2016年6月10日金曜日

邦題のつけ方について


映画のタイトルのつけ方についてNさんのブログを拝見しました。
The Bucket List」は「死ぬ前にやりたいことのリスト」くらいの意味だ。
長い邦題「最高の人生の見つけ方」がついている。
英語の原題を和訳するのが難しかったからだろう。
英語で「kick the bucket」は「死ぬ」ことを意味する言葉だが、その由来を調べると………
この邦題のつけ方についての英語解釈が書かれていました。
今まで私は日本で公開される映画の邦題についてあまり気にとめず、映画を観ていたようです。

そこで、この邦題「最高の人生の見つけ方」のDVDを
鑑賞することで、Nさんのブログを理解しようと思いました。

映画の内容も俳優も超一流ぞろいでした。
死がまじかに迫っている、初老のふたり。人生の最後に何がやりたいかを考え、
リストをひとつのひとつ消去していく映画でした。
映画のラストでの見せ場はなんといっても、死ぬまでにやりたいリストに
含まれていなかった「家族のもとへ」でしょうか
妻が一番大切な人であることに気づく老人、
決して自分を許すはずがない娘の子どもへキスをする老人。
そして、ふたりの遺骨を埋葬するために秘書は
エベレスト登頂を果たし、最終リストに線を引きます。
実はこの映画ではふたりの老人よりも秘書に私は心が動いたのです。

そして、「The Bucket List」は
邦題「最高の人生の見つけ方」とはまるで内容が違うことに気がつきました。
この邦題は未来に向かってであり、死に向っていくふたりにつける邦題ではないと
Nさんのブログにあらためて共鳴しうなづきました。


邦題ってどなたが考えるのでしょうか?日本映画なら脚本家だと思いますが
海外映画だとコピーライターさん?翻訳家?
あらまあ、また疑問がでてきてしまいました・・・・・・。

2016年6月9日木曜日

お月様にはウサギが住んでいたのです。

流しの隣に、大きな桶のお風呂が置いてありました。
風呂釜に、ぼいをくべ(小枝を入れること)、杉っ葉に火をつけ、薪を燃やして、お風呂を沸かす、昭和30年代。

ある日、きちんと脱衣所のあるお風呂場を造ることになりました。
その工事の間、桶のお風呂は庭の真ん中に移されました。
臨時のお風呂は足元も見えない暗闇です。
灯りといえば、お月様とお星様だけです。父に抱かれて湯に浸かり空を見上げると、そこは、おとぎの世界でした。
温まった体にそよそよと風が吹きます。
なんて気持ちのいいことでしょうか。
そして、父は必ずこの話を毎回するのです。
「あのお月様にはウサギが住んでいて、餅をついているんだぞ」
私は、じっーと、瞬きもせず月を眺めるのです。
透明に輝くお月様の真ん中に臼があって、
うさぎが杵を振り上げ、ぺったんこ、ぺったんこと餅をついている音まで聞こえるのです。
庭に置かれた、桶のお風呂は私にとって最高の物語世界でした。
だから、新しいタイルのお風呂が出来上がると、がっかりして
しまいました。

この幼い頃の想い出が忘れられなくて、自宅のお風呂の窓は大きくしました。
もちろん、夫の反対を押しきって透明のガラス戸にしました。

ところが、家の周りには、街灯の灯りや家が建ち、
大きな透明ガラスは、今ではすだれで覆われてしまいました。
懐かしく、遠い遠い昔の話。
豆撰のスタッフのほとんどが、人間が月面到着してから生まれたそうです・・・・・・。


2016年6月8日水曜日

お中元に新発売決定しました!





