辻井伸行さんのコンサートを拝聴するのは今回で3回目。
席は2階の舞台裏が見えるB席だった。真上斜めのため、手元は全く見えない。だが顔の表情はとてもよく見える。観客も見渡せるB席もおつなものだ。
3部構成になっている。
にわか音楽鑑賞者です。ドビッシーの曲ではじまりました。ネパールに行く前に練習していた「夢」を思い出し、もう1月以上練習をしない自分を振り返っていました。やる気が起きない。元々音楽には疎い性格である。今更クラッシックと向き合ってもこの先上達するには毎日の努力が必要だ。時間はいっぱいあっても鍵盤の蓋を開いて指をのせても5分ももたない今。なぜ、どうしたのか?
やっていることは家事だけ。白内障手術の結果ゴミがよく見えすぎるからだ。その他は無気力状態である。
1部はドビッシーらしさを感じる。2部は全く知らない作曲家だった。豚に真珠だ。不協和音のような曲で、秩序がない。これで終わりかと思えば続いている。わかると言えば難し曲である。耳慣れしていないのでクラシックの良さがちょっとわからない。
ここにいる観客の熱のこもった拍手喝采を聴くと、私のような音楽を知らないものが、聴いていいのだろうかとさえ思ってしまった。
休憩を挟んで3部はベートーヴェンだ。曲は知らない。だがベートーヴェンだった。ベートーヴェンらしさが聴こえてきた。
辻井伸行さんの表情がすごい。映画を観ているようだ。以前と違う。音の世界に入っている顔だ。堂々と自信に満ちている顔だ。
拍手喝采の中アンコール曲がはじまる。出だしの一小節目。何回も何十回も聴いている曲だ。そう、ピアノを始めた理由の曲「悲愴」だった。「おかあさんの被爆ピアノ」映画のはじまりだった。これにはまいった。さっきまで音楽は私とはかけ離れているかもしれないと思いながら聴いていたのに、なんだよなんで涙がこぼれてしまうんだよ。
ピアノを弾きたいと思ったこの曲、この曲のおかげでこの映画のおかげで今日があるのに・・・。
アンコール曲は続いた。戦場のクリスマスへと。辻井伸行さんに寄り添う方は舞台裏で盲目のピアニストの蝶ネクタイと襟を正す。なんと微笑まし仕草だろうか。愛がいっぱい詰まっている。
アンコールのたびにこのピアニストは左右に幾度も腰を90°に折ってお辞儀をする。観客に対して僕のピアノを聴いてくれてありがとうと語る。盲目のピアニストは心が清らかで音楽を心から愛している。
観客に感動を与えられる理由はそこあるようだ。
日日是好日