2013年8月31日土曜日

それでも私は産みたい

栃尾の風景を栃尾人より知り尽くし
撮影される長岡の五藤利弘監督。
「モノクロームの少女」に続き「ゆめのかよいじ」と撮り続ける映画とは
違う、ドキュメンタリー作品「それでも私は産みたい」のDVDを観ました。
この作品は映画監督の、実直な人柄が映し出されているように感じました。
ドキュメンタリー作品を作り手を想像しながら、観ることは
初めての経験?です。
大きなテーマ「それでも私は産みたい」について考えさせる「技」は
五藤監督のお人柄からかもしれません。

女性の年齢、不妊症そして夫婦、家族の問題。
いくつかの女性の心の問題に対して「本人にもわからない気持ち」を
映像の中で発見させてしまう・・・
いつもなら、たいした考えもないくせに発言してしまう
私を「黙」してしまったようです。
裏方に登場する人、表に登場する人、映像を見る人、それぞれの想いを
考えたら・・答えは見つかりませんでした。

「それでも私は産みたい」DVD他
五藤監督作品は「豆撰」にあります。お貸しいたします。

2013年8月30日金曜日

贅沢なランチとは?

豆撰の夏休みに合わせて

中軽井沢にある「タムラ」さんでランチを目的に行きました。
一昨年、このお店のお料理が おいしかった事、
接客の若い方との何気ない会話が楽しかったから
再度行ってみました。
予約メニューの確認に来てくれた女性こそ
あの時のあの女性でした。
その後、飲み物等を聞きに来てくれた時、彼女はさりげなく
「一昨年おいでいただきました、豆撰さんでございますよね、ありがとうございます」
と・・
私たちを覚えていてくださったのです。
もう、本当に、感激です。私たち夫婦にとって、贅沢なランチです。
でも、それ以上の大きな喜びがありました。





写真は中軽井沢、星のエイリアにある、内村鑑三記念館「石の教会」 です。



2013年8月27日火曜日

人生を一本の線にたとえたら

昨日の
夕方は畑に行き、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリ-の苗を植えました。
数少ない本数でも、植えた後には水をやり、日よけを作ってやりました。
その作業は中腰作業です。腰も痛くなります。
この仕事を長年やってきた義母と夫の手の動きは私とは全く違います。
88歳の義母の手は大きく、土を掘る時の速さはまるで、ビデオの早送りです。
義母の人生は、この畑の畝のように感じました。土を耕し、種をまき、草取りをして
、肥料をやり、収穫までは長い長い道のりです。この作業と同じ事を「家庭」の中で
暑くても、寒くても、「子供と孫」を育ててきたのです。

義母と夫は野菜をわが子として愛情をかけている姿に
私は何も言えません。
ああ美味しかったの一言しかいえません。
1本の線の上を義母は歩いているようです。

2013年8月26日月曜日

今日は父の七回忌

7月2日が本当の命日なのですが
孫たちや私たちの仕事にあわせ、今日お寺様に行って
7回忌の法要をしてもらう事になりました。
父は孫の勇太が大好きでした。
野球少年の勇太の第一のフアンであり良き理解者でした。
そして自慢の孫でした。
癌と闘い、自分と戦い、家族を想い・・・
「心配なことはない」と言って死を静かに迎えました。

あれからの年月は早かったようにも感じ
ずいぶん昔々のことだったようにも感じ
とても、複雑な想いです。
闘病生活1年あまり・・・今想うと看病する時間は丁度よい長さだったと想います。


2013年8月23日金曜日

犬のうんこ

ゴミだしに行ったらゴミ収集場所に「犬のうんこ」発見。
えっ何?どうして?
一番最初に私がみつけてしまったんだよね・・
仕方ない、店に戻って、トイレットペーパーを持ってきて
「犬のうんこ」をとり
トイレに流す。
最初、発見した時は
マナーのないやつは犬をかわないでほしいと怒りがいっぱいになりました。
でも、うんこをトイレに流したら
なんだか良いことしたなって、自分を誉める私。
良かった誰かが踏まずにすんで・・・。

