2016年12月5日月曜日

笑える家族





ブログのタイトルを「笑える家族」と題して何を書こうと思ったのだろうか

タイトルだけが書かれていました。?
私のブログを読んで酷評している夫から
出かけに
「ブログ書いていないな」と言われました。
そして、ウドの写真のおまけつきでした。
私が畑に行ったわけでもなく、ウドの写真とブログと関係性は
はてさて、どこにあるのだろうか?

前回書こうと思った「笑える家族」は思い出せませんが

義母は豆腐と胡桃をいっぱい入れて、「ウドの白和え」を作ってくれました。
夫はウドの皮で佃煮を作りました。
私といえばお歳暮の荷作りやら伝票整理で夜遅くの帰宅・・・・・・。
テーブルに並べられた、ウドの白和えや酢味噌、そして佃煮を
栃尾のワインと一緒に味合いました。

これが私の笑える、あったか家族かもしれません。

2016年11月25日金曜日

ある精肉店のはなしを観て

「ある精肉店のはなし」 監督纐纈あや氏
命を食べて人は生きる。というドキュメンタリー映画、
牛の命と向き合う家族の記録です。
その日はとても丁寧にブラッシをかけてもらう牛。
このシーンに牛を育てあげた、深い愛情が感じられます。
そして、屠場に運ばれ
ハンマーで頭部を叩き、牛が命を落とすシーンは
ググッと胸がつまる。
そこに立ち会う、そこで仕事をする家族の語らいから仕事人の
情熱が感じられる。
家族の強い絆は、失う命ではなく、生まれる命の尊さを訴えているのかもしれない。
屠殺することが差別を受けた時代に命をかけて立ち向かった家族の勇気に
こそ命を食べることの意味を感じる。

精肉として、消費者に届けられる牛肉や煮こごり、内臓などをさばく
手際の良さを見ているうちに
だんだんと画像に慣れて、
見えないものが見えてくる。
牛の皮はだんじり太鼓になる。
毛をむしる、皮を張る。
なんだか、凄い。どう表現したらいいだろうか、
太鼓に変ることは命をつなぐことのように思える。
命を吹き込まれた太鼓の音は想像以上の命の芸術品だ。

この映画に登場する家族や
地域の人々の感性と映画監督の鋭い感性が心でつながっている。
最初に映し出された重い映像の感覚は中盤からは、全く感じることはない。
102年の屠場は2012年3月でその歴史に幕を下し
映画は終わる。

映画を観終わると監督が赤いセーターを着込んで登場。なんて若い監督さん。
もうビックリでした。予備知識のなかった私にとって
この作品を作り上げた監督は60歳前後なのではと勝手に思い込んでいたからです。
そして、監督のトークは観客の一人一人に大きなパワーとなって響き渡りました。
観客席からの質問
「この家族の方のセリフは監督の指示ですか」の問いかけに
若き女性監督の応えは
「私はセリフを作ってはいません。全て家族の声です」とそして
最後に
「長い撮影期間だったので、その間に家族の熱気が伝わりました。そしてそれを撮影している私の気持ちが伝わったのです」と……。
つまり、言葉とはうわべでなく
心と心がふれあうと人に響くものなのだということを教えてもらいました。
そして、もう一つ
客席に多くの高校生。この映画に導いた先生の素晴らしさです。
何処におられたかは存じませんが
最高の教育者に私は拍手を送りたいと思いました。





ガマズミの実ばかりが残ってしまいました。





この季節、東京に雪が何十年ぶりかで降った日、
平成28年11月24日の栃尾の午後、
家で昼食をとりながら、小春日和を追う。

ガマズミの葉は、ほとんど落ちて枝には赤い実だけが残っています。
色鮮やかで、つやつやと宝石のように輝いて見えます。
急いで、カメラを手に裏口から外へ飛び出し
お日様と鬼ごっこ。

ガマズミの木のてっぺんのその向こうは水色空です。

細い枝にぶら下がっている赤い実は
なんて、けなげでしょうか。
晴れ間をみて、小鳥たちは赤い実を探し充てるでしょう。


去りゆく命と
新しく生まれ変わる命

ガマズミの詩が聞こえるのです。





2016年11月21日月曜日

モミジの葉をいっぱい入れてやりました



山の実家に帰ってきた叔父は

栃尾の街を見下ろし、守門岳を見上げ
とてもうれしそうです。

朝早くモミジの葉を拾い、お日様で乾かし、
菊のお花とカーネーションと一緒に赤いモミジの葉を
いっぱい、いっぱい棺の中に入れてやりました。
薄ピンク色の紅をさしてもらった顔に
色鮮やかなモミジの葉は最高のお色直し。
それと、今日は最高続きです。お天気は最高!
縁側の戸をあけると、お日様のあったかい陽だまりに心は和らぎ
澄み切った空気の美味しさは最高!

