2017年9月21日木曜日

仙台で世界観について話し合い、たどり着くところは・・・・・・。












実は、仙台には友達がいます。


ですから仙台に到着してからは、なんの問題もなく市内観光をしました。
680円の一日フリーパスを使って、ちょっと小型の観光バスに乗りました。
一番後部席に座ると、あとから私たちの隣に座ったおじいさん。
何やら友に話しかけてきます。
ひとりで、朝神戸から飛行機乗ってきたそうです。


62歳の私はことあるごとに口癖のようにこう言います。
「私はあなたたちの3倍も生きてきて、もう頭は古くて、
新しいことが覚えられないの」と嘆くのです(仕事拒否の言い訳)。
それなのに、このご老人は
何と88歳とおっしゃるではないですか・・・・・・。
どこを廻ったらいいかねと友に尋ねる。
すると友は
「このバスは何回廻っても大丈夫ですから、一周してから
ここなら行けると思えるところに行ってみてはどうですか?」
しっかりとしておられるけれど、見た感じ足腰には多少の不安が
ありました。機転のきく友のアドバイスに
「ありがとう、そうだね窓側で一周してから決めることにしよう」
さて、
私たちは瑞鳳殿で下車
「この長い階段はおじいさんには無理かもしれないね」と話す私の
息はぜいぜい…腰に手を当てなんとか上るのでした。
別館で見る伊達正宗像はイケメンです。鼻は高く・・・
私たちは勝手に批評しあうのでした。
この時代にローマまで使者を使わせた伊達正宗の世界観に
驚きながら、自分たちの子供たちの世界観を話し合う。
(友の息子さんはお仕事でインドその他の国々を廻っているとのこと)
続いて、東北の津波から北朝鮮問題、トランプさん問題
へと発展していき、いったいどうなるんだろうかこの国は
と熱く語りあうも…落ち着くところは孫の話。
美術館でランチを楽しみ、最後に大崎八幡宮を参拝。
「孫の勉強意欲が増すことでも願いましょうか」と教員だった友は
手を合わせ、私と言えば、「ここは鈴だね。鐘と鈴は宗派によるそうです」と
先日調べたことをぶつぶつ言いながら、鈴を鳴らすが
願い事を忘れるサザエおばさんでした。
4時間半の友と一緒に廻った「仙台」は
観光と言うよりも、再会し近況報告することが一番楽しかったのです。

帰りに駅で妹に頼まれた牛タンを買い求め
(試食して買いなさいのアドバイス通りに)
笹かまぼこを買う。
結構重かったので宅配を頼んで
最後の仕上げに心残りがないように、私はずんだもちを食べ、
無事予定通りの電車に乗り、我が家に帰宅しました。






2017年9月20日水曜日

日帰りひとり旅。原田マハさんの小説気分のはずが。

アメリカの一人旅を経験した私です。
仙台くらい、絶対に一人で行けるはずです。
長岡発6時28分に乗るわけです。
駅前に出るはずが、一本間違って、くるりと一回転してしまいました。
それでも車を駐車場にいれ、昨日切符は購入していたので遅れることなく
乗車しました。
本を開き、読み始めると、睡魔に襲われ、迂闊にも居眠り。
大宮前で目が覚めて、良かったと胸をなでおろしました。
大宮で乗り換え、サザエおばさんは切符のありかと時間を何回も確認しました。
それからお腹が空いていたので、朝食を買うことに、乗り換え時間はあまりないはずです。時計を見るとまだ12分の余裕です。
サンドイッチとお茶を急いで購入して、17番線に走りました。
平日なのに長蛇の列、当然並びました。
時計は見ませんでしたが、東北新幹線・・・・・仙台行きと耳に聞こえました。
そして乗車、出発したわけです。
ところが乗車案内は「やまびこ」っていうじゃあないですか。
わたしは、今一度切符を確認しました。
「はやぶさ」でした。やっぱり、数分違いのやまびこに乗ってしまったわけです。
なぜ、昨日指定席だけのはやぶさにしたのかですよ。
同じ時間帯に乗っても30分早く仙台に到着できるからです。
これはもう、完全に夢の一日のはずが、いつものペースに戻ってしまっている。
今、郡山を過ぎて、あと40分この箱にいなければなりません。
トホホホ……
続くきはまた。



2017年9月18日月曜日

NHKひるブラ生放送…栃尾の油揚げ

全国版生放送、このチャンスは大きいと
社長も私も、スタッフも朝から、そわそわ ドキドキしながら
時計とにらっめっこをしていました。
生放送の打ち合わせは10時過ぎにありました。
その後、社長は豆撰の「アツアツ栃尾の油揚げ定食」をもって
とちパルにでかけたのです。
栃尾の油揚げ三昧の定食の宣伝をしよう!
栃尾寿司弁当を持っていこう!
と朝、入念な打ち合わせを豆撰でしました。

さていよいよです。
社長は豆撰の法被を着ていざ出陣です。
私とお昼休みのスタッフの4人はテレビの前にくぎ付けです。
時計は12時15分を指しているのに
何????新潟のアナウンサーさんがまだ出ているではありませんか?
「何時からだった?」
12時22分からでした。
生放送なのに、さすがテレビ局です。22分前には新潟のアナウンサーさん
のニュースはピッタし終了でした。
さあ!始まるぞと正座し携帯を片手に
手に汗を握り、テレビ画面に食いつくわれら・・・。

雁木通りにある「あぶらげや」さんが次から次へとテレビ画面に映り、紹介されていきます。
最初は、作り方が全然違うんだねとのんきな会話をしているわれらでした。
あら、あれ…時間がどんどん過ぎて
時計は12時35分をきり、
とうとう
あと5分しかないよね。社長出るのかしらと
われらの心臓はバクバクでした。
やややや!最後の最後に
われらの社長が登場・・・・・。出演時間数秒・・・・・・。
篠原ともえさんのコメント「おいしそう・・・・」も生放送でジエンドとなってしまいました。
私の推理によりますと
篠原ともえさんはこう言いたかったのです。
「アツアツの栃尾の油揚げ定食はとてもおいしそうですね。栃尾に行って食べたい!」

放送終了後はみんなで落胆 !
仕方ないよね、栃尾の宣伝だからさ…と慰めあっていました。
ところが、お電話やら豆撰にあつあつ栃尾の油揚げを食べに次から次へとお客様が
「テレビ見ていました」と・・・。
嬉しい一日でした。

皆様ありがとうございました。

2017年9月16日土曜日

義父、カールベンクス、実母





赤ワインは小布施の2015年産、甘酸っぱい香。
グラスの向こうに映るカールベンクスの想いがスクリーンに映る。

今朝はゆっくりと起きた。
朝食の準備をしながら、1日の予定を立てる。
今日は私の休日。
義父は施設に入って一ヶ月になる。ひ孫の写真を見せると、頬の筋肉が和らぎ、
「大きくなった」と言う。
ホールに行こうと同室の方に誘われる。
「歩いていく」と虚勢を見せるものの、介護士さんに止められ、車椅子に乗る。
普通食がとれないせいか少し痩せて見えた。
認知症は思ったより進んでいなかったことに胸をなで下ろす。

栗山から十日町に向かう。
古民家レストランを目指す。
目的地は想像以上に重厚で趣がある。梁で作られカウンター、格天井の棚に目を奪われる。
古い建物の再利用はとても素敵だった。
地元のパン、茄子のスープ、豚肉ソテーにきのこのメインはとてもボリュームがあった。
デザートの黒イチジクは程よい甘さとシャーベットが口の中でとろける。

食べ終わる頃、若いスタッフの娘さんと雑談。
映画「雪の中のしろうさぎ」、娘が以前ドイツに住んでいたこと、
栃尾の油揚げの話に盛り上がる。
そして最後に、これからのご予定はと優しく声をかけていただく。
予定のないことを話すと「星峠の棚田」と古民家集落の竹所を教えてくれる。
この少し贅沢な気分に幸せを感じ夫に感謝……。

星峠の棚田を見下ろすと、栃尾の棚田を思い出す。
すると母のことが気になり始め、病院へ急ぐことにする。
越路を通ると、母を連れてきた紅葉園を思い出す。
もう二度と母と一緒にドライブすることはないだろう・・・・・・。

母の病室に入る。今日は氷がない。額に手を当て、右手の手袋を外す。
汗ばんだ手を拭いてやる。
抗生剤が効いてきたようだ。夕方、妹がやってきて、ふたりで母を見守り安堵する。
母の口は相変わらずへの字だったけど、先生の熱も下がりよかったです。の声に
安心して、妹から自宅に送ってもらう。
私の一日が終わった。

2017年9月13日水曜日

127段の思い出と秋葉神社




雁木通りの続く上谷内に門前通りがあり、両端に、「秋葉山」と「常安寺」と銘が刻んである門があります。
この通りは、毎月24日になると市が並び、遠くは魚沼、見附から秋葉神社参拝と買い物客で賑わっていました。(現在は金町通りです)
私の曾祖母や祖母の姉妹は市日になると栃尾に来て、我が家に泊まっていました。曾祖母はとても私をかわいがってくれるのですが、お歯黒の顔は子供心に、怖くて膝の上に抱かれることに抵抗を感じたものです。今では懐かしく、いろいろな人の面影を追って、歩いてきた道を振り返っている私です。
そして、栃尾のお土産と言えば、栃尾の油揚げです。祖母は泊り客のみなさんに新聞紙に包んだ「あぶらげ」を渡していました。そして市日に買い物をした品々(モンペ、着物生地)を大きな風呂敷に包み、それをしょって帰る老婆たちのまるくなった背中が不思議でした。昭和30年代の記憶です。
今でも門前通りの正面は常安寺、その手前に龍の口から流れる清水があります。秋葉神社に参拝するには、かなり急な127段の石段を上ります。そしてさらに急な坂道を上って栃尾中学校に通うのです。この清水は疲れを癒す、元気のでる水でした。

石段を上ると左に大きな杉の木がありました。お友達と手をつなぎ、その太さを確かめ合ったこと。茶屋があって、入り口にはラムネがいっぱい冷やしてありました。
そのラムネを買いたかったけど、一度も買うことはありませんでした。
龍の水と参拝のための手水舎でずーっと我慢していました。だから、ラムネをみると飲んでみたいと今でも思うのですが、いまだ飲んでいません。

