暮の最終日曜日に先生は逝ってしまったそうです
今日は先生のお葬式でした。私の66年前の先生です。私も先生と同じ道を少し歩きました。
先生は96歳で天に召され棺の中では、羽ばたいて天に昇っているようでした。
父の同級生 父は先生より22年も前に先に逝ってしまったけど、きっと迎えに出てこの世もいいもんだと切切と訴えているだろう。
紅白を聴きながらこっくりこっくりを繰り返し夢の中で今年を振り返っていた。
今年の今日を忘れないだろうか
日日是好日
炉の季節になると(11月から始まるらしい)
お茶のお稽古もなんとなく「お茶」のお稽古気分が高まる。何故だろうか?お茶の世界とは縁遠い我が家であるが、子供にとっては大きな囲炉裏(子供の頃はひなたと言っていた。天井から下ろされている鍵様(長い竹に鉄瓶や鍋を吊るすもの)一般的にはどう言うのかちょっと思いつきません。忘れるのです、思い出せないのですね。そのひなたでお湯を沸かしたり。大根や頭(ズキの根っこ)を煮ます。味噌と鯖缶を入れ味付けをします。子供の味にはほど遠く青臭く大根は大根の味なのです。大鍋で煮るわけですから家族6人がそれを毎日食べました。数日過ぎてようやく平らげたと思うとまた母は煮ます。
役目がずいぶん違います。がなんとなく懐かしくて暖かい温もりを風情を炉のお点前に感じます。炭がおきて湯が沸くと釜なりがします。この音を松風ということを知る。そうそう孝子さんはこの季節になると「閑座聴松風」の軸をかけていたことを思い出す。同じ年のお茶の先生の教えを当時は素直に聞けない生徒だった。
亡くなってはじめて彼女こそ茶人だったと思う3年が過ぎていく。
日日是好日
一足早くお正月のお花を活けてみました。先生のご指導のもとです。
「先今年無事芽出度千秋楽」
まず今年めでたく千秋楽
残すところあと数日に「好日日記」に記されていたこの言葉を思い出しています。
自分の意識の持ち方次第でめでたくもあり、めでたくもない。現役引退で心の空洞はなかなか埋めることはできないが、それ以上に気がついたことがある。ひとり娘とその家族についての記憶がない。記憶喪失ではない。仕事と引き換えに家族の行動、何をしていたのかわからないのです。
70歳にして家族の素顔を知ったようなものです。これに似た事象の多いこと。はたして、まずはめでたく千秋楽を迎えていいのだろうか?
日日是好日
涙の種類は沢山あります。嬉しい時、悔しい時、悲しい時。昨日のフギュアスケートの男子3人の涙にばばさんも思わず涙する。
今朝
どうしても思い出すたびに涙が出てしまう。と呟くと、夫は一言忘れる事だと言う。
90歳の直木賞作家の阿刀田高氏のエッセイがテレビで紹介された。無理をせずに思い出しながら日常を楽しむのだそうだ。90歳にならないとそうはなれないのだろうか。まだ71歳はクヨクヨもする。こんなはずではなかった。もっと他にやることがあるはず。
年をとるのは嫌だけど90歳になったら自然に生きられるらしい。90歳になったら楽しくなるか?
日日是好日
今年の冬至は12月22日。一年で一番昼が短く夜が長い日
かぼちゃはなんきんとも言うらしく「ん」がつく食べ物をこの日に食べると「運」がつくらしい。
またこの日に柚子湯に入る習わしは邪気を祓うらしい。
好日日記にはやたらに二十四節気という言葉が出てくる。季節の移り変わりに野花の種類も変わりお点前も変わる。どうして覚えられないうちにお道具が変わるのか?やっと覚えた頃に変わるから、初心者にとっては難儀である。その難儀こそがお茶の世界かもしれない。繰り返されて次のその季節になると、おぼろげに思い出す。ピアノも同じである。譜読みができたからと言ってその曲が弾けるわけでもない。まして通しで弾くとなると緊張の塊である。指が震えて心臓の鼓動が聴こえて不安の大文字が頭の中で踊り。とにかくなんとか間違いを繰り返しても弾くことができたとしても、新しい曲に取り掛かると以前の記憶は宇宙の果てに飛んでしまって、しばらく楽譜とにらめっこをする。今度生まれる時は神童と呼ばれたいとある女優さんの言葉を思い出す。夫曰く神童に生まれていないのでできないのが当たり前とのこと!まったくその通りだが、
できてもできなくてもいいでしょう。残り少ない人生なのだから。柚子を見つけなくてはならない。
日日是好日
冬一年で最も昼の時間が短く、夜の時間が長くなる日です。2025年の冬至は12月22日です。この日を境に太陽の力が回復し、運気が上昇すると考えられています。
冬至は二十四節気の一つで、太陽が最も低い位置を通るため、昼の時間が短くなります。この日は「一陽来復」とも呼ばれ、陰が極まり陽に転じる節目とされています。
日本では、冬至に特定の食べ物を食べたり、柚子湯に入ったりする風習があります。
冬至とは、一年で最も昼の時間が短く、夜の時間が長くなる日です。2025年の冬至は12月22日です。この日を境に太陽の力が回復し、運気が上昇すると考えられています。
冬至は二十四節気の一つで、太陽が最も低い位置を通るため、昼の時間が短くなります。この日は「一陽来復」とも呼ばれ、陰が極まり陽に転じる節目とされています。
日本では、冬至に特定の食べ物を食べたり、柚子湯に入ったりする風習があります。
2025年の冬至は*12月22日(月)*です。この日にかぼちゃを食べたり、柚子湯に入ったりして、健康を願うのが一般的です。
日日是好日の続編 森下典子著「好日日記」
従姉妹がこの本を勧めてくれた。早速アマゾンで購入。本当に便利な時代になった。本屋にも行かず欲しい本が大抵翌日に届くのだから。
お茶のお稽古を始めて早5年目。それこそ若き時代に宗徧流那須先生の門を叩いたもののお茶のことはもちろん四季の移ろいや禅語になど全く関心を示さず、正座に耐えることで自分を鍛えてみようかと言う浅はかな気持ちだった。だからお茶の意味を全く理解できないうちにリタイアした。それから40年以上の時を経てもう一度お茶のお稽古をはじめたのです。年をとってからのお稽古はお点前の順序などはなかなか覚えられない。ましてお床の軸の読み方など覚えられるはずもない。毎年繰り返されるその季節にあったお道具や軸、お菓子にうら覚えの未熟者である。しかし覚えなくてもなんとなくでいい。私はそのなんとなくを楽しんでいるのです。
さて「好日日記」は教本ではなく、その直々に合わせ季節の変わりとお茶の魅力がわかりやすく挿絵とともに綴られている。人生相談日記のようにも感じられる。なるようになりますあなたの人生です。まだまだ急がなくてもと言っているようです。半分を読んだところで、今日はお稽古日です。冬至が近いのですっ飛ばして冬の候を読む。冬至について夫に尋ねると明石が基準だからこの辺は本当は10日ほど早いと教えてもらう。へーそうなんだ。知らなかった。
この一冊はどのページに飛んでもいいドラえもんのどこでもドア風の人生本のようだ。
日日是好日
ピアノをはじめて早4年目に入りました。レッスンした曲はさくらから悲愴、愛の讃歌、愛の夢などなど十数曲ありますが、レッスンの道のりと並行して人生の道のりもあります。ピアノに没頭できる日もあれば1ヶ月もピアノに触らないこともあります。それは娘家族のところに行くからです。イタリアは遠くて、ピアノはもちろんありません。家族と一緒の時間を優先すると個人的なことはおあずけになります。もう一つピアノを弾く気力が失われた理由は仕事を辞めたことです。無気力状態、絶望感。もうピアノも触りたくないと心は鬱。数ヶ月過ぎ私の心を救ってくれたのはピアノとお茶のお稽古でした。お茶につきましてたはまたの機会にしましょう。
さて、そんな中で課題曲ドビッシー「夢」を諦めず一年も練習してきた自分を褒めています。何度も楽譜を置きピアノの扉に鍵をかけてしまったりしました。が、ようやく譜読みと曲想がわかってきました。とはいえ、なかなか指が動いてくれません。ペダルを踏む右足のタイミングがぜんぜん合わなくて、流れが途切れたりまた反対に踏まずに次の小節へ翔ぶテクニックができないのです。練習を繰り返しているのにどうして私にはできないのだろうと落ち込むこともあります。それでも一生懸命頑張ればなんとかなると自分に言い聞かせて師走を駆け回っている老女です。そして寄り添ってくれた夫とN子に感謝しています。
日日是好日
宗徧流のお茶会「十二月茶会」に行く。私の先生が亡くなって3年が過ぎようとしている。茶席には先生の先生が正客として座っておられた。最近耳が少々衰えてきたので問答が聞き取れなかった。もし彼女が生きていたら問答の説明をしくれたであろう。無事と書かれている軸に彼女を重ねて、今生きている自分の大切さに感謝する。
もう一席の軸に仁者寿とあった。(じんじゃいのちながし)と読むとのこと。聖人は常にゆったりとしてあくせくしないから、長生きである。との意味。水の如く山の如くらしい。茶の仲間との話題は決まって、いつまでこのような時を過ごすことができるでしょうかとそれぞれが口にする。結論は健康であること歩けることである。
この日の茶会の重要な点は茶道具や所作よりも深い意味、それはゆったりとすれば長生きし、しいては茶の席に座ることもできるという事。
茶会後の楽しいランチと楽しい会話に長生きの秘訣あり。あせらずゆったりと残りの人生を歩みたいものである。
日日是好日
タイトルで選んだ今日の映画鑑賞
ツレがカタカナでしたからツレは名前からと勝手に選択して観ました。そうしたらツレは連れのことで夫のことでした。堺雅人さんも宮崎あおいさんも若い。でも2人とも演技派です。そして最近私の観る映画やドラマに登場する大杉漣さん。大杉漣さんが亡くなってもう10年過ぎているかなと思いながら、生きておられたら「おかあさんの被爆ピアノ」の主人公を演じていただろうにと思うと切なくなる。
鬱は心の病気で最近では珍しくない病だと思う。映画を通して鬱は一緒に過ごしてくれる人によって快方に向うような気がする。と思わせてくれる映画だった。本当にやりたいことを描く漫画家を愛らしく演じたあおいちゃんは素晴らしかった。私は宮崎あおいさんのファンでいつもあおいちゃんと呼んでいます。様々な人の力を借りて一冊の本を仕上げる。そしてツレは講師まで勤める。出来過ぎだけど、心が風邪をひいている人や心が風邪気味な人には優しくて心温まる。音楽もいい、耳慣れしたクラッシクが私の心を温めてくれた。月の光、愛の夢その他。
日日是好日
朝2階の窓から外を見ると5センチくらい、積もっていた。雪国にとっては全くもってたいしたことはなくホッとする。そして庭の雪の花が落ちないうちにと写真を撮る。雪が降るのは嫌だけれど、綺麗な白い世界はまた格別です。
さて、いとこが遊びに来るので、大根、こんにゃく、里芋など先日収穫した野菜を中心におでんを煮込む。その間にピアノおさらい会の曲「夢」を練習する。ほぼ一年を要した私にとっては難曲だ。いまだに通して弾けない。イタリアに行けば一ケ月はピアノをさわらない。孫が日本に来れば「ババ弾かないで」と私の練習を遮る。と言い訳をします。ですがおさらい会は1月11日です。まだまだ弾けるとまではいかないけれど、肝試しにと、いとこから聴いてもらいましょうかと練習をしていると窓辺からお日様が射す。ピアノ練習はこれにて終了。
外に出てみると山や田んぼ、屋根に積もった雪がまるで真珠のように美しく見える。
美の雪国といったところでしょうか。
気分も上昇!
日日是好日
「徹子の部屋」は出演される俳優さんの好みと私の時間が合う時に結構拝見する番組です。今日は山本学さんでした。予告で認知症であることを告知とある。これは興味深いので観ることに。この方が放浪記に出演していたことは知らなかった。
中断
こげ臭い。さつまいもをふかしがまを使わずにふかしていたのです。つまり少量の水で蒸そうと。タイマーをかけておいたのですが適当に8分にしておいたら、水分はなくなり焦げてしまいました。
元へ
山本学さんの作品を思い出せないのですが、なんだか頭が良さそうな顔が好きだったのかもしれません。頭の良さそうとハンサムさんに弱いのです。
話の中で幻視が現れ、軽度の認知症だと精神科医に診断されたそうで、そこで進行をくい止める方法の一つが運動とのこと。動くことで部屋が綺麗になったとのこと。なるほど。
中断
何をやっているんだ。すごい匂いだ。俺はこれをするために戻ってきたのではないと言いながら、鍋を磨く。まだ大婆ではない、中婆だと言われる。
元へ
山本学さんは死を想定していろいろやっているらしい。葬儀は出さないとか、なるほど。
まだ山本学さんの年までには17年あるのに、なんだか確実に私は認知に進んでいるかも?
