2012年8月31日金曜日

一坂越えて



夏休み最終日は東北本線に乗り、松島で下車。石巻・・気仙沼へは臨時バスしかない。石巻手前の東松山市までタクシーを利用し
一つ峠を越えたら海のように見えました。地盤沈下していたのです。
電車だけが残って・・その前後には。線路は全くみえません。
広大な地盤沈下の地域・・家や瓦礫はかたずいていても・・
私の見た被災地はどこも復興はみえません。
時折、小さな重機がミニチュアのように遠くに一つ二つと見えるだけです。
誰もいません。
誰もいなく・・止まった廃墟の町でした。

2012年8月30日木曜日

人事ではない

1年半近く過ぎようとしている東北震災を見つめて・・
生き残った家・・日本古来の真壁の家・・大きな梁を使用した家が
残っていました。先生の話ですとこの梁、柱をこのまま使って再生は可能とのこと。流木の再利用も可能とのこと・・
しかし・・この広大な土地に電気、ガス、下水道の完備にどれだけの年数がかかるのか
進まない・・津波は再びこの地を襲う・・対策は防波堤はどうするのだろうか
震災地区に盛土をする計画があるそうです。途方もなく広大な面積です。
また盛土をしてもあの大きな化け物の前にはなすすべはないと思いました。
中越地震、7.11水害で普及したところの大部分が昨年の大水で再び崩れ
手付かずで放置されている長岡栃尾地区です。
話に耳を傾ければ向けるほど途方もない実体を感じます。

今朝も東北の地震ニュース・・
人事ではない・・いつ自分のところに押し寄せてくるか・・
一致団結して、政治家は復興に全力投球してほしい
行政、官僚・・総理大臣・・学者・・偉い?人々は民のきもちがわからないはずはない


同じ日本人だから・・命と経済のシーソーゲームは辞めて欲しい・・

2012年8月29日水曜日

仙台から名取・・閖上地区






縁あってある先生とその教え子の方と仙台から名取市
閖上〔ゆりあげ〕地区その他地震と津波の災害地区を駆け回った26日
声にならない・・言葉にならない

戦争をしらない私はここは戦地のように感じました。
ところどころに慰霊碑が建っています。
先生と教え子の方は一番先に手をあわせておりました。
被災地でのお仕事、ボランランテイア活動をなさっている方と
自分の距離を感じました。

何も進んでいない・・進まない・・





2012年8月26日日曜日

優しい言葉

久しぶりに、姪と実母と娘そして義父母と夕食を我が家でとりました。
姪を夕食に招待していたら・・痴呆の実母が自らの意思で姪と一緒に我が家に来たいと
言ったそうです。嬉しそうに食事をし・・「ここのお父さんは?」と質問してきました。
家族構成をしっかり覚えていたようです。夫はとちおまつりの仕事で不在でした。
実母にとってドイツから帰ってきた孫は刺激になったようです。
当分日本には帰らないと娘の言葉・・
私は実母のようになったらどうなるかしら?とつぶやく
姪はすぐに答えてくれました「私がおばちゃんをみるよ」
私の姪ですが本当に優しい子〔25歳〕に成長してくれました。





写真は栃尾の雁木通りです。


今日から東北に行きます。27日までブログはお休みです。

豆撰は28日から発送受付いたします。

2012年8月25日土曜日

なんて優雅なはじまりか・・

待ちに待った夏休み第一日目。寝ているのはもったいないので、お日様と一緒に行動。
秋葉公園で見つけました。
中学生の私は3年間この神社の前を通り、片道約1時間かけて通いました。
それなのに、この御百度石に気づきませんでした。
毎日通っても、意識していないと気がつかない事のなんと多い事やら・・・。

豆撰は27までお休みさせていただきます。
お電話のご注文は28日から受け付けいたします。

2012年8月24日金曜日

一本のケイトウ





待ちに待った娘帰国の朝です。

成田に午前中に・・栃尾には午後・・

一本庭の片隅に咲いた「ケイトウ」をながめ・・・
たった一人でドイツに行き6年・・念願の大学院に入り1年・・
よくやったねと誉めてやりたい気持ちと
普通の女の子の・・普通の家族と一緒に暮らすしあわせはどうするの?と
問いただしてしまいそうな親の気持ちが交差して
ケイトウに想いをたずねてみました。

どこで咲いても私は私
咲いた場所が私の場所
私はしあわせ・・って言っているような・・。

2012年8月23日木曜日

25日から遅い夏休みi

ようやく、私の夏休みがやってきます。
夏休みにはドイツから娘も3週間くらい滞在します。
一緒に東北の震災跡を回る予定です。
何もできない私にできることを見つけてきたいと思います。

