2018年7月28日土曜日

豆乳でイキイキ健康生活93歳!









我が家の朝食に欠かせないもの

第一に野菜、生野菜はサラダにします。根野菜は味噌汁に
海藻は両方に使います。
タンパク質は、栃尾の油揚げとお豆腐、青み魚か、鳥肉です。
ほとんど添加物は使いません。
それに欠かせない大切なものがあります。
手作りヨーグルト、バナナに生搾り豆乳を加え
最近はそれに蜂蜜と梅干しを入れて飲んでいます。
夏バテ予防、熱中症予防になっていると思っています。
その証拠に、93歳の義母は食欲も衰えず、熱中症にもかからず、毎日朝食前に畑に行きます。元気ハツラツです!
物忘れはここのところ実は大変です。でも自分の事は自分でやります。
これって我が家の朝食のおかげだと思うのです。
(結構頑張っている嫁の私)

無調整の豆乳、それも栄養を損なわず、風味を楽しめる生搾り豆乳です。
皆さんの健康にぜひぜひおすすめいたします。

生搾り豆乳について
豆撰では昔ながらの伝統を守り続けています。
一晩水に浸しておいた大豆をそのまま搾って、豆乳とおからに分けます。
加熱された大豆を搾るより、手間暇かかりますが、生搾り豆乳は青臭さやえぐみがなく、大豆本来の甘さが生きた、栄養価の高い、さらっとした豆乳になります。
(この製法は全国でも数少なく、栃尾ではもちろん豆撰一件だけです )
豆乳の効果
老化を防ぐ。鉄分は牛乳の10倍以上!
コレステロールを減らし、動脈硬化の予防に有効!
イソフラボンが豊富にふくまれているので、ガン・骨粗しょう症・ 更年期障害予防 !

豆撰からのお知らせ
毎日飲み続けることが大切です。
500mL生搾り豆乳3本セットお試し価格1ケ月分1600円を毎月一回お届けいたします。

オンラインショップでは購入できません。
お手数をおかけしますが
栃尾の油揚げ豆撰にて、お電話、メールにて賜っております。

お気軽にお問合せください 
 フリ-ダイヤ0120-05-5006

      
 



2018年7月26日木曜日

新じゃがを収穫しました。あぶらげコロッケに!


 

 新じゃがを収穫しました。
今年の出来は上々、なぜなら嫁いで38年目にして畑デビューをしたわけですが・・・・・・。
種まきの時に「どうか良い子になあれ」と何回も呪文を唱えました。
この方法は、今はちょっと認知症が進んでしまった義母から教わったのです。
義母は野菜に水をやる時も、種まきの時も収穫の時も優しく声をかけていました。
野菜だけではありません、ご近所の子供たちにも、動物にも優しく声をかけていました。
義母から学ぶことの多かった38年をふりかえると感謝しかありません。
さて、収穫したジャガイモは
ポテトサラダは定番、フライドポテトに、そして栃尾の油揚げを使って
皆様もあぶらげコロッケに挑戦してみてください!







2018年7月24日火曜日

賑やかだった馬市 7月24日はあぶらげ寿司の日でした。




私が子供の頃は栃尾の街は賑わっていました。
一之渡戸(今は栄町)には栃尾と悠久山を結ぶ鉄道があり、
7月24日は馬市の日は特に大勢の人が栃尾鉄道に乗って遠くは魚沼、長岡、見附からやってきました。
我が家にもおばば(祖母)の姉妹、おばばの小姑達が馬市の日には買い物を楽しみに見附からやってきました。
そして、一晩泊まるのは習わしでした。
馬市の日はご馳走が並びます。母の手作りのあぶらげ寿司が大皿に並びます。
大きな鍋に2等分したあぶらげがグツグツ、グツグツと煮付けられる、甘しょっぱい匂いがたまらなくなります。
私は母の手のそばにくっつき、人差し指でちょっかいを出します。味見をするのです。
母は「もう少しで、できるから待ちなさい」と私を諭します。煮付けられたあぶらげに、ギュウギュウと酢飯が詰められます。喉がごっくんと音を立てる。
そして、あぶらげはイカ飯のように輪切りになるのです。
たまに、母はあぶらげを指で割く時失敗する事がありました。この失敗はしめたものです。
お客様のご馳走になる前に、私は失敗作をいただけるのですから、そりゃあたまりません。母のそばを離れるわけには行かないのです。
一枚の大きなあぶらげは6個のあぶらげ寿司になり、
大皿には30個位が2皿に盛り付けられます。
その他にはユウゴとナスと車麩の煮付け、
それから何日も前から井戸に棒鱈が投げられます。
「母ちゃん、棒鱈井戸に入れておいたかの」とおばばがいいつけます。
このいいつけの声こそ、ご馳走が近々食べられる合図です。
馬市は、ご馳走が食べられるそれはそれは嬉しい賑やか一日となるのでした。

