平成16年の7月13日の朝
雨は尋常の降り方ではなかった。店の電話から大きな妹の声が聞こえる。
「すごい雨です。 子供を登校させてもいいのでしょうか?」
「はい、わかりました。では登校させていいのですね」
この押し問答の結果
電話に出た方は校長先生がまだ学校に来ていないので、こちらでは判断できません。
登校させてください…とのことだったらしい。
尋常の雨ではなかったのに。
家を出る前に感じた不安は大きくなる。やはり家に戻ろう。
自宅の横道は川に変わっている。橋桁の土砂崩れ、堤の決壊。
時間の問題だろう、床上浸水は免れないであろう・・・・・・。
その時、市役所勤めの夫が一時帰宅
「避難勧告が出ている、あちこち土砂崩れだ。緊急対策本部もできている。俺は今日は帰れないと思う」とリュックに着替えを詰め込んで去っていきました。
私は、家のことはもうあきらめ、近所の老人をトラックに乗せ、避難所に行く。
避難所までの道も膝まで水は上がっていました。
避難所で炊き出しの手伝いをする。
携帯電話が鳴り響く。
妹だったのか亡き父だったのか思いだせません。
実家の庭が崩れ、家も崩れるかもしれないと・・・・・・。
二重のショックをどう思いだしたらいいのでしょうか
とりあえず、実家に急ぐ。道路の水は膝上です。靴もズボンもびしょびしょです。
急いで歩いているのに、足が上がらないのです。1時間くらいかかり実家に辿りつく
顔面蒼白の父母と妹夫婦。
小高い山の上にある我が家は玄関の下から庭に かけて崩れ落ちている。土砂のそばには数件の民家。
心臓の音まで半鐘のようだった。
小学校は、登校と同時に下校だった。
妹の判断の方が正しかったと今でも思う。下校の途中、橋が流されたらどうなっていたことだろう。
そしてその後、我が家は土砂により流されてしまった。
先日の西日本豪雨被害の映像はあの時の私達家族、妹家族である。
生きていた、生かされた命にありがとう。と感謝し
還暦も過ぎ、孫と戯れる日々に憧れていたけれど、まだまだ
私のやるべきことはある。
豆撰でのあぶらげ作りには、これで終わりはないと思う日々です。
若者の力が私を支えてくれる。お客様が私を支えてくれる。
私を支えてくれる友もいる。
そう思う7月13日である。
被災された方々、それに関係するすべての方々の一日も早い
復興を心より願っています。
必ず陽は昇るはず・・・・・・。
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