2015年2月12日木曜日

2泊3日の仕事と読書と観光1

広島には仕事で行きました。
上越新幹線から東海道新幹線へ乗り継ぎ6時間の長い電車の旅が始まりました。
日頃読めない本の上下2冊を持ちこみました。

本の中には「ナカタさん」という猫語が話せる人が繰り返し登場してきました。
仕事先は広島の郵便局さんです。
説明会場に着くと、塀の上に「ナカタさん」のお友達猫が乗っているではありませんか。
私は早速猫さんに御挨拶、私も今回持参した本に出てくるナカタさんのように少し
猫語が話せるような気がして・・・・・・。
「あなたは海辺のカフカから抜け出していらっしゃったのですか?」
そっと近寄ると、私の言葉がわかったのかどうか、逃げることなく
私と目を合わせ、
「いやあ、まあね、あんた新潟から来たのかい、ご苦労さんだね」と
私かデジカメを取り出すと、「私は写真は嫌いだよ」とあっちを向いてしまいました。
この写真の猫さんとの挨拶が終わってから会場に入りました。
仕事の事はとても、とても大切なことですが、ちょっとここでは省略いたします。後ほど
書かせてもらいます。
本は電車の中で上巻の2/3ほど読み終えていました。
さて、広島といえば原爆ドームです。一番最初の見学地でしたが
なんと、改修中でした。
ドームの前に資料館へ
この資料館はとても、とても怖くなり、恐ろしくなり
途中で観光案内ガイドのテープを切ったり早送りしたりしました。
何故なら、資料館のなかで「白血病」になってしまった写真が
私には、切なくとても人事に思えなかったからです。被爆者の体の
斑点模様が痛々しく目には入ります。そして、亡き父を思い出し胸が苦しくなりました。
原爆投下の時、広島にいたわけではありません。 父は当時15歳くらいでした。
その父が74歳で命を落とした、その原因のひとつが
「悪性リンパ腫」だったのです。
写真の斑点と父の斑点がどうしても重なり離れません。
一緒に同行した娘は「どうして、お母さんは妄想するの、全く関係ないとは言わないけど」と
叱られましたが・・・・・・。目に見えない放射能はきっと父の体を蝕んだ1つであるかもしれない。
それから、資料館を進むに連れて、原子力の威力や投下してしまった国
その他、戦争、テロなどのことが頭の中にいっぱいになり、パニックの海となりました。
続きは次回へ。

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