2014年7月31日木曜日

忘れ物で引きかえす。

今日の朝は、暑い。
暑い時には、「朝カレー」が一番。野菜の宝庫の我が家の
カレーは野菜が盛りだくさん。切り落とし牛肉を加え。
煮込むこと1時間。暑いよ。
洗濯も終え、さあ、準備OK.。
リュックに着替えをつめ、カレー弁当を入れ、歩きました。
鈴倉さんを過ぎたところで、記憶の回路にスイッチが入りました。
昨日スタッフのお子さんが豆撰のお手伝いをしてくれているのですが、
その御礼に「モノクロームの少女」のDVDを貸せてやる約束をしていたのです。
朝確かに、覚えていたはずなのです。ところが出かける瞬間に回路は切れていました。
・・・・・・という事で、バックです。急ぎ足で家に戻りDVDを手に
ここで、決断です。「今日は銀行もいかんばん、車が必要だ。歩いての銀行は日射病の元」と
勝手な言い分をつけて、車で豆撰に来てしまいました。
彼女がこのDVDを見て感想を聞くのが楽しみです。

2014年7月30日水曜日

戦争と平和

戦争映画はたくさん作られています。
ひまわり、サンドオブミュージック、戦場のピアニスト、シンドラのリスト
数え切れないほどの名作に涙し感じるたことは
ただ一つです。戦争はしてはならない。多くの何も知らない、知らされていない人々の、
子供たちの尊い命が奪われ、
どうして、今もなお戦争は続くのでしょうか

人間は戦いをやめないのでしょうか

土手を歩き赤鮮やかな芙蓉の花をみつけました。
私はリュックの中からデジカメを取り出し
芙蓉の花を撮ります。
戦争の中でおびえている人たちは花を愛でる余裕などないだろうと思いながら・・・・・・。

2014年7月27日日曜日

ゆめのかよいじの世界は?

守門岳の麓から流れる刈谷田川は、栃堀から下流の豆撰までの間には
いくつもの橋が架かっています。今では見られませんが木の橋からコンクリートの橋、
それぞれの橋には想い出があり、その橋を通り過ぎ、川の流れに沿って歩き始めると
私の「ゆめのかよいじ」が始まります。
上流の橋の手前は川の水は透き通って、大きな石がごろごしています。

イワナをとり、炭火焼してもらったと義母は何回も何回も
その美味しい味が忘れられないと 嫁の私に話します。
義母が懐かしく昔話をするのも「ゆめのかよいじ」でしょう。
宮沢橋の手前は石でせき止められた場所は涼しく絶好の水遊び場となっていました。
また、高校生時代、美術の写生時間、私は絵筆を取ることを忘れ、夢中でめだかとりを
しました。先生に「何しに来ているんだ」と叱られてばかり・・・・・・。

もうじき「ゆめのかよいじ」の映画場面
八月七日「石積み」の日がやってきます。
親より先に亡くなった人の代わりに栃尾の子供たちが積む「石積み」
石の積み重ねを毎年毎年見続けると
亡くなった肉親をはじめ、私の心を通り抜けて行った人々の数がだんだんと増えていることに
気がつきます。

今回は33年前を振り返ってみました。
まだ、私が保育園勤務をしていた時です。娘がお腹にいて、流産のおそれがあり
実家で 過ごしていた時です。
私のクラスの3歳の可愛い女の子と一年生になったばかりの姉が
親戚の家の駐車場に入り、車から降りようとしたその瞬間に事故は起きました。
ふたりとも重症でした。血だらけの姉は「妹は大丈夫か」と救急車の中で言い続けていたそうです。
病院に搬送され、しばらくして二人とも息をひきとったと連絡がはいりました。
私は号泣し、何がなんだかわからなくなりました。
あれから、33年なのです。私の中では、娘はあの姉妹の代わりのように思えてなりませんでした。
このお盆には、あの可愛く、あどけない姉妹の「ゆめのかよいじ」 にしたいと
想っています。

