2026年4月1日水曜日

ヴェネツィアの魅力は

大勢の人たちのおかげで、今の私が存在している。海外旅行をしているとなおさらに感じる。

今回の ヴェネツィアの旅は何年ぶりだろうか、その過去を振り返りながら魅力を以前よりも堪能することができた。5世紀に築き上げられた水の都。ヴェネツィアは「潟 ラグーナ」という浅い海に118の小島と約400の橋で行き来する街。この泥と砂の潟の上にどうやったておとぎの国を作ったのか隠された秘密をイタリア人の娘婿より聞く。①レンガで防水壁を作り高さ4メートル直径20センチのオーク材やカラマツの杭を打つ、木は海水では腐らない。木は水に濡れ空気にさらされると腐食する。杭の上に石を敷き土台を作っているそうです。その杭が島の40%もしめているなんて誰が想像できるだろうか?。宮島の厳島の鳥居もその工法だろうか。1500年も前にこの知識と工法に驚き唖然とするのみ。

ベネツィアの歴史も戦いの中にあり、ビザンチン帝国からの独立し、地中海貿易により経済と芸術、工芸を発展させ今日のイタリア最大級の観光地となっているのでしょう。

さて、駅に降りた途端に人、人の波。リアトル橋の上のお土産売り場では身動きならないほどの観光客です。街には広い通りと狭い通りが迷路のように続きます。スマホは絶対必需品。ただし私たちはWi-Fiがないのでスマホの役割は写真を撮るためのみです。とても素晴らしい街並みは絵の中と同じ、ゴンドラに乗れば心地よい揺れの中でワクワクドキドキの物語。サンマルコ広場のコの字型の広さとその白い要塞のような美しさにナポレオンが世界一と称賛したことに納得する。塔に上って見下ろす街の景色は赤煉瓦色に統一されて美しい。白銀の世界の美しさも白一色で美しいが雪は溶けてしまう。いや白銀の世界は日本の誇る四季の美しさに他ならない。それぞれの美しさであろう。サンマルコ寺院は東方見聞録を書いたマルコポーロを祀っているゴシックの宮殿が有名。金ピカのゴシックで描かれた壁や天井。その中に9世紀にエジプトから運ばれてきたマルコポーロの遺体、中には王冠やら宝石が何千もあるらしい。でもここに入るにもお金が必要です。というわけで断念しました。それと日本語通訳の携帯を借りました。もちろんお金を払ってです。ところが歴史的背景や歴史上の有名人物その上に建築方式の専門用語には全く理解できなくて、これでは意味ありませんでした。老夫婦は美と作りを見て回るのみでも忙しいのです。

忘れていました。ここでは海の幸がいっぱいです。イカ、タコ、タラ、イワシ、エビの前菜は最高に美味しかったです。日本人好みです。これにパスタやメーン料理を食べる。おまけにデザートなんて!日本に帰ったら「ダイエット」です。もう一つ老夫婦の合言葉は「これが最後だね」を階段と橋を渡る度に掛け合いました。

1日目のベネツィア終了

日日是好日









2026年3月27日金曜日

イタリアの日常

 娘の家はモンツァの中心街から少し離れた住宅街。目覚まし時計は小鳥の囀り。木蓮の花は散り、遅咲きの八重桜が咲き、坊主だったけやきは萌葱色の帽子をかぶりはじめました。イタリア滞在も半分が過ぎます。

小路には両脇びっしりと車の縦列です。駐車場のスペースがないのです。通学は必ず父兄同伴です。信号もありますが、横断歩道だけの道も多いのです。横断歩道では常に歩行者優先です。必ず車は止まってくれます。ニュースで日本の中でも新潟はこのルールが通用せず車優先であることが多いと聞いている。自分もマナーを守って歩行者優先を心がけようと思いました。

嫌なことは、歩道に犬のうんこだらけのこと。これには閉口する。とにかく犬を飼っている人が多くて、まるで犬のデパートのようです。小型犬から大型犬と種類が多く、ぬいぐるみのように可愛いのですが、マナーがないのです。

栃尾では外国人を見ることはほとんどありませんが、ここではいろいろな国の人が生活しています。

週に2回の市場でもさまざまな国の人が開いています。スーパーで買うより新鮮で安いのです。

レストランは結構高くつきます。観光客とある程度富裕層の人が利用しているようです。

公衆トイレはなくて、レストランかカフェを利用します。トイレ探しが一番困るところです。

パン屋さんは目の前ですので、バッチリ買うことができます。指差しとレジスターを見ればいいのですから。ボンジョールノとグラツッエ、チャオだけでほぼほぼ買い物はOKです。スーパーはセルフ帰り出口にてレシートをかざせば柵が開きます。このシステムはとても良いと思います。

