2016年7月28日木曜日

沖縄の海を見つめ


夕暮れの沖縄、写真を撮る暇も余裕もなかった。数枚しか残っていませんでした。

病が見つかってから半年後の出来事です。
手術不可能で、抗がん剤もワンクール試みただけ。
レントゲンに写っているのは、悪魔の群衆でした。
肺から骨、肝臓に転移。脳にも悪魔たちは押し寄せていました。
誰が考えても、奇跡は起こらない最悪の状況でした。

12月は事の外、豆撰は忙しい。
1年中で一番忙しく、一番の稼ぎ時なのです。
今ほど、ネットやFAXがまだまだ浸透していない時代でした。
鳴り続ける電話の注文に、ありがたいと思いながらも悲鳴をあげていました。
私も若く、妹はもっと若かったのでなんとか交代であぶらげ製造と事務
をこなすことが出来ました。
助っ人に従妹をお願いし、夜に伝票作りです。
従妹にも仕事があるのに、よく手伝ってくれました。
今思うともっともっと感謝しなければならなかったと思います。
家に帰るのは夜10時を回っていることが多く、家には寝に帰るだけでした。
夫も祖父母も娘も、文句ひとつ言わず、私の大変さを見守り、協力してくれました。

ようやく、お歳暮の贈り物を無事にお客様の元へ届け終わった12月31日。
娘(大学生)を連れて、決行したのです。
本当は夫と一緒に行くはずだったのですが
夫の温かい申し出、「娘と叔母さんは血がつながっている、他人の俺が行くよりいいだろう」
夫に感謝しながら大晦日に出かけたのです。
青い海を見せるために。

叔母夫婦と私と娘4人の「思い出旅行」が始まりでした。

全く準備をしていない私はカバンに適当な着替えとお財布、
そして全てのチケットを詰め込み、娘といざ出陣。
新潟空港からの出発です。叔母夫婦は越後湯沢から新幹線に乗り、
私たちと長岡で合流するはずでした。
夫から長岡駅まで送ってもらい、行ってきまーす。と喜び勇んで新幹線乗り場に向かうと、
危機一髪、新幹線は直ぐに到着です。
ふたりで慌てふためき、乗り込む。この日の新幹線の混雑は想像以上でした。
これでは、叔母夫婦を見つけることは不可能、新潟駅にて合流するしかないと思い
走る新幹線の外を眺めていると、反対車線に叔母夫婦が立ってみえるではないですか?
えっ、どういうこと。私たちは、いえ正確に申せば娘の後をついて行った先は「上り」
ホームだったのです。
命の限り叔母を楽しませてやりたかった思い出旅行は
出だしから、ハラハラドキドキの開幕となってしまいました。
さてはてどうなったことでしょうか
この続きは次回に……。

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