2024年12月29日日曜日

オリビアが死んでしまった

 美しい人はジュリエットでした。

赤いビロードの中世のドレス肩に膨らみがあって、提灯袖から手首にかけて細くなる。このドレスを纏った女優は美しく哀しい物語を演じた。今から55年前だった。シェクスピアの本を手にしても理解不可能だっただろうが、映像は悲劇を美しく描いてくれる。映画は私にとって大人への階段を上るようだった。

そして私の青春のはじまりは「ロミオとジュリエット」であった。映画館通いもこの映画から始まった。

だから今日のネットニュースでオリビアの死を知ると私の人生も終わりなのか、確実にその日に向かっているような気がした。まるで砂漠にひとり立っているようで胸が締め付けられてしまう。

家族に見守られて召されたオリビアはジュリエットそのものだったのではとそっと涙をぬぐい心の中で十字架をきった。

日日是好日

2024年12月20日金曜日

家族

 私は叔母が亡くなった歳より13年長生きした。3歳違いの妹は、生まれて数ヶ月で天国に行ってもう67年が過ぎた。

今日はお天気も良く、先輩お友達がフランスパンをお土産に持ってきてくれました。柏崎原発反対の署名をとりにきてくださった。温泉卵と豆撰の栃尾の油揚げ煮付けをトッピングしたインスタントうどんでおもてなしをしました。夫の作った白菜漬けと刺身こんにゃくを添えて。先輩友達は「美味しい、美味しい」と何回も言って完食してくれました。

先輩お友達の家にはボニーという愛嬌のある目の犬がいました。雨は嫌いですが雪は大好きで、ふさふさの体には雪の毛玉がいっぱいついたと懐かしがっておられました。ボニーは天国に行ってまだ間もないのです。人間も犬も一緒に生活したら家族です。家族はいつか離れ離れになります。悲しいことですがそれは当たり前のことです。

「ライオンの隠れ家」最終回を観て、今日の出来事を思い出してみました。

日日是好日

お友達にメール

 〇〇さんへ

先日はありがとうございました。

会社に毎日通うことがなくなって

やりたいことがあったはずなのに

面倒くさくなって、どれにも関心がなくなっていく

中で

お茶だけはいいと思いました。

型が決まっているので

間違った時は先生が教えてくれる。

所作には気持ちや性格が現れるのでしょうが

私はそこの域には程遠いので型があると自分流で考

え悩むことはないようです。

ただ、ただ白いキャンパスに先生が私の手首を押さ

えて先生の想いの線を描く。

ツッパしてきて、今は虚脱感ですが

お茶はいつも無から始まるのでとても安心な和やか

な気持ちになれるようです。

〇〇さん、お茶にお出かけの時は

お声をかけてください。


こんなメールをお茶の仲間の先輩に送りました。

きっと今の私にはお茶の世界が異空間で非日常で

何より競争しなくていいからと思っています。


日日是好日

2024年12月16日月曜日

読んでも読まなくても

 老眼に白内障、おまけに乱視まで授かりました。

それを理由に、読んでもらえない本が寝室、リビング、娘の部屋にも放り投げだされている。なんとなく本を買うと頭が良くなった気になる。だから本を買うことは無駄使いではないと思っているおかしな老人です。

暇な時間をどう過ごすかが問題の老人。写真を撮るか、雪国は晴れの日が少ない、今はその季節ではない。

白内障手術を終えたばかりの老人にはゴミがよーく見えるようになった。暇な時間の使い方その一は掃除だ。風呂場はよくまあこんなに汚れたものだ。その脱衣所にある洗濯機はすごかった。白壁には蜘蛛の巣点在。冷蔵庫から台所のシンクとこんなに汚れているのか、今まで気がつかなかったのは目のせいだけではない。暇がなかったからである。と老人はこと如く言い訳を繰り返し掃除に没頭してみた。しかし掃除もだんだん飽きてくる。まあいいか、一つずつやればいいさ、時間はたっぷりある。

休憩時間は当然多くなり、おやつの時間がすぐにやってくる。9時の次は11時だ。YouTubeとNetflixで何か面白いものはないかとリモコンをいじり回しているとピアノが老人に声をかけてきた。『挑戦をやめるのですか』と大きな体で老人を威圧する。いいじゃん、ピアノなんて弾かなくても今さら70歳老人には先がないんだから楽しいことをするべきだとものの本にも書いてあるではないかとピアノに反論するものの、なんだかほったらかしのピアノが可哀想になってきて、ちょっと練習再開しはじめた今日この頃。

話を元に戻すと、本はインテリアのようにあっちこっちと置いてあるだけ。

ところが、先日いとこが一冊の本を老人に勧めてきた。人に勧められると読まないわけにもいかず、きっと暇をどう過ごしたらいいかという謎解きかヒントが書かれていると推察し、勉強が嫌いな人が明日は試験だからと教科書を広げるように老人は読むことを決意する。

なるほどこの老人にピッタリの話である。何がピッタリかと問われても、多分色々なパターンに当てはまるようだ。読み手の解釈はいく通りもある。書を小さい時から指導された主人公がいろいろな人と出会うきっかけはお手紙代行職である。なるほど習字を習うのも良い。しかし主人公は幼い時から叩き込まれて今はその腕で仕事ができる人。今さら70歳の老人がはじめてもどうなるでもないし、ピアノと同じに上達するには練習という二文字が大きくのしかかる。無理無理無理。

主人公のお手紙代行にはいろいろなドラマがある。ありがとうのお手紙。恋の架け橋お手紙。絶縁状のお手紙と様々だ。そのお手紙には紙を選び、筆を選び、想いを伝えていく。

こんな職業があるとはこの歳になるまで知らなかった老人。

老人は指を折りながらひとつ着付け教室3ヶ月で辞めた。ふたつペン習字はAmazonで取り寄せたものの開いただけで廃棄した。体操教室は3回で辞めた。そして今はピアノに挫折しかけている。

挫折しそうで挫折しなかったものは70歳まで続けてきた仕事とブログ日記である。そして今はこの自己中日記のみである。

これだけは続けられそうだ。練習しなくて良いからである。それでも、できるなら、その仲間に読書とピアノ練習が入ったらこれまた良しなのだが、練習と勉強は嫌いな老人だからさてどうなることか?

日日是好日

2024年12月11日水曜日

室井慎次 前編と後編

 久しぶりに柳葉敏郎さんの映画を鑑賞する。「敗れざる者」「生き続ける者」さすが俳優と感じる演技力。内容にはつじつまが合わない箇所もあったが見応えのある映画だった。子役の演技力もベテラン俳優以上に感情移入させてくれる。時代の流れなのか家庭内暴力のテーマが多いと感じる。親子の絆は一体どうなっているのだろうか。これも社会現象の一つとしたら、肉親の愛はどうなって行くのだろうか。

踊る捜査線上の映画との絡みはもちろんあるが、室井慎次の生き方を映画の中に閉じ込めている。殴られても決して殴り返さない。疑っても諦めない。肉親以上に他人同士が家族になる。最近多いパターンだと思いながらも正義の味方の室井慎次が好きだ。そして、すぐに否定する。すぐに諦める。意欲がない。希望が持てない。と毎日ぐずぐずダラダラ生きている自分と比較する。

ラストには違和感が重くのしかかってすっきりしなかった。秋田犬が戻ってこないはずはない。刑事を辞めた室井慎次は踊る捜査線に戻れないからか、次回の宣伝のためか、青島役の織田裕二の登場はそれなりに続きを意識させてくれたもののあっけなかった。それより、室井慎次に手を合わせて誓うシーンにしてほしかった。(安心と平和を望む老婆の意見)

