2016年2月26日金曜日

桜と雀






川沿いの桜並木をこの季節、夫と肩を並べ歩くと

桜に映る景色は、遠い日の私たち夫婦の歴史でした。
がむしゃらに働き、両親の助けをかりての子育ての日々は
苦しいというより懐かしくよみがえってきました。
そして、やっと
自分たちへのご褒美をいただいたようなのんびりな一日でした。

桜の木々から小鳥の声がします。
メジロのような声に聞こえて
「何鳥かしら?」と覗き込む私に
夫は
「雀だよ」とそっけなく応えるのです。
でも、私にとっては
綺麗な桜木の枝から枝に舞う雀はかわいらしく
あどけないものでした。

3枚目の写真が一番お気に入りの写真です。
桜餅は美味しかった!




2016年2月24日水曜日

フジテレビ「怪獣散歩」の撮影





ウルトラマンに登場していた怪獣3体が

新潟にやってきました。
そして、栃尾にも出没、栃尾の美味しいところを
廻ったようです。
もちろん、豆撰にもお立ち寄り。
お餅の大好きな怪獣は「モチロン」さん。
今回は栃尾の油揚げとあぶらげバーガーを美味しいと
食べていきました。
スーツ姿のケムール人はなんとリクルートスーツで登場。
地球に就職したいのかな?
メフィラス星人はちょっと怖い感じ、
栃尾の油揚げ征服したいのだろうか?
怪獣三体と豆撰スタッフは記念撮影。
モチロンさんはきっと男性です。
妹の肩を抱いているではありませんか。
「怪獣って癒し系だね、怪獣フアンになっちゃたよ」
と妹は大喜びでした。
そして、ふるさと割の関係の方までご一緒に
記念撮影されていきました。
写真は円谷プロさんが??アップできません。
でも、店内掲示はOKでした。
ご覧になりたい方は是非豆撰にお越しください。
お待ちしております。

怪獣3体はシールを永久に貼っておいてください。と
言って帰りました。





2016年2月22日月曜日

バス停から


栃尾から見附に出るには、栃尾坂を上がります。
坂の上から栃尾の街が見えます。
そして、小貫の村をバスが走ります。
この日は、雪がたくさん降ったのでしょうか?
小貫のバス停の前は雪でいっぱいです。

初めて、乗ったバスは三輪車。
車掌さんがいて、切符をきります。
この頃、私たち子どもは乗ったことのないバスにあこがれバスごっこをしました。
幼馴染のMちゃんは越後交通にお父さんが勤めておられていたので、バスに何回も乗ったことがあり、バスの中を再現してくれました。
新聞紙で財布を作り、お金も作りました。切符はちょっと硬かったような気がします。何を使ったのだろうか思いだせません。
バスは帯をつなげました。電車と同じです。

このバス停をみつめていると
50年以上前の私が現れるのです。
おかっぱ頭のカリアゲというヘアースタイル。
母が作ってくれた、車ひだのスカート。
共布でスカートが落ちないように
肩ひもがついています。
靴はちょっとぶかぶかでした。
2年くらいはかせようと両親は考えたのでしょう。

何もない時代なのに思いだすと
心が踊りそうになります。








2016年2月20日土曜日

テレビの世界も摩訶不思議

土曜日、私の休日、
珍しく家でゴロゴロと過ごしました。
お昼ごはんを食べてから、買い物とビデオを借りに長岡まで行きました。
着いた途端に思い出したのです。この袋には、財布が入っていないことを。
携帯とデジカメのみ。そしてTSUTAYAカードは財布の中です。
一人で出かけなかったのはラッキーでした。夫からお金を借り、その代償は
「馬鹿じゃないか!」の罵声を素直に聞くことでした。
買い物を済ませ、買いたい本とビデオを探すものの見当たらず。
検索画面をタッチして確認してもありませんでした。これならばやはり、
アマゾンにすべきだったとひとりしょぼくれ帰宅。
仕方ないので、昔の相棒を観る。及川さんの初登場の巻きだった。
相棒はドラマも映画も結構好きな分類です。
それから、ふたりで散歩をして、家に戻ると、あの番組!なんでも探偵団でした。
番組終了のちょっと前です。ネットで騒がれる前からちょっと変と思っていました。
どうしたのかと、首をかしげつつ、時々見ていたのです。
やっぱり石坂さんは消されています。視聴者が一目でわかる、いじめ!
日本中に届けられる電波です。こんなことあっていいものだろうか?
何も視聴者にあからさまにわかる裏側の戦いを見せなくてみよいだろうに?

