2017年7月20日木曜日

この広い世界の片隅で

アメリカに来て四日目の朝を迎えようとしています。
日本とアメリカの時差に少し悩まされ、深い眠りにつくことができません。
若い夫婦は自分たちに授かった赤ちゃんを見守り、抱いて病院で過ごしています。
私は娘のベットで、眠れない夜を過ごしています。
さみしくなり、本を読んだり、キッチンをかたずけたり、映画を見たりしていました。
すると、ラインの音。誰だろうかと思いました。夫か妹かお友達だろうかと
誰であるかを想像しながらラインをみました。
すると、ほんのひと時忘れてた……。
母の面倒をお願いしていた妹のお友達からでした。
遠い国にきて、孫の誕生を喜んでいた私ですが、日本にいるような気持ちになり、
我に戻り、深い悲しみを感じてしまいました。
母の飲み込み練習が上手くいかないらしい。私がいないとダメなのかと
遠い国にいる自分の行動、幸せが、これでいいのかと、もうひとりの自分が叫んでいます。
夜が明けはじめ、ブラインドの隙間から明かりが入る。
どこの国にいようと、どちらが世界の片隅なのかわからないが
世界は遠くもなく、繋がっていて、心は特に繋がっていることをしみじみと感じています。
母も娘も孫もどの世界にいようと
大切な私の肉親です。
日本であろうがアメリカであろうが、どこに住もうが想いは同じことに気づきました。
心の世界は近いものです。

アメリカ滞在3日目にして恋しくなったものは

渋滞にならないうちに、私は娘の家に戻りました。
若い夫婦は、赤ちゃんが可愛くて仕方がないようです。
新入生ばばちゃんは遠慮気味。
たった3日目なのに、ご飯が恋しくなった。
主食のパンにちょっぴり飽きて、棚の中をゴソゴソしてみると、
やはりありました。
極上有機栽培米。もちろん電気釜はありません。お鍋で炊くことに。
炊き方はネットで。
何でもかんでもネットで調べりゃあ、お茶の子さいさいです。
 かくして、30分米を浸水、おかずは焼肉に決める。
冷蔵庫には豆腐もあり、だがたった一人の夕飯。
喜んでくれる人は0人。や、め、た。
調味料は全て英語。私がわかるものは、塩と胡椒の二つだけ。
焼肉はこれのみで味付け。
ご飯は結構いい調子で炊けた。そこで、卵かけご飯に決定
こちらも塩のみ。
テレビをつければ英語。YouTubeで「大奥」を見ながら
ひとりごはん。は味気ないものだ。
少々胸が痛む。こんな呑気に過ごしていて申し訳ない。
豆撰のみなさんごめんなさい。
今日の収穫は二人のアメリカ人と会話?
今回は私から仕方なく声をかける。
ただ単語を並べ、iPadを出しWi-Fiの繋げ方を聞く。
あらまあ、やればできるもんだ。意味が通じるではないか。
成せば成るってこと。
次は、眠くなった私は病院の中庭みたいなところでちょっとお昼寝。
するとお弁当持参の中年女性、蓋が開かず四苦八苦。
私に説明し隣に移動。てな調子でした。
赤ちゃんは娘婿殿にそつくり!
そういえば、娘も父親のコピーだった。

アメリカ流によると、泣いている赤ちゃんはうつ伏せにして背中を叩く。
赤ちゃんにシャツや服は着せない。ネル地の真四角布に腕を中にして
しっかりと包むだけ。
オムツはしています。
母親のおっぱい消毒は無し。こりゃあ簡単でいい。大賛成。
夜9時、15分前。日が沈みいつの間にか辺りは暗い。
ひとりごはんはつまらない。
明日から新家族と私を入れて4人になる。
どうなることか?

2017年7月19日水曜日

日本とアメリカの違い

大きな病院です。
中庭は公園風です。カリフォルニアの広さと日本の広さは同じくらいらしいから
当然のことかもしれません。
お産専門に病棟がある。
ナースステーションはそれほど広くなく、スタッフも数人のみ待機。
ですが、
病室はひとり、一部屋。夫のためのベットになる椅子も用意されている。
全てが整っているような広い病室。
トイレもかなり広い。
全てが使い捨てにできている。感染しないためと思う。
そして次から次へと立ち代わり5人くらいの人が出入りする。医師、麻酔技師 
看護師、助産婦らしい方も
データ管理はもちろんのこと。だから、コンピュータ関係の人も待機している。
何から何まで整い  、スタッフに余裕が見られる。
日本の医療は、ナースステーションにひしめき合った医師と看護師が目につく。
母親の胸に抱かられ た赤ちゃんは
安心しきった顔で、母乳を飲む。
今は日本もそうらしい。
親子のスキンシップの大切さがここからはじまる。
家族は好きな時間を自由に赤ちゃんと過ごすことができる。
治療しますから病室から、でてくださいとは言われない。

親子の無事な姿を見、安心して、出来立てホヤホヤのばばちゃんは娘のマンションに
送ってもらう。
さて、昼食を作って食べましょう。
当然の事だが、家事に必要なもの全て英語です。
どうやら、私は人生初のひとり暮らしを異国で体験することになったようです。


海を渡る前と渡ってから

ひとりでロサンゼルスに向かうことになった。
お友達数人から「大丈夫ですか」とメールをいただく。
見送りしましょうかと声をかけていただけたことはとても
嬉しかった。62歳のおばさんにとってひとりはとても心細いものだ。
Sさんにお願いした。
東京駅は混雑。改札口で彼を見つけると、張りつめていたものがゆるゆると
溶けていく。
ネットでチェックインを娘に依頼していたのは非常に便利だった。
パスポートを見せるだけで、チケットをもらい荷物を預けるだけ。
ひとりでは何もできないと言うより、ひとりでしようとしない
依存症である。