今日は馬市の日
むかしむかし、半世紀以上前のことを想い出しました。

まだまだ間に合う豆撰の夏の贈り物はこちら





2018年7月21日土曜日

母に語る 鶴の恩返し

妹の借りてきた一冊の絵本
「鶴の恩返し」を病室で横たわる母に読み聞かせる。
読んでいると、物語が少し違うことに気づきました。
私が知っている「鶴の恩返し」はおじいさんとおばあさんが登場していたのですが
今回は、男の人が鶴を助けてくれます。そして結婚をするのです。
後半のお話は同じでした。
「決して戸をあけてはなりません」とお嫁さんはいいます。
開けてしまった、お嫁さんはやせ衰えた鶴。そしていなくなるのです・・・・・・。

この民話を私は明治生まれの祖母から、お昼前や夜寝る前に
布団の中で何べんも何べんも聞いていました。
今は病室のベッドに横たわる86歳の母に私が読み語るのです。
なんだか、寂しく切ないものです・・・・・・。

自分の羽を使ってまでも自分を助けてくれた人のために
機を織る。

母は洋裁学校に若いころ通っていたそうです。
だから、私の服や叔母の服、祖母のカンタン服も縫ってくれました。
手作りの洋服のデザインは私がします。
小学校の6年生の時、修学旅行のワンピースはとてもよく覚えています。
ピンクの格子柄でした。母に襟はレースにしてほしいと頼みました。
とてもお気に入りでちょっと鼻高気分でバスに乗ったことを思い出しました。
お金のなかった昔昔です。既製品のお洋服を着ることはできませんでしたが
母の作ってくれたワンピースは最高の仕立てでした。

豆撰からのお知らせ
この夏新発売しました「りかちゃんセット」は好評で大人気です。
お試し価格ということもありますが、豆撰のおすすめ商品がそろっていることです。
暑い夏に簡単に焼いて食べる油揚げと暑くて御調理はちょっととためらう方に
「あぶらげロール巻き」お弁当に最適な「栃尾だんご」はもらってうれしい手作り
御惣菜です。生搾りのかおりを十分楽しめる「おぼろ豆腐」「絹とうふ」
冷たく冷奴でお楽しみいただけます。
御中元に、またご自分のご褒美にいかがでしょうか。
期間限定です!8月31日までとなっております。



2018年7月15日日曜日

栃尾の郷土料理は元気のでるおかず






赤こがねと白こがねのお話

栃尾のおばあちゃん、 お母ちゃんの味といえば「栃尾の油揚げ」通称「あぶらげ」です。あぶらげは「ジュー」と音がするくらいのアツアツに醤油をかけて、アチチチと食べるのが一番おいしい。
ところが、通常あぶらげやさんは朝が早い仕事です。揚げたてのあぶらげはなかなか食べられませんでした。
だから、子供の頃は、あぶらげといえば「煮つけ」でした。口の中にジュワーと甘しょっぱい出汁が広がります。これこそ、栃尾のおばあちゃん、お母ちゃんのたまらない味でした。
鰊とあぶらげを煮付けた「赤こがね」、あぶらげだけを煮付けた「白こがね」は栃尾に伝わる郷土料理です。
元気のでる懐かしい味を想い出と共に味わってください。



2018年7月13日金曜日

あれから……。7月13日

平成16年の7月13日の朝
雨は尋常の降り方ではなかった。店の電話から大きな妹の声が聞こえる。
「すごい雨です。 子供を登校させてもいいのでしょうか?」
「はい、わかりました。では登校させていいのですね」
この押し問答の結果
電話に出た方は校長先生がまだ学校に来ていないので、こちらでは判断できません。
登校させてください…とのことだったらしい。
尋常の雨ではなかったのに。
家を出る前に感じた不安は大きくなる。やはり家に戻ろう。
自宅の横道は川に変わっている。橋桁の土砂崩れ、堤の決壊。
時間の問題だろう、床上浸水は免れないであろう・・・・・・。
その時、市役所勤めの夫が一時帰宅
「避難勧告が出ている、あちこち土砂崩れだ。緊急対策本部もできている。俺は今日は帰れないと思う」とリュックに着替えを詰め込んで去っていきました。
私は、家のことはもうあきらめ、近所の老人をトラックに乗せ、避難所に行く。
避難所までの道も膝まで水は上がっていました。
避難所で炊き出しの手伝いをする。
携帯電話が鳴り響く。
妹だったのか亡き父だったのか思いだせません。
実家の庭が崩れ、家も崩れるかもしれないと・・・・・・。
二重のショックをどう思いだしたらいいのでしょうか
とりあえず、実家に急ぐ。道路の水は膝上です。靴もズボンもびしょびしょです。
急いで歩いているのに、足が上がらないのです。1時間くらいかかり実家に辿りつく
顔面蒼白の父母と妹夫婦。
小高い山の上にある我が家は玄関の下から庭に かけて崩れ落ちている。土砂のそばには数件の民家。
心臓の音まで半鐘のようだった。
小学校は、登校と同時に下校だった。
妹の判断の方が正しかったと今でも思う。下校の途中、橋が流されたらどうなっていたことだろう。
そしてその後、我が家は土砂により流されてしまった。