豆撰は25日から28日まで休ませていただきます。
発送は28日から承ります。

2012年8月22日水曜日

残暑お見舞いのはがき

ある方から1枚の残暑お見舞のはがきをいただきました。
愛知から単身赴任の方です。
一番最後に自筆で『私も感動と感謝を伝えるお手伝いをさせてください。
栃尾のためにがんばります」と記してありました。
地元出身でない方が自分の任務と責任を感じている「情熱」に
驚かされました。
私も任務と責任をもって生きていかなければと想いました。
とても、ステキな残暑お見舞のはがきでした。

2012年8月21日火曜日

栃尾鉄道

友達が集めていた。長岡から悠久山線の鉄道記念きっぷです。
私は保育園の年長児の時、遠足ではじめて電車に乗りました。
栃尾から北長岡線に乗り、そこから悠久山線があったような・・
車窓から顔をだし


風をきり・・なんてすばらしい乗り物なんだ。と感激しました。昭和34年の事です。
そして、悠久山へ・・確か「おさるさんのちんちん電車」が公園内を走っていました。
お金のかかることを知り私は一緒に行った祖母に遠慮し乗りたいのを我慢していたら
「乗っていいんだよ」と祖母がお金を出してくれた事を今でも鮮明に覚えています。
今の子供たちには想像もできないことでしょう。
5歳の子供が大人の財布の中身を心配して遠慮するなんて・・

2012年8月20日月曜日

すずめの集団行動





家の周りは田園風景が多いのですが・・

みたこともない大群の雀にびっくりしました。
実ってきた稲穂が目当てなのか?害虫が目当てなのか?
ちょっとこの集団にびっくりしてしまいました。

雀の集団にリーダ^がいるのでしょうか?
暑い日が続き・・えさを探し当てたのでしょうか?


2012年8月19日日曜日

思い出のブーゲンビリア





亡き叔母の花はブーゲンビリアです。

天国に行く6ヶ月前、痛みをこらえながらの沖縄旅行でした。痛み止めを飲みながら
嫌がる叔母を車椅子に乗せ・・沖縄本島、宮古島を回りました。
どこまでも透明な海をみつめ・・「きれい」と一言。この時叔母の心の中は
「最後の海かもしれない」とつぶやいているよう聞こえました 。
あれから10年が過ぎました。今の私の年に死にました。
骨転移、脳転移と病魔は叔母の体を傷めていきました。
10年前、沖縄の空港でたくさんのブーゲンビリアに囲まれ
「きれいね、きれいね」を連発。だから私はこの花を「叔母の花」となずけました。
今年もようやく咲きました。
沖縄のこと覚えていますか?と二人で撮った写真を10年ぶりで出してみました。

2012年8月18日土曜日

イタリアンに想う


いわしとトマトとチーズのマリネ風・・
なんだか自分でも作れそうに思いました。
アレンジしていわしの変わりに油揚げにトマト。チーズをのせマリネ風はいいかも
挑戦してみよう。。
1枚の栃尾の油揚げでも料理の目先を変えたら
いろいろな味が楽しめます。
和風に限らず、中華、イタリアンなど
油揚げは健康に良くて、万能食材です。そしてメインデッシュにもなります。


2012年8月17日金曜日

記憶はきえていき

実母の妹3人が実家の山の家に泊まりました。昔話に花を咲かせたようです。
長女の母は嫁ぎ・・私と亡き妹そして豆撰で一緒に働く妹の3姉妹を産みました。
母は母乳が出なく・・乳飲み子を育てるのにとても大変だったと聞いています。現金収入のない農家にとっては「ミルク」を買うことも大変だったと・・叔母たちが話します。
50年も前の出来事です。
 叔母たちが帰り・・・「昨日は 良かったね、叔母ちゃんたちが泊まってくれて・・」
母は「・・・・だれが泊まった?」と不思議顔です。
記憶が頭の中に留まる時間が数時間になってきたようです。
仕方ありません。アツツハイマーなのですから・・・。
「忘れたの? まあいいよね」と軽く流します。今このときが幸せならまいいか・・・と。

花を愛で一呼吸。さあ今日もがんばりましょう!