家から5分で行ける大きな公園があります。今回のお土産のジジ手作りの竹とんぼとバトミントンを持ってピクニック。簡単にできるはずと意気込んでラケット振ると空振り。腰を捻り、70代には無理でした。

日本では老人ふたりの気まま生活。イタリアでは孫中心の社会家族です。日本にいれば寂しくイタリアにいれば家族に合わせた生活。どっちもどっち。

日日是好日


2026年3月25日水曜日

ミラノイチオシ「アンブロジアーナ絵画館

 2026/3/23

ミラノで1番古い美術館で図書館と併設されている重厚でゆったりとした空間、そして上段から見下ろす中庭に歴史の重みを感じます。

ここには多くの宗教画が収められています。マリア像には母愛を感じますが、キリストの張り付け、胸の傷、手と足の釘後、殺し合い、騙し合いの画には心が痛む。

でも、ルネッサンス期のレオナルドダヴィンチ作品「音楽家の肖像」は他の絵と違う精密さと安心感が私には感じられ、立ち止まりました。数点しか存在しない作品の一つだそうです。

ラファエロのバチカン市国に描かれた「アテナイの学堂」これはバチカンで去年見た下絵らしい。下絵の現存も戦火で失われず復元してきたようです。凹凸の紙を何枚もつなぎ合わせているようでした。あとでわかったのですがこの修復に和紙が使われているそうです。ということはそれぞれの国にはその国の誇れるものがあり、歴史がある。比べることではないということでしょう。

カラヴァッジの「果物籠」はわりと小さなキャンパスに描かれています。葡萄とりんご、葡萄をモチーフにした絵は多いと思いながら、葉っぱの特徴かなと思い、栃尾の桐生照子さんの絵を思い出す。

この3枚は記憶に留めておきたい心に残った絵でした

日日是好日

北イタリアの最大湖と遺跡

 北イタリアの最大の湖「ガルダ」はモンツァから車で1時間半くらいかかります。道の両側には菜の花畑や葡萄畑が続きます。広大な面積での収穫はさぞかしたくさんのワインを作り生産できるのだろうと調べてみたら自給率は100%。それでもって

  • イタリアは世界最大のワイン生産・消費国であり、世界のワイン生産量の約20%(約48億リットル〜49億リットル)を占めています。
  • 「生産>>>消費」の構造
    国内で生産されたワインは、国内消費を十分にまかなった上で、その多くがEU内や世界各国へ輸出されています。
  • 主要な生産地域
    特にヴェネト州、プーリア州、エミリア・ロマーニャ州などで生産が活発です。

生産量が非常に多いため、イタリアにおいてワインの自給率が問題になることはなく、むしろ「いかに高品質なワインを生産し、輸出で価値を高めるか」が課題となっています。と記載されている。日本の米以上の生産自給率であり輸出品であるようです。ここでも日本との政策との違いを感じる。たどり着いたガルダ湖は海のように広くて、鳥たちはこの水の楽園で平和に泳ぎ飛び回ります。湖の辺りには松林の散歩道が続き、何箇所も桟橋があります。夕陽が沈む様を見ながらイタリア家族と過ごすひとときは平和そのものです。夕食のレストランは定番のハンバーグかピッツアにしておけばよかったのですが、鶏肉ときのこのご飯にしました。これはいただけない。ネパールのお米のようでパサパサでした。なんでも食べられる偏食なしの私の唯一の苦手はお米のようです。コシヒカリしか食べたことがない上に「栃尾米」です。最高のご飯を当たり前に食べてきた人生なのです。神様お許しください。これだけは…。

口直しにチーズケーキを食べ満足しました。

ホテルは日本と違った大型のマンション風はありません。どこもこじんまりとした妖精の佇まい。

翌朝は6:17日の出。ホテルから前日歩いた道を連れと一緒に歩く。東に歩くと雲の切れ間に赤々と見えてくる太陽。スマホに収めるたびに感謝の2文字が浮かぶ。ありがとう日本の家族、豆撰のスタッフ、イタリア家族にそして太陽に感謝する。

朝食はホテルバイキング。内容は日本とやや同じですがコーヒーは白い陶器に淹れたポットがテーブルに運ばれてきます。マシーンでジャーと淹れるコーヒーとは一味違います。

朝食を済ませシルミオーネの街にあるローマ時代の遺跡に向かいました。

遺跡は有名な詩人カトゥッロの別荘だったそうで、その詩人の名前が遺跡の名前となっています。

遺跡の周りには広大な樹齢400年から500年のオリーブの並木道、木の下にはマルゲリータの花園、まるで7人の小人に囲まれているしらゆき姫や親指姫の童話の扉を開いたようでした。