日日是好日
いとこからのおすすめ本
3冊目は「ライオンのおやつ」小川糸著
小川糸さん 敬称はさんでいいのだろうか?様でもない、氏も合わないような気がする。この方の作品には気負いとか作家であるというこだわりが感じられず、自然体である。だから小川糸さんと呼ばせてもらいます。
一生懸命に生きてきたからと言って、悩みがない人はいないだろうと思う。という私も世間から見たら悩みやストレスのない順風満帆の初老女であろう。しかし、そうでもない。心の中にとどまって動かない灰色の雲が潜んでいて、泣いたり、怒ったりする。
そんな時に小川糸さんは寄り添ってくれる作家さんです。もやもやした気分の時、「ライオンのおやつ」ページを捲る。自然体である。読みはじめに叔父をホスピスに入院させた時を思い出す。叔父に付き添う日々は苦しかった。この本の主人公海野雫さんと叔父が重なる。叔父にも覚悟が感じられた事を思い出す。死期を悟った叔父には不安を感じることがなく穏やかな顔だった。雫さんの最終章にはいろいろな人との出会いがあって、人生を生きたと思う。
ライオンは百獣の王であっても必ず死を迎える。その最後の場所は敵に襲われ心配のない天国に近い安心場所がライオンの家である。つまりライオンの家はホスピスである。死を覚悟してホスピスを選んだ雫ちゃん、そして食することは生きることを教えてくれたライオンの家に深い思いやりと優しさを感じる。私の父は死の間際にケンタッキーとバナナが食べたいと言った。叔父は氷を何回もねだった。雫ちゃんのおやつはミルククレープだった。そしてお父さんと妹さんと人生最後のおやつを食べる幸せに涙が溢れてとまらない。
複雑な親子関係の中で強く優しく生き抜いた雫ちゃんに私もケンパイする。
いとこに勧められたこの本は優しいことがいっぱい描かれていていました。現実的ではないかもしれないけれど私はこの本を読み終えて、心がホッとした。そしてまた小川糸さんの本を読みたいと思っています。
日日是好日
朝目覚める時間が月日と共に早くなって、気が滅入ってしまいます。そんな時は決まって考えることは、まだ訪れていない老後の自分達を想像します。母のように認知症になったらどうしようか、父のように癌になったらどうしようかな?施設入所はどこがいいかと真剣に考えている。隣に眠っている夫も体力と思考能力の減退に日々気を落としているようだ。
働く場所があった数ヶ月前はこんなマイナス思考ではなかった。自由という大きな希望と夢は意外なほど私の心を曇らせるものだと思い知った。つまり体験とは何よりも正しい解答なのかもしれない。
冬囲いの手伝いもほぼほぼ終了する。夫の頭の中は碁盤の目のように同じ形をしている。真四角の長さは絶対に同じなのだ。予定を立て予定通りに行動する。私は大小様々な風船を手に持ってその日を過ごす。卵焼きをオムレツに変えても問題ない。ラーメンを焼肉に変えても問題ない。こだわりがない。だから時々衝突する。パンクするのは私である。
自分の世界から離れて、電車や飛行機に乗り、はじめての道を歩き、はじめての場所に行く。おいしいものをいただき、上げ膳添え膳の非日常は自由から得た心の晴れに思えるがそれはその時が過ぎると綿飴の如し。本当の心の晴れは何気ない日常の中にあって笑みが溢れることだろうと思うとなかなか心の晴れが見つけられない。
朝ピアノに向かって一年かかっても弾けない曲に挑戦していること。月に数回のお茶のお稽古。続けられることが心の晴れかもしれない。
もうひとつ、回数の激減してきた私のブログもその一つかもしれない。
日日是好日
お元気ですか
いつもご愛顧いただき心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
10月24日、久しぶりの秋晴れに日でした。
畑のメイン里芋収穫を終えやれやれの翌日は私達老夫婦のバスツアーでした。
奥只見の遊覧船に乗って、銀山平まで行きました。雲ひとつない青い空。ちょっとまぶしいお日様と心地よい風を浴びて、45年連れ添った夫と一緒の日帰り旅行に小さな幸せを感じてきました。
平坦な道ではなかった。保育という一生やり遂げようと思った仕事から一転豆撰の仕事一筋で家庭を顧みることのなかった私です。私にとって豆撰は苦難の道でしたが何よりも優先してきた大切な生きがいでした。
一線を離れると寂しさが募ります。
でもこうして夫婦で小さな幸せをいただけることに感謝しております。
遊覧船の後は苗場のドラゴンドラで絶景の紅葉と思っていましたら、温暖化のせいでしょうか、木々は色づく前に枯れていてちょっと残念でした。
帰りのバスではふたりの老夫婦はうとうと、これも小さな幸せでした。
さて、豆撰には新人さんがふたり。笑顔のかわいいピチピチさん。先輩と一緒に惣菜作りに精を出しています。もう一人は元気はつらつで接待上手おまけに豆撰グッズまで作ってくれました。
新人の笑顔にも小さな幸せを感じる今日この頃です。
そして豆撰の油揚げで皆様が小さな幸せを感じていただけたらと思っております。
日日是好日 多田礼子
スタインウェイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインこの日のピアノはスタインウェイだった。
バイオリン奏者にチェロ、フルート、トランペット、コントトラバスとの共演は素晴らしいの一言であった。
盲目のハンデの中、どうして88鍵盤をあのスピードで弾けるのか?不思議でなりませんでした。それも他の演奏者と合わせてです。天才です。
彼は自分のピアノを通して観客が喜ぶ顔が拍手が見えるのです。彼の演奏で幸せになってほしい、今苦しくっても悲しいことがあっても、大丈夫ですよ。って囁く笑顔は神様を超えてグーッときます。
ハンデを背負って生まれても、そのハンデをものともせず、いえそのハンデを天才に変えて人に感動を与え、人に幸せを分けてくれる音色は映画や本、景色とは一味違う不思議な魔法です。
はじめて辻井伸行さんのコンサートを聴いてから10年が過ぎようとしています。今回は3回目。その間に色々なことが起きていたけれど、今では過去の出来事となっています。そして現在は新たなる出来事が起きているけれど、辻井伸行さんはただただ不思議な音色を聴かせてくれる。なんだかわからないけど、涙があふれて仕方がなかった。私の中の邪念や欲望を洗い流してくれる音色だった。
日日是好日
追筆 私も誰かのために何かしたいと思う。それは家族でも、友達でもいい。たったひとりのためでもいいのだから。
ゴッホ展開催をFBで知った。行ってみたかった。上野なら日帰りが可能である。
バスツアーが続いていたので新幹線の速さと快適さを改めて感じる。
さてはて会場は東京都美術館はと歩き出し、西洋美術館を過ぎ国立博物館の横と思い歩いたが、田舎者にはわかりにくく、通り過ぎること2回。スマホ持って歩いているのに、5分の距離に辿り着かない。老人は哀しや。
3周目でゴッホポスターに遭遇。ここじゃあん、この茶色の建物だった。やれやれと会場に。チケット購入。65歳以上1600円とは、なんだか歳をとるのもラッキーである。
何故ゴッホ展がみたかったかと言いますとゴッホの絵が特別好きと言うわけではない。実は原田マハさんの「リボルバー」と重なっていたからです。
展示室には画商だったゴッホ兄弟の集めた有名どころの絵から始まっていた。ミレーや浮世絵の収集とゴッホへの影響などなど、ゆっくりペースで一つ一つの作品と解説を読み進む。だいぶ混雑だった。
これだ。この木の中にピストルが隠されていたはず。私が本の中で想像していた林と同じだった。そんなことあるかと不思議に思ったが、多分この絵はどこかで見ていたのかもしれないと思い直す。私に透視能力があるわけではないから。
精神のダメージは天才を生むのだろうか。
もし、若くして死することがなかったら、どんな画風になっていただろうか。世界史に残る画家の物語は生まれていなかったかもしれない。
ゴッホを守ってくれた親族の力あってゴッホの物語が完成し、絵についてなんら知識のない私をもこの会場に足を運ばせている。
日日是好日
扇沢からバスに乗って黒部ダムに着いたのは、9月30日。200段の階段を登ると前方に立山連峰が広がる。丁度雄山のてっぺんに雲がかかっていたが、それはそれでいい景色であった。
22年前のことだ。叔母は一年の闘病生活に疲れ死を覚悟し、遺言を残した。叔母の夫には「N子は強い子だから大丈夫だけどHのことは頼みます」と叔母の娘と息子を叔母は夫に託した。そして「母ちゃん、父ちゃん、姉ちゃん達を頼む」と姪の私に託した。母ちゃん父ちゃんは私の父母のことである。姉ちゃん達とは叔母の姉と兄のことだった。一番末っ子の叔母にとって自分が看取るはずの番狂せだった。今では父のふたつ下の叔母だけになってしまった。
癌という病は若かった叔母を容赦なく蝕みあっという間に命を奪ってしまった。
叔母の自宅2階のテラスから陽が昇ると叔母は手を合わせ大きな瞳の中に祈りを映していた。
ある日今まで生きてきて一番嬉しかったことはと尋ねたら「N子が生まれたとき」とこたえた。
もう一度行きたい所はと二度といけないと知りながら私は質問した。「立山かな」と弱々しい声でつぶやいた。
「行こう、つれて行くよ」と叶うはずのない返事は何故か力がこもった。
そして叔母の死から半年過ぎの秋 叔母の写真を持って線香を持って立山の石碑に飾って手を合わせた。
同行したのはN子と私の娘そして夫の4人だった。
黒部ダムから立山連峰を望む。23年前の記憶が走馬燈のように甦る。今まで生きてきて一番辛く悲しかった叔母の死も、いつのまにか心の中で溶けて悲しさというより懐かしい想い出となっている。
日日是好日
淳子のてっぺん 完読
いろいろ共鳴するところと、登山家の生き方に温度差を感じたのはなぜだろう
世界初の偉業は素晴らしい業績であるがその影にシェルパの存在無くしては果たせない。
ポーターも欠かせない。その他多数の人々も欠かせない。
偉業とはなんと犠牲の多いことか、登頂を目指して死んでしまった人達も多いと知り自分とはかけ離れた次元だと思った。
この小説の中の
一歩一歩という言葉は私のアンアプルナトレッキングと重なって足が震え、重度の脚気にでもなったかのように機械的に動いた苦しい一歩だったことが昨日のように蘇ってきた。
生きるってことは誰かの犠牲の中にある。そしてこの最終章エピローグこそが一番私を納得させてくれた。
田部井淳子さんの真髄にホッとしたのです。
一番後尾で励まして笑顔を送る田部井淳子夫妻と笑顔をもらって、諦めずに登っていく子供らの姿が映画のように浮かぶ
人は皆偉業を成し遂げることはできない
最高のドレスで着飾る人もいれば、ドレスを一度も纏うことなく終焉を迎える人もいるだろう
てっぺんは人それぞれである。
登山家、小説家、映画監督、医師、様々な偉業者がいる
だが大半は生活のために働き生きている。
どう生きるかは70を超えてもわからない。
アンアプルナトレッキングの時のように一歩一歩足が前に出ますようにと願う日々。
今朝この本を完読する、ちょっと前朝6時にゴルフに行く夫におにぎりを食べさせお茶を飲ませ、「気をつけて」と送り出せる幸せを噛み締めて
日日是好日
国宝と違って人気がないようで
Tジョイ8番シアターはガラ空きだった。そのおかげでI席の中央に指定席を選ぶことができた。
過去と現在が交差して話は進む。主人公の過去は広瀬すずさんが演じ、現在は吉田羊が演じる悦子と二階堂ふみ演じる佐和子が表現する戦後の日本をミステリーに描いている。原作はノーベル賞作家のカズオイシグロである。映画を観る前に原作を読んでおくべきだったかと謎めいたストーリーに頭の中がもやもやになってスッキリしない。わざと謎かけにしている演出は老人を悩ませてしまった。その謎かけをうまく演じる3人の女優の演技は圧巻だった。ただ広瀬すずさんと吉田羊さんの同一人物には少し温度差を感じた。この映画が観たかった理由は実はこの3人の演技が見たかったのではない。脇役の悦子の義父役の三浦友和さんがどんな役でどんな演技をするのか観たかったからだ。なるほど戦前と戦後の教育方針が180度違っても、信念の変わらない教育者もいたのかとあらためて知ることになった。間違ったことを教えていたとは思っていない正義を演じていたようだ。人の役目とか信念は時代と共に変化するのが当たり前の社会と民主主義のもとで育った老人はそう思っていた。だが戦争時代を生きた人にとっては全部が「あんぱん」の主人公たちとは違うということか?脇役かもしれないが三浦友和演じる義父はこの映画のテーマを訴えていたようだ。なぜならラストシーンで二階堂ふみ演じる佐和子と広瀬すず演じる悦子が入れ替わっていたからだ。戦後に子供背負って女ひとつで生きるのは並大抵ではなかっただろう。そんな佐和子の生き方を否定しながらも悦子は心の底で羨ましいと思っていたような気がする。だからイギリスに渡ったのは悦子だったのではないだろうか?佐和子の子は悦子の子とダブル。悦子の子がどうして自殺したのか自殺を認めたくない母親の気持ちが切なく映っていた。
何もかも戦争のせいにするわけではない。しかし戦争が与えた影響は今も続いているような気がする老人です。
説明もナレーションもなく観る側がどう感じるかわからないミステリアスな映画だった。
被曝の傷なのか虐待の傷なのか、なぜ黒い影が悦子なのかわからない。
結論は出ないままである。原本を読むべきか悩む老人。そして虚しさだけが残る。
日日是好日
畑仕事もひと段落して、老人夫婦はカラダと心の静養に舞子高原ホテルにやってきました。
途中の風景の活気を失ったスキー客用のロッジや宿泊施設が映ります。夫はリフト待ちで大変だったよな!と半世紀前の懐かしい想い出に浸りながら、車の中のテレビに目をやり、いまだに終結しないロシアとウクライナは馬鹿げていると呟く。また夫の口癖になっている温暖化に続く、これからもっと大変になるよなと言う。毎年の畑仕事事情に密接な関係があるからである。朝、夕と2回の水やりは結構な手間である。だが育てた限り最善を尽くさないと気が済まない性格。私も同行して草取りをする。アスパラ畑の草取りはいつのまにか私が担当になりました。
どうなるのだろう
戦争と温暖化
食糧状況はもちろ住宅もレジャーも変わって、おまけにAI社会になり老夫婦はそれについていけず、右往左往している。スマホなしでは生きていけない世の中になるとはため息だらけだ。若者が同居していればすぐに教えてもらえるだろうが私たちは老人2人きりだからなかなか時代についていけない。など2人で一人前を確認しながら目的地に到着する。
せっかく高原に来たのだから
散歩をしましょう。嫌がる老兵を引っ張って、小高い丘を上る。
道の脇には大木の桜並木。
私は「あらあ同級生!」と老木に語りかける。
あなたはここでどれだけの人々と語り合いましたか?