映画は脚本で決まると思っていたが、脚本以上に俳優でも決まるものもあると感じる映画だった。

昨日の1日は終わって、また今日という1日がはじまる。

日日是好日

2024年12月10日火曜日

冬の星座に向かって

 キラキラ キラキラ キラキラ

「心の中で、キラキラ、って言うの。目を閉じて、キラキラ、キラキラ、ってそれだけでいいの。そうするとね、心の暗闇にどんどん星が増えて、きれいな星空がひろがるの」

いとこから借りた「ツバキ文房具店」の一節です。

小川糸 知らない作家さんですが、この一節が私に希望をもたらせてくれるかも

冬の星座が見える日に目を閉じて、キラキラと呪文を唱えようかな

日日是好日

2024年12月9日月曜日

暇つぶしに「ドクターX」

 宣伝効果は凄い

暇つぶしとはいえ自ら娯楽映画を観に行く自分。主演の米倉涼子さんは目力がありすぎて、ちょっと苦手だ。好きな俳優はラッパのマークの宣伝に出ていた勝村政信さん。このCMにながれる曲「ショパンのプレリュード」はピアノの課題曲だったことを思い出す。ピアノの先生が教えてくれた曲でありそのCMに、この方が出演されていたと言うだけでこの方が好きになった。なんと単細胞人間の私だろうか。さて、暇つぶしで選んだ映画、はじまりから展開像は見えてくる。晶さんは死なないこと。もしかしてファイナルって言うから彼が死ぬのだろうかと思っていたら不死身だと最初に種明かしをしている。いいよ娯楽映画だから。数分朝居眠りが入ってしまった。迂闊でした。

それでもこの大画面はさすが映画館である。スクリーンの大きさはテレビ画面と違う大迫力。音がいい。家だと外野の音がセリフを消してしまう。最近耳が悪いことを自覚しはじめた私であるが、映画館では全く感じることがない。

サスペンスなのかお笑い系なのか人情ものなのかそれとも社会派っていうのだろうか、入り交じっている。悪役西田敏行さん最期の作品だろうか?演じる表情に病を感じたのは気のせいだろうか。悪役から正義に変身もいい。穏やかが一番好きだから。

そして思う。

暇つぶしに観た映画だったが映画はやっぱりいい。涙シーンもあった。現実にはまだありえないことだが、それも良しと思える。筋書きも最初から見えるのもいいかな。安心感がある。

はて、私も70歳になりはじめて観た映画は「水戸黄門」調になったのだろうか。

日日是好日

2024年12月7日土曜日

ピアノ10分間

 2日前にちょっと弾いてみた。

今日は朝イチにと奮起。指の練習「ハノン」は好きではない。音階と指の練習なのだろうか、右と左で1オクターブ違うが同じ音を弾く。オクターブ上がって、下がるだけなのだが、音楽センスのない私には難しいのです。左の薬指でミを弾くと同時に右手は人差し指でミを弾くのである。つまり右手と左手の音は同じなのに指が違うのである。途中で指が絡まってくるのか、音がずれてしまう。

慣れてくれば大丈夫のはずが一月以上弾かないでいると伸ばしたはずのバネが元に戻ってしまったようだ。

5回くらい練習して5回以上止まってしまう。できない自分に腹をたて、ブログに言い訳している。

夫は「長いこと弾いていないから当たり前だ」とこんにゃく作りをしながら励ましている。

日日是好日


2024年12月5日木曜日

ホタル

時間に追われない生活は70歳で初めての経験である。このことがこれほど苦痛とは思わなかった。

昨日は病気のお見舞いに午後から行ってきた。行き届いたお掃除されれたリビングに観葉植物が置かれている。綺麗好きな性格なのだろう。目が真っ赤で痛々しい。梅干しにらっきょ、味噌、煮物、頼まれたみかんをテーブルに出す。彼女の瞳がちょっと曇って見えた。思い切ってお見舞いに来て良かった。

帰宅すると、もっていくはずのおいなりさんの酢飯がそのまま釜にあった。たっぷり時間もあって準備していたはずなのに物忘れは進んでいるようだ。情けない。

夫は友達の招待を受け出かけた。夕飯はひとりだ。お見舞いに持って行った残りの煮物を食べながらテレビをつける。昔の映画のようだ「ホタル」高倉健と田中裕子の作品だ。題名に魅せられて観ることにした。昭和51年頃からはじまり、戦争体験者であり特攻隊の生き残りの話だった。私はこの映画が作られた時20歳くらいだっただろうか。今から50年前だから今この主人公が生きていたら90歳を超えているはず。戦争体験、特攻体験者の苦悩は戦争が終わっても癒えることなく続いていることを訴えている。無口の主人公の表情、その妻の想いがじーんと伝わってくる。政治的背景に戸惑いながら、ロシアとウクライナの戦争のように日本も戦争に朝鮮人を利用したのか?学校では習わなかった。戦争について私は何も知らないのだ。

寒中にホタルは舞うはずがないのにたったひとつのホタルは愛する人のそばに現れる。幻想として捉えたらいいのか、どれとも本当にホタルとなって、再会を果たしたのかわからない。命の使い方があるんだろうか?

何がやりたいのかわからない。やりたいことが見つからないなんて、戦争体験者や戦争で命を落とした人たちに言ってはならない禁句だろう。

日日是好日



2024年12月2日月曜日

盲目のピアニスト辻井伸行プレミアムリサイタル

 辻井伸行さんのコンサートを拝聴するのは今回で3回目。

席は2階の舞台裏が見えるB席だった。真上斜めのため、手元は全く見えない。だが顔の表情はとてもよく見える。観客も見渡せるB席もおつなものだ。

3部構成になっている。

にわか音楽鑑賞者です。ドビッシーの曲ではじまりました。ネパールに行く前に練習していた「夢」を思い出し、もう1月以上練習をしない自分を振り返っていました。やる気が起きない。元々音楽には疎い性格である。今更クラッシックと向き合ってもこの先上達するには毎日の努力が必要だ。時間はいっぱいあっても鍵盤の蓋を開いて指をのせても5分ももたない今。なぜ、どうしたのか?

やっていることは家事だけ。白内障手術の結果ゴミがよく見えすぎるからだ。その他は無気力状態である。

1部はドビッシーらしさを感じる。2部は全く知らない作曲家だった。豚に真珠だ。不協和音のような曲で、秩序がない。これで終わりかと思えば続いている。わかると言えば難し曲である。耳慣れしていないのでクラシックの良さがちょっとわからない。

ここにいる観客の熱のこもった拍手喝采を聴くと、私のような音楽を知らないものが、聴いていいのだろうかとさえ思ってしまった。

休憩を挟んで3部はベートーヴェンだ。曲は知らない。だがベートーヴェンだった。ベートーヴェンらしさが聴こえてきた。

辻井伸行さんの表情がすごい。映画を観ているようだ。以前と違う。音の世界に入っている顔だ。堂々と自信に満ちている顔だ。

拍手喝采の中アンコール曲がはじまる。出だしの一小節目。何回も何十回も聴いている曲だ。そう、ピアノを始めた理由の曲「悲愴」だった。「おかあさんの被爆ピアノ」映画のはじまりだった。これにはまいった。さっきまで音楽は私とはかけ離れているかもしれないと思いながら聴いていたのに、なんだよなんで涙がこぼれてしまうんだよ。

ピアノを弾きたいと思ったこの曲、この曲のおかげでこの映画のおかげで今日があるのに・・・。

アンコール曲は続いた。戦場のクリスマスへと。辻井伸行さんに寄り添う方は舞台裏で盲目のピアニストの蝶ネクタイと襟を正す。なんと微笑まし仕草だろうか。愛がいっぱい詰まっている。

アンコールのたびにこのピアニストは左右に幾度も腰を90°に折ってお辞儀をする。観客に対して僕のピアノを聴いてくれてありがとうと語る。盲目のピアニストは心が清らかで音楽を心から愛している。

観客に感動を与えられる理由はそこあるようだ。

日日是好日

2024年11月30日土曜日

お手紙 メールありがとうございます。

 