そして、ローマの遺跡巡りとは違って両脇に湖の背景、海鳥たちが飛び交う自然風景に心が躍ったのでしょう。この丘は日本では有名ではありませんが、6回目のイタリア旅行の中ではお気に入りのおすすめ場所になりました。

日日好日


2026年3月22日日曜日

最後の晩餐

 3月19日 スカラ座見学の後いよいよ念願の「最後の晩餐」を観る。その前にミラノ料理をいただく。カツレツが有名で日本人好みである。日本のトンカツとの違いは肉が薄くて平たく大きいことである。カツレツに限らずイタリアの料理は量が多くて一皿で2人分である。サフランのリゾットの中に子牛肉の煮込み、骨についている髄液を食べる本格ミラノ料理「オッソブッコ」はサフランの黄色と子牛肉で彩りが独特である。リゾットの米は平たく小さなパサパサ米だがチーズで味付けをしているので、日本人の口にもあう。観光客の行くレストランとは違い常連客の多いレストランです。ビジネスマンやら老夫婦がワインを片手にミラノ料理を堪能しています。日本のビジネスマンとの差は計り知れないです。時間に追われて仕事をしてきた者にとっては夢の世界です。

さてお腹も膨らみいよいよです。

「最後の晩餐」とは新約聖書の中に記された一場面であり、処刑前日にイエス・キリストが、12人の弟子たちとともに夕食をとった出来事のことです。 食堂に集まっている弟子の中に裏切り者がいる。裏切り者ユダは金貨の袋を持っている。

この絵の特徴は劣化する材料で描かれていた為修復に修復を重ねたらしく、色がセピア色である。鮮明ではない。また聖書やキリストについての知識がほとんどないので、物語を理解するより、映画「ベンハー」を思い出す。キリストは神ではない。ユダヤ人である。アンネの日記やナチスの迫害そして今日の絶えることのない戦争。アメリカとイスラエル。今日のトランプと高市さんの会談までユダヤ人に関わりがあるようで、この最後の晩餐の意味が現代にも続いているように思ってしまった。

建物は現代風である。修復に修復を重ねていたことが幸いで、戦火から免れたようです。20年の歳月をかけ1999年に修復完成された数少ないダビンチの完成画をこの目で観ることができたこと自体が私の人生の奇跡です。絵については正直良し悪しはちょっとわからず中井亜美ちゃんポーズでしょうか?


日日是好日


2026年3月20日金曜日

スカラ座 

昨日はイタリア3月19日

6回訪れたミラノで逃していた「スカラ座」と「最後の晩餐」を見学しました。 イタリアの世界遺産を数回に渡りこの目で見て日本との歴史の違いを痛感していましたが、さすがに今回は、遺跡や建造物は見慣れてしまって感動はほとんどありませんでした。なんと贅沢で幸せなことでしょうか?普通人の中では数少ない体験者ではないかと思って娘夫婦に感謝しております。

スカラ座は見学のみでしたが、世界最高の歌劇場は重厚で貴族の世界です。ここで作曲家やオペラ歌手が生まれ今も続いていることに感無量の所、舞台ではなんらかのお稽古がはじまりました。左手に存在感を見せているグランドピアノにピアニストらしき人が耳慣れた曲を弾く。それに合わせて少女が歌い踊る。曲名は知らなかったからスマホで調べる。モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークらしい。ピアノ楽譜はすごく分厚いように感じられる。ピアニストのめくる様に本場と本格に魅了されてしまいました。

円形状の観客席の一部屋には4人の椅子が置いてあります。前に2席その後ろに勾配のある椅子が置いてあります。前席には小さなモニターが2つ取り付けられています。そして、見学席の右下中央に特別観覧席が見えます。王様や貴族が豪華な衣装を身にまとい座っている事を想像しただけで心が踊るようでした。舞台稽古からピアノの音色がこんなに広い劇場にしっかりと響く。会場のスケールと音響の素晴らしさを物語っている。

以前、フレディ・マーキュリーと世界的ソプラノ歌手のモンセラート・カバリエと共演をYouTubeで観た映像が浮かびます。

歴代のビデオや古い楽器、貴族たちの肖像画も博物館でみられます。

しかし、ここでも世界大戦の傷跡は多く残され、再興された建物です。

一体人類は進歩してはそれを破壊してなんの意味があるのでしょうか?

平凡な私が少しでも戦争に興味が持て、やってはならない事に気づかせてくれたのは「おかあさんの被爆ピアノ」映画監督五藤利弘さんとの出会いがあったからかもしれません。

まだ訪れていない長崎、行きたいと思っています。

そして気になるのはトランプと高市さんの会談。どうなって行くのだろうか?

