2025年7月22日火曜日

秋葉神社境内でおにぎり

 猛暑は続き、病み上がりの老体には厳しい日々。イタリアから家族一緒に過ごす夏休みのはず。会話はイタリアと日本と変わりなく、スマホ会話。接触禁止。と続いた1週間。そろそろいいのではと寝床から起きて朝散歩、孫はついてくる。離れて、触らないで。オリナス脇の公園は木々が日影を作ってくれる。途中で飲み物とパンを別々の袋に入れてもらう。めっちゃ暑い!数メートル離れて、朝食。そして、

お昼も外でなら大丈夫でしょ!と言われておにぎりを持って秋葉神社へ。

木の下は大きなアリの行列。私の足にもモサモサと上り噛みつく。そこで神社の境内に登りここでおにぎりをいただくことにしました。孫はダメだよ神様に叱られると拒否する。あたしゃここの神社とお友達だから大丈夫と説得。座ることもでき涼しく一息つくことができました。帰りにお賽銭をあげ、お礼を申し上げて帰宅しました。

いつまで続くこの猛暑 病み上がりの老体、もしかして痩せたような?

日日是好日


2025年7月20日日曜日

火垂るの墓 親子3代で鑑賞

 有名なアニメ 原作野坂昭如 脚本・監督は高畑勲

一度も観ていなかったのです。娘の提案で「火垂るの墓」を観ることになりました。小学2年生ですから、どこまで理解できるのかわかりませんが、とりあえず観ることに。最初の場面のナレーションで主人公がすでに死んでいることは理解していたかどうかわかりませんが。食い入るような眼差しでした。

途中で質問が出てきます。あのおばさんは悪い人なの?お兄ちゃは泥棒だよね?私も娘もいろいろな質問には答えませんでした。小学2年生の感じるままで良いと思ったからです。

途中で私が肩が痛くて孫の手で叩いていると孫は「ババ、私が叩いてやる。疲れたらちょっと休むけど」と10分ほどアニメを観ながら叩いてくれた。今までこんなことはなかった。映画鑑賞後は結構鋭いところをついてくる。アメリカ人は悪い人だね。娘はアメリカに住む人でもいい人もいっぱいいるんだよ。と教えていた。アメリカ国籍を持っている孫にとっては記憶はなくても多少の自慢話のネタになっていたから、とても複雑な思いを感じたようだ。

映画鑑賞後の夕飯のお手伝いは自主的。夕食並んだサフランピラフはいつもより丁寧一粒残さず食べていた。

私の感想は37年も前描かれたこのアニメに驚いた。一つ一つの描写、動きは実写版を超えた訴える「力」を感じた。素晴らしい映像に魅了されて、のめり込んでしまった。

孫が、そして私も「火垂るの墓」は永遠にそれぞれの胸に刻まれるだろう。


日日是好日



2025年7月16日水曜日

てるてる坊主明日天気にしておくれ

 てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ

とてるてる坊主を作りながら歌う孫

その訳を聞いたら

私の心にガーンと弓が命中

「明日雨が降るとプール遊びがなくなって

算数に変わるんだって、絶対嫌だよ算数なんて」

と歌い続ける孫は必死。

朝になりますカーテンを開けて

「やった!ババ晴れだよ」と飛び跳ねて喜ぶ。

そんなに算数が嫌なの?

「私算数って聞いただけでアレルギー」

はははは!