私は幹のむけた老木の皺にたくさんの人たちと語る勇姿が見えるようだ。
今日ここにくる前に叔母を見舞ってきました。
すると叔母はこう言いましたよ。
相談する人がみんないなくなってしまった。ひとりだと孤独になる。寂しいと涙を流して、お昼までいてほしいと私の手を握って離さなかったのよ。叔母は93歳です。ベッドに横たわる叔母は大橋家の人々を支え助けてくれた縁の下の力持ちだったのよ。
老木は背の低い私を見下ろして優しく微笑みながらいつか通る道ですよ。と言いました。
日日是好日
孫はジジとババに長生きしてね。と言います。
ババそんなに長生きしたくないよ。と言います。
孫はババはいっぱい生きたって言うけど私はまだ8年しかババと一緒じゃあないんだよ。
それでもいいの?
ババはじゃあ、あと30年くらいかな?
孫曰く
うん、それなら私は38歳だから、まあいいよ。
「ちょっちゃんがいく」のNHKドラを見て
お父さんが死んでしまった。
ドラマのお父さんが夫と重なってしまった。
健康であれば100歳も良しだが病に倒れたり、認知症になったら、孫の言うことは聞かないで、父ちゃん母ちゃんの待つところにいきたいものだ。
日日是好日
45歳での双子出産は、困っている人がいればどこにでも飛んでいき自分の顔を食べさせてあげるアンパンマンや、そうしていつも泣いている人の気持ちに心を重ね続けたやなせ先生や、いろいろなあたたかい気持ちに支えられていたように思います。
博愛。素晴らしいことばです。
その双子も今や中学3年生、15歳になりました。
三女は今年も再び入院、手術を乗り越えたり、生まれながらの1型糖尿病で毎日のケアが必要だったり、全然平坦な道じゃないけれど、きっちり5時40分に起き出して6時半には元気に学校に出かけています。どんなことがあっても「うれしさも2倍! しあわせも2倍!」が私の心の合言葉。そして、ママパンマンは何かの声を聞きつけたらすぐにピンクのマントをひるがえして助けに行くから!……っていつも思っています。
戦争にも行かれ、数々の大変な経験を通して苦しいこともたくさんわかってくださっているやなせたかし先生がつづった「ほんとうのことば」は、やさしく深く、いつでも、そしていつまでも私たちの心によりそい、たくさんの力をくれる。
私も、自分の経験のひとつひとつを慈しみ味わいながら、これからも私だけの闘いの中であたたかなことばをつづっていきたいと思います。笑顔とユーモアを忘れないで!
母という字と父と言う字を勉強していた孫。私たち老夫婦を相手に漢字練習をする。楽しいの楽、親しいの親。親しいってどういうこと?仲良しってことかな?突然の質問に戸惑うババでした。母の字はおっぱいからできたってママが教えてくれたよ。母乳の母とも読むんだよと教える。父母の読み方も教える。このたった4文字の学習のせいだろうか。夢に出てきた母。母は豆を煮ていた。私は小さかった。父が酔っぱらって帰ってきた。小さい私は母の代弁のように、母ちゃん待っていたんだよと精一杯の勇気を出して父にぶつける言葉。父はそっけなく頷くだけ。変な夢だったけど嘘でもない、遠い遠い昔50年以上前の話だ。父が仕事を辞めたのは私が18歳頃のことだ。父は40歳くらいだったはず。破天荒の父だった。しかしこの頃から午前様で酔い潰れて帰ってくることはなかった。父と母は小さな店を始めた。豆撰の隣にお茶屋を始めたのです。母は自転車を買ってもらい練習をする。父は一度教官と喧嘩して自動車学校を辞めてしまっていたが、今度は喧嘩どころではなかったようで、無事に免許を取る。母と父の喧嘩は絶えなかったけれど夜遊びをしなくなった父だった。子どもの頃は、母が可哀想でならなかった。50年以上前の夢。
まさかイタリアに住む孫と感じ練習ををするなんて思いもしなかった。
日日是好日
ある客船で「虹の彼方に」を鑑賞する。内容はネットから下記にコピーしました。切なくて悲しくってちょっと滲む涙。
ミュージカル映画のスターだったジュディ・ガーランド(レネー・ゼルウィガー)は、遅刻や無断欠勤を重ねた結果、映画のオファーがなくなる。借金が増え続け、巡業ショーで生計を立てる毎日を送っていた彼女は、1968年、子供たちと幸せに暮らすためにイギリスのロンドン公演に全てを懸ける思いで挑む。
『オズの魔法使』『スタア誕生』で知られる女優・歌手のジュディ・ガーランドを、『シカゴ』などのレネー・ゼルウィガーが演じた伝記ドラマ。47歳の若さで亡くなる半年前に行ったロンドン公演に臨むジュディを映し出す。自ら全曲歌い上げたレネーをはじめ、フィン・ウィットロック、ジェシー・バックリーらが共演。監督を『トゥルー・ストーリー』などのルパート・グールドが務める。
スターの苦悩は計り知れない。70まで生きていられたのは運の良さと周りの人たちのおかげと感謝する。
映画鑑賞後に新潟出身のシャンソン歌手「文太郎」さんのショーは布施明さんと重なった。どちらも本格派だろう。森山良子さんの「30年を2時間半で」の物語歌にそれ以上50年以上も昔を思い出す私。青いレモンの味だろうか?
悲しい初恋に終わったけど懐かしい想い出を歌と重ねていた。隣に座っている夫になんだか申し訳ないような複雑な気持ちだった。
日日是好日
遠い国にいても、リモートで会話できる便利な時代です。
定期便のように電話がかかってきます。
私の会話に「あれよ、あれさ。なんだっけあれだよ」が最近いや随分前から出てこない言葉に自分ながら嫌気がさしてしまう。友達に聞くと同じ症状だと言う。それで変に納得してしまうババである。
今日もいつものように「あれどうだった」とあれあれを連発する。とうとう孫は呆れて?面白がって、ババの真似をする。「わたし、いまあれにあれするからちょっと待っていて」とあれあれ会話に花が咲く。こっちはこっちでいちいち思い出さなくてもいいので、これはこれで会話が成り立つのである。
しばらく続けたが孫も飽きて、今度はごっこ遊びに変更。この子は私の赤ちゃんだからババは大ババでこの子はババの曾孫だよとのこと。お父さんはいないのと聞いてみたら交通事故で死んだそうな。孫は仕事に行かなければならないので、ベビーシッターに依頼。あらあなたの仕事はなあにと聞くと保育園の先生と答える。あらまあ私と同じねとババと孫は笑う。
便利な世の中になったもののババは疲れます。
日日是好日
畑は人生の道のり
アスパラの収穫は春
その後アスパラの畑はドクダミやその他の草に覆われてしまいます。そして草取りをします。やれやれと一呼吸つくと
あれまあ恵みの雨は雑草の救世主となる青々と芽を出して、あっという間に伸びます。この繰り返しです。今日は3回目の草取りです。腰が立たなくなります。やれやれ
これって
豆撰の仕事
子育てと同じ道のりです。
どこで何をしようと人生の道のりには変わりないようです。
日々是好日
自由な時間がやってきた。娘家族から解放されて自分の時間ができた。だが、自由とは切ないこともある。自由の時間をどう使うか考えないといけない。与えられた仕事、中でもお金を稼ぐための仕事は考える暇などなく、次から次へと仕事が山積みされて、その山を取り崩すのに四苦八苦する。おまけに必ず「なんで」とストレスを貯金していく。それでも時間を有効に使うよう努力する。ところが、
一緒に生活していない家族と2ヶ月同じ屋根の下で暮らす事はお金を稼ぐ事とは全く種類が違うがこれまた重労働であった。ストレスも風船のようにたまったら破裂する。その寸前であった。
しかし2ヶ月も一緒にいた家族がいなくなれば、あなのあいたおけのような気になる。
朝イチの畑仕事も1時間で終了。私の出番はそれくらいである。洗濯、掃除はたったふたり分となれば簡単短時間で終了。料理もこれまた老夫婦の食事は簡単、野菜中心に魚か肉を取り入れたらそれでOKである。時々刺身、うなぎ、餃子など既製品を調達してそれで十分だ。おかげさまで豆製品はたっぷりである。
となると自由時間が多くなる。ピアノのレッスンは30分以内と勝手に決めている。圧迫骨折のため腰が痛くなるからである。その日によってはそのパターンを2回繰り返す。合わせても1時間だ。
となると8時間労働として8引く3は5である。5時間の使い道を考えるのもストレスである。そこで映画鑑賞という手段に入る。しかしこれまた罪悪感を覚える。日中によくまあ暇だねとどこからか聞こえる意地悪そうな声だ。
しかし
することもないのでやっぱりテレビのスイッチを入れソファにもたれて観る。どの映画を観るか決めるのも考えなければならない。どうもこうも考えるのが苦痛のようです。それでも今回はこの2本を観たわけです。「いまを生きる」大好きなロビン・ウィリアムズ主演だ。彼のような破天荒な教師が存在していたら、登校拒否とか引きこもりもないだろうに。と思ったが、いやそれは違うような気がしてきた。その子の意思である。考えるのは自分である。そして自分で決めることだよなあ?
「タング」これまた考えさせられるよ。ロボットと人間の関係。このままAIがどんどん進化したらどうなるのだろうか?感情まで作り上げたら?ロボットと友達どころか結婚しちゃうこともある。そんな映画もあったよな?
自由の時間でさえ考えないと使えない老人。
さて、はてどうするか?
考えたくない老人ここにあり。
日日是好日
私の周りの親族は6月7月が命日の故人が多い。月は違っても2日と20日の日も多いようだ。
親族達の誕生日が2日と20日に多いせいだと思う。
ところが私はその範囲に属していない。それでも私は1と7の数字を持っている。かなりラッキーな人生らしいのですが。
果たしてそれはどうだろうか?70歳で2度の圧迫骨折これはラッキーだった。ひとつ間違えば半身不随だったらしい。心臓に要らぬ筋肉ができてそれが心臓の誤作動を起こし不整脈になった。これはカテーテルにて改善された。まな板の鯉を経験したが、もう2度と麻酔なしの手術は御免被る。
最近では白内障手術。まあ70年も生きていたらこんなもんかと苦笑いをしている。
今日のニュースは熊本の大洪水。思い出す⒎13水害を。土地も家も全部失ったあの日。
20年も前に100年に一度の水害といわれたがその後ほぼ毎年水害はある。被害に遭われた人にお見舞い申し上げます。でも生きてさえいればいいこともあります。なんとか頑張ってほしい。
さて、私の母は私の歳に認知症を発症していたと思い出す。緩やかな進行だったが4年間は寝たきり88歳でこの世を去った。父はありとあらゆる病気のオンパレードで1年の入退院。74歳でこの世を去った。一体私はどっちの方向に進むのか?と時々不安になる。それでも今馴染みの喫茶店で夫とコーヒーを飲むことできることに感謝しよう!
日日是好日
2ヶ月は長いとお思っていたが、過ぎて仕舞えばあっという間だった。
最後の晩餐会はジジのおはこ料理「ローストビーフ」と「フライドポテト」
盛り付けの時から孫は味見と称してローストビーフをつまんでは「うまい」の連発。イタリアのシャンパンとワインを楽しみながらの晩餐、ジジの目にえっまさかの涙が滲んでいる。うるさい、言うことを聞かないとさんざん文句を言っていたのに。今年の帰郷は特別だったのだろう。佐渡、瀬波の小旅行前の入院(腸閉塞)そしてコロナに罹り監禁生活と2ヶ月のうち、半分は病気との戦いだったから、ジジもだいぶ弱気になってきた不覚の涙だったようです。
孫は食事後に即興ダンス「ローストビーフの歌」をパート1からパート5まで自作自演で踊りまくっていた。ライムの入った爽やかな飲み物は、私の顔をいつもより早いスピードで赤く染め、起きていることは限界となりお風呂に入っておやすみなさい。ベッドに傾れ込む。しばらくすると最後だからと孫がベッドに入りババとジジの真ん中で眠る。
熱くて途中目を覚まして「氷の入った水が欲しい」と言う。僕になってジジはキッチンに行き氷水を持ってくる。孫の水を飲む音が聞こえる。これは家族の幸せ音だと寝たふりをしてベッドから起きないババは思った。
この日は朝から広島原爆の日、絶対に戦争はしては行けないと小学6年生の詠む記念式典だった。だからこそ、今の幸せに最高の感謝を感じる。
さて出発まで後数時間になってしまった。
日日是好日
猛暑は続き、病み上がりの老体には厳しい日々。イタリアから家族一緒に過ごす夏休みのはず。会話はイタリアと日本と変わりなく、スマホ会話。接触禁止。と続いた1週間。そろそろいいのではと寝床から起きて朝散歩、孫はついてくる。離れて、触らないで。オリナス脇の公園は木々が日影を作ってくれる。途中で飲み物とパンを別々の袋に入れてもらう。めっちゃ暑い!数メートル離れて、朝食。そして、
お昼も外でなら大丈夫でしょ!と言われておにぎりを持って秋葉神社へ。
木の下は大きなアリの行列。私の足にもモサモサと上り噛みつく。そこで神社の境内に登りここでおにぎりをいただくことにしました。孫はダメだよ神様に叱られると拒否する。あたしゃここの神社とお友達だから大丈夫と説得。座ることもでき涼しく一息つくことができました。帰りにお賽銭をあげ、お礼を申し上げて帰宅しました。
いつまで続くこの猛暑 病み上がりの老体、もしかして痩せたような?
