2018年12月19日水曜日

父の形見ビッツとのお別れ


晩年の父はとても質素倹約の人だった。
母とよく日帰り旅行を楽しんだ。
その頃は、おにぎりと水筒を必ず持って行った。
「美味しいもの食べてくればいいのに」と言うと
「いいんだ、ばあさんと、どこでも何時でも食べらいるからな」
どこまで行っていたのだろうか
尾瀬は途中で「あれは無理だった」と帰ってきた。
日光に行った。「軽自動車でいろは坂を走っているのは俺一人だ」
と言った。

だからビッツに替えてやりました。
「いかった、後ろにふたりのばあさん乗せて、楽に走らいるさ」と母と叔母たちを乗せられることを大変喜んだ。

このビッツに替えて何か月走っただろうか
病に倒れ、抗がん剤治療と入院の繰り返しが1年続いた。
その間、私はこのビッツに父と母を乗せて病院通い。
「ばあちゃんは病院に行っても役に立たないから、うちに置いていこうよ」
と私が言うと
「でも、頼むばあさんも連れて行ってくれ」と
私に懇願する父だった。
涙があふれる。あの言葉がまた聞こえてくる。

最後にビッツに父と母を乗せて
「栃尾を一周してく れ」とあの日私に言った。
それが最後だった。
それから二度とビッツに乗ることはなかった。

今日はビッツとお別れの日です。
ビッツはいつの間にか農業車になって
きれいに磨かれることもなく
後ろも横もマフラーもでこぼこになっている。

父の想い出がいっぱい詰まった形見だった。
 


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