昨日は名古屋への出張でした。
行きはよいよいです。
新幹線を乗り継ぎ、地下鉄2本を乗り継ぎ
その間、駅員さんに2度質問しました。
最終駅は市役所です。
どうにかこうにかたどり着きました。
さて、目的地はどこになるのかと、案内板を見ていたら
なんと、同じ書類を持っている青年に出会いました。
これはラッキーでした。
おばさんパワーで
「私も同じところに行きます。ご一緒させてください」
とお願いしました。
最初は怪訝な表情でしたが、とにかく一緒に目的地に行くことができました。
そして、おばさんパワーを発揮して、
「お昼は、もう食べましたか?」と尋ねたら
「いいえ」とのことでした。と言うことで会場のレストランに入りました。
若い青年は、食事を一緒にすることでリラックスできたのでしょうか
いろいろなことを質問してきました。
青年は、沖縄産のマンゴ販売からたくさんの種類の果物を手広くやっている方でした。
お互いの家族のことまで話はとんとん進み、楽しい時間を共有できました。
ここで間違わないでください。
いつも知らない人におばさんだからと言って声をかけているのではありません。
今回が初めての経験でした。
やみつきにならないように心がけます。
無事会議も終了し、急いで東京へ・・・・・・。
息子のような存在のSさんと食事、その後ホテルまで送ってもらいました。
疲れていたせいかいつもは4時前に目が覚めるのですが、時計は5時を指していました。
お風呂に入り、身支度を整え、忘れ物がないか確認を2回して
東京駅に向かいました。
7時の新幹線に乗ろうと改札口に切符を入れたら
戻ってきてしまいました。
あまり丁寧でない女性の駅員さんに
「お客さん特急券がないでしょ」ととがめられ・・・・・・探しまくったのですが・・・・・。
もう時間がないのであきらめ、再度特急券を買い、急いで新幹線座席に腰を下し
鞄の中から本を取出そうとしたら、鞄の中のポケットから特急券が 顔を出していました。
娘にメールしたら、「さすが礼子さんだね、サザエも顔負け」と答えが返ってきました。
2015年10月29日木曜日
壁紙ってなあに?
映画監督のTさんとのメールやり取りの中で、ある写真が話題になりました。
そこで、私は「その写真を持っているかもしれません、探してあったら送りますね。」と
返信。
すると・・・・・・
「壁紙にしていたのでしょうか」と質問されました。
我が家は壁紙の部屋は娘の部屋だけである。
娘の部屋はまっ白い壁紙である。
ほかの部屋は全部白壁だから・・・・・・。
その写真を飾った部屋はない・・・・・・?。
返信ができませんでした。
豆撰に来て若い子に尋ねてみました。
「ねえ、ねえ家には壁紙ないんだけどさ・・・・・・?Tさんから壁紙にしていたのでしょうか?
って聞かれたんだけど、何のこと?」と聞いてみました。
「礼子さんのブログかFBの壁のことだと思いますけど」と答える若い子の
心の中は笑っていました。
「そうなのね、それって専門用語?Tさんに聞かなくてよかった」と
今度は私ひとりで大笑いしました。
そこで、私は「その写真を持っているかもしれません、探してあったら送りますね。」と
返信。
すると・・・・・・
「壁紙にしていたのでしょうか」と質問されました。
我が家は壁紙の部屋は娘の部屋だけである。
娘の部屋はまっ白い壁紙である。
ほかの部屋は全部白壁だから・・・・・・。
その写真を飾った部屋はない・・・・・・?。
返信ができませんでした。
豆撰に来て若い子に尋ねてみました。
「ねえ、ねえ家には壁紙ないんだけどさ・・・・・・?Tさんから壁紙にしていたのでしょうか?
