2018年7月15日日曜日

栃尾の郷土料理は元気のでるおかず






赤こがねと白こがねのお話

栃尾のおばあちゃん、 お母ちゃんの味といえば「栃尾の油揚げ」通称「あぶらげ」です。あぶらげは「ジュー」と音がするくらいのアツアツに醤油をかけて、アチチチと食べるのが一番おいしい。
ところが、通常あぶらげやさんは朝が早い仕事です。揚げたてのあぶらげはなかなか食べられませんでした。
だから、子供の頃は、あぶらげといえば「煮つけ」でした。口の中にジュワーと甘しょっぱい出汁が広がります。これこそ、栃尾のおばあちゃん、お母ちゃんのたまらない味でした。
鰊とあぶらげを煮付けた「赤こがね」、あぶらげだけを煮付けた「白こがね」は栃尾に伝わる郷土料理です。
元気のでる懐かしい味を想い出と共に味わってください。



2018年7月13日金曜日

あれから……。7月13日

平成16年の7月13日の朝
雨は尋常の降り方ではなかった。店の電話から大きな妹の声が聞こえる。
「すごい雨です。 子供を登校させてもいいのでしょうか?」
「はい、わかりました。では登校させていいのですね」
この押し問答の結果
電話に出た方は校長先生がまだ学校に来ていないので、こちらでは判断できません。
登校させてください…とのことだったらしい。
尋常の雨ではなかったのに。
家を出る前に感じた不安は大きくなる。やはり家に戻ろう。
自宅の横道は川に変わっている。橋桁の土砂崩れ、堤の決壊。
時間の問題だろう、床上浸水は免れないであろう・・・・・・。
その時、市役所勤めの夫が一時帰宅
「避難勧告が出ている、あちこち土砂崩れだ。緊急対策本部もできている。俺は今日は帰れないと思う」とリュックに着替えを詰め込んで去っていきました。
私は、家のことはもうあきらめ、近所の老人をトラックに乗せ、避難所に行く。
避難所までの道も膝まで水は上がっていました。
避難所で炊き出しの手伝いをする。
携帯電話が鳴り響く。
妹だったのか亡き父だったのか思いだせません。
実家の庭が崩れ、家も崩れるかもしれないと・・・・・・。
二重のショックをどう思いだしたらいいのでしょうか
とりあえず、実家に急ぐ。道路の水は膝上です。靴もズボンもびしょびしょです。
急いで歩いているのに、足が上がらないのです。1時間くらいかかり実家に辿りつく
顔面蒼白の父母と妹夫婦。
小高い山の上にある我が家は玄関の下から庭に かけて崩れ落ちている。土砂のそばには数件の民家。
心臓の音まで半鐘のようだった。
小学校は、登校と同時に下校だった。
妹の判断の方が正しかったと今でも思う。下校の途中、橋が流されたらどうなっていたことだろう。
そしてその後、我が家は土砂により流されてしまった。

先日の西日本豪雨被害の映像はあの時の私達家族、妹家族である。
生きていた、生かされた命にありがとう。と感謝し
還暦も過ぎ、孫と戯れる日々に憧れていたけれど、まだまだ
私のやるべきことはある。
豆撰でのあぶらげ作りには、これで終わりはないと思う日々です。
若者の力が私を支えてくれる。お客様が私を支えてくれる。
私を支えてくれる友もいる。
そう思う7月13日である。

被災された方々、それに関係するすべての方々の一日も早い
復興を心より願っています。
必ず陽は昇るはず・・・・・・。



2018年7月11日水曜日

栃尾で作っている大豆知っていますか?










豆撰では輸入大豆は使用していません。
新潟の岩船地区(旧朝日村)と
栃尾の畑で作った大豆のみで栃尾の油揚げを作っています。
特に栃尾産のあぶらげは製造工程で豆乳とおからに分けられますが、そのおからを有機肥料として使っているリサイクル型です。ふんわり大豆の香りが広がる栃尾の油揚げを朝食に
糖質控えめな方におすすめいたします。

・・・・・・と私自身がちょっと挑戦中です。
あぶらげは畑のお肉です。良質なたんぱく質食材です。

豆撰のあぶらげの製造工程の最後は、あぶらげは串に刺してつるします。
余分な油をきるためです。
だから、豆撰のあぶらげは油抜き不要です。


2018年7月1日日曜日

ミサコのピアノが喜んで 栃尾被爆ピアノコンサートより








第二回栃尾被爆ピアノコンサートを無事に終えることができ
実のところ、ホッといています。

初めて参加した豆撰のRちゃんに感想を聞いてみました。
すると、「ミサコさんのピアノが喜んでいました」と言いました。
「そう思える、そう聞こえることこそが平和のしあわせだ」と妹がつぶやく。

朗読をしてくださった遠藤悦子さんのお話にもこみ上げてくる優しさを感じました。
遠藤さんが高校の時クラスメートのお父さんがご病気で亡くなられ、
その時、少しでもお役に立てばとの思いで、お見舞いのお金を集めたそうです。
でも、そのお友達はお金には全く困っていなかったそうです。そしてお友達は、広島の原爆ドーム保存のために、みんなの集めてくれたお金を寄付してもいいでしょうかとおっしゃったそうです。きっと、広島原爆ドームの一本の柱に想いが届いているのではとお話してくださいました。

矢川光則さんには、被爆ピアノコンサート中のお話コーナーでお聞きできなかったことがありました。
すると、矢川さんとふたりっきりになるチャンスが
「矢川さんは何故調律師になられたのですか?」とお尋ねしてみました。
「僕は高校の時、音楽の先生にすすめられました。吹奏楽をやっていましたから
楽譜も、もちろん読めます。でも、僕にとって楽譜を読むより、聞いた音を楽器で再現する方が簡単でしたから・・・・・・。」
「凄いですね。ご両親からの影響はなかったのですか?」
「いやあ、なかったですね。でも父親はトランペットを吹いていました。
祖父母は三味線を教えていました。ご近所から笑いの絶えないちょっと風変わりの家のようでした」
それから、矢川さんはご両親の被爆について、叔母様の被爆について語りはじめました。
黒い雨をあびても、その人にはそれぞれの生命力があって、長く生きられる人もいる、すぐに亡くなる人もいる。

「父の妹は生きられなかった・・・・・・。」と寂しそうに話す。

どうして傷ついたピアノを修復し、被爆ピアノをトラックに積んで夜どうしで
走り続けるのか、その意味がわかったような気がしました。
絶対音感を持って生まれ、その才能を見出してくださった高校の先生に導かれ、調律師になり、被爆ピアノと運命をともにする。
なんだか、生まれた時から矢川さんの運命だったのではないだろうかと思えてなりませんでした。
最後に、「僕が今日こうした活動ができるのは、妻、家族のおかげですよ。面と向かっては言ったことはありませんが感謝しています」
妻に感謝、家族に感謝、人間としての原点はここにありだとほろりとさせられました。
私も、被爆ピアノコンサートのお手伝いができたことに感謝し、私の手となり足となって
補佐してくれる豆撰スタッフに感謝、そして最後まで私を助けてくれる夫に感謝しました。

ミサコのピアノが笑っている
私もミサコのピアノのように生きたい
ミサコのピアノさん!絶対に、絶対に戦争はいけませんね。

五藤利弘監督の映画はいったいどんなふうになるのかそれも楽しみです。