2016年2月19日金曜日

事務所の小さな部屋で横たわる母

豆撰の事務所は8畳ほどの狭い部屋です。その中に
パソコン4台と机。冬になれば当然ストーブも登場します。
9時過ぎに事務所の戸があきました。
振り向けば、実母がだまって、ジタバタしながら長くつを
ぬぎ、中に入ってきます。
簡単な挨拶を交わす、いえ私が勝手に話しかけるだけ
なのです。
私「ねえ、ばあちゃんいくつになった?」
実母「わからん、いくつだ?」 
私「84でしょ」
それから妹のこどもについて
「Yは学校に行った?」
実母「わからん」
私はYのことなら関心を持ち、記憶の回路が目覚めるの
ではと思ってわざと聞くのです。
「Yは今何の仕事してるんだっけ?」
すると、少し考え、間をおいて答えるのです。
「先生だっけか?」と。
たったこの2つの質問に答えられる時もあれば答えられな
い時もあります。
実母はストーブの前に丸くなって横たわり
「さぶいっけん、なんかかけてくれ」と私に 言います。
私は、自分の着ていたジャンバーをそっとかけてやりました。

哀しくって、切なくって、涙がにじんでしまうのです。
でも、あんまり長く生きなくてもいいよと
心の中で呟いているのは私です。


2016年2月18日木曜日

ベトナムの風に吹かれて

久しぶりの映画は「ベトナムの風に吹かれて」
昨日、お友達のAさんとアオーレ長岡にて観賞しました。
仕事を途中で抜け出し、リュックには笹団子をしのばせ
いつもの、長くつで出かけました。
時間には間に合いましたが、観終わると8時半になります。
だから、その前にちょっと虫押さえに持参した笹団子ですが
会場はとてつもなく明るいではないですか、
カサゴソと笹団子を出す雰囲気には相当の
「おばさん 」を発揮しなければなりません。
迷っていると、映画の案内人からのお知らせが
流れました。
「携帯電話はお切りいただくかマナーモードにお願いします。
また会場での飲食は禁じられております」
ああ……。出さなくてよかった。
さて、映画がはじまりました。
最初のシーンは先日お邪魔させていただいたばかりの
栃尾のMさんの古民家。お伺いしたままのセットです。
なんだか新鮮な感じ。そしてお葬式シーンは
これまた、豆撰のご近所のセレモニーホールではありませんか。
10年前に父の葬儀が執り行われたあのホール。ここ数日
立て続けに父との想い出が繰り広げられる不思議さ!
松坂慶子さんは好きな女優さんです。
昔とちがって、まるくなられて、演技も丸くなられて好きです。
松坂さん演じるみさおと草村礼子さん演じるシズエさん
のやりとりは、私と実母によく似ています。
ベトナムの方が多く出演されていました。
なじみのない俳優さんのベトナム語は全くちんぷんかんぷん。
中国語や韓国語と違って話し方はとてもゆったりとしていました。
国民性なのでしょうか
映画の中で、認知症の女優が演じる舞台。
一昔前の感じといえばいいのでしょうか
こちらも国民性なのでしょうか
人の心を和らげてくれる、最近にない不思議な映画でした。
高度成長しすぎて、毎日毎日老人が殺されたり、子供たちが虐待されている日本の方が変な国です。
観終わって、またまた先日ご一緒だったSさんとばったり。
3人で夕食をいただきました。
そして帰宅すると
夫の第一声「どうだった?年寄りを大事にしんばっていう映画だったろう?]
私「そうね。というよりあと15年したら、私もああなるんだよね。娘は私を迎えに来てくれるんだろうか?」
夫「無理」・・・・・・・・。



映画でした。

2016年2月17日水曜日

大桃美代子さんと一緒にそば打ち体験

 
 
 

縁とは不思議なものです。
その不思議な縁続きで、とても有名なゲストを
お招きして、そば打ち体験をしました。
そば打ちの師匠は上塩のKさん。
集合時間は10時半と打ち合わせしていたのですが
師匠は9時半から小道具を持ち込み準備してくれました。
そば打ちメンバーの写真に「大桃美代子さん」を見つけると

