2023年2月14日火曜日

紅炉上一点雪

 「紅炉上一点雪」の軸がかかっている。

その前に眠る友は口を結び

静かに眠っていた。

お茶の心は難しくて

とても理解できないが

友のおかげでお茶を習いはじめて

何年の月日が過ぎただろうか

はっきりとおもいだせないが

豆撰に着物を着てお買い物に来てくださった。

着物姿は茶人としての品性が感じられた。

その日に「お茶を習いたい」と思った。

友は私の先生をご紹介します。と言ったけれど

私は友が教えてくださるなら

お稽古したいと言った。

その日のことその日の友の着物姿が

鮮明に浮かんできます。

師匠を失った弟子は、この先どうしたら

いいのだろうか。

突然の友の死は

途方に暮れる。

最後のお稽古は一対一だった。

その時この軸がかかっていた。

説明を聞いけれど、今一度調べてみたら

まさに友の気持ちが感じられた。

『日本人は、戦争は良くないことだとわかっていながらも、戦国武将や数々の合戦はロマンだと捉える人々が多くいるような気がいたします。現代の戦争も戦国時代の合戦も殺人行為という点では全く同じですが、後者においては格好良いとか潔いなどと感じてしまう感覚は実に不思議なものです。昔から戦国時代の出来事は美化されて語られ、俳優がテレビドラマで格好よく武将やお姫様を演じ、老若男女が甲冑をつけて行進する時代祭の類が全国に存在しています。

上杉軍と武田軍の川中島の戦いも誇張されたひとつだと思います。中でも上杉謙信自ら武田軍の本陣に攻め入り、武田信玄に太刀で斬りつける名場面が出てまいります。斬りつけるとき、上杉謙信は、

如何なるか是れ剣刃上の事(刀で斬りつけられ、死が迫る心境はどうだ?)

すると信玄は、刀を鉄扇で振り払い、

紅炉上一点雪(こうろじょういってんのゆき)

と返したと云われています。

 

信玄が発したとされる言葉の原点は中国の宋代の公案集『碧眼録』の一節です。

啗啄(たんたく)の無き処、祖師の心印、

状(かたち)、鉄牛の機に似たり。

荊棘林(けいきょくりん)を透る衲僧家、紅炉上一点の雪の如し。

(意訳):言葉では言い表せない世界、つまり祖師の悟りというものは、

大きな鉄の牛のように途方もなく大きい。

難解な公案を透る修行僧は、消えて跡がなくなる火中の雪のようだ。

 

紅くなった炉の上にハラハラと雪が舞い降りていきます。熱風で融けてしまう一片もあれば、風のおかげで炉を避けて地面に積もる一片もあります。直接、炉に飛び込んであっという間になくなってしまう一片もたくさんあることでしょう。もちろん雪ですから、行きたいと思ったところを狙って落ちるわけではありません。このことから信玄の心境を読み取って行きたいと思います。

信玄は宿敵に刀を突き付けられました。殺される寸前のところに生きています。私が信玄の立場であれば、悔しい思いもするだろうし、刀を振り下ろされて恐怖心が沸いてくるでしょう。自陣ですから、逆に取り押さえることを画策するかもしれません。けれど、信玄は「紅炉上一点雪(熱い炉に舞い落ちる雪のように、あれこれ物事を分別せずに運命に任せ、生き切るのだ)」と応えます。あれやこれやと後悔や不安を抱くのでは、それだけで人生の多くの時間を失ってしまいます。そうした妄想に囚われることなく、前を向いて生き切る姿勢を貫いたからこそ、武田信玄は部下や領民を抱える事ができ、現代まで知れ渡る存在になれたのだと思います。

その境地まで至る事ができれば、不安や後悔に苛まれずに自由に元気に生きていく事ができるだと思います。そのための修行法として臨済禅は坐禅と作務を見出しました。

「紅炉上一点雪」の風景を思い返してみて、雪ではなく炉の立場になると坐禅や作務の極意が書かれています。炉を自らの心とするならば、雪は止めどなく身に降りかかる不安や後悔を生む妄想でしょう。妄想に振り回されることなく、降りかかってきたならば溶かすように生きていくのです。』


この記事を見つけました。

まさに茶人として一点を見続けた

68歳の生涯だったと思う。


日日是好日


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