2013年8月22日木曜日

福島の子供たち

福島の子供たち18人が甲状腺がんにかかっているニュースが
頭から離れません。
どうして?なぜ?子供たちが犠牲にならなければならないのでしょうか?
それでも、よその国に原発の売り込みに行かなければならないのでしょうか?
命より大切なものはあるのでしょうか?
山を伐採し、森を傷つけ、海を汚し
日本中がアスファルトとコンクリートの道になっています。
山に登る道もいつか、アスファルトになるのでしょうか?

原発だけではないはずです。
私が生まれてから数々の自然破壊の犠牲がありました。水銀、石炭、銅、
アスベスト などの公害。農薬もそうです。

ケネデイ大統領が誕生した時、先生が「世界から戦争がなくなります」とおっしゃいました。
その時子供の私は、先生の言葉を素直に信じました。でも、戦争はなくならなかった。


2013年8月21日水曜日

おてがみれしぴについて


かって気ままに・・・
レシピについての想い、かって気ままな、私流食生活。昔の思い出などを
のせてあります。
お時間のある時、栃尾の油揚げのお料理に迷った時、
是非 のぞいてみてください。

おてがみれしぴはこちら http://mamesen.jp/

2013年8月20日火曜日

見つからず・・あたふた・・汗びっしょり。

朝から探し物で大騒ぎです。
自宅の引きだし捜査2回、念のため、3回目は会社に出勤はしたものの、
自宅へ戻っての再捜査。
探し物は見つからず、会社に戻り、机の捜査も開始しましたが見つからず・・
とうとうあきらめ、再発行依頼の電話をした後、
そんなはずはないと思いつつ、Iさんに電話を入れ、「絶対にお預けしてあるはずはないのですが、
本当に申し訳ございませんが、念のためにお聞きしてもよろしいでしょうか?」とかなり
へりくだって、失礼を承知で聞いてみました。「ありますよ」とのお返事に胸をなで下ろしました。

あらあらあら・・私はIさんにお届けしたことをすっかり忘れていたのです。

私は母に似て、かなりの記憶障害者のようです。自分にあきれております。

2013年8月18日日曜日

ミラノへ引越し

娘の引越しが迫ってきました。
今回で7回目?の引越しです。
今までは、「やどかり」の ような引越しでしたが、今回は伴侶についていく引越しです。
伴侶がいる事と、伴侶の両親の存在は私たちの心配を十分に軽減してくれています。
今住んでいる、イタリアのジェノバはとてもステキな町並みと海のきれいな所でした。
今度は大都会ミラノです。といってもミラノの事はよくわからないのですが・・
心配なことは、彼女が英語とドイツ語しか話せないことです。
イタリア語がまだ話せなくて、一人で孤立しなければいいのですが・・・
その点が心配です。

昨日、五藤監督作品
「スターテイングオーヴァー」http://cinema.artport.co.jp/startingover/
を見ました。主人公の設定は28歳位でした。
私は28歳の時、現在の私を想像出来ませんでした。
娘夫婦もきっと10年後を想像することはできないでしょう。
映画の中の2人も、娘夫婦も、そして私たち初老夫婦の10年後はどうなっていることかと
しみじみ思いを巡らせた、今朝のひと時でした。