石段を上ると、お百度石があります。
参拝の鈴には太くて長い紐がついています。この場所からお百度石と127段頂上から見える街の一本線は私のお気に入りの風景です。
拝殿の先には奥の院があります。
今では金網で囲まれていますが、子供のころは奥の院の中まで入り、石垣を上ったり、かくれんぼをするには絶好の遊び場でした。
今見上げると、厳かさと栃尾の歴史絵巻が欅の一枚板に力強く掘られている。東側には烏天狗の酒宴、南側には大天狗の前での烏天狗と若武者の試合、西側には烏天狗の敗北の図。
この彫り物を見つめていると石川安兵衛(雲蝶)と熊谷の源太郎の2人が8年間の歳月をかけて彫ったその時代に入り込んでしまいます。それは、きっと、私の父やその父と遡って、先祖もこの場所に佇んだと思うからかもしれません。

9月17日は秋葉公園にて「謙信公祭」も行われます。
是非お越しください。
この続き、栃尾美術館(七曲り)の小高い丘については次回へ・・・・・・。

2017年9月11日月曜日

道院高原に立つ







山道の脇はススキの穂が
秋風に揺れる。私はまるで大きなゆりかごに入っているようだ。
道院の池の周りには、夏の忘れ物がたくさんある。
そのひとつ
あなたに語りかけてみる。
久しぶりにお会いしましたね。今日はお母さんはご一緒でないのでしょうか?と
私に問うあなた。
母は病気で入院しています。と応える私。
悲しそうな顔のあなたはセピア色の紫陽花さん。

たったひとつだけ、残されたホタルブクロの花の先に
赤とんぼが止まる。
私の足音に気づかない。
まるで眠っている赤子のようだ。

紫色の萩だけは
これからですと元気そうだ。

道院の秋は始まったばかり
来月になると漆が赤く染まって夕日色になります。
ススキの穂は
狐のしっぽのようになって、野山を駆け回る。

誰もいない、小さな高原を今日は夫と歩く。

お父さん、来月にお友達呼んでみんなで散策しましょう!









2017年9月5日火曜日

上田で花蓮を思い出し、最後はやっぱり栃尾の油揚げに行きつきました。






大河ドラマで昨年はとても賑わった上田市
今年は寂しい。
特急しらゆき2号で上越妙高に行き、待ち時間50分を経て、
新幹線はくたか558号に乗り上田で下車。
ネット検索すると
北国街道・柳町は
城下町の入り口付近のこの辺りは、時代を偲ぶような旧家の古い格子や土蔵が立ち並びます。
とある。
金沢の町屋をイメージして造り替えたのだろうか、古き良き時代を感じるには
少々残念な風景でした。
お昼は「みそだれの焼き鳥」を食べようと思っていたのに
お目当てのお店は、月曜休み。

長野に来たら「蕎麦」でしょ!
しかし、お連れさんは蕎麦はつまみにならないと言う。
そこで、ワインと天然酵母パンのお店に。
ワンプレートに並ぶ、手作りハムは塩加減がちょうどいい塩梅。
アメリカで塩分の多い生ハムばかり食べていたせいか
健康食を感じ満足。
赤ワインと白ワインをいただく。ワイナリーを持っておられるとか
ブドウの品種について詳しく説明してくださる。
なかなか、感じの良い奥様でした。
お客様は私たちふたりだけだからこそ、笑顔での対応は勉強になる。
続いて、ワインが程よく回りふらふら状態で、上田城址公園をまわる。
本丸の櫓門(平成6年復元)に入る。
「お客様腰を掛けて、スリッパに履き替えてください」と私のお連れ様に言っているのか
私に言っているのか?心の中で「私はあなたたちより若いですよ。ワインのせいだ」とつぶやく。
天守閣もなかったお城だった。
お城の石垣の下は
広い空地になっている。その昔、この城脇に千曲川が流れていたそうです。
洪水のために、川の流れを今の川に変えたとタクシーの運転手さんの解説を
後から聞きました。
真田の城は、見晴らしの良い山城だったそうです。
栃尾の城山と春日城を想像しながら、運転手さんに新潟自慢をする夫。
ネット写真に魅せられて、「信濃国分寺」へ走る。
イメージした蓮の花は終わって・・・・・。この場所で私は映画の主人公花蓮になるはずだった。
やっぱり、ばばちゃんに似合うのは枯れ気味の蓮の実でした。

帰途の電車は義母の待つ家路に急ぐため、往復切符大人の休日倶楽部3割引きを
返上して(一部)、上田から高崎そして長岡に新幹線リレーにしました。

この帰りの新幹線で思いついたことは
やっぱり、多くの人は望めなくても
ご夫婦、お友達同士で栃尾に足を運んでもらうにはどうしたらいいだろう?
栃尾にしかないないものは「栃尾の油揚げ」である。
もちろん宅配で全国にお届けできます。
でも、でも、でも、やっぱり豆撰で揚げたての大豆の香りの広がる美味しさを
是非、味わっていただきたい思いがふつふつとわき出てきました。















2017年8月29日火曜日

日本がいいと感じる、栃尾の良さを感じる。

茨城からわざわざ豆撰に来てくださったご夫婦をお友達と
杜々の森をご案内いたしました。
名水百選に選ばれた湧水で喉を潤し、
その脇から、急な階段を上り小さな祠に手を合わせる。
水源を守る為の女人禁制は300年以上も続いたと聞いている。
その聖地に手を合わせて、お賽銭を入れ
願ったことはふたつ……。

その後、比礼の棚田を見たり、映画「ゆめのかよいじ」のロケ地を廻る。
水害工事の為、まわり道を走る。細くて、曲がりくねってるいる。
坂道の上や下にはまだ青い稲が行儀よく並んでい、ちょっと大きな田んぼ。
いびつな田んぼ。
頬を撫でる風は少しだけ秋の気配。

アメリカの広大さからみたら、小さい風景だが
時が戻ったように心が柔らかくなる。

日も沈みあたりは薄暗くなる。
お客様とお友達を「おいらこの湯」にご案内し、至福の時を過ごしてもらう。
豆撰の駐車場は社長夫婦が、花火観覧席の一等席を用意してくれた。
花火の音は耳に響き、見上げる花火の合間に焼肉を食べる。
笑い声が賑やかだ。
喜んでもらえた。喜んでもらえることが嬉しくて、それが幸せである。
栃尾の油揚げを作ってもうすぐ30年になる。
たった一枚の油揚げの行方は
人生の道だと思う。一方的ならつまらない。
相手があって、相手がどう反応するのか、美味しいのか
美味しくないのか、一体どうだろうかといつも思う。
茨城のご夫婦、お友達の美味しいの一言が
嬉しくて、油揚げを作る。
栃尾の油揚げは仲間を連れてきてくれる。
油揚げに感謝する。




2017年8月25日金曜日

起床時間4時半をまわる

おかげさまで時差ボケが解消されたようです。
テレビの音で目が覚めました。
この音は一体何?
夫がテレビをつけたということは4時過ぎに違いない。
時計に目をやる。
なんと、なんと4時半を回っているではありませんか。
やったあ!ついに時差ボケはなおった!
起床は5時です。
夫は畑、私はキッチンへ義母もキッチンへ、愛猫マメもキッチンへ
なんで、なんで、こうしてキッチンに集まるのよ!
義母にはテレビを見させ、愛猫マメにえさを与え・・・
米をとぎ、何を作ろうかと、冷蔵庫をのぞき
なんと、でっこいユウゴ(夕顔)が一本。
キュウリにトマト、オクラ、冷蔵庫の奥にアメリカから帰ってから
見つけなかったキャベツが黙って居座っている。
ユウゴはくずかきに、キュウリとトマトはいつものようにサラダ、
キャベツは味噌汁に、メインがない
そこで栃尾の油揚げに溶き卵を入れ、水煮にして
醤油とみりんで甘煮にする。
ドタバタ劇は続きます。洗濯機を回し、マメのトイレ掃除。
そのうち、義母もマメも散ってくれた。
とほっとすると
「お母さん、部屋のテレビがつかない。ガーガーいうて」
義母の部屋に行きリモコンで操作する。
「ばあちゃん、ここはいじらないでね、この赤いスイッチだけですよ」
と教える。ああ・・・ついにここまで進んだか認知症。

畑から帰ってきた夫に
「あれ、私携帯どこにおいたかしら・・・」
「階段のてすりにあったぞ」
ふーんそうだった。
私62歳と10ケ月、義母92歳。こんなに年の差があるのだから
義母の認知はあたりまえ・・・。いやいや年相応です。
気を取り直し
朝食の支度を続ける
ようやく、テーブルについたのは6時45分。
昨日までは時差ボケで2時から活動だったから
余裕でお洗濯もお掃除もできたのに
今日はマラソンだった。
きっと、はじめたばかりの豆撰FBにのせていた
朝食写真は今日がマックスで明日からは1品は少なくなること確実。
やれやれ・・・
あらら、私の左親指にばんそうこうが貼ってある。

2017年8月19日土曜日

和食にはやっぱり栃尾の油揚げ?

アメリカ帰りの、おばさんは時差に悩まされておりす。
午前2時には目が覚めてしまうのです。
布団の中でじっーと我慢。
これりゃあ、だめだと缶ビールを開けてみる。
もったいないことに半分しか飲めない。
それでも、やっぱり眠れない・・・・・・。
仕方なく。足音を立てないように階段を下り
洗濯機を回したり、ブログを書いたり、真夜中なのにと
憂鬱になります。

だって、先日は病院の駐車場で、昼寝をして、目が覚めたら
ここはどこ?この壁はなあに?アメリカ?と子供のように寝ぼけてしまう始末。

時計の針はようやく、いつもの朝食準備時間になり
米を研ぎ、栃尾の油揚げとひじきの煮物を作る。
出汁は、昆布と鰹節。
豆撰の干し椎茸、人参、胡桃を加えて煮ます。

炊き上がったご飯に、この具を混ぜて「ひじきご飯」の完成。
茄子が山のようにあります。
これはふかして、薬味の生姜をすります。
味噌汁には当然栃尾の油揚げ、出汁と一緒に煮ます。
仕上げの青物はオクラにしました。
これまた結構なお・あ・じ。

最後に鮭の味噌漬けを焼いて出来上がり。
これでよしよしと自己満足のおばさん。

やっぱり日本人は和食ですよね。
たまにはパスタもピザもよいけれで
ご飯とみそ汁は欠かせません。
そして名脇役は豆撰の栃尾の油揚げでした。

豆撰からのお知らせです!!












