2017年11月23日木曜日

被爆ピアノコンサートで教えてもらったこと


栃尾の被爆ピアノコンサートは、長岡に比べたら
出足も遅く、戸惑と不安の中で準備に入りました。

広島には仕事を含めて3回行きました。もちろん原爆ドーム、平和記念館、爆撃を受けても
残った小学校などを見て回りました。
飯島晶子さん主催の素晴らしい被爆ピアノコンサートも東京で聴かせていただきました。
五藤利弘監督のドキュメンタリーも拝見させていただきました。
矢川光則さんの書「海を渡る被爆ピアノ」も読ませていただきました。
でもまさか、
五藤監督の「栃尾で被爆ピアノコンサートができませんか?」と問われた時、
コンサート企画なんて一度もやったことがありません。
私にできるはずがないと思っていました。
でも、やってみたいという気持ちも心の底にあったのです。
矢川さんとの交渉、連絡等は五藤監督と長岡主催のSさんにすべてお任せです。
私の役割は会場探すことが一番でした。

運が良く、豆撰の目の前は栃尾キリスト教会でした。
目の前とは言え、お話をしたこともない牧師様です。
普段では到底考えられない勇気みたいなものが私を後押ししてくれました。
今思うとピアノが私に「できますよ、やってごらん」と励ましてくれたのかもしれません。
そして、牧師様は快く「地域のための教会です。お使いください」
と優しくおっしゃってくださいました。
次は、演奏者探しです。
被爆ピアノに触れたいと言う熱意や願望の人たちを探すのはとても難しいと思いました。
何気なく、同窓生に「中学生か高校生から弾いてもらいたいの」と話してみました。
すると、「私知っている、聞いてみようか」と言ってくれたのです。


豆撰のスタッフのお子さん、名古屋から駆けつけてくださったTさん。
元音楽の先生たち
そして牧師様の奥様。被爆ピアノコンサートは男女問わず、年齢を問わず
集まってくれました。

友人、同級生、ご近所様にコンサートの主旨とチラシを配りお願いしました。
すると、もう一枚、もう一枚とチケットの枚数が増えていきました。
なんて嬉しい事でしょうか
ピアノの鍵盤の数ほど輪が広がったのです。
当日は補助席を出していただくほど、礼拝堂はお客様でいっぱいになったのです。

できないと思っていたコンサート、あきらめていたコンサートが
ひとりひとりの気持ちの輪が広がって、素敵な集まりになりました。
ピアノの調べは虹の駆け足です。
どうか、みんなが手をつなげる世界になりますようにと願っております。
調律師の矢川さん、朗読をしてくださった飯島晶子さん、
来年被爆ピアノを撮影される五藤監督、SさんTさん
そして、会場に集まってくださったみなさんに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。



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