2017年7月20日木曜日

この広い世界の片隅で

アメリカに来て四日目の朝を迎えようとしています。
日本とアメリカの時差に少し悩まされ、深い眠りにつくことができません。
若い夫婦は自分たちに授かった赤ちゃんを見守り、抱いて病院で過ごしています。
私は娘のベットで、眠れない夜を過ごしています。
さみしくなり、本を読んだり、キッチンをかたずけたり、映画を見たりしていました。
すると、ラインの音。誰だろうかと思いました。夫か妹かお友達だろうかと
誰であるかを想像しながらラインをみました。
すると、ほんのひと時忘れてた……。
母の面倒をお願いしていた妹のお友達からでした。
遠い国にきて、孫の誕生を喜んでいた私ですが、日本にいるような気持ちになり、
我に戻り、深い悲しみを感じてしまいました。
母の飲み込み練習が上手くいかないらしい。私がいないとダメなのかと
遠い国にいる自分の行動、幸せが、これでいいのかと、もうひとりの自分が叫んでいます。
夜が明けはじめ、ブラインドの隙間から明かりが入る。
どこの国にいようと、どちらが世界の片隅なのかわからないが
世界は遠くもなく、繋がっていて、心は特に繋がっていることをしみじみと感じています。
母も娘も孫もどの世界にいようと
大切な私の肉親です。
日本であろうがアメリカであろうが、どこに住もうが想いは同じことに気づきました。
心の世界は近いものです。

アメリカ滞在3日目にして恋しくなったものは

渋滞にならないうちに、私は娘の家に戻りました。
若い夫婦は、赤ちゃんが可愛くて仕方がないようです。
新入生ばばちゃんは遠慮気味。
たった3日目なのに、ご飯が恋しくなった。
主食のパンにちょっぴり飽きて、棚の中をゴソゴソしてみると、
やはりありました。
極上有機栽培米。もちろん電気釜はありません。お鍋で炊くことに。
炊き方はネットで。
何でもかんでもネットで調べりゃあ、お茶の子さいさいです。
 かくして、30分米を浸水、おかずは焼肉に決める。
冷蔵庫には豆腐もあり、だがたった一人の夕飯。
喜んでくれる人は0人。や、め、た。
調味料は全て英語。私がわかるものは、塩と胡椒の二つだけ。
焼肉はこれのみで味付け。
ご飯は結構いい調子で炊けた。そこで、卵かけご飯に決定
こちらも塩のみ。
テレビをつければ英語。YouTubeで「大奥」を見ながら
ひとりごはん。は味気ないものだ。
少々胸が痛む。こんな呑気に過ごしていて申し訳ない。
豆撰のみなさんごめんなさい。
今日の収穫は二人のアメリカ人と会話?
今回は私から仕方なく声をかける。
ただ単語を並べ、iPadを出しWi-Fiの繋げ方を聞く。
あらまあ、やればできるもんだ。意味が通じるではないか。
成せば成るってこと。
次は、眠くなった私は病院の中庭みたいなところでちょっとお昼寝。
するとお弁当持参の中年女性、蓋が開かず四苦八苦。
私に説明し隣に移動。てな調子でした。
赤ちゃんは娘婿殿にそつくり!
そういえば、娘も父親のコピーだった。

アメリカ流によると、泣いている赤ちゃんはうつ伏せにして背中を叩く。
赤ちゃんにシャツや服は着せない。ネル地の真四角布に腕を中にして
しっかりと包むだけ。
オムツはしています。
母親のおっぱい消毒は無し。こりゃあ簡単でいい。大賛成。
夜9時、15分前。日が沈みいつの間にか辺りは暗い。
ひとりごはんはつまらない。
明日から新家族と私を入れて4人になる。
どうなることか?