って聞かれたんだけど、何のこと?」と聞いてみました。
「礼子さんのブログかFBの壁のことだと思いますけど」と答える若い子の
心の中は笑っていました。
「そうなのね、それって専門用語?Tさんに聞かなくてよかった」と
今度は私ひとりで大笑いしました。
2015年10月27日火曜日
私の記憶
新聞をあまり読まない私ですが
読売新聞の編集手帳だけは目を通すようにしています。
今日はとてもいいお話でした。
学生の時に出会った本について書かれていました。
井上靖の「北国 」の中に
比良のシャクナゲと題する詩集が編集者の方にとって
深い想い出のような記事でした。
比良のシャクナゲは行ったことも見たことまありませんが
この記事を読みながら
遠い昔を思い出しました。
40代後半だったのだろうか、年齢が思い出せない。
夫とふたりで白馬登山をした時です。
私にとって、本格的な登山デビューでした。
前日に白馬麓に宿泊し、雪渓を歩く計画でした。
当日の天気は、生憎の雨でした。
登山口には登る人とあきらめる人で大騒ぎ状態。
私は、なかなか連休が取れません。
豆撰の3日間の夏休みを利用した、一大決心だったのです。
登山口に同年齢の大阪大学の先生家族と出会いました。
「登りますか?諦めますか?」とお互いに決断できずに
いました。結局その先生家族も休みが取れない、この機会を逃したくなと言うことでした。
今思えば、とても無謀なふた家族でした。
雪渓は崩れた個所があり、迂回路を廻りました。
谷から流れる洪水は橋を見えなくしてしまいました。
雨のために、景色などまったく見えないのです。ようやく山小屋についたと思ったら
そこは避難小屋でもなく…私たちはその小屋の前 で持参した三角ちまきを立って
ずぶ濡れのまま食べました。それでも食したことで少し元気がでて
休まずにまた歩き続けました。頂上手前の山小屋にたどり着いた時の
安堵感は言葉にあらわせません。
体を休め、頂上に見える私たちの宿泊する山小屋をめざしまた歩きました。
たどり着きストーブで体を温め、荷物を乾かす。ビニール袋につめた
着替えまで濡れていました。
そして、一晩を過ごし、翌日は雨ではありませんでしたが視界は悪く
霧の中です。
頂上で絶賛することもなく尾根を歩きました。時々霧がひくと
チングルマなどの野草が広がっているのです。
その花の美しさは下界にはない何百倍も美しいのです。
それから、たぶん乗鞍を目指して下山したと思うのですが・・・・・・。
その山までが私にはきつい、きつい。背丈を超えそうな石を上っては下りなければならないのです。
その山はシャクナゲの山でした。
「お父さん、これみんなシャクナゲだよね。これが咲いたらどんなにきれいかしら?」
と叫ぶ私。
それまでは、一歩一歩が重くて前に進まなかったのです。仕事の辛さを思ったら
こんなことくらい我慢できる。頑張らなければ。いやもう二度と来ないぞ。と心と体の葛藤と限界を感じながらの下山だったのですが・・・・・・。
咲いていないシャクナゲの山は私に想像させる力がありました。
頭の中で描くシャクナゲの花は目の前に、私の後ろに映って見えるのでした。
今ならこんな無謀なことは決してしません。
でも、この時の記憶をたどってみると
この仕事につき栃尾の油揚げを作りながら、大変な毎日を過ごしたことが
昨日のようによみがえってきました。
きっと、神様がシャクナゲの花を私に見せてくれたのです。
頑張りなさい。人生はこんなものではないのです。ひとつひとつ
乗り越えるために、あなたは生きているのですと・・・・・・。
今もその続きの人生です。
読売新聞の編集手帳だけは目を通すようにしています。
今日はとてもいいお話でした。
学生の時に出会った本について書かれていました。
井上靖の「北国 」の中に
比良のシャクナゲと題する詩集が編集者の方にとって
深い想い出のような記事でした。
比良のシャクナゲは行ったことも見たことまありませんが
この記事を読みながら
遠い昔を思い出しました。
40代後半だったのだろうか、年齢が思い出せない。
夫とふたりで白馬登山をした時です。
私にとって、本格的な登山デビューでした。
前日に白馬麓に宿泊し、雪渓を歩く計画でした。
当日の天気は、生憎の雨でした。
登山口には登る人とあきらめる人で大騒ぎ状態。
私は、なかなか連休が取れません。
豆撰の3日間の夏休みを利用した、一大決心だったのです。
登山口に同年齢の大阪大学の先生家族と出会いました。
「登りますか?諦めますか?」とお互いに決断できずに
いました。結局その先生家族も休みが取れない、この機会を逃したくなと言うことでした。
今思えば、とても無謀なふた家族でした。
雪渓は崩れた個所があり、迂回路を廻りました。
谷から流れる洪水は橋を見えなくしてしまいました。
雨のために、景色などまったく見えないのです。ようやく山小屋についたと思ったら
そこは避難小屋でもなく…私たちはその小屋の前 で持参した三角ちまきを立って
ずぶ濡れのまま食べました。それでも食したことで少し元気がでて
休まずにまた歩き続けました。頂上手前の山小屋にたどり着いた時の
安堵感は言葉にあらわせません。