日日是好日




2026年3月18日水曜日

木蓮の涙

 イタリア家族と過ごす

1日目にこの大きなモクレンが目に入りました。

大きな木は母の木のように

手を大きく広げて

優しく微笑んでいます。

大丈夫です。

私があなたを支えますと言っているようでした。


そして

長い時を経て 想い出した

「木蓮の涙」をベッドの中で聴き

私も涙しています。


日日是好日

2026年3月13日金曜日

奇跡をつむぐ夜

 アメリカ映画 2024年 「奇跡をつむぐ夜」を鑑賞

昨日は熱も下がり、やや体調も快方に向かっていた。30分くらい音階練習HAnoNの課題を練習する。右手と左手で弾くのだが同じ指ではない、例えば右手はファは1の指(親指)、左手はソで1(親指)で弾く。最初は片手づつ練習して、ようやく両手でどうにかこうにか音階を弾くことができる。初心者といってもピアノレッスンをはじめ四年目に突入している。本当は毎日ピアノに触ることが大事だと思っているのだが、仕事をリタイアした私のストレス解消は、とにかく外に出ることだ。つまり旅である。旅の日数が多くなればなるほどピアノから遠ざかる。仕方がないピアノは持ち運びができない。先日のレッスンでズタズタになってしまった「夢」を弾く。私の中ではまあまあの出来。小心ものとは思っていないのだが。先生の前だと上がってしまう。

ピアノレッスン終了。夫がいない夕飯は簡単に済ませNetflixを観る。目に入った奇跡が心に響く。観てみようか。酒に溺れる訳ありの主人公と妻を亡くし肝臓移植を待つ娘の家族との触れ合い物語。実話だそうだ。この家族は借金だらけ。主人公シャロンの行動力はすごい。ひとりでできなければ人に助けを求める。そして資金を集めたくさんの人の応援で娘は肝臓移植を成功させる。猛吹雪の中、時間の制限と恐怖で緊張する。久々にわかりやすく心が落ち着く映画だ。ラストにシャロンに距離を置く息子がヘリ着地場所にやってきて除雪の手伝いをする。このシーンも感動する。諦めないことは奇跡をつむぐこと。

日日是好日



2026年2月25日水曜日

悪人

 随分昔の映画だなあと思いながら、妻夫木聡さん主演とアカデミー賞作品だったことを思い出す。監督は国宝の李相日さん。となれば凄い映画だったはず。この金髪の男性誰れ?妻夫木さん?ヒエー若い若い。樹木希林さんもパンパンで若い。へー16年遡るのか。私も若かったはず50代だよ!

それぞれの俳優さんの若いことに合わせて時代背景と年月の過ぎ去る日々は新幹線並みだ。

悪人には見えない主人公の心理表現は凄い。相手役の深津絵里さんも凄い。上級演技者を集めた映画だ。演じる人全てが一流だ。映画に引き込まれていく中でモヤモヤとした気持ちは残る。いい人が悪人になったらそれはいい人なのだろうか?育った環境が悪かったから悪人になってしまった。プライドを傷つけられたから悪人になった。それでいいのかな?貧乏だから育った環境が悪かったから、殺人は殺人で変わらない。許されるはずがない。

賞を総なめするほど素晴らしい映画ではあるだろうが、これってリアルなの?現実にあるの?

フィクションとしてみるのはいいけど、現実と重ねてみたら怖すぎる。悪人の中に優しさを描いていたのだろうが、70を過ぎて観るとやるせなさだけが残ってしまった。

日日是好日

2026年2月24日火曜日

瀬尾まいこ ありか


シングルマザーの主人公は良き母であり、娘をこよなく愛している。主人公の母もシングルマザーで あるが子育てに見返りを求め続ける。対照的な二人ではあるけれど、「母性は勝手に湧き出てくれる便利なものじゃないし、子どもを愛せないからといって悪い親なわけでもない」という主人公の気持ちに自分を重ねてみる。亡き母と私の関係。普通の母娘とはちょっと違っていた。私は同居の祖母の手によって育てられた。妹は母と一緒に寝ていた。子ども心に少し羨ましさを感じながら思春期を迎えた。私を溺愛した祖母が亡くなった。私と母の間には目には見えない透明の壁があったと思う。だから妹が家を守ることは今思うと正解だったと思う。この小説は瀬尾まいこさんの自叙伝のような気がした。若い作家さんと70過ぎの老婆にも大きな壁がある。世の中が同性愛を認めることが当たり前の世の中になっている。私の好きなフレディも同性愛者だった。小説に登場する義弟は同性愛者で苦しんでいる。でも義姉と姪っ子をすごく愛している。愛するからこそ自分を追い込む様に悲しみがある。

人の気持ちは誰にも変えられない。誰を愛そうがそれはその人の気持ちである。

気持ちは自由であるはず?