昨年から力を入れ取り組んだのは、栃尾の油揚げを使ったお惣菜づくりです。
そこでポイントになったのは味付けをどうするか、
つまり「家庭の味」をどう再現するかでした。
お惣菜は、それぞれの家庭で、それぞれの味がありますから、
どんな味付けにすればお客様に喜んでもらえるか 、スタッフみんなで、考えました。
まず、子どもから大人までそして高齢者まで、美味しいと食べられる味付けにする。

そして、なんといっても健康食であることです。
これらの条件を満たすためには、何がいいのだろうかと話し合いの結果、野菜もお肉も入って栄養バランスが良く、栃尾の油揚げの素材の味をいかせるよう塩分は控えて薄味に。その分、しっかりと出汁のうまみがしみた味付けにする、などなど。
それ以外に、食べやすさなども考えて出来上がったのはが「あぶらげロール巻」です。

今年の夏ギフトに、ご家庭の団欒におすすめする豆撰の自信作です。
是非一度お試しください。





 

2016年6月5日日曜日

「酔いどれ天使」を観て

1948年制作映画「酔いどれ天使」を夕べ観ました。
私が生まれる7年前の映画です。
戦後の闇市、ヤクザなどを背景に、当時の社会を映し出しています。
この映画がはじまると三船敏郎さんが主役と思っていたのですが、
出演の字幕一番に志村喬さんの名前がでてきて、少し驚きました。
観終わると、どちらが主役なんて関係のないことがわかりました。
ふたりとも体当たりの素晴らしい演技だったからです。

志村さんは庶民派の貧乏医師真田役です。
自分のお酒がなくなると、医薬品のアルコールを
お湯で薄めて飲むシーンやどぶ水の溜まりに写る瓦礫や建物に、
この時代の世相を感じます。
闇市で商売をしている、ヤクザ松永役は三船敏郎さんです。
若い時の三船さんはとてもハンサムで
時代劇とは全く違った雰囲気です。
それは、さておき、
気迫の演技に背筋がゾクゾクしました。
それと同時に、この時代の医療器具、医療施設を見ていると
私の生まれた昭和29年から東京オリンピックまでも
こんな感じだったと切なくなりました。
結核に冒された松永は、真田医師に更生と病気の完治を委ねながらも、
一度辿った世界からは、なかなか抜け出せないのです。
そして、返り討ちに合い、ついに命を落としてしまいます。
黒澤監督のシナリオには、松永が更生し、
病気を治す筋書きはなかったようです。
それは、人間の弱さを、ありのままに表現したかった
黒沢監督の信念だったのでしょうか。
ラストに若き日の久我美子の初々しいセーラー服姿が、
重い映画に一筋の明かりをもたらしてくれました。
結核に負けず、一生懸命病気と闘う少女に医師真田は、「人間は
理性を持って生きなければならない」と諭すラストシーンは心に響きました。


この映画で残念だったのは、音声の悪さです。
なかなかセリフが聞き取れないのです。もちろん画面は白黒です。
この2点が現代映画と大きく違う点です。
それなのに、
この2点は、懐かしく、心に血が通うのです。
それは、CDで聞く音とレコードで聞く音の違いのように、
機械揚げと手揚げのあぶらげの違いのように心に響くのです。

この映画を観ている時間、私はその時代を彷徨い、想像を巡らすのです。
セピア色の写真をながめるように・・・・・・。

2016年6月4日土曜日

初老の友ふたりが介護する母



友達のお母さんは91歳、軽い認知症。
私の母は85歳、認知症である。
車の運転は友達。私は助手席に乗り、
ふたりの母は後部席に乗ります。
私たちは、たわいもない、家族の話や仕事の話。
最近観た映画や今読んでいる本について、
ワイドショーなみに次から次へと話題が変化します。
時々、後部席の母たちに
「信濃川が今日は綺麗でしょ、温泉に行くんだよ」と
声をかけ、気を遣います。
海が見えてくると、お友達のお母さんは、
「いい天気で、連れてきてもらってよかった」と感嘆の声をあげます。
私の母は、ただ、ニコニコとうなずくだけ。
海の向こうに見える佐渡をながめながら、湯に浸かる、至福の時。
お風呂で、私たちより少し年配の方に
「お母さんですか?親孝行ですね」と声をかけられ、
友とふたりで顔を見合わせ、
ついでの親孝行も悪くないと自己満足する友と私。