体を休め、頂上に見える私たちの宿泊する山小屋をめざしまた歩きました。
たどり着きストーブで体を温め、荷物を乾かす。ビニール袋につめた
着替えまで濡れていました。
そして、一晩を過ごし、翌日は雨ではありませんでしたが視界は悪く
霧の中です。
頂上で絶賛することもなく尾根を歩きました。時々霧がひくと
チングルマなどの野草が広がっているのです。
その花の美しさは下界にはない何百倍も美しいのです。
それから、たぶん乗鞍を目指して下山したと思うのですが・・・・・・。
その山までが私にはきつい、きつい。背丈を超えそうな石を上っては下りなければならないのです。
その山はシャクナゲの山でした。
「お父さん、これみんなシャクナゲだよね。これが咲いたらどんなにきれいかしら?」
と叫ぶ私。
それまでは、一歩一歩が重くて前に進まなかったのです。仕事の辛さを思ったら
こんなことくらい我慢できる。頑張らなければ。いやもう二度と来ないぞ。と心と体の葛藤と限界を感じながらの下山だったのですが・・・・・・。
咲いていないシャクナゲの山は私に想像させる力がありました。
頭の中で描くシャクナゲの花は目の前に、私の後ろに映って見えるのでした。
今ならこんな無謀なことは決してしません。
でも、この時の記憶をたどってみると
この仕事につき栃尾の油揚げを作りながら、大変な毎日を過ごしたことが
昨日のようによみがえってきました。
きっと、神様がシャクナゲの花を私に見せてくれたのです。
頑張りなさい。人生はこんなものではないのです。ひとつひとつ
乗り越えるために、あなたは生きているのですと・・・・・・。
今もその続きの人生です。
2015年10月26日月曜日
介護の問題
90歳の義母は90歳の夫を介護しています。
今年に入ってから急に認知症の症状が進みました。
私は実母を看ているので、進行具合や症状を理解することはできます。
義父がひとりで着替えをすると、後ろ前が反対になったり、
食卓に並んだものを順番に食べられなくなったりしています。
今朝はデザートから食べていました。
時々は夜と朝が逆にもなります。
もともと会話を楽しむ方ではない性格の上
男尊女卑が昭和になっても、平成になっても変わらない。
男社会人間の義父でした。
夫婦とは愛情が感じられなくても成り立つものです。
義母にとっては自分の一部のようなところがあります。
なんで、どうしてできないのか
バカになったのか・・・・と認知症を認められない日々が続きました。
それでも、最近は
仕方ないというようになりました。
週3度のデーサービスの身支度すべて90歳の義母が
頑張ってやっています。
気丈な性格の義母は私にはほとんど何かを依頼することはありません。
洗濯、掃除も自分でやります。
私の方が、家庭のことはほとんどしない。しないというより
できないといった方がよいかもしれません。
20歳から働き続け、今日も明日も働くでしょう
だから、私は老老介護の大変なことを感じながら
なるべく、あたらずさわらずの鬼嫁状態です。
どうか、義母が今のまま元気でいてくれますようにと
願いながら・・・・・・。
栃尾の油揚げの読み方は?
栃尾では「あぶらげ」といいます。
朝に、夕にあぶらげは食卓に並びます。
今年に入ってから急に認知症の症状が進みました。
私は実母を看ているので、進行具合や症状を理解することはできます。
義父がひとりで着替えをすると、後ろ前が反対になったり、
食卓に並んだものを順番に食べられなくなったりしています。
今朝はデザートから食べていました。
時々は夜と朝が逆にもなります。
もともと会話を楽しむ方ではない性格の上
男尊女卑が昭和になっても、平成になっても変わらない。
男社会人間の義父でした。
夫婦とは愛情が感じられなくても成り立つものです。
義母にとっては自分の一部のようなところがあります。
なんで、どうしてできないのか
バカになったのか・・・・と認知症を認められない日々が続きました。
それでも、最近は
仕方ないというようになりました。
週3度のデーサービスの身支度すべて90歳の義母が
頑張ってやっています。
気丈な性格の義母は私にはほとんど何かを依頼することはありません。
洗濯、掃除も自分でやります。
私の方が、家庭のことはほとんどしない。しないというより
できないといった方がよいかもしれません。
20歳から働き続け、今日も明日も働くでしょう
だから、私は老老介護の大変なことを感じながら
なるべく、あたらずさわらずの鬼嫁状態です。
どうか、義母が今のまま元気でいてくれますようにと
願いながら・・・・・・。
栃尾の油揚げの読み方は?
栃尾では「あぶらげ」といいます。
朝に、夕にあぶらげは食卓に並びます。
2015年10月25日日曜日
るろうに剣心をみる
初めて観る映画でした。
残念なことに映画館ではありませんが
私が想像していた映画とは全く違っていました。
幕末の時代背景の中で
生きることは何かを訴えているような映画でした。
動と静が絶妙に計算されている。
主人公の動きに戦いと言うより、爽快なリズム感とスピード感は観る人を引き込む。
悪役の香川照之は
どうして、あんなに憎々しい演技ができるのだろうか?
