2016年5月26日木曜日

献体とは

FBのお友達Eさんの投稿を読ませていただきました。
Eさんのお母さんは生前、献体をご希望なさり登録なさっていたとのこと。
多くの患者のために捧げたご自分の体、尊敬のふた文字でした。
「献体」の文字と慰霊祭の菊の花から、献体の意味を想像しながら、とても気になっていたのです。

それには訳があります。
もう15年も前のことです。私には姉妹のように仲良しの叔母がおりました。
叔母は56歳のある日、宣告を受けました。
私はその日から、一年間病院と叔母の家に通い、励まし続けました。
それでも、あらゆる場所に転移した細胞は、叔母の骨を食い荒らし、壮絶な痛みを課したのです。叔母の生前の言葉の中に「私は今まで悪いことは一つもしてこなかったのに、どうしてなの?」問われる言葉に絶句でした。「苦しいのは姉ちゃんだけでないよ、家族も私もみんな苦しいのだから」と私は血も涙もないような返答をしました。今なら「そうね」と一緒に涙を流したでしょう。泣き虫の私なのに、叔母が天に召される、その時まで涙を流しませんでした。その、すぐ直後に、家族と私の父に主治医から解剖の要望がありました。家族の出した答えは「no」でした。
父はそっと耳元で「礼子の気持ちはわかる、でもここは子供達の気持ちを優先してやらなければならないぞ」と言いました。私の目には溢れんばかりの涙がいっぱい溜まり、胸が苦しくなったことを昨日のように覚えています。

この経験から15年が過ぎ、FBのお友達の投稿で、知った「献体」について私はどうしたいのか、私の娘はどうするのだろうかと結論の出ない迷路に入っています。

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