2016年9月15日木曜日

栃尾駅から長岡駅へ

あの日は初めて、ふたりで長岡の映画館に行きました。

栃尾の駅前は西谷線や東谷線のバスがひっきりなしに到着したり、発車したりと
忙しない風景でした。
駅構内に入る前に左手に小さな売店があります。
街まで行かないと本屋さんはありませから、
毎週、おばばにねだり、発売日を目指しその売店に行くのです。
「マーガレット」のマンガ本を買うために。
売店から少し離れたところに、公衆電話がありました。
この頃、家にも電話はありましたが、
コソコソとこの公衆電話を使ったものです。

さて、初めてふたりで栃尾駅構内に入ります。
右端にベンチが並んでいます。
構内は結構広く、床はただのセメント張り。
左手に切符売り場。
切符はそれぞれがお金を出します。
いくらだったか忘れました。
車両は2台。
満席だったかどうかも覚えていません。
ふたりは椅子に座ります。私はもしかして、知っている人が乗っていたらどうしよう
とそればかり考えていて、終点長岡駅まで一言も話さなかった。
映画館に行き「007ロシアより愛を込めて」を見たような記憶ですが定かではありません。

お昼には地下の食堂に連れて行ってもらいました。
同級生なのに、こんなところに良く来るのだろうか
お金持ちの家庭なんだなと思いながらも
私にとっては、初めての場所です。
ソワソワ、ドキドキ。
チャーハンをいただきました。
それから、間も無く、電車に乗って、また話すことなく終点の
栃尾駅に戻りました。
駅で別れて、私は家路に
一体あの時何回声を出しただろうか
「同じものでいい」とぶっきらぼうに応えたことしか思い出せない。
遠い遠い昔話は栃鉄の想い出と一緒に
こそばゆく思い出す。

2016年9月13日火曜日

栃尾鉄道の想い出

映画祭後の打ち上げで栃尾から悠久山まで走っていた
栃尾鉄道の話題で盛り上がったそうです。私は参加していませんでしたが
そのお話をブログ上で読んでいると
私は5歳。初めて栃尾駅から遠い終点駅悠久山まで保育園の旅行。
今から58年前の記憶が懐かしく、少し寂しかった思い出が頭に浮かんできました。
幼少の私にとって一時間半くらいの時を大きな長四角の箱の中で過ごすのです。
しかも、走るのです。
夢のようなドキドキ気分です。
母の手作りワンピースを着て、ピカピカのリュックサックにお弁当を詰め
水筒を持って、電車に乗るのです。窓を開けると、風が私の顔を撫でます。
あんまり嬉しくて、顔も手も思い切って窓の外に出して叱られました。
座席に座ると、電車が揺れる度に小さな体全体に感じる揺れは
たまらない快感でした。
長四角の空間は魔法の動く玉手箱のようでした。
でも、一つだけ寂しかったことがありました。
それは、お友達みんなの付き添いはお母さんでした。
私は凄いおばあちゃん子だったけど
この時は母と一緒が良かった……。
今思い出すと、母ちゃんはもっともっと寂しかっただろうに。

2016年9月11日日曜日

一分間だけ




タイトルの「一分間だけ」にどんな想いが込められているのだろうか

少し、首をかしげながら読みました。作者は原田マハさん。
生後三か月で家族の一員になった犬とその家族のお話です。

ペットショップに並んでいる愛くるしい子犬を見ると
いつもほしくなります。
仕事やめたら犬を飼おうかなって
夫につぶやくと
決まってこういうのです。
「誰が毎日散歩するんだ」
「決まってるでしょ、私よ」と口をとがらせ反論するのですが。
わかっています。そう簡単でないこと。
おまけに我が家には「吾輩は猫」と自由気ままに人生を
謳歌しているアメリカンショートヘアーたるものがいるのですから
この猫は随分長生きです。16年くらい生きています。
老人たち(義父母)は100歳万歳確実だといつも思っています。
おまけにこの猫もそうなのです。
我が家で、病気で入院をするのは夫、娘、そして私なのです。
私のつぶやきは決まっています。
「ねえ、マメ!は良いよね。毎日働かないのに食事を与えられ、
おまけに自由気ままでさ、たまにはお母さんの替りに仕事してよ」
こんな毎日を送っている私に
この一冊の本は涙涙でした。

犬の名前はリラ・・・・・・。
リラは賢く、主人公の藍に大切なものは何かを教えてくれたのです。
藍はリラがいなければ、世話もしなくていい、仕事も出来る。
リラさえいなければと
この場面になるともう苦しくって苦しくって
涙が止まらなくなるのです。リラが可愛そうでなりません。
でも藍の気持ちもわかる私。

元同居人の恋人と主人公が、一番大切ことに気づいた時は
リラはもうこの世にいませんでした。でもリラは残してくれたのです。
石ころや雑草をみつけて遊ぶ世界がどんなに素敵なことか。

私は自転車で今日も通勤しました。
いつもより、ゆっくりと川や土手の草花に目をやり
リラが教えてくれた大切なものを感じながら・・・・・・。

このタイトル「一分間だけ」について私の感想を書いたら
まだ読んでいない方に失礼になるからここでやめておきます。
中盤から最後は涙を流しながら一気に読んだ一冊でした。
もしお読みになられた方がいたらこっそりと
ご感想を聞かせてください。
最後が切なすぎて・・・・・・。

