2021年1月30日土曜日

小さな幸せ見つけて

 


配達の途中で

ひと休み。場所はゆかいなカルテットの仲間のお

家。腰を下ろすと同時に熱いコーヒーがさりげな

く、出てきます。

配達とはいえ、私は助手席で妹の配達を待つばか

りで疲れてもいないのに

やれやれとさもさも疲れたようなふりをして

コーヒーをご馳走になる。

チョコレートをつまみながら

我が家に来たように電子ピアノのスイッチをいれ

勝手にポロンポロンと弾きはじめる。

カルテットの仲間はメロディーにならなかった私

のピアノ練習を聴いているので

「上手になったよ」と褒めてくれる。!

しばらくすると「ちょっと見せたいものがある

の」と筆箱よりも小さな素敵な袋を持ってくる。

うさぎおいしいかのやま

こぶなつりし

かのかわ

懐かしいこの音色。着物を着て吹いている

祖母と一緒だった幼き姉妹のフイルムが

走馬灯のように回る。

私たちに吹いてくれたハーもニカの

音色は懐かしい昔を思い出させてくれた。

「東京から帰ってきて、ちょっと寂しい時に吹い

ていたハーモニカを思い出してね」と人生の先輩

は笑いながら吹いてくれた。

どんな素晴らし楽器よりも

心の中が優しい涙でいっぱいになった。

ハーモニカとオカリナとピアノで

「埴生の宿」を演奏する。間違っても

幸せってこれだと感じる。

レッスンは15分です。

さて今日はラーメンランチ

ゆで卵、野菜は事前に用意されていて

簡単にはいできあがり。

仲間と食べるラーメンの味は最高の味さ!





2021年1月29日金曜日

ゆかいなカルテット

 お友達4人

認知症予防をかねてはじめました。

平均年齢68歳のカルテット。

この歳になってはじめたピアノ伴奏に

ふたりのオカリナ演奏。プラスフルート奏者を加

え、それなりカルテット。

音を合わせてる前に各自が楽譜とにらめっこ。

にらめっこのあとは

ぷーと笑いが吹き出す。間違っても間違わなくて

も満足度75点。

とにかく楽しければそれでいい。

練習よりもまた楽しいことがある。

今日のランチは、豆乳と金運卵を使って

フレンチトースト。

イチゴジャムにサラミと生ハムにサラダ。

トッピングは果物でもいい。

おしゃべりはつきない。

なんて素晴らし仲間に出会えたのだろうか

不思議なくらい楽しい。

次回ピアノレッスンは31日。たくさんの牛肉を

いただいてきました。

レッスンも大切ですが牛丼パーティーも

大事な行事!ゆかいなカルテットコンサート

がいつか実現しますように........。






2021年1月27日水曜日

今年の節分は2月2日



こんな記事を見つけました。

おいなさんは金運をもたらしてくれるそうです。


恵方巻のルーツは江戸から明治にかけて、大阪の花街で節分に商売繁盛を願って、「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」を食べたことにあるんだよ。それにならって、某大手コンビニが節分に太巻き寿司を「恵方巻」と名づけて販売するようになって流行り出したんだね。


でも風水的に、節分に食べて運気が上がるのは、恵方巻じゃなくていなり寿司。そもそも黄金色に輝き、俵型をしているいなり寿司には、金運アップのパワーがある。豆まきをして厄を祓った家に金運を呼び込むには、いなり寿司を食べること。


コパ家では節分に限らず、月に数回はいなり寿司を食べているんだよ。手づくりするのが大変なら、総菜のいなり寿司でもいいから月に何回かは食べるようにしようね。

豆撰オンラインショップでありがとう米とおいなりさんの皮期間限定販売しています!

皆様ぜひお取り寄せください❗️


2021年1月26日火曜日

命みじかし

 今年に入ってまだ一月なのに

若い人の死が続く

皆ひとり暮らしの人だ。

ひとり暮らしだと発見が遅くなる。

家族があって家族に囲まれて生まれても

いつまでもその家族と過ごすことはない。

家族構成は変わっていく。


親族だけの通夜に行く。

祭壇の遺影は優しい眼差しで

参列者に語りかけている

棺の中の彼は眠っているようだ

母が待っているから安心しているのだろう

鐘の音が響くたびにあちらの世界に

「蓮の花のように生きたい」の本を持って

逝った。

生前に何もしてやれなかったことを

後悔する。


 



2021年1月21日木曜日

マイナス7℃



 今年一番の冷え込み

マイナス7℃で給湯器が凍ってしまったらしい。

水道は大丈夫だから、お湯を沸かして

朝ごはん支度にかからなければならない。

子供の頃を思い出す。

祖母は大鍋をひなたに(囲炉裏)かけて薪で

お湯を沸かしてくれる。

洗面器にお湯と水が入る。私は顔をあったかいタ

オルで拭いてもらった。

着替えの服は寝る前に豆炭コタツにかけられ温め

られている。寒い部屋で着替えるけれど

洋服はぬくぬくで気持ちがよかった。

朝ごはんといえば大根と塩鮭でコトコト煮た

ベタ煮か煮菜だった。

今では夫のお得意料理のひとつになっている。

不便だったはずだが懐かしい思い出である。





2021年1月19日火曜日

母を思う

 たらの煮付けをしてから

母を思う日々が続く。

母は手の利く人だったから、子供の頃の洋服や

着物、手袋からマフラーまで手づくりのものを私

はまとっていた。特に修学旅行に着ていくワンピ

ースは一番のお気に入りだった。襟にはレースを

使ってもらった。

冬は朝早くから山の家から坂道の雪道つけをして

いた。毛温に山傘スタイルだ。

母の手はあかぎれで真っ赤に腫れていた。

父が逝ってから、すぐに認知症になった。

ようやく親孝行ができる時が来たのに、それから

脳梗塞で倒れてしまった。コロナで見舞うことも

できず、

きっと私のことも忘れているだろうと思うと

切なくなる。


2021年1月18日月曜日

いつかきっと 

 


















 昭和38年

私は9歳だった。

毎日毎日雪はやまずに降り続き

父と母は毎日屋根の雪下ろしをしていた。

屋根から下した雪の山は屋根の高さほどある。

玄関から外に出るには雪の階段を上る。


たった66年生きてきただけなのに

大雪、台風、地震、津波、コロナと続いている。

天国から父は

「礼子、がんばれ!」と言っている。