俳優と役柄は違うはずなのに、もう嫌いと言いたくなる演技力である。
少しオーバーなのは歌舞伎役者でもあるからなのか・・・・・・。
アクションにも今までの時代劇と違って、動きの中に美があるようだ。
結構、登場人物の白黒がはっきりとしている映画である。
イエス、ノーのはっきりしている外国の方にも受けるような気がしたのは
私だけなのだろうか。
後編もあるらしい。見逃さないようにしなければならないと
思った。若者に影響力が強い映画かもしれないが
還暦過ぎの私にも面白い映画だった。
10月ふるさと割商品です!
残念なことに映画館ではありませんが
私が想像していた映画とは全く違っていました。
幕末の時代背景の中で
生きることは何かを訴えているような映画でした。
動と静が絶妙に計算されている。
主人公の動きに戦いと言うより、爽快なリズム感とスピード感は観る人を引き込む。
悪役の香川照之は
どうして、あんなに憎々しい演技ができるのだろうか?
俳優と役柄は違うはずなのに、もう嫌いと言いたくなる演技力である。
少しオーバーなのは歌舞伎役者でもあるからなのか・・・・・・。
アクションにも今までの時代劇と違って、動きの中に美があるようだ。
結構、登場人物の白黒がはっきりとしている映画である。
イエス、ノーのはっきりしている外国の方にも受けるような気がしたのは
私だけなのだろうか。
後編もあるらしい。見逃さないようにしなければならないと
思った。若者に影響力が強い映画かもしれないが
還暦過ぎの私にも面白い映画だった。
10月ふるさと割商品です!
2015年10月23日金曜日
あの日の今頃
11年前。
あの日は今日よりも寒かった。
工場はお掃除中、
ドカーンと揺れる。豆撰の座敷の戸が2メートルくらい飛んだように思えた。
ヤマトのお兄ちゃんが集荷中、豆撰の屋根の瓦がバシャン、ガガガガーと
ものすごい音を立て落ちる。
事務所のパソコン、本はちらかり・・・・・・。
私は水害で家を失った。神様は今度は豆撰まで奪ってしまうのかと
絶望の淵にたたされたのです。
余震の大きさに我を取戻し、
工場の電源をすべて切るように指示し、みんなでスーパー駐車場に避難する。
携帯は全くつながらない。何が何だかわからない恐怖でその場から動けなくなる。
7時をまわって、ようやく揺れがおまっていることを確認して
みんなを自宅へ返す。
夫と連絡が取れた時は
お互いに大丈夫だったことに胸をなでおろす。
新築中の我が家は明日 は建前のはず・・・・・・。
それから、夫は役所に飛んでいく。
この日から私たちは仮設の我が家で
枕元にはリュック、寝間着は着ない、ジャージで寝る。
水害の教訓から準備はよかった。
100年に一度だと言われた水害から3か月で大きな地震を体験してしまった。
これ以上の災害参事はないのではと思った。
あの津波が来るまでは・・・・・・。
今、生きていることに感謝しなければならない。
そして、生きることを大切に思わなければならないはずである。
あの日は今日よりも寒かった。
工場はお掃除中、
ドカーンと揺れる。豆撰の座敷の戸が2メートルくらい飛んだように思えた。
ヤマトのお兄ちゃんが集荷中、豆撰の屋根の瓦がバシャン、ガガガガーと
ものすごい音を立て落ちる。
事務所のパソコン、本はちらかり・・・・・・。
私は水害で家を失った。神様は今度は豆撰まで奪ってしまうのかと
絶望の淵にたたされたのです。
余震の大きさに我を取戻し、
工場の電源をすべて切るように指示し、みんなでスーパー駐車場に避難する。
携帯は全くつながらない。何が何だかわからない恐怖でその場から動けなくなる。
7時をまわって、ようやく揺れがおまっていることを確認して
みんなを自宅へ返す。
夫と連絡が取れた時は
お互いに大丈夫だったことに胸をなでおろす。
新築中の我が家は明日 は建前のはず・・・・・・。
それから、夫は役所に飛んでいく。
この日から私たちは仮設の我が家で
枕元にはリュック、寝間着は着ない、ジャージで寝る。
水害の教訓から準備はよかった。
100年に一度だと言われた水害から3か月で大きな地震を体験してしまった。
これ以上の災害参事はないのではと思った。
あの津波が来るまでは・・・・・・。
今、生きていることに感謝しなければならない。
そして、生きることを大切に思わなければならないはずである。
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