「今日のそば打ちは簡単に引き受けてしもうた、
こんげん、有名な人がくるがっけば、ひきうけんかったがんに」と
83歳の師匠らしからぬ、弱気発言でした。
それでも、総勢10人のメンバーが揃うと
先ほどの弱気発言を全く感じさせず、そば打ち師匠になり
私たちは生徒になり、その指導の下そばを作りはじめました。
経験者がふたり、夫とSさんは手際もよく、
思った以上にスムーズな出来上がりとなりました。
さて、クライマックス!
包丁と違うそば切り機械使用には
みなさん興味深々、自分にもできそうと
「私も」「僕も」と挙手して体験していました。
初めてお会いする方、何度もお会いしている方と
メンバーは様々なのに、わきあいあいです。
大桃さんとご一緒できた興奮がさめぬまま
お友達感覚で幼少気分になってしまいました。
出来上がった、そばを茹で、順番に食べる。
この段階になると、カメラマンの手からカメラが離れ
茹で上がったそばを待っています。
仕事から離れた幸せはまさに
「食」にあったようです。
その証拠に、夫が一生懸命茹でたそばの写真は
アップされていないようでした。(笑)
ということで食べている写真もなく・・・・・・。
食べ終わった後から、お皿やざるのお片付け、
お茶出しまで大桃さんからやっていただきました。
こんなことあっていいのだろうかと恐縮!
私のようなあぶらげやの母ちゃんに
「礼子さん、礼子さん」と呼んでくださる大桃さんのお人柄。
83歳の師匠と同じく大大感激でした。



そばを食べ終わってから、この集合写真!
そばがないわけです・・・・・・・。

2016年2月16日火曜日

久しぶり聞こえてきた父の名前







縁とは不思議なものです。

先日2日間、縁をいただいた方々に
豆撰工場見学をしていただきました。
今回のメンバーには、湯之谷村の美人アナウサー兼女優さん
マルチタレントの大桃美代子さんも参加していただきました。
大桃さんとのつながりはもちろん「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」を撮られた五藤利弘監督つながり。
映画つながりからフェスブックつながりの
そうそうたるメンバーが集まってくださいました。
工場見学後は、裸押し合い見学・・・・・・。
そして一番の想いで作りは
なんと言っても、大桃美代子さんとご一緒できたことです。
ご一緒できたことは少し頭を整理して後ほどブログに書かせていただきます。
今日はそのご縁の発信元の監督に誘われて
「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」の撮影に使われた
由緒ある古いお家に連れて行っていただいたことから
話させていただきます。
130年 も昔のドイツ製時計、襖、大きな戸がずらりと
並び、いろりには火が入っていました。
そこで、五藤監督の撮影時のエピソードの数々に驚きと
映画の取り持つ縁を感じながらお話を伺っていました。
すると、突然「お父さんはお元気ですか」と古い家主の奥様が
私に話しかけてくださり、
ご主人様も「俺は若いころに大橋さんと・・・。」と父とのご自分の思いでを少し語りはじめました。
すると、私の心は何となくほころび、弾むのです。
この嬉しさをどう表現したらいいでしょうか
またこちらにお邪魔する前に
大桃美代子さんをお迎えしての
そば作り体験。これについても後日ブログに。
そのそば作りをお願いしたK さんも
父のことを懐かしく思いだしてくださいました。
「大きい方で何をやってもかなわんかった」と在りし日の学生時代を振り返って
懐かしそうに話してくださるそば作り名人は83歳。
父も生きていたら86歳。

まわりまわって、つながって忘れてかけていた父が
ふーっと空から舞い降り、
「礼子、今日は楽しい会だな。俺も見ていると楽しいぞ・・・・・・。」
聞こえてきました。

「あったてんがない」ではじまる
栃尾と栃尾の油揚げの素敵な動画をぜひご覧ください。





2016年2月12日金曜日

しみわたりの朝







朝陽が昇りはじめたころに

私は歩きます。
いつもとコースを変えたのは途中の脇道からこぼれる
オレンジ色映る、家並みがとても綺麗だったからです。


刈谷田川べりの雪を踏むと固い。
今日はしみわたりが出来ると心を弾ませ、川岸に下りたのです。
そして、このまま、しみわたりをしながら通勤できるのかと
思い込み、歩きました。
でも、そうはいきませんでした。当たり前です。
橋の下には雪があるはずありませんから。
いつもの道に上がり、堤防を歩くと
今度は鷺に出会いました。
金沢橋手前で、対岸をみると、遠くに
私が15年通った石段が見えました。
石段の手前には「ころり地蔵様」が見えます。
このお地蔵様には大変ご厄介になったことを思い出しました。
ひとつ、どうか私に子供を授けてください。
ひとつ、どうか父の願いが叶いますように。
と大好きなお茶を絶って、毎日願ったことを
懐かしく思いだしました。
ひとつ目は叶いました。ふたつ目は叶いませんでした。
でも、このふたつ目が叶わなかったから
今、豆撰で働くことが出来たのです。