羽田空港で彼と夕食を共にして、お土産を買い、コーヒーを飲み、
彼に感謝して、私は颯爽?に搭乗。ゲート110番で待つ。
ここで、まさかの失敗をするのだが、気がついたのは
ロサンゼルス空港に降りる直前。
この失敗は後で書くことに。
夫のキャンセルで私の隣は空席かもと期待していたら、
アメリカの女性が座る。
「トイレに行くときは声をかけてください」流暢な日本語である。
お互いの目的を聞き合う。
 安心のふた文字である。
 私は運の強い人間だ。
弱々しく見えるのか?行く先々で出会う人は皆優しい。
飛行機の中で、先日Mさんが面白かったと絶賛されていた映画
「美女と野獣」を観る。感想は長いアメリカ生活のうちに書くことに。
いよいよアメリカ大陸の上空に、
広い、ゴルフ場は平地にいくつも点在する。
周りは真っ白で、青い区画整理された?海に囲まれている。
 2年前は夜だったのかこの景色は記憶になかった。
アメリカ女性からエスタ場所に案内してもらい
日本に戻ったら、是非「豆撰」に来てくださいと感謝の気持ちを伝える。
彼女の仕事は日本だからである。
彼女と別れると次に登場してくださった女性は日本人。
「日本人ですよね」と声をかけられ、「心強いです、ご一緒にエスタの手続きを
していただけませんか」とこの何も知らないおばさんを頼りにする。
まさか……
私は何もわかりません、私の方こそよろしくお願いします。
案の定 、機械の前に立つと、彼女はさっさと手続きを済ませ、私に教えてくれる。
私は優しい人にめぐり合うことのできる運の強い人間である。また助けてもらう。
手荷物を待つ間に、お互いの目的を話し、別れる。
さて、私の目的は
娘の出産である。今病院で私の孫が誕生するその瞬間を、この待合室で待っています。
産まれたようです。

2017年7月9日日曜日

母に代わって綴る日記 2017/7/9

ようやく母の飲み込み訓練ステップ2に入ることができました。
持参したメロンや桃の果汁にトロミをつけてもらい、
40CCのゼリー状のものを作ってもらいます。
約15分かけてそれを飲み込みます。
まずまず順調です。
次に病院から支給されたぶどうのゼリーに挑戦です。
母の口は動かず、口に含んだままです。
市販の食べ物に慣れていない母の拒否反応です。
仕方がありません。無理強いをしても、頑固一徹の母。
特に最近の母の嗜好は美味しいものとそうでないもの
本物と偽物の区分けがはっきりしていました。
脳梗塞に倒れても味覚は変わらないようです。

妹と仕事のあんばいをみて、メロンの搾りたてを持って母のところへ
母にメロンジュース飲みますか?
頷く
口元にメロンジュースを持って行くと
いつもは促さないと口を開けない母がツバメのヒナのように
口を開けます。
嫌な顔もせずに、美味しそうに数回飲み込みました。
妹の声には反応が早く
妹の名前はしっかりということができます。
私の名前は、ここ数日考え込んでいるようです。
半ば強制的に「れいこ」でしょと強く言う。
かすかに唇が動きます。
妹は一緒に暮らしていた年数が違うでしょと言う。
そうかもしれない、そうでしょう。
それでも、ちょっとさみしい。

2017年7月3日月曜日

天使のような明るくって思いやりの介護士さん


いつものように病院へ
今日はスイカを持参しました。
詰所に直行、飲み込みの先生から絞ってもらうためです。
病室に行くと、母の病室の松江さんの入浴準備中でした。
着替えをカーテンの中でやっています。
私は母の耳もとで大きな声で言います。
「今日はスイカを持ってきたよ。スイカ好き?」
すると松江さんの着替えをしている大きな魚屋さんのようなゴムのエプロンを
つけた介護士さんが母のかわりに
「いいな、ツギさんはスイカ食べられるんだ。夏だね。私もたべたいな」
元気で明るくって、若くて可愛い娘さんです。
その後、母が私の持ってきた扇子で自分を仰ぐ姿を見つけ
「すごいね、別人みたい、ツギさん扇子開けたね」と。
一人の介助をしながら、他の人への気配りもすごい。
病室を出る前に母のそばにやってきて
「ごめんね、もっと声掛けしてやりたいんだけど……」と母のおでこにタッチ。
私はこの娘さんの仕事への熱意と優しさに感動し
「ありがとうございます」と私の気持ちを伝える。

2017年7月2日日曜日

りんごの唄と父の命日



月も変わり7月、なんて早く月日は過ぎてしまうのだろう
そして、今日は父の命日です。
丁度10年が過ぎました。
父はとても優しい人でしたが怒りん坊で、わがままな人でした。
教員になりたかったと生前何度か聞いたことがあります。
でも、祖父に(父の父)に反対されたそうです。
その当時は、結構田畑があり、百姓の子はその田畑を守らなければならなかったようです。
その後祖父は病に倒れました。昔の我が家にトイレがふたつあったのは
病に倒れた祖父のためだったことがわかります。
そして、私の生まれる年に他界。50歳だったそうです。
祖父の死によって、父は家長となり、一家を支え、
自らも波乱万丈の道を選び突き進むことになっていきました。

そのうちの一つに
私の結婚も入っていたかもしれません。
ふたり姉妹の姉の宿命だったはずの私は
大橋から多田に。
先日、妹から私の知らなかった秘話を聞きました。
私の結婚式に歌った父が選んだ曲は「りんごの唄」で
歌詞を変えて歌ったのだそうです。その時、私はその場にいませんでした。
お色直しをしていたようです。

赤いりんごに唇寄せて
黙って見ていた可愛い子
りんごは………
可愛や礼子………と歌ったそうです。

今その時の父を想像すると、涙が溢れてしまいます。

そして10年の歳月の間に
私の一人娘は私のたどった道を同じように歩いているのです。
父が生きていたら、
俺の気持ちがわかっただろうと笑いながら話したかもしれません。

夫は仏壇に飾る百合の花を取りに畑に行きました。

2017年6月30日金曜日

母に代わって、綴る日記 2017/6/29

お中元シーズンに突入
電話の応対
荷物作りと慌ただしい
ひとまず、けりがついたところで病院に急ぐ
あんまり急いで
携帯も顔拭き用の水筒も忘れてしまった。
おまけにいつも昼食をいただく喫茶店はお休み。

とりあえず病室に向かう。
いつもと変わらない母……。
まず覚醒。
「れいこですよ、あなたのむすめ」から始まる。
足と手を動かす練習をする。
それは家に戻るためであることを意識させる。
うなずき頑張る母。
次にベットを起こし、その隣に座り、首を起こさせる。
これは調子いい。
お友達のSさんはとてもいい方です。
看護師さんなので、いろいろお聞きしました。
Sさんから習ったことを実行したのです。
ありがとうございました。
それから七夕の歌を歌いました。
目を閉じて聴く母。思い出したかな?

