2016年5月5日木曜日

ラスト

カテーテル治療を終えた私は、仕事に対する意欲のなさから、二冊の本を読み、三本の映画に没頭しました。私の治療結果は良好であり、快適な生活に入っているはずなのに、この二度とやりたくない治療経験が私に本や、映画の「ラスト」を考えさせるのです。ラストとは事の終了と命の終わりのふたつがあるような気がしました。まずは命の終わりとは、病に倒れてしまうこと。もうひとつは外部接触によることがあります。病は仕方がないことと、最後は諦めてしまいます。死を経験していないので、看取る側の立場からです。諦めることなく、死を迎えるとしたら、老衰でしょうか。
私の思ったラスト、私の想像する未来ラストに意見を申し立て、感動を与えてくれた本「キネマの神様」では、アメリカの友人の死に深い哀しみ、立ち直れそうにない絶望から、立ち上がる80歳の老人とその仲間の素晴らしさに思わず涙があふれるのでした。
映画「あん」も悲しみの中で、妙に納得する諦めが私の心にありました。ラストシーンで樹木希林さん演じるハンセン病の老人が若者たちに生きることの大切さを伝えて、この世から去ってしまう、じーんと心に届くのです。
外部接触には、自動車、飛行機などの事故、そして熊本地震、その前には津波などがあります。私自身、家屋の倒壊を経験し、命拾いをしているのですから、実に運の強い人間だと思っています。また、今回の心臓カテーテル治療でも命を救ってもらい二度の運をいただいたのです。
それにしても事故、殺人ともいえるかもしれない「レヴェナント」と「追憶の森」では納得のいかない、興奮が怒りに変わってしまうのです。それが肉親だったらと思うと、想像できない苦しみでしょう。「なぜ」「どうして」と映画の中と現実の世界を彷徨い、悔しさみたいなものがこみあげてきました。こんな残酷な映画をなぜ作るのかとさえ思うほどです。
ところが、映画の中のラストには未来の光が朝陽のように射してきました。
生きることへの希望は、亡き人から与えられているのかもしれないと・・・・・・。
私にその時ラストが来たときは、病でしょうか、事故でしょうか 、誰にもわからないラストです。
できるならば、生きてきたことに感謝し、親愛なる友や肉親に見守ってもらいたいラストをキネマの神様に今からお願いしておきます。

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