日日是好日
有名なアニメ 原作野坂昭如 脚本・監督は高畑勲
一度も観ていなかったのです。娘の提案で「火垂るの墓」を観ることになりました。小学2年生ですから、どこまで理解できるのかわかりませんが、とりあえず観ることに。最初の場面のナレーションで主人公がすでに死んでいることは理解していたかどうかわかりませんが。食い入るような眼差しでした。
途中で質問が出てきます。あのおばさんは悪い人なの?お兄ちゃは泥棒だよね?私も娘もいろいろな質問には答えませんでした。小学2年生の感じるままで良いと思ったからです。
途中で私が肩が痛くて孫の手で叩いていると孫は「ババ、私が叩いてやる。疲れたらちょっと休むけど」と10分ほどアニメを観ながら叩いてくれた。今までこんなことはなかった。映画鑑賞後は結構鋭いところをついてくる。アメリカ人は悪い人だね。娘はアメリカに住む人でもいい人もいっぱいいるんだよ。と教えていた。アメリカ国籍を持っている孫にとっては記憶はなくても多少の自慢話のネタになっていたから、とても複雑な思いを感じたようだ。
映画鑑賞後の夕飯のお手伝いは自主的。夕食並んだサフランピラフはいつもより丁寧一粒残さず食べていた。
私の感想は37年も前描かれたこのアニメに驚いた。一つ一つの描写、動きは実写版を超えた訴える「力」を感じた。素晴らしい映像に魅了されて、のめり込んでしまった。
孫が、そして私も「火垂るの墓」は永遠にそれぞれの胸に刻まれるだろう。
日日是好日
てるてる坊主てる坊主 明日天気にしておくれ
とてるてる坊主を作りながら歌う孫
その訳を聞いたら
私の心にガーンと弓が命中
「明日雨が降るとプール遊びがなくなって
算数に変わるんだって、絶対嫌だよ算数なんて」
と歌い続ける孫は必死。
朝になりますカーテンを開けて
「やった!ババ晴れだよ」と飛び跳ねて喜ぶ。
そんなに算数が嫌なの?
「私算数って聞いただけでアレルギー」
はははは!
よく似たもんだ。
日日是好日
若者言葉に日本語の美しさが失われていくと心の中で思っていた。ところがイタリアから日本に来た孫の一番多く発する言葉は「めっちゃ」と「やばくない」である。1ヶ月もこの言葉を聞いていると
「やばいよ、今日はめっちゃ疲れたよ」とあたしゃ言ってしまった。
朝活5時から、朝ごはん作り、子どもらとジャガイモ掘り、続いて水遊びの監視役、着替え手伝い、トランプ遊び、2回目の洗濯、お昼ご飯の買い物、30分休憩、3回目の洗濯、アニメを見ている間に夕飯のハンバーグ作り。公園にてサッカーとバレーボールをする。ドライブは孫のナビに従う。オリナス隣り公園にてブランコ乗りに付き合う、夕飯の準備。
やれやれもうダメ、めっちゃ疲れて動けない。自室に閉じこもる。
日日是好日
七夕の飾りを親子3代で作る
天の川、星、リングなどなど。ジジは竹を切ってくる係り。ババはお得意でしょと娘に言われたけれど40年も50年も前のことです。星の折り方も忘れてしまいました。
それに七夕のお話もうら覚えです。一年に一度だけ彦星と織姫が会える日、その日にお願いを短冊書くこと。あれ?天女、羽衣、あら忘れた!これはどうしたことでしょう!毎年毎年子どもらに読んでいた紙芝居を忘れるなんてこりゃあ認知症の始まりかな?と思っていたら娘が日本昔ばなしの七夕をiPadで映してくれた。ババ、娘、孫は製作中の七夕飾りの手を止めて物語を真剣に観る。ようやく記憶の糸が解けてきて、そうだった羽衣を盗んだっけ、そうそう1000足の草履を作らなければならなかったのに999足でやめてしまった。などなど思い出した。
孫はどこまで理解しただろうか?私はどこまで悟っただろうか?成し遂げたら願いが叶う努力も最後の最後で諦めたら、その努力は水の泡になる。これは哲学者が考えた物語かな、読み手によって思うことは100通りもあるだろう。
さて完成。短冊の願いは?
ババは孫が優しい子になりますようにと書く。「それって、私は優しくないってこと?」と口をとんがらせて言う孫。
そして、孫の願いは、「来年はもっと長く日本にいられますように」「パッピーが怒らないように」と書いてあった。
日日是好日
孫とふたりで眠った夜
突然起こされる。
「ババ、眠れないの、どうしたらいい」
「まだまだ真っ暗です。目をつむって楽しいことを考えたらどう」
この問答を繰り返す。そのうち階段を下り、リビングに行ってしまう。リビングのソファに孫は横になるとようやく眠り始める。そーっと携帯を取りに行く。
「ババがいなくなって、私を置いてジジの所に行ったかと思った」と寂しそうな声で話す。どこにも行かないことを話す。「ババ本を読んで」と言う。あたしゃ眠いんだけど、、、。「ババ選んで」と言われて一冊の絵本を取り出す。それは「スーホの白い馬」タイトルを読むとどう言う意味?と質問をなげかける。スーホは人の名前であることだけ話し、読みはじめる。途中つっかえるとどうしてちょっと止まるのと指摘される。日本人なのにと思ったのだろう。私はメガネをかけることにした。これで大丈夫だ。静かに聞いている。読み終わると孫は死んだけれど白い馬の魂はスーホのそばにいつもいるんだよね。私もハムスターのピッポーが死んだとき悲しかった。でももう2歳でハムスターにとってはおばあさんだったんだ。と話す。そしてババはある人の話をする。
この絵本をあなたに読んでやったのは2回目であること。その前には一度ババのお友達のボニーと言う犬のお家に遊びに行ったこと。そのお友達がこのお話を読んでくれたこと、
そして最後にボニーは死んじゃったんだよ。と話すと
ボニーのおばあさんもスーホも私もおんなじだね。と呟く。
それから、2階にひとりで寝ているジジのところに行こうよと促してみる。イヤイヤながらジジのところにいくとジジが優しく孫に3人で寝ようとジジのゴツゴツの手枕を孫の頭に差し出す。ババはブヨブヨのデブデブだけどジジは硬いよねとか言いながらスースーと眠りました。
娘夫婦は二人だけで日本小旅行中です。
日日是好日
夫の緊急入院から今日で6日目を迎える。(病名は腸閉塞)
入院翌日から私の一日は急変。朝の起床時間はさほど変わらないが、起床とともに洗濯機を回し、車で5分で着く山の畑に直行。サル柵のソーラーを切り柵の中に入る。その前に虫除けスプレーを手と顔に噴霧して、網付きの帽子を着用。
(秘密ですが昨日朝、サル柵を締め忘れていました。夫にはなにぶん秘密厳守でお願いします)
キューリとキヌサヤの収穫。昨日丁寧に収穫したから今日はそうそうないだろうと思ったが、なんと私の腕ほどに成長したキューリ2本。めのっこしだ。畑にはまだまだ成長過程の苗達が綺麗に整列している。整列の中に混じっている草を取ったり、トマトの芽を摘んだり。YouTubeで調べてみたが、よくわからないので隣の畑のH子さんに聞く。彼女は我が家の畑に来てくれて丁寧に教えてくれた。
畑仕事を1時間で終わらせ帰宅。
この度はイタリア家族が帰省していたので朝ごはんは娘、お風呂掃除は孫と分担できたことは非常にラッキーだった。その後買い物と銀行に行き、続いて病院へ。少し時間があったので久しぶりに2冊本を購入。フレンチトーストとコーヒーでランチ。
そして夫の待つ病院へ
まだ絶食中だった。
本日27日午後4時ようやく水摂取許可が出たとメールが届く。やれやれひとまずクリア!
これでも日日是好日かな?
庭のエゴの木にヒヨドリが通っていた。しばらくしたら巣作りを始めた。孫が見つけて「格好悪いよ、プラスチックで作っているよ」
なるほど木の枝に混じって確かに白いビニール紐が混じっている。
ゴミを道路に平気で投げ散らかす人間がいる。私の散歩道は町内でゴミ拾いをしているが、その翌日にはプラスチックの袋が散らかっている。環境汚染をしているのは人間である。鳥たちの巣にも使用されている。縄は藁で作るものが今ではビニール紐が当たり前。
なんとこれを便利というのだろうか?
我が家での巣作りは、はじめてである。嬉しくって、大きな音を立てないように家族は見守っているが、はて?これでいいのか?
日日是好日
57歳だった。10歳違いの叔母。日赤病院に泊まるのは私の番でした。この日の数日前から強いモルヒネ点滴が始まって意識がなかった。しかし息をしているのです。ですから生きているのです。生きているだけでいいと願ったり、もう十分頑張ったからいいよね。と言う気持ちが交差していました。祖母が亡くなった時、叔母と私は号泣したことがふと脳裏をかすめる。その叔母が目の前で死の淵に近づいている。私は47歳だった。一人で看病していると血圧が急激に下がってきた。祖母の時と同じである。看護師さんを呼び、慌てて叔母の家族を呼び寄せる。まだ暗い黒の世界だった。東京から叔母の兄が朝一番の新幹線に乗って病室に入ってきた。そのすぐ後に叔母の息が止まった。あたりは黒から青の世界に変わった。叔母の家族と叔母の兄弟姉妹が見守る中、安らかな眠りについた。叔母はとても綺麗な人だった。残念なことに私は母方に似てしまって叔母とは全く似ていない。
綺麗な顔に白いものをかけているが邪魔だと思った。
遠い記憶のアルバムは黒でもなく白でもない。見えない色になってしまいました。
今ではたった一人残っている父の妹、つまり叔母の姉は94歳で健在です。足腰が弱ってきて、年相応の脳のようです。母がアルツハイマーになった時たくさん面倒を見てくれた叔母です。今度は私も叔母の面倒をみれる環境ですから、少しでも恩返しをしたいと思っています。
日日是好日
娘と孫と私で夕食後に蛍探しに行く。民家の周りにはだいぶ少なくなってしまったが、田んぼに並んだ緑の苗が街灯に照らされて「生きている」。その田んぼから菅畑への道の途中にはススキの山や小さな森が続く。池と小川が通っている。
蛍の季節には少し早いと思っていたが、森の中にぽあーんと光る蛍を見つける。
光は消えてはまたぽあーと、まるで日本昔ばなしの世界のようだ。
娘は結構大きいね。源氏ホタルかなと言う。
孫は、「ババ知っている?ホタルがどうして光るのか?それはね、結婚する相手を探しているんだよ」
物欲、個人主義、戦争が絶えない世の中で自分が「生きている」
スマホ一つ動かせないアナログ人間、その上、携帯とメガネが逃げたと一日中探し回っている私である。なんのために生きているのだろうかと思う日々。
孫と蛍の会話に生きている意味があるのかもしれない。
日日是好日
イタリア家族と私で金沢へ向かう。夫はゴルフと畑。ちょっと気が引けるがそれもまた良し。細い人がいないと妻はノビノビである。と思ったら大間違い。孫は少しのことでピーピーと泣く。父親と喧嘩すると「一生もう話さない」と言う。この一生は実に短く、何度でも可能な切り札である。そしてババには「一生のお願い」と言う切り札を使う。日本に来てからまだ3日しか経っていないのに何回使うつもりか?だがババの関所は結構厳しいのである。
さて、兼六公園にての出来事。いくつもの橋があり、小川に手を入れてしゃがんだり、石の階段を駆け上る孫。突然「ない、ない私のブドウちゃん」ブドウちゃんとはハムスターの人形のことである。バックにつけておいたのにどこかに落としたらしい。
パパはもうカンカン。探しに歩いた道を戻るもすぐに引き返す。孫の泣く声は兼六公園の木々に伝わり響き渡る。もう仕方がないババともう一度だけ探してみようと泣き声をまずは停止させることに努めて、歩き出すと、なに?私に?「エキスキューズミ」と英語のような声。一応振り返ってみると背の高い中語人の青年がタブレットに入力。「人形を探していますか?」と打ってくれる。「イエス、イエス」と私は喜びと感謝を伝える。続いて園内地図を中国人は取り出し11番の木の上にあります。と続けて打ってくれる。「サンキュー」と感謝して歩き出す。清掃をしてくれる人に11番の場所を確認する。するとそこまで案内いたします。と言ってくれ、人形を探してくれる。このおふたりに感謝感謝。中国人も日本人も親切で思いやりの人だった。つまり人形は孫の手に戻ってきたのです。めでたしめでたし。
今回の金沢の旅の1番の思い出になったようだ。
日日是好日
羽田に迎えに行かなかったので孫はがっかりしたらしい。今回は婿殿も一緒であるから荷物持ちは十分である。よって迎えは長岡ホーム。3ヶ月ぶりの対面というか、たったの3カ月しか過ぎていないので双方共に感動はやや希薄。それでも恒例のハグで孫に愛情表現を示す。定番のクルクルすしで歓迎。おいしい。おいしいと孫はタッチパネルで大好きなイクラを4皿とサーモン1皿マグロ1皿を完食。ジジとババの財布はくるくる寿司に感謝するのでした。