栃尾の油揚げを通して、たくさんのお客様と繋がることができたことは、人生70年の中で、とっても嬉しいことのひとつです。

頂戴しました、お電話、ファックス、メールは私にとって心の贈り物をいただいたように嬉しく、頑張ってきた、ご褒美のようです。

これからもずっと豆撰とブログで皆様と繋がって、いけたらと思っております。

さて、ネパールの次は白内障の手術と慌ただしく過ごしておりますが、手術後のモネ展は色彩の変化をこの目で見ることができ、モネの世界が少しわかったような気がしています。愛する人を失ったり、白内障になってからも苦悩の中で描き続けた睡蓮は愛がいっぱい描かれていたように感じてきました。まだまだ若いと思う自分と忘れん坊の自分が交差する毎日ですがなんとか頑張って生きたいと思っております。

そして、皆様のご健康を心よりお祈りしております。

多田礼子

2024年11月25日月曜日

お歳暮のご案内

 お元気ですか

いつもご愛顧いただき、心より感謝申し上げます。

実は私事ですが70歳記念にネパールアンナプルナトレッキングの旅に行ってきました。ツアーを計画してくださった方はネパールに9年間在住のネパール通。私といえば山登りについてはど素人。カトマンズのホテルは超デラックス。食事も美味しく、気分は上々。ところが翌日はバスに揺られること2時間。昭和のバス、天然クーラーにバスには捕まるところなし。凸凹道だけならまだ許せる。車はは一台しか通れない。絶体絶命です。タイヤは後数センチで崖に墜落。でも、運転技術はウルトラC級。やれやれ、着いたところは長い長い吊り橋。落ちたら即死。ガイドさんのリュックにつかまって、そろりそろりと歩く。そのあとは肉体と気力への挑戦です。長い石段を上ったり、下りたり途中では雨にうたれたりと、6日間はまさに地獄の道。話と現実は天と地の差でした。とこんな大変な旅をしてきたわけです。それでも、ネパールの旅は感謝の旅でした。足が痛くて歩けない私に「礼子さんの痛みわかります。私も痛いから」と言っマッサージしてくれた整体師の方、高山病にならないよう、ゆっくりゆっくりと先導してくださった氷河の先生、リーダーに大丈夫!頑張れる?と叱咤激励されるなどなど20人の仲間に励まされ、なんとかアンナプルナベースキャンプ標高4130Mに到着。そして私を囲んだ、7から8千Mの山々が一斉に「ようこそ」と微笑んでくれたのです。私はありがとうと手を振りました。山々の神々しさに手を合わせてたその先には、私を快く送り出してくれた家族や豆撰スタッフの顔が次々と浮かんできました。

この旅の意義は、何気ない日常がどんなに大切なことで幸せかと知ることができました。そして皆様に、皆様の大切な方々に栃尾の油揚げをお届けしたいとスタッフ一同頑張っております。

日日是好日


2024年11月13日水曜日

自然とハグをする

 ネパールから戻って、すごい偉業を果たしたように自分を讃えてから、すぐに白内障の手術に入り、慌ただしい日日を過ごしていた。

ネパールへ向かった日から数えたら1ヶ月が過ぎる。突然の来客だった。私を誘ってくれた人生の先輩はなんとまあ、私を救ってくれた整体師ご夫婦とネパールに連れて行ってくれたリーダーを連れてきたのです。まるで戦友にでもあったかのようにリーダーに抱きつく。そして整体師ご夫婦とも抱き合う。その後、我が家で私の写した写真をテレビ画面で観る。感動と行ってきんだよね。本当に。と嘘のような夢のような錯覚になる。

アンナプルナベースキャンプの思い出の会話がはずむ。参加したから会話に入り感動を味合うことができ、共有できる。ハグなのだ。

日々是好日


2024年10月31日木曜日

ピアノを弾くことが怖かった「

 ネパールから帰国し

私を待っていたのは夫とピアノ。

夫にはありがとうの言葉が言えた。

リビングで私を待っていたピアノには目もくれず

私は久しぶりにあった我が子のように、異様な目でチラリと

みるだけ。

帰国した翌日夫が「ピアノを弾かないのか」と言ってくる。

「うんーん」と首を横にちょっとふる。

怖いのだ。半月もピアノを忘れていたことで私はピアノが好きではなかったような気がして、いや怖かった。覚えているだろうかという不安とピアノはこれからの残りの人生にどんな影響があるんだろうか?

今さらこの年で練習をしても上達しない。この気持ちは仕事に対する意欲とも言える。代弁しているのだろうか?

ネパールの人々の暮らしと自分の暮らしを対比させているのだろうか。

ネパールで出会った人々は生きている。自分の人生を。私は?

そして、今朝

ピアノの蓋を恐る恐る開けて、一枚の楽譜アヴェ・マリアをゆっくりと弾いてみた。間違いもあったが

優しい音色を感じた。


日日是好日

2024年10月25日金曜日

エベレストビューに立つ

 世界の屋根ヒマラヤ山脈、その最高峰エベレストを見るためにシャンボチェの丘標高3880mにはヘリコプターを利用しました。ところが私たちの乗るはずのヘリは待てど待てど来ない。朝5時半にホテルを出発しポカラで待つ事半日。お昼を過ぎた頃ようやくヘリに乗り込む。が点検に要する時間も長い長い。それは当然だろう。命がかかっているのだから。パイロットの隣りに載せていただき、ちょっと怖いと思ったが、操縦のうまさで、ほとんど揺れない。山を次々にこえ、街を見下ろし、雲の上を飛ぶ、雲の上は青い空でした。私は美しい空、エベレストを満喫してます。先陣たちは私たちの遅れに心配度が膨らんでいたのでしょう。世界で最もエベレストに近い「エベレスト ビュー」ではリーダーのハグが非常に嬉しかった。ヒマラヤ山脈に聳え立つエベレストはまさに聖母峰。後で知ったのですがヘリの遅れはレスキュー隊として活動されていたようです。

そしてこの地に夢を叶えた逸材宮原氏とともに設立に尽力したこのツアーを企画して下さったMさんと誘ってくれた友Kさんに感謝します。

私のこの無謀とも言える旅も今日1日で終わります。足腰が痛くてリタイアしそうになった時、マッサージをしてくれたAさん、Yさん本当にありがとうございました。

みなさんからいただいた感謝を今度は私のできる事でお返しできたらと思っております。

そして私のわがままを容認してくれた、豆撰スタッフと夫に感謝感謝です。


日日是好日


2024年10月22日火曜日

羊の大群でひと休み

 チョムロンに着くまでの辛い道のり、石段が続く。来た道を帰っているのに、下りはきつくてただただ気力で足を前に出すのみである。途中に3本の橋をわたる。丸太だけだったり、泥と木で出来た揺れる橋、最後の橋を渡り切ったところで羊の大群に出会う。山からの下山です。メエーの鳴き声も大群となると大大合唱である。小さな子羊は、まるでぬいぐるみのようにかわいい。橋の隙間に足を突っ込んでしまった子羊。なんとか自力で頑張っていました。羊の群れに足を止め、しばしの休憩になり心が和む。

さて、大群は去り再び歩き始めると1匹の子羊が崖下に転落している。私たちのツワーのサポートをしてくれる通称マルちゃんが、ささっと崖下に降り救出。マルちゃんに抱えられて、やれやれ一安心。

ちなみにこの羊たちは生贄になりネパール民族のお祝い時に食べられる事が多いそうです。

この日の夕食後にガイドさんからネパール事情をお聞きしました。若者の出稼ぎや留学が多く、人口は減り国は大変である事。身分制度が現在も続いている事。私はこの大地で生きる彼らの生活。塾やゲームのない世界が羨ましいとさえ思っていたが、現状をお聞きすると絶句してしまった。

日本も少子化は続き農業従事者は激変している。しかし豊かである。特に食生活は贅沢極まりない。エネルギー問題は大きな課題であるが水も電気も今のところ彼らには十分である。山ではソーラー電気で貯めた電気が大切に使われている。