それもつかのま・・・・・・。

黒い煙がもくもくと天を仰ぎます。
その煙に乗って魂は どんどんどんどん昇のです。
そして、たった2時間で
叔父の体は白い貝殻になってしまいました。
悲しくって寂しくって、少し涙しました。

今度いつ会えるでしょうか

きっと、生まれ変わってまた私の前に現れるような気がしてならないのです。

お帰りなさいそしてまたいつか・・・・・・。




2016年11月19日土曜日

私は62歳ほやほや。
性格は泣き虫、強情…ではないと思っています。
でもいつだったか私のこと強情だという
随分図々しく、友達が笑いながら言ったことを覚えています。
気が弱いと私は私のことそう思っています。
まず、私の腕に注射の針を刺そうとする様子は絶対に見ることができません。
でも、子供達や患者の接種は見届けることができます。
感受性は随分強い方だと思っています。
本や映画を見ると、大粒の涙が、我慢しているのに流れてしまいます。
夫や娘、妹と喧嘩をすると、怒っているのに泣いてしまいます。
だから、弱虫です。
今だって、そうです。
叔父の手を握り、虚ろな瞳で時計の時刻を読み、「もう、お迎えに来てもいい」
なんて話されたら、メガネをかけているからいいけれど、もう涙と鼻水が滴り落ちて
困ってしまいす。
忘れ物をすることでは天下一品。
千葉への出張では、確かな場所がわからず、確認のため、ファイルを取り出すと、
ホテルの案内図のみ、要項はなし。
要項はメールで送っていただき、セーフ。携帯電話の捜索願とメガネ探検は日常茶飯事。
なかなか憎めないキャラと言いたいが
夫を含め私の周りの方々は相当呆れモード。
私の苦手は、車の運転。四車線もある長岡の道路は大だいだいの苦手。
どこで車線変更したらいいのか、迷っているうちに通り過ぎること当たり前。
叔父の病院への道は、その四車線を通る。だから、栃尾から長岡大橋を通り過ぎ、ムサシを曲がるコース変更は絶対にできません。自信ありの方向音痴。
これが私。
だから神様こんな私に無理難題を言いつけないでください。




2016年11月17日木曜日

叔父の顔は穏やかに

叔父を長岡の病院に移転させて6日目になります。
ビーハラ病棟に移って2日目だろうか?
なんだか私の方が日日と曜日感覚が失われつつあるようです。
昨日から命の水をいただき、
少し、落ち着いたようにも見えます。
深い眠りを得ることはできないようですが、自分で酸素マスクを調節しながら
大きく息を吐いています。
その都度、胸に組んだ手が揺れます。
叔父は頭の中で、何かを追い求めて、くるくると回っているのだそうです。
何も考えたくないのに、次から次へと追い立てられているといいます。
少し首をかしげる私に
「あのね、例えば赤いセーターが欲しいと思って手に入れるでしょ、それなのにまたそのセーターが欲しくなるんだよ、だからそれをやめさせてほしい」というのです。
私は「そうね、先生にお願いしてみるね」と応えると安心しきったように頷きます。
モルヒネ注射の影響なのか、それとも今旅人になる叔父の道案内人が叔父の魂に宿ろうとしているのでしょうか?
そして、このビハーラ病棟のお医者様、看護師の皆さんの優しい言葉がけに
叔父が遠くを見つめるように
こういうのです。
「こんなに優しく、親切にしてもらって有難うございます。
みんなこの人たちのようなら戦争はおきないね」と。

どの看護師さんも今日の叔父の顔はとても穏やかになられましたねと……。

2016年11月16日水曜日

この世の中で一番おいしいもの知っていますか

看護師さんが素敵なガラスの器に
氷のシャーベットをもってきてくださいました。
叔父の酸素マスクを下げて
そのシャーベットをスプーンに半分くらいのせて
口に入れてやります。
「ああ、美味しい」とくしゃくしゃの顔をさらにくしゃくしゃにして笑みを浮かべます。
この世の中で一番おいしいものは
「水」だったのです。

山登りを盛んにしていた頃
湧き水をすくって飲んだことを思い出します。
どんな飲み物よりも水が美味しく、生き返ったことを……。
叔父も全身の疲れの中で、命の水を口にするのです。

私には叔父の様子が時間を追って厳しくなるのを見ても
不思議と感情が高ぶらないのです。
だって、人間は一度はあの世というところに
旅たつのですから
そして、叔父の魂は、いつか可愛い赤ちゃんに生まれ変わって
私の前に現れるかもしれません。
もしかしたら、外国人になったり、もしかしたら
血のつながりのある人だったりするかもしれません。
私が知ることはできないけれど
きっと、きっと生まれ変わって、
今よりも、もっともっと優しい人になっていつか巡り合うかもしません。

ビハーラ病棟に流れるバイオリンの音色は
心地よくて
私は、うとうとするのです。