2016年2月11日木曜日

栃尾っ子の自慢のひとつになればいいと願う



                      先週の職場訪問から



お昼からお日様が射し

豆撰の前に活気が感じられます。

親子連れのお客様は
熱心に
東小学校3年生の豆撰新聞を読んでいます。

一人一人が題をつけて書いた新聞です。
「豆せんのキャラクターとは」
豆せんのキャラクターは、豆すけで、キツネは、油あげがだいすきで、
豆せんのキャラクターになったそうです。
こんど、キツネにあったら油あげをあげてみては。

「はたらく人は」
あぶらげをあげる人、くしにぶっさす人。
あぶらあげのくふう
120どから180どまでのねつのあつさであげる。
二度あげる。5時からあげ始める。
売れる日
休みの日うれる。

「豆撰のひみつ」
オリジナルのタレを使っています。みそもあります。!
いろんなとうにゅうがあります。プリンもあります。

「豆撰のこだわり」
豆撰のあぶらあげはとちおの大豆が使われています。
なましぼりせいほうで大豆ほんらいのあまみを
出しおいしくあげています。・・・・
だから、中はふわふわ外はパリパリにしあがっています。
豆撰さんはとてもこだわっているのでとてもおいしかった。

「豆撰のあぶらあげはとてもおいしいので食べてみてください。

まるで豆撰の応援部隊です。
なかでも、栃尾で作った豆の油揚げは栃尾っ子にとっては
数倍、数百倍おいしく感じたようです。 

この子らが巣立つ日
この子らが戻ってくる日のことを
想像すると
目頭があつくなります。

2016年2月10日水曜日

マンサクの花を思い出して

FBお友達のブログを拝見しました。
マンサクの花について綴られた想いが私の心に響きました。
そして、私自身も遠い記憶をたどることになりました。

10年前の春
まだ残雪の多い守門岳の山開き前のことです。
夜が明けないうちに
夫とふたりで出かけました。
登りはじめは、最高の空気を吸い、渓流の音と野鳥のささやきに
心が躍りました。ほんのひとときですが
父の病も忘れ、登りました。
しばらくすると
残雪の道が続きました。雪の上を歩くのですから
林道は 尾根を歩くようです。
遠くに見える山々の美しいこと。この美しさには100名山も200名山もありません。
ようやく、登りきると
笹やぶの中に混じって咲く花「マンサク」に出会うのです。
春一番に咲く花だと夫が教えてくれました。
雪の中で咲くこの花をみつめながら
「生きてほしい」と 願いました。

それから、大岳頂上で朝ごはんのおにぎりを食べ、
途中で汲んできた清水を沸し、コーヒーを入れました。

一息つく暇もなく下山。

「じいちゃん 、ごめんね遅くなって。今ね守門山に登ってきた」と私。
「何時に登ったんだ、こんげんはやく戻ってきて、ごうぎだなお前たちは」と父の言葉。
何時だったでしょうか?9時か10時ころだったような気がします。
父の言葉には続きがあったのではと今振り返っています。
「俺のために、はよう起きて、急いで帰ってきてくれてありがとう」といいたかったのではと・・・・・・。

あの日に見つけたマンサクの花を
思い出しました。

Nさん、素敵なブログをありがとうございました。





2016年2月9日火曜日

栃尾に行って見たいわ…と言い続けたのに

訃報のお知らせが届く。
愕然とする。

お子様に恵まれなかったご夫婦でした。
私のことを、まるでご自分たちのこどものように

「多田さん、ちょっと待って、主人がお話したいそうだから・・・・・・」
「家内が多田さんと話がしたいから・・・・・・」と
順番に電話口に出るのです。

とても優しい方でした。
私が大きな失敗をした時
「申し訳ございませんでした」と
お電話したら
「誰でも間違いはあるものよ。大丈夫よ」と言ってくださったのは
今から20年前のこと。

「東京は空気が悪のよ、多田さん、新潟は空気が美味しいでしょ
今度、必ず新潟にいくわよ
ねえ、多田さん東京に来たら、うちに寄ってください。」

今もAさんの優しい声が聞こえてきます。
昨年末にお電話がなくて、どうしたのかしらと
気になっていました。
まさかの旦那様からの連絡に
涙がこぼれます。

油揚げ、お豆腐、納豆、お豆を美味しい美味しいと
ご注文いただきました。

昔は高校の先生をなさっていたようです。 
時々お出しする「お元気ですか」の私のお便りを読まれると
必ず褒めてくださいました。
「多田さん偉いわよ、今回のお便り一番よかったわ」と
お便りが届くとすぐお電話をくださいました。
私はこどもであり、Aさんの生徒だったのでしょう。
生徒は褒められたら、素直に嬉しいと思いました。