日日是好日

2026年2月22日日曜日

スーホーの白い馬

 イタリアから

「今日は私が先生です。ババとジジは生徒ね。ではこれからこの本の勉強です。

スーホーの白い馬です。礼子さんは知っていますね。

日本に行った時私が眠れないって言ったら、この絵本を読んでくれましたね。」

「面白かったけれど、ちょっと悲しくってさ。さあ今日はお勉強ですよ。まず先生が読んでみます。」

と言って作者の名前と絵を描いた人の名前からはじまりました。学校ごっこです。

8歳の孫は結構流暢に感情を入れて、読み始めました。時々つっかえたりもしますが、ほとんどパーフェクトです。

「では質問をします。このお話は何が言いたいのかわかりますか。また、どこで誰が何をしたのでしょうか?」

次から次へと質問攻めに合う。

そして孫のその結論は

「殿様はちょっとトランプみたいな人ですね。そして悲しすぎるからもちょっと楽しいお話がいいかな、馬頭琴はギターくらいでしょう?いつもそばに置けるからまあよかったけど。」などなど

ふむふむ8歳の感想です。はじめて読んでやったのは5歳くらいだったかしら

ずいぶん成長したものです。


日日是好日

2026年2月19日木曜日

最高の日

 お天気が続いて春を思わせる数日で心が弾んでいました。ところが今日は寒い日です。雪がちらちら、まだ春ではなかったとがっかり、心は沈んでしまいました。それでも今日は認知症の叔母の子守り当番。気を取り直し明るく明るく叔母と会話する。今日は窓の外にバスやら車がたくさん走っているらしい。先日お友達から送ってもらった小豆のお菓子とお茶を出してやると「こんなおいしいものははじめていただきました」とじょんぎ(褒め言葉)は忘れないようです。

退屈になってきたのか「ドライブに行きましょう」と言います。丁度今日は下田の道の駅でお蕎麦を食べようと夫と打ち合わせをしておりましたので、丁度よいタイミングでした。

下田の道の駅レストラン悟空に到着。11時10分前。営業は11時よりとレストラン前の張り紙を見て私は叔母の手をひきトイレに行こうとしたその時、若い女性定員さんが「寒いので準備が整うまで中でお待ちください」と声をかけてくださったのです。

私はもうびっくりでした。レストランの入り口ドアの鍵を開けてくれたのです。現代社会は規則マニアルでがんじがらめです。もちろんそれが当然で正当な社会です。私はレストランに入れてもらおうなんて思いもしませんでした。その女性の優しい笑顔は天使そのものでした。私は何度も何度も「ありがとうございます」を繰り返しました。

この日、注文した天ぷらそばの美味しいことと言ったら宇宙一(フギュアスケートペアの解説者の言葉のように)でした。

日日是好日



2026年2月7日土曜日

想いではいつまで

雛人形には想いがいっぱい詰まっています。

子供の頃は桐の小箱から

柔らかな黄ばんだ紙に包まれた

小さな瀬戸人形を壊れないように

そっと優しく取り出す祖母の手。

その瞬間は心がドキドキして弾みました。

雛人形だけでなく

マサカリかついだ金太郎人形なども添えられていた。

私と一緒に嫁いできた御代理様とおひな様は20年前の水害で無くなってしまった。ごめんなさい。

立春に飾ったこのおふたり様は数年前に私の元にやってきました。

老夫婦ふたりだけの我が家に笑いがこぼれます。

ありがとうございます。おかげさまです。


日日是好日  



2026年2月6日金曜日

黄金の刻 と 青天の霹靂

 日本の時計は世界でも有名でその名をとどろかせていると小学校4年生の時担任のK先生が教えてくれたことを思い出しながら「黄金の刻」を観る。青年期を演じた俳優さんどこかで見た。水上恒司さんだった。NHK朝ドラブギブギの笠置シズ子さんの夫だったことを思い出す。晩年の西島秀俊さんもいいけれど水上さんで最後まで観たかった。

セイコウの時計作りの秘話と情熱が描かれていた。久しぶりに心が平和になる映画だった。

今日は「青天の霹靂」を観る。コメディっぽくもあり、ファンタジーでもある。母親は自分をおいて男と駆け落ちしたと思い込まされていた手品をする男性を小泉洋が演じる。これまた泣かせるじゃあないか。ラストは死んだはずの父親が生きていたと言う笑いと涙。ちょっと浪花節ぽっくてハハハと笑ってしまうがそこがまた心がキュンとなっていい映画だった。

