2025年8月20日水曜日

リモートで遊ぶって大変です

遠い国にいても、リモートで会話できる便利な時代です。

定期便のように電話がかかってきます。

私の会話に「あれよ、あれさ。なんだっけあれだよ」が最近いや随分前から出てこない言葉に自分ながら嫌気がさしてしまう。友達に聞くと同じ症状だと言う。それで変に納得してしまうババである。

今日もいつものように「あれどうだった」とあれあれを連発する。とうとう孫は呆れて?面白がって、ババの真似をする。「わたし、いまあれにあれするからちょっと待っていて」とあれあれ会話に花が咲く。こっちはこっちでいちいち思い出さなくてもいいので、これはこれで会話が成り立つのである。

しばらく続けたが孫も飽きて、今度はごっこ遊びに変更。この子は私の赤ちゃんだからババは大ババでこの子はババの曾孫だよとのこと。お父さんはいないのと聞いてみたら交通事故で死んだそうな。孫は仕事に行かなければならないので、ベビーシッターに依頼。あらあなたの仕事はなあにと聞くと保育園の先生と答える。あらまあ私と同じねとババと孫は笑う。

便利な世の中になったもののババは疲れます。

日日是好日

人生の道のりは畑と同じ

 畑は人生の道のり

アスパラの収穫は春

その後アスパラの畑はドクダミやその他の草に覆われてしまいます。そして草取りをします。やれやれと一呼吸つくと

あれまあ恵みの雨は雑草の救世主となる青々と芽を出して、あっという間に伸びます。この繰り返しです。今日は3回目の草取りです。腰が立たなくなります。やれやれ

これって

豆撰の仕事

子育てと同じ道のりです。

どこで何をしようと人生の道のりには変わりないようです。

日々是好日

2025年8月15日金曜日

いまを生きる タングの2本

 自由な時間がやってきた。娘家族から解放されて自分の時間ができた。だが、自由とは切ないこともある。自由の時間をどう使うか考えないといけない。与えられた仕事、中でもお金を稼ぐための仕事は考える暇などなく、次から次へと仕事が山積みされて、その山を取り崩すのに四苦八苦する。おまけに必ず「なんで」とストレスを貯金していく。それでも時間を有効に使うよう努力する。ところが、

一緒に生活していない家族と2ヶ月同じ屋根の下で暮らす事はお金を稼ぐ事とは全く種類が違うがこれまた重労働であった。ストレスも風船のようにたまったら破裂する。その寸前であった。

しかし2ヶ月も一緒にいた家族がいなくなれば、あなのあいたおけのような気になる。

朝イチの畑仕事も1時間で終了。私の出番はそれくらいである。洗濯、掃除はたったふたり分となれば簡単短時間で終了。料理もこれまた老夫婦の食事は簡単、野菜中心に魚か肉を取り入れたらそれでOKである。時々刺身、うなぎ、餃子など既製品を調達してそれで十分だ。おかげさまで豆製品はたっぷりである。

となると自由時間が多くなる。ピアノのレッスンは30分以内と勝手に決めている。圧迫骨折のため腰が痛くなるからである。その日によってはそのパターンを2回繰り返す。合わせても1時間だ。

となると8時間労働として8引く3は5である。5時間の使い道を考えるのもストレスである。そこで映画鑑賞という手段に入る。しかしこれまた罪悪感を覚える。日中によくまあ暇だねとどこからか聞こえる意地悪そうな声だ。

しかし

することもないのでやっぱりテレビのスイッチを入れソファにもたれて観る。どの映画を観るか決めるのも考えなければならない。どうもこうも考えるのが苦痛のようです。それでも今回はこの2本を観たわけです。「いまを生きる」大好きなロビン・ウィリアムズ主演だ。彼のような破天荒な教師が存在していたら、登校拒否とか引きこもりもないだろうに。と思ったが、いやそれは違うような気がしてきた。その子の意思である。考えるのは自分である。そして自分で決めることだよなあ?