貧富の差と政治。無言になってしまう。

続く

2024年10月21日月曜日

目的地に立つ

 お日様を背に、汗だくになりながら途中で山の渓谷から見えるマチャプチャレの美しい姿に感動する。かと思えば急に雨が振り出し雨具を取り出す。天国と地獄のような道のりでした。目的地アンナプルナベースキャンプに着きパノラマで見渡すアンアプルナ連峰は雄大で圧倒される。氷河は100年前までこの地に存在していたそうです。同行された方のお話では300m下は氷河だそうです。この先生のおかげで、ゆっくりゆっくり歩き、深呼吸を促していただき高山病にもならずにすみました。もちろん他のメンバーにも励まされ、相棒と一緒に4130mの地に立つことができました。

続く

2024年10月19日土曜日

恐怖のはじまり アンアプルナトレッキング

 高級ホテルからバスでnew bridge まで行きます。バスは楽ちんと思うなかれ、年代物でドアの鍵は鉄の棒をかけるだけ、もちろん天然クーラーです。道幅はバス一台が通れるかどうか?と心配になりそうなアップダウンで一歩間違えば転落人生。ところが運転の技はマリリン並のウルトラC。バイクにジープとのすれ違いは素晴らしい、やれやれさて終点。あそこに見える吊り橋の長さにびっくりしてスマホを取り出すと、写真は今から渡るからその時に!えっえっ、ギョ。渡るの?谷底高さは?、渡れませんよ。でもロバたちは黙々と渡っている。では私も。足がすくむ。案内役のネパールの方は親切。リュックの紐につかまって大丈夫です。

いやはや命拾い。そして歩き続ける旅がスタートしたのです。行きは良い良い帰りは怖い。違います。

アンアプルナトレッキングの天国と地獄の始まりでした。追伸電力は水力発電だそうです。

続く


2024年10月16日水曜日

アンナプルナトレッキングに挑戦

 令和6年10月13日

豆撰35周年大感謝祭最終日はたくさんのお客様が集まって下さった。特に特大栃尾の油揚げ試食会は大人気であった。子供からご夫婦、親子、お友達といろいろなグループが美味しい美味しいを連呼してくれる。豆撰にとって久しぶりの大賑わいだった。その余韻中に長年の夢であるネパールへ向かって夕方5時に家を出たのである。

気になるのは豆撰のことと夫を残して出発したことであった。

しかし決断したのは私自身である。後ろめたい気持ちが頭の中でぐるぐるする。

私と言う人間の行動はいつもこのようである。

美味しものがあると後先考えずに食べたくなる自己中そして、後悔するのである。

長岡で池田屋さんの駅弁を買い、新幹線で出陣式。少々ビールをいただいた越後3人姫でした。

羽田からは、ボランティア主催者とその仲間達と合流する。死亡保険と傷害保険加入。3800円。ドルが必要とのことで交換に行く。どこのドルですか?うーんアメリカドルだろうが、相棒が確認に行く。そしてまたもやドルの種類は?相棒が確認に行く。そのドルはネパール紙幣との交換ようだから100ドル札でいいとのこと。なるほどそうに決まっている。海外旅行の経験ではカード利用が多いからそんな事もわかっていない老人ふたりである。今回の相棒は妹の友達と一緒。弥次喜多道中はすでにはじまっていたのです。

羽田で待つこと3時間。出発は14日になっていた。

羽田からタイのバンコクに飛ぶ6時間。結構長い時間である。窮屈なエコノミークラスは当然だが窮屈である。一生に一度くらいビジネスクラスでいいから乗ってみたいもんだ。機内でオムレツをいただき、コーヒーを飲む。このコーヒーは意外と美味しい。バンコクからネパールのカトマンズに飛ぶ待ち時間にはレストランでおかゆをいただく。日本のおもゆの感じである。そしてポカラまでの乗り継ぎ5時間待ちには流石にヘトヘトでこのアンアプルナトレッキングは無謀であり無知だと早くも後悔がちらつく。しかし1人では何もできないのだから、ついていくしかない。ポカラにつくと私たちのお世話をしてくださる現地の方が出迎えてくれた。私たちのリーダーは長年のお付き合いのようだ。ハグに信頼と愛情がもろに伝わってくる。ポカラの街をバスで行く。道路事情は昭和30年代私が小学生の頃である。65年くらいタイムスリップするのであった。凸凹道に車とバイクが車線など当然なく迷路のように勝手にすすんむ感じである。街を抜けると栃堀から守門岳に向かっているような狭い道をくねくねと上る。一泊目はホテルであるはずなのに、ただただ山道を上っている。山小屋ホテルをイメージしていたがそのホテルは桃源郷のようだった。広いロビーに広いレストラン、広いお部屋と高級ホテルだった。レストランはバイキングである。この山の中でのメニューは大大ご馳走である。野菜が豊富が何より嬉しい。はじまったばかりのアンアプルナの旅の天国と地獄を体験した初日でした。

続きます。

2024年10月4日金曜日

創立35周年におもう

 今年は創業35周年

あの日、1日に10件もなかった電話が20件以上鳴り響き、びっくり仰天でした。翼の王国に豆撰の記事が4ページも載ったのです。夢が現実になっていく嬉しくてたまりませんでした。

あぶらげ作りの半分は清掃です。スタッフは5人、朝早くから夜遅くまで、よくまあ頑張ってくれたものです。それからしばらくして妹(現社長の奥さん)の応援を得、スタッフも増えて無我夢中の航海が始まりました。その当時からのお客様が豆撰の財産となっています。感謝感謝です。そして航海は荒波にも遭遇。7、13水害では我が家は土砂に埋まり妹の家も土砂崩れにあい、途方に暮れたと思う暇なく中越地震と災害が続きました。お客様にお届けできない日々、神様は家を奪い、豆撰まで奪ってしまうのかとあの時の落胆と恐怖は言葉では言い尽くせません。そんな日々の中お客様から「大丈夫ですか?頑張ってください」と励ましの電話やお手紙そしてご注文をいただいたこと元気と勇気と笑顔を取り戻すことができました。

誰もが想像できない災害が全国で起きる今日この頃まさかのコロナは再びお店の経営を圧迫。いつまで続くかわからないコロナは脅威でした。35年を振り返ると豆撰の道のりは我が人生の道のりでした。苦しい日々が続く中でも、ろいろな人に出会えたことはとても嬉しいことです。皆さまありがとうございます。

人手不足の中、若いスタッフも中年スタッフも力の限り頑張って35周年感謝祭にむけて走っています。おぼろすくい、特大あぶらげ試食会、ジャンケンゲームなどなど楽しい企画を考えております。ぜひご家族揃って、お友達を誘って豆撰感謝祭にお越しください。皆様の笑顔をお待ちしております。



2024年9月15日日曜日

カラスと私

 カラスを見ると村上春樹の「海辺のカフカ」を思い出す。

だが・・・・・・。

確か宮沢りえの演劇も観た。いい感性となんだか分からない所のある小説だったことは、ぼんやりと思い出すのだが、それ以上には思い出せない。魚が降ってきて、主人公はカフカでカフカはカラスだったような?

