ようやく、本当にやっと
「おてがみれしぴ2」に載せるレシピ写真を撮り終えました。
終えたとは、完全とは意味が全く違います。
すべてが手づくりなのですから・・・・・・。
私を助けてくれた仲間は
事細かにあきらめずに指導をしてくれました。
ほとんどがFBでのやりとりです。
まして、イタリアとのやり取りは時差もあり
国内のようなやりとりが出来ず四苦八苦です。
ある方に「もう大変です」とお話したら
「多田さん、最高チームじゃないですか、なかなか集まりません」と
社交辞令をいただきました。
「そうでしょ!私には最高の相棒、娘、Gさん、そして夫がいるんだから」と
心の中で呟いていました。
油揚げを作る事の苦労は25年経験してきました。
今回は、新たなる事への挑戦です。
上手下手はもちろんあります。
スタジオもなく、百円ショップ、ムサシ、原信に通い
お料理をし、セットし、作り上げたものには、自己満足ですが
「頑張った」と思っています。写真だから、味は写らないからと、
美味しさよりも見た目だけを考えた撮影は、ことごとく却下されてきました。
そして、手間をかけ、材料を選び、真心を込めて作ったお料理は
写真に反映されることも学びました。
さて、皆様の心にどう届くのでしょうか
不安で心臓がドキドキです。
私の心臓の音、聞こえますか?
2014年10月23日木曜日
2014年10月22日水曜日
すべてのはじまりは出会いから
この年になると・・・
いえいえこれは人生の中間点かもしれません。
私を生んでくれた母にありがとう。今は痴呆症だけど
母がいなかったら、もちろん父がいなかったら私はこの世に生れていないのですから
勉強は、まったく得意ではなかったけど
野望だけは大きく私なりの「志望校」がありました。
それで、私なりに勉強をしたつもりでいました。
しかし、見事に進路変更!そのおかげで
今は進路変更した栃尾高校時代のお友達が私の財産です。
志望校に入っていたら今の友達とは出会えませんでした。
高校卒業を目の前にして
奨学金のもらえる短大受験を試みました。
試験は「よくわからなかった」いえ、「英語はちんぴんかんぷん」でした。
奨学金試験はみごと失敗でした。
でも奨学金をもらうことはできないけど、入学はできたのです。
当時、入学金20万円でした。
父にどうするのかと問われ。即答「行きません」と答えました。あまりにも大金なので、私はこの大金を使ってがんばるほどの能力はないと判断したのです。
そして成人になり、保育園勤務しながら保母試験に挑戦。
ここは私の人生を「楽しく」してくれました。
子供たちと遊ぶといろいろなことを学ぶことができました。
子供たちから教えてもらった15年間は私の大きな大きな財産です。
その間に、いっぱいいっぱい失敗しました。失敗だらけです。
その失敗も出会いがあったからこそです。
それから、結婚。夫とはまるで性格が違います。
それでも、私にとっては夫との出会いは最高の出会いだったと思っています。
若いころは、毎日喧嘩を繰り返していましたが・・・・・。
娘を授かった時は天にも昇る気持ちでした。
子育ての苦労はその後にはじまりました。
それでも、娘よ、ありがとうお母さんにしてくれて。
35歳、一生の仕事と保育園勤務を続けていた私に
亡き父のたった一言「油揚げ屋を手伝ってくれ」
そこで、悩みもせず、豆撰で働くことを決心。
豆撰で働くと、今までの世界が嘘のようでした。
民間の大変さ、お金のこと、家庭のこと。大変な月日は続きました。
でも、ここでもたくさんの出会いをいただきました。豆撰で泣きながら仕事をしたからこそ
いろいろな人に出会えました。
振り返ると、苦労の中での失敗は、たくさんの出会いを与えてくれたようです。
さあ、今日こそは最後の(おてがみれしぴ)撮影日になりますように!!!!!