大広間は四人だけでした。
大きな窓から眺める水平線が幾分弧を描いている。
静かに寄せる穏やかな波。
ここは日本海、太平洋なら娘の住む海にまっしぐらなのにと
つぶやく私・・・・・・。
大きな窓からトンビが優雅に舞っている姿を発見したのは
友達のお母さん。しばらくその飛行を楽しむ。
電信柱に止まり、右の方向を見ているのです。
すると、右方向からもう一羽のトンビがやってきました。
それぞれが、電信柱に止まって、しばらく休憩しています。
私たちもトンビの姿を黙って見つめていました。

いつの間にか、少し余裕ができ、認知症の親をみる歳なった私たちです。
嬉しいような、さみしいような複雑な気持ちでしが
「また。4人で来ましょう」と約束をし、温泉を後にしました。

2016年6月3日金曜日

あらためてオバマ大統領の広島スピーチに想う

先日何回も書き直した
オバマ大統領のスピーチについて
もう一度、書いてみたいと思いました。
その理由は、あのスピーチの原稿をオバマ大統領は専用機の中で何回も書き直しを
していたと、ニュースで取り上げられたからです。
私は、オバマ大統領が何回も書き直した完全版を
読むことなく、ブログを書いたことがとても恥ずかしくなりました。
そして、今一度完全版を読みました。

平和への願いを、アメリカの大統領が大統領の立場ではなく、
「私たちが愛する人のことを考えるためです。朝起きて最初に見る私たちの子どもの笑顔や、食卓越しの伴侶からの優しい触れあい、親からの心安らぐ抱擁のことを考えるためです。・・・・・・」
この部分のスピーチは
オバマ大統領が私と同じ目線、気持ち、同じ血が通っていると心の底から思え
感謝と感動で胸がいっぱいになり、とめどなく涙があふれてしまいました。

私が生まれてから、日本は戦争を繰り返すことはありませんでした。
しかし、世界中ではいつも、戦争やテロがあり、人々はその恐怖ばかりでなく
多くの人々が肉親、友を失っています。
オバマ大統領の、この一節は全世界の人たちみんなの変わらない願いだと思います。
子どもを、伴侶を、そして友を愛する気持ちを考え、想いだしたら、
きっと、きっと戦争のない時代がくることでしょう。
そう願う気持ちにさせてくれた、演説でした。



2016年6月1日水曜日

もみじいちごの想い出



最後の筍採りに出かけた夫が持ち帰ってきたものは
懐かしく、甘酸っぱい味の「もみじいちご」の写真でした。
私たちの子どものころは「さがりいちご」と呼んでいました。

父と母と私は、山道を上り、沢にある田んぼに向います。
その途中で、母は手を伸ばし「さがりいちご」を
ふきの葉いっぱいに採ってくれます。わたしの大好物のおやつでした。
父と母の田植え姿をみながら、さがりいちごを食べたり、田植え最中なのに
おたまじゃくしを捕まえてとダダを言ったりする私。
田植えを終え、日が沈むと、苗の入っていた馬かごに
私は乗り、ゆらりゆらりとゆられ、いつの間に眠ってしまい、
家の前で起こされるのです。
なんてのどかな、平和なしあわせの日々だったことでしょうか

「お父さん、食べてみた?〜美味しかったでしょ、採ってきてほしかったな」と
私が残念そうに訴えると「昔みたいに甘くなかった、酸っぱかったぞ」と応える夫。
幼少の時食べたさがりいちごが最高のおやつに思えたのは美味しいものがなかった
時代だったっただけではありません。
親子、友達たちが一緒に過ごす大切な大切な時間だったと思うのです。