2017年7月19日水曜日

日本とアメリカの違い

大きな病院です。
中庭は公園風です。カリフォルニアの広さと日本の広さは同じくらいらしいから
当然のことかもしれません。
お産専門に病棟がある。
ナースステーションはそれほど広くなく、スタッフも数人のみ待機。
ですが、
病室はひとり、一部屋。夫のためのベットになる椅子も用意されている。
全てが整っているような広い病室。
トイレもかなり広い。
全てが使い捨てにできている。感染しないためと思う。
そして次から次へと立ち代わり5人くらいの人が出入りする。医師、麻酔技師 
看護師、助産婦らしい方も
データ管理はもちろんのこと。だから、コンピュータ関係の人も待機している。
何から何まで整い  、スタッフに余裕が見られる。
日本の医療は、ナースステーションにひしめき合った医師と看護師が目につく。
母親の胸に抱かられ た赤ちゃんは
安心しきった顔で、母乳を飲む。
今は日本もそうらしい。
親子のスキンシップの大切さがここからはじまる。
家族は好きな時間を自由に赤ちゃんと過ごすことができる。
治療しますから病室から、でてくださいとは言われない。

親子の無事な姿を見、安心して、出来立てホヤホヤのばばちゃんは娘のマンションに
送ってもらう。
さて、昼食を作って食べましょう。
当然の事だが、家事に必要なもの全て英語です。
どうやら、私は人生初のひとり暮らしを異国で体験することになったようです。


海を渡る前と渡ってから

ひとりでロサンゼルスに向かうことになった。
お友達数人から「大丈夫ですか」とメールをいただく。
見送りしましょうかと声をかけていただけたことはとても
嬉しかった。62歳のおばさんにとってひとりはとても心細いものだ。
Sさんにお願いした。
東京駅は混雑。改札口で彼を見つけると、張りつめていたものがゆるゆると
溶けていく。
ネットでチェックインを娘に依頼していたのは非常に便利だった。
パスポートを見せるだけで、チケットをもらい荷物を預けるだけ。
ひとりでは何もできないと言うより、ひとりでしようとしない
依存症である。

羽田空港で彼と夕食を共にして、お土産を買い、コーヒーを飲み、
彼に感謝して、私は颯爽?に搭乗。ゲート110番で待つ。
ここで、まさかの失敗をするのだが、気がついたのは
ロサンゼルス空港に降りる直前。
この失敗は後で書くことに。
夫のキャンセルで私の隣は空席かもと期待していたら、
アメリカの女性が座る。
「トイレに行くときは声をかけてください」流暢な日本語である。
お互いの目的を聞き合う。
 安心のふた文字である。
 私は運の強い人間だ。
弱々しく見えるのか?行く先々で出会う人は皆優しい。
飛行機の中で、先日Mさんが面白かったと絶賛されていた映画
「美女と野獣」を観る。感想は長いアメリカ生活のうちに書くことに。
いよいよアメリカ大陸の上空に、
広い、ゴルフ場は平地にいくつも点在する。
周りは真っ白で、青い区画整理された?海に囲まれている。
 2年前は夜だったのかこの景色は記憶になかった。
アメリカ女性からエスタ場所に案内してもらい
日本に戻ったら、是非「豆撰」に来てくださいと感謝の気持ちを伝える。
彼女の仕事は日本だからである。
彼女と別れると次に登場してくださった女性は日本人。
「日本人ですよね」と声をかけられ、「心強いです、ご一緒にエスタの手続きを
していただけませんか」とこの何も知らないおばさんを頼りにする。
まさか……
私は何もわかりません、私の方こそよろしくお願いします。
案の定 、機械の前に立つと、彼女はさっさと手続きを済ませ、私に教えてくれる。
私は優しい人にめぐり合うことのできる運の強い人間である。また助けてもらう。
手荷物を待つ間に、お互いの目的を話し、別れる。
さて、私の目的は
娘の出産である。今病院で私の孫が誕生するその瞬間を、この待合室で待っています。
産まれたようです。