とあんまり覚えていないのにカラスを見ると海辺のカフカを思い出すのです。

朝の散歩を初めて10日くらいですが、散歩で一番最初に会うのはカラスです。私がそばに行くまで飛び立ちません。なんと図々しい鳥と思っていたら、鈴の音には結構遠くから反応しました。そしてYouTubeでドビッシーの夢その他を聴いて歩くと鈴ほど遠くからは反応しません。そのうちに声をかけることにしました。至近距離です。「おはよう」と数回声をかけます。無反応いや、少々首を捻っているかも。しばらく続けてみようと思う。カラスとのコミニケーションである。

日日是好日

2024年9月8日日曜日

三奈子ちゃんに会いたいね

 三奈子ちゃんの行方がわからなくなって、早26年目だそうです。長岡アオーレでの市民集会に参加してきました。

お母様の中村クニさんとは私の尊敬するお友達の紹介で、何度かお目にかかり、集会にも参加させてもらっています。今回はいつもと違って、三奈子ちゃんの同年の方のトークや行方不明前の懐かしい写真がスライドで大きく映し出されました。母と娘の想いが胸に刺さりました。またひなたさん作曲の「ハナミズキの花が咲く頃」は長岡の情景と中村さんのお庭に咲くハナミズキの木の大きさに26年の切なく悲しい気持ちが伝わりました。でも、きっときっとハナミズキの花が咲く頃、三奈子ちゃんはお母さんの元に戻ってくるでしょう!そう願っています。

横田めぐみさんをはじめ多くの方々の拉致問題はこのままでいいはずはありません。政府にもっともっと解決になるよう努力をしてもらうそのために私たちも声をあげるべきと思いました。

日日是好日


2024年9月4日水曜日

鈴とカラス

 朝5時はまだ薄暗い。やっと涼しい朝を迎え、2日目のトレーニングに行く。三日坊主になりませんように。出かける間際に夫から渡された鈴は熊よけのため。左手に持つと小さめの音だがチリンチリンとなる。あわせたかのように虫達がそろってハモっくれる。鈴と虫の共演に日常のストレスが飛んでいくようだ。

しばらく歩くと道路の真ん中に陣取るカラスを遠くに見つける。カラスは人間にはさほど驚かず近距離にならないと飛び立つことはない、図々しい鳥である。そこで私はカラスの耳は人間にはしぶといがこの鈴には反応するのかと実験を試みる。20メートルは反応なく道のど真ん中でエサを食べている。ところが15メートル近くなると猛ダッシュで飛び立つ。ということはこの金属音はカラスは嫌いなのだ。そうかカラスが嫌いな音は熊も嫌いなはずと科学的根拠はないが自己都合で理解をするババでした。

日日是好日

2024年9月3日火曜日

寅さんシリーズ完了 

 最初の一話から観ることにした。寅さんシリーズも全編観終えると。寅さんがあてもなく、ふらりと風の吹くまま気の向くままに旅に出るような心境になり、心の中に穴が空いたような気分だ。

脚本も映像も俳優さんも一流なのに一流以上に観る人の気持ちがわかるような映画だと思う。本音もおべっかも人間寅さんだった。

終盤は甥のミツオに焦点があたり、寅さんは確実に歳を重ねていた。セリフも

勢いより情感が溢れていく。家族もそれぞれが老いていく。

瓦屋根の街並みに堤防、入江からの青い空、お花が必ずある。心休まる、懐かし風景だった。

さて、朝の楽しみがなくなり、次の映画さがしをしてみたが、寅さんに勝るシリーズが見当たらない。

そこで、暑さも落ち着いたような、10月出発のネパールに向かって体力作りをしようかと散歩にでてみることにする。まずは初日だ。

日日是好日

2024年8月31日土曜日

夏の思い出

 はんがーにかかっていた浴衣をおろし、綻びを縫いクリーニングにだす。

虫かごに松ぼっくりとカブトムシのための枯木がはいっている、綺麗に洗ってしまう。

風呂場に小さなピンクの腰掛けが置いてある。ババと一緒におふろはいったね。

玄関に長靴がポツンとおいてある。ジャガイモ堀り、にんじん、トマト、キューリ収穫したよね。

あのお山に登ったんだよね。と指さしていた城山。

トカゲは最高の友達、かわいい可愛いとちゅーをしていた。

ババ塩を持ってきて、ナメクジはジジのお花を食べるんだよ。

ババはすぐに帰ってくると言って仕事に行くけど帰ってこない。

ババは楽ちんだよね、すわってぱそこんしているだけでお仕事ていないもん。

ババが1人になったら、私のお家にきて、イタリアに住めばいいんだよ。家族だから。

ババ、ジジのベッドくっつけたまま?離したよ。私がまた行ったらくっつけてね。

夏の思い出

日日是好日


2024年8月21日水曜日

家族がいなくなった。


 長いようであっという間に過ぎてしまった娘と孫の帰省は終わった。

昨夜は羽田空港まで見送りに行った。

その前に私の妹家族とさようならするのがいやで、大泣きする孫。そうならないようにさらりと空港でさようならをした。淋しそうな顔だったが泣かなかった。

豆撰の仕事をしながら孫と遊ぶのはとても疲れてしまった。もちろんピアノの練習もできなかった。

それでもやっぱりさみしい。

老人ふたりの生活がはじまった。夫は畑に行った。私はトイレ掃除に玄関掃除。汚れた部屋は順番に片付けましょう。

朝食は老人ふたり分でいい。これもさみしい。

想い出はいっぱいできた。そしてその想い出の中で私は私の父母を想い出し懐かしむ。

日々是好日

2024年8月12日月曜日

うんこの歌


 7歳の孫がトイレで歌う

即興詩

「うんこはだいすき

おなかのなかをきれいにしてれるよ

うんこがでてくるとおなかのぐるぐるが

なおって

すっきりいいきもちになる

こんにちはうんちさん

うんちさんがたっている

わたしはうんちがだいすき」

子供にとってうんちは特別なもの

大人になると健康イコールうんちになる大切なもの


軽いボールを買ってもらって

リビングでついて遊ぶ孫

「このおうちのしたに

もぐらさんがねむっているかな

おこしてしまったかな」

子供の発想は大人と違って面白くて

心が和む。

毎日、7歳の孫と対等に喧嘩をする。

ババはいつもお年寄りだから疲れるって言うけど

子供だって疲れるんだよ。

孫は大きな声を出しニュースばかり観ていて

ババもジジも私の話を聞いてくれないと言う。

あなたもアニメ観ている時はそうでしょう!

すると

ババは大人だから

私は子供だから忘れてしまうでしょう

なるほど子供の言い分か?

あと一週間くらいでイタリアに帰る孫と

どれくらい喧嘩して

喧嘩の財産が貯まっていくのだろうか

日日是好日



2024年7月28日日曜日

星野道夫写真展で思うこと

 有名写真家 そう知らなかった。アラスカに移住。自然界に魅せられて。なるほど、どの写真も堂々として、これが僕たち私たちの生き方。命はこの地球に生まれた生き物にとって皆同じであると語っている。

待って!43歳で死亡。偉大な写真家星野道夫、どうして

ヒグマに殺される。いや、ヒグマとの遭遇は人間が自然界をこわしはじめたからでしょう?

原住民と動物たちはシーソーのようにバランスを上手に保っていたはず。なのに近づき過ぎて命を落とした。すばらしい写真の数々だが

この偉大な写真家もバランスを崩した。

人間の欲望は哲学者でも詩人でも、抑えられず、

私はこの日常に

日日是好日を感じ

今日一日を終える。


2024年7月26日金曜日

二度目のライオンキング

 

20年以上前に、ライオンキングを妹と従姉妹と観に行った。

今回は孫と娘親子3代での鑑賞である。長岡を出発し東京駅に着く、もやーとした空気と人口密度の多い東京は住むところではないといつも思う。

劇団四季会場の周りはここ?犬の喫茶店やら、専門店が目に入る。アーケードは広くビルだらけ。そうそう途中駅構内に手塚治虫のアートがあった。60年前のアトムの世界に近づいてるようだ。

会場近くのフードコートで軽く昼食をとってライオンキングの道を歩く。その道は動物の足跡が描かれていた。

2回席の真ん中で一番前が3人の指定席である。舞台全体がよく見えて、新潟のりゅーとぴあの2階鑑賞席を思い出す。なかなかいい席である。

幕が開くと、20年の私の足跡が再現されたような錯覚と歌声に懐かしさを感じる。

鍛えられた一流の歌とダンス。進化している照明や音声、舞台装置。動物の顔や衣装はほぼ変わっていないように思う。演じる役者ひとりひとりに個性があり、訓練の賜を感じる。そして体力勝負であろう。例えばハイエナになりきって小道具を動かす役者の表現力はライオンキングならではの醍醐味だろう。

孫にはこのミュージカルのことは内緒にしてきた。イタリアの小学校での発表会でライオンキングを経験していたから、本物を見せたいと娘のサプライズだった。

休憩時間を含めて3時間近くの観覧だったが孫も歓声をあげたり震えたりと現実とサバンナの世界に魅せられていたようだ。

ホテルに入ると「ババみて、イタリア語だけど」と言って発表会の場面を見せてくれた。

親子3代の記念日になった。

娘は父親似、孫はイタリア人の父親似である。よってこの3代親子は側から見たら家族?