よく似たもんだ。

日日是好日


2025年7月13日日曜日

めっちゃ疲れた

 若者言葉に日本語の美しさが失われていくと心の中で思っていた。ところがイタリアから日本に来た孫の一番多く発する言葉は「めっちゃ」と「やばくない」である。1ヶ月もこの言葉を聞いていると

「やばいよ、今日はめっちゃ疲れたよ」とあたしゃ言ってしまった。

朝活5時から、朝ごはん作り、子どもらとジャガイモ掘り、続いて水遊びの監視役、着替え手伝い、トランプ遊び、2回目の洗濯、お昼ご飯の買い物、30分休憩、3回目の洗濯、アニメを見ている間に夕飯のハンバーグ作り。公園にてサッカーとバレーボールをする。ドライブは孫のナビに従う。オリナス隣り公園にてブランコ乗りに付き合う、夕飯の準備。

やれやれもうダメ、めっちゃ疲れて動けない。自室に閉じこもる。

日日是好日


2025年7月8日火曜日

七夕飾りを作りながら

 七夕の飾りを親子3代で作る

天の川、星、リングなどなど。ジジは竹を切ってくる係り。ババはお得意でしょと娘に言われたけれど40年も50年も前のことです。星の折り方も忘れてしまいました。

それに七夕のお話もうら覚えです。一年に一度だけ彦星と織姫が会える日、その日にお願いを短冊書くこと。あれ?天女、羽衣、あら忘れた!これはどうしたことでしょう!毎年毎年子どもらに読んでいた紙芝居を忘れるなんてこりゃあ認知症の始まりかな?と思っていたら娘が日本昔ばなしの七夕をiPadで映してくれた。ババ、娘、孫は製作中の七夕飾りの手を止めて物語を真剣に観る。ようやく記憶の糸が解けてきて、そうだった羽衣を盗んだっけ、そうそう1000足の草履を作らなければならなかったのに999足でやめてしまった。などなど思い出した。

孫はどこまで理解しただろうか?私はどこまで悟っただろうか?成し遂げたら願いが叶う努力も最後の最後で諦めたら、その努力は水の泡になる。これは哲学者が考えた物語かな、読み手によって思うことは100通りもあるだろう。

さて完成。短冊の願いは?

ババは孫が優しい子になりますようにと書く。「それって、私は優しくないってこと?」と口をとんがらせて言う孫。

そして、孫の願いは、「来年はもっと長く日本にいられますように」「パッピーが怒らないように」と書いてあった。

日日是好日

2025年7月5日土曜日

スーホの白い馬

 孫とふたりで眠った夜

突然起こされる。

「ババ、眠れないの、どうしたらいい」

「まだまだ真っ暗です。目をつむって楽しいことを考えたらどう」

この問答を繰り返す。そのうち階段を下り、リビングに行ってしまう。リビングのソファに孫は横になるとようやく眠り始める。そーっと携帯を取りに行く。

「ババがいなくなって、私を置いてジジの所に行ったかと思った」と寂しそうな声で話す。どこにも行かないことを話す。「ババ本を読んで」と言う。あたしゃ眠いんだけど、、、。「ババ選んで」と言われて一冊の絵本を取り出す。それは「スーホの白い馬」タイトルを読むとどう言う意味?と質問をなげかける。スーホは人の名前であることだけ話し、読みはじめる。途中つっかえるとどうしてちょっと止まるのと指摘される。日本人なのにと思ったのだろう。私はメガネをかけることにした。これで大丈夫だ。静かに聞いている。読み終わると孫は死んだけれど白い馬の魂はスーホのそばにいつもいるんだよね。私もハムスターのピッポーが死んだとき悲しかった。でももう2歳でハムスターにとってはおばあさんだったんだ。と話す。そしてババはある人の話をする。

この絵本をあなたに読んでやったのは2回目であること。その前には一度ババのお友達のボニーと言う犬のお家に遊びに行ったこと。そのお友達がこのお話を読んでくれたこと、

そして最後にボニーは死んじゃったんだよ。と話すと

ボニーのおばあさんもスーホも私もおんなじだね。と呟く。

それから、2階にひとりで寝ているジジのところに行こうよと促してみる。イヤイヤながらジジのところにいくとジジが優しく孫に3人で寝ようとジジのゴツゴツの手枕を孫の頭に差し出す。ババはブヨブヨのデブデブだけどジジは硬いよねとか言いながらスースーと眠りました。

娘夫婦は二人だけで日本小旅行中です。


日日是好日