2014年7月25日金曜日

安心安全には手間がかかります。


 ここ数日、チキンの話題で業界はてんやわんやの様です。
大量生産大量仕入れをすれば低コストで販売できるのは当たり前だと思います。
それが、ひとつ何か重要なことが起きると、もう大変なのでしょう。
輸入業者から販売業者までに、どれくらいの会社を経由しているかわからないのですから・・・・・・。
 小さな会社豆撰では、社長を中心に製造が行なわれます。
お店に並べる商品や宅配される商品はその製造者が確認しながら
店舗に並べたり、宅配荷物を作ります。
お客様に届けられるまでのほとんどの課程は全て人の手で行なわれています。
もちろん、主要原材料である大豆は、新潟朝日村地区と栃尾地区に限定されています。
一人一人の目の届く範囲で作られる栃尾の油揚げをお客様に届けられることの
安心安全度は大きいと思います。その分コストはかかりますが大量生産できない良さを
この機会に消費者の皆さんに感じてもらえたらと思いました。

いつものように土手を歩いたら、大きな大輪の扶養の花が咲いていました。
私の悩みをつつんでくれそうな大きな花びらでした。

2014年7月23日水曜日

猫のきもち

いつだって、人間は勝手さ
俺が小さい時は
「まあ、まめたんかわいいね」とアイドル気分にさせて
お母さんは特にそうだった
いまじゃあ、「わかっているわよ、ご飯でしょもう少し待って、お母さんだって忙しいのよ」
俺が小さい時は
「ごめんね、すぐやるからね」とすぐに朝食を食べさせてくれた。
今じゃ。掃除洗濯ご飯の準備そのあとだもんな。
俺はここにもらわれて、幸せだよ。
食べるものも、着るもの、いや寒さ暑さはエアコン、ストーブでこの
毛皮があれば十分さ。
俺は感謝しているよ
でもさ、俺だった猫だぜ、自由に外を駆け回り、恋もしたかったぜ。
俺はお母さんの年を超えてるんだぜ
こんな人生でいいのかな?
ああ、お母さん登場だ、朝食ねだらないとね、
俺は瓶のふたがあけられないんだからがまんがまん。


2014年7月22日火曜日

ヤドカリのきもち

日本人は一生の財産として、持ち家を希望します。
私自身、水害で家を失った時に、栃尾という地域性もありますがアパ-ト生活はまったく考えませんでした。東京に住む多くの若者はアパート生活から、マンションを手に入れることを
目標とし働いているところがあるようです。
ふるさとに帰れば、安価で手に入る一戸建てやマンションなのに・・・・・・。
東京の狭くて、高いマンションを購入します。
欧州は持ち家はないけど、長期休暇の為の別荘を持っている方は多いようです。
外国に住む娘はもちろん、持ち家はありません。
だから、自由に住みかの変更、引越しが出来るようです。
高価な住宅を手に入れ、そのために働くよりヤドカリ生活の方が
楽しく、自由なのかな?冒険もしやすい・・・・・・。
ヤドカリ生活もまたよしかと思えてきました。

2014年7月20日日曜日

オールユーニードイズキル

オールユーニードイズキルを観る。
この手の映画や漫画に興味があったわけではありません。
どちらかと言えば、この手の映画は見ない方なのですが
あえて、観賞してみました。
その、理由は今の若者と私では考えに大きなズレを感じていたからです。
すべてが、便利で簡単でどんどん進化することへの疑問から
では、若者はどんな漫画を読み、どんな映画を観、何を考え
何を知りたいのか・・・この映画にヒントがあるかもしれないと思って
観てきました。
生きているものは命があり、その命は永遠ではないと、幼いころより
60年も思い続けていることが
映画の中では命は生き返るのですから
人間の想像力は脅威です。でもなんだかもしかしたらと思う自分も・・・・・・。
そして、この夏教育実習を終えた甥っ子に「おばちゃんアイパットもってんだよね。どう?」と
聞かれ「あれは、便利だよ。持ち運びも、字も大きくって、おばちゃんは家の中だけしか使えないけどね。買ってもいいと思うよ」と
助言している私。私の考えも生きたり死んだりしているようです。

2014年7月19日土曜日

言葉を聞く医者

偶然、リモコンを変えたら[ドクターG]という番組を見つけました。
患者さんの症状を聞きながら、病名を見つけていく内容でした。
研修医と立派な先生の掛け合いです。
番組を見ながら、研修医の方々の知識はさすがドクターと感心させられました。
そして、最後に病名をみつけた後で、立派な先生は
「患者さんの言葉を良く聞くことです」とおっしゃっていました。
この番組を見ている途中から、母の1分間診察を思い出していました。
「変わりありませんか」と医師「はい」と応える母。
これで終了です。脳梗塞型アルツハイマーの母に対する診察はこの2つの
言葉で終了です。
先日、診察に付き添った妹から「はい、今日は30秒でした」と報告がありました。
患者の家族にとっては、これからの進行具合はどうなっていくのか?
もっと良い対象方法はないのかと、日々母を見ながら妹とそれなりの
話し合いをしています。患者数の多い病院では無理かもしれませんが
この番組を見て、日本医療の在り方にはこんなにも上下の差があるのかと
考えさせられました。