日日是好日

追伸 劇団四季は移転していました。有明でした。

 



2024年7月23日火曜日

おおきなかぶの読み方?

 

孫は一年生です。栃尾の小学校に10日間通いました。宿題が毎日でるので孫は閉口しています。

宿題大嫌いと喚く日々。算数では足し算に引き算です。ところがイタリアと違って答えに鉛筆なら本と数えますが、ほんだけでなくぽん、ぼんもあります。と物の数え方も難しいことに70歳を前に気づくババ。日本に住んでいれば自然に覚えられることですが、イタリアに住む孫にとっては難しいこともあるようです。

国語の宿題でおおきなかぶのお話を読み、質問に答える問題!素晴らしすぎて笑っちゃいました。

その読み方は相撲の呼び出し風でした。おじーーさんはーー。おばーーさんをよびーーましたーーー。

ハハハこの子はやっぱり私の孫です。

日日是好日

2024年7月21日日曜日

あじさい寺と水族館

 

男鹿の旅の道のりは長かったけれど、一泊二日の短い旅は無事終了。

雲昌寺のあじさいは7月15日で終了してお花は全部刈られていました。それでも広大な敷地を埋め尽くしている花のイメージはわきました。

その後は子供達の大喜びする水族館へ。しろくまやペンギンの餌付け、手で触れるウニなどに大喜び。はて?我が夫も寺には興味はないけれど魚たちには興味深々。ひとつひとつ解説を読んで回っていました。

日日是好日


男鹿の旅

 

栃尾出発し、所要時間5時間で目的地「なまはげ会館」に到着。茅葺き屋根の民家に正月を再現し、なまはげが家主と酒を交わし、悪い子はいないかと観客席に飛び込む。泣き虫はいないかと言われ、涙を大きな目にいっぱいため震える7才の孫。

これでわがままが改善されるかと期待したが、結果は改善されず、一体誰の子か?親の顔が見たいよと問うと「ババの孫」と返された。

夕飯後はなまはげ太鼓を鑑賞!舞台に5人のなまはげと女性1人の演奏、ビンビン響く鼓動の素晴らしさと会場を飛び回る迫力は凄い。秋田出身の姪の夫から連れきてもらったことに感謝する。

朝温泉に浸かって癒されと思えど、朝食までの時間は、テレビを観る人、携帯を見る人、携帯でブログを書く人と家族団欒はなし。これじゃあiPadでアニメを観る孫になにも言えません。

日日是好日

2024年7月16日火曜日

台風の目は停滞中

 イタリアから帰国の母娘を成田までご丁寧に老夫婦は仕事の段取りをつけ朝一番のトキに乗り迎えに行く。そして1週間が過ぎました。

日本の小学校に通い一応勉強。牛乳をひらがなに、救急車をひらがなに。ちょいとこれは難しい。算数はどこの国でも共通だから結構できる。嫌いなのはプールらしい。給食は綺麗で美味しいと喜んでいる。一年ぶりの再会は嬉しいのはずだが

孫に虐げられ、その上ババの唯一の楽しみピアノレッスンは拒否され、狭いながらもリビング、座敷、娘の部屋からもう一つの部屋を独占し、だりこっぺいにする母娘。

散らかされ、片付け、また散らかす。いやもうだめだ。

片付けはしないことにしよう。

夜寝静まった時がババの自由時間だが

仕事と孫相手でクタクタになりなにもできず、トドのように横たわるのみ。

日日是好日

2024年7月3日水曜日

七夕と孫

 


指折り数えて待つ孫

「お家で4回寝て、飛行機の中で1回寝たら日本だよ」と話す孫。コロナの時は会えなかったけれど、その後は一年に一回だけ会える、まるで七夕のような話なのです。

でもいい時代ですから会えなくても携帯はいつでも繋がり、ラインならその上無料の世界です。

10年前は国際電話は高かったのに、その反面円はどんどん安くなり、私たちにとってはイタリアはずいぶん遠くなっていきます。もう一度ゴンドラに乗ってみたい。フランスやスペインにも行ってみたかったのに。

当分はイタリアから日本に来てもらうしかない。

姪っ子の家族と秋田旅行、ライオンキング鑑賞と温泉旅行を計画中。畑のジャガイモ掘りやキャンプも楽しみにしているようです。

また、日本の小学校に通うためにひらがな練習をしています。やきゅうにきゅうり、がっこうなど、ちゃんとかけているかな?

あと何回会えるかと考える老夫婦のなにがめでたい100才が口癖になる。

いや〜あと30年もですか?

日日是好日


2024年6月26日水曜日

上山温泉の小旅行

 








斎藤茂吉記念館に立ち寄りました。医師であり歌人という教科書の中の人の生い立ちを知る。特に興味が湧いたのは妻輝子さん。一冊の本を買う。孫からみたおばあちゃまだそうです。読み終わったら感想を忘れないように書きましょうか。さて、山形上山温泉「三木屋」に宿泊する。江戸中期に建てられた紅花問屋だったそうです。平屋作りで所々に年代物の調度品が飾られていました。その昔は紅花で財をなしたのでしょう。月岡城は休館日でしたが武家屋敷は見学できました。入り口に必ず衝立があるのはどうしてか?鬼を気で追い出し寄せ付けないためとのこと。知りませんでした。参勤交代では100人の行列だったとか。隣の伊達藩は3000人、加賀百万石では6000人とか。国を収める策徳川の知恵は良くも悪くもすごい。と思いました。宿場町の経済はまわり、紅花もさぞ売れたのでしょう。

最後はいいでどんでん平ゆり園にて元気をいっぱいもらってきました。

日日是好日


2024年6月19日水曜日

アミーチコンサートに感謝




 先日、私のピアノの先生の「アミーチコンサート」に行ってきました。妹とレッス仲間とお友達ご夫婦の5人は運よくと言うかちょっと恥ずかしながら、一番前が空いていたので特等席に陣取ることにしました。そうそう会場は新潟のイタリア軒で、客席は200席くらい?満員でした。

先生は実はソプラノ歌手「熊谷真梨子」さんです。通称真梨子ちゃん先生と私たちは呼んでいます。

アミーチはイタリア語で友達と言う意味だそうです。今度孫にアミーチは何人と知ったかぶって聞いてみよう。

と言うことでコンサートは3人の歌い手と全曲ひとりで伴奏していたピアニストと4人で構成されていました。

一番バッターはバス歌手であり口笛奏者の松村祐甫さん。口笛世界大会で一位になられたとのこと。妹曰く「我が家のウグイスのようだ」とその音色に興奮。いよいよ真梨子ちゃん先生の出番。凄い迫力と声量と演技力にたまげました。回を重ねるたびに進化していく先生。歌劇「運命の力」の歌と表現はもう鳥肌がたつほど感動しました。

そしてラストの曲はなんと私が伴奏して妹が歌ったアメージング・グレイスでした。

もう、ググッときて涙が溢れてしまいました。もう一度弾きたいと思いました。がはて?弾けるかな?きっと忘れているだろう。

素晴らしいコンサート終了後、お帰りのお客様にご挨拶の皆様。真梨子ちゃん先生は

「一番前でびっくりしました。父兄さんが並んでいるようでした」と言いながらも自信に満ちた笑顔!