刈谷田ダムへジジとババはと孫でドライブ。まずは河原で遊び、長靴を履いて来なかったことを後悔。野菊で花占い。好き嫌い好き嫌い その結果ババは好き。続いてジジ、好き嫌いその結果嫌いの最後の花びら。「ごめんごめん好きだよ」と孫は慌てて弁明する。夕食はカレー。ちょっと薄味だったか孫は醤油を足していた。日本初日の就寝場所はババとジジの真ん中。寝返りに妄想でババは寝不足。翌朝、5:30起床。ジジは畑に行きババと孫は散歩。家の周りの植物と昆虫観察から始まった。庭のあちこちに穴を見つけては蝉の幼虫がいるだろうか?苔を見てはこれは小さな森のようだ。朝露でキラキラ光るスギナを見ては宝石にように綺麗だね。と感嘆する。青い絨毯の畦道に立ち止まると、小さな黒い影がラッパの音で目覚める兵隊のように動く。澄んでいた水はたちまち兵隊さんたちによって濁る。
「ババお家に行って、入れ物を持ってきて走って」とまだまだ小さな手のひらに小さなおたまじゃくしをつかんで叫ぶ孫。ババは猛ダッシュ。
ジジが畑から帰ってくるとこのおたまじゃくしは大きくなったらトノ様カエルになる。など2人で理科の勉強。いや、違うトノ様カエルは絶滅危惧種だよと言う娘。調べる必要あり。
孫はアメリカとイタリアと日本のパスポートを保有。居住地はイタリアである。
イタリア語と日本語は流暢に話す。英語はイタリアの授業に織り込まれているので、結構話すことができるようだ。
時々この3カ国の物語を読んでくれる。ちんぷんかんぷんのイタリア語と英語の後で日本語解説が入る。
良かったでーす。孫が日本語が話せて、そうでなかったら孫とのコミニュケーションははかれません。
その孫が月曜日に来日。さて、はてどんなに日々が待っていることやら
日日是好日
ぎぼしの花に朝露
ゆけむりでゆらゆらぽたり
友達夫妻と私たち夫婦でお気軽旅行を楽しんできました。宇奈月駅からトロッコ電車に乗って「猫又」駅まで往復約2時間。黒部川の水はエメラルド色。渓谷の沢にはまだまだ大きな雪のかたまり。見上げるとまるで山水画の屏風のよう。
春風薫マイナスイオンを吸い込むと悩みも消えて、今を楽しむことができました。昭和天皇、川端康成も宿泊なさった由緒あるお宿で、サクラエビのお刺身をいただく。一口ビールをいただいただけですが、気心の知れたお友達との会話ははずみ、これまた楽しきや。
翌朝はゆっくりゆっくりと湯に浸かり、山と川とぎぼしを眺めて、これは夢のごとくと我が人生を振り返る。
日日是好日
長い夢だった。
大勢の人の波の中で二人の老人を見つける。ひとりはよく知っていた男性だ。一緒に肩を並べ屈託のない笑顔でその男性と話をしている。私の知っている男性の奥さんではなかった。
しばらく私の夢は続く。人の波を追いかけていく。逃さないようにと。その時間は心臓が壊れそうなくらい大きな音を立てている。とうとうふたりをとらえる。「あなたは嘘つきね」とはっきりとした言葉を投げつける。ふたりの男女は何を言っているのかとわからないようできょとんとして立ち止まる。その前に女性は男性の手を掴んでいた。なぜこの男性は私の知らない人といるのかわからない。この人の妻は死んだのだろうか。それともこの人の妻は元々この女性だったのか。とにかく私の知らない女性だった。私は「好きだった。ずうっと、そして今も」と照れることもなく言葉に出す。迷惑そうでもなく、嬉しそうでもなく、ただ黙って告白を聞いている。夢は続く。無言の会話。何時間も続いたその空間は三途の川を渡るような気分だった。なんだかよくわからないがせつなく、悲しくて布施明の歌のようだ。
その女性は私の告白を聞いても動揺もせず、終始屈託のない笑顔で男性を見つめていた。無言の会話から、少しだけ表情が変わり「ごめん」と謝る顔になった。その途端本当に愛し続けた夫と幼い頃の娘が夢に登場する。ジ・エンドだ。
短編小説を書く笑
栃尾の小さな村に伝わる伝説の神社南部神社別名「猫又権現」言われは行く通りもあるようです。
今回は栃尾を舞台に映画「モノクロームの少女」をつくられた五藤利弘監督に頼まれて奉納のお酒を届けに行きました。
この神社の階段は結構傾斜がきつく長いのです。
このお酒を届けにきましたとわけを話しお酒を渡そうとしたら、「ご利益がありますから持っていってください」とのこと。重いからと思って階段下でお渡ししたかったのです。
でも、ご利益 ご利益と気を取り直し神社内まで運ぶことに。
お酒を奉納するとご利益ありますと猫のお札と家内安全商売繁盛のお札に誘導され2枚ずつ購入する自宅用と豆撰用である。お隣さんは燕市からの参拝者。映画の説明とYouTubeでも観られますとしっかり宣伝する。
お参りを済ませ階段を下りる、両脇の蝋燭がゆらゆら。小さな旅そのものだ。蝋燭の灯りは心の灯り。ゆらゆらと悩みを消してくれる。
さて神社を後に帰ろうとすると「どこからきたの」と老婆に尋ねられる。町から来たことそして豆撰です。と答えると「平の人じゃあないかの」と問われる。その人の娘さんは養女で夫の親戚の老婆は実母である。「お世話になっています」と養女と実母の話がはじまる。私にとっては血のつながりもないのだが、この老婆と出会えたことがご利益に思えて仕方がなかった。人と人を結び、あぶらげを送ってもろうてありがとございます。と感謝される。いえいえ、反対ですぞ、買ってもらってありがとうございますはこっちの方です。
これはご利益に違いない。奉納を頼まれたことも人と人の繋がり、今日初めて出会った老婆との会話の中にも人と人の繋がり。ご利益とは人と人の繋がりである。
日日是好日
朝4時起床
まだ早い スマホを見て メールを見て
ようやく5時
朝食準備 その間コーヒーを一杯
ピアノ20分レッスンする
これがまた背中の痛みになるのだが
練習しなければ何も進まない
挫折を繰り返て早4年目に突入
ようやく「夢」の楽譜を最後まで読む
ここまで来るのにどれくらいの月日が過ぎたことやら
通しで5分の曲を20分かかってしまうババさん
朝ドラ2本は定期的視聴しながら朝食
食器を片付けて いや正確には食洗機に入れて
洗濯機を回して
ああ 暇だ
午後からはお茶のお稽古だから
今のうちに散歩 20分
いやだいやだと思っているが
もうじきイタリア族が帰ってくるので
続きのサッシ掃除をする
お父さん(夫)は畑のポット作り
昨日アスタとひまわりを買ってきたので
その準備のようだ(私のガーデニング初挑戦のため)
暇だ暇だの割に時間は過ぎていくようだ
自由とは結構つまらないものだ
自由は手に入るといらないものだ
さて お昼の用意をしようか
日々是好日
ご存知の通り、私は老夫婦だけで暮らしています。
朝の目覚めは早すぎ、鳥の囀りより早く目が覚めてしまいます。平均睡眠時間は5時間くらい。相棒がトイレに行く度に目が覚めてしまいます。お互い様なのですが!
朝ごはんも昼食も夕飯も私が担当になってしまいました。私が働かなくなったらお父さんはご飯作りは卒業したようです。誰も卒業証書なんて渡していないのに、自主的に卒業してしまいました。
お掃除も終わりお花も変えました。スーパーに行って、お肉屋さんに行って、お買い物を済ませました。ちょっと持病の背中が痛む。腰を曲げると骨と骨の間の軟骨が減りすぎクッションがなく神経に障るようです。まあ仕方ない、2度の骨折経験者ですから。
テレビをつけるとラッシュだとか帰省とかワイワイ楽しそう。こちらは家族は遠いイタリアですから簡単に帰省とか里帰りなんてありません。実に寂しいものです。
お昼はお肉屋さんで購入したアジフライ。たまには手抜きも必要です。老夫婦は会話なく、テレビニュースを見ながらお腹を満たすのみ。
老後は楽しく、仲良くなんて夢を見ていたが、現実はそんなものではないようです。
とは言え、生ごみの処理(乾燥機にかけて肥料にします)空き缶、ビン、新聞まとめはお父さんの担当。もし私がひとり残されたら、ああどうしましょう。もしかしたら、ゴミ屋敷になるかも?
世の中連休で幸せ満開なのに
家族が日本にいたらと思う連休です。
でも、明日はお友達と筍パーティーです♪
日日是好日
念願かなって
群馬県みどり市の「富弘美術館」に行ってきました。
遡ると20年の間、我が家のリビングのカレンダーは「星野富弘」さんの詩画で癒されていました。
平成7年の⒎11水害で我が家は全壊しました。そして新たに土地を購入して、家を建てました。その時の建築家さんからいただいたカレンダーは野花の水彩画と詩の描かれたものでした。
お父さん(夫)は野花が大好きな人です。ですからそのカレンダーをとても気に入って大切にしていました。毎年月別日数だけのカレンダーを購入して、詩画集はいただいた時のものを再利用してきました。
優しい絵だよね
優し言葉だよね
私たち老夫婦は実はこのカレンダーの作家について知らなかったのです。星野富弘さんが亡くなるまで。
「お父さんこの人凄いね、体が動かないのに、口に絵筆を持って、絵や文字を描くなんて、でも亡くなったんだって」と私が新聞で見つけた記事の話をすると
「おい、オレの作っているカレンダーの人じゃあないか」
とわかって、私は富弘さんの自叙伝やら本を読みました。そして、我が家の歴史を飾り続けてくれたことに感謝しました。なんだか知らないけど感謝と御礼がしたくて、いつか富弘美術館に行きたいと思っていました。
今日はその日でした。4月24日生誕の日だなんて知らなかったのですが、私たちが詩画を観ているとみどり市の広報担当の方が声をかけてきて、いろいろ話をして、最後に「今日は富弘さんの誕生日です」と教えてくださりました。
今日は、お父さんの病院の診察日でしたが変更してもらい、朝6時に出かけたのです。もしかして、星野富弘さんが私たち老夫婦を招待してくださったのでしょうか
ビデオを観て、富弘さんに「ありがとうございました」と言いたいのに涙が溢れて言葉になりませんでした。
またお会いしましょう
星野富弘様へ
多田礼子
川辺に2列縦隊で並ぶ桜
山のてっぺんで一本咲き誇る桜
公園でスクラム組んだ桜
でも
私は裸足で駆けまわったグランドの桜木が
一番好きだ
古い木造の教室から眺めるていると
ももいろの風がふく
60年前のドキュメント映画を想う
保育園勤務だった頃発表会に「手のひらを太陽に」を選んだことがあった。今から40年くらい前だった。軽快なリズムと詩が好きだったから選んだ。
作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ
朝ドラ「あんぱん」がはじまって、
40年前に子どもたちと歌ったことを思い出しました。
子どもたちはミミズやオケラ、カエルが大好きです。
楽しく元気よく歌ってくれました。
もし私がこの頃やなせたかし様のことをもっと存じ上げていたら
子どもたちに歌詞の意味を聞かせてあげられたのに
と今になって残念がっても後の祭りですが。
その後は保育園を退職し、豆撰一筋の生活でしたから
この頃の漫画やアニメへの関心度はゼロに近かったようです。
アンパンマンの正義、生きる喜び、自分を犠牲にして助ける勇気など知ることはなく、知ろうともせず過ごしていたようです。
朝ドラのおかげで梯久美子著「やなせたかしの生涯」の本を購入しました。一気読みしました。幼い頃父を亡くし、母との別れ、伯父を失い、戦争を体験、戦争で弟を失い、
それでもぼくらは生きているんだと生涯を生き抜いたやなせたかし様の生き様が「アンパンマン」につながっていることに感動と自己反省の両方を感じています。
やなせたかし様の戦争経験で一番苦しかったことは空腹とおしゃっていましたね。正義が一変して正義でなくなったとも。このふたつのことが私の心に深く残りました。そして最後に愛する奥様が病気になって亡くなられ、どんなに悲しかったことでしょうか。私まで自然と涙が流れてしまいました。
さて、今日はいとこがやってきたのでふきのとうをとりに我が家の山畑に行ってきました。
ふきのとうの天ぷら写真と自然はいいねの言葉が添えられたメールが届きました。
生きている。食べることは元気の源ですね。
やなせたかし様ありがとうございました。
奥様とワンちゃんと何を食していますか?
