2025年1月17日金曜日

土を喰らう十二ヶ月

 沢田研二主演の静かな映画「土を喰らう十二ヶ月」を観る。いい映画だった。

長野の古民家風農家は懐かしい台所だ。井戸水が流れ、釜戸で炊いたおこげ。たまらない匂いがする。匂いと共にむかし、むかしに返ったようだ。私の少女時代を写していた。

冬からはじまる雪の世界は昔の我が家そのものだ。雪の中から掘り出す大根。糠漬け。あの頃は美味しいとは思わなかった。それしかなかったから食べていたが今では心が落ち着く食べ物になっている。

沢田研二にはジュリーの面影がなかったが、俳優としての深みが感じられた。ナレーションも静かにたんたんとしている。心にスーッと入ってくる語りだ。脇役の日野小平さん、映画にも出ていたのか、とご冥福を映画を観ながら祈った。奈良岡朋子さん、壇ふみさんらの演技はなんて自然体なのだろうか。今日を生きるための大切なお守りのようだ。明日生きているかどうかなんて誰にもわからないだろうが、生きていた証は誰かの心に残る。

里芋焼き、たけのこ、せりなどが食卓に並ぶと、余生を畑仕事に趣きを置く夫そのものだ。畑仕事は一日一日が大事でなかなか旅行にも行けないので、もう畑はやめたらどうかと、時々夫に口説く自分が間違っていると思えてくる。

義理母のお葬式シーンも懐かしい。朱塗りの腕に胡麻豆腐。私には時間があるのだから今度作ってみようと思った。

そうね、我が家は跡継ぎがいないから散骨もいいかもしれないと思った。

どのシーンも静かである。ランプの灯りが似合ういい映画だった。沢田研二のエンディング曲もいい。甘くて透き通る声は健在というかいやそれ以上に物語を完成させていたようだ。

日日是好日

2025年1月10日金曜日

雪国の知恵 雁木

 昨日、大雪注意報が出ていましたから、豆撰まで久しぶりに雁木を歩くことにしました。自宅から豆撰まで片道40分くらいかかります。平橋を渡り天下島を通り過ぎ、雁木に入ります。玄関前の雁木はその家の敷地になります。そのよそ様の雁木を遠慮なく私たちは歩くのです。夏は日除けになります。雨や雪、風の強い日は濡れたり吹き飛ばされることはありません。傘もささなくていいのです。

よそ様の雁木通りには多くのお店もあります。ちょっと覗いて歩きます。味噌屋さんに酒屋さん、洋服屋に床屋、豆撰ではありませんがあぶらげ屋もあります。都会の街並みと違って綺麗さとか今風のオシャレ感覚はないのですが、風情があり、心がなんとなく落ち着く。

結構長い雁木通りです。雪にあたらず北風にもあたらず歩けるって、なんて素晴らしい雪国の優しさでしょうか。10年くらい前、栃尾で撮影された映画「モノクロームの少女」を思い出しました。冬の雁木通りも映画にあったら良かったのにとふと思いました。

仕事を終えて歩く雁木通り。足取りも軽く自宅に戻りました。

日日是好日

2025年1月9日木曜日

幸せの列車に乗せられた少年

 1940年代を舞台としたイタリア映画「幸せの列車に乗せられた少年」

イタリア映画はほとんど観ていない。イタリアの映画であることとタイトルに惹かれて観ることにした。バイオリン演奏者になった主人公の少年時代を描いている。イタリア南部の貧しさは、戦後の日本と同じように映る。戦争が幸せを奪い親子を引き離す。

私の娘は北イタリアに住んでいる。北と南はあまり仲良くないと聞いていたが、南イタリアの貧しい子供達を救済したのは北イタリアの人達だったとは全く知らなかった。そういえば娘婿殿は貧しい子供達に少額ではあるが毎月寄付していると聞いたことをふと思い出す。

それにしても愛情表現はそれぞれである。愛すればこそ愛する我が子を手放す。愛していることの表現は思っているだけでは伝わらないのではないだろうか。ラストシーンは想像通りだったけれど、バイオリンを質屋から取り戻していたことには涙が溢れる。育ての親の愛情、生みの親の愛情。愛情には違いないのに表現で伝わり方が変わってしまう。

今日は誰もいないリビングで泣いたことを子供の頃お世話をしたSちゃんにメールしたら、私から貰ったお守りをずーっとカバンにつけています。と写真とメールが来ました。

私を慰める表現だったのでしょう。

日日是好日



2025年1月5日日曜日

思い残すことが減った?

