2025年3月26日水曜日

ひとりごと

一喜一憂 暇と倹約を決意して半年 食洗機をやっぱり回す

年金満額もらい5年 ありがたいと思いながら 通帳をながめる

昼寝をしないと体力がもたない どうして体重は成長するのか

ピアノの練習 時間ではない 集中力なし

自分は自分 自分らしく 修行が足りない

昭和の歌の歌詞が今になってわかる

明日からと何度誓ったことか 暴飲暴食

買わないはずのものが届くらしい アマゾン 確かめることが面倒だ

気にしない 気にせず 気にしている

明日はいい日になりますように

日日是好日







2025年3月18日火曜日

別れ

 別れの夜は、孫にとっても娘にとっても、もちろん老夫婦にとっても寂しものです。学校の送り迎えも最後になって、孫とふたりで洋服選びも寂しさが手伝って、一つの約束が増えていきます。娘の手料理を食べる。「ジジ、今日はレストランでないからお家だからズルズル食べてもいいよ」なんて言われ、かわいそうでもあり嬉しくもあるジジ。ババのプレゼントしたドレスをまとい日本のアニメソングを熱唱する孫。「ちょっとはずれているね」と思ったけれど、上手上手と褒め称えるババの気遣い。朝孫を起こしに行くと小さな声で「どうしてもっと長くいられないの、今年はもう来ないの?」と言う。なんとしおらしく。今までさんざんババはおデブとかイタリア語の発音が悪いとかババをコケにしていた孫だったが、この一言に胸がジーンとする。「また来年来るよ」と不確かな指切りをする。

ミラノまで送ってもらい、老夫婦はスイス経由成田へと向うはず、何よりなんで来る時はパスしたじゃん。充電モバイルが荷物検査でひっかってしまった。容量が大き過ぎとか言っていた。交渉の余地なし。あたしゃ帰国したいんだよ。えええどうぞ、置いていきます。きっと転売するかもとブツブツ独り言。顔は愛想よく残念そうなふりをする。まあしょうがない。

とにかくイタリアとさらば。飛行機座席隣りの女性はイエメンの人。東京と京都一人旅だそう。旦那様は仕事でアメリカだそう。油揚げ作りの写真を見せ「日本で有名」と大口を叩くババ。もちろん会話はでたらめ英語。それでもなんとか会話になるもんだて。ジジは長岡に迎えにきてくれた友達に「俺は恥ずかしくてしょうがなかった」と。

あれまあ、今度は日本で時差ボケで眠れない。

日日是好日

2025年3月15日土曜日

イタリアの決まり

 イタリアといえばパスタとpizzaと思いがちですが、地域の郷土料理はたくさんあります。牛肉、豚肉、とり肉にしても煮込みもあれば、ステーキもあり、カツレツもある。リゾットもサフランを使ったものやひき肉を使ったものなど、今回は娘の家にいることが多かったので家庭料理が堪能できた。マナー違反が多くて注意を受けてばかりでしたが。

パスタとサラダのメニューならば、パスタを先に食べる。パスタが伸びないうちにらしい。甘いものとしょっぱいものがあったら、交互には食べない。味が移ってしまうから。孫にも「そうしちゃあだめなんだよ、ババ、ジジ」と指摘される。いやはや疲れるもんだよ。食事くらい勝手にさせてよ。と心の中で叫ぶ。

交通マナーも随分違う。信号のない横断歩道は止まってサッサと渡る。車は歩行者を優先にするのです。日本とは違う。これはドライバーとしては見習う必要あり。だが路駐が多くて右も左も車で埋め尽くされている。多分100年以上の建物が多くて、建て替えることがないせいだろう。車社会の方が遅くて駐車場が少なすぎるのである。と推察した。