お願い事があります。お腹いっぱい食べられるように
戦争をやめさせてください。
天国にお住まいの
やなせたかし様
多田礼子
敬具
なぞなぞあそび
「丸くて、優しくて、お腹がブヨブヨの人はだれでしょうか」と孫。
「ジジかな?」と白々しく答えるババ。
「違うよババでしょう!」
おやおや、いつもはバカにしているけど、本当のことはわかっていたのかとニヤニヤ。
ママはお買い物
熱のため学校はお休み。その間ババとスマホで会話。ママ帰宅「お水飲んだ?」
「ババ飲んでいたの?」とババに確認するママ。
「飲んでいたよ」と答えるババ。
慌ててお水を飲みながら人差し指を口に当てシーの合図。ババは親指でグーの合図。
子どもにとって秘密は楽しものです。
栃尾の街から少し離れた所に荷頃とういう村がある。村の一番外れの家から数百メート先の山道を歩く。山道の入り口に手作りの立て看板がある。立て看板には200メートル先と書いてある。
雪が溶けたばかりの山道は秋に落ちた杉の枝や杉っ葉で埋め尽くされて、とても歩きにくい。坂道になればドロドロのどろんこ道だ。長靴を履いてきたから良かったが、滑って転んだらひとたまりもなく服は泥まみれになることを想像して一足一足歯を食いしばりながら上る。ちょっと、よろめいたがセーフだった。このスリルは一体なんだったのだろう。半世紀も前の子供だった頃の私が歩いていた。
道の両脇からかぶさってくる木々が陽の光を遮って小さなジャングルだ。ゾクゾクする。
細長い沼地が見えてくる。ありました。見つけました。緑の葉に囲まれた白い妖精がポツポツ。咲きはじめたばかりだから若い感じがする。こんなところにあるなんて、秘密の場所で妖精たちは自分たちの居場所基地を守ってきたのだろうか。くねくねした沼地は続いてた。ありがとうミズバショウさん。30分足らずだったが、昔を思い出し幸せ気分になりました。
帰り道で出会った老夫婦さんは長靴を履いていなかったけど、大丈夫だったかしら。
ババにはひとりだけ孫がいます。
イタリアに住んでいます。
小学2年生です。
ババと孫はラインでいつもお話をします。
この日も、いつものように孫からラインがきました。
「今日は抹茶ロールケーキを作るの。見ていてね」とペンギンさんのついたエプロンをつけて大喜びです。
まず、紙に材料のメモを書きます。
コムギコ100g
さとう100g
たまご白5個
たまご黄色5個
ぎゅうにゅう40g
サラダオイル40g
メモを書き終わると今度はたまごを割ってたまごの殻に黄身を残し、白身はボールに落とします。
黄身が割れて白身に入ってしまうとメレンゲができなくなるらしく、ママに注意されます。失敗したたまごは5個です。だから全部で10個も使いました。
失敗したたまごは明日のお弁当に入れる卵焼きにする事にしました。
白身を電動泡立て器で混ぜます。孫の手は小さいので結構重くて大変そうです。
「ババみてみて、だんだんフワフワになってきたでしょ」
ママが少しずつ砂糖を入れます。孫が混ぜます。
ババはパソコンの画面をみて「上手だね」と声をかけます。
すると孫は指にフワフワの未完成なメレンゲをちょっとだけのせて
「あじみ、あじみ。ババ美味しいよ」と大きな目をさらに大きくして大満足の笑顔。まるでお日様の顔です。
味見は一回でなく何回もしました。
「さとうの固まりがあったよ」
今度はママが混ぜます。ママはメレンゲの入ったボールをひっくり返しています。抹茶を入れてさらに混ぜ混ぜ
これでメレンゲの完成です。
次にたまごの黄身と小麦粉とオイルを入れて
孫が混ぜます。この時ママは作り方のポイントを孫に伝えています。「混ぜるヘラを縦にして、切るように」と言います。メレンゲの入った生地はトロトロになっていい感じです。孫はここでも「あじみ、あじみ」を繰り返しました。一体何回味見をするのでしょうか?
ママが言いました。「あら、少しオイルが残っています」と。オイルは水と違うのでコップにくっついていた分が残ったのかなとババは思いました。
最後に抹茶を漉し器に入れてトロトロの生地に入れます。もう一度サクサクと混ぜます。
一番最初に準備していた型にトロトロの生地を入れます。ここはママの仕事。
オーブンに入れて待つ事17分。
その間に生クリームを作ります。
生クリームに砂糖を入れて電動泡立て器で混ぜます。孫は手が疲れてきたのでママとバトンタッチ。
フワフワの真っ白い雲のような生クリームの出来上がり。
するとここでも孫は「あじみ、あじみ」と言いながら泡立て器についたクリームを丁寧に舐めていました。
待ちきれなくなった孫はオーブンを覗きに行きました。ババからは見えませんでしたが、
「膨らんでいるよ」とルンルンスキップ声で孫は言いました。
ようやく焼き上がった抹茶スポンジに生クリームを塗ります。ここはママの仕事です。くるくると上手に巻いています。
出来上がりです。さあ食べましょうか?
いえいえまだです。出来上がった抹茶ケーキは冷蔵庫で2時間冷やさないと生クリームが溶けてしまいます。
「ババあと2時間お話ししていないとだよ。いいね」
ババは4時から7時まで、ラインで孫とお話ししています。その上、あと2時間も待っていなければなりません。一体全体全部で何時間ラインをしている事になるでしょうか?
そこにジジが帰ってきました。ママが言いました。「ババも疲れたから、抹茶ケーキが冷蔵庫に入っている間お風呂に入ってくれば」
そこでババはジジとバトンタッチしてお風呂に入りました。
さて、いよいよ入刀です。
あら、あらお皿にとり分けられた抹茶ケーキの真ん中に赤いものが入っています。
ババはその赤いものを入れるところを見逃していたようです。
美味しい美味しいとペロッと食べ終えるとお皿についた生クリームを舐めている孫。
ババは「お皿がピカピカになって洗わなくてもいいね」と言います。
するとジジが言います。
「パスタをズルズルと音を立てて食べるのと同じだよ。皿は舐めないんだよ」
ババはニヤニヤ、孫もニヤニヤ。
してはいけないことは楽しい。
抹茶はババがイタリアに持って行きました。抹茶ロールケーキを作ろうとアイデアを出したのは孫。抹茶ロールケーキの指導はママ。
親子3代の共同作業でしょうか?
このお話はババのお友達のお話です。
お友達の犬のボニーが天国に召されました。
お友達は悲しくて、寂しくて、仕方がありませんでした。
ボニーと一緒に散歩した小道をひとりで歩くと元気だった頃のボニーを思い出して、涙があふれました。
ある日、ボニーと一緒に歩いた道に、ポリ袋やタバコの吸い殻、空き缶がいっぱい落ちている事に気がつきました。
そこで、お友達は小さなキャリーバックとトングを用意しました。
そしてボニーと散歩した道に落ちているゴミを拾いはじめました。
ある日、電信柱の隅に小さなハンカチを見つけました。ハンカチにはくまさんの絵が描いてありました。とてもかわいいハンカチだったので、トングで拾わずお友達は腰を曲げて、自分の手で拾いました。そして、ゴミ袋に入れることはやめにしました。
もしかしたら、このハンカチを落とした人がこのハンカチを探しにくるかもしれないと思ったのです。
そしてそばにあった杭の上にくまさんのハンカチを広げてみました。
すると自転車に乗った少年がやってきて、言いました。
「おばあさん、そのハンカチ僕のです」
少年はお家に帰ってポケットの中にハンカチが入っていなかったので帰ってきた道を急いで戻ってきたのです。
「僕のハンカチを見つけてくれて、ありがとうございました」
おばあさんも少年もとても嬉しそうに微笑みました。
ババはこのお話を聞いてハートがドキドキジャンプしました。
いとこからいただいたアマリリス
一個の球根から
2本の芽が出て
膨らんだ
そしたら4個の花が咲いた
もう一個も4個の花が咲きそうだ
心がフワフワになって
ご褒美をいただいたようだ
美味しいものを食べたみたいな気分
ありがとう ありがとう ありがとう
あなたの優しさが8個の花を咲かせてくれた
ありがとう
明治生まれの祖母の言葉をおもいだす。山に登って見る長岡の空は夕日のように綺麗だった。と言った。生まれたばかりの赤子をおんぶして、子どもらを連れていったのだろう。
その日から10年後に私は生まれた。父は24歳母は23歳だった。あの日の父は14歳、母は13歳だったことを今数えてみた。今は祖母はもちろんだが父も母もあの時の赤子も死んでいない。
下記記事をあらためて読む。いつまでもいつでも戦争を繰り返す人間は一体何者であろうか?
8月1日の午後9時6分、長岡の夜空に警戒警報のサイレンが鳴り響きました。続いて午後10時26分、警戒警報は空襲警報に変わり、直後の10時30分にB29による焼夷弾(しょういだん)爆撃(ばくげき)が始まりました。
別れの夜は、孫にとっても娘にとっても、もちろん老夫婦にとっても寂しものです。学校の送り迎えも最後になって、孫とふたりで洋服選びも寂しさが手伝って、一つの約束が増えていきます。娘の手料理を食べる。「ジジ、今日はレストランでないからお家だからズルズル食べてもいいよ」なんて言われ、かわいそうでもあり嬉しくもあるジジ。ババのプレゼントしたドレスをまとい日本のアニメソングを熱唱する孫。「ちょっとはずれているね」と思ったけれど、上手上手と褒め称えるババの気遣い。朝孫を起こしに行くと小さな声で「どうしてもっと長くいられないの、今年はもう来ないの?」と言う。なんとしおらしく。今までさんざんババはおデブとかイタリア語の発音が悪いとかババをコケにしていた孫だったが、この一言に胸がジーンとする。「また来年来るよ」と不確かな指切りをする。
ミラノまで送ってもらい、老夫婦はスイス経由成田へと向うはず、何よりなんで来る時はパスしたじゃん。充電モバイルが荷物検査でひっかってしまった。容量が大き過ぎとか言っていた。交渉の余地なし。あたしゃ帰国したいんだよ。えええどうぞ、置いていきます。きっと転売するかもとブツブツ独り言。顔は愛想よく残念そうなふりをする。まあしょうがない。
とにかくイタリアとさらば。飛行機座席隣りの女性はイエメンの人。東京と京都一人旅だそう。旦那様は仕事でアメリカだそう。油揚げ作りの写真を見せ「日本で有名」と大口を叩くババ。もちろん会話はでたらめ英語。それでもなんとか会話になるもんだて。ジジは長岡に迎えにきてくれた友達に「俺は恥ずかしくてしょうがなかった」と。
あれまあ、今度は日本で時差ボケで眠れない。
日日是好日
イタリアといえばパスタとpizzaと思いがちですが、地域の郷土料理はたくさんあります。牛肉、豚肉、とり肉にしても煮込みもあれば、ステーキもあり、カツレツもある。リゾットもサフランを使ったものやひき肉を使ったものなど、今回は娘の家にいることが多かったので家庭料理が堪能できた。マナー違反が多くて注意を受けてばかりでしたが。
パスタとサラダのメニューならば、パスタを先に食べる。パスタが伸びないうちにらしい。甘いものとしょっぱいものがあったら、交互には食べない。味が移ってしまうから。孫にも「そうしちゃあだめなんだよ、ババ、ジジ」と指摘される。いやはや疲れるもんだよ。食事くらい勝手にさせてよ。と心の中で叫ぶ。
交通マナーも随分違う。信号のない横断歩道は止まってサッサと渡る。車は歩行者を優先にするのです。日本とは違う。これはドライバーとしては見習う必要あり。だが路駐が多くて右も左も車で埋め尽くされている。多分100年以上の建物が多くて、建て替えることがないせいだろう。車社会の方が遅くて駐車場が少なすぎるのである。と推察した。
日日是好日
トリノには世界で二番目に大きなエジプト博物館がある。
外観の煉瓦色は歴史の重みを放っている。会場に一歩足を入れると、紀元前エジプト帝国の神秘的で不思議な世界が広がる。紀元前3,500年に作られた、ファラオの壮大な墓、石棺、彫像、雑貨、調度品に加え、塩漬け肉やブドウの残骸が入った陶器の鉢など、どうして保存できたのか不思議の数々。西洋人の顔は横幅がなく堀が深い。東洋人は大きな顔でのっぺらぼうに近い。人類はどこで合流したのか、どう変化し、知識を得て今日に至っているのだろうか。紀元前に築いていた文明の不思議は私には謎解きも説明も理解できない。私がエジプト文明について学校で習ったのは中学生だったような気がする。それから、時が過ぎ随分考古学者やAIによっていろいろなことがわかっているようだ。今孫は小学生2年生である。3年生になるとエジプトの歴史を習うと婿殿は言う。世界史の勉強はかなり早くから始まっていることに驚く。ちなみにイタリアの小学校には事業参観はない。塾もない。宿題は金曜日に出されるだけ。教育の指導指針は日本と全く違う。同じといえば携帯、iPadの普及だろうか。ここまでの人類の発達、AIの征服力に恐怖を感じてしまう。
あたしゃ日本に戻ってら、AIでなく耕作農民から始めてみようかと思っている次第である。ミイラ殿聞いていますか?
