母の飲みこみ練習を再開してから
2週間が過ぎます。
口からものを食べるということは
私が想像していた以上に脳の刺激、活性化につながるようです。
発熱のために飲み込み練習は中断し、そのうえ私たち姉妹の名前も
わからなくなり、まるで反応がない日々が約1月続いた時
私の脳裏に浮かんだ文字は「あきらめ」でした。
高齢です。もう最善を尽くしてきたのだから、仕方がない事と
思い始めていたのです。
でも、妹はあきらめることなく、医師にお願いし、飲みこみ練習の再開が
始まったのです。
そしてその結果、動かすことのない口をあけるようになりました。
ほんの3匙程度を飲み込むのに、15分から20分もかかります。
それでも、あきらめず取り組んでもらうと
今日は、「右手が痛い」「和子」「礼子」「足が痛い」と
言えるようになったのです。
看護師さんに「甘い?しょっぱい?」と聞かれると
「あまい」と言いました。
生きていることは食することです。
食することができると喜びが生まれます。
喜びが生まれると希望がでてきます。
母を見ていると人生勉強のように思えるのです。
看護師さんひとり、ひとりに特徴があります。
最近はそのひとり、ひとりの特徴を個性として感じることができる余裕が生まれました。
「栃尾の油揚げは絶対同じものができないよね。
看護師さんも豆撰のスタッフも同じだね」
こんな話をしながら豆撰に帰りました。
1を話し10を学ぶ人もいます。
10を話すとなかなかのみ込めなくゆっくり、マイペースの人もいます。
でも、繰り返し繰り返しあきらめることをしなければ
必ず10を学ぶことができるようになると思いました。
私自身も、もう歳だからと言い訳せず前向きに頑張ってみようかな?
と母を見て思いました。
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