2017年8月16日水曜日

母に代わって綴る日記 2017/8/16

久しぶりの母との接触
母の耳に補聴器がありました。
アメリカに滞在中、妹からの連絡で補聴器を買ったことは知っていました。
母の失語症の原因の一つに難聴があったことに妹は気付いたのです。
その効果は目に見えて大きなものではありませんが
それでも、多少なりの効果があるようです。
手足が痛くても我慢して動かさないとかたまってしまうよと
声をかけると、動く右手と右足を母なりに動かすのですから

妹から聞いていた、車椅子に乗せてもらえない日々が続き、
私の4週間不在中に、たった一回だったと。
私は低姿勢に、お忙しいところご迷惑をおかけしますが母を車椅子に乗せていただきたいのですと懇願する。
この日の看護師さんは私の願いを快く承知してくださりました。
約1時間車椅子に乗った母と私のリハビリ旅行でした。

少し脱線します。
アメリカの医療を垣間見て私が感じたことです。
突然の娘の入院でした。
大きな総合病院です。棟が幾つも並び、何回も病室からn
一旦出ると戻
るのに大変でした。
この病棟は個室のみ、コンピュターと連携したあらゆる検査機器が取り付けられています。付き添いのベット、トイレシャワーも付いています。
アメリカサイズですからベットも広く自由に操作できます。


母のベットは、起こすことしかできません。高さも変えられないのです。
看護師さんやお掃除の方、技師の方たちはカラフルな制服を身につけています。
ドクターだけは白衣をはおっていたようです。
血液検査は一日6回、心電図は血圧計は自動です。一時間おきくらいに
病室に誰かが確認にやってきます。
その時の声掛け、患者には、リラックスさせようと自分の事、経験したことなど楽しそうに、話してくれます。
しかも付き添いの私にもたべものをもってきましょうか?お水は?
ママですね。といろいろ気を遣ってのです。
アメリカの医療はビジネスの一つだと聞いています。
ビジネスは質を高め、医師と看護師、スタッフと患者間のコミニュケーションをとること
ではないだろうか。
説得する人とそれを聞き入れる人の気持ちが一つにならなければビジネスは成立しないの
ではと感じてきました。

日本もアメリカのように医療ミスの責任問題は大きく取り上げられています。
訴訟を起こされないようなシステムを事前に作っています。
ただ、大きく違うところは日本は機械的であり、コミニケーションが少ないということです。
母の車椅子事件もその一つだと思うのです。
車椅子に乗せる時間は5分です。その後は家族が見るのです。
5分を惜しんで、ビジネスは成立しないことに
気づいてほしと願う。




2017年8月15日火曜日

新しい家族にさようなら


アメリカで出産を決意した娘、生まれてきた小さな命を見つめていると
なぜか母を思い出しました。私が娘を産んだ時のこと。
母は一生懸命私と赤子の娘の面倒を見てくれました。

栃尾の春にはまだ遠い 昭和56年の3月。郷病院の窓から西谷川が見えます。
川には除雪で運ばれた雪でいっぱいです。
その向こうで仕事をしている夫の建物まで橋を渡らなくても
ポンポンと跳んでいけそうに川は残雪で埋め尽くされていたのです。
病院から実家に帰る。
父と母が迎えてくれる 、これが本当の私の家族ではないだろうかと思った。
ストーブに石油を入れ、朝食を部屋まで運んでくれる。
ご飯と味噌汁と卵焼きくらいだったと思う、おかずまでは思い出せないけど
とにかく、お腹が空いて 空いて、5分もかからずに食べたような気がする。
おっぱいを娘にやるので、喉が渇いて仕方なかった。嫌いな牛乳がなぜかその時だけは美味しかった。大きなサイズの紙パック一本では足りなかった。
母は夜中に部屋を覗き、私が爆睡して、オシメ(オムツ)を替えないので、わざわざ来て交換してくれたていました。
母はこの頃、ほとんど一人でお茶屋を切り盛りしていました。
お店にお客様がくれば飛んでいかなければなりません。
洗濯も途中でお客様のお相手です。
洗濯開始から終了まで半日はかかっていました
それから産婆さんが湯を使わせにやって来ます。

この産婆さんは私を取り上げてくれた人です。親子二代お世話になりました。

母にとって初孫の娘はとても可愛くて仕方ないようです。

忙しい日々の中少しでも時間を見つけては娘に笑いかけます。
そんな母を見て、父は自分に言い聞かせるように、この子はうちの子ではないから
可愛がっても仕方ないというのです。
36年前が走馬灯のよに私の心のまわりを廻るのです。

とうとう最後の時間がやって来ました。孫を婿殿に任せ、娘と夕方散歩に出かけました。
娘は怒涛のようにすぎた日々だったと言います。
それはそうでしょう、産後三日目にして退院し、その二日後には自分が生んだばかりの娘をおいて、入院する羽目になったのですから、家に帰してくださいと泣きじゃくる娘の気持ちを考えると胸が張り裂けそうでした。母として冷静さを装いながら
頭の中は真っ白になったり、真っ黒になったりでした。
この三日は私も病院に寝泊まりし、娘を私なりに励ましました。治療の甲斐があったのでしょうか、なんとか退院にこぎつけました。このアメリカ入院で、体験したアメリカ医療は流石だと感心させれました。今では母子ともに健康です。
そんなわけで、次から次へと新幹線に乗っているように日常は過ぎたのです。
平和な日々はこ二日くらいでしょうか
孫を抱きしめ、孫を寝かせ、孫に話しかけます。
今度いつ会えるかね、泣いてばかりいてはダメよ、新米ママが困るでしょ
と名前を何回も呼びながら話しかけました。
名前を呼ぶと泣いていても泣き止むのです。娘はお腹の中の赤ちゃんに名前で話しかけていたからでしょうか?
そして、ロサンゼルス空港に
私の気持ちは日本に向かっています。空港ロビーで搭乗まではかなりの時間がありましたが、孫が車の中で待っているからもう行きなさい。私は大丈夫だから
そりゃあそうでしょう、私はたった一人の娘とのお別れ時間が長ければ
溢れそうな涙を抑えられなくなるから……。







2017年8月9日水曜日

最後の晩餐

朝5時過ぎ
洗面台の蛇口から流れる水の音
少しだけ開いているカーテンの隙間から夜が明けたことを知る

朝食のクロワッサンを鞄に入れ
テーブルの上に置いてある、小物入れの陶器から
取り出す金属音は耳に響く
「おはようございます」と声をかけてやりたい
「ご苦労様」と
それは私の心の中の声

相手は靴の音、鍵の音
音をできるだけ消している
起こさないようにと
それが相手の心
寝たふりをしている方が親切
それと、日本語でこの気持ちを伝えるの難しい
心の翻訳辞書はない

七時過ぎまで 、隣室で眠っているふたりの為
眠くないのに、起きようとはしない

携帯を取り出し、夫や妹、友達からメールが入っていないか確認する
日本とアメリカでは16時間の時差がある
この時差がとても厄介
こっちが電話をかけたい時は日本は夜中
そしてこの時差が気になり、一日中携帯を離さない。
誰のメッセージを待っているのだろうか、朝から夜中まで一日中
携帯と仲良し
日本ではほとんど携帯を持ち歩かない
みんなあきれていたほどだ
まるで真逆の毎日
そっと簡易ベットをたたみ、シーツをたたみ、リビングの片隅に片付ける


コーヒーを沸かしながら
目玉焼きとサラダを作る
小さな鍋に、ミツワで買ってきた昆布と鰹節で出汁をとる
これはアメリカ生活でも、譲らない
人参、ジャガイモ、ネギなど冷蔵庫にある野菜をたっぷり入れる
仕上げにすり鉢ですっておいた味噌を入れて出来上がり

味見の一口 は受け継がれる母の香りは自己満足

暑くもなく冷たくもない、ぬるくなったコーヒーを飲み

iPadで今日のニュースを見る
もちろん日本版
台風情報、新潟それも中越地区上空を通過するらしい
心配していると妹と夫からも情報が入る
妹には豆撰のプランターをお店の中に入れて下さいと依頼。
夫からは嵐の前のしずけさだと
ピンクに近い赤い芙蓉の花が
想いと一緒にラインで届く

ベニスの朝は曇り、涼しい風がベランダから吹いてくる

朝食を終えると、洗濯物を大きなカゴに集めて
小銭入れの小さな缶と鍵を持って、一階のコインランドリーに
エレベーターを待つ間、エレベーターの大きなドアにむかって
独り言をいう
これが結構いいのだ。誰もいないところで、本音を声にだす。
喉がカラカラの時に
ゴクゴクと冷たい水をいっきに飲み干したようないい気持ちだ

4階に戻り、今度は掃除だ。充電式で10分しか充電時間はない
寝室とリビングを急いで掃除機をかける
その前に食洗機を回す
床磨きにトイレ掃除、お風呂掃除
また一階まで行って今度は乾燥機にかける番だ
すると、タオルにTシャツにテッシュが満べなく混じっている
愕然
一枚一枚、大きなゴミ箱の上でホウラク(叩いて落とすこと)
この作業に10分を要す
乾燥機に移しスイッチを入れる
2回お金がかかる
もったいない
水事情の悪いこのカリフォルニアでは致し方無い

今度はエレベーターの中で独り言
だれが悪いのか、決まっている確認しない自分のせいだ

全てやった
やれやれ、ひと息つく暇もなくお昼の準備
今日は豆撰の栃尾うどんだ
丁寧に出汁を取り、マグロのカンズメとキュウリをあしらう
ついでに納豆も

午後からは少し余裕時間あり

いつもなら散歩に出かけるのだが
どうも血圧が高く前日の夜中に中古心臓がバランスを崩したので
休養、休養
何か観ると問われ
アメリカ映画では英語字幕が付いていてもストーリーが分からなければ絶対に面白く無い事は百も承知
そこで「天使にラブソング」を観ることにする
大好きな映画のベスト10入り作品だ
いい映画は泣かせる
いいなあ映画って

さてここから今日のポイントです
娘婿殿のご両親は私よりも一足早くイタリアに明日帰国するのです。
ということで今夜は最後の晩餐
愛想をつけて、ママにコーヒーを入れる
間違った
中に入れる小さなメッシュに入れずに沸かしてしまう
途中気がつきやり直し
私は誰にもこの失敗を言わない
素知らぬふりをして
ごうぎ(たくさん)時間のかかるコーヒーとなった