日日是好日

2025年3月14日金曜日

どこから始まったの

 トリノには世界で二番目に大きなエジプト博物館がある。

外観の煉瓦色は歴史の重みを放っている。会場に一歩足を入れると、紀元前エジプト帝国の神秘的で不思議な世界が広がる。紀元前3,500年に作られた、ファラオの壮大な墓、石棺、彫像、雑貨、調度品に加え、塩漬け肉やブドウの残骸が入った陶器の鉢など、どうして保存できたのか不思議の数々。西洋人の顔は横幅がなく堀が深い。東洋人は大きな顔でのっぺらぼうに近い。人類はどこで合流したのか、どう変化し、知識を得て今日に至っているのだろうか。紀元前に築いていた文明の不思議は私には謎解きも説明も理解できない。私がエジプト文明について学校で習ったのは中学生だったような気がする。それから、時が過ぎ随分考古学者やAIによっていろいろなことがわかっているようだ。今孫は小学生2年生である。3年生になるとエジプトの歴史を習うと婿殿は言う。世界史の勉強はかなり早くから始まっていることに驚く。ちなみにイタリアの小学校には事業参観はない。塾もない。宿題は金曜日に出されるだけ。教育の指導指針は日本と全く違う。同じといえば携帯、iPadの普及だろうか。ここまでの人類の発達、AIの征服力に恐怖を感じてしまう。

あたしゃ日本に戻ってら、AIでなく耕作農民から始めてみようかと思っている次第である。ミイラ殿聞いていますか?

日日是好日

2025年3月9日日曜日

トリノの一泊

 モンッツから車で北へ2時間弱でトリノでした。トリノの街は古く、バチカン市国を思わせる宮殿が観光客を集めている。碁盤の目のような街の中心はとても1人では歩けない。どこがどこの道かわからなくなってしまう。1861年にイタリア王国成立の最初の首都だけのことはある。広場を囲む宮殿、博物館数々のレストランにショップと日本とは全く違う。教会も古く1600年代に建てられているそうだ。昨日見終わった映画「将軍」と同じ時代である。天下泰平を誓って徳川家の繁栄のために戦さを繰り返していた時代。ここでは職人芸術家は仕事に溢れ、巨大な文化遺産と建築遺産を残したのだろう。イタリア国成立前はやはり貴族、王宮の権力争いで農民はたちはどんな日常だったのだろうか。ふと自分の今と交差させている。子供の頃だ。ちょうど今の孫の年頃。不思議なランプの話が大好きだった。空飛ぶ絨毯が欲しくて欲しくて、庭に風呂敷を敷き、小高い山から遠くの空を見上げて私は見たことのない世界へ飛んでいく。この妄想は私の一人遊びを実に楽しませてくれた。また時にはゴザを敷き安寿と厨子王になり、船に乗り別れ別れになるシーンを一人三役して泣いているのだった。なんて言う時代の差だろうか、孫はイタリアと日本を毎年のように行き来してイタリアの文化と日本の文化を学んでいる。ステーキが好きだ。寿司が好きだ。デザートは何にしようかなど孫は当たり前のように食する。レストランなんて行ったこともない。肉が入っているといえばじゃがいもに埋もれた豚肉数切れだった。田んぼの小川で捕まえたドジョウやらヤギの乳、おやつは味噌おにぎりに決まっていた。そんな時代だったがとても懐かしい。

孫の遊びにごっこ遊びは欠かせない。「私はお母さんよ、ババはベビーシッターね。そしてこのこ子の父さんはいないの。戦争で死んじゃたの」と言う。贅沢の中で育っているけれど戦争は短に感じているようだ。トリノの街は幻想と現実を行き来する街である。またミラノに次ぐ工業都市のせいか観光客以外の人々も多く土曜の世界女性デーの日でもあり、地元の人で賑わっていた。