素晴らしいコンサートに感謝の一日でした。そしてお友達ご夫婦からの送り迎えに感謝でした。ありがとうございました。

日日是好日

2024年6月10日月曜日

片手のピアニストにありがとうございました、

舘野泉氏のコンサートに行ってきました。

米寿の片手のピアニストの奏でる音は片手で弾いているわけではありませんでした。心で弾き、聴衆に感謝を伝えるのです。一幕が終わるたびに手を合わせるような仕草と笑顔はまるで仏様のようにみえました。

舘野氏のために楽曲を書いてくださったひとりの名前、谷川賢作氏に舘野氏は恩師以上の感謝の気持ちを伝え心で弾いてくださった。おかあさんの被爆ピアノでアヴェマリアを自ら弾き音楽監督をなさった谷川賢作氏と私の距離は私の勝手で近くに感じていましたので、それはそれは感激でした。

そして、舘野泉氏と谷川賢作氏は盟友であり、心と心で弾くという共通点を見つけてひとり興奮していました。

息子さんのバイオリンもピアノと調和する。これほど優しい二重奏は聴いたことがありませんでした。お互いを思いやる親子共演は今まで見たことも聴いたこともなかった。チェロの演奏もふたりの親子に支えられて、支えて奏でる。

最後のアンコール曲赤とんぼは亡き叔母の大好きな曲でした。他界して20年以上すぎましたが、あの日のままの叔母が目の前に現れたようでした。

米寿コンサートに元気と勇気と優しさをいただきました。ありがとうございました。

日日是好日

2024年6月9日日曜日

下田 高城ヒメサユリ

 







軽いトレッキングのつもりで友と出かけた。20年ほど前にヒメサユリの群衆を観た記憶を辿って、はて?いつもの私です。まあいいかと登りはじめました。途中から記憶にはございませんのアップダウン、おまけにどこにヒメサユリ?花は散ったのか茎と葉っぱだけが残っている。

まあいいかアンアプルナのためのトレッキングである。昔上った道ではなかった。

最初の見晴台は下田の街が見渡せる。その向こうに守門岳が栃尾側とは違うなだらかな山に写る。青雲がよく見えて、シラネアオイが咲いていたことを思い出す。結婚前に夫と登った懐かしさが甦る。

それから行き交う登山者に高城趾までどれくらいですか?と尋ねること2回。ヒメサユリは鹿と猿にやられたそうです。彼らにとってはケーキのようにおいしいものと話してくれた登山者。まあ仕方ないか?鹿も猿も熊も生きるため。

2時間かかりなんとか高城趾まで辿り着く。

ヒメサユリには出会えなかったが、程よい汗をかき風が疲れをとってくれた。

下山は登りの半分の時間でようやく駐車場に到着。

日日是好日

2024年6月7日金曜日

とうとう決断する







 白内障と診断され2年経過。

最近は焦点が合わず、曇って見える日が多い。

老人の交通事故多いこの頃。はて?もしかしてと思い、意を決して病院へ。

「白内障進んでいます。手術しますか?」の問いかけに即答。「はいお願いします」

日程合わず11月に実行予約をする。とにかくとうとう決断した次第です。それにしても近年の病院通いは多くなったものです。心臓からはじまって、胸椎骨折、帯状疱疹、膀胱炎と病院パレードである。なんだか老人の仲間入りをしたような。

眼科診察の後ちょこっとイングリッシュガーデンに寄り道しました候。

日日是好日



2024年6月1日土曜日

日本の



7月になったら日本に来ることを楽しみに待っている孫の描いた「日本の家族」です。

ふたつの国に家族を持っている孫にとっては、日本もイタリアも自分の国です。

私たち老夫婦も娘を嫁にやったという感覚はありません。たまたま外国に住んでいるだけなのですから。

なぜ国が分かれたり、侵略したり、戦争をするのでしょうか?

兵士たちは戦いなど望んでいないはずでしょう。戦争によって切り離された家族、戦争によって息子や親を亡くした家族の気持ちがわからないのは国のトップの人たちでしょう。

家族も国と国も世界も繋がっていて

そして地球の仲間なのに

日日是好日


2024年5月19日日曜日

美味しい顔してください





ある番組取材の出来事。

「辰巳琢郎葡萄酒浪漫」という番組です。

現れた2枚目スターはこの番組の企画、つまり栃尾のワイン企画で総勢7人で栃尾入り、そのついでにお立ち寄りいただき、栃尾といえば栃尾の油揚げ。栃尾の油揚げといえば豆撰へ。

揚げたて作業を丁寧に見学その後、あぶらげカレーをリクエスト。一通りカメラが回った後に「どうぞ写真を撮ってください」とスタッフから声かけあり。遠慮しながら俳優辰巳琢郎氏の近くに行く。

まさかああ口が滑ってしまった。

「おいしいそうな顔してください」と私。

スタッフは爆笑!

辰巳さんの顔はこの写真となりました。




2024年5月14日火曜日

共通点

 同窓生が亡くなった。

朝ドラの本を読み終わった。

69歳の最期だった。

ふたりの最期が同じ年齢だったとは。

思い残すことのないように生きることの意味を

考えてみる。

今までは旅行がしたい。美味しいものが食べたい。

今まで頑張ってきたのだから当然だと思っていた。

だが、この2人の偶然の69歳と私の69歳を重ねると

自分のやりたいことははて何か?

誰かの役に立つことを些細なことでもいいからやる

ことかもしれない。

それが自己満足だと思う。

日日是好日


2024年5月11日土曜日

セカンドネーム





 ブーゲビリアは姉ちゃんの花

シラネアオイは真央ちゃんの花

クレマチスは娘の花

リンドウはお父さんの花

それぞれに花にはその人との思い出がいっぱい咲いてくれる。

余命いくばくもない姉ちゃんを最期の旅行に連れて行った。

「綺麗ね、綺麗ね」と繰り返し沖縄の大きなブーゲビリアと一緒に記念撮影

姉ちゃんは美人で背も高くてブーゲビリアには負けなかった。

シラネアオイは真央ちゃんの衣装の色、真央ちゃん大好き人間の私は薄紫の衣装が一番真央ちゃんに似合うと思っていました

清楚で優しくて

クレマチスの庭園はお友達のきみこさんが丹精こめて作られていました

その時に日本名はテッセン、洋名はクレマチスと知りました

そして母の日にクレマチスが届きました

今年も見事に綺麗に咲いて私を笑顔にしてくれています



2024年5月10日金曜日

お弁当作りの想い出



 日本は朝の5時、イタリアは孫の消灯時間。

私「今電話できる?」

娘「明日のお弁当作り中」

そうか、仕方ない。ストレスが溜まりすぎて、脳から溢れそうになっていたから、娘に鬱憤を聞いてもらいたかったが仕方ない。

私も想い出す。

娘はお弁当の日には必ずスイートポテトを依頼していた。

私「覚えている?あなたはいつもお弁当にスイートポテト入れてねと言ったこと」

娘「覚えているよ」

娘「この間のお弁当のおにぎりは笑われたから、サンドイッチにしたよ」

とメール。娘の作る孫のお弁当についてです。おにぎりは海苔で真っ黒になるのでイタリアの子供達は笑ったようです。

年代が代わっても母親の作るお弁当は、子供にとっては嬉しい宝物弁当。

私の母もおにぎりやあぶらげ寿司のお弁当を作ってくれました。

日日是好日


2024年5月3日金曜日

庭の花をみていると嫌なことが飛んでいった

 











ちょっと疲れた。

4月は特に疲れた。嫌なことが重なり人間不信に陥っていた。

桜からハナミズキに変わった栃尾の風景。車を運転して見上げる山々の景色がいつの間にか変わっていた。若葉の色が目に入ってくる。自然の色を見つめると昨日まで落ち込んでいた自分なのに、幸せを感じる。まあなんとかなるだろうと思うようになる。家と仕事場の往復ができることに感謝、職場のスタッフに感謝、お友達に感謝、お客様に感謝。感謝できることは幸せである。と思った。

