2023年11月30日木曜日

愛おしさ

 時差が私と孫のコミニュケーションをさえぎる。仕方のないことです。朝学校に行く時にちょっとだけおしゃべりしています。でもその時間は日本の3時です。仕事でどうしても電話に出られないこともしばしばあります。

こちらの朝は(4時)イタリアはお休み時間です。おやすみのボイスメッセージを入れておくとおやすみ前の孫から電話。たくさんのぬいぐるみを並べて、ひとつひとつ名前を教えてくれる孫です。

「おやすみ」と言うババ「明日はお出かけしない?」と孫。「大丈夫だよ」とババ。

電話を切ると愛おしが胸を熱くする。

日日是好日

2023年11月29日水曜日

木枯らし吹く頃

 昨夜はとても綺麗な月夜だったが夜中になると風や雨の音が窓ガラスの向こうから聞こえてきました。

半世紀以上前のことが懐かしく浮かんできました。母は囲炉裏のそばで私の手袋を編んでいます。手袋を編む母の手は赤切れで膨れ上がっていました。

囲炉裏には大きな鍋がかけられて、ことこと煮ているのは「煮菜」です。栃尾の油揚げと干しこのだし。

木枯らしが母の思い出を運んできてくれました。

日日是好日

2023年11月28日火曜日

冬支度

 

囲いの時はまだ赤く色づいていました。

今はだいぶ葉が落ち茶けて冬を感じます早起きの私も、布団の中から飛び出せず、ぬくぬくとしています。孫からメールが届いていました。父親が英語の本を読み聞かせています。孫はイタリア語で通訳しているようです。

子供の能力は自然体で学べる。私は日本語以外の言葉をいつ知ったであろうか?確かABCもわからずに中学校に入学しました。私以外の生徒はほとんどアルファベットは知っていましたから、驚きました。こんな状態ですから少し一生懸命に勉強をしました。ただ、その勉強は半年も続きませんでした。

ところが孫はヨーロッパに住んでいるので英語もイタリア語も自然体で覚えるようです。日本語を書くことはまだまだですが、おしゃべりは流暢です。

日本の子供たちも自然体で英語を学べる環境が必要だと思います。耳コピーは歌や楽器と同じはず?

雪だるまの写真が撮れるのはもうすぐかしら。ババは雪が降るのは困るけれど孫は雪だるまの写真を待っているはずです。

日日是好日

2023年11月27日月曜日

スタニスラフ・ブーニン



 2023年11月26日

長岡市立劇場は満員。開演のブザーが鳴る。ブーニン登場の前の静けさは異次元の空間に存在していた。ステージに黒く輝くfazioliの文字。

黒いスーツにステッキを手に歩き、ピアノに向かう。ステージ中央の椅子に腰掛けステッキを置き、ハンカチをおき、椅子の位置を確認して鍵盤を見つめる。右手が前髪に触れた後にブーニンの音色が始まった。

YouTubeで聴く音色に心が動かされ、ブーニンが大好きになって、長岡でのコンサートを知りチケットを購入した。本物の奏でる音色は今まで聴いたことがない音色だった。この音色はどこから来るのだろうか指と鍵盤とブーニンの心が一体になっている。ピアノは魔法にかかったようだ。

一部の途中で数分の休み、舞台の袖に歩く。行かないでと叫びたくなった。ステッキと靴の音が聞こえる。すぐに戻って椅子の高さをちょっとだけ調整した。ショパンの音色が再び聴こえる。不思議の国に来たのだ。素晴らし音色を奏でる魔術師に耳も心も釘つけになった。

丁寧に頭を垂れる動作の後、20分の休憩。なんなの、この音、この人は神なの?感動を通り越した奇跡のような演奏に聴衆はざわめく。

2部はシューマンの小作品。初めて聴く作品が多いのに、惹きつけられる。ピアノコンサートで涙が自然と頬を伝うなんて。

演奏終了後のアンコール曲は聴けなかったけれど、舞台袖から向かって左端に姿を見せて、満足そうな笑みに復活と感謝の気持ちが背中のちょっと丸くなった姿勢に感じられた。

過去に目を向け

現在に集中し

未来を夢見る

パンフレットに書かれた言葉通りのコンサートだった。

パンフレットのはじめに「ネイガウス流」を伝えていこうと思っています。と記してあった。知らなかったから調べてみました。https://ameblo.jp/yuji1205pf/entry-12545556014.html

ここにあの素晴らしい音色の秘密があったようだ。次回ピアノレッスンの時にこの事について私のピアノの先生に教えてもらいたいと思っています。

ピアノと私を惹きつけてくれた映画「おかあさんの被爆ピアノ」、金塚楽器店から授かったピアノ、そして妹と友達と一緒にブーニンのコンサートを聴くことができた私の69歳に感謝です。

みなさんありがとうございます。

日日是好日

2023年11月8日水曜日

69歳 生きる1

 生まれた時の記憶は誰もないだろう。私もない。産婆さんが母の実家でとりあげてくれたそうだ。母の実家にっとて私は初孫だった。祖父が作ってくれたつぐらが今も実家にあるはずだ。それから時々、母は私を連れて母の実家に行った。大きなお屋敷で、トイレは別棟にあった。夜になると怖くて仕方なかった。豚と緬羊と鶏が飼育されていた。種豚を飼育していたので、子供が生まれると5、6頭我が家の小屋に連れてこられていた。その豚を屠殺場に連れていく日は特別の日だった。少量の横流しで豚肉をいただく。野菜がメインの豚汁を食べた。緬羊は毛を刈り取られ私のセーターになった。このセーターは小学一年生の発表会に着て行ったことを覚えている。お金持ちの子が主役のお巡りさんだった。私はその他大勢の猫役だった。まいごの子猫のお話だったかもしれない。白黒の写真があったはずだ。

その頃から私は母の実家に行かなくなった。よく覚えていないけれど、我が家の祖母は私を溺愛していた。3歳違いの妹が生まれると私は母の手から離れて祖母と常に一緒の生活になっていた。そのせいで私は母との思い出が少ない。妹は残念ながら生まれてすぐに死んだ。このことが私の一番古い記憶である。その日、大勢の人が集まった。お膳が並んでいる。座敷の天井は低くかった。父は背の高い人だったので、父が立ってうなだれているのは父の頭が天井にぶつからないようにしていると思った。父は娘の死を心の底から悲しみ、そこで挨拶をしていたのだが私には死んだという意味がよくわからなかった。その時、あたりを見回すと母の姿がなかった。探し回って、2階に行く。この2階は多分、父と母のために作られた部屋だっただろう。吹き抜けの家、つまり平屋の大きな家の一角を2階にしたようだ。その小さな部屋の隅で母は泣いた。母に「どうしたの」と聞くと母は小さな声で「あっちに行っていて」と言う。この時私は人が死ぬことは悲しいことなんだとはじめて知った。

69年の歳月を思い出して書いて(1)

日日是好日

1

2023年11月1日水曜日

10月も終わって

 



あっという間にハロウィンも終わってしまいました。
昨日は夫は能登に旅行。
私は冷蔵庫の残り物を食べながら、
アニメ「ピアノの森」をいっきに観ました、そして最終回に感動。
私のおすすめアニメになりました。