ありがとうございました。
Aさんにお会いできなくてとても残念でした。
旦那様もお体の具合いがよくないらしい。

今度、東京に行ったらお伺いしてみようかと思っています。

2016年2月7日日曜日

人生の一椀









広島への出張は新幹線の長旅です。

栃尾を朝5時半に出発して新幹線の乗り継ぎです。
広島駅に着いたのは12時半。
駅ビルの中で昼食をとり
時間がないので、今回はタクシーを使いました。
10分前に会場へたどり着くと席が数少ないではありませんか、
前の席はとても無理。
転寝なんかして、見つかったら取引中止になるやもしれないと
中ほどの背の高い人の後ろを見つけ、ここなら大丈夫と席を決めました。
内容はいつもの通りですが
一番よかったのは、お偉いさんの話が非常に短く
すぐに内容に入れたことです。
耳の痛い話ばかりです。
豆撰に置き換え、改善しなければならないところが結構ありました。
衛生面はもちろん個人情報など、ニュースで世間を騒がせていることを交えての注意、指導でした。
2時間の会議を無事終了時計は4時をまわりそう、
会議場から10分くらい歩くと広島城が見えました。
たしか去年も来たようだが・・・・・・と
思いながら入場券を買い求め、天守閣に上り
一年前の記憶をたどる私。
昔のことは覚えているのですが最近の記憶は定かでない。
その場所に到着してから思い出すのです。
これが加齢と言うものだろうと一緒に同行してもらった夫と笑いながら歩きました。
去年、娘と一緒に回った原爆ドーム、資料館は
心もからだも凍てつく写真の数々を再度見る勇気はありません。
ということで、去年娘と食べた美味しいお店を探し。
ありました!ありました!見つけました?
ガガーン!なんでこうなるの。定休日。
仕方なく、美味しそうな店を探しあて・・・・・・。
こじんまりとした部屋に通され、広島ならではのものをいただき
大満足。さあ、帰りましょう。
なんだか、変。お腹が・・・。
「お父さん、やっぱりあたったかも」
「フライと蒸してあったからいいと思ったけど・・・・・・」
危機一髪、セブンイレブンに直行、やれやれ、ふたたび
「ダメ」と駆け足でホテルに、もちろんロビーのトイレにまっしぐら。
やっぱり、私には牡蠣はダメだった。
娘に牡蠣にあたったことをメールすると「お父さんが?」と返信
「お母さんよ」と私。
「なんで?バカじゃない、あれほどダメだと知っていてなんで食べたの」
と叱られる。ええ、ええ、私は懲りない女です。
翌日は、治りました。これまた 回復力の速さに我ながらびっくり。
そして朝早くに宮島に向いました。
去年のような、おごそかな儀式はなく
宮司さんや巫女さんがあわただしくお掃除をしていました。
それから夫は牡蠣の食べ歩きを重ね、私は黙ってついて回りました。

広島を後に
また長い新幹線の旅。
そこで読みはじめた本「 人生の一椀」
旅の名所の数々以上に、この旅の中で一番感動したのは
この本の「 人生の一椀」でした。

美味しいものとは想い出の中に存在することを
知らせてくれた、栃尾の油揚げつくりも想い出の中で美味しいと思ってもらえたら、どんなにいいだろうかと・・・・・・。
この本を届けてくれた友に感謝しながら
新幹線の旅を終えました。

この本については
全部読み終わったらブログに書きましょう。

2016年2月1日月曜日

2月ふるさと割のご案内

お正月を迎えたばかりと思っていたら
もう1年間の12分の一が過ぎてしまいました。
ぎょぎょ、なんて早いのでしょうか?
この調子で毎日が過ぎてしまったら
私はあっという間に、女性版浦島太郎になってしまいそう ?
その前に竜宮城に行かねばならない。
さて、さて、私の竜宮城はどこにあるのだろうか・・・・・・。

昨年9月からはじまった、国の事業「ふるさと割」も
この2月で最終です。
豆撰では一番人気商品「ありがとうプリンミックス」
栃尾産新豆で作った油揚げにかぐら南蛮みそと昔ながらの煮豆を組み合わせた
「とちお産油揚げ&かぐら&煮豆」 
栃尾で作る笹団子と新豆栃尾の油揚げ「ふるさとセット」
を取り揃えました。
ご家庭に、贈り物にいかがでしょうか