最近、夕方まで仕事をすることがなかった。5時過ぎまで仕事をして帰宅したら夕陽が日庭の花々を照らしていた。お花たちがご苦労様でした。と迎えてくれた。

日日是好日



2024年4月22日月曜日






同年小旅行

蓬平温泉へ

何十年ぶりかの蓬平温泉の旅でした。

高龍様の階段はきつくて、ハアハア息切れ

でした。商売繁盛を願って奉納もしました。

温泉はツルツル、スベスベになり若返った気分。

夜中に目が覚めるお年頃。ヒソヒソ話に花が咲き朝方までどうでも良い話を繰り返す。

今日は丘陵公園へまっしぐら。チューリップが綺麗に並ぶ。山の萌色とピンクの山桜が心を癒す。

同年の小旅行は命の洗濯。

日日是好日

2024年4月15日月曜日

おまかせ

 



ストレス満開

もうだめ

夕飯なんてできない

外食すること決定

お寿司屋さんに直行

店主、何にしましょうか?

今日は考えることできません

おまかせします

サヨリ、ホッキ、アナゴ、サバ

いつものメニューである

店主の記憶って凄い

ひとりひとりの好みを覚えているんだ

なんだか、クヨクヨしている自分に

活力を与えてくれた

よーし

やるしかないでしょう

そこへ同期の保育士登場

七夕コンサートに誘われて

あぶらげ持って聞きにいくわよ

元気をもらう

まだまだ頑張らなければ

今朝並んだチューリップも

古希ちかしわたしに

応援歌を聞かせてくれた


日日これ好日





2024年4月9日火曜日

お花のパレード

 


我が家の豪華版です。クンシランが並びました。お父さんありがとう!

いつも素晴らしい花を咲かせてくれて。感謝しています。

だんだん、二人の話題は今後どうなるかと不安の話題が多くなっています。私たちの行く先は介護施設。と決まっているような会話です。でもできるだけ老夫婦2人で頑張りたいと思います。

まだまだ大丈夫ですよと笑っているクンシランたち。

そうそう先日植木鉢に中で冬眠していたカナヘビちゃんも元気よく草の中に飛び出しました。

日日是好日



2024年4月8日月曜日

バーコードがないから

 イタリアから孫が数冊の絵本を読んでくれた。もちろんfesutaimuで繋がって。

ひらがなとカタカナが読めるようになり、ちょっとお得意顔で読む孫。

ババはグーサインを送る。

その後、図書館ごっこをする。私は借りる役を仰せつかる。テキパキと絵本の裏に何やら、ピーピーとかざす動作をしている。

ノンタンの絵本を貸せてください。

すると、ダメです。ないです。ないないと慌てる孫。よく聞いてみるとバーコードがついていなかったようです。

お貸しできません。の結末となりました。

便利は不便利子供の世界までも浸透していることにはてな❓これで良いのか。

日日是好日




2024年4月2日火曜日

刹那の夢がたり

 


刹那の夢がたりコンサート

開演ブザーで幕が上がる。スポットライトの中。

そこには76歳の青年が、2000人の観客全てに歌を届ける。その歌はマイウェイではじまった。今回のコンサートテーマは「刹那の夢‥‥‥その時を想い出してください」と語り歌が続く。

私は16歳だった。はじめて恋をした。刹那の恋だった。半世紀も前の恋なのに、いまだ冷めぬ恋心を思い出した。はじめての恋はあっけなく終わってしまったのに想いは続いていると思った。

昨日観た映画「人間失格」と歌い手の人生に接点などないのに交差する。交差する一点に刹那の夢が見えた。

コンサートの余韻に浸り夜9時に帰宅するとリビングから灯りが漏れている。リビングからバスルームへの戸が開いていて、中戸は半開きである。

夫は私の帰宅に気がつくようにしていた。ひとりでの夕飯は味気なかっただろう。

布施明コンサートは今回で4回目である。45年前新潟公会堂でのコンサートがはじめてだった。まだ付き合ってもいないのに、先輩が行くはずのチケットが私に回ってきた。その時、知り合いの人を誘ってみた。

その人は車を持っていたから丁度よかった。チケットを無駄にせずちょっと気になっていた知り合いの人は今私を待つ夫である。

歌の上手い歌手は多いけれど、76歳で歌い上げる完成度の高さに驚くばかり。一呼吸もしないで愛と恋を歌い上げる。メロディと詩が切なく心に沁みる。その感動をどう伝えたらいいのだろうか。

この歌い手は疲れを知らないのか訓練か。人間失格に登場する3人の女性の映像と歌が重なる。

太宰治の妻役は宮沢りえ。凛とした和服姿がとても似合う。太宰治の才能を死ぬまで信じて認める真の強さと愛情の深さなのだろうか。

愛人役の沢尻エリカはまさに地を行っているようだ。わがままで妖艶で、子どもを欲しがる。その子は太田治子。一度は読んでみようか。

三人目の愛人を演じる二階堂ふみの迫力は凄みだった。天才かもしれないがあんな男なのに、自分のものにしようとする女の意地だろうか。

太宰治は最後には自らは命をたちたくなかったと思った。どうせその時は来るのだから、その時まで子供達のために生きたかったのではないだろうか。

刹那の夢がたりコンサートも終盤。2時間近くをひとりで歌い続けるこの歌手の底知れぬ歌のドラマに感無量。オーチャードホールも素晴らしく、妹に連れてきてもらってよかった。感謝する。

数々の人生の想い出を歌に映しているのだろう。数人の女性の顔が浮かぶ。ひとり息子は今どうしているのだろうか。今、歌い手を支えている若い妻はどんな人だろうか。

日日是好日

2024年3月25日月曜日

春らんまんを楽しむ






ウオーキングをかねて、雪国植物園に友とふたりで出かけた。
咲き始めたばかりの山桜、雪割草、ショウジョウバカマ、ナニワズ、キンセンカ、マンサクを見つけて喜ぶが、なかなか妖精たちの名前が出てこない。つい最近まではスラスラ言えたのに。ナニワズの名前は初めて知る。Googleで検索で。ところが一歩歩いた途端に「なんていう名前だったかしら」と認知症予備軍のふたり。浪速屋の柿の種を思い出し妹の名前の一字の「ず」をつける。ということにする。なんとか覚えたようだ。新しく覚えるのは、思い出すよりも難しい。これが古希への道かと少々自分にがっかりする。
水分補給にベンチを見つけて腰をおろす。片手に持っていたスマホをベンチに置き、水を飲む。ゆっくりと花を愛でながらの散策はそれほど喉も渇かない。行き交う人たちは、私たちの2倍速で通りすぎていく。「本当にいけるかしら?私たち」と
10月のアンナプルナトレッキングツアーのために新調したトレッキングシューズを見つめ、老人は形から先に入っているのであると自嘲する。森へ招待してくれたのは花ばかりではない。野鳥の共演もまた楽しからず。と歩き出したが「スマホがない」、水を飲んでベンチにおき忘れたことに気づく。とその声に反応して、旅人の男性が「案内所に預けてきましたよ」やれやれまたやってしまった。どうしてこうなるのだろう。これは認知ではない若い時からの習性である。さて、そろそろ帰りましょうか。なんだか変だ。朝起きた時から喉が痛かったのだが悪化したようだ。これは大変と家に戻ってすぐに一袋しかないパブロンを飲み、爆睡。夕飯まじかに、スマホで焼肉のタレの作り方を夫に、友には野菜を切るようにお願いする。夫曰く俺たちにもスマホで指示するのかと笑っていた。
養生は成功。焼肉は美味しかった。友よ、夫よ後片付けは頼む。
日日是好日