2014年7月18日金曜日

思いやりと遠慮

還暦を迎えようとしている私と若い世代の考えには、相当な開きがあります。
昭和6年生まれの実母は
常に控えめでした。
叔母に叔父にそして従兄たちがお盆に集ると
野菜の煮物、油揚げ寿司、きゅうりもみ、などを大きな鍋で作ります。
そして、大勢の親戚一同に振舞います。
でも、実母はみんなと一緒に食べませんでした。
後片付けを済ませ、残り物を食べていました。
実母は集ったみんながお腹いっぱいご馳走を食べられるようにという
「思いやり」と「遠慮」の表れだと思います。
とても、今の時代には考えられません。
また、お客様がお越しの時は、珍しいお菓子がテーブルに置かれます。
明治生まれの祖母は「お客様のものに手を出してはいけません」と孫の私にも厳しく
躾けました。子供なりに、その躾けを「仕方ないな」とあきらめ、お客様のお帰りを待ちました。
とても、今では考えられません。
欧米化した日本ではこんな話をすると馬鹿じゃないって言われそうですね。
本当にそう思います。みんなで仲良く一緒に楽しい時間を共有する事は大切です。
でも、もしかしたら我慢したり、遠慮したりする事は
「思いやり」の心を育ててくれるかもしれないと思うのは還暦近しの古い考えでしょうか?



2014年7月17日木曜日

幼児教育の難しさ

保育園に勤務していた時からすでに25年が過ぎています。
子供のお世話をしてきた頃とは、社会も経済も相当違っています。
テレビでは幼稚園教育?のなかにアイパットを取り入れた園長先生が登場したり
子供たちのスマホ利用は当たり前?の時代になってきたようです。
スマホは子供たちにとっては「面白い」「興味がもてる」「仲間作りができる」など怪物になっているようです。便利はうなずけます。
しかし、ちょっと待って、本当にそれでいいのでしょうか?
仲間作りの方法は他にもたくさんあるはずなのに・・・・・・。
今、子育て中の方は自然で遊ぶことを体験していない方が多いのではないでしょうか
親御さん世代がゲーム世代だったから、別の方法を知らないのかもしれません。
日本のトップにおられる方は私と同年齢です。つまり、戦後に生まれているので
戦争を実際に体験していないのです。歴史本や数々の資料をご自分の頭にインプットなさっても
体験していないと、その方向性を見失うこともあるのではないでしょうか。
つまり、良い環境での子育て体験がないから、自分の子供に「ノー」が言えないような気がしてなりません。遠い未来に人間がロボットに「あなたはいらない」と言われないように
子育ては知識を与えることより、感性を感じさせ、おもいやりを育ててほしいと願っています。



2014年7月16日水曜日

大脱走猫は隣の畑に上陸成功


雨の後はどうしても、サッシの溝が汚れます。
窓を開けて、さあお掃除と
その瞬間です。後方で待機し、この好機を見逃すことなく
豆太郎は大脱走を成功させたのです。
私の「何やっての?いいと思っているの。足が汚れるでしょ」と叫ぶ声など
気にも留めず、任務遂行?草を食べたり、低空飛行の鳥に驚いたり・・・・・・。
そこへ夫が草刈りを終え登場
豆太郎の上陸作戦はエンド。