日日是好日


2026年2月3日火曜日

今日の事

 朝5時起床 しばらく布団の中でスマホを見る。6時キッチンに行く。お湯を沸かし、お風呂の掃除と洗濯機をスタートさせる。具沢山の味噌汁を作る。仕上げに卵を落とすので生卵をお湯にしばらく入れる。こうすると卵が綺麗な形になりちらけません。豆撰の油揚げロール巻きとふりかけで朝ごはん準備OK。夫は除雪作業でまだ戻りません。ピアノに向い「夢」を一回弾く。まだまだまだまだつっかえる。つっかえた箇所を数回弾き、ダメだと独り言。ふたりで朝食開始。「どんと晴れ」と「ばけばけ」を見ながら。今日は久しぶりに涙涙でした。おトキさんの演技に引き寄せられる。

食後にリンゴとお煎茶をいただく。テレビを見ながら食器を洗う。今日は雪おろしの手伝いをすることになっているので、掃除はパス。夫は一足早く車庫の雪下ろしに行く。ちょっとだけ湊かなえの「暁闇」続きを読む。これは本当のことかもと思いながら読む。ならばこの選挙は野党に投じなければ?でも迷っている。

防寒具を纏い帽子と手袋をつけて、除雪に。屋根から下ろされた雪はかなり重い。7メートル先の農業用水路まで運ぶ。1時間半手伝ってもまだまだ終わりは遠く。休ませてください。と家に入る。腰は立たない。しばらく休み昼食の準備をする。今日は肉うどんにする。タンパク質に鰹節とテレビが言っていたので、たっぷりとかける。

夫は作業を終え、ふうふう言いながら家に入ってくる。ふたりでうどんを食べ、窓の外を見ながら、地獄地獄と嘆く。

少し昼寝をして体を労りましょう。

昼寝終了。夫除雪。私は読書とスマホいじり。アーケードがつぶれた!空き家の家がつぶれたとFBに載っている。ああ!雪下ろしできてよかった。

イタリアからの定期通信。節分の日は婿殿のお誕生日である。おめでとうを伝える。

昨日届いた小泉節子の「思ひ出の記」を読む。あらまあ節子さんと婿殿は誕生日が同じ!

あらまあ 外は暗くなり始めた。夕飯の準備をせねばならない。

1日は早いもんだ!

日日是好日


2026年1月29日木曜日

雪うさぎ

 リビングのカーテンは閉めたまま。叔母が「開けてください」と私に願う。

しばらくすると、可愛いうさぎがみえると言う。歓喜の声をあげ、「うさぎうさぎなに見てはねる」と歌う。うさぎは親子だと言う。木の陰に隠れてしまった。

ありがとうございました。と繰り返す。幻想の世界に入る叔母、キッチンに立ち叔母の大好きなかぼちゃを煮る私。

93歳の叔母は幻想の世界を楽しんでいる。雪の中のうさぎは可愛いから礼子さんも一緒に見てと言う。雪の山がひとつ、ふたつ、みっつ、大きな山は親うさぎらしい。可愛いねと相槌を打つ。

叔母と一緒だから、雪うさぎを見ることができた。

日日是好日

2026年1月25日日曜日

蛍たちの祈り

 町田そのこ作品

なにこの話の作り方。殺人者は2人の秘密の場所は蛍の灯り。私も一度だけ無数の宇宙に降り立ったような蛍の灯りを見たことがある。40年も前の話です。その想い出と小説の舞台が重なる。こんなに美しい舞台で殺人の告白とは、なんて残虐な話を作るのだろう。それからこのふたりの因縁がそれぞれの関わりの人たちの運命が推理小説のように展開する。母親のエゴ、教師のエゴ、男たちと女の情念。さまざまな人間の生きる道を描き続けていく。いや最初から最後のページを想定して描く小説家に脱帽する。あんなに自虐に映ったふたりが残した蛍の灯りには小さいけれど永遠を映す、幸せの灯り。幸せの灯りの中で生まれた正道のこれからをおれと言う友達で締めくくる。

物書きの方はどんな場所を観て、なにを経験して描くのか、事実なのかそれとも想像なのか。残酷物語で終わったら、いや終わりそうだったら途中でこの本を私は閉じたであろう。

読んでいく先に灯りが見えると思えたから一気に読んだ。

2026年1月23日 降り止まない大雪の日

日日是好日


2026年1月22日木曜日

これからの誕生日

 はじめて読む。「穂高明」知らなかった作家。2007年に第二回ポプラ社小説大賞優秀賞「月のうた」。と解説に書いてある。

20年前は今の総理のように「仕事仕事仕事」の毎日で新人作家がどんな小説を書いていたかなんて、全く知らない。この頃は仕事以外にしたいことなど見つける余裕がなかった。

慎ちゃん(私が保母時代のお世話をした人)からのおすすめ本でした。

早速、Amazonで購入。

生きていていいでしょうか?がテーマのようだ。重いのかなと思って読みはじめたら、どの章も自分と被る。私の心の中を見透かしているような。結婚、第二の人生、子どもとの距離、兄弟のあり方、それぞれをこの本の中で思い出してしまう。その過程を通り老後の人生をはじめているわけである。