続いてエジプト博物館を今日は見学予定です。

日日是好日

2025年3月7日金曜日

イタリアの日常

 二日間、これと言った特別のことはなく老夫婦は過ごした。時差ボケもやや解消されてきた。日本にいる時と変わらず、就寝後は4時間で目が覚めてしまう。老夫婦の間には「ババとジジと寝る」となんと可愛いことを言う孫かと思えば、夜中に大泣きしてママのところに行く。あたしゃ疲れているんだから。本当は一緒に寝たくないのに、孫のためと自分を殺して一緒に寝てやっていたのにと心の中だけで思っている。朝食は白飯に目玉焼き、ワカメ味噌汁、持参した味付けのりを娘が用意してくれる。ああ、日本人だよ、湯気の出ている熱い汁を音を出して啜る。一口飲むとふーかあーか感嘆符音。日本の食べ方なんですよ。そばだってすする、ラーメンもビールひと口口にすれば感嘆符音がでる。やれ、音を出すな、すするな、食事のマナーの違いには来るたびに神経を使う。老人夫は気をつけているのだが、ガチャガチャ、ズルズルで孫にも「それやっちゃあダメなんだよ」と言われる。その度にわたしゃあ、娘婿殿に気を使い、ドキッとする。この国は小学校は5年制である。登校には必ず保護者がついていく。まあ日本の保育園と同じである。危険がいっぱいのお国だから仕方がない。重いリュックは大抵保護者が持っている。夫は孫の荷物持ち係だ。それから掃除洗濯と娘が家事をする。その間私は「将軍」を観る。我が家ではみられなかったので、イタリアでは絶対見てやるぞとイタリア企画に入っていたのだ。徳川家康がモデルであることは知っていたが登場人物の名前は変えられていたため、すぐに理解できなかった。2話くらいからようやく理解する。6話まで観た。観終わったら次回感想文を書きましょうか。さて、それからスーパーやら市場に行く。市場は木曜日と土曜日。イタリア人もいればアラブ人もいる。みんな愛想が良い。野菜の品数は日本の倍くらいある。筍のようなミニサイズで青い野菜。イタリアで何度も見るが食べたことがないので買ってもらう。茹でたその野菜を一枚一枚剥いでオリーブオイルと酢と塩のドレッシングをつけて食べていく。2個も当てがえられたので、非常に手間がかかって食べる野菜だ。もうわかったもういらない。市場では魚の種類も大きさも量も日本とは違う。切り身パッケージなんてもんはない。必要な量だけを買う。肉もそうだ。日本はパック社会。だいたい何でもかんでもパックが好きである。もちろん必要ないプラスチックトレーに見た目よく並べられている。自宅用ならバラ売りで十分だ。環境にも優しい。油揚げも袋なしバラ売りを提案したいよ。市場での買い物は夫のカードである。「遠慮しないでジジの食べたいものを言えば」と妻は夫に助言。夫はそれどころではない。両手に3つも大きな袋を持たされ、まだまだこの時とばかりに買い物は続きましたから。こんな日常生活はイタリアに来た時だけです。これを幸せと言ううのかよくわかりませんが

日日是好日


2025年3月6日木曜日

ボローニャと栃尾

滞在5泊目は、ピサの斜塔を後に ボローニャに電車で着く。陽射しも陰り始め駅に降りるとかつて滞在したどの街よりも清掃されて綺麗である。しばらく行くと大きなアーケード(雁木)が続く。中世に建てられたアーケードの長さと広さは何百人もが一度に歩けるようだ。街人も鎧を纏った軍隊も貴族もここを通り抜けたのだろう。雨や風をしのいで、たったたったと大勢の人が歩く足音が聞こえてくる。石ので作られている巨大なアーケードの理由は栃尾の雁木通りと同じである。木で建てられたものもあった。どこの国でも人間の考えには共通点があり、発展がある。中世の発展から現在の発展までの道のりを想像したら人間の能力はとてつもないと思う。また家と家の間を流れる川は小さなベネツィアでインスタ映えの名所となっていた。栃尾にもある。川の上に街が建っている。このふたつもの共通点で町興しができないものだろうか。

マッジョレー広場を中心に権力を誇示するために建てられた塔がいくつか残っている。高い塔もあれば低い塔もある。修復中の高い塔はピサの斜塔のように傾いていた。ヨーロッパで最初に建設された大学は今では大きな図書館になっている。解剖学を学んだ講義室は木の彫刻が目立つ。サン・ペトローニオ聖堂も広場の中にある。アントニオ ディ ヴィンチェンツォの手により1390年に着工が開始されてから長い年月が経っている。建設当初は世界で一番大きな聖堂となる予定が、600年以上経過した現在も完成しないままとなっています。街から離れたらワイン畑などトスカーナ地方の魅力にも触れたかったたが1泊滞在ではじっくりと見学はできなかった。二度と訪れることはないボローニャを後にする寂しさは老人であることの認識でもある。娘家族と過ごす目的も大事であるが、世界のことをあまりに見知らずして歳をとってしまった。と娘に話すと、今からでもできる。と言う。日増しに衰えを感じている老人に何ができると言うのか。今更と頭の中から声が聞こえてくる。でもまだ出来ることもあるはずと今更を打ち消す自分もいる。あっという間のジェノバからピサそしてボローニャの旅は終わって娘家族の新居に戻る。時差ボケと旅の疲れが出て睡魔が今の悩みを救ってくれる。

日日是好日