2014年7月13日日曜日

あの日から10年が過ぎ・・・・・・。

10年前の今朝の雨音は異常でした。緊急呼び出しを受け、当時役所勤めの夫は「もしかしたら
今日は帰られないかもしれない」とつぶやき役所へ。
私は豆撰へ。雨は槍の如く降り、豆撰の店の前は流雪構からは泥水があふれ
この様を見て、自宅が危ないと直感
とりあえず、スタッフにお願いして自宅へ向かう。
私の自宅付近に避難勧告が出ていました。近所には若い人はいません。
若い夫婦は共働きです。家に残されたのは老人のみ。
幸い、私は軽ラックで自宅に戻りましたから、ご近所の老人を荷台に乗せ、
避難所に向かいました。
ところが避難所への道は泥水であふれ、車は動かなくなりました。
老人たちを荷台から下ろし避難所に連れて行きました。
まずは一安心、炊き出しの手伝いをして・・・・・・。
今度は携帯電話が鳴り響きます。
私の生まれた山の家が土砂崩れのため大変と妹からの連絡。
私の頭の中はもう何がなんだかわからなくなりました。
とにかく行かなければ、山の家には両親が住んでいるのですから、
道路には私の膝上までつかる泥水が音を立て唸っています。
びしょびしょになりながら濁流にのまれないよう、裸足になりました。
40分の道のりをその倍以上の時間を費やし
実家へようやく辿り着くと、落胆というより唖然としている両親と妹夫婦。
どうにか、家は持ちこたえていました。
この衝撃には、心臓が止まりそうでした。
すぐに我にかえり、実家がこの状態なら私の自宅はどうなのかと
不安は大きくなり、ふたたび自宅へ向かいました。
自宅前に夫が呆然と立ちすくんでいます。大きな杉が我が家に倒れているのですか
ら、「猫は?猫を助けて」と叫ぶと夫は我に帰り「ああそうだった」と家に飛び込もうとした
その、瞬間です。ゴーと山が唸り、大木の杉が山と一緒になだれ込んだのです。
もし、あの時夫が家に入っていたら、夫の命はなかったかもしれません。
忘れてかけていたあの日・・・・・・。
今こうして、生きている私たち家族。生きてさえいればと生きていることに
手をあわせ感謝しなければと、あらためて思っています。

2014年7月12日土曜日

1時間のハイキングはタイムマシン

腰痛に悩まされる私に必要なことは歩くことです。
梅雨前線や台風の影響でここ数日は車に乗っての出勤が続きました。
そこで、今朝はひとりで城山に登ってみました。
中央公園脇に車を止め、歩きました。
中央公園は私の通った小学校の跡地です。校歌が記念碑としてきざまれていました。
明治3年開校ときざまれた記念碑を見て、
家には袴姿の曽祖父の色あせたモノクロの写真が飾られていること。祖父も父も
私と同じ小学校に通ったことを想像しながら歩きました。
酒蔵の前には飲み頃合図の杉玉が雁木の天井につりさげられていました。
諏訪様の階段を上ると、杉林を通ります。杉が大きくなり道幅を狭くしています。
高校の時上った事や保育園勤務時代子供たちと列をなして上ったあの日を思い出します。
汗を流しながら、歩くと涼しい歌声が聞こえます。ヒバリでしょうか?鶯よりも長く歌い続けています。まるで、オペラ歌手のようです。
人っ子ひとりいない道を私は歩き続けます。草を踏みしめる音に混ざってバッタがカサカサと動きます。時々トカゲも顔を出していました。これ以上大きなものには会いたくないと思いながら……。本丸付近では山アジサイやツリガネソウが出迎えてくれました。
頂上に着き、一息。今朝はもやがかかっていて。遠くははっきり見えませんでしたが
五藤監督の「もやのかかった栃尾の風景がなんとも言えません」とおっしゃったことを思い出し
街の風景を撮りました。
私は1時間の間に小学校に入学した時から今日までの出来事を走馬灯のように思い出している
自分にはっとしました。
50年、いえ、それ以上を想いだしているのですから人間ってすごいなって・・・・・・。

2014年7月10日木曜日

御見舞申し上げます。

朝のニュースは目を覆いたくなる画像が次々と映し出されました。
我が家を襲った、7・13水害に重ねて家族は
「大変だね、かわいそう」とそれ以上の言葉は誰の口からも出ませんでした。
お怪我をなさった方、お家が流された方、そして命を亡くされた方のご冥福を
お祈りいたします。
あっという間の土砂の流れは言いようのない恐怖だったことでしょう。
自然災害に勝てるものはありえません。
美しい山や自然が民家に襲い掛かるなんて
誰も想像できません。


今日、庭の百日紅が咲いていました。
7.13水害の時無くした大木の百日紅・・・・・・・。
小さな百日紅を今の庭に植えてから11年が過ぎます。
屋根の高さに追いつきそうです。百日紅が大きくなるに連れて
私たち家族の絶望は癒えて、老夫婦4人と瓦礫の中から生還した愛猫とともに
元気に暮らしています。
いつか、きっと・・・・・・。