2013年8月16日金曜日

神様からステキなプレゼント・・出会い

お盆です。普段お目にかかれない大勢の方々が豆撰に来てくれました。
豆撰のお客様の「いざかや、かざまん家」の若いご夫婦は1枚の色紙にぎっしりと「油揚げおいしかった」とたくさんのお客様の寄せ書きをお土産に持って来てくれました。
最高のお土産です。
FB でお友達になった才女のwさんは1家4人で揚げたて油揚げを食べに来てくださいました。
弟さんは、ハイカラなベルギービールカフェのマスターさん。ちゃっかりと、「今度豆撰の栃尾の油揚げおいてください」と商売のお願いをする。手ごたいありかな?
最後はたくさんの家族で豆撰にお買いものに来てくれた、私の子供〔保育園時代〕 M君、38年ぶりのご対面でした。でもすぐにわかりました。M君には似ていない?かわいいお嬢さんと息子さんを連れて、奥さんもきれいな人でびっくりしました。M君のお姉さん家族も一緒でした。
「美味しい、美味しい」を全員連発してくれました。
豆撰で一生懸命働いてきたから、神様が私にとてもステキなプレゼントを下さったのかもしれません。 みなさん、ありがとうございました。


2013年8月15日木曜日

蜂に刺されてしまいました

13日の夕方、草取りを始めたら猛烈な毒針で私の腕を攻撃した蜂。
流水し、応急手当をしたつもりでしたが、この時期のスズメ蜂の
毒はとても強力でした。
時間が過ぎるに連れて、みるみるうちに腫れて、痛さよりも痒くて仕方ない。
とうとう、我慢が出来ず、翌朝病院にいくはめになりました。
塗り薬を頂き、手当てしましたがまるで効き目なく、腕は2倍に膨れ上がり、痒くて痒くて
仕事に集中できず・・・先生のところに電話を入れ、痒みがおさまらないと話しました。
すると簡単な適切な助言、「かゆいっけば、かかんばんこて」「心臓まで 行けば大変だっけ、そうしたらゆうてさ」との返答。特効薬はないとネットにもありました。
仕方ない、我慢我慢我慢と思いつつ、今も腕をポチポリとかいている私です。

ホームページを新しくいたしました。
「でっこうなる」「栃尾の油揚げ食べに来いて」など、豆撰栃尾の油揚げの作り方や
栃尾の簡単マップを導入。また栃尾の油揚げレシピも見やすいようにいたしました。
豆撰栃尾の油揚げレシピには「れいちゃんの一言、お元気ですか」も加えました。
是非、ご覧下さい。

2013年8月14日水曜日

子供の遊び

私が小学生のころの遊び道具に「なぎ」.というものがありました。何本だったか?竹で作った15センチくらいの棒を使います。ひとなぎふたなぎと歌いながら棒を操る遊びです。学校の休憩時間に楽しみました。
友達数人と輪を作り、ひとりずつ順番にやります。いくつかのパターをクリアしなければなりません。途中で失敗すると、次の友達に順番がまわります。1組の「なぎ」を数人で共有して、固唾を呑んで見守るのです。

男女一緒の遊びは馬とびや鬼ごっこ、お天気の日はグランドに出て、石蹴りや陣取りです。
遊びの中で、知らず知らず順番や数、仲間とよい意味で競い合う、集団での決まりごとなどの社会性を身につけながら、友達作りをしました。
懐かしい遊びでした。
今の子供たち の遊びの中心はゲームだそうです。
そろばんの時代から計算機そしてパソコンに変わったように
子供たちの遊びも大きく変わってきたようです。
そうそう、幼馴染のあの子は今どこで何をしているのかしら?
お盆休みに入り、きっと懐かしい顔が 豆撰でみられるかもしれません。