孫の入浴をみんなで見学
頭の上からイタリア語がドンーンとブルトーザーで運び込まれ
私はその中に埋まって身動きできないよ

やれやれ
晩餐メニューは、出前のピザ
ボーノ
でもイタリアの方がもっとボーノというイタリア家族

私の最後の晩餐は寿司に決めた

句読点はなるべく書きたく無い心境でした。









2017年8月6日日曜日

生活と観光の違い

どうなるかと思ったアメリカ滞在
一日は全世界中24時間にきまっているのに
あれよあれよと襲いかかる災難のせいか
3週間があっという間に過ぎ、
まるで、タイムマシンに乗ってしまったような気分です。
タイムマシンに乗ったことは実は、まだないのですが、
たぶんこんな感じと想像しています。
さて、観光と違うので、毎日は普通の生活なのです。
箸の替わりにフォークとナイフ。最初は仕方なしに使っていましたが
もうやめました。私は箸だけ。
椅子の生活もとても難儀です。
畳と正座の生活スタイルが身についているのです。
持病の腰痛が再発です。
食事の後は正座する事に決めました。
風呂と言ったら、半身浴専門バスって言うのでしょうか、
お湯をためて体を温め心を癒す風習がないのです。
日本のお風呂って最高の癒し空間ですね。
幼い頃、薪風呂から石炭風呂に改築した時を思い出しています。
大きな松の木の下に風呂桶を運んで入りました。
あたりは真っ暗です。月明かりとろうそくの灯りで入るお風呂
父の膝に腰を下ろし、抱かれて湯に浸かる。
桶から私を庭の石に下ろす時、腕を持ち上げてくれる。
私は、お月様や星に近づくのです。良い気分でした。
それから洗濯と食器洗い、こちらはとにかく目一杯ためておくのです。
我が家は食器洗いは日に三度。洗濯も三度。
この異常な習慣の違い!カリフォルニアは水不足の為節水だそうです。
水の美味しい日本、水が豊富な栃尾、この自然の恵みに感謝!
でも、台風はどうなったのか?ちょっと心配です。
生活習慣の違いは、観光では知り得ない事です。
又、道路や塀、部屋の器具取り付けなど、結構雑です。
そりゃあそうでしょ!私の頭は前を歩く人のお尻の高さです。
背の低い私は細々と見渡す。大きな人とまるで視線が違うのだから……。

2017年8月5日土曜日

古都とET でみつけたもの

初めて観る上戸彩主演の映画「古都」
なぜかアメリカで観る。
昨日、生まれて初めての英語字幕で観た映画との違い。
映画通の方はとっくに、理解し解釈、説明もつくのだろうが、
まあ、当たり前でしょって言わないで、読んで下さい。
昨日観たETは少年もその家族も友達も、言葉は少ないのに
表情豊かに演じていました。顔の表情は観る人をぐいぐいと
引きつけます。
宇宙からの訪問者ETにも悲しさ、喜び、などを瞬きと指の先で
表現されています。耳慣れない英語会話も
画像だけで物語を理解し感動させてくれる映画って凄い。
なんて日本人は表情がないのだろうか、かく言う私も
この地に来てからは能面だ。怒る時も、笑う時も、感情を抑えている自分がわかるのです。典型的な日本人気質だと、自分で自分にがっかり。
ところが、
日本映画の古都を観ると
なんでまた、アメリカにきてまで日本映画を観るのかと思われるかもしれませんが
それは、私が持っている不思議な力がそうさせるのです。
京都の風景、着物、和の世界にとても心が落ち着くのです。
そして、上戸彩のふたりひと役の演技は、表情が柔らかい。
カメラ目線が生きているのは、遠くから写す人や景色。ガラス戸越しに
シルエットが映り、表情が見えないのに
語りが私を引き込んでいくのです。
アメリカ映画ETも古都も根底にあるテーマは同じです。
Go homeなのに、撮影の仕方や演じる人、国籍によって表現方法が随分違うのです。
どちらも、良い。
どちらにもその国の良さが十分味会える。
もし、古都を観なければ、アメリカに押されて、日本の良いところを否定してしまったかもしれない……。
62歳と8ヶ月のおばさんで、アメリカに何しに来たのかわからず
ただ、悶々としていたけど、孫の顔も見ることができ、娘の生活を垣間見、
ふたりと血が繋がっている事に安堵できた。
ただ、住む世界と考えは違うのです。
日本は私のhomeです。
あの子らのgohomeはこれからだと思った。


2017年8月4日金曜日

アメリカにて2度目の観賞映画の想い出

時は遡り、昭和56年の出来事です。
はじめての出産……これが最初で最後でした。
娘は小さく生まれたましたが
よく飲みよく眠る、それはそれは母親の私にとって素晴らく
育て易い赤ちゃんでした。
産後5週間の休暇はあっという間に過ぎ去り、
私は育児を片手間に、完全仕事復帰したのです。それでも育児と仕事の両立は
疲労の蓄積は相当だったはずですが
全く覚えていません。
つまりそれほど忙しかったということだと思います。

そんな最中に娘を実家の母に預けて私は夫とふたりで
数時間のたった一度の映画旅行を楽しんだのです。
それは「E、T」でした。
あらすじは大まかな記憶の底にあります。
自転車にのって、翔るシーン。
少年の指とE、Tのタッチの名場面。
ところが、生後6ヶ月くらいだったかしら
あの子を置き去りにしてしまった私の心は
懺悔の気持ちでいっぱいでした。
感動もそこそこに実家に戻り、ごめんね、ごめんねと
おっぱいをやっていました。
さて、新米婆婆ちゃんの仕事も板につき、洗濯、掃除、オムツ交換は
要領も良くなり、
娘の文句も下火になり私にも少しの余裕が生まれたのです。
孫はスヤスヤと寝ています。
この調子だと2時間は大丈夫そう。
ソファの上にはかごに入った孫。
時々、足をさわったりして、婆婆ちゃんはここにいるから安心してコール。
そして、36年ぶりのE、T観賞です。
ええ、そうです吹き替えはありません。
英語の会話はとても聞き取れません。
10倍位ゆっくりと話してもらわなければ無理無理。
ただし、英語の字幕付きなのです。
簡単な単語は聞き取れなくても読めます。
一度見ている映画ですからなおのこと、想像と勝手な翻訳?解釈で
映画を追うのです。
記憶が蘇ります。
この映画に涙が溢れます。36年前には流さなかった涙です。
Go home この言葉に……。

2017年8月2日水曜日

赤子のぬくもり

孫が誕生してから、何日過ぎたのでしょうか
2週間目でしょうか
全く曜日の感覚が、見事なほど私の頭から抜け落ちています。
アメリカの病院は生後3日で退院です。
その後にもいろいろなことが起きて
私の心臓までも狂ってしまいしたが
ようやく、落ち着き……。

今日は娘の診察日です。
娘婿殿は今日から仕事、時間帯は、朝6時から午後2時までのシフトだそうです。
そこで、私は生まれてからはじめて
孫とふたりだけの空間を共有するのことになりました。
お腹はいっぱいのはずです。
オムツも替えました。
後は寝せるだけです。
騒音が凄い、窓は
空気の流れがあればいい程度にちょっとだけ開けて、
ソファに寝せておく小さなかごの向きを変え、顔に光があたらないように
する。そして、抱っこする。
私の胸に抱かれた赤子の体温が私の心の中に忍び寄ってくる。
一体このぬくもりは何?
母もこの不思議なぬくもりを感じながら私を育み、孫である娘を抱いたであろうか

あなたが10歳になると
私は73歳よ
日本に来ることがあるかしら
と話しかける、

上を向いて歩こう
涙がこぼれないよに
幸せは空の上に……先日から口ずさんでいた歌詞を
ハミングする

ほんのひと時の幸せは流れ星にように消えてしまった。
でも、ぬくもりは心にいつまでも、いつまでも永遠に。





1時間ぐらいすると

2017年8月1日火曜日

気を遣って、そろそろ腰もいたくなり。

朝ミツワに行く。
大きな通りを歩く。新聞や雑誌が散らかっているが、
横道は住宅街のせいか整然として綺麗だ。
犬を連れ散歩する人が目立つ。
娘のアパートは階ごとにゴミ箱が付いている。曜日指定も時間指定もない。
分別は2種類、リサイクルできるかできないかそれだけ。
住宅街にはその家の前に大きなゴミ箱が置いてある。
多分一件ごとにあるのだと勝手に思う。
そのゴミ箱のそばに粗大ゴミ例えば、長いソファーやマットレスだ。
もしかしたら、これも持って行ってくれのだろうか?
落ち葉をエア掃除機で履いている人もいる。
日本人の感覚、というより栃尾人だと公共の道でも、雁木でも
自分の家の前の掃除は当たり前。
この感覚の違いは雇用を考えたら、ヨーロッパもアメリカも同じだ。
もったいない精神で育てられた私には、ちょっと考えられないことが多い。
さて、買い物も完了。
時計の針はまだ11時だ。
いつもといってもこれで3度目なのだが、Wi-Fiのつながるカフェに行くことにした。
カフェにつくまで、数回声を出して練習する。
レギュラーコーヒープリーズ。
RとLの発音の仕方。人がいない時に声にしてみる。
やったね。
通じた。成果だったのか相手が察してくれたのかは定かでない。