「タング」これまた考えさせられるよ。ロボットと人間の関係。このままAIがどんどん進化したらどうなるのだろうか?感情まで作り上げたら?ロボットと友達どころか結婚しちゃうこともある。そんな映画もあったよな?

自由の時間でさえ考えないと使えない老人。

さて、はてどうするか?

考えたくない老人ここにあり。

日日是好日

2025年8月11日月曜日

命日がゾクゾク

 私の周りの親族は6月7月が命日の故人が多い。月は違っても2日と20日の日も多いようだ。

親族達の誕生日が2日と20日に多いせいだと思う。

ところが私はその範囲に属していない。それでも私は1と7の数字を持っている。かなりラッキーな人生らしいのですが。

果たしてそれはどうだろうか?70歳で2度の圧迫骨折これはラッキーだった。ひとつ間違えば半身不随だったらしい。心臓に要らぬ筋肉ができてそれが心臓の誤作動を起こし不整脈になった。これはカテーテルにて改善された。まな板の鯉を経験したが、もう2度と麻酔なしの手術は御免被る。

最近では白内障手術。まあ70年も生きていたらこんなもんかと苦笑いをしている。

今日のニュースは熊本の大洪水。思い出す⒎13水害を。土地も家も全部失ったあの日。

20年も前に100年に一度の水害といわれたがその後ほぼ毎年水害はある。被害に遭われた人にお見舞い申し上げます。でも生きてさえいればいいこともあります。なんとか頑張ってほしい。

さて、私の母は私の歳に認知症を発症していたと思い出す。緩やかな進行だったが4年間は寝たきり88歳でこの世を去った。父はありとあらゆる病気のオンパレードで1年の入退院。74歳でこの世を去った。一体私はどっちの方向に進むのか?と時々不安になる。それでも今馴染みの喫茶店で夫とコーヒーを飲むことできることに感謝しよう!

日日是好日





2025年8月8日金曜日

雨上がりの空

 雨上がりの空に真綿色の大きな雲

掴んでは孫の小さな手のひらににのせる

もっと もっとと繰り返す

改札口で何回もタッチを繰り返す孫の手のひらのなんと温かいことか

手を振りながら振り返る孫

イタリアは遠い国

行きは5人

帰りは老夫婦ふた

こころに穴が空いたような切ない音がする

あの雲の上は青い空

イタリアに続いていると思うと

こころが少し落ち着いたけど

今度は雨音で目が覚めて眠れない

日日是好日

2025年8月7日木曜日

別れ

 2ヶ月は長いとお思っていたが、過ぎて仕舞えばあっという間だった。

最後の晩餐会はジジのおはこ料理「ローストビーフ」と「フライドポテト」

盛り付けの時から孫は味見と称してローストビーフをつまんでは「うまい」の連発。イタリアのシャンパンとワインを楽しみながらの晩餐、ジジの目にえっまさかの涙が滲んでいる。うるさい、言うことを聞かないとさんざん文句を言っていたのに。今年の帰郷は特別だったのだろう。佐渡、瀬波の小旅行前の入院(腸閉塞)そしてコロナに罹り監禁生活と2ヶ月のうち、半分は病気との戦いだったから、ジジもだいぶ弱気になってきた不覚の涙だったようです。

孫は食事後に即興ダンス「ローストビーフの歌」をパート1からパート5まで自作自演で踊りまくっていた。ライムの入った爽やかな飲み物は、私の顔をいつもより早いスピードで赤く染め、起きていることは限界となりお風呂に入っておやすみなさい。ベッドに傾れ込む。しばらくすると最後だからと孫がベッドに入りババとジジの真ん中で眠る。

熱くて途中目を覚まして「氷の入った水が欲しい」と言う。僕になってジジはキッチンに行き氷水を持ってくる。孫の水を飲む音が聞こえる。これは家族の幸せ音だと寝たふりをしてベッドから起きないババは思った。

この日は朝から広島原爆の日、絶対に戦争はしては行けないと小学6年生の詠む記念式典だった。だからこそ、今の幸せに最高の感謝を感じる。

さて出発まで後数時間になってしまった。

日日是好日