今日も大雪情報で夫は焦っている。74年も雪の中で暮らしているのだから仕方ないでしょう。私は体にいいもので美味しいものを食べることを考えている。イチゴショートケーキを食べたい。雪がおさまったらケーキを買って友達のところに行こうか。

日日是好日


2026年1月20日火曜日

黄色のゆり

 アイリス3本と黄色百合の花1本を買ってきました。ネットでアイリスの活け方を見て真似ました。高さと葉のつき具合を整えたつもりですが、素人ですから思うようにまっすぐ立ちません。花が右に向いてしまいました。

一本の百合の花は青くて、ちょっと大きめのトックリ型の花瓶にまっすぐ活けようとしましたが口がわずかに広くて傾くのです。捨てたアイリスの葉を一枚百合の後ろにさして固定してみました。これでいいのかどうかわかりませんが百合はまっすぐ天井にのびました。

夢の中で20数年前の叔母が登場しました。癌を患っています。でも叔母はそれを知りませんでした。

百合の花は叔母でアイリスの葉っぱは私のような気がしました。

日日是好日

2026年1月18日日曜日

蒲公英草子 常野物語

 本棚の中央にまだ読んだことのない本が並んでいる。恩田陸の名前が私の手を触れさせた。蒲公英の漢字も常野の漢字も作者と共に惹きつける漢字である。この本は私が求めたものではないと思った。娘の本かそれとも慎ちゃんの本かと思った。娘に聞いてみたら私ではないと言われた。慎ちゃんの本かなと思いながらも蒲公英の感じに魅せられて私が求めた一冊だっただろうか。読みはじめから不思議な世界の本であったが、引き込まれていった。

最後のページで発行年を知る。21年前の作品である。物語の終盤と我が家に起きた水害(鉄砲水)が同じ年代である。あの描写が我が家の崩壊と重なる。どんどんと私の心臓は主人公その人になり涙が溢れて止まらない。読み終わったのは朝方の4時だった。夜中に目が覚め2時間夢中で読んだようだ。急に睡魔が襲ってきて、寝室に行く。夢を見ていた。息苦しい夢だった。

私も同じことを体験している。霊感のようなそれでいてバカなと自分を否定する自分。「おい」と私は夫に起こされハッとして我にかえる。

暖かいぬくぬくの布団にくるまって、私はいつものように目を覚ますことができた。そして今日という一日をはじめるのです。

あの日遠い日になりかけている。あの日を境に家族4人と愛猫1匹は狭い長屋で一年を過ごした。失ったものや失った歴史を家族は共有して肩を寄せ合って、コンビニの廃材器で食べた朝食は思い出深い白米ご飯だった。

日日是好日


2026年1月15日木曜日

今年初稽古

 お茶碗は金泊と銀泊の重ね茶碗を使う。

お正月の初釜に使うものだそうです。縁起の良いものだそうです。嶋台茶碗と言うそうです。

金泊の茶碗でいただく、なんだか高貴な身分になったような、秀吉の気持ちの一点を見るような摩訶不思議な一瞬になります。金に魅せられると言うことは人間の持つ欲のような気もしました。

茶事ではなくお稽古ですから、嶋台茶碗は脇役になり花びら餅は美味しいねとお菓子の話題になり、昔はもっと大きかったのにね。と最近の台所事情話題になりました。

とは言え非日常の空間は面白く楽しいひと時です。

日日是好日

2026年1月8日木曜日

コンビニ人間

 村田沙耶香著芥川賞「コンビニ人間」を読む。風のマジムに続いて本年2冊目である。

コンビニ人間を手に取りニャアとする私。頑張って読まなくてもいい厚さである。本好きの人にとって本の厚さは関係ないであろうが、普通人間にとって厚さは重要かつ完読する必須条件である。つまり読書家ではない。もちろん趣味読書なんて絶対に言えない。それでも暇な時と人生をネガティブに考えている時、本に救いを求めることが多い。

さて、コンビニ人間は?今時多いような気がした。人間は自分で考えることが苦手な人はマニュアルが辞書のように、今時ならスマホが絶対必要なような気がする。では私はどうか?仕事をしている時はアイデアと経営の仕方とか自分なりに勉強していたが、今ではスマホに頼りっぱなしである。考え無用。

コンビニ人間は本能に生きないのかな?機械的に生きるのだろうか?

五感に訴えているのだろうか?絶対に有り得る人間のような気がする。

日日是好日


2026年1月6日火曜日

正月 何もせずでは

 元旦から今日で一週間です。

決まってすることがない毎日がSundayの71歳。それなのに時は動き、今朝は小寒らしく、布団から出している両手は冷え冷えである。両手に支えられている本は原田マハさんの「風のマジム」午年になり(私は年女)はじめての読書本である。有名画家がテーマの多い作家であるが、沖縄テーマも多かったような気がするが?まじむは若い。蒸留酒作りか、走っている感が非常に羨ましい。午年であってもこの馬はもう走れない。何か目標とかやりたいこととかないのか?

