2025年6月27日金曜日

人生いろいろ

 夫の緊急入院から今日で6日目を迎える。(病名は腸閉塞)

入院翌日から私の一日は急変。朝の起床時間はさほど変わらないが、起床とともに洗濯機を回し、車で5分で着く山の畑に直行。サル柵のソーラーを切り柵の中に入る。その前に虫除けスプレーを手と顔に噴霧して、網付きの帽子を着用。

(秘密ですが昨日朝、サル柵を締め忘れていました。夫にはなにぶん秘密厳守でお願いします)

キューリとキヌサヤの収穫。昨日丁寧に収穫したから今日はそうそうないだろうと思ったが、なんと私の腕ほどに成長したキューリ2本。めのっこしだ。畑にはまだまだ成長過程の苗達が綺麗に整列している。整列の中に混じっている草を取ったり、トマトの芽を摘んだり。YouTubeで調べてみたが、よくわからないので隣の畑のH子さんに聞く。彼女は我が家の畑に来てくれて丁寧に教えてくれた。

畑仕事を1時間で終わらせ帰宅。

この度はイタリア家族が帰省していたので朝ごはんは娘、お風呂掃除は孫と分担できたことは非常にラッキーだった。その後買い物と銀行に行き、続いて病院へ。少し時間があったので久しぶりに2冊本を購入。フレンチトーストとコーヒーでランチ。

そして夫の待つ病院へ

まだ絶食中だった。

本日27日午後4時ようやく水摂取許可が出たとメールが届く。やれやれひとまずクリア!

これでも日日是好日かな?



2025年6月24日火曜日

庭木に巣作り 材料にプラスチックあり

 庭のエゴの木にヒヨドリが通っていた。しばらくしたら巣作りを始めた。孫が見つけて「格好悪いよ、プラスチックで作っているよ」

なるほど木の枝に混じって確かに白いビニール紐が混じっている。

ゴミを道路に平気で投げ散らかす人間がいる。私の散歩道は町内でゴミ拾いをしているが、その翌日にはプラスチックの袋が散らかっている。環境汚染をしているのは人間である。鳥たちの巣にも使用されている。縄は藁で作るものが今ではビニール紐が当たり前。

なんとこれを便利というのだろうか?

我が家での巣作りは、はじめてである。嬉しくって、大きな音を立てないように家族は見守っているが、はて?これでいいのか?

日日是好日

2025年6月20日金曜日

幸せには色がついているかな

 57歳だった。10歳違いの叔母。日赤病院に泊まるのは私の番でした。この日の数日前から強いモルヒネ点滴が始まって意識がなかった。しかし息をしているのです。ですから生きているのです。生きているだけでいいと願ったり、もう十分頑張ったからいいよね。と言う気持ちが交差していました。祖母が亡くなった時、叔母と私は号泣したことがふと脳裏をかすめる。その叔母が目の前で死の淵に近づいている。私は47歳だった。一人で看病していると血圧が急激に下がってきた。祖母の時と同じである。看護師さんを呼び、慌てて叔母の家族を呼び寄せる。まだ暗い黒の世界だった。東京から叔母の兄が朝一番の新幹線に乗って病室に入ってきた。そのすぐ後に叔母の息が止まった。あたりは黒から青の世界に変わった。叔母の家族と叔母の兄弟姉妹が見守る中、安らかな眠りについた。叔母はとても綺麗な人だった。残念なことに私は母方に似てしまって叔母とは全く似ていない。

綺麗な顔に白いものをかけているが邪魔だと思った。

遠い記憶のアルバムは黒でもなく白でもない。見えない色になってしまいました。

今ではたった一人残っている父の妹、つまり叔母の姉は94歳で健在です。足腰が弱ってきて、年相応の脳のようです。母がアルツハイマーになった時たくさん面倒を見てくれた叔母です。今度は私も叔母の面倒をみれる環境ですから、少しでも恩返しをしたいと思っています。

日日是好日

2025年6月16日月曜日

蛍の灯り

 娘と孫と私で夕食後に蛍探しに行く。民家の周りにはだいぶ少なくなってしまったが、田んぼに並んだ緑の苗が街灯に照らされて「生きている」。その田んぼから菅畑への道の途中にはススキの山や小さな森が続く。池と小川が通っている。

蛍の季節には少し早いと思っていたが、森の中にぽあーんと光る蛍を見つける。

光は消えてはまたぽあーと、まるで日本昔ばなしの世界のようだ。

娘は結構大きいね。源氏ホタルかなと言う。

孫は、「ババ知っている?ホタルがどうして光るのか?それはね、結婚する相手を探しているんだよ」

物欲、個人主義、戦争が絶えない世の中で自分が「生きている」

スマホ一つ動かせないアナログ人間、その上、携帯とメガネが逃げたと一日中探し回っている私である。なんのために生きているのだろうかと思う日々。

孫と蛍の会話に生きている意味があるのかもしれない。

日日是好日


2025年6月14日土曜日

親切

 イタリア家族と私で金沢へ向かう。夫はゴルフと畑。ちょっと気が引けるがそれもまた良し。細い人がいないと妻はノビノビである。と思ったら大間違い。孫は少しのことでピーピーと泣く。父親と喧嘩すると「一生もう話さない」と言う。この一生は実に短く、何度でも可能な切り札である。そしてババには「一生のお願い」と言う切り札を使う。日本に来てからまだ3日しか経っていないのに何回使うつもりか?だがババの関所は結構厳しいのである。