2014年7月9日水曜日

老夫婦のご来店に自分を重ね

市外からお越しの老夫婦
もう、あれこれ20年近く豆撰にお越しいただいています。
奥様は「80歳をこえると、大変です。物忘れもおおくなり・・・。」
数年前にひとり息子さんを交通事故で亡くされています。
どんなに切なく悲しいだろうと
老夫婦がお見えになるたびに、切なさが私の心に響きます。
でも、努めて明るく、「豆撰さんの油揚げがたべたくなってね」とおっしゃってくださいます。
「お元気で、いつまでも豆撰に来てください」と声をかけました。
すると、奥様は「足腰が立たなくなったら送ってもらいます。それまでは頑張ってきますから」
と、旦那さまは笑みを浮かべ、お帰りになられました。

背の高いユリです。今日の雨でユリはかわいそうです。

2014年7月8日火曜日

ねじり花

庭のねじり花が背を伸ばしました。
らせん階段のようです。
この花の階段を上ったり、下りたりしている
小さな妖精が見えました。
私には、雨に打たれてもいいように水色の三角帽子をかぶった妖精たちが「がんばってね」と
手を振っているように見えました。

昨日ある方がおっしゃいました
「みんな人に興味があるのです。このお店の社長はどんな人でしょう、野球が大好きですね」
「今日のお客様は何をお求めになったのでしょうか?美味しい油揚げを
どんな方がお売りになっているのでしょうか」と・・・・・・。
人に支えられている私を見つめなおして見ました。

2014年7月6日日曜日

みやじさまは読書にもってこい

栃尾と長岡の境目あたりに「みやじさま」の看板があります。
お昼を食べてから涼しい場所を求めて
ちょっと寄ってみました。
杉の木の下に車を止めて、散策しました。
だいぶ辺りは地震か水害か?
周りの山々は土砂崩れにあっていました。
石動様と書かれたこの神社の裏手も土砂崩れにあったようです。
神社の中はきれいにお掃除され、新しい畳が入っていました。
ここは静かで、涼しくて読書にはもってこいの場所でした。
東京の子供たちもこんな場所で本を読んだらいいのにと
一度だけ会った保育園時代の子供の子供の顔が浮かんできました。

2014年7月5日土曜日

土手をあるきながら

通勤途中に紫陽花がたくさん咲いているお家を
土手を歩きながら、勝手に拝見しています。
土手の向かいは、大きなグランドがありました。堤防には大きな桜並木が続いていました。
歩いていると、私は小学生になり
昔を思い出しながら歩きます。
あれから、もう50年以上 も過ぎます。
美味しいものといえば、味噌おにぎり、さつまいも、などの自家製ばかり。
チョコレートやケーキなんて夢の夢の世界でした。
でも、あの頃は「良かった」と思えるのはなぜでしょうか?




2014年7月4日金曜日

大関から小結まで頑張りたい

自宅から豆撰まで歩き始めて1週間以上です。
腰痛と肩の痛みも少し和らいだような気がします。
この体重、特にお腹周りの貫録は大関から小結位までにもっていきたい。
果たして、いつまで続けられるか?健康ばかりでなく
歩くと今まで会うことのなかった人や
見えなかった景色が見える。
この効果は余計な心配を排除してくれ、前向きな自分を取り戻せるような気がしています。

2014年7月3日木曜日

昨日は父の命日

昨日の朝はなんとなく、父のことを思い浮かべていました。
豆撰に出勤すると、妹が「じいちゃんの命日だから、やっぱり私の誕生日が2日だから忘れないね」と妹に言われて、ハットしました。そうか、それで、今朝仏様に会いにいっていない自分を
少し責めたのかと思いました。私は忘れていました・・・・・・・。
叔母から、仏壇に庭の花をさしてもらい、私は病室で黄色のハンカチを見て
「俺にもそのバナナくれんか」と言ったバナナを買って仏壇に供えました。
すると、甥っ子がお参りに来たと叔母が教えてくれました。
甥っ子は本当に良くできた、親に似ない子だ(笑)とつぶやいて
豆撰の仕事に戻りました。

今年は梅のなり年。山の家の梅も数珠なりでした。