今日は娘婿殿最後の休暇日。
気を利かせて、ここで時を過ごす私のお尻もいたくなり。


2017年7月28日金曜日

しくじり

なんとか娘の家に戻りました。
娘婿殿がネットで取り寄せたマットで
本当に本当にぐっすりと眠ることができたのは
アメリカに来て八日目です。
娘婿殿は思いのほか子煩悩で、妻である娘に対する思いやりからでしょうか
赤ちゃんのオムツ交換やらお風呂入れ(日本のお湯を使わせるとはまるで違います)
つまりここでも、私の出番はありません。楽チンといえば楽チン。
人生初の休暇だと思ってと娘に諭される。
お掃除も洗濯も何もかもしていただき、私は私のパンツを洗うのみ。
こうなると、働き者のサザエおばさんは何をする人ぞ!
午前10時前に娘から書いてもらった地図を手に
オーガニックスーパーへ行ってみることにした。
先日行ったカフェをまっすぐまっすぐ歩くと言われ、
目印は黄色の花とネコジャラシの雑草、多肉の店など。
頭にインプットしている。まっすぐだから大丈夫。
オーガニックのお店を見つけました。
中を一回り、すご種類と数、野菜、肉、全ての食材が揃っています。
中央にはサラダや惣菜、パンなど自由に選べるようです。バイキングみたいに。
エビサラダが食べたかったけど、朝食を食べたばかりです。
ここは遠慮、トイレを探す。ありました。やったあ、
アメリカ一人歩きで私にとって一番重要なことは
食とトイレですから。
トイレを借りたいなら、買い物をしなければと娘の指導がありました。
でも、この先にあるお店に寄りたかったので、ここは御免なさいと
素知らぬ顔で店を出る。おばさんの技。こんな技を使うなんて
本当におばさんになってしもうたよ。
2年前に来ているお店ですから、それぞれの雰囲気品物もわかり、
こちらもウィンドショッピング。
さあ、もう帰ろう。
時計はまだ11時時。早すぎ、娘のアパートの屋上で読書することに。
心地よい風が吹き屋上は開放感全開のはずが
風がわたしの体と心を冷やしてしまいました。
これじゃあ、だめだ。
オーガニックスーパーに戻って、やっぱりあのエビサラダを食べてみようと
早足で歩くこと30分以上。
ないないない、目印の黄色い花、ネコジャラシ、あったよね。
あったはず。
ここは広いストリート。どこもかしこも同じ風景です。
間違った。お腹は空く。でもこの間違った道は行ってはいけませんと念を押された道のようです。嫌なとても鼻につく匂いとホームレスの人たちが多い。
美味しそうなカフェやレストランもありましたが
娘の忠告が頭をよぎり、汗 だくになり、家にたどり着く。

まだ昼食を食べていなかったイタリアのご両親と娘夫婦と一緒にパスタを
いただき、お腹は満たされました。
4時間も心細く一人で歩いて来たせいか、ドドっとつかれて、ソファで眠り込んでしまいました。
すると、私は私の寝言で一度目を覚まし、多分恐怖の夢だったような気がします。
それにもめげず、また眠りにつく。
完全に目がさめると、イタリアのご両親は帰って、リビングには私ひとり。
やれやれ
「あなたは誰かの大切な人」をリュックに詰め
先日と同じカフェに。
なぜなら、もうWi-Fiは設定してあるから大丈夫。手間が省ける。
娘にレギュラーコーヒーくらい読めるでしょと言われていましたが
ここは英語力を試してみようと
いやあ、つうじないですよ。
出て来たのは、紙コップに入った
濃いコーヒーと紙に入ったチョコレートパン。
なんでこうなるの!
私は誰の大切な人かな❓自信喪失❗️

2017年7月24日月曜日

カナリヤを逃したのは母でした

今、娘の家にはイタリアのママと私。
そして孫のYの3人です。
携帯の中に入っている写真をお互いが見せ合い、日本語とイタリア語と英語のちゃんぽん。こりゃあ漫才にもならない。
時々孫を見つめて、ふたりのばばちゃんは愛想笑いをする。
コーヒーを入れ、二人で飲む。
孫は私たちの空気がまだ読めず、スヤスヤと眠り続け、
もう2時間はとうにすぎている。
外は騒音のパレードだ。まるでアメリカ映画のようだ。
バイクにパトカー……。
そうだ、ここはアメリカだから、当たり前のこと。
話も途中で下車。
前もって私は本が好きです。そして携帯で友達とメール交換をします。どうか気になさらないで下さい。と言っておいた。
することが見当たらないので、昨日の続きを書くことにします。
原田マハさんの「永遠をさがしに」の序盤に重要な登場人物いや、正確には鳥が出て来ます。カナリヤの歌そのもの。
娘の和音と母の名前を一文字づついただいた名前、母の時依のと、娘の和音のわです。
トワ ……。そしてその意味はフランス語であなた、日本語では永遠と母が和音に教える。
ここにこの物語の鍵をかくして、読ませて行く原田マハの戦術が好きな私。
映画もそうだけど、最初の場面が人を惹きつけるかどうかで
その物語のうまさが感じられると、のめりこんでしまいます。

ここで脱線
今私は籠の中のカナリアと同じだ。ここが最高の空間であるはずなのに、言葉がわからずに泣けないよ。
とカナリヤと私は一体化してしまいました。
でもこの序盤には涙なし。
羨ましいほどの家庭環境、家族構成は読み始めてすぐにあららとなる。
鳴かないカナリヤがいなくなり、鳴かないカナリヤは必要ないと
逃してしまった犯人は?有名な指揮者の父かなと謎を残し、両親の早々とした離婚。
これでは、私の両親の方が貧乏で、喧嘩の絶えない夫婦であっても、
両親の愛は妹と私に100%注がれて育ったことを思い出す。
今頃、その母は病院のベットでリハビリ最中だ。日本は36度を超えているとか、大丈夫かなと心配になる。
私は自分の思い通りにならなとアメリカに来た早々ストレスのタネを蒔いてしまった。
病院にいる母や一生懸命頑張っている豆撰のみんなのことを思ったらバチが当たりそうだ。
メールの音。
娘から、病院からもうじき帰ります。Yはどう?とメッセージを読む。
彼女はオムツを替えても知らんぷりで眠っていると返信。

続きは ……。続きます。





2017年7月23日日曜日

永遠をさがしに

お友達が羽田まで持って来てくれた本は
私の大好きな作家原田マハさんの本でした。
読んだ本は外し、数冊をリュックに詰め込んで来たのです。

アメリカ生活五日目となると
日本流とアメリカ流の差がストレスになり
たまっていたものがいっきに吹き出してしまいました。
私の悪い癖は黙り戦法です。ストレスとは思い通りにことが進まないから起こる現象です。
そのためか、夜中には激しい嘔吐に苦しく、切なく、
涙が溢れてしまいました。
私の唯一の空間場所を見つけました。それはバスルームです。
狭い空間は幼児が好むように、私の心を落ち着かせてくれるのです。
そして、もうひとりの私に語ります。

涙をいっぱい流したら落ち着きますよ。我慢しないで泣きなさい。
この効果は大きかった。
その結果、私は私流を一切言わないこと。
少しのことを気に留めない。
なるべく、自由を楽しむ。l
この三点を心の箱に詰めこみ

そして、今日午後からの行動に移るわけです。
彼らは赤ちゃんを連れて、イタリアのパパママと一緒に小児科に検診に行きました。

私のストレス理由の一つは言葉がわからないことでした。
4対1のイタリア語会話には辛いものがあります。
だから病院には行きませんでした。
そのかわりに
カフェに行くことにしたのです。
永遠をさがしにをもって。
この本に限られたことではありませんが、数少ない読書の中で
いっきに読み続けられる本とは
内容が、登場人物が私になったり、わたしの家族になったり、友達になったりすることです。置き換え術のようなものです。
この、置き換え術がすんなりできるともう止まらなくなり
いっきに読むのです。
有名な指揮者の子供として生まれた 和音と友達ふたり、ニセ母の
四人の物語です。
そこに大きくドカンと落とす実母の愛は大きすぎて大きすぎて
カフェでは涙が止まらず、ナプキンで涙をぬぐい、鼻をかみ、
3時間もこの繰り返しをしていたわけです。

さて、このカフェに来る前に夫と電話で話しました。
お前は大人なんだから
好きなブログを書いたらいいじゃないか
この会話が、永遠をさがしにのニセ母が和音に言うセリフにあったのです。
もうたまりません、洪水のように溢れた涙を止めることはできませんでした。

我が夫です。私の泣き虫治療方法を処方してくれました。
気分転換を終えて、娘夫婦の家に戻ろうと、来た道の反対側を歩く、
これがまた大きな間違いでした。
アメリカの道路は広くて長く続き、その反対 を渡るには相当の距離を歩かなければならない羽目になったのです。

この続き永遠をさがしにの感想とアメリカ紀行は続きます。




2017年7月20日木曜日

この広い世界の片隅で

アメリカに来て四日目の朝を迎えようとしています。
日本とアメリカの時差に少し悩まされ、深い眠りにつくことができません。
若い夫婦は自分たちに授かった赤ちゃんを見守り、抱いて病院で過ごしています。
私は娘のベットで、眠れない夜を過ごしています。
さみしくなり、本を読んだり、キッチンをかたずけたり、映画を見たりしていました。
すると、ラインの音。誰だろうかと思いました。夫か妹かお友達だろうかと
誰であるかを想像しながらラインをみました。
すると、ほんのひと時忘れてた……。
母の面倒をお願いしていた妹のお友達からでした。
遠い国にきて、孫の誕生を喜んでいた私ですが、日本にいるような気持ちになり、
我に戻り、深い悲しみを感じてしまいました。
母の飲み込み練習が上手くいかないらしい。私がいないとダメなのかと
遠い国にいる自分の行動、幸せが、これでいいのかと、もうひとりの自分が叫んでいます。
夜が明けはじめ、ブラインドの隙間から明かりが入る。
どこの国にいようと、どちらが世界の片隅なのかわからないが
世界は遠くもなく、繋がっていて、心は特に繋がっていることをしみじみと感じています。
母も娘も孫もどの世界にいようと
大切な私の肉親です。
日本であろうがアメリカであろうが、どこに住もうが想いは同じことに気づきました。
心の世界は近いものです。

アメリカ滞在3日目にして恋しくなったものは

渋滞にならないうちに、私は娘の家に戻りました。
若い夫婦は、赤ちゃんが可愛くて仕方がないようです。
新入生ばばちゃんは遠慮気味。
たった3日目なのに、ご飯が恋しくなった。
主食のパンにちょっぴり飽きて、棚の中をゴソゴソしてみると、
やはりありました。
極上有機栽培米。もちろん電気釜はありません。お鍋で炊くことに。
炊き方はネットで。
何でもかんでもネットで調べりゃあ、お茶の子さいさいです。
 かくして、30分米を浸水、おかずは焼肉に決める。
冷蔵庫には豆腐もあり、だがたった一人の夕飯。
喜んでくれる人は0人。や、め、た。
調味料は全て英語。私がわかるものは、塩と胡椒の二つだけ。
焼肉はこれのみで味付け。
ご飯は結構いい調子で炊けた。そこで、卵かけご飯に決定
こちらも塩のみ。
テレビをつければ英語。YouTubeで「大奥」を見ながら
ひとりごはん。は味気ないものだ。
少々胸が痛む。こんな呑気に過ごしていて申し訳ない。
豆撰のみなさんごめんなさい。
今日の収穫は二人のアメリカ人と会話?
今回は私から仕方なく声をかける。
ただ単語を並べ、iPadを出しWi-Fiの繋げ方を聞く。
あらまあ、やればできるもんだ。意味が通じるではないか。
成せば成るってこと。
次は、眠くなった私は病院の中庭みたいなところでちょっとお昼寝。
するとお弁当持参の中年女性、蓋が開かず四苦八苦。
私に説明し隣に移動。てな調子でした。
赤ちゃんは娘婿殿にそつくり!
そういえば、娘も父親のコピーだった。

アメリカ流によると、泣いている赤ちゃんはうつ伏せにして背中を叩く。
赤ちゃんにシャツや服は着せない。ネル地の真四角布に腕を中にして
しっかりと包むだけ。
オムツはしています。
母親のおっぱい消毒は無し。こりゃあ簡単でいい。大賛成。
夜9時、15分前。日が沈みいつの間にか辺りは暗い。
ひとりごはんはつまらない。
明日から新家族と私を入れて4人になる。
どうなることか?