私はちょっと厄介なおばさんです。  
朝食にメロンを切ったら、甘くてとても美味しかった。
そのメロンを病室に持って行きました。
丁度タイミングよく、師長さんが病室まわり。
私は勇気を持って、メロンを持参したこと、その果汁で
飲み込みの練習をしてもらいたいと懇願。
快く許可がおりました。
飲み込みリハビリの先生は皮のついたメロンを母の手のひらに入れて
その感触を感じさせています。
鼻に持って行き、においを感じさせ、
いよいよ、メロンの果汁を口に運ぶ。
初めてです。母の口が自分の意思で開いたのです。
先生も私も目と目を合わせ大喜び。
それからまた慌ただしく仕事へ
その前に、ナースステーションに立ち寄り
ありがとうございましたとお礼を
担当医師もおいでになっていて、みんなが大喜びでした。


2017年6月27日火曜日

母に代わって、綴る日記 2017/6/27






12時に病院へ、母を見舞う。
母が脳梗塞で倒れる以前のことを
看護師さんに話す。
3月には千葉まで行きました。温泉旅行もしました。
するとその看護師さん
「そうですね、寝ていたら天井しか みえませんよね。
車椅子に乗りますか?」
私は二つ返事で
「はい。お願いします」
それから、師長さんも応援に駆けつけてくださり、
車椅子に乗せてもらいました。
ナースステーションを通ると
たくさんの看護師さんからエールがはいります。
「ツギさん、別人みたい」と・・・・・・。
つまり、ベットに横たわる母とちがって、しっかりとして
みえたようです。
車椅子に乗ると、前向きから横向き後ろ向きと自由自在に
見える角度を変更でき、
刺激をいっぱい受けることが出来るのです。
エレベーター脇の大きな油絵は雪どけの春です。
手前に桜の木が描かれています。
その桜のピンク色をみつけることも出来ました。

病室に戻っても、しばらくは車椅子に乗っていました。
自宅で初もぎのキュウリを母の目の前に出すと
手を伸ばし、「き・ゅ・う・り」と小さな声ですがはっきりと
発音しました。
それからキュウリを右手でつかみ口へ運ぶ母。
私は半分に割って、手渡す。
何やら、その半分を親指と人差し指で割ろうするしぐさ、
あきらめて、そのまま口へ運ぶ。
もちろん、かじることはできません。

その後、ベットへ戻る。
利き手の右手で一生懸命、紐を引っ張る。
明日は引っ張ってもよい紐を持って行こうと思いました。
そして、左手をベットの柵に置いてやる。
5分くらい、写真の状態が続きました。これって、筋力つくかな・・・・・・。

最後は飲みこみ指導です。
6回くらい、リンゴジュースを口に入れてもらいました。
ごっくんと飲みこんだのは3回。

ゆっくり、ゆっくり、じれんと、じれんと・・・・・・。
今日は静かに母を見守ることができたようです。
娘もちょっと成長したかな?




2017年6月26日月曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/26


                母の手習い、母はお習字とお花が趣味でした!



昨日はお店が忙しくて

母の御見舞はできませんでした。
今日は少し余裕です。
病院到着は11時半。母は目を開けている。
テレビの画像を追っていました。
数回、声をかけようやく私の存在に気ずく。

看護師さんに今日は思い切って、勇気を出して
テーブルがほしいことを聞いてみました。
母のベットを起こして、積み木とか果物を手で触らせてみたかったのです。
でも、やんわりと、断られました。

飲み込みの練習をすることが目的で体のリハビリはしないと言われてしまいました。
これでいいのでしょうか?
だから、同室の患者さんは意思表示、
飲みこみは出来るのに・・・。
手足は固まっているのです。
胸のところで両手はグー状態で動かすことが出来ないのです。

「ばあちゃんがんばらんばんよ」と両手、両足を5回ずつ
私は手を添えて動かします。
「イッテエ」と随分はっきりと意志表示する母。
「ばあちゃん今日はお風呂、入ったでしょ」と入ったことはわかっているのですが
わざと、母に聞く。
母の答えは
「はいらん」
そりゃあ、仕方ありません2時間前の事です。
認知症なのですから・・・・・・。

食べたいという気持ちも出ているようです。
焦らず焦らず、ゆっくりとゆっくりと
ゆっくりが苦手なのは母ではなく私のようだ。

眠っているのに、母の左足が動いた。
無意識の中で動かしているのだろうか?




2017年6月24日土曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/24


七時半出勤
妹は豆撰のお店のお掃除をしています。
姉妹で母の様子報告をします。

机の上にたまったいる書類に目を通し
パソコンとにらめっこ
11時半、ようやく仕事に区切りがつき
「行ってきます」と母の病院見舞に・・・・・・。

12時半に病院へ
母は片目をあけ、テレビの方をみています。
声をかけても、反応なし。
ベットを80度くらいまでおこし、外の景色と
病室内の様子の解説をする私。
「前のベットはAさん、Bさん、お隣さんはCさんです。
ツギさんを入れて4人の病室ですよ!」
この会話を3回繰り返す。
外の景色は目に入ったらしく、
「外が見えますか?」の質問に頷く。
磁石になっている、くるみを二個持って行きました。
母の反応は良好。
私の手から、くるみをとって、
あらまあ…口に入れてはいけません。
大きな口をあけて、食べようとするのです。
のども乾いているらしい
お水で口を濡らしてあげたかった。
「土曜と日曜日は呑み込みのリハビリがないので
家族の責任でやらせてもらえませんか」と
ヘルパーさんにお願いをする。
看護師さんに聞いておきます・・・・・・。
どうなるかな?
右手で動かない左手首を持ち、頭までよいしょと上げる練習5回。
疲れたのでしょうか、その後は目を閉じてしまいました。
口腔ケアになると、なかなか口をあけようとしません。
「ばあちゃん、口を大きく開けるとすぐにはみがきはおわるからね」と
言い聞かせる私。
ああ・・・。私は3歳未満児担任に戻ったようです。
「いっぽんばし、こちょこちょ、たたいて、つねって、かいだん
のぼって、こちょこちょ」
母の今日の発声練習は「痛い!」のみ。