2016年9月7日水曜日

栃尾の油揚げがつないでくれるもの

栃尾の風景と豆撰恒例の感謝祭が
動画になっております。
「栃尾の油揚げと人」をテーマに
五藤利弘監督より昨年撮影していただきました。


国内名水百選にも選ばれている杜々の森の湧き水など栃尾には
美味しい湧き水がたくさんあります。
この水が、「あぶらげ」に一番大切な素材である上質な大豆を育て、
また、「あぶらげ」づくりのなかでも使われています。
美味しい水がある土地には必ず美味しいものあります。
そして「あぶらげ」が人と人をつないでくれます。
そんな「想い」の動画です。
ここで、ちょっとお知らせ・・・秋葉神社の階段から街を見て
想いにふけっている後姿はサザエおばさんの私です。
いつの間に監督さんは撮ったのかしら
これもいい記念です。
一番この動画の中で、私が気に入っているのは
社長と妹のツーショットです。
合わせてご覧ください。


今年の感謝祭は10月8日、9日に企画しています。
皆様のお越しをお待ちしております。






2016年9月6日火曜日

久しぶりの自転車

心電図検診の結果は不整脈もなく良好とのこと
問題は血圧、下の血圧が高いのです。
でも、強情にも薬を拒否する私。

ならば食事療法と運動で改善するしかありません。
そういえば、ここ数ケ月まったく歩いていないのでした。
残暑厳しい毎日です。歩くにはちょっと抵抗あり・・・・・・。
自転車にしようと決意して、久しぶりに刈谷田川沿いを走ると
土手に朝顔の花がいっぱい咲いていました。
いつものおじさんが背をまるめ畑仕事をしていました。
心の中で「お元気でしたか? 」と声をかけ通り過ぎました。
高校前の橋を横切ると
男の子とおじいちゃんが見えてきました。
きっと、男の子は私のこと待っていたはずと意識過剰。
すると待っていたのはおじいちゃんの方だったようです。
私が声をかける前に
「おはようございます」と先を越されてしまいました。
それから
私はちょっとあわてて「お、おはようございます」と返しました。
それから、男の子が「おはよう!」

やっぱり自転車はよかった。
健康にもいいし・・・・・・。

2016年9月3日土曜日

鐘楼のふたり

青木ヶ原樹海の森で出会った若いふたりと初老の男性。
この撮影場所は映画「追憶の森」で渡辺謙さんが主演されていたところですが、
その映画よりも先に樹海を舞台に撮影された「鐘楼のふたり」は五藤利弘監督作品です。この映画の魅力は森の中の明暗です。若いふたりに降る、木漏れ日の美しさ、
癌に冒され、死に場所を求めた初老に射す影と光。
この美しさは自然光だからでしょうか?
私の憶測です。
最近の映画はCGばかりが目につく中で、私にとって「鐘楼のふたり」は癒しの映画のような、心に響くものでした。
そして、いつか誰にでも、迫ってくる老いに対して
前向きに、残された人生、後悔しないように、自分らしく生きたいと
思わせてくれる映画でした。
特にラストシーンの初老の男性が電車に乗る、若いふたりが見送るシーンに
残りの人生再出発の重さと優しさを伝える表現は五藤監督の持ち味であり、
こだわりかもしれません。

この上映の前に、「モノクロームの少女」に深くかかわった
俳優加藤武さんと恩人諸橋酒造社長の追悼フィルムが
音楽スネオヘアーさんの曲とともに回されました。

監督の想いに熱いものが流れたのは私ばかりではなかったのではないでしょうか。





2016年9月2日金曜日

後妻業の女 から学ぶ

後妻業という職業があるらしい。
豆撰は食品分類によると豆腐製造業となります。
ということは後妻業は詐欺師分類になるのでしょうか?

なんとも言えない!
老人男たちの本性なのだろうか!

その男たちを意図も簡単に、あっけらかんと操る
大竹しのぶさんの演技に、引き込まれてしまいます。
同世代の顔に、女優魂が感じられます。
素の彼女は、結構甘い声で、年齢に合わない話し方がちょっと鼻につくこともあるのですが
一度女優に変身すると、完全に役になりきっている、どの映画でもその迫力に
押されてしまいます。さすが大女優と納得します。
今回も、少し滑稽な笑いの中で、しっかり、完全後妻業の女を演じていました。
そして、男とはなんと単純動物なのかしらと地で演じていたように感じたのは
私だけだったでしょうか?特にあの方(Tさん)とあの方(Mさん)です。
後妻業の女に騙されても、殺されても、老人たちは満足して、
死に場所を見つけて逝ったような気がします。
ここで一番重大な鍵は
妻を亡くした老人を看取るのは、子どもだった時代は、もう遠い昔のこと。
そこで、「私よりも先にあの世に逝ってください」と夫に訴える私。
初老夫婦に待っているものは
孤独な老人ホームであり、家族葬は簡単便利の時代が確実がせまっているような・・・・・・。

いえ、そんなことは映画の世界です。
娘!お葬式の日くらい駆けつけてくれるはず?
と願うサザエおばさんでした。