2017年7月19日水曜日

日本とアメリカの違い

大きな病院です。
中庭は公園風です。カリフォルニアの広さと日本の広さは同じくらいらしいから
当然のことかもしれません。
お産専門に病棟がある。
ナースステーションはそれほど広くなく、スタッフも数人のみ待機。
ですが、
病室はひとり、一部屋。夫のためのベットになる椅子も用意されている。
全てが整っているような広い病室。
トイレもかなり広い。
全てが使い捨てにできている。感染しないためと思う。
そして次から次へと立ち代わり5人くらいの人が出入りする。医師、麻酔技師 
看護師、助産婦らしい方も
データ管理はもちろんのこと。だから、コンピュータ関係の人も待機している。
何から何まで整い  、スタッフに余裕が見られる。
日本の医療は、ナースステーションにひしめき合った医師と看護師が目につく。
母親の胸に抱かられ た赤ちゃんは
安心しきった顔で、母乳を飲む。
今は日本もそうらしい。
親子のスキンシップの大切さがここからはじまる。
家族は好きな時間を自由に赤ちゃんと過ごすことができる。
治療しますから病室から、でてくださいとは言われない。

親子の無事な姿を見、安心して、出来立てホヤホヤのばばちゃんは娘のマンションに
送ってもらう。
さて、昼食を作って食べましょう。
当然の事だが、家事に必要なもの全て英語です。
どうやら、私は人生初のひとり暮らしを異国で体験することになったようです。


海を渡る前と渡ってから

ひとりでロサンゼルスに向かうことになった。
お友達数人から「大丈夫ですか」とメールをいただく。
見送りしましょうかと声をかけていただけたことはとても
嬉しかった。62歳のおばさんにとってひとりはとても心細いものだ。
Sさんにお願いした。
東京駅は混雑。改札口で彼を見つけると、張りつめていたものがゆるゆると
溶けていく。
ネットでチェックインを娘に依頼していたのは非常に便利だった。
パスポートを見せるだけで、チケットをもらい荷物を預けるだけ。
ひとりでは何もできないと言うより、ひとりでしようとしない
依存症である。

羽田空港で彼と夕食を共にして、お土産を買い、コーヒーを飲み、
彼に感謝して、私は颯爽?に搭乗。ゲート110番で待つ。
ここで、まさかの失敗をするのだが、気がついたのは
ロサンゼルス空港に降りる直前。
この失敗は後で書くことに。
夫のキャンセルで私の隣は空席かもと期待していたら、
アメリカの女性が座る。
「トイレに行くときは声をかけてください」流暢な日本語である。
お互いの目的を聞き合う。
 安心のふた文字である。
 私は運の強い人間だ。
弱々しく見えるのか?行く先々で出会う人は皆優しい。
飛行機の中で、先日Mさんが面白かったと絶賛されていた映画
「美女と野獣」を観る。感想は長いアメリカ生活のうちに書くことに。
いよいよアメリカ大陸の上空に、
広い、ゴルフ場は平地にいくつも点在する。
周りは真っ白で、青い区画整理された?海に囲まれている。
 2年前は夜だったのかこの景色は記憶になかった。
アメリカ女性からエスタ場所に案内してもらい
日本に戻ったら、是非「豆撰」に来てくださいと感謝の気持ちを伝える。
彼女の仕事は日本だからである。
彼女と別れると次に登場してくださった女性は日本人。
「日本人ですよね」と声をかけられ、「心強いです、ご一緒にエスタの手続きを
していただけませんか」とこの何も知らないおばさんを頼りにする。
まさか……
私は何もわかりません、私の方こそよろしくお願いします。
案の定 、機械の前に立つと、彼女はさっさと手続きを済ませ、私に教えてくれる。
私は優しい人にめぐり合うことのできる運の強い人間である。また助けてもらう。
手荷物を待つ間に、お互いの目的を話し、別れる。
さて、私の目的は
娘の出産である。今病院で私の孫が誕生するその瞬間を、この待合室で待っています。
産まれたようです。

2017年7月9日日曜日

母に代わって綴る日記 2017/7/9

ようやく母の飲み込み訓練ステップ2に入ることができました。
持参したメロンや桃の果汁にトロミをつけてもらい、
40CCのゼリー状のものを作ってもらいます。
約15分かけてそれを飲み込みます。
まずまず順調です。
次に病院から支給されたぶどうのゼリーに挑戦です。
母の口は動かず、口に含んだままです。
市販の食べ物に慣れていない母の拒否反応です。
仕方がありません。無理強いをしても、頑固一徹の母。
特に最近の母の嗜好は美味しいものとそうでないもの
本物と偽物の区分けがはっきりしていました。
脳梗塞に倒れても味覚は変わらないようです。

妹と仕事のあんばいをみて、メロンの搾りたてを持って母のところへ
母にメロンジュース飲みますか?
頷く
口元にメロンジュースを持って行くと
いつもは促さないと口を開けない母がツバメのヒナのように
口を開けます。
嫌な顔もせずに、美味しそうに数回飲み込みました。
妹の声には反応が早く
妹の名前はしっかりということができます。
私の名前は、ここ数日考え込んでいるようです。
半ば強制的に「れいこ」でしょと強く言う。
かすかに唇が動きます。
妹は一緒に暮らしていた年数が違うでしょと言う。
そうかもしれない、そうでしょう。
それでも、ちょっとさみしい。

2017年7月3日月曜日

天使のような明るくって思いやりの介護士さん


いつものように病院へ
今日はスイカを持参しました。
詰所に直行、飲み込みの先生から絞ってもらうためです。
病室に行くと、母の病室の松江さんの入浴準備中でした。
着替えをカーテンの中でやっています。
私は母の耳もとで大きな声で言います。
「今日はスイカを持ってきたよ。スイカ好き?」
すると松江さんの着替えをしている大きな魚屋さんのようなゴムのエプロンを
つけた介護士さんが母のかわりに
「いいな、ツギさんはスイカ食べられるんだ。夏だね。私もたべたいな」
元気で明るくって、若くて可愛い娘さんです。
その後、母が私の持ってきた扇子で自分を仰ぐ姿を見つけ
「すごいね、別人みたい、ツギさん扇子開けたね」と。
一人の介助をしながら、他の人への気配りもすごい。
病室を出る前に母のそばにやってきて
「ごめんね、もっと声掛けしてやりたいんだけど……」と母のおでこにタッチ。
私はこの娘さんの仕事への熱意と優しさに感動し
「ありがとうございます」と私の気持ちを伝える。

2017年7月2日日曜日

りんごの唄と父の命日



月も変わり7月、なんて早く月日は過ぎてしまうのだろう
そして、今日は父の命日です。
丁度10年が過ぎました。
父はとても優しい人でしたが怒りん坊で、わがままな人でした。
教員になりたかったと生前何度か聞いたことがあります。
でも、祖父に(父の父)に反対されたそうです。
その当時は、結構田畑があり、百姓の子はその田畑を守らなければならなかったようです。
その後祖父は病に倒れました。昔の我が家にトイレがふたつあったのは
病に倒れた祖父のためだったことがわかります。
そして、私の生まれる年に他界。50歳だったそうです。
祖父の死によって、父は家長となり、一家を支え、
自らも波乱万丈の道を選び突き進むことになっていきました。

そのうちの一つに
私の結婚も入っていたかもしれません。
ふたり姉妹の姉の宿命だったはずの私は
大橋から多田に。
先日、妹から私の知らなかった秘話を聞きました。
私の結婚式に歌った父が選んだ曲は「りんごの唄」で
歌詞を変えて歌ったのだそうです。その時、私はその場にいませんでした。
お色直しをしていたようです。

赤いりんごに唇寄せて
黙って見ていた可愛い子
りんごは………
可愛や礼子………と歌ったそうです。

今その時の父を想像すると、涙が溢れてしまいます。

そして10年の歳月の間に
私の一人娘は私のたどった道を同じように歩いているのです。
父が生きていたら、
俺の気持ちがわかっただろうと笑いながら話したかもしれません。

夫は仏壇に飾る百合の花を取りに畑に行きました。

2017年6月30日金曜日

母に代わって、綴る日記 2017/6/29

お中元シーズンに突入
電話の応対
荷物作りと慌ただしい
ひとまず、けりがついたところで病院に急ぐ
あんまり急いで
携帯も顔拭き用の水筒も忘れてしまった。
おまけにいつも昼食をいただく喫茶店はお休み。

とりあえず病室に向かう。
いつもと変わらない母……。
まず覚醒。
「れいこですよ、あなたのむすめ」から始まる。
足と手を動かす練習をする。
それは家に戻るためであることを意識させる。
うなずき頑張る母。
次にベットを起こし、その隣に座り、首を起こさせる。
これは調子いい。
お友達のSさんはとてもいい方です。
看護師さんなので、いろいろお聞きしました。
Sさんから習ったことを実行したのです。
ありがとうございました。
それから七夕の歌を歌いました。
目を閉じて聴く母。思い出したかな?