2012年8月16日木曜日

夏キキョウも終わりが・・

お盆も過ぎ。今日からまた今までどおりの日々がはじまります。
9月に義父義母の88才のお祝いをします。
娘の帰国にあわせて・・・。
88年という長い年月を夫婦共に過ごしてきた老夫婦です。
共働きの私たち夫婦は、義母に娘を育ててもらいました。
安心して娘を預け、働く事ができました。
娘が成長し、今度は私たち夫婦が娘の役に立ちたいと想い続けて来ましたが
なかなか,想うように事は働かないものです・・
夏の終わりにキキョウは何を語っているのやら・・



2012年8月15日水曜日

御霊はかえります





13日にお墓に迎えに行った御霊は今日の午前にもうお帰りです。

豆撰はおかげさまで大忙しでした。
今日が最終の大忙しかもしれません。
この忙しさの中、母は行動せず、ベットにもぐりこんでいました。
無理やり叔母ちゃんに連れていきまいた。
こんな状態だから・・父が生きていたら・・母を連れて大好きなドライブに行った事でしょう
父が生きていたら、庭の.伸び放題の草を刈ってくれたでしょう
父が生きていたら、ドイツにいる私の娘に何を話してくれたでしょうか
等・・父が生きていたら・・叶わぬ想いで色づいたほおづきを見つめました。

2012年8月14日火曜日

雨は心にやすらぎを・・

起床4時過ぎ・・雨音で目が覚めました。久しぶりの雨です。

お盆が始まったばかりなのに・・豆撰にお越しのお客様の足が遠くならなければいいが・・と心配。

とにかく、朝食準備を済ませ・・

今日は雨降り・・夫の朝活は中止です。何日ぶりでしょうか・・雨の妖精さんありがとう

夫にモーニングコ-ヒ-を入れて部屋に届けてやりました。

「みんな普通だとこんなにのんびりしているんだな、畑に行かないと・・」と夫

鬼嫁は「人それぞれだから・・私も仕事していなければ・・いつモ、コ-ヒ-を入れてやれるけどね」

そして、とどめは「二人だけだったらもっといいのに・・・」と

とにかく、どうあれ会話もでき、コ-ヒ-が飲めて、雨の妖精さんに感謝の朝です。

2012年8月13日月曜日

お盆のはじまりに

私の57歳の人生で見送った大切な肉親・・祖母、父、叔母・・妹を思い出します。
妹は数ヶ月の命・・母は泣いていました。その母が妹の存在、名前すら忘れてしまった事、
父が生前の最後に妹の50回忌を終え「これでやるべきことは終わった」とお寺で手を合せた事、
叔母の57歳の最後の言葉「礼子は優しい子だからこれからもみんなを頼むね」と言った言葉。大切な大切な肉親の言葉がはなれません。
「優しくなんかないよ、最後の仕事なんてないよ 」と心の中で叫び涙があふれます。
年に1度くらい思いっきり涙を流して、故人を偲びたい・・。

2012年8月12日日曜日

切られたオオウバユリに想う

毎年楽しみに「オオウバユリ」を森林の中で見続けてきました。
今年もたくさんの花をつけた「オオウバユリ」を先日、ブログに載せたばかりなのに・・
花が全部切られてしまいました。
10年もの歳月をかけて咲く「オオウバユリ」なのに・・・
栽培しているものではないのです。
この季節を楽しみに・・「10年ご苦労様」と声をかけてきたのに・・
怒っても腹を立てても相手は見えません・・・悲しい出来事です。
相手が見えたらもっと怒るのでしょうか?
怒っても元には戻りません。
相手に怒らず気づかせることはなかなか難しい・・また怒られると逆に「こんな事くらいで?」と
自分の非は棚の上・・まだまだ人間未熟な私です。「オオウバユリ」を切った人がわからなくてよかったのかな?


2012年8月11日土曜日

無農薬トマトを使って



栃尾のかんざわ農産さんとのコラボ!
栃尾の大地はだんだん畑です。広い大地ではありません。
小さな畑がいくつもだんだんに連なっています。
かんざわ農産さんでは無農薬、有機肥料を使ったおいしい野菜作りをしております。
かんざわさん曰く、「無農薬野菜はあまくなるんですよ」なるほどあまくておいしい!

トマトは完熟です。朝もぎたてのトマトは元気がでます。
ざるとうふとトマト、玉ねぎで健康サラダはいかがでしょうか?
豆撰店頭にて「限定販売」しております。


2012年8月10日金曜日

いっぱいいっぱい





エコカーテンのゴーヤがいっぱいできました。

毎日ゴーヤチャンプルです。

さあ!いよいよお盆は秒読みです。
お盆中豆撰では皆様のお越しをお待ちしております。
朝8時半から夕方6時まで営業しております。
あつあつの油揚げをご用意しております。
ご家族で、お友達でお越しください。