「じゃあね、仕事にもどるからね、バイバイ」
手袋をはめた右手がかすかに動きました・・・・・・。



2017年6月23日金曜日

母の代わりに、綴る日記 2017/6/23


母を見舞う

午後2時半に病室に行くと
母は気持ち良さそうに眠っていました。
起こさないように、右手の手袋をはずしてやります。
しばらくして、目を覚まし、キョトンとした顔で私を見つめます。
「れいこだよ。よく、寝ていたから起こさなかったよ」
母は寝起きなので私のことをすぐに認識できなかったようです。
麻痺している手をさすり、右手も頭に持って行く動作を5回くらい繰り返しました。
しばらくすると、師長さんが顔拭きのペーパータオルをもってきてくれました。
私は、母の顔を拭きます。経費と衛生の問題からでしょうか
ペーパータオルで顔を拭かれる母はあまり気持ちが良さそうではありませんでした。
その後、思い切って、勇気を出して、お願いをしました。
「母を車椅子に乗せてほしいのですが?」
すると、乗ったことがあるのですかと尋ねられました。
「はい、前の病院では午前と午後の二回車椅子に乗って、リハビリしていました」
快く師長さんは私の願いを叶えてくれました。
母に病衣のズボンをはかせ、尿を捨て、と作業はちょっと大変でした。
ここで感じたのは、リハビリ専門の先生と看護師さんの違いです。
リハビリ専門の先生はお一人でヒョイっと車椅子に母をのせます。
看護師さんは少し、もたつくのでした。分野の違いでしょうか。
それでも、私の願いを拒否することなく、叶えてくださったことに感謝。
一階に行きます。大きな水槽には熱帯魚がたくさん泳いでいます。
「きれいなメダカだよ、見える?」と指をさして聞くと軽く頷く。
窓際に行くと、背の高いバラが目に入ります。
窓を軽く叩き、「何色かな?」
すると、驚きでした。「ももいろ」と小さな小さな声が聞こえました。
私の心の中はガッツサイン。
四時に戻って来てくださいと言われていたので
病室にもどる。
「良かったですね」と看護師さんの声掛けに感謝感謝。
しばらくして
「れいこは帰るよ」頷く母。
「かずこが後でくるからね」
するとまるで奇跡のように
「今日か」と小さな小さな声を発する。
母の状態は1日の中でのでも、相当な波があります。
でも
母は喋られるのです。

ニュースで流れていた、痛々しい海老蔵さんの記者会見を見ながら
母に代わって
母の日記をつけてみることにする。
今日は初日。三日坊主になりませんように!

2017年6月20日火曜日

命日に思い出す

10歳しか違わない私と叔母は
まるで姉妹のように育てられました。
叔母の父、つまり私の祖父は私が生まれる年に他界しました。
私は祖父の生まれ変わりかもしれません。
叔母は自分の父親を亡くした年に、私が生まれたので
妹同然に接していたと思います。
呼び名も「姉ちゃん」と「れいこちゃん」でした。
いつでも、どこでも一緒でした。部屋も一緒、朝ごはんも夕ご飯も一緒。
姉ちゃんの好きな人は、水原弘と石原裕次郎。私が映画好きになったのも
姉ちゃんの影響かもしれません。
おいらはドラマー、ヤクザなドラマー……。
裕次郎の映画を小学生の私は、ちょっと大人の気分になって観ました。
テレビ映画の「コンバット」も一緒に見ていました。
意味がよくわからなくても、一緒に見ることに意味があったのです。
いつも一緒の姉妹のようでした。
だから
病に倒れた時の悲しみは、切なくて、切なくて……。
命に限りがあるとわかってからは、 毎日、毎日病院と小出まで通いました。
それも仕事が終わってからですから夜の7時過ぎ、8時になることもしばしばそれでも姉ちゃんは夕飯を食べずに私を待っていました。
あれから16年回目の命日でした。
忘れてなんかいません。いつも想っています。
ただ、ごめんなさい。
母ちゃんがね、寝たきりになってね。今は毎日毎日
あの時のように、病院に通っているの。
ほんの少しでもいいから口から、水が飲めるように
リハビリしているの。
ほんの少しだけど、喋れるようになってね。

姉ちゃんのこと忘れてなんかいないよ。

2017年6月15日木曜日

高齢社会の現実は?姥捨山であってはならない。

朝からフル回転で仕事をこなす私。
昼食はレトルトカレーですまし、黙々とコンピューターとにらめっこ。
その間に、お馴染みさん、初めての方からご注文の電話。
嬉しくって、声が弾む。
世間話に相づちも、時計は四時を回ってしまった。
残りの仕事を超スピードで終わらせ、ようやく母の入院見舞いに行くことができました。
病院内を駆け足で走り、病室へ。
母は起きていました。
なんだか、いぼっている(機嫌が悪いような)感じです。
見舞う時間が遅かったからでしょうか
話すことのできない母の気持ちを読み取るのはとても難しい。
入院する前から認知症はジワジワと進行していました。
だから、今脳梗塞に倒れ、左全体が麻痺し、言葉が出ない母は一体
何を考えているのかわからない。
赤ちゃん頭脳なのか?それとも、もしかして何もかもわかっているのだろうかと
私の心が不安になる。

病室のベットを起こすと、四階の窓の外から、ちょうど同じくらいの高さに
電車の走るのが見えました。
「電車だよ、見えた?」と母に問うと、かすかに頷く。
「今日は何を食べた?ジュースかな?」
母が小さな小さな声で「たべない」と口を開く。
びっくりする、母が喋った。声が出たのですから。

病気と介護、病院と施設、高齢者の多い日本、これからその仲間に入るであろう私。
医療の現場には様々な問題が山積みになっている。
特老施設がどんどん増えているけれど、療養施設はストップとのこと。
本当に必要なのは療養型介護施設ではないだろうか……。

2017年6月14日水曜日

母がうなずく、母の気持ち

病棟移動がありました。
3階から4階に移動、お日様に近くなったのか
日差しを強く感じました。


病棟名は「介護療養型医療施設」です。
比較的重度の要介護者に対し、充実した医療処置とリハビリを
受けることができます。
女医さんのお話によると
2012年に新設が認められなくなり、施設数が減少している施設だそうです。
政府はこの療養型医療施設は廃止の方針を打ち出したのですが、
入居者の受け入れ先が見つからないなどの問題のため
現在は廃止を2020年まで 延長しているそうです。
必要な施設を廃止するなんて・・・・・・。

ここでは、患者の気持ちを考え、リハビリ指導や呑み込み指導には
専門の方がつき指導をしてくれます。
また医師の診断も毎日ではありませんが
必要なときは必ず受診できる体制だそうです。
看護師さんも、一生懸命な方達です。
声を掛け合って、患者の介護を求めたり、助けに行っている
様子が伺えて、見ている家族は本当に嬉しくなります。
古い建物なのに、明るい雰囲気が伝わります。

何より、
「お母さんはなんでも聞いておられますよ、わかっていますよ」と
医師も看護師も母を一人の人間として見てくださっていることです。
そして、「あきらめないでください。ゆっくりとリハビリしましょう」と
おっしゃってくれるのです。
患者を第一に考える医療施設に、ご縁をいただいたことに
感謝、感謝です。

「今日は、もう仕事に行くから、帰るよ、また来るからね」と
母に声をかけると
少しだけ、少しだけうなずく・・・・・・。
この少しの動作が娘にとっては大きな大きな喜びなのです。