2013年8月11日日曜日

いつ誰がこの雁木を歩いたのか


栃尾の町並みには、訪れた人々をひきつける「雁木通り」があります。

大町通りの雁木は江戸時代中期に存在していたようです。
谷内から滝ノ下にかけても結構長い
雁木が続きます。また最近では表町の雁木が新しく模様替えされています。
町並みの中には商人が多く、米屋はとくに多かったようです。
最近までおけやもありました。子供の頃、おけやさんに行って
「なぎ」という15センチくらいの長さの棒を操る遊び道具を 買ってもらいました。
この遊びについては次回に触れる事にします。
雁木を歩きながら江戸や明治、大正 時代に思いをはせて歩くと
この通りには荷車が通って・・馬が荷物を引いて・・車輪はもちろん木で出来ていて
なんだか、時代劇の場面が頭に浮かびます。また昭和初期まで続いていたらしい「馬市」の風景、
馬の売買の際に、証文のかわりに、きめ酒を交し合う。ばくろうたちはどぶろくを片手にでっこい〔大きな〕 油揚げをわしずかみで、
豪快に食べている光景も目に浮かびます。
しかし、栃尾の雁木が昔から現在に至るまで、存在する最大の理由は
栃尾が越後の 豪雪地帯だったからです。
栃尾の先人たちは自分の家の軒先を延長して雪が家に入らないように
工夫していたようです。

そして、雁木通りは栃尾の人々にとって、それぞれのたくさんの想いが物語のように続いています。
私にも想いがあります。
並んで歩くほど広くない雁木です。彼の後ろをチョコチョコと小走りで歩く。
時々、彼は私が付いてきているか立ち止まってふりかえる。
雁木には懐かしいロマンもあったような気がします。


2013年8月10日土曜日

飛行訓練の親子鳥

朝食中の出来事です。庭にやってくる野鳥のさえずりが、いつもと違って、聞こえ、庭の木に目をやりました。すると、
小さな小鳥が一羽、フワフワと安定せず小枝に止まっています。
しばらくすると、大きな鳥が、口の中にいっぱいのえさを咥えてきて、小鳥に食べさせていました。
親子鳥だとすぐに、わかりました。
親鳥は私たちの気配を感じて、飛び立ち遠くから、子供の飛行訓練の指導をしているようでした。
子供の鳥は、勇気を振り絞って飛行にチャレンジしましたが、3メートルくらい先の隣の家の
脇のセメントに落下。木々と違い、セメントの足場は飛び立つには難しいらしく、
その場所にたたずんでしまい、目を開けたり、閉じたりするだけです。
それから、親鳥は伴侶に知らせたのでしょう、今度は夫婦で偵察しはじめました。
なかなか飛べない子供の鳥に、肝を焼いているのか、親鳥夫婦の泣き声はさらに大きくなり、
時々、我が家の方を見ては警戒して遠くに行ったり、戻ったりの繰り返しです。
長い時が過ぎ・・私たちが観察をあきらめようとした、その時に子供の鳥は、
ふたたび勇気を振り絞り 飛行しました。

今度は成功です。電線にとまり、遠くで待っていた兄弟と一緒に飛び周りました。
そして、
親鳥は遠くから子供たちの飛行を見守っていました。

「どこも同じだな、子供が一人前になるまで、親は心配なものだ」と夫は一言つぶやきました。



2013年8月7日水曜日

ちょっと贅沢な調味料レシピ

豆撰と10年越しのお付き合いをいただいている
岡山県倉敷にお店をお持ちの「平翠軒」さん
の「ちょっと贅沢な調味料レシピ」本が送られてきました。

 とても興味深い対談方式から始まって、数々の調味料や食材を使ったレシピがのっていました。
すると最後のページに
「温野菜と栃尾の油揚げのサラダ」が掲載されていました。

あとがきに、
本を読んでいただくと「平翠軒」の調味料・食材がなぜ私たちの心をとらえて離さないかお分かりになると思います・・
これらの調味料・食材を使って料理レシピを開発する事は、
私たちにとって非常にたのしみなことでもあり私たちにとって光栄なことでもありました。
その調味料・食材は香り豊かで
クリアな味のためレシピ開発には苦労いたしましたが
皆様にはきっとご満足いただけるものと自負しております・・
と料理家の町田えり子さんが寄せておられました。

栃尾の油揚げ

土地の名前が付いた、その土地だけで長年たべられてきた風土食が面白いと思い、・・そのひとつ300年前からつくられてきた栃尾の油揚げです。栃尾の人は油揚げを焼いて酒の肴にしたり、三角に切ったものを身欠きにしんと煮たり・・・掲載されていました。

まさか豆撰の油揚げが掲載されていたとは思わなかったので、嬉しさよりもびっくりしました。

多くの食材のなかから、栃尾の油揚げを選んでくださった「平翠軒」さんに
心からありがとうございましたと感謝のきもちでいっぱいになりなりました。




2013年8月6日火曜日

お気に入りとは?