2017年7月9日日曜日

母に代わって綴る日記 2017/7/9

ようやく母の飲み込み訓練ステップ2に入ることができました。
持参したメロンや桃の果汁にトロミをつけてもらい、
40CCのゼリー状のものを作ってもらいます。
約15分かけてそれを飲み込みます。
まずまず順調です。
次に病院から支給されたぶどうのゼリーに挑戦です。
母の口は動かず、口に含んだままです。
市販の食べ物に慣れていない母の拒否反応です。
仕方がありません。無理強いをしても、頑固一徹の母。
特に最近の母の嗜好は美味しいものとそうでないもの
本物と偽物の区分けがはっきりしていました。
脳梗塞に倒れても味覚は変わらないようです。

妹と仕事のあんばいをみて、メロンの搾りたてを持って母のところへ
母にメロンジュース飲みますか?
頷く
口元にメロンジュースを持って行くと
いつもは促さないと口を開けない母がツバメのヒナのように
口を開けます。
嫌な顔もせずに、美味しそうに数回飲み込みました。
妹の声には反応が早く
妹の名前はしっかりということができます。
私の名前は、ここ数日考え込んでいるようです。
半ば強制的に「れいこ」でしょと強く言う。
かすかに唇が動きます。
妹は一緒に暮らしていた年数が違うでしょと言う。
そうかもしれない、そうでしょう。
それでも、ちょっとさみしい。

2017年7月3日月曜日

天使のような明るくって思いやりの介護士さん


いつものように病院へ
今日はスイカを持参しました。
詰所に直行、飲み込みの先生から絞ってもらうためです。
病室に行くと、母の病室の松江さんの入浴準備中でした。
着替えをカーテンの中でやっています。
私は母の耳もとで大きな声で言います。
「今日はスイカを持ってきたよ。スイカ好き?」
すると松江さんの着替えをしている大きな魚屋さんのようなゴムのエプロンを
つけた介護士さんが母のかわりに
「いいな、ツギさんはスイカ食べられるんだ。夏だね。私もたべたいな」
元気で明るくって、若くて可愛い娘さんです。
その後、母が私の持ってきた扇子で自分を仰ぐ姿を見つけ
「すごいね、別人みたい、ツギさん扇子開けたね」と。
一人の介助をしながら、他の人への気配りもすごい。
病室を出る前に母のそばにやってきて
「ごめんね、もっと声掛けしてやりたいんだけど……」と母のおでこにタッチ。
私はこの娘さんの仕事への熱意と優しさに感動し
「ありがとうございます」と私の気持ちを伝える。

2017年7月2日日曜日

りんごの唄と父の命日



月も変わり7月、なんて早く月日は過ぎてしまうのだろう
そして、今日は父の命日です。
丁度10年が過ぎました。
父はとても優しい人でしたが怒りん坊で、わがままな人でした。
教員になりたかったと生前何度か聞いたことがあります。
でも、祖父に(父の父)に反対されたそうです。
その当時は、結構田畑があり、百姓の子はその田畑を守らなければならなかったようです。
その後祖父は病に倒れました。昔の我が家にトイレがふたつあったのは
病に倒れた祖父のためだったことがわかります。
そして、私の生まれる年に他界。50歳だったそうです。
祖父の死によって、父は家長となり、一家を支え、
自らも波乱万丈の道を選び突き進むことになっていきました。

そのうちの一つに
私の結婚も入っていたかもしれません。
ふたり姉妹の姉の宿命だったはずの私は
大橋から多田に。
先日、妹から私の知らなかった秘話を聞きました。
私の結婚式に歌った父が選んだ曲は「りんごの唄」で
歌詞を変えて歌ったのだそうです。その時、私はその場にいませんでした。
お色直しをしていたようです。

赤いりんごに唇寄せて
黙って見ていた可愛い子
りんごは………
可愛や礼子………と歌ったそうです。

今その時の父を想像すると、涙が溢れてしまいます。

そして10年の歳月の間に
私の一人娘は私のたどった道を同じように歩いているのです。
父が生きていたら、
俺の気持ちがわかっただろうと笑いながら話したかもしれません。

夫は仏壇に飾る百合の花を取りに畑に行きました。