2017年6月13日火曜日

カレンダーを見て・・・・・・。

時々遠い国から届けられる
大きなお腹の写真
もう少しで初孫誕生です。

今までにはなかった、約ひと月の渡米滞在予定です。
別に何かあるわけではありませんが
身の回り、特に豆撰の私のデスクを
綺麗に整理整頓しています。
不必要な紙の書類や集めていた栞やパンフなど山のようにたまっていました。
ひとつひとつに想い出がありましたが、廃棄処分にしました。
そっと、引出しに戻したのは、お客様からのお便りです。
大切な宝物ですから・・・・・。


パソコンの中もいっぱいです。
デスクトップの整理整頓もしなければなりません。
とくに、写真は、しょうもない(どうでもいいもの)ほどあります。
初孫の誕生まで、あと一月あります。
パソコンの中もじれんと(ゆっくり)、掃除をしましょうか

豆撰からのお知らせ 


夏の贈り物パンフができました。
早得は6月30日までにお申し込みください。
フリーダイヤル 0120-05-5006 


 

2017年6月12日月曜日

ホタルの季節がやってきます。

我が家のたんぼは「菅畑」にありました。
2年前から、たんぼの耕作は知り合いにお願いしています。

実家のたんぼはトンネルの上にありました。
今はススキとスギナと ウツギの競争場になってしまいました。

どちらも、清水が流れていたからでしょうか
夕涼みにでかけると
あんどのあかりが消えたりついたりするのです。

亡き父は叔母たちを呼びに行き、まるで自分のホタルのように自慢していました。

私は夫に催促され、娘と3人でよく行きました。
一度だけ
そのあかりはまるで雪のように降って
まるで宇宙で泳いでいるような気分でした。

10年という歳月が過ぎ
父は天国へ
父の妹は一足早く天国へ
父の姉も、弟も天国にいってしまいました。

娘は遠くの国に行ってしまって
10年が過ぎます。

少し寂しいです。

今年のあんどのあかりを見られるのは
いつだろうか
あんどのあかりは懐かしい想い出を映してくれるだろうか・・・・・・。

ホ、ホ、ホタルこい
こっちの水はあっまいぞ
ホ、ホ、ホタルこい
あっちの水はにいがいぞ
















2017年6月4日日曜日

がんばりましょうの声かけに安堵




今日も母の家で夏のご案内(DM) の仕事をしています。
母はリハビリのために、病院を変わりました。
毎日、午前中に病院通いをしていた私ですが、
こうして、豆撰の仕事に専念できるのには
理由があります。
金曜日に転院先でみたことは
狭い空間とレトロな感じの病院でした。
妹夫婦と私は診察室で待ちます。
この病院でいいのだろうかと、私の頭の中は交通整理ができず
不安でドキドキしてしまいました。
院長先生の診察室で
「喜びが感じられるように、口からものを食べらてるようにしたいですね」
私たち姉妹は
「はい、お願いします」と頭を下げました。
それから三人の看護師さんに案内され
病室へ、
病室は6人部屋です。
ちょっと身動きするには狭すぎでした。
たんを取る作業に、母は苦しそうな顔をしたのでしょうか
何度も何度も「ごめんなさいね、もう少しだから許してね」と
謝るのです。
それから、前病院では口の中の掃除を嫌がっていた母の口を
優しい言葉がけで大きく開けさせて、綺麗にしてくれました。
「舌歯ブラシが届いたら、もっと綺麗にしようね」と声をかけています。
私とのやりとりもスムースです。
そして母に向かって、
「痛いところはありませんか?」と何回も聞いてくれました。
母が小さくうなずくと(そのように思えると)
「ツギさん!頑張りましょう!」と大きな声で言ってくれました。
私たちと一緒だよ。一緒に頑張ろうね。という意味だと思いました。
パソコンを見て、患者の顔を見なかった病院とは違っていました。
私も妹も見かけではない、患者と向き合ってくれる看護師さんに嬉しくなりました。
母の笑顔を看護師さんと一緒に見る日がきますように‼️

2017年6月1日木曜日

被爆ピアノと私





最近、新聞やFBで見つける「被爆ピアノ」の記事。


数年前に矢川さんの調律なさった
ピアノの調べを聞くチャンスをいただきました。
コンサートを聞きながら、私の脳裏に浮かんだものは・・・・・・。

あの日、
私のピアノは
瓦礫となった我が家の中から、重機に捕まえられて
灼熱の夏、ゴミとして捨てられました。
私の人生の中で、一番私を支えてくれた保育園時代。
子供たちと戯れ、笑い、涙した懐かしい青春時代を共に過ごした私のピアノ。
まるでガラスの画像のように壊れてしまったことを
被爆ピアノに重ねていました。

 コンサート終了後に友達と一緒に矢川さんと夕食を
共にできるご縁をいただきました。

ぼろぼろになったピアノを被爆にあう前と同じ状態に
蘇らせていることは頑固と信念の強さだと思いました。
被爆ピアノには、それぞれの物語があるとおっしゃいました。
持ち主の方の想いによって、奏でる音色も違うと・・・
全国を、海を渡って、なぜ被爆ピアノを矢川氏は運ぶのでしょうか
私の想像をはるかに超えた「想い」、
それは、ご自身が被爆二世だった矢川氏だからこそ

二度と戦争を起こしてはなりません!と訴えているようでした。


矢川氏の活動をドキュメンタリーで撮られた五藤監督が
再び想いと願いをかけて新作映画に取り組まれるらしい。


被爆ピアノがステージの上で奏でるメロディーは
平和への祈りとなって
今度は画像になり、私の前に登場する。
どんな映画になるのだろうか
ワクワクドキドキする。
どんな願いが伝わるのだろううか?


何気なく縁側で風に吹かれて優しい風鈴の音色を聞きながら
被爆ピアノが訴えているものは何かと、私は私に問う。

平和であることのしあわせが続きましようにと・・・・・・。

2017年5月29日月曜日

看護師さん 母をわかってください。






母の作った栃尾の油揚げ寿司の味は忘れられません。
今度は、私が作った栃尾の油げ寿司と豆撰のお母ちゃんスタッフが作った
「絹揚げと鶏肉の栃尾だんご」を
母に食べさせたいと思っています。

今日も母のリハビリを見守り
グーチョキパーを繰り返す母、視野が狭く、15度くらいしか見えない。
今日は少しだけ目を動かす。30度くらいに。
輪投げをする。
私もその輪を持ってみる。なんとかなり重いのです。
母は頑張っているのです。途中で疲れてやめてしまいますが
励まし、「頑張れ、頑張れ」と手を思いっきりたたき応援すると
その気になって再度挑戦するのです。