日日是好日
モンッツから車で北へ2時間弱でトリノでした。トリノの街は古く、バチカン市国を思わせる宮殿が観光客を集めている。碁盤の目のような街の中心はとても1人では歩けない。どこがどこの道かわからなくなってしまう。1861年にイタリア王国成立の最初の首都だけのことはある。広場を囲む宮殿、博物館数々のレストランにショップと日本とは全く違う。教会も古く1600年代に建てられているそうだ。昨日見終わった映画「将軍」と同じ時代である。天下泰平を誓って徳川家の繁栄のために戦さを繰り返していた時代。ここでは職人芸術家は仕事に溢れ、巨大な文化遺産と建築遺産を残したのだろう。イタリア国成立前はやはり貴族、王宮の権力争いで農民はたちはどんな日常だったのだろうか。ふと自分の今と交差させている。子供の頃だ。ちょうど今の孫の年頃。不思議なランプの話が大好きだった。空飛ぶ絨毯が欲しくて欲しくて、庭に風呂敷を敷き、小高い山から遠くの空を見上げて私は見たことのない世界へ飛んでいく。この妄想は私の一人遊びを実に楽しませてくれた。また時にはゴザを敷き安寿と厨子王になり、船に乗り別れ別れになるシーンを一人三役して泣いているのだった。なんて言う時代の差だろうか、孫はイタリアと日本を毎年のように行き来してイタリアの文化と日本の文化を学んでいる。ステーキが好きだ。寿司が好きだ。デザートは何にしようかなど孫は当たり前のように食する。レストランなんて行ったこともない。肉が入っているといえばじゃがいもに埋もれた豚肉数切れだった。田んぼの小川で捕まえたドジョウやらヤギの乳、おやつは味噌おにぎりに決まっていた。そんな時代だったがとても懐かしい。
孫の遊びにごっこ遊びは欠かせない。「私はお母さんよ、ババはベビーシッターね。そしてこのこ子の父さんはいないの。戦争で死んじゃたの」と言う。贅沢の中で育っているけれど戦争は短に感じているようだ。トリノの街は幻想と現実を行き来する街である。またミラノに次ぐ工業都市のせいか観光客以外の人々も多く土曜の世界女性デーの日でもあり、地元の人で賑わっていた。
続いてエジプト博物館を今日は見学予定です。
日日是好日
二日間、これと言った特別のことはなく老夫婦は過ごした。時差ボケもやや解消されてきた。日本にいる時と変わらず、就寝後は4時間で目が覚めてしまう。老夫婦の間には「ババとジジと寝る」となんと可愛いことを言う孫かと思えば、夜中に大泣きしてママのところに行く。あたしゃ疲れているんだから。本当は一緒に寝たくないのに、孫のためと自分を殺して一緒に寝てやっていたのにと心の中だけで思っている。朝食は白飯に目玉焼き、ワカメ味噌汁、持参した味付けのりを娘が用意してくれる。ああ、日本人だよ、湯気の出ている熱い汁を音を出して啜る。一口飲むとふーかあーか感嘆符音。日本の食べ方なんですよ。そばだってすする、ラーメンもビールひと口口にすれば感嘆符音がでる。やれ、音を出すな、すするな、食事のマナーの違いには来るたびに神経を使う。老人夫は気をつけているのだが、ガチャガチャ、ズルズルで孫にも「それやっちゃあダメなんだよ」と言われる。その度にわたしゃあ、娘婿殿に気を使い、ドキッとする。この国は小学校は5年制である。登校には必ず保護者がついていく。まあ日本の保育園と同じである。危険がいっぱいのお国だから仕方がない。重いリュックは大抵保護者が持っている。夫は孫の荷物持ち係だ。それから掃除洗濯と娘が家事をする。その間私は「将軍」を観る。我が家ではみられなかったので、イタリアでは絶対見てやるぞとイタリア企画に入っていたのだ。徳川家康がモデルであることは知っていたが登場人物の名前は変えられていたため、すぐに理解できなかった。2話くらいからようやく理解する。6話まで観た。観終わったら次回感想文を書きましょうか。さて、それからスーパーやら市場に行く。市場は木曜日と土曜日。イタリア人もいればアラブ人もいる。みんな愛想が良い。野菜の品数は日本の倍くらいある。筍のようなミニサイズで青い野菜。イタリアで何度も見るが食べたことがないので買ってもらう。茹でたその野菜を一枚一枚剥いでオリーブオイルと酢と塩のドレッシングをつけて食べていく。2個も当てがえられたので、非常に手間がかかって食べる野菜だ。もうわかったもういらない。市場では魚の種類も大きさも量も日本とは違う。切り身パッケージなんてもんはない。必要な量だけを買う。肉もそうだ。日本はパック社会。だいたい何でもかんでもパックが好きである。もちろん必要ないプラスチックトレーに見た目よく並べられている。自宅用ならバラ売りで十分だ。環境にも優しい。油揚げも袋なしバラ売りを提案したいよ。市場での買い物は夫のカードである。「遠慮しないでジジの食べたいものを言えば」と妻は夫に助言。夫はそれどころではない。両手に3つも大きな袋を持たされ、まだまだこの時とばかりに買い物は続きましたから。こんな日常生活はイタリアに来た時だけです。これを幸せと言ううのかよくわかりませんが
日日是好日
滞在5泊目は、ピサの斜塔を後に ボローニャに電車で着く。陽射しも陰り始め駅に降りるとかつて滞在したどの街よりも清掃されて綺麗である。しばらく行くと大きなアーケード(雁木)が続く。中世に建てられたアーケードの長さと広さは何百人もが一度に歩けるようだ。街人も鎧を纏った軍隊も貴族もここを通り抜けたのだろう。雨や風をしのいで、たったたったと大勢の人が歩く足音が聞こえてくる。石ので作られている巨大なアーケードの理由は栃尾の雁木通りと同じである。木で建てられたものもあった。どこの国でも人間の考えには共通点があり、発展がある。中世の発展から現在の発展までの道のりを想像したら人間の能力はとてつもないと思う。また家と家の間を流れる川は小さなベネツィアでインスタ映えの名所となっていた。栃尾にもある。川の上に街が建っている。このふたつもの共通点で町興しができないものだろうか。
マッジョレー広場を中心に権力を誇示するために建てられた塔がいくつか残っている。高い塔もあれば低い塔もある。修復中の高い塔はピサの斜塔のように傾いていた。ヨーロッパで最初に建設された大学は今では大きな図書館になっている。解剖学を学んだ講義室は木の彫刻が目立つ。サン・ペトローニオ聖堂も広場の中にある。アントニオ ディ ヴィンチェンツォの手により1390年に着工が開始されてから長い年月が経っている。建設当初は世界で一番大きな聖堂となる予定が、600年以上経過した現在も完成しないままとなっています。街から離れたらワイン畑などトスカーナ地方の魅力にも触れたかったたが1泊滞在ではじっくりと見学はできなかった。二度と訪れることはないボローニャを後にする寂しさは老人であることの認識でもある。娘家族と過ごす目的も大事であるが、世界のことをあまりに見知らずして歳をとってしまった。と娘に話すと、今からでもできる。と言う。日増しに衰えを感じている老人に何ができると言うのか。今更と頭の中から声が聞こえてくる。でもまだ出来ることもあるはずと今更を打ち消す自分もいる。あっという間のジェノバからピサそしてボローニャの旅は終わって娘家族の新居に戻る。時差ボケと旅の疲れが出て睡魔が今の悩みを救ってくれる。
日日是好日
ジェノバからピサの斜塔観光までは電車を利用し、娘と孫と私たち夫婦で行く。婿殿は仕事のためジェノバ駅でお別れ。私たちは指定席に乗り約2時間の車窓を楽しむ。イタリアの海が続く、海の崖風景は宮崎駿のアニメ風景によく似ている。イタリアがモデルだったかな?モンッツアに戻ったら宮崎駿のアニメをもう一度観てみようか。
ピサの駅から大きな橋を渡たり、街を通り抜ける。この風景は過去のイタリア観光地と似ている。と言うかどこもかしこも同じに見えてくるってことは、記憶力の低下に他ならない。両脇の中世の建物は小さな老人を飲み込み、疲労を与える。孫と一緒にイタリアを回ることができるるのはあと何回だろうか?娘に呆れられるほど、日程を何度も確認する夫を見ていると夫も確実に歳をとっている。私もである。
駅から歩くこと30分、両脇に中世の建物が並ぶその中央にピサの斜塔の頭が見えてきた。夕陽に照らされて白亜の塔はおとぎの国を連想させ美しく、清楚なドレスをまとっているようだ。建物をくぐり抜けそのそばに行くと想像していたよりも傾いて見えなかった、斜塔から大聖堂広場へ歩き斜塔と距離を置くと、傾いている傾いている。4度くらい傾いているらしい。とにかく観光客はみんな手を塔にかざして斜塔を支えるポーズを写真に収めている。ふむふむ我々も同じポーズをこっちであっちで、カメラマンの指示に私の腕は斜塔を支え過ぎて痛くなった。
もういいよ。疲れた。今日は宿で夕食にしよう。
今流行りのフロントもなし従業員もなし、暗証番号をうち、部屋に入る。ベッドとリビングがあり、屋根裏にもベッドあり。螺旋階段の屋根裏はババは落ちたら大変無理。孫は大喜び「まあまあいいじゃあない」と生意気なことを言っている。連日続きのレストランに飽きたので、この日は質素倹約。娘は買い出しに行き、青梗菜の炒め物に豚と牛肉の中華炒めをゲットしてくる。味はともかく移動しなくていいことは疲れない。この日は早く寝て、早く起きて、ピサの斜塔に上るぞ。
大聖堂の鐘楼であり、世界遺産、高さは地上55.86m、階段296段を上るはずである。1173年着工1372年完成。600年以上前の歴史、傾いてよかったのか悪かったのか。
さて、準備万端だったはずだが、ここには純粋たるイタリア人婿はいない。チケットを買う場所がよくわからない娘。当然我々は全くわからない。ウロウロするだけ。行動ではありません。頭と首の運動です。
はてさてどうするの日本人3人は停止。
こうしたハプニングは旅の想い出となるわけで、前日のミステリーの続きをしましょう。婿殿のご両親は結婚45周年、その時以来どんな来客にも使わなかったステンドグラスのワイングラスをこともあろうにあの老人夫は首にかけていた携帯の紐で引っ掛けて、見事に爆破させてしまったのです。唖然、私はちびまる子の顔。どうしてくれるの、何をするの。となったわけです。おまけにもう一つ今度は自分は夫よりしっかりしているとまだ私の方が若いと思っていた私がですよ、夕食レストランで首に下げるバックを椅子にかけて、それを置いたままレストランを出てしまったようで、駐車場で夫が鬼の首を取った如くバックを渡す。呆れることと爆笑の渦。孫のババに対する評価はまたまた減点。寄り道終了。
困った時は本物に聞くに限る。娘は携帯でチケットを婿に取ってもらいことなきを得る。
ピザの斜塔は、その傾いた姿が特徴的です。紀元前からローマ帝国の海軍基地として機能していたピサ市は、11世紀ごろから地中海の貿易国として栄え、15世紀初頭にはフィレンツェ共和国に占領され、その歴史的な背景を甦らせるピサの斜塔に上るぞ。だが入場まではI時間ある。孫は斜塔を描くと言う。夫は警護隊になり私と娘はサンドイッチを買いにと言い訳をしてコーヒーを一杯いただく。孫の描いたピザの斜塔の描写は7歳にしてはうますぎだ。孫馬鹿なり。「みんなが荷物を持っていないよね」と娘が気がつき、係員に聞きに行く。荷物は全て荷物置き場に置くそうな。やれやれよかった。ロッカーに入れて、斜塔入り口に並ぶ。ルンルン気分の孫。だが、斜塔の一階広場の傾きに恐怖を抱きはじめる。狭い大理石の螺旋階段は滑る。石が減って中央が凹んでいる。傾斜を感じる。すれ違った日本人の子供は怖い怖いと泣き叫んでいる。日本語ペラペラさんはそれを聞き、ますます恐怖の渦の中に突入する。「ババ、ネパールに比べたらへいっちゃらって言ってたでしょう」遅れ気味のババに罵声がとぶ。しょうがないよネパールは自分のペースで登るけど、ここは否応なしで上らされる。泣き叫ぶ孫とハアハアゼイゼイのババでした。その後ピサ大聖堂を周り、心の中でみんなおんなじだよなーと呟くババ。
日日是好日
2025/2/28
夜中の12時近くになってしまった。娘夫婦の新居は白くて、洋風の小さな館だ。夫婦と子供ひとりの新居としては十分すぎるくらいに広い。壁には思い出の写真がいっぱい飾ってある。
どの部屋に行っても娘夫婦の出会いから去年、日本で撮影された孫の七歳のお祝いまでがびっしりとかけられている。その中で小さい額縁の写真に目が止まる。そこには若き日の父がいた。髪は黒く、村一番の美形だった。私は残念な事に母そっくりだ。背は低く、鼻は上を向いている。10歳違いの叔母は父の妹で美人に生まれ、栃尾の三人娘クレオパトラか楊貴妃か小野小町かと言われたそうだ。美人は薄命なりだった。
それはどうでもいい事で、まさかここに父がいて孫たちに囲まれている写真があるとは思いもしなかったので、「どうして、泣いているの」と孫に見つけられた私はそくさくとその場所から離れた。娘は多分十歳で姪っ子は四歳、甥っ子は生まれたばかり。33年前の写真だ。この頃は丁度豆撰を立ち上げたばかりで、死に物狂いで朝早くから夜遅くまで働いていた。休日もなく家族と一緒に過ごすこともできなかった。だから父は娘を頭に3人の孫の世話人だった。私にはこの頃の思い出がほとんどない。込み上げる涙が堪えきれなかった。そして亡き父に感謝した。
思い出のアルバムはどこで見つかるかわからないものだ。
心地よいベッドルームを与えられ、70歳この上ない幸せを感じながら眠りにつく。
普段から寝ることが不得意の私である。3時間後には目覚めてしまい、日本に残した心の重い扉を開いていた。
朝食は新居の目の前にあるパン屋さんに孫から連れて行ってもらい、クロワッサンを買う。生ハムにコーヒーが用意されている。家族団欒の朝食に感謝する。
今日は婿殿のご両親に謁見だ。5年ぶりだ。婿殿の父親は病後、リハビリを拒否をしたため杖なしでの歩行は無理でせいぜい数十歩であった。