さて、兼六公園にての出来事。いくつもの橋があり、小川に手を入れてしゃがんだり、石の階段を駆け上る孫。突然「ない、ない私のブドウちゃん」ブドウちゃんとはハムスターの人形のことである。バックにつけておいたのにどこかに落としたらしい。

パパはもうカンカン。探しに歩いた道を戻るもすぐに引き返す。孫の泣く声は兼六公園の木々に伝わり響き渡る。もう仕方がないババともう一度だけ探してみようと泣き声をまずは停止させることに努めて、歩き出すと、なに?私に?「エキスキューズミ」と英語のような声。一応振り返ってみると背の高い中語人の青年がタブレットに入力。「人形を探していますか?」と打ってくれる。「イエス、イエス」と私は喜びと感謝を伝える。続いて園内地図を中国人は取り出し11番の木の上にあります。と続けて打ってくれる。「サンキュー」と感謝して歩き出す。清掃をしてくれる人に11番の場所を確認する。するとそこまで案内いたします。と言ってくれ、人形を探してくれる。このおふたりに感謝感謝。中国人も日本人も親切で思いやりの人だった。つまり人形は孫の手に戻ってきたのです。めでたしめでたし。

今回の金沢の旅の1番の思い出になったようだ。

日日是好日


2025年6月11日水曜日

帰国第一報

 羽田に迎えに行かなかったので孫はがっかりしたらしい。今回は婿殿も一緒であるから荷物持ちは十分である。よって迎えは長岡ホーム。3ヶ月ぶりの対面というか、たったの3カ月しか過ぎていないので双方共に感動はやや希薄。それでも恒例のハグで孫に愛情表現を示す。定番のクルクルすしで歓迎。おいしい。おいしいと孫はタッチパネルで大好きなイクラを4皿とサーモン1皿マグロ1皿を完食。ジジとババの財布はくるくる寿司に感謝するのでした。

刈谷田ダムへジジとババはと孫でドライブ。まずは河原で遊び、長靴を履いて来なかったことを後悔。野菊で花占い。好き嫌い好き嫌い その結果ババは好き。続いてジジ、好き嫌いその結果嫌いの最後の花びら。「ごめんごめん好きだよ」と孫は慌てて弁明する。夕食はカレー。ちょっと薄味だったか孫は醤油を足していた。日本初日の就寝場所はババとジジの真ん中。寝返りに妄想でババは寝不足。翌朝、5:30起床。ジジは畑に行きババと孫は散歩。家の周りの植物と昆虫観察から始まった。庭のあちこちに穴を見つけては蝉の幼虫がいるだろうか?苔を見てはこれは小さな森のようだ。朝露でキラキラ光るスギナを見ては宝石にように綺麗だね。と感嘆する。青い絨毯の畦道に立ち止まると、小さな黒い影がラッパの音で目覚める兵隊のように動く。澄んでいた水はたちまち兵隊さんたちによって濁る。

「ババお家に行って、入れ物を持ってきて走って」とまだまだ小さな手のひらに小さなおたまじゃくしをつかんで叫ぶ孫。ババは猛ダッシュ。

ジジが畑から帰ってくるとこのおたまじゃくしは大きくなったらトノ様カエルになる。など2人で理科の勉強。いや、違うトノ様カエルは絶滅危惧種だよと言う娘。調べる必要あり。


2025年6月7日土曜日

日本語が話せるから会話ができる

 孫はアメリカとイタリアと日本のパスポートを保有。居住地はイタリアである。

イタリア語と日本語は流暢に話す。英語はイタリアの授業に織り込まれているので、結構話すことができるようだ。

時々この3カ国の物語を読んでくれる。ちんぷんかんぷんのイタリア語と英語の後で日本語解説が入る。

良かったでーす。孫が日本語が話せて、そうでなかったら孫とのコミニュケーションははかれません。

その孫が月曜日に来日。さて、はてどんなに日々が待っていることやら

日日是好日

2025年6月6日金曜日

戦争はやめて

朝ドラ「あんぱん」を観ている。

朝ドラを観ながらの朝食だが、箸が止まってしまうことが多い。


「お父さん、私たちはいいよね。こうして毎日ご飯を食べられてさ、文句なん言ったらバチが当たるよね」

どうして戦争をするのでしょうか?

月に人間が住む時代がそこまできているニュースがあった。今度は月が誰のものかで、戦争が起きそうな気がする。誰のものでもなかった地球が壊されているのに。

AIは学習して進化するなら戦争を無くする方法を人間に教えてください。

日日是好日