車椅子に乗ると、首が安定せずに、どんどん上を向いてしまう。
覚醒していないとできない「飲み込み」の練習を看護師さんにしてもらう。
「あーん」と私は言葉と一緒に自分でも大きな口を開けます。
母が、口を開けるまで、隣の病室まで聞こえそうな声で
「あーん、あーんして、ばあちゃん」を繰り返すのです。

あっという間に時間は過ぎ、私は豆撰に帰る時間に、
声は出ませんが…少しずつ頑張っている母。
どうか、看護師さん、母をわかってください。
耳は聞こえているのです。

手袋をはめた右手をかすかに動かし、バイバイです。
「お昼から和子さんが来るからね」と
私は病室に母を残して・・・・・・。

2017年5月27日土曜日

世界の片隅のひとつ、平和な日々。

今朝4時起床
窓から緑の絨毯が波打っている。
予報は6時過ぎに、雨は上がるらしいが、
一晩中止まずに降り続いた雨です。
守門登山道は、かなりの泥道と石の上の危険を想像させました。
入院中の母のこと、初めての出産を目の前にしている娘のことを考えたら、
無理は出来ませんでした。

アイパットをひらくと
昨夜連絡を待っていたお友達からのメッセージが入っていました。
熱、咳続きと聞き、肺炎ではと心配していたのです。
大丈夫と書かれてありました。
私は診察結果の知らせを、待ちくたびれて眠ってしまったようです。
夜遅い時間に書き込んでありました。
これで安心しました。

守門岳登山を断念した私は
お店の座布団を縫ってくれたお友達にお礼の気持ちをお届けしようと
長岡の角上へ行くことにしました。
その前に、久しぶりにカメラを手にとり、雨でちょと困った顔のお花を撮りました。
濡れているから寂しそうにも映るけど、その寂しさが憂いに写って、結構綺麗で
雫が花たちの顔を引き立たせてくれていました。

お魚をたくさん買い求め
その後は、娘に頼まれた包丁を買いに三条の産業センターに行きました。
そこで、初めてセンターの中にあるレストランで昼食。
「オマール海老のリゾット」ちょっと高めでしたが奮発、なかなか美味しかった。
しあわせ。
帰宅してから、娘に送る荷物を箱に詰め、郵便局に。
夕食準備までまだ時間があります。2ヶ月も放り投げていた、原田マハさんの「太陽の棘」を読みました。もう少しで読み終わるところですが、夕食準備の為中断。
夕食作りの合間に自己弁護。
今日は母のお見舞いに行けなかったこと。たまには許して、いいでしょうと言い訳をしている私。
夕食後、残された数ページを読了すると
自己嫌悪も含め
この本から伝わったものは「この世界の片隅」のように、何気ない一日こそ
しあわせなこと……。を感じるのでした。



2017年5月24日水曜日

岩の鼻口から城山へ 母の元気な姿が映るのです。




 



今朝は四時起床。
朝食の準備とお掃除をすませ、6時に出発。
岩の鼻口からの登りは
木道の階段が続き、その上かなりの急勾配です。
でも、今週末、守門岳に登ると決意したからには
足慣らしをしなければなりません。
と言う訳できつくて難儀な道を今日は選択しました。

息が荒くなり、諏訪神社からのコースは楽チンコースだと
あらためて感じました。

それでも、鶯の声や木の祠に心がなごみます。
祠に夫はお賽銭をそっとおきました。
先日はお賽銭を持って行かないで、お願いをしてきたので
今日は用意してきたようです。
願いはやはり一つ。娘の安産祈願だと思います。

くもり空のため視界はあまりよくありませんでしたが
街並みや山々が霧にかかったように目に入り
そのくもった景色が、昔の自分を想いだす懐かしいフイルムに
変わっていきました。

実母と一緒に城山に登った日はいつだったか
父が他界してからですから80歳くらいまでは
頑張って登ったな・・・・・・。
数段登っては休む、
「もうだめだ」という母を「ゆっくり時間をかけて登れば大丈夫だよ」
と励まして・・・・・・。
前かがみになり、手を腰の後ろに組んで登る母でしたが、まだまだ元気でした。
そして私はこういうのです
「ばあちゃん、きっと今日城山に登った人の中で、一番年をとった人かもよ」と
すると無口な母は にっこりとほほ笑むのでした。

懐かしい自分映画はジ・エンド。

バタバタと自宅に帰り、朝食を済ませ
豆撰に直行。
伝票の整理、やらなければならないことを一応終え、
いざ、病院へ。母のリハビリに間に合うように
往復時間を含め約2時間の御見舞です。
今日は、反応が悪くてがっかりでした。
眠くて、リハビリは中止。
せっかく来ているのにとテレビをつけ、刺激を加えると
なんと、目を開きました。
やりました。すかさず看護師さんにお願いしました。
ごっくんの練習です。
大成功!

お昼過ぎに豆撰に戻り通常仕事!
忙しい一日でした。






2017年5月21日日曜日

上杉謙信公旗揚げの地 城山散策

城山への道は何通りもあります。
今回は、諏訪神社から上ってみました。
神社入り口の階段を上ると、さっそく出迎えてくれる
草花ににっこり。

諏訪様に手を合わせます。
「何お願いしたの」と夫に尋ねる。
夫は無言です。
私は「ひとつだけしかたのまなかったわ」
夫は無言。
きっと夫も私と同じことをお願いしたのです。
もう少しで、誕生する孫の出産安全祈願だったはずです。

今回は写真でご案内いたします。
豆撰から諏訪神社まで車で5分、諏訪神社から本丸まで
歩いて30分くらいです。













2017年5月19日金曜日

看護の先に見えるのは姥捨山

思ってしまいます。人の世話になることなくころりと
あの世に行きたい。

高齢者を抱えると、自分の20年後を想像してしまいます。
いつか自分も病に倒れるはずだと・・・・・・。
夫婦の会話の最後は「あんまり長生きしたくないね」に
たどり着くのです。

実母の突然の入院生活
同居していた妹夫婦にも、私にも
大きな問題となってきました。

誰もが命の期限を宣告されると、とても優しくなります。
それは、家族だけではありません。病院の先生、看護士さんも親切に
してくださります。実際父、叔母、叔父が死に直面した時は
優しい言葉で励まされたり、促されたりしているのを隣で見ていました。

しかし、今回はちょっと違うのです。
「脳梗塞」という病には段階があります。
症状がかなり重くなり、高齢になると、治療もなくなります。
すると、入院しているのに、看護士さんはまるでロボットのように機械的なのです。
忙しくて大変なことはわかります。
でも、患者は無抵抗な弱い人間なのです。
母は、言葉が出ません。意思表示はうなずくかうなずかないかです。
私と妹の言葉は母に伝わります。なぜなら、伝わるように根気よく繰り返し
話すからです。看護士さんには言葉がでないこと、左半身まひという
事実から、寄り添う気持ちを伝えようとはしないようです。
看護ってどういう意味でしょうか

