2024年12月29日日曜日

オリビアが死んでしまった

 美しい人はジュリエットでした。

赤いビロードの中世のドレス肩に膨らみがあって、提灯袖から手首にかけて細くなる。このドレスを纏った女優は美しく哀しい物語を演じた。今から55年前だった。シェクスピアの本を手にしても理解不可能だっただろうが、映像は悲劇を美しく描いてくれる。映画は私にとって大人への階段を上るようだった。

そして私の青春のはじまりは「ロミオとジュリエット」であった。映画館通いもこの映画から始まった。

だから今日のネットニュースでオリビアの死を知ると私の人生も終わりなのか、確実にその日に向かっているような気がした。まるで砂漠にひとり立っているようで胸が締め付けられてしまう。

家族に見守られて召されたオリビアはジュリエットそのものだったのではとそっと涙をぬぐい心の中で十字架をきった。

日日是好日

2024年12月20日金曜日

家族

 私は叔母が亡くなった歳より13年長生きした。3歳違いの妹は、生まれて数ヶ月で天国に行ってもう67年が過ぎた。

今日はお天気も良く、先輩お友達がフランスパンをお土産に持ってきてくれました。柏崎原発反対の署名をとりにきてくださった。温泉卵と豆撰の栃尾の油揚げ煮付けをトッピングしたインスタントうどんでおもてなしをしました。夫の作った白菜漬けと刺身こんにゃくを添えて。先輩友達は「美味しい、美味しい」と何回も言って完食してくれました。

先輩お友達の家にはボニーという愛嬌のある目の犬がいました。雨は嫌いですが雪は大好きで、ふさふさの体には雪の毛玉がいっぱいついたと懐かしがっておられました。ボニーは天国に行ってまだ間もないのです。人間も犬も一緒に生活したら家族です。家族はいつか離れ離れになります。悲しいことですがそれは当たり前のことです。

「ライオンの隠れ家」最終回を観て、今日の出来事を思い出してみました。

日日是好日

お友達にメール

 〇〇さんへ

先日はありがとうございました。

会社に毎日通うことがなくなって

やりたいことがあったはずなのに

面倒くさくなって、どれにも関心がなくなっていく

中で

お茶だけはいいと思いました。

型が決まっているので

間違った時は先生が教えてくれる。

所作には気持ちや性格が現れるのでしょうが

私はそこの域には程遠いので型があると自分流で考

え悩むことはないようです。

ただ、ただ白いキャンパスに先生が私の手首を押さ

えて先生の想いの線を描く。

ツッパしてきて、今は虚脱感ですが

お茶はいつも無から始まるのでとても安心な和やか

な気持ちになれるようです。

〇〇さん、お茶にお出かけの時は

お声をかけてください。


こんなメールをお茶の仲間の先輩に送りました。

きっと今の私にはお茶の世界が異空間で非日常で

何より競争しなくていいからと思っています。


日日是好日

2024年12月16日月曜日

読んでも読まなくても

 老眼に白内障、おまけに乱視まで授かりました。

それを理由に、読んでもらえない本が寝室、リビング、娘の部屋にも放り投げだされている。なんとなく本を買うと頭が良くなった気になる。だから本を買うことは無駄使いではないと思っているおかしな老人です。

暇な時間をどう過ごすかが問題の老人。写真を撮るか、雪国は晴れの日が少ない、今はその季節ではない。

白内障手術を終えたばかりの老人にはゴミがよーく見えるようになった。暇な時間の使い方その一は掃除だ。風呂場はよくまあこんなに汚れたものだ。その脱衣所にある洗濯機はすごかった。白壁には蜘蛛の巣点在。冷蔵庫から台所のシンクとこんなに汚れているのか、今まで気がつかなかったのは目のせいだけではない。暇がなかったからである。と老人はこと如く言い訳を繰り返し掃除に没頭してみた。しかし掃除もだんだん飽きてくる。まあいいか、一つずつやればいいさ、時間はたっぷりある。