私の失敗人生は駆け足でした。
栃尾の秋は駆け足です。
いえいえこれは人生の中間点かもしれません。
私を生んでくれた母にありがとう。今は痴呆症だけど
母がいなかったら、もちろん父がいなかったら私はこの世に生れていないのですから
勉強は、まったく得意ではなかったけど
野望だけは大きく私なりの「志望校」がありました。
それで、私なりに勉強をしたつもりでいました。
しかし、見事に進路変更!そのおかげで
今は進路変更した栃尾高校時代のお友達が私の財産です。
志望校に入っていたら今の友達とは出会えませんでした。
高校卒業を目の前にして
奨学金のもらえる短大受験を試みました。
試験は「よくわからなかった」いえ、「英語はちんぴんかんぷん」でした。
奨学金試験はみごと失敗でした。
でも奨学金をもらうことはできないけど、入学はできたのです。
当時、入学金20万円でした。
父にどうするのかと問われ。即答「行きません」と答えました。あまりにも大金なので、私はこの大金を使ってがんばるほどの能力はないと判断したのです。
そして成人になり、保育園勤務しながら保母試験に挑戦。
ここは私の人生を「楽しく」してくれました。
子供たちと遊ぶといろいろなことを学ぶことができました。
子供たちから教えてもらった15年間は私の大きな大きな財産です。
その間に、いっぱいいっぱい失敗しました。失敗だらけです。
その失敗も出会いがあったからこそです。
それから、結婚。夫とはまるで性格が違います。
それでも、私にとっては夫との出会いは最高の出会いだったと思っています。
若いころは、毎日喧嘩を繰り返していましたが・・・・・。
娘を授かった時は天にも昇る気持ちでした。
子育ての苦労はその後にはじまりました。
それでも、娘よ、ありがとうお母さんにしてくれて。
35歳、一生の仕事と保育園勤務を続けていた私に
亡き父のたった一言「油揚げ屋を手伝ってくれ」
そこで、悩みもせず、豆撰で働くことを決心。
豆撰で働くと、今までの世界が嘘のようでした。
民間の大変さ、お金のこと、家庭のこと。大変な月日は続きました。
でも、ここでもたくさんの出会いをいただきました。豆撰で泣きながら仕事をしたからこそ
いろいろな人に出会えました。
振り返ると、苦労の中での失敗は、たくさんの出会いを与えてくれたようです。
さあ、今日こそは最後の(おてがみれしぴ)撮影日になりますように!!!!!
私の失敗人生は駆け足でした。
栃尾の秋は駆け足です。
2014年10月21日火曜日
同じことを繰り返す
老化現象のひとつは・・・・・・。
今メガネをはずして、さてどこ置いたのか?からはじまります。
同じ場所に置くことに決めておけばいいのですが
忙しさを理由にあっちこっちと投げ放題です。
これは、大変です。
そのくせ、
キッチンの皿は所定位置にないと
落ち着きません。
つまり、自分のことはすぐに忘れるのに
自分以外の人が私流のルールを守らないと
気になるのです。
これが老化のはじまり。
家庭内、この老化現象が介入してくると大変です。
もう、この現象は確実に介入から占領しそうです。
今日こそは食い止めねばと決意しているところです・・・・・・。
今メガネをはずして、さてどこ置いたのか?からはじまります。
同じ場所に置くことに決めておけばいいのですが
忙しさを理由にあっちこっちと投げ放題です。
これは、大変です。
そのくせ、
キッチンの皿は所定位置にないと
落ち着きません。
つまり、自分のことはすぐに忘れるのに
自分以外の人が私流のルールを守らないと
気になるのです。
これが老化のはじまり。
家庭内、この老化現象が介入してくると大変です。
もう、この現象は確実に介入から占領しそうです。
今日こそは食い止めねばと決意しているところです・・・・・・。
2014年10月20日月曜日
てんびんの詩
毎週一回整体に通っています。
今日は先生と映画の話や本の話をしました。
すると先生(30歳後半くらいでしょうか?)に
「てんびんの詩を知っていますか」と聞かれました。
「いいえ」と応えると
先生は
「僕がこの仕事をした、きっかけなんです」と教えてくれました。
早速調べてみました。
http://tenbinnouta.ciao.jp/tenbin1.html
この若い先生は人の気持ちを大切にする方だと
今まで以上に信頼の気持ちが膨らみました。
もし、観る事が出来たらいいのにと今思っています。
今日は先生と映画の話や本の話をしました。
すると先生(30歳後半くらいでしょうか?)に
「てんびんの詩を知っていますか」と聞かれました。
「いいえ」と応えると
先生は
「僕がこの仕事をした、きっかけなんです」と教えてくれました。
早速調べてみました。
http://tenbinnouta.ciao.jp/tenbin1.html
この若い先生は人の気持ちを大切にする方だと
今まで以上に信頼の気持ちが膨らみました。
もし、観る事が出来たらいいのにと今思っています。
2014年10月19日日曜日
脳の活動は睡眠中
あたふたとしております。
なかなか思うような写真が撮れません。
でも、性分なのでしょうか
自分が納得できないと、
頭の中がもやもやして、いろんな仕事が手につかなくなります。
私流で、この状態を打破する方法は一つです。
睡眠をとることです。
昔から、考えても考えても、結論が出ない時は
朝方の「夢」に
結構良いヒントが出てきます。
それにしても、仕事の量が半端でなくなって
秋なのに、大好きな山に登れず
その反動で「食べる、食べる」
ああ、このままだと大変なことになりそうな、嫌な予感がしています。
去年、八方台で撮りました。ガマズミの実です。
いついけるかな?????