娘が4歳の時の話です。
娘に縫ってあげた、最初で最後の手作りスカート。
生地は女の子の喜びそうな、ピンクの花模様を選び、
ギャザーのいっぱい入った、ふわっとしたスカートのイメージで作りました。
しかし、何日も費やしたわりには、格好よくできませんでした。

それでも、娘は私の作ったスカートがお気に入りで、
「このスカートじゃない方がいいよ」と言っても、聞きいれず、
その格好悪いスカートをはいて登園していました。
普段子供のために何一つしない母親が
自分のために作ってくれたスカートは
娘にとってお気に入りベスト1だったようです。

2013年8月3日土曜日

石仏の旅



私が生まれれる、もっと、もっと昔、桃山時代から、
栃尾郷の石仏は作られたらしい。
栃尾の文化、信仰を語ってってくれる「石仏や道祖神」を廻ってみました。
理由は栃尾に生まれ育っているのに、栃尾のことを知らない自分に気がついたからです。
今日は、一番見つけやすい、下来伝のほだれ様の手前に並べられている「道祖神」や菅畑の道しるべの「石仏」、大川戸、平などを巡ってみました。


草むらに、たたずむ彼らの表情に、信仰の深さを物語る農民の顔が浮かびます。
栃尾の地を安住の住処とした、平家の落人かもしれない。
静御前にまつわる伝説もお墓も栃尾には存在するのですから、
想いは戦国時代にタイムトラベルしたような気分でした。
信仰することで心の安らぎを求めた先人たちを
想像しながら、石仏を見るのもよいものでした。

そして、水害の復興を願って手を合わせてきました。




2013年8月2日金曜日

おーい、お母さん


雨上がりの朝、畑に行った夫が、いつもより少し遅く帰ってきて、
大きな声で「おーい、お母さん」と二階にいる私を大声で呼びます。
私はモップを動かす手を止めて
「なあーに」と大きな声で返事をしました。
「いっぱいの収穫だぞ、写真摂ればいいぞ」と、
私の毎日の日課であるブログ材料を提供してくれる夫です。
すぐに、カメラを手にして、階段を駆け足で下り玄関に行きました。
そこにはナス、キュウリ、オクラ、ニンジンが写真を撮るばかりに、
きれいに籠の中に並べられていました。
夫は丹精込めて作った野菜を私に見せて、
私の喜ぶ顔を嬉しそうに見ていました。

2013年8月1日木曜日

8月1日の朝は疲れました。

30日に続いての雨に、心もからだも、ちょっとお疲れモードに入ってしまいました。
朝一番に夫は田んぼに行きました。
帰ってくるなり、
「もうやめんばん、あの田んぼは」と怒り口調で言いました。
妻の私は「そうね、辞めれば」と一言。夫は4月から、丹精込めて作り上げてきた田んぼです。
稲の穂も出はじめ、喜んでいたのに、この雨で砂利やゴミで田んぼは埋め尽くされてしまったようです。
夫の心の中は、せっかく丹精込めた、育ててきた稲にたいして、
どうする事も出来ない、憤りが「やめる」の言葉に跳ね返ってきたのでしょう。
いとも簡単に「やめれば」と言ってしまった私は思いやりに欠ける妻だったと反省しております。
さてとりあえず、豆撰を含め栃尾の市街地は被害なく大丈夫です。
長岡から通ってくるスタッフも出勤して、
みんなの元気な顔をみてホットしております。

今回、いろいろな所で被害にあわれた方々には、心より御見舞申し上げます。