私たちは婿殿の母上から手作りのお料理を振る舞ってもらい、ボーノの連発。食器類は結婚祈念のお花のお皿やクリスタルのグラス、この日のために新調したテーブルクロス。そしてコーヒーカップは新婚旅行で求めたギリシャもの。思いっきりの歓迎に感謝する。そして、特に野菜たっぷり煮込んだスープに孫は「見た目はあんまり良くないけど、めっちゃおいしいんだからね」と私に一生懸命伝える。ノンノと孫の血のつながりの深さを感じ、感謝するババでした。
さて、この晩餐のために45年前のクリスタルグラスの一つがどうなったのか、ミステリーは翌翌日に続きます。あとで書きましょう。
翌日は婿殿の別荘へ。くねくね道はどこまで続くのか尾道のようないやそれよりも長くて狭い道を登ること30分。別荘の木の壁、タイル貼り、家具など全て婿殿の父上が手造りで仕上げたらしい。ここにも思い出アルバムがたくさん並べられていた。庭には黄色の妖精がいっぱい咲いていた。幸せ色を届けてくれる水仙さんありがとう。山の上はまだまだ寒くて、別荘を後に街のレストランへ直行する。海の幸がずらーり。アンチョビ、タコ、真鯛などが並ぶ。浦島太郎のように竜宮城でもてなしを受けて、その上ビールにワインに大喜びする我が夫。この国は飲酒しても車の運転は問題なし。自分で自分に合う量のみ飲むからだ。パスタもムール貝にエビ三昧。わたしゃあ、もう食べれれません。
半島に出て入江を歩き、海猫にご挨拶。イタリアはどこに行っても観光地である。
夜は日本の家族だけでレストランにいく。小高い丘の上に1000年前に建てられた教会がある。装飾品などなく実にシンプルであるが古きものの良さを醸し出している。大理石をはじめイタリアは石造りだ。日本の明治時代に建てられた館で見る石畳は木の中に異質が混じるので目立ち感激するが、ここの地では当たり前なので感動はもうちょっと薄れている。
この続きミステリーは明日書けるかな
時差ボケは続き今はイタリアは夜明け前の3:43
日日是好日
2025/2/27
今回のイタリアの旅は成田空港からチューリッヒ経由ミラノの行き。朝5:30に栃尾出発、昨夜作っておいたおにぎりとお茶をかき込み急ぎ、出陣です。スムースに成田到着、スイス空港機のマークは白地に赤く日の丸の丸が十字架ですから全く考える必要がありません。覚えやすい国旗は、簡単便利のレシピ集のようです。15時間の飛行は今までより2時間くらい時間がかかります。ウクライナとロシアの戦争のせいです。東京から太平洋に出てアラスカ経由でなんと無駄なことでしょうか。そしてもちろんエコノミークラスに乗りました。最後のイタリア旅行はせめてビジネスクラスに乗りたいものですが、その最後の時に預金が残っているかどうかが問題だと考える、20年も先なら絶対に預金はない。いや待て、最後が今日だったら一生エコノミーで終わりとなるわけで。と余計な事を考えながら、通路脇の座席は足を十分伸ばせ,スクワットもできました。ただし追加料金は支払いました。長い機内での時間の過ごし方は読書と映画映画映画。いつも思うのですが英語がわからないことは全く持って損です。まるで人生において損をしたような気になりその一瞬のみ落胆するのです。海外旅行の度にこの落胆は続くのですが日本映画を捜すしかないのです。そもそもタッチパネルも英語ですら、日本映画を捜すことも一苦労。ようやく見つけた映画は「52ヘルツのクジラたち」内容は重いけれど、杉咲花の演技力に吸い込まれてしまう。朝ドラにもいい演技をしていた志尊淳の演技もなかなか良い。テーマは最近の社会情勢なのだろう。ネグジェクトやらジェンダーについて投げかけている。この種の映画は実は苦手である。心が拒否反応を起こし、見終わるとドッと疲れが出てしまう。しかしこの映画には拒否反応を超えた俳優の演技力に引き込まれる。脚本が良かったのだろうか。
ご覧になっていない方にはおすすめ映画でした。
乗り換えチューリッヒまで2回の食事と2回のおやつを食し、なんとか苦痛の痛みの時間を過ごす。そしてチューリッヒに到着。この空港は広くて綺麗である。ごみひとつ落ちていない。ゲートA73を夫は間違い、私の記憶とどっちが正しいか確認する以外はスムーズに行きミラノ行きにようやく乗り換え、目指すはミラノ。1時間後にミラノ到着。娘家族が出迎えているはずだ。どんどん歩く、人も歩く、荷物は?でもここではないのかな?その便によって場所が違うかなと立ち止まり考える能力は残っておらず、スタスタスタスタと人の波についていく。あれ 違うここではないやっぱりスーツケースをとりに行かなければと戻ろうとしたら、あのいやらしい警告音でストップされてしまう。絶体絶命だ。立ち止まって身動きできない老人ふたり。この出口一歩手前の監禁に慌てる。ここからどうする老人ふたり。どうすればいいのかと繰り返すこと数分。遠くに係員。監禁室から日本語で叫ぶ。係員は駆けつけてくれるが、日本語は通じない。いつもの和製英語とゼスチャーでスーツケースをとり忘れた事を理解してもらうが、もう絶対に戻れないと言う。「ゴー、レストラン、チンクエ」ふむふむ「レストランをレフトに行き5番のところに入りグルーっと回る」名探偵おばさんはコナンのごとく解読し、OKサインを送り出口に。そうだここで何回も待ち合わせしたこの場所だとババさんは確信する。係員の言う通りにその5番の入り口に立つことはできた。だがしまっていて入れない。待て待てイタリア家族が来ているはず彼らと遭遇する方が早い。彼らはイタリア語は得意なのだから、ババコナンの頭の回転はまだまだ生きている。涙の再開。劇的なハグ。のはずが喜びは待て待てと追わずけ。事の真相を説明。呆れる娘夫婦。何回イタリアにきているのと怒られ、私たちはただただ土下座して謝るのみ。5番の入り口を開けてもらい、そこの係員に事の次第を伝えてもらい、老夫婦は関所に入り通行手形を見せる。ラストワンに行くように指示される。カウンターにはラストナンバーはない。どんどん右に進んでみると先ほどの関所の係員がストップと老夫婦を引き止める。ラストワンとは一番最後のカウンターってことか?と戻り順番を待つこと30分そしてやっと担当と話すが全く通じない。荷物が届かない?荷物の番号がわからない? 問答をパソコンで繰り返すが埒が開かない。娘に電話したいがWi-Fiは繋がっていない。またもや絶対絶命の危機に晒される。コナンババさんはジジに荷物番号の紙を出してと言ってそれを係員に見せる。荷物の居場所確認をとってもらい一件落着。1時間がとっくに過ぎてしまった。
ミラノから娘家族の新居までは1時間。車に乗せてもらいやれやれと言うわけで今回の旅の目的新居見学に辿り着い次第です。
日日是好日
仕舞うとはどう言うことでしょうか。
娘の面白かったよとメールが届いたのは、半年以上前のことでした。恩田陸著「蜜蜂と遠雷」
上下の単行本をアマゾンで取り寄せたのは、その直後でした。届いて数ページ読んだものの、その後この本は登山用のリュックに置き去りにされたまま。
そうそうあの本どこに仕舞ったかしらと探して見つけたのです。
1ページ目から読みはじめる。Amazonから届いた時に数ページは読んでいたことを思い出す。待て、待ってこれは映画化されていたのではと思い、携帯で蜜蜂と遠雷を探す。松坂桃李が主演で映画化されていた。私は観たのだろうか?いやみみていない。
読み続けていると私の隣に黒くて威張っているような感じさえするピアノがちらつく。11月14日にネパールから帰国して、一度もピアノに触れなかった。そして、2ヶ月が過ぎようとしている今日。この本はピアノコンクールが題材だ。そのせいかピアノが気になりはじめ、私は本を閉じる!そして、ピアノに向かいスタンドをつける。ピアノに威嚇されているようだ。好きではないハノンを練習する。上がって下がっての繰り返しなのに、指がまるで毛糸がほどけなくなったように絡んでしまう。音痴の私には苦労そのものだ。たたく音は違っても指の動きは同じなのに絡まって仕舞う。3回繰り返すと、もう嫌気がさす。うまく指が動かなくて、頭でコントロールしようとするからだ。上流から下流に流れる水のよう流れに添えられたらいいのに。やめた。課題曲「夢」の楽譜を取り出す。去年から練習しているが私にとってはこれは難曲である。逃げてる、逃げたいのにこの本は無理やり私をピアノの椅子に座らせてしまった。本当はピアノをお仕舞いにしたかったのだ。ピアノを弾きはじめて3年が過ぎていた。ネパールから帰国して間もなくのある出来事のせいだ。
「蜜蜂と遠雷」前編を読み終え、後編に入るとドキドキする自分がいた。そのドキドキは私にかかわってくる周りの人たちの苦悩と私の苦悩が何重にも映し出されて仕舞う。
学校に行って勉強しなければ生きていけないの。高校を卒業すると未来が見えるの、大学に行かないとダメなのですか。
今まで私は何を生きがいに生きてきたの。走馬灯のように浮かんでは消える。自分を肯定したり、否定したりする。これでいいの?3食作って、掃除をして、洗濯をする。いつの間にか私は主婦のような毎日を過ごしいる。いつもより早いペースで本を読み、映画を観に行き、Netflixもほぼ毎日観ている。とりあえず一番一緒にいたい人とも1日の大半を一緒に過ごしている。でも、心は満たされない。
本の中の登場人物は偉い人で、ある意味天才的な存在の人が多く描かれている。苦難、難行を乗り越えてこそ的なことも多い。この本はとても面白くはまっていく、いつものペースの倍速で読んでいる。しかしわからない漢字もカタカナの横文字の意味も正直わからないことが多い。 だからソナタロ短調とか聴いたことのないピアノ曲の名前をネットで調べYouTubeで聴いてみる。
耳慣れしていない曲に感動なんてしないよ。それに逆立ちしたって譜読みなんてできない。シャープの数を数えて、楽譜の5線に鉛筆を置きド、レミとか小学生が算数を覚えるように数えている自分にこんな難しい曲はわからない。わかる人はどれくらいいるのと半ば脅迫めいた自分がそこにいる。
後編を読みながら、大雪でエサが見つからないムクドリが庭のエゴの木に止まって餌を探している様を可哀想だと見つめたりする。いよいよ終盤が近づいてきました。耳にはオーケストラのバルトーク3番、本読みとYouTubeで聴くの同時進行。その時ぽろんと届いたメール。豆撰かしらと携帯を覗くと、なんと びっくりしました。心の片隅でいつも待っていた方からの豪雪お見舞いと近況報告。
私はすぐに返信しました。
「ありがとうございます。体調が悪かったのですね。1つ歳をとるごとに私も年齢を感じています。お気をつけてください。今私は「蜜蜂と遠雷」を読みながら、全く知らない曲をYouTubeで聴き、覚えてはいられませんが、この曲なのねとかこんな曲初めて聴くわとか、読書に合わせて音楽を楽しんでいるところでした。だから、あなたのメールが愛しくて、懐かしくて、心が震えています」
今日で3日目の大雪に私は家に閉じこめられている
「1ヶ月ほどイタリアに行ってきます。皆様お変わりありませんか?春になったら泉慶さんに行ってみなさんとおしゃべりしたいです。本当にありがとうございます」と夢中で返信しました。コロナ前に知り合って、私がピアノを習うきっかけの人でした。楽器屋さんで旦那さんは調律師そして彼女は大正琴の家元。知り合ったのは豆撰に良くきてくれるお客様は金髪、おしゃれな服を身にまとっている。「いつもありがとうございます」とはじめて感謝の言葉をかけてみる。そこには外見とは違う人を引き寄せる優しさがあった。音楽家だからだろうかと初めて言葉を交わした時を振り返っていた。
「蜜蜂と遠雷」いつもよりハイスピードで読んでいます。読んでいるうちに、天才とか努力とか感性とか、特別な人間はその特別なものに振り回されて、悩んで、苦しんでいる。才能のない人の方が普通にゴロゴロしていて、いやむしろ普通にできない人の方が多いかもしれない。普通に生きられたらそれでいいのに。普通以下だとダメなの?才能と天才の素晴らしさの中で完成されていく人間像に感動しながら自分の70年の人生を振り返り、私の人生の仕舞い方を考えている。71歳に向かっているのだ。
日日是好日
結構重い雪になってしまった。サラサラ雪ではない、湿った雪だ。私の心もこの雪のように重い感じがする。
イタリアはとても治安が悪いから、携帯は首にぶら下げてきてと言う。あと10日で娘家族の新居を訪問する。そこで今日は携帯の紐を買いに行ってきた。
それからイタリアのトスカーナ地方の映画をNetflixで観る。小さなお城風の館を改装して料理教室をはじめる父と娘のほんわかなハッピーエンドな話。一昨年に連れて行ってもらった。なんとなくスイスっぽい感じがしたような。
1日3食作るということは、1日に費やす時間が約3時間必要である。掃除洗濯を含み。
夕食後にちょっとだけピアノの練習をする。昨日のレッスンで注意されたところを思い出しながら、滑らかに、その音を残して弾く。いやあ、難しい。数回練習して今日のレッスンはおしまい。
さて、本題です。私の好きな作家原田マハさんの「独立記念日」を開く。随分前に購入してキッチンのカウンターに置きっぱなしだった。
ホットケーキではないパンケーキが恋しくなった話。思い出すなー。10歳違いの叔母は料理をしなかった。私の母が嫁としていたからだろう。その叔母が唯一作ってくれたのはパンケーキではなくホットケーキだった。蜂蜜の代わりに砂糖たっぷりだった。60年も前。ケーキもめったやたらに食べられない時代のホットケーキは甘くて最高のおやつだった。ホットケーキのお供は「コンバット」と言う映画だった。天国の姉ちゃん覚えていますか?
さて、私の独立記念日はいつになるやら?
日日是好日