2018年2月13日火曜日

午後の遺言状と私

お借りした新藤兼人作品2作目は「午後の遺言状」を選ぶ。
この作品の乙羽信子は「原爆の子」の時代からだいぶ長い時が過ぎている。
平成7年と言えば私が40歳頃の作品ということになる。
そのころ、雑誌だったのだろうか。
ガンに冒されていて、遺作だっと覚えている。杉村春子にとっても確か遺作だったような気がする。その前に、新藤兼人監督が乙信子と結婚についての記事も何故か鮮明に覚えていた。多分私の中で、不倫とは最悪な妻に対する冒とくと思っていたはずなのだが、その記事は新藤兼人の妻が亡くなってからの結婚だったから、私の中で、いえ私がどう思うと全く関係ないことなのですが、私が勝手にあのふたりをおそれおおくも許したということなのです。映画や本を読んでいたわけではないのに、想像をふくらませて、胸にしまっておいた私だったのです。
そんなわけで、2作目は「午後の遺言状」を観ることにしました。
この映画の評価はかなり高かったようですが、今観てみるとこの作品は
丁度私くらいか、それ以上の年配にしか理解できないような気がします。
若い時のエネルギーは無限大です。
年劣るとエネルギーは無限大とは言えなくなります。100歳まで現役を通した新藤兼人は
巨人です。いえ、化け物かもしれません。
化け物は長く生きるので、経験がいっぱいになる。その経験を生かし、さらなる経験を生むのではないだろうか。
ひょうひょうと描かれた物語にはいやらしさがない。これまた、監督と女優の関係を
物語っているのだろう。

また、老いをどう生きるか、私にとっても目前の課題である。

私の休日は友達が届けてくれたDVDを観ながら、ちょっと考える老後です。
まずは何をするべきか?何がしたいのか?

映画と本を読む暇のなかった私です。仕事を離れたら、映画三昧、本三昧になるのだろうか、旅行も行きたいし、と年金計算をする。
まだまだ、人生途中である。遺言状は未来の話だと思う。それでも、ただひとつ願うとすれば、乙羽信子さんのように生き絶えたいものだ。

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