休憩時間は当然多くなり、おやつの時間がすぐにやってくる。9時の次は11時だ。YouTubeとNetflixで何か面白いものはないかとリモコンをいじり回しているとピアノが老人に声をかけてきた。『挑戦をやめるのですか』と大きな体で老人を威圧する。いいじゃん、ピアノなんて弾かなくても今さら70歳老人には先がないんだから楽しいことをするべきだとものの本にも書いてあるではないかとピアノに反論するものの、なんだかほったらかしのピアノが可哀想になってきて、ちょっと練習再開しはじめた今日この頃。

話を元に戻すと、本はインテリアのようにあっちこっちと置いてあるだけ。

ところが、先日いとこが一冊の本を老人に勧めてきた。人に勧められると読まないわけにもいかず、きっと暇をどう過ごしたらいいかという謎解きかヒントが書かれていると推察し、勉強が嫌いな人が明日は試験だからと教科書を広げるように老人は読むことを決意する。

なるほどこの老人にピッタリの話である。何がピッタリかと問われても、多分色々なパターンに当てはまるようだ。読み手の解釈はいく通りもある。書を小さい時から指導された主人公がいろいろな人と出会うきっかけはお手紙代行職である。なるほど習字を習うのも良い。しかし主人公は幼い時から叩き込まれて今はその腕で仕事ができる人。今さら70歳の老人がはじめてもどうなるでもないし、ピアノと同じに上達するには練習という二文字が大きくのしかかる。無理無理無理。

主人公のお手紙代行にはいろいろなドラマがある。ありがとうのお手紙。恋の架け橋お手紙。絶縁状のお手紙と様々だ。そのお手紙には紙を選び、筆を選び、想いを伝えていく。

こんな職業があるとはこの歳になるまで知らなかった老人。

老人は指を折りながらひとつ着付け教室3ヶ月で辞めた。ふたつペン習字はAmazonで取り寄せたものの開いただけで廃棄した。体操教室は3回で辞めた。そして今はピアノに挫折しかけている。

挫折しそうで挫折しなかったものは70歳まで続けてきた仕事とブログ日記である。そして今はこの自己中日記のみである。

これだけは続けられそうだ。練習しなくて良いからである。それでも、できるなら、その仲間に読書とピアノ練習が入ったらこれまた良しなのだが、練習と勉強は嫌いな老人だからさてどうなることか?

日日是好日

2024年12月11日水曜日

室井慎次 前編と後編

 久しぶりに柳葉敏郎さんの映画を鑑賞する。「敗れざる者」「生き続ける者」さすが俳優と感じる演技力。内容にはつじつまが合わない箇所もあったが見応えのある映画だった。子役の演技力もベテラン俳優以上に感情移入させてくれる。時代の流れなのか家庭内暴力のテーマが多いと感じる。親子の絆は一体どうなっているのだろうか。これも社会現象の一つとしたら、肉親の愛はどうなって行くのだろうか。

踊る捜査線上の映画との絡みはもちろんあるが、室井慎次の生き方を映画の中に閉じ込めている。殴られても決して殴り返さない。疑っても諦めない。肉親以上に他人同士が家族になる。最近多いパターンだと思いながらも正義の味方の室井慎次が好きだ。そして、すぐに否定する。すぐに諦める。意欲がない。希望が持てない。と毎日ぐずぐずダラダラ生きている自分と比較する。

ラストには違和感が重くのしかかってすっきりしなかった。秋田犬が戻ってこないはずはない。刑事を辞めた室井慎次は踊る捜査線に戻れないからか、次回の宣伝のためか、青島役の織田裕二の登場はそれなりに続きを意識させてくれたもののあっけなかった。それより、室井慎次に手を合わせて誓うシーンにしてほしかった。(安心と平和を望む老婆の意見)