真剣にお茶のお稽古を今年はやってみようか?いやダメダメ。お茶の世界は宇宙の如く勉強せねばならない。今更勉強する能力は持ち合わせていない。軽い趣味で十分だ。では他には?毎回ピアノについては触れているのですが、このスマホから「夢」を聴いていると、隣でスマホをみている夫曰く「同じ曲でも違うもんだな」とつぶやかれる。そんなことあんたに言われなくってもわかっています。と心の中で叫んだ昨日の朝を思い出し、ピアニストは生まれた時から神道である。私は趣味の前、小習い程度であるからして、認知予防と思い長く細く続けるのみである。ではボランティアはどうか?これはとにかく無理だ。責任感がない。結論もないが食べることと旅行は今のところ私のできることだろうかな。これでいいのか?

日日是好日

2026年1月5日月曜日

カゾク イイデスカ

 雪が小降りのうちにサンポに出かけました。例によって老夫婦の会話なき行動です。最初は離れず夫の後を2、3歩の距離。坂道になると5歩から10歩になる。そのうち5メートルいや7メートルと遠ざかる。夫は時々立ち止まって妻の存在を確認する。

頭の中で昨日の会話がよみがえる。

イタリアと日本の会話

娘「カキ食べる?」と孫の前に皮を剥いて食べやすい大きさに切ったカキが皿にもられて出された。

私「イタリアにも柿あるんだね」

娘「カキを食べる度にババは聞くよね」孫「そうだよねえもう何回も同じこと聞いたよね」

記憶にはないがもしかしたら以前に一度くらい聞いているかもしれないと心で思った。

夫と離れて歩くうちに頭に浮かんだ。若い人は一度聞いたらほとんど覚えられる。そして2回訊ねたことは5回くらい誇張して鬼の首でも取ったように老人をいじめる。老人にとっては2、3回は1回に等しいのである。

孫よ娘よ カゾクでしょ!

日日是好日



1月4日 過ぎます。

 元旦から3日が過ぎ、今日は4日である。元旦から今日まで夫以外の人と会話することがなかった。なんて侘しく哀しく、寂しいものかと思ってしまう。老夫婦2人も食事以外会話らしい会話もなく、それぞれが好きなことをしている。私は3度の食事を作り(作りだめしてあるおかずを並べるのみ)ピアノの練習をして、Netflixを見る。そうそうつまらない映画なのに心に染み込んで、これはなぜなのかと自問自答した「舟を編む」は面白かったのかそうでなかったのかよくわからない。がここ数日で得たものには間違いはない。それから

あれほど暇になったら本を読むぞと息込んでいたのに積み上げた本を横目に手付かずだった。

とブツブツ孫と娘に今の状況説明をする。とMたちがきていたじゃないの!ああそうだったお年玉をあげたんだった。いやはや忘れていた。認知症予備軍かな?

日日是好日

2026年1月2日金曜日

雪の中の栃尾と私

 雪が積もって、寒い朝を迎えました。雑煮を食べて晴れ間をみて、老夫婦の散歩。散歩道は綺麗に除雪されています。家家の玄関先には除雪車が積み上げた雪が膝上くらいまであります。老夫婦にとっては散歩の時間ですが、大抵の家では正月の時間なのでしょう。まだ誰も外に出ていないようです。まるで音のない世界を歩いているようです。

老夫婦は昔話をします。正月は餅と塩鮭、昆布巻きがご馳走だったとか、家が土間だったとか、貧乏自慢が続くのです。そしてあと何年ふたりで散歩できるかしら、介護施設や墓終いのことに落ち着くのです。

今日もばけばけのように「サンポ シマショウカ」

日日是好日 

今年はじめての手紙

 手紙が届きました。

お返事を書きました。


『新年明けましておめでとうございます。


今年初めての映画は「舟を編む」

辞書作りの難しさに編集の大変さを感じました。そんな中でこんなにつまらない映画がどうしてこんなに心に残るのかとても不思議です。


体も不思議なほど確実に衰えています。ネパールは奇跡の旅だったと思っています。

3月は沖縄離島巡りとイタリアに行く を予定しています。


動けなくなる前にと思って焦っているような。


こんな感じで正月を雪の中で感じて72年

さてさて

ぼちぼちゆっくりと歩こうか、行こうか?


慎ちゃん

もう少し私と一緒に歩いてくださいね。


皆々様にもよろしく

今度は何が食べたいですか?』


私は22歳彼は5歳 何十年経っても 同じです。


日日是好日