先日の西日本豪雨被害の映像はあの時の私達家族、妹家族である。
生きていた、生かされた命にありがとう。と感謝し
還暦も過ぎ、孫と戯れる日々に憧れていたけれど、まだまだ
私のやるべきことはある。
豆撰でのあぶらげ作りには、これで終わりはないと思う日々です。
若者の力が私を支えてくれる。お客様が私を支えてくれる。
私を支えてくれる友もいる。
そう思う7月13日である。

被災された方々、それに関係するすべての方々の一日も早い
復興を心より願っています。
必ず陽は昇るはず・・・・・・。



2018年7月11日水曜日

栃尾で作っている大豆知っていますか?










豆撰では輸入大豆は使用していません。
新潟の岩船地区(旧朝日村)と
栃尾の畑で作った大豆のみで栃尾の油揚げを作っています。
特に栃尾産のあぶらげは製造工程で豆乳とおからに分けられますが、そのおからを有機肥料として使っているリサイクル型です。ふんわり大豆の香りが広がる栃尾の油揚げを朝食に
糖質控えめな方におすすめいたします。

・・・・・・と私自身がちょっと挑戦中です。
あぶらげは畑のお肉です。良質なたんぱく質食材です。

豆撰のあぶらげの製造工程の最後は、あぶらげは串に刺してつるします。
余分な油をきるためです。
だから、豆撰のあぶらげは油抜き不要です。


2018年7月1日日曜日

ミサコのピアノが喜んで 栃尾被爆ピアノコンサートより








第二回栃尾被爆ピアノコンサートを無事に終えることができ
実のところ、ホッといています。

初めて参加した豆撰のRちゃんに感想を聞いてみました。
すると、「ミサコさんのピアノが喜んでいました」と言いました。
「そう思える、そう聞こえることこそが平和のしあわせだ」と妹がつぶやく。

朗読をしてくださった遠藤悦子さんのお話にもこみ上げてくる優しさを感じました。
遠藤さんが高校の時クラスメートのお父さんがご病気で亡くなられ、
その時、少しでもお役に立てばとの思いで、お見舞いのお金を集めたそうです。
でも、そのお友達はお金には全く困っていなかったそうです。そしてお友達は、広島の原爆ドーム保存のために、みんなの集めてくれたお金を寄付してもいいでしょうかとおっしゃったそうです。きっと、広島原爆ドームの一本の柱に想いが届いているのではとお話してくださいました。

矢川光則さんには、被爆ピアノコンサート中のお話コーナーでお聞きできなかったことがありました。
すると、矢川さんとふたりっきりになるチャンスが
「矢川さんは何故調律師になられたのですか?」とお尋ねしてみました。
「僕は高校の時、音楽の先生にすすめられました。吹奏楽をやっていましたから
楽譜も、もちろん読めます。でも、僕にとって楽譜を読むより、聞いた音を楽器で再現する方が簡単でしたから・・・・・・。」
「凄いですね。ご両親からの影響はなかったのですか?」
「いやあ、なかったですね。でも父親はトランペットを吹いていました。
祖父母は三味線を教えていました。ご近所から笑いの絶えないちょっと風変わりの家のようでした」
それから、矢川さんはご両親の被爆について、叔母様の被爆について語りはじめました。
黒い雨をあびても、その人にはそれぞれの生命力があって、長く生きられる人もいる、すぐに亡くなる人もいる。

「父の妹は生きられなかった・・・・・・。」と寂しそうに話す。

どうして傷ついたピアノを修復し、被爆ピアノをトラックに積んで夜どうしで
走り続けるのか、その意味がわかったような気がしました。
絶対音感を持って生まれ、その才能を見出してくださった高校の先生に導かれ、調律師になり、被爆ピアノと運命をともにする。
なんだか、生まれた時から矢川さんの運命だったのではないだろうかと思えてなりませんでした。
最後に、「僕が今日こうした活動ができるのは、妻、家族のおかげですよ。面と向かっては言ったことはありませんが感謝しています」
妻に感謝、家族に感謝、人間としての原点はここにありだとほろりとさせられました。
私も、被爆ピアノコンサートのお手伝いができたことに感謝し、私の手となり足となって
補佐してくれる豆撰スタッフに感謝、そして最後まで私を助けてくれる夫に感謝しました。

ミサコのピアノが笑っている
私もミサコのピアノのように生きたい
ミサコのピアノさん!絶対に、絶対に戦争はいけませんね。

五藤利弘監督の映画はいったいどんなふうになるのかそれも楽しみです。