映画は脚本で決まると思っていたが、脚本以上に俳優でも決まるものもあると感じる映画だった。

昨日の1日は終わって、また今日という1日がはじまる。

日日是好日

2024年12月10日火曜日

冬の星座に向かって

 キラキラ キラキラ キラキラ

「心の中で、キラキラ、って言うの。目を閉じて、キラキラ、キラキラ、ってそれだけでいいの。そうするとね、心の暗闇にどんどん星が増えて、きれいな星空がひろがるの」

いとこから借りた「ツバキ文房具店」の一節です。

小川糸 知らない作家さんですが、この一節が私に希望をもたらせてくれるかも

冬の星座が見える日に目を閉じて、キラキラと呪文を唱えようかな

日日是好日

2024年12月9日月曜日

暇つぶしに「ドクターX」

 宣伝効果は凄い

暇つぶしとはいえ自ら娯楽映画を観に行く自分。主演の米倉涼子さんは目力がありすぎて、ちょっと苦手だ。好きな俳優はラッパのマークの宣伝に出ていた勝村政信さん。このCMにながれる曲「ショパンのプレリュード」はピアノの課題曲だったことを思い出す。ピアノの先生が教えてくれた曲でありそのCMに、この方が出演されていたと言うだけでこの方が好きになった。なんと単細胞人間の私だろうか。さて、暇つぶしで選んだ映画、はじまりから展開像は見えてくる。晶さんは死なないこと。もしかしてファイナルって言うから彼が死ぬのだろうかと思っていたら不死身だと最初に種明かしをしている。いいよ娯楽映画だから。数分朝居眠りが入ってしまった。迂闊でした。

それでもこの大画面はさすが映画館である。スクリーンの大きさはテレビ画面と違う大迫力。音がいい。家だと外野の音がセリフを消してしまう。最近耳が悪いことを自覚しはじめた私であるが、映画館では全く感じることがない。

サスペンスなのかお笑い系なのか人情ものなのかそれとも社会派っていうのだろうか、入り交じっている。悪役西田敏行さん最期の作品だろうか?演じる表情に病を感じたのは気のせいだろうか。悪役から正義に変身もいい。穏やかが一番好きだから。

そして思う。

暇つぶしに観た映画だったが映画はやっぱりいい。涙シーンもあった。現実にはまだありえないことだが、それも良しと思える。筋書きも最初から見えるのもいいかな。安心感がある。

はて、私も70歳になりはじめて観た映画は「水戸黄門」調になったのだろうか。

日日是好日

2024年12月7日土曜日

ピアノ10分間

 2日前にちょっと弾いてみた。

今日は朝イチにと奮起。指の練習「ハノン」は好きではない。音階と指の練習なのだろうか、右と左で1オクターブ違うが同じ音を弾く。オクターブ上がって、下がるだけなのだが、音楽センスのない私には難しいのです。左の薬指でミを弾くと同時に右手は人差し指でミを弾くのである。つまり右手と左手の音は同じなのに指が違うのである。途中で指が絡まってくるのか、音がずれてしまう。

慣れてくれば大丈夫のはずが一月以上弾かないでいると伸ばしたはずのバネが元に戻ってしまったようだ。

5回くらい練習して5回以上止まってしまう。できない自分に腹をたて、ブログに言い訳している。

夫は「長いこと弾いていないから当たり前だ」とこんにゃく作りをしながら励ましている。

日日是好日


2024年12月5日木曜日

ホタル

時間に追われない生活は70歳で初めての経験である。このことがこれほど苦痛とは思わなかった。

昨日は病気のお見舞いに午後から行ってきた。行き届いたお掃除されれたリビングに観葉植物が置かれている。綺麗好きな性格なのだろう。目が真っ赤で痛々しい。梅干しにらっきょ、味噌、煮物、頼まれたみかんをテーブルに出す。彼女の瞳がちょっと曇って見えた。思い切ってお見舞いに来て良かった。