着替えのシャツを持って行く時間が10分遅くて、母はお風呂に入った後、パジャンマだけ
着せられていました。
翌日、母はシャツを着ていません。と看護士に伝えると
そうですね。と言ってシャツをロボット人形にでも着せるように
作業をしました。
話ができなくても、全身全霊で伝わるように話せば
母はわかるのに、なぜ伝わるように話してくれないのか
看護士さんに不信感がつのってしまいます。

高齢者の病の先に見えるのは
姥捨山なのでしょうか


2017年5月16日火曜日

絹あげと鶏肉の栃尾だんご誕生まで






豆撰がイートインをはじめて、早2か月が過ぎようとしています。

何からお話したらいいでしょうか
まず、イートインスペースをどうしたらいいか、一番の難関でした。
限られたスペースです。店舗を増設することが、一番のなのですが、
豆撰は新潟でも雪の多い豪雪地帯です。
駐車場の確保以外に除雪した雪の捨て場が必要なのです。
そこで、仕方なく店舗の配置を考えた次第です。
窓際に椅子を並べてはどうか、テーブルを増やそうかなどなど
なかなかことは進みませんでした。

私の人生は、親、夫、娘はもちろんですが、お友達に感謝感謝の人生です。
運がいいのです。困った時に困ったことを解決してくださる人に
必ず出会うのです。今回も、そうでした。FB友達つながりの長岡出身の
建築家の先生とのご縁があってこそのイートイン。
幾たびかの、写真やメールのやりとりで相談をさせていただきましたが
私の不手際と私のいい加減な性格に、先生はしびれを切らし
東京から栃尾へ数回足を運んでくださりました。
「お金をかけずに、再利用しましょう!」のお言葉(信念)をいただきました。
元々豆撰に存在していた、大きな蔵の戸を使ったテーブルは、みんなの邪魔もの、
なんて、言ったら亡き父が「こら!れいこ」と怒鳴りそう・・・。ですが欅は重いのです。
でもなんだか、大きくって重厚でいい感じの座敷に出来上がりました。
それから、ショーウィンドウの位置を、まさか動かすなんて、思いもつかないことでした。

何とか、イートイン改築は終了のはずなのに
私は豆乳ソフトクリームの器械のサイズをすっかり先生に報告することを忘れ
まあ、なんといいましょうか
私は小さく小さくなって、「ごめんなさい」と謝るのみ。
それでも、先生の後輩の建具屋さんのおかげで、機械も食洗機も無事に
棚の上に収まることができ、やれやれ。

ここからが本番です。食器選び、
「アツアツ栃尾の油揚げ定食」の副菜
「栃尾寿司弁当」の副菜 と頭の中はいっぱいいっぱいになってしまいました。
そこで、今度はFB友達の料理家にSOS!
レシピのヒントをいただきました。(建築家と料理人さんは同一人物)
豆撰の人気商品「絹揚げ」を細かく刻み、鶏肉をミンチして
どこにも売っていない、豆撰独自の新商品へと・・・・・・。

さて、はて、もっとも重要ことはイートインのシュミレーションと評価が問題です。
お忍びで、東京からお越しいただきました、シニアビジネスの第一人者のMさんと
私の保育園時代の先輩ご夫婦から、貴重なご意見をいただくことになりました。
この重要な場面でもお友達から助けてもらうことが出来たのです。
シュミレーションがなかったら、一体どうなっていたことやら・・・・・・。
まだまだ、たくさんの本当にたくさんの方々の応援をいただくことが出来たのです。

話は前後してしまいますが
多くの多くの方々の応援、イートインに来てくださった方々、豆撰のお客様から
「だんごを売ってください」との声がたくさん!
嬉しくって、ありがたくって、
「絹揚げと鶏肉の栃尾だんご」を販売することになりました。
パッケージにはサブタイトル「お母ちゃんの手作り」を入れました。
一流の料理人にはなれませんが、健康と栄養バランスを考えた
お母ちゃんスタッフの愛情を栃尾だんごにいっぱい、いっぱい、詰め込んでいます。
夏のパンフに載せます。お楽しみにお待ちください。
世界にひとつだけのお母ちゃんの味を・・・・・・。









2017年5月8日月曜日

はーい。100点です!母のリハビリ。

三日ぶりに
入院中の母の顔を見に行きました。
母は声が出ません。
「おはよう、ばあちゃん」と声をかけると
口を少しだけ開き、お・は・よ・う
と唇だけ動かします。
今日は調子が良いのか「目を開けて」と母の耳元で
大きな声でいいます。
小さな目(亡き父曰く母ちゃんの目はドジョウの目)をそっと開きます。

母の手を握ると、握り返してきます。
親指はどの指と問うてみました。反応ありです。親指を動かしました。
小指はの問いに小指も動かしました。
凄い、進歩です。
それから、リハビリの先生から腕伸ばしをしていただき
「今日は調子がいいようなので、リハビリ室にいきましょう」
となり、私も一緒に移動。
車椅子に乗っている母の首は右向きです。
左の麻痺のせいで顔を正面に向けられないようです。
病院から外の景色を見る
車がいっぱいの駐車場、その向こうにはバイパス
「見える?」と問う、うなずく母。
母の目の先に烏が飛行していました。

母は歌が大好きな人でした。
山道を30分以上歩いて、田植えに行きます。
行き道は、私も歩きます。何歳だったのでしょうか。
父と母は田植えをします。私はおたまじゃくしを捕まえようと必死になって
泥んこです。なかなか捕まえられず「父ちゃんとって」と半べそ。
山の田んぼですから
お昼はおにぎりを持って行きました。
大きな大きなおにぎりの中は、もちろんうめぼし。
親子三人で食べるおにぎりの味は今でも覚えています。母ちゃんの味です。
おにぎりを食べ終わると、父はおたまじゃくしをとってくれます。
泥で小さな私専用の池を作ってくれます。
日が暮れると
からっぽになった馬かごに私はのって、楽ちんらくちん。
母は烏を見つけて
「カラスの母ちゃんも父ちゃんもこどもたちの待っている山に帰るんだよ」

烏なぜなくの
烏は山に
かわいい七つのこがあるからよ・・・と母の歌を聞きながら
コックリ、コックリ

病院から見た烏と若き日の母が重なり
思わず目頭があつくなりました。

視界の狭くなった母がなんと今日は輪投げに挑戦しました。
できました。できました。
「はーい。100点」と拍手をするわたし。
それを見て、リハビリの先生もニッコリ。





2017年5月4日木曜日

豆撰のおかあちゃんスタッフはがんばりまーす!








