2022年8月10日水曜日

竹原から広島ドームへ

 


竹の町竹原には立派な蔵造りの

お店が並ぶ。

重厚な瓦屋根に塩と酒の老舗を感じる。

江戸時代前期から現代まで

歴史の中で生き続ける町並みは

素晴らしい。

イタリアに住む孫は

この重厚な屋根をきれいと表現する。

ここでのランチはイタリア家族の大好きな

お好み焼き。

鉄板は温められているが

出来上がったお好み焼きをのせるだけ。

だから、孫は少し残念がった。

しかし、

夕飯には目の前でお好み焼きが最

初から焼き上がるまで見られる

カウンター席に座ると大満足するのです。

竹原でのお好み焼きを食べ終えると

ここでもかき氷を食べる。

なんと言っても

この猛暑を乗り越えるには

かき氷が一番である事を学習したのです。

さて、いよいよ最大目的

広島ドーム、資料館へ

8月6日広島原爆記念日の翌々日で

あったせいか、この猛暑の中でも

観光客は多い。

ドームの前に行くと私には

「お母さんの被爆ピアノ」映画の

ラストシーンの悲愴が聞こえてくる。

この映画を見なかったら

私はピアノを弾こうと思わなかった

はずである。

30年以上ピアノに触れていない

70歳まじかの老婦が中古とはいえ

ピアノを購入し、先生についた

きっかけはこの映画だった。

記念日の献花は萎れてはいるけれど

思いが残されていた。

両手の中に亡くなった方の魂と平和への

願いが込められているオブジェに

手を合わせ灯に祈る。

どこまで理解しているかは

わからないけれど

5歳の孫も真剣な顔で手を合わせる。

資料館内部はリニューアルされていた。

以前はナレーションが入っていたような気

がしたが

ナレーションはなかった。

遺品や原爆を受け、亡くなった方々の

説明文が丁寧に記されていた。

中でも

僕は眠らなかった。死体と

間違われて

しまうから・・・・・・。

そして、肉親と再会すると

おやすみと言って

目を開くことはなかった。

このパネルの少年の凛とした

顔立ちが、私の心に重く重く突き刺さる。

77年という歳月は

生き残った人たちも年をとりだんだん

伝えていく人がいなくなる。

だかここ資料館がある限り

亡くなった人の証言や気持ちは

永遠に残り

今を生きる人に世界の人に

伝えて行くであろう。

そして

戦争は絶対にしてはならないはずだ。


私の失敗、距離感のなさから

二日目のホテルはここから遠くて

みんなに迷惑をかける羽目に。

道案内のお友達に随分ご迷惑をかけ、

あっちこっちと回っていただき、

たどり着いた夕飯は先に書いた

お友達のおすすめの鉄板焼き。

ホーレンソウとウニのバター焼き。

牡蠣のバター焼き、ステーキなどなど

どれも大満足、地元のお酒もいただき

夫も婿殿も上機嫌。

一番鉄板焼きを楽しんだのは

お好み焼きを目の前で焼いてもらった

孫だったかもしれません。

ホテルに着いたのは夜9時過ぎ。

孫とお風呂に入ってくると

お友達は疲れているのに

夫のお付き合いをしていました。

二日目の旅もなんとか終了。

日日是好日






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