話すことなく終点の
栃尾駅に戻りました。
駅で別れて、私は家路に
一体あの時何回声を出しただろうか
「同じものでいい」とぶっきらぼうに応えたことしか思い出せない。
遠い遠い昔話は栃鉄の想い出と一緒に
こそばゆく思い出す。

2016年9月13日火曜日

栃尾鉄道の想い出

映画祭後の打ち上げで栃尾から悠久山まで走っていた
栃尾鉄道の話題で盛り上がったそうです。私は参加していませんでしたが
そのお話をブログ上で読んでいると
私は5歳。初めて栃尾駅から遠い終点駅悠久山まで保育園の旅行。
今から58年前の記憶が懐かしく、少し寂しかった思い出が頭に浮かんできました。
幼少の私にとって一時間半くらいの時を大きな長四角の箱の中で過ごすのです。
しかも、走るのです。
夢のようなドキドキ気分です。
母の手作りワンピースを着て、ピカピカのリュックサックにお弁当を詰め
水筒を持って、電車に乗るのです。窓を開けると、風が私の顔を撫でます。
あんまり嬉しくて、顔も手も思い切って窓の外に出して叱られました。
座席に座ると、電車が揺れる度に小さな体全体に感じる揺れは
たまらない快感でした。
長四角の空間は魔法の動く玉手箱のようでした。
でも、一つだけ寂しかったことがありました。
それは、お友達みんなの付き添いはお母さんでした。
私は凄いおばあちゃん子だったけど
この時は母と一緒が良かった……。
今思い出すと、母ちゃんはもっともっと寂しかっただろうに。