「栃尾寿司弁当」も「アツアツ栃尾の油揚げ定食」
豆撰のスタッフの全部手作りでーす。
科学調味料を使わずに、おかあちゃんスタッフは今日も頑張って作りました。
シェフにはなれませんが、やる気おかあちゃんの
心が伝わる田舎の味です。

皆様から「美味しかった」と言われ「本当ですか?」と大喜びしています。

豆撰イートインはお客様とスタッフの「仲良し」の絆になるかもしれません。
イートインのお時間は午前11時から午後3時まです。
お弁当もお店で召し上がれます。
単品は朝10時から夕方4時までお召し上がりいただけます。
みなさーん!お待ちしております。

今日は東京、富山、石川と遠方の方いっぱいでした。
ありがとうございました。
明日も、おかあちゃんスタッフはがんばりまーす!

2017年4月28日金曜日

東京のホテルの味は全く特徴がなかった

片道2時間の日帰り出張。
目的場所へ直行。
600人以上の集会である。北海道から九州までの「ものづくり」販売業者が一堂に会した
このホテルは、見覚えがあった。
中学生になったばかりなのに、天国に行ってしまったさやかちゃが元気だった頃です。
娘4才さやかちゃん5才。夫の叔母さんご夫婦とさやかちゃんの家族と私達家族で
夕食に連れてきてもらったホテルでした。
初めてのバイキングです。子供達は大喜びでした。食べたことのない「ライチ」をとても美味しいと何回も取りに行っていました。景色が動くのにも感動しました。
懐かしさと悲しさがいっきに湧き出てしまいました。
さやかちゃんが生きていれば37才です。もう、会うことはできません。それよりも、このホテルへの出張がなかったら、最近ではさやかちゃんを思い出すこともなかった。

栃尾の油揚げを作っている私の興味はやはり料理です。
会費の額にもよるのは当たり前でしょうが、
一流ホテルには特徴が感じられませんでした。
長岡のホテルとまるで変わらないのです。
つまらなと思いました。東京には地方からたくさんの食材が届くはずなのに、その特徴を生かしたメニューが見当たらない。何種類あっても、感動がなく、がっかりしました。
これなら、安くて、想いの詰まった「栃尾の油揚げ」の方が価値があるのではと思ってしまいます。
飽食時代に、誰でもがお手軽に食べれる栃尾の油揚げイートインは、この時点で一流ホテルに負けていない。
豆撰の想いの味をどうしたら、伝わるであろうかと悩みながら帰りの新幹線に乗りました。



2017年4月25日火曜日

もうすぐGWです。ぜひ豆撰にお越しください!







人間って本当に不思議な生き物だと思います。

昨日までは、もうどうでもいいか、なるようになるさと
投げやりになったかと思うと、ちょっとした嬉しい出来事で、
またやる気が出てきたりするものです。
私は頭の中がいっぱいになると、体まで狂ってしまいます。
足が重く、腰は痛く、こりゃあ大変と
昨日は、整体に行ってちょっとリラックス。
でも朝になると、やっぱり気が重くなるのです。
GWの準備もしなければ、
新商品のパッケージの事や7月に渡米しなければならない
事情もあり早めに夏に向けたパンフレットも作らなければと
思うのですが、
思うのみでなかなか前に進まなかったのですが
なんと!朗報あり。
入院中の母が1週間ぶりに口からゼリーを食べたとの知らせが入り、「やったあ!!」
このことは私のやる気スイッチの再起動です。

もうすぐGWです。
4月29日・・・・栃尾の春祭り
5月 3日・・・・雁木あいぼ(てまりつくり見学)

一年で一番美しい栃尾の春は新緑を楽しむことです。
刈谷田ダムにはこの時期は水もあり、周りの山々の薄黄緑は最高に美しく心を和ませてくれます。
鳩峰にちょっとハイキングしたら栃尾の街を一望できます。
秋葉神社、諏訪神社、神社の多い栃尾です。
上杉謙信公旗揚げの城山に登れば、山野草にも出会えます。

栃尾散策の途中で「アツアツ栃尾の油揚げ定食」「栃尾寿司弁当」「豆乳ソフトクリーム」
はいかがでしょうか?
お弁当は朝10時に販売いたします。(お弁当はご予約承ります)
ランチタイムは朝11時から午後3時まで。




 

ご家族お揃いで、お友達と 「栃尾巡り」を楽しんでください。
雁木通りもおすすめいたします。






2017年4月23日日曜日

栃尾寿司弁当を持って、栃尾の桜巡りと山菜採り








4月22日、5時起床
あれれ、雨が降っています。
栃尾寿司弁当を持って桜ツアー当日なのにどうしましょう!
東京、柏崎、長岡から数人のお客様のおもてなしの日なのに・・・
すると、夫が「雨は朝のうちだけだから大丈夫だ」と天気予報を確認してくれました。
7時ころに雨はあがりホッと胸をなでおろし豆撰へ出勤。
おもてなしのお弁当は 栃尾寿司弁当スペシャル版。
さてはて、どんな感想が聞けるか、楽しみのようで怖いものです。

豆撰の裏山、花桃の里へ
見晴らしの良い場所に皆様の感激の声。
刈谷田川と西田谷川の合流を山の上から見下ろす、街並み、バス停、学校、秋葉公園
などなど、目印になる桜を追いながら、
まるで、私の庭のごとく説明し、
誰も知らない場所、ここは私の秘密の場所のように説明し、ひとりよがりの鼻高気分。
帰り道でおじいちゃんとお孫さんのお花見に遭遇、なんて微笑ましい!
いつか、私も孫と来ることあるかしら?
栃尾美術館にて、お花見弁当 (栃尾寿司弁当スペシャル)をひろげる。
女性陣は3個の栃尾寿司はいっぱいかなと心配の声も聞かれましたが
皆さん、ぺろりとお召し上がりに、これまたひとりよがりの感激。
さて、空も青くなり、目指すは菅畑そして「こごめ」採り体験。
こごめを追いかけて、どんどこどんどこのぼって、まるで童心になって
いたのでは?またイチゲやカタクリを見つけては歓喜の声。


最後はやっぱり豆撰に戻ってアツアツ栃尾の油揚げを食べてもらい
生搾り豆乳ソフトでしめました。

どうぞ、皆様も豆撰イートイン俱楽部にお入りください!
事前にご予約いただければ、栃尾寿司弁当を持って、栃尾散策ご案内いたします。
電話予約は豆撰多田礼子…電話0120-05-5006まで