私はちょっと厄介なおばさんです。  
朝食にメロンを切ったら、甘くてとても美味しかった。
そのメロンを病室に持って行きました。
丁度タイミングよく、師長さんが病室まわり。
私は勇気を持って、メロンを持参したこと、その果汁で
飲み込みの練習をしてもらいたいと懇願。
快く許可がおりました。
飲み込みリハビリの先生は皮のついたメロンを母の手のひらに入れて
その感触を感じさせています。
鼻に持って行き、においを感じさせ、
いよいよ、メロンの果汁を口に運ぶ。
初めてです。母の口が自分の意思で開いたのです。
先生も私も目と目を合わせ大喜び。
それからまた慌ただしく仕事へ
その前に、ナースステーションに立ち寄り
ありがとうございましたとお礼を
担当医師もおいでになっていて、みんなが大喜びでした。


2017年6月27日火曜日

母に代わって、綴る日記 2017/6/27






12時に病院へ、母を見舞う。
母が脳梗塞で倒れる以前のことを
看護師さんに話す。
3月には千葉まで行きました。温泉旅行もしました。
するとその看護師さん
「そうですね、寝ていたら天井しか みえませんよね。
車椅子に乗りますか?」
私は二つ返事で
「はい。お願いします」
それから、師長さんも応援に駆けつけてくださり、
車椅子に乗せてもらいました。
ナースステーションを通ると
たくさんの看護師さんからエールがはいります。
「ツギさん、別人みたい」と・・・・・・。
つまり、ベットに横たわる母とちがって、しっかりとして
みえたようです。
車椅子に乗ると、前向きから横向き後ろ向きと自由自在に
見える角度を変更でき、
刺激をいっぱい受けることが出来るのです。
エレベーター脇の大きな油絵は雪どけの春です。
手前に桜の木が描かれています。
その桜のピンク色をみつけることも出来ました。

病室に戻っても、しばらくは車椅子に乗っていました。
自宅で初もぎのキュウリを母の目の前に出すと
手を伸ばし、「き・ゅ・う・り」と小さな声ですがはっきりと
発音しました。
それからキュウリを右手でつかみ口へ運ぶ母。
私は半分に割って、手渡す。
何やら、その半分を親指と人差し指で割ろうするしぐさ、
あきらめて、そのまま口へ運ぶ。
もちろん、かじることはできません。

その後、ベットへ戻る。
利き手の右手で一生懸命、紐を引っ張る。
明日は引っ張ってもよい紐を持って行こうと思いました。
そして、左手をベットの柵に置いてやる。
5分くらい、写真の状態が続きました。これって、筋力つくかな・・・・・・。

最後は飲みこみ指導です。
6回くらい、リンゴジュースを口に入れてもらいました。
ごっくんと飲みこんだのは3回。

ゆっくり、ゆっくり、じれんと、じれんと・・・・・・。
今日は静かに母を見守ることができたようです。
娘もちょっと成長したかな?




2017年6月26日月曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/26


                母の手習い、母はお習字とお花が趣味でした!



昨日はお店が忙しくて

母の御見舞はできませんでした。
今日は少し余裕です。
病院到着は11時半。母は目を開けている。
テレビの画像を追っていました。
数回、声をかけようやく私の存在に気ずく。

看護師さんに今日は思い切って、勇気を出して
テーブルがほしいことを聞いてみました。
母のベットを起こして、積み木とか果物を手で触らせてみたかったのです。
でも、やんわりと、断られました。

飲み込みの練習をすることが目的で体のリハビリはしないと言われてしまいました。
これでいいのでしょうか?
だから、同室の患者さんは意思表示、
飲みこみは出来るのに・・・。
手足は固まっているのです。
胸のところで両手はグー状態で動かすことが出来ないのです。

「ばあちゃんがんばらんばんよ」と両手、両足を5回ずつ
私は手を添えて動かします。
「イッテエ」と随分はっきりと意志表示する母。
「ばあちゃん今日はお風呂、入ったでしょ」と入ったことはわかっているのですが
わざと、母に聞く。
母の答えは
「はいらん」
そりゃあ、仕方ありません2時間前の事です。
認知症なのですから・・・・・・。

食べたいという気持ちも出ているようです。
焦らず焦らず、ゆっくりとゆっくりと
ゆっくりが苦手なのは母ではなく私のようだ。

眠っているのに、母の左足が動いた。
無意識の中で動かしているのだろうか?




2017年6月24日土曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/24


七時半出勤
妹は豆撰のお店のお掃除をしています。
姉妹で母の様子報告をします。

机の上にたまったいる書類に目を通し
パソコンとにらめっこ
11時半、ようやく仕事に区切りがつき
「行ってきます」と母の病院見舞に・・・・・・。

12時半に病院へ
母は片目をあけ、テレビの方をみています。
声をかけても、反応なし。
ベットを80度くらいまでおこし、外の景色と
病室内の様子の解説をする私。
「前のベットはAさん、Bさん、お隣さんはCさんです。
ツギさんを入れて4人の病室ですよ!」
この会話を3回繰り返す。
外の景色は目に入ったらしく、
「外が見えますか?」の質問に頷く。
磁石になっている、くるみを二個持って行きました。
母の反応は良好。
私の手から、くるみをとって、
あらまあ…口に入れてはいけません。
大きな口をあけて、食べようとするのです。
のども乾いているらしい
お水で口を濡らしてあげたかった。
「土曜と日曜日は呑み込みのリハビリがないので
家族の責任でやらせてもらえませんか」と
ヘルパーさんにお願いをする。
看護師さんに聞いておきます・・・・・・。
どうなるかな?
右手で動かない左手首を持ち、頭までよいしょと上げる練習5回。
疲れたのでしょうか、その後は目を閉じてしまいました。
口腔ケアになると、なかなか口をあけようとしません。
「ばあちゃん、口を大きく開けるとすぐにはみがきはおわるからね」と
言い聞かせる私。
ああ・・・。私は3歳未満児担任に戻ったようです。
「いっぽんばし、こちょこちょ、たたいて、つねって、かいだん
のぼって、こちょこちょ」
母の今日の発声練習は「痛い!」のみ。

「じゃあね、仕事にもどるからね、バイバイ」
手袋をはめた右手がかすかに動きました・・・・・・。



2017年6月23日金曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/23


母を見舞う

午後2時半に病室に行くと
母は気持ち良さそうに眠っていました。
起こさないように、右手の手袋をはずしてやります。
しばらくして、目を覚まし、キョトンとした顔で私を見つめます。
「れいこだよ。よく、寝ていたから起こさなかったよ」
母は寝起きなので私のことをすぐに認識できなかったようです。
麻痺している手をさすり、右手も頭に持って行く動作を5回くらい繰り返しました。
しばらくすると、師長さんが顔拭きのペーパータオルをもってきてくれました。
私は、母の顔を拭きます。経費と衛生の問題からでしょうか
ペーパータオルで顔を拭かれる母はあまり気持ちが良さそうではありませんでした。
その後、思い切って、勇気を出して、お願いをしました。
「母を車椅子に乗せてほしいのですが?」
すると、乗ったことがあるのですかと尋ねられました。
「はい、前の病院では午前と午後の二回車椅子に乗って、リハビリしていました」
快く師長さんは私の願いを叶えてくれました。
母に病衣のズボンをはかせ、尿を捨て、と作業はちょっと大変でした。
ここで感じたのは、リハビリ専門の先生と看護師さんの違いです。
リハビリ専門の先生はお一人でヒョイっと車椅子に母をのせます。
看護師さんは少し、もたつくのでした。分野の違いでしょうか。
それでも、私の願いを拒否することなく、叶えてくださったことに感謝。
一階に行きます。大きな水槽には熱帯魚がたくさん泳いでいます。
「きれいなメダカだよ、見える?」と指をさして聞くと軽く頷く。
窓際に行くと、背の高いバラが目に入ります。
窓を軽く叩き、「何色かな?」
すると、驚きでした。「ももいろ」と小さな小さな声が聞こえました。
私の心の中はガッツサイン。
四時に戻って来てくださいと言われていたので
病室にもどる。
「良かったですね」と看護師さんの声掛けに感謝感謝。
しばらくして
「れいこは帰るよ」頷く母。
「かずこが後でくるからね」
するとまるで奇跡のように
「今日か」と小さな小さな声を発する。
母の状態は1日の中でのでも、相当な波があります。
でも
母は喋られるのです。

ニュースで流れていた、痛々しい海老蔵さんの記者会見を見ながら
母に代わって
母の日記をつけてみることにする。
今日は初日。三日坊主になりませんように!

2017年6月20日火曜日

命日に思い出す

10歳しか違わない私と叔母は
まるで姉妹のように育てられました。
叔母の父、つまり私の祖父は私が生まれる年に他界しました。
私は祖父の生まれ変わりかもしれません。
叔母は自分の父親を亡くした年に、私が生まれたので
妹同然に接していたと思います。
呼び名も「姉ちゃん」と「れいこちゃん」でした。
いつでも、どこでも一緒でした。部屋も一緒、朝ごはんも夕ご飯も一緒。
姉ちゃんの好きな人は、水原弘と石原裕次郎。私が映画好きになったのも
姉ちゃんの影響かもしれません。
おいらはドラマー、ヤクザなドラマー……。
裕次郎の映画を小学生の私は、ちょっと大人の気分になって観ました。
テレビ映画の「コンバット」も一緒に見ていました。
意味がよくわからなくても、一緒に見ることに意味があったのです。
いつも一緒の姉妹のようでした。
だから
病に倒れた時の悲しみは、切なくて、切なくて……。
命に限りがあるとわかってからは、 毎日、毎日病院と小出まで通いました。
それも仕事が終わってからですから夜の7時過ぎ、8時になることもしばしばそれでも姉ちゃんは夕飯を食べずに私を待っていました。
あれから16年回目の命日でした。
忘れてなんかいません。いつも想っています。
ただ、ごめんなさい。
母ちゃんがね、寝たきりになってね。今は毎日毎日
あの時のように、病院に通っているの。
ほんの少しでもいいから口から、水が飲めるように
リハビリしているの。
ほんの少しだけど、喋れるようになってね。

