2022年8月31日水曜日

夏の終わりに

   イタリアの孫に花火を届ける

 暑い日々の終わりに

栃尾の花火。

8月28日は、急に涼しくなり

豆撰での花火見学は

上着がほしいくらい涼しく

夏の終わりと同時に

夏の思い出もおわって

ちょっと寂しくなりました。

帰国していた家族はイタリアに

戻り、ババとジジふたりだけの生活になり

落ち着きましたが

蝉の抜け殻のような思いも感じています。

この頃

神様は人間一人一人に平等に

幸せも苦しみも与えているような

気がします。

今、できることは何かと

考えながら

だらりだらりと過ごしている私。

日日是好日


2022年8月22日月曜日

月一のレッスン

 



  豆撰特別弁当 野菜の煮物担当は私


私たちの歌とピアノレッスンは

月に一度です。

我が家に集まって、お茶を飲んだり

おしゃべりをしながら

自分の出番を待ちます。

私は妹の歌に合わせて

愛の讃歌の伴奏をします。

ある有名女優がステージで歌っています。

でも、妹の歌声の方が

重くなくて

私には心地よくて

伴奏もしやすいです。

先生は歌い手に合わせて弾くようにと

指導。

でも、弾くだけで精一杯の私。

それに合わせてくれる妹が一番安心です。

歌と伴奏が逆転しているのです。

仕事も同じです。

わからない法律やら

公文書などの解読ができなくなってい

ます。

歳をとるとは

こいうことかもしれません。

私にできることをしましょう!

煮物はまだ作れそうです。

日日是好日


2022年8月20日土曜日

あなたの残して行ったもの

 


丸一日かかって

アメリカ周りでイタリアへ

帰っていきました

そんなに遠くなかったよと

孫は笑顔で話す

日本は近いよ

すぐにいけると

言いたかったのか

それとも

イタリアが恋しかったのか

残されたサンダルに

涙する

2022年8月16日火曜日

最後の晩餐



一人っ子の娘は

妹の子どもふたりと大の仲良しです。

兄弟のように育ち

年頭の娘のことを姉ちゃんと

今でも呼んでいます。

今日はその3組のいとこ達が我が家に集ま

って二回目のたこ焼きパーティーを

しました。

イタリアに帰る娘家族と今年、最

後の晩餐会となります。

私の父はこの3人の孫達を

とても可愛がり、良く遊びに連れて行って

くれました。

そして、姉ちゃんの言うことを聞くように

と妹の子供ふたりに言い残したらしく

それぞれが家族を持っても

幼い頃と変わりなく

なかよしなのかもしれません。

この日に花火をするはずでしたが

雨のため、花火は翌日の夜に

もう一度集まって

花火を楽しみました。

姪家族と甥夫婦 、そしてイタリア家族の

手には想いの火が灯され

大人も子供も心ひとつ

無邪気に花火を楽しむ。

この様を椅子に座って眺め

幸せを噛みしめる。

朝になればそれぞれが、仕事に就く。

彼らの未来はどんな未来だろうか?

終戦記念日の今日に

この平和が続きますようにと

願う私。

いえ、この平和がいつまでも

続くとは思わないけれど

彼らが仲良く助け合ったら

どんなことが起きようと

乗り越えていくであろう。

ババは骨が折れているからと

椅子を運んでくれる優しい姪に感謝する。

そして

私は見守ることが役目になったと

少し寂しさも感じながら

私がやりたいことは何かでなく

何ができるか・・・・・・。

日日是好日


2022年8月14日日曜日

最終章

 


広島のお土産を配る。

骨折の痛みも薄れて

車の運転も少しはできるようになり

孫が各家家にお土産を配る役。

車の乗り降りが大変な私にとって

大助かりだった。

イタリア家族との旅行の

最終日は広島から姫路城へ真っしぐら

名だたる武将が築き上げた別名白鷺城は

雄大でその美しさは50年前、

高校の修学旅行で見たときと同じである。

天守閣までの階段は結構きつい。

娘曰くババはサムライの気持ちが一番

よくわかった人だね。と言う。

コルセット着用は鎧着用同然。

夫曰く

昔はこんなに暑くない。

とにかくこの猛暑は異常である。

汗だく、なのに孫は天守閣からの階段

が降りられない。

怖いと泣く。仕方なくジジがおんぶするこ

とに。汗で孫とジジは

ぺったりとくっつき

そのぺったりを孫は楽しんでいた。

いい思い出になったであろう。

それからはどこにも寄らず

駅に向かう、アイスコーヒーを飲み

やれやれ旅は終了。

お土産を配りながら、

車中孫が演説をはじめる。

爆弾を落とした人は悪い人

日本人は諦めなかった

諦めることは良くない

一番悪いのは爆弾落とすこと

地球が一番可哀想だ。などなど10分くら

い演説を聞かされる。

母親からの受け入れと

原爆資料館の思い出が強烈だったようだ。

大人に成長したら

どんな風に思うだろうか。

戦争もこの灼熱の暑さも

人間が招いてきた悪夢である。

この子が私くらいになった時

戦争がない世の中になっているだろうか

地球の温暖化が改善されているだろうか

熱をシャットアウトす特殊防具服を

つけているだろうか?