2014年10月18日土曜日
お日様が昇る前に
栃尾の秋は短い。
色づいたと思うとあっという間に
冬になります。
今朝は冬になる前に駆け足で、泉へ大川戸橋まで
散歩をしてきました。
夏に間に合わなかった綿毛を一本みつけました。
しばらく歩くと、セイタカアワダチソウの群れの中で黄色のお家をみつけました。
外来種で広範囲に勢力を伸ばすこの雑草は、みんなの嫌われあわれ者です。
でも、こうしてみると、メルヘンの感じがします。
大きな工事現場に行くと、老人ホームです。
私には3人の親が健在です。
日頃は鬼嫁ですが3人を老人ホームには入れたくありません。
私を育て、孫を育てくれたおかげで、私は保育園に勤め、今は豆撰で働けるのですから
大川戸橋には火炎土器が飾られ
もちろん複製ですが
この文様の時代、栃尾には縄文時代から私たち栃尾人が
住み
文化を作っていたことを考えるとちょっと誇らしく感じました。
橋から栃堀方面を望み
もやのかかった景色に癒され
今日はがんばれそうな予感!
頑張って、納得できるレシピ写真に再度挑戦です。
冬になります。
今朝は冬になる前に駆け足で、泉へ大川戸橋まで
散歩をしてきました。
夏に間に合わなかった綿毛を一本みつけました。
しばらく歩くと、セイタカアワダチソウの群れの中で黄色のお家をみつけました。
外来種で広範囲に勢力を伸ばすこの雑草は、みんなの嫌われあわれ者です。
でも、こうしてみると、メルヘンの感じがします。
大きな工事現場に行くと、老人ホームです。
私には3人の親が健在です。
日頃は鬼嫁ですが3人を老人ホームには入れたくありません。
私を育て、孫を育てくれたおかげで、私は保育園に勤め、今は豆撰で働けるのですから
大川戸橋には火炎土器が飾られ
もちろん複製ですが
この文様の時代、栃尾には縄文時代から私たち栃尾人が
住み
文化を作っていたことを考えるとちょっと誇らしく感じました。
橋から栃堀方面を望み
もやのかかった景色に癒され
今日はがんばれそうな予感!
頑張って、納得できるレシピ写真に再度挑戦です。
2014年10月17日金曜日
生きる
大好きな叔母が57歳で癌と闘った時に
私は志村喬さんの「生きる」を観ました。
そして
なんとか、生きている今をがんばってほしいと願い続けました。
私に出来る事は何でもしました。病院から自宅療養になれば
毎日山を越え1時間かけて叔母の顔を見に行きました。帰ってくるのは
12時を廻っていました。
東京にある免疫力をたかめる鮫の軟骨、尿から作るワクチン
放射線治療のために群馬大学病院にも出かけました。
結果は2年と宣告された命より短かった。
いろいろな治療をしながら、春は桜を愛で、死の半年前には
車椅子にのせて、沖縄旅行をしました。
沖縄旅行は手も足も脳腫瘍転移のためとても大変な移動でした。
それでも、叔母は沖縄で食べるものを「美味しい、美味しい」と
連発していました。
今思えば、痛み止めを飲みながら、私と叔母の夫、そして私の娘に
対する感謝の言葉だったのでしょう。
その時は、本当に美味しかったんだと単純に私の方が自己満足していました。
あの痛みの中で、美味しさは薄らいでいたはずです・・・・・・。
月日が過ぎ、13年過ぎてみて、
叔母の人に対する思いやりの気持ちをつくづく感じました。
何故、今日は命日でもないのに、叔母を思い出したのか不思議です。
それは、私が今できる最大限のことをしてみようと思ったからです。
昨日撮り始めていたレシピの写真が思うように出来なかったからです。
「出来るでしょ、礼子、生きているんだから」と叔母が励ましてくれたのでしょか・・・・・・。
私は志村喬さんの「生きる」を観ました。
そして
なんとか、生きている今をがんばってほしいと願い続けました。
私に出来る事は何でもしました。病院から自宅療養になれば
毎日山を越え1時間かけて叔母の顔を見に行きました。帰ってくるのは
12時を廻っていました。
東京にある免疫力をたかめる鮫の軟骨、尿から作るワクチン
放射線治療のために群馬大学病院にも出かけました。
結果は2年と宣告された命より短かった。
いろいろな治療をしながら、春は桜を愛で、死の半年前には
車椅子にのせて、沖縄旅行をしました。
沖縄旅行は手も足も脳腫瘍転移のためとても大変な移動でした。
それでも、叔母は沖縄で食べるものを「美味しい、美味しい」と
連発していました。
今思えば、痛み止めを飲みながら、私と叔母の夫、そして私の娘に
対する感謝の言葉だったのでしょう。
その時は、本当に美味しかったんだと単純に私の方が自己満足していました。
あの痛みの中で、美味しさは薄らいでいたはずです・・・・・・。
月日が過ぎ、13年過ぎてみて、
叔母の人に対する思いやりの気持ちをつくづく感じました。
何故、今日は命日でもないのに、叔母を思い出したのか不思議です。
それは、私が今できる最大限のことをしてみようと思ったからです。
昨日撮り始めていたレシピの写真が思うように出来なかったからです。
「出来るでしょ、礼子、生きているんだから」と叔母が励ましてくれたのでしょか・・・・・・。
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