姉ちゃんのこと忘れてなんかいないよ。

2017年6月15日木曜日

高齢社会の現実は?姥捨山であってはならない。

朝からフル回転で仕事をこなす私。
昼食はレトルトカレーですまし、黙々とコンピューターとにらめっこ。
その間に、お馴染みさん、初めての方からご注文の電話。
嬉しくって、声が弾む。
世間話に相づちも、時計は四時を回ってしまった。
残りの仕事を超スピードで終わらせ、ようやく母の入院見舞いに行くことができました。
病院内を駆け足で走り、病室へ。
母は起きていました。
なんだか、いぼっている(機嫌が悪いような)感じです。
見舞う時間が遅かったからでしょうか
話すことのできない母の気持ちを読み取るのはとても難しい。
入院する前から認知症はジワジワと進行していました。
だから、今脳梗塞に倒れ、左全体が麻痺し、言葉が出ない母は一体
何を考えているのかわからない。
赤ちゃん頭脳なのか?それとも、もしかして何もかもわかっているのだろうかと
私の心が不安になる。

病室のベットを起こすと、四階の窓の外から、ちょうど同じくらいの高さに
電車の走るのが見えました。
「電車だよ、見えた?」と母に問うと、かすかに頷く。
「今日は何を食べた?ジュースかな?」
母が小さな小さな声で「たべない」と口を開く。
びっくりする、母が喋った。声が出たのですから。

病気と介護、病院と施設、高齢者の多い日本、これからその仲間に入るであろう私。
医療の現場には様々な問題が山積みになっている。
特老施設がどんどん増えているけれど、療養施設はストップとのこと。
本当に必要なのは療養型介護施設ではないだろうか……。

2017年6月14日水曜日

母がうなずく、母の気持ち

病棟移動がありました。
3階から4階に移動、お日様に近くなったのか
日差しを強く感じました。


病棟名は「介護療養型医療施設」です。
比較的重度の要介護者に対し、充実した医療処置とリハビリを
受けることができます。
女医さんのお話によると
2012年に新設が認められなくなり、施設数が減少している施設だそうです。
政府はこの療養型医療施設は廃止の方針を打ち出したのですが、
入居者の受け入れ先が見つからないなどの問題のため
現在は廃止を2020年まで 延長しているそうです。
必要な施設を廃止するなんて・・・・・・。

ここでは、患者の気持ちを考え、リハビリ指導や呑み込み指導には
専門の方がつき指導をしてくれます。
また医師の診断も毎日ではありませんが
必要なときは必ず受診できる体制だそうです。
看護師さんも、一生懸命な方達です。
声を掛け合って、患者の介護を求めたり、助けに行っている
様子が伺えて、見ている家族は本当に嬉しくなります。
古い建物なのに、明るい雰囲気が伝わります。

何より、
「お母さんはなんでも聞いておられますよ、わかっていますよ」と
医師も看護師も母を一人の人間として見てくださっていることです。
そして、「あきらめないでください。ゆっくりとリハビリしましょう」と
おっしゃってくれるのです。
患者を第一に考える医療施設に、ご縁をいただいたことに
感謝、感謝です。

「今日は、もう仕事に行くから、帰るよ、また来るからね」と
母に声をかけると
少しだけ、少しだけうなずく・・・・・・。
この少しの動作が娘にとっては大きな大きな喜びなのです。

2017年6月13日火曜日

カレンダーを見て・・・・・・。

時々遠い国から届けられる
大きなお腹の写真
もう少しで初孫誕生です。

今までにはなかった、約ひと月の渡米滞在予定です。
別に何かあるわけではありませんが
身の回り、特に豆撰の私のデスクを
綺麗に整理整頓しています。
不必要な紙の書類や集めていた栞やパンフなど山のようにたまっていました。
ひとつひとつに想い出がありましたが、廃棄処分にしました。
そっと、引出しに戻したのは、お客様からのお便りです。
大切な宝物ですから・・・・・。


パソコンの中もいっぱいです。
デスクトップの整理整頓もしなければなりません。
とくに、写真は、しょうもない(どうでもいいもの)ほどあります。
初孫の誕生まで、あと一月あります。
パソコンの中もじれんと(ゆっくり)、掃除をしましょうか

豆撰からのお知らせ 


夏の贈り物パンフができました。
早得は6月30日までにお申し込みください。
フリーダイヤル 0120-05-5006 


 

2017年6月12日月曜日

ホタルの季節がやってきます。

我が家のたんぼは「菅畑」にありました。
2年前から、たんぼの耕作は知り合いにお願いしています。

実家のたんぼはトンネルの上にありました。
今はススキとスギナと ウツギの競争場になってしまいました。

どちらも、清水が流れていたからでしょうか
夕涼みにでかけると
あんどのあかりが消えたりついたりするのです。

亡き父は叔母たちを呼びに行き、まるで自分のホタルのように自慢していました。

私は夫に催促され、娘と3人でよく行きました。
一度だけ
そのあかりはまるで雪のように降って
まるで宇宙で泳いでいるような気分でした。

10年という歳月が過ぎ
父は天国へ
父の妹は一足早く天国へ
父の姉も、弟も天国にいってしまいました。

娘は遠くの国に行ってしまって
10年が過ぎます。

少し寂しいです。

今年のあんどのあかりを見られるのは
いつだろうか
あんどのあかりは懐かしい想い出を映してくれるだろうか・・・・・・。

ホ、ホ、ホタルこい
こっちの水はあっまいぞ
ホ、ホ、ホタルこい
あっちの水はにいがいぞ
















2017年6月4日日曜日

がんばりましょうの声かけに安堵




今日も母の家で夏のご案内(DM) の仕事をしています。
母はリハビリのために、病院を変わりました。
毎日、午前中に病院通いをしていた私ですが、
こうして、豆撰の仕事に専念できるのには
理由があります。
金曜日に転院先でみたことは
狭い空間とレトロな感じの病院でした。
妹夫婦と私は診察室で待ちます。
この病院でいいのだろうかと、私の頭の中は交通整理ができず
不安でドキドキしてしまいました。
院長先生の診察室で
「喜びが感じられるように、口からものを食べらてるようにしたいですね」
私たち姉妹は
「はい、お願いします」と頭を下げました。
それから三人の看護師さんに案内され
病室へ、
病室は6人部屋です。
ちょっと身動きするには狭すぎでした。
たんを取る作業に、母は苦しそうな顔をしたのでしょうか
何度も何度も「ごめんなさいね、もう少しだから許してね」と
謝るのです。
それから、前病院では口の中の掃除を嫌がっていた母の口を
優しい言葉がけで大きく開けさせて、綺麗にしてくれました。
「舌歯ブラシが届いたら、もっと綺麗にしようね」と声をかけています。
私とのやりとりもスムースです。
そして母に向かって、
「痛いところはありませんか?」と何回も聞いてくれました。
母が小さくうなずくと(そのように思えると)
「ツギさん!頑張りましょう!」と大きな声で言ってくれました。
私たちと一緒だよ。一緒に頑張ろうね。という意味だと思いました。
パソコンを見て、患者の顔を見なかった病院とは違っていました。
私も妹も見かけではない、患者と向き合ってくれる看護師さんに嬉しくなりました。
母の笑顔を看護師さんと一緒に見る日がきますように‼️

2017年6月1日木曜日

被爆ピアノと私





最近、新聞やFBで見つける「被爆ピアノ」の記事。


数年前に矢川さんの調律なさった
ピアノの調べを聞くチャンスをいただきました。
コンサートを聞きながら、私の脳裏に浮かんだものは・・・・・・。

あの日、
私のピアノは
瓦礫となった我が家の中から、重機に捕まえられて
灼熱の夏、ゴミとして捨てられました。
私の人生の中で、一番私を支えてくれた保育園時代。
子供たちと戯れ、笑い、涙した懐かしい青春時代を共に過ごした私のピアノ。
まるでガラスの画像のように壊れてしまったことを
被爆ピアノに重ねていました。

 コンサート終了後に友達と一緒に矢川さんと夕食を
共にできるご縁をいただきました。

ぼろぼろになったピアノを被爆にあう前と同じ状態に
蘇らせていることは頑固と信念の強さだと思いました。
被爆ピアノには、それぞれの物語があるとおっしゃいました。
持ち主の方の想いによって、奏でる音色も違うと・・・
全国を、海を渡って、なぜ被爆ピアノを矢川氏は運ぶのでしょうか
私の想像をはるかに超えた「想い」、
それは、ご自身が被爆二世だった矢川氏だからこそ

二度と戦争を起こしてはなりません!と訴えているようでした。


矢川氏の活動をドキュメンタリーで撮られた五藤監督が
再び想いと願いをかけて新作映画に取り組まれるらしい。


被爆ピアノがステージの上で奏でるメロディーは
平和への祈りとなって
今度は画像になり、私の前に登場する。
どんな映画になるのだろうか
ワクワクドキドキする。
どんな願いが伝わるのだろううか?


何気なく縁側で風に吹かれて優しい風鈴の音色を聞きながら
被爆ピアノが訴えているものは何かと、私は私に問う。

平和であることのしあわせが続きましようにと・・・・・・。

2017年5月29日月曜日

看護師さん 母をわかってください。






母の作った栃尾の油揚げ寿司の味は忘れられません。
今度は、私が作った栃尾の油げ寿司と豆撰のお母ちゃんスタッフが作った
「絹揚げと鶏肉の栃尾だんご」を
母に食べさせたいと思っています。

今日も母のリハビリを見守り
グーチョキパーを繰り返す母、視野が狭く、15度くらいしか見えない。
今日は少しだけ目を動かす。30度くらいに。
輪投げをする。
私もその輪を持ってみる。なんとかなり重いのです。
母は頑張っているのです。途中で疲れてやめてしまいますが
励まし、「頑張れ、頑張れ」と手を思いっきりたたき応援すると
その気になって再度挑戦するのです。

車椅子に乗ると、首が安定せずに、どんどん上を向いてしまう。
覚醒していないとできない「飲み込み」の練習を看護師さんにしてもらう。
「あーん」と私は言葉と一緒に自分でも大きな口を開けます。
母が、口を開けるまで、隣の病室まで聞こえそうな声で
「あーん、あーんして、ばあちゃん」を繰り返すのです。

あっという間に時間は過ぎ、私は豆撰に帰る時間に、
声は出ませんが…少しずつ頑張っている母。
どうか、看護師さん、母をわかってください。
耳は聞こえているのです。

手袋をはめた右手をかすかに動かし、バイバイです。
「お昼から和子さんが来るからね」と
私は病室に母を残して・・・・・・。