帰宅すると、もっていくはずのおいなりさんの酢飯がそのまま釜にあった。たっぷり時間もあって準備していたはずなのに物忘れは進んでいるようだ。情けない。

夫は友達の招待を受け出かけた。夕飯はひとりだ。お見舞いに持って行った残りの煮物を食べながらテレビをつける。昔の映画のようだ「ホタル」高倉健と田中裕子の作品だ。題名に魅せられて観ることにした。昭和51年頃からはじまり、戦争体験者であり特攻隊の生き残りの話だった。私はこの映画が作られた時20歳くらいだっただろうか。今から50年前だから今この主人公が生きていたら90歳を超えているはず。戦争体験、特攻体験者の苦悩は戦争が終わっても癒えることなく続いていることを訴えている。無口の主人公の表情、その妻の想いがじーんと伝わってくる。政治的背景に戸惑いながら、ロシアとウクライナの戦争のように日本も戦争に朝鮮人を利用したのか?学校では習わなかった。戦争について私は何も知らないのだ。

寒中にホタルは舞うはずがないのにたったひとつのホタルは愛する人のそばに現れる。幻想として捉えたらいいのか、どれとも本当にホタルとなって、再会を果たしたのかわからない。命の使い方があるんだろうか?

何がやりたいのかわからない。やりたいことが見つからないなんて、戦争体験者や戦争で命を落とした人たちに言ってはならない禁句だろう。

日日是好日



2024年12月2日月曜日

盲目のピアニスト辻井伸行プレミアムリサイタル

 辻井伸行さんのコンサートを拝聴するのは今回で3回目。

席は2階の舞台裏が見えるB席だった。真上斜めのため、手元は全く見えない。だが顔の表情はとてもよく見える。観客も見渡せるB席もおつなものだ。

3部構成になっている。

にわか音楽鑑賞者です。ドビッシーの曲ではじまりました。ネパールに行く前に練習していた「夢」を思い出し、もう1月以上練習をしない自分を振り返っていました。やる気が起きない。元々音楽には疎い性格である。今更クラッシックと向き合ってもこの先上達するには毎日の努力が必要だ。時間はいっぱいあっても鍵盤の蓋を開いて指をのせても5分ももたない今。なぜ、どうしたのか?

やっていることは家事だけ。白内障手術の結果ゴミがよく見えすぎるからだ。その他は無気力状態である。

1部はドビッシーらしさを感じる。2部は全く知らない作曲家だった。豚に真珠だ。不協和音のような曲で、秩序がない。これで終わりかと思えば続いている。わかると言えば難し曲である。耳慣れしていないのでクラシックの良さがちょっとわからない。

ここにいる観客の熱のこもった拍手喝采を聴くと、私のような音楽を知らないものが、聴いていいのだろうかとさえ思ってしまった。

休憩を挟んで3部はベートーヴェンだ。曲は知らない。だがベートーヴェンだった。ベートーヴェンらしさが聴こえてきた。

辻井伸行さんの表情がすごい。映画を観ているようだ。以前と違う。音の世界に入っている顔だ。堂々と自信に満ちている顔だ。

拍手喝采の中アンコール曲がはじまる。出だしの一小節目。何回も何十回も聴いている曲だ。そう、ピアノを始めた理由の曲「悲愴」だった。「おかあさんの被爆ピアノ」映画のはじまりだった。これにはまいった。さっきまで音楽は私とはかけ離れているかもしれないと思いながら聴いていたのに、なんだよなんで涙がこぼれてしまうんだよ。

ピアノを弾きたいと思ったこの曲、この曲のおかげでこの映画のおかげで今日があるのに・・・。

アンコール曲は続いた。戦場のクリスマスへと。辻井伸行さんに寄り添う方は舞台裏で盲目のピアニストの蝶ネクタイと襟を正す。なんと微笑まし仕草だろうか。愛がいっぱい詰まっている。

アンコールのたびにこのピアニストは左右に幾度も腰を90°に折ってお辞儀をする。観客に対して僕のピアノを聴いてくれてありがとうと語る。盲目のピアニストは心が清らかで音楽を心から愛している。

観客に感動を与えられる理由はそこあるようだ。

日日是好日