それとも別の惑星で暮らすのだろうか

月を愛でて、かぐや姫を想う時代は

なくなっているかもしれない。

日日是好日






2022年8月12日金曜日

宮島へ



宮島口のホテルで

朝食をゆっくりととって

10時にホテルを出て

〇〇丸号に乗り

厳島神社へ向かう。

海の中の鳥居は補修工事で

隠れていた。

厳島神社への道のりで孫の

興味ありは鹿である。

いよいよ神社神殿に向かう。

途中アナウンスが入る。8月9日は

長崎原爆記念日である。

黙とうする。

天皇を神と崇め、天皇の名の下に

戦争ははじまり、戦争も終わった。

矛盾だらけである。

四回目の参拝と言うこともあってか

観光地としてのウキウキ気分はなかった。

平清盛の時代から、人は戦い殺し合う

権力のために、神を利用していることは

今も昔も変わらないような気がしてならな

かった。


さて、歩き進んだ先に

目指すものは「かき氷」のみ。

世界遺産もなんのその

かき氷は神であった。

厳島を後に宮島口のホテルに戻り

しばしの休憩をとる。

ここで案内をしてくださったお友達と

別れる。

孫はどうして?

私たちはどうなるのと

不安な顔でさようならをする。

その後もご飯食べたかな?

東京に着いたかなと言う。

孫にとっても、私たち家族にとっても

大切な思い出作りをしてくださった。

感謝のみ。

あとは姫路城で旅は終わります。


日日是好日











2022年8月10日水曜日

竹原から広島ドームへ

 