2012年8月9日木曜日

ムラサキシキブの花





ムラサキシキブの花が咲き始めました。

小さな花が細かく並んでいます。
紫式部を思い出します。
光源氏の時代は優雅でこんなに暑くなかっただろうな・・
もちろん原爆もなく・・・。
長岡の爆撃の時の話を明治生まれの45年も前に亡くなった祖母は
子供の私に「真っ赤な空になってなにが起きたのかわからなかった」
その後「アメリカ人が栃尾にも,いっぱい来て ガムやキャラメルを配ってくれたんだよ」
など敵国だったアメリカ人を天使のように話してくれました。戦争に負けて、戦争が終わって
本当に嬉しかった事ばかり話していました。

2012年8月8日水曜日

オオウバユリの群生








杉林の中に群生している、オオウバユリです。

去年は心無い人が全部持っていってしまいました。
今年は大丈夫かな?
自然の中でこそきれいに見えます。

背丈は私以上です。本当に大きな花です。葉もとても大きくって・・森の魔法使いみたいです。

お知らせ 豆撰の休日は8/25~8/28です。
お盆は営業しています。あぶらげばーがーやとちおいなりを食べに来てください。

2012年8月7日火曜日

稲の花



稲の穂が出来始め、花が咲きました。白くて小さい花です。
背丈も丁度よく今のところ、まずまずの出来のようです。
人間も植物も大きく無事に育てるには、手がかかります。
「定年して夫婦でのんびりしている仲間を見ると・・汗かいて朝から仕事して・・」と
ちょっとお疲れ気味の夫の言葉に、
鬼嫁曰く「でもね、ものづくりってはりあいでしょ!おばあさんは88歳になるのに、あのパワーだよ」と叱咤激励。
私は見守る係り。

2012年8月6日月曜日

我が家の豆畑




我が家のインゲン豆です。長寿の豆かしら?

畑作りは手間がかかりすぎます。
ここ数十日も雨が降らないので、野菜もアップアップしております。

2012年8月5日日曜日

最後の花

あじさい山の草刈に行きました。もちぐさ、すすきなどの雑草が伸び放題です。
額に汗、日陰を求めながらの作業を1時間くらいしました。ほとんどあじさいは枯れていたのですが
数本はまだ元気に太陽に向かって咲いていました。

オリンピックのリレーで感動と勇気とライバルを超えた、チ-ムワ-クを感じました。
北島さんの名と共に、この銀メダルは永遠に語り継がれる事でしょう。 


まわりの後輩の気遣い、本人の魂みたいな強い力を感じました

2012年8月3日金曜日

ラストチャンス

昨年、新卒2名を採用しました。
2名とも個性がありました。社会経験の乏しい新人さんにとって、豆撰の仕事は
決まりがないので、大変です。お店は休日や御中元シーズンは息つく暇もありません。
平日や雨の日、雪の日はお客様の足も遠のきます。
若い経験の少ない新人さんにとっては「規則」のないことはとても大変なようでした。
また、工場の手が足りない時は応援に工場に、お店の掃除、工場の掃除、などなど
注意される事の方が多く、誉められる事は数少ない1年間でした。
それでも新人は大きく成長し、これからは新人ではなく豆撰の戦力になるはずと頑張って指導してきたのです。
でも、現実は思うよう行かず、一人辞表を持ってきました。
今日まで辞表を引き出しにしまい、だまって見守ってきました。自分をコントロールできない彼女ですが、勤務時間数も減らしてみました。
黙々と一生懸命仕事をこなす姿を見続け・・・最後の「話」をしました。
妹の気持ち、私の気持ちを伝え・・「考えが変わることはありませんか?」と辞表を手渡しました。辞表が再びこの手に、社長の手に戻ってきても仕方ありません。しかし
心のどこかで「ラストチャンス」を生かしてほしいと願っている私です。

1年間の成果

ダイエットのために、必要以上の間食を控え、暇な時は城山のぼりを実行しました。第一の努力は朝10分のカーヴィダンスだったと想います。3キロ減量しました。これで5年前くらいの体重に戻りました。毎日10分の成果は長かったけれど大きく、腰の痛み、かたこりが随分少なくなりました。

暑い毎日です。豆撰の油揚げ工場は今年は最高40度まで上がってしまいました。
休憩と水分補給をするようにと注意しています。
スタッフの汗まみれの顔にただただ「ありがとう」しかいえません。

皆様もこの暑さ十分御気を付けください。梅干とポカリはとても夏バテに利きます。私の夏バテ予防方法です。

2012年8月2日木曜日

テレビ取材

2012年8月1日水曜日

盆参

8月1日

盆参とは一年に一度くらいもらうだけでなく、檀家に朝ごはんを振舞うものなのかと勝手にもい続けていました。盆参の本当の意味は「盆には先祖霊と共に健在の親や仲人、師などの親方筋へ挨拶をかねて贈り物をする「盆礼」という風習がありました。」との事。


盆を前に盆花も咲いきはじめました。