 2025年1月5日

昨日は続暴れん坊将軍を見てみようかとテレビをつけたが、あまりにも作られ過ぎていて、途中でスイッチを切り、眠りにつくには早すぎると思いつつ眠ることを決意した。案の定、目が覚めてしまった。スマホで時間を確認すると0:15 とある。と言うことはまだ2時間しか経っていないじゃあないか。いやーこりゃあ困ったものです。目を閉じて眠ることだけ考えると、ますます目は冴えてくる。そのうちなんだか心臓が振れてくる。こんな感じであの世に行ったらどうなのかと想像は雲の上まで広がってきた。

昨日は何年ぶりかでセーターを買った。それもセールだった。その上アプリを取得するとさらに1000円引き。携帯操作は定員さんがやってくれた。19500円のセーターがセールで14500円になったその上1000円引き。つまり13500円になったわけだ。心の中で微笑んでいた。それでカードを出す。大人の休日倶楽部カード。すると定員さんが15000円のポイントが貯まっていますけれどどうなさいますか?と聞いてくる。やったーと心の中で大喜び。喜びは極力抑え、「すみません使わせてください」と言う。つまりお金を払わずセーターをゲットしたわけです。今、心臓がもし止まったとしても昨日ポイントを使ってしまったから、それはそれで思い残すことが減ってよしよし。

その後は続きものの小川糸さんの「キラキラ共和国」を読む。腕が疲れる前に布団から抜け出している腕が冷えてきたので、読書はおしまいにする。目が冴え切っていたはずだがそのまま眠りについたようだ。

目覚めた朝はまだ4時を回ったばかり

日日是好日

2025年1月4日土曜日

続き マリア様のような

 星野富弘さんには奥様がいらっしゃたことを知りました。

星野富弘さんはなんて素晴らしい人かと思っています。そして奥様はまるでマリア様のような人。

日日是好日


2025年1月3日金曜日

もう 3日が過ぎていく

 何もすることがなく過ごす2025年の1月3日。昨日まではなんとか持ちこたえたが、今日こそ何もない。お天気が良かったので見附に行ってパンを買いたかった。シャッターに張り紙、今日まで休みだった。本明付近、粟ケ岳が顔をのぞかせて、裾野はいい感じに白雲だ。そうそう31日紅白歌合戦の氷川きよしの場面のようだ。一度休んで戻ってきた氷川きよしは情熱的だった。歌は相変わらず上手い。31日は紅白歌合戦を観ていたはずだったが、知らない歌が続いたのでうたた寝をしてしまった。でも、氷川きよしの歌声で目が覚めたのでした。

話を元に戻しますが、粟ケ岳は実に幻想的で、スマホで撮りたかったのです。しかし、空は真っ白な雲に覆われて、写真に撮ったら粟ケ岳がボケてしまうから断念。栃尾の冬ってどうしてこうなのかと隣の夫に八つ当たりする。怒ってもどうしようもないことなのに。

原信によってインスタトのパスタのタレを買う。来客もない正月だから毎年作っていた鰊漬けも伊達巻もしない。作ったのは大根生酢とのっぺだけ。たったふたりの正月は実に寂しいものです。楽しみといえばイタリアに住む孫から届くビデオ電話だけ。ババの発音はダメ(イタリア語)とかババはだんだん?そう忘れてばっかりいると指摘され。私はわざと「あら、その子はどこの子だったかしら?」なんて言う。

暮れには、結構大掃除を頑張ったつもりだったが3日間掃除機もかけずにいるとゴミが目立つってことを知りました。白内障手術前は全く気にならず、見えなかったのか?それでも、どうずり(面倒くさいと思うこと、怠け者)な私は気づいているのに掃除をしない。暇だ暇だと5分おきに夫に言っているのに。

私はできるよ、まだなんでもと思う。ところがもう一人の私が何言ってるのよ忘れてばっかりでしょ。と嫌味を言う。

ああ、ああ。何もしないうちに5時になる。またご飯である。

日日是好日

2025年1月1日水曜日

星野富弘画集 いのちより大切なもの

 姉ちゃん(10歳違いの叔母)が死んで半年も過ぎないある日。今から23年前私は店の階段から落ちて、正確に言うとハシゴを上がっていたらハシゴがまっ逆さま倒れ、私は宙を舞った。1秒か2秒にも満たない空中時間だったが、とてもとても長く、きっと大怪我になる。半身不随になったら車椅子になると考えた。ドンと言う音と共にコンクリートの廊下に落ちると、起きあがろうとしても体が動かなかった。全く動けなくて、これは覚悟せねばと思った。誰もいない休日の出来事です。その時丁度豆撰に来た姪っ子の真奈美にお父さんを呼んできてと頼んで、駆けつけた義弟から救急車を呼んでもらった。夫と救急車は同時くらいにきて私はタンカーに載せられ、夫と一緒に病院へ運ばれた。レントゲンを撮ってもらった。骨折場所が何番目とかでなくて良かったと言われた。半身不随を避けられた。

動けない生活が1月ほど続いた。奇跡みたいだった。

それから3年前?いや4年になるだろうか?今度は蓼科でハンモックから落ちて骨折した。落ちた瞬間にわかった。骨折だと。落ちた場所は石だった。すぐに、1回目より大変だとわかった。でも半身不随にならなかった。お友達から救急車を呼んでもらい長野の諏訪病院へ運ばれた。思った通りだ、また骨折。奇跡だ。またしても半身不随は免れたが背骨と背骨の軟骨が潰れて痛みは取れることなく今に至っている。

そして昨年無謀とも言えるネパール「アンアプルナトレッキング」に参加する。この6日間歩き続けられ下山した時私は三度目の奇跡を感じた。

二度目の骨折の前に心臓のカテーテルも受けている。

今2025年を迎えられたことイコール生還したような気がする。

大晦日に届いた星野富弘さん画集を手にすると、どのページも涙なくしては読めない。言葉も描かれている花も生きている。

日日是好日