竹の町竹原には立派な蔵造りの

お店が並ぶ。

重厚な瓦屋根に塩と酒の老舗を感じる。

江戸時代前期から現代まで

歴史の中で生き続ける町並みは

素晴らしい。

イタリアに住む孫は

この重厚な屋根をきれいと表現する。

ここでのランチはイタリア家族の大好きな

お好み焼き。

鉄板は温められているが

出来上がったお好み焼きをのせるだけ。

だから、孫は少し残念がった。

しかし、

夕飯には目の前でお好み焼きが最

初から焼き上がるまで見られる

カウンター席に座ると大満足するのです。

竹原でのお好み焼きを食べ終えると

ここでもかき氷を食べる。

なんと言っても

この猛暑を乗り越えるには

かき氷が一番である事を学習したのです。

さて、いよいよ最大目的

広島ドーム、資料館へ

8月6日広島原爆記念日の翌々日で

あったせいか、この猛暑の中でも

観光客は多い。

ドームの前に行くと私には

「お母さんの被爆ピアノ」映画の

ラストシーンの悲愴が聞こえてくる。

この映画を見なかったら

私はピアノを弾こうと思わなかった

はずである。

30年以上ピアノに触れていない

70歳まじかの老婦が中古とはいえ

ピアノを購入し、先生についた

きっかけはこの映画だった。

記念日の献花は萎れてはいるけれど

思いが残されていた。

両手の中に亡くなった方の魂と平和への

願いが込められているオブジェに

手を合わせ灯に祈る。

どこまで理解しているかは

わからないけれど

5歳の孫も真剣な顔で手を合わせる。

資料館内部はリニューアルされていた。

以前はナレーションが入っていたような気

がしたが

ナレーションはなかった。

遺品や原爆を受け、亡くなった方々の

説明文が丁寧に記されていた。

中でも

僕は眠らなかった。死体と

間違われて

しまうから・・・・・・。

そして、肉親と再会すると

おやすみと言って

目を開くことはなかった。

このパネルの少年の凛とした

顔立ちが、私の心に重く重く突き刺さる。

77年という歳月は

生き残った人たちも年をとりだんだん

伝えていく人がいなくなる。

だかここ資料館がある限り

亡くなった人の証言や気持ちは

永遠に残り

今を生きる人に世界の人に

伝えて行くであろう。

そして

戦争は絶対にしてはならないはずだ。


私の失敗、距離感のなさから

二日目のホテルはここから遠くて

みんなに迷惑をかける羽目に。

道案内のお友達に随分ご迷惑をかけ、

あっちこっちと回っていただき、

たどり着いた夕飯は先に書いた

お友達のおすすめの鉄板焼き。

ホーレンソウとウニのバター焼き。

牡蠣のバター焼き、ステーキなどなど

どれも大満足、地元のお酒もいただき

夫も婿殿も上機嫌。

一番鉄板焼きを楽しんだのは

お好み焼きを目の前で焼いてもらった

孫だったかもしれません。

ホテルに着いたのは夜9時過ぎ。

孫とお風呂に入ってくると

お友達は疲れているのに

夫のお付き合いをしていました。

二日目の旅もなんとか終了。

日日是好日






広島巡り





 3泊4日の旅のはじまりは

映画「お母さんの被爆ピアノ」ロケ地

鞆の浦からだった。

鞆の浦で主人公の調律師と

自分のルーツ探しの大学生が

語り合うシーンである。

孫は岸辺に浮かんでいる

クラゲを見て

初めて本物のクラゲを見たと

大喜びである。

しかし真夏の午後は

まるで灼熱の世界である。

孫の白く透明感のある、

顔は真っ赤である。

そこで、かき氷屋さんに入る。

のどを通る氷はまるで魔法の

ように体を冷やしてくれた。

一息つき、汗が引っ込む。

この暑さでは外の行動は

ちょっと無理。

そこで、瀬戸内海の島々を9つの橋で繋ぎ

四国まで結ぶ「しまなみ海道」を走る。

海は夕陽に照らされ

小さなさざなみがキラキラと光る。

対岸の風景は松島や奥只見を

思い出すが、ここは川でもなく、

湖でもないのである。海なのだ。

ドライブを楽しむには最高の景観である。

イタリアに住む婿殿は

チンクエテーレを思い浮かべたようだ。

西の国の夕暮れは。

イタリア家族と私たち老夫婦の

想い出となる。

そして、案内をしてくださる

長年のお友達に深く感謝する。

この日のお宿は

高台の畳屋さんの別荘である。

一階には茶室風の部屋があり

釜がおいてあった。

キッチンには食器をはじめ

コーヒーメーカーなども揃えてある。

2階には10人くらい宿泊で来る

部屋が3部屋ある。

ここから古寺巡りができる。

翌朝、散歩しながら古寺を

2ヶ所回ってみる。

途中、散歩している老人に

朝食を食べられるところを訊ねてみると

鞆の浦の歴史を教えてくれる。

1000年の歴史に耳を傾け

細い石畳の小道を歩くと

過去と未来を駆け抜ける

少女になる。

娘は知らない、1983年映画

「時をかける少女」

を裏覚えに想い出している

昔は少女、今は老夫婦。

この頃、人の名前やら思い出せず

あれ、これ会話が多い自分。

確実に

老化は進んで、認知症の域に入っている

ようだ。

娘と孫と過ごす時間に限りを感じる。

明日はいよいよ旅の目的地に向かう。

日日是好日

2022年8月4日木曜日

裁判と判決

 イタリア育ちの孫は

日本語が流暢である。がゆえに

私と対等に喧嘩をする。

事の発端は手製の硬いボール紙で

作った剣を使った忍者ごっこである。

私の寝室のベッドは隠れ場所になったり

ジャンプするには、

絶好の遊び場である。

おまけに寝室には孫の父親は入って

こない。ふたりだけの密室になる

ことができる。密室は幼児にとって

本当に楽しいことである。

完治していない背中は、動くたびに

鈍痛であるが痛い。

孫は手加減せず

猛攻撃でボール紙で作った剣で

私に襲いかかってくる。

いくら5歳とはいえ

痛い。痛いからやめてね。と言っても

忍者になりきっている孫。

力ずくでその剣を奪い取ろうと

した、その時ベッドから孫は落ちそうに

なる。

大したことはないのに

鬼のような目で私を睨む。

ババ何するんだよ。

怪我をするでしょう!と猛反撃。

あなたが私が痛いからやめてと言っても

やめなかったからでしょう。

もう、嫌だ。ババの孫やめる。

とふたりの大喧嘩は

一階にいるパパとママとジジの

裁判を受けることになる。

もちろん4対1である。被告人は隣室にて

反省させられてて、

私の圧勝である。

一晩寝て起きて

昨夜の裁判所の判決は果たして

正当だったのだろうか?

67歳ババは仮にも昔ではあるが

保育園で働いていたはず。

喧嘩とは双方にそれなりの

理由があるはず。

一方的に重圧をかけ4対1で勝利しても

被告人はその場限りの反省でしかない。

喧嘩の原因は

些細なことである。まして、相手は

5歳を迎えたばかりの幼児である。

訴訟を起こした私のとる態度は

いかがだったものか?

勝訴しても心はスッキリしない。

力と多数決での判決は

無駄であったような気がする。

私の方が歩み寄って

ごめんね、大丈夫だった?と

言うべきだった。

喧嘩とは?

今日は私から謝っておこう。

私にはたった一人の大切な孫である。

日日是好日