2013年6月30日日曜日

お花畑がみたいから


このお花畑が観たいだけで、山に登りました。湯沢平標山です。
残念な事はガスがかかって眺めが悪かった事。
お花畑には少し早かった事です。
それでも2年ぶりくらいの登山でした。
仲間に助けられ登りきることができました。
行きの急な坂道は58歳の私にはきつかった。




ハアハアと息をし・・時々大きく深呼吸をしながら・・。

2013年6月28日金曜日

栃尾城址城山のアジサイ




諏訪様から、大野口からと栃尾城址への登り口は
何箇所かあります。
登り口から数分歩くと
色鮮やかなアジサイが登山口の両側で出迎えてくれます。

この坂道を戦国時代上杉謙信はどんな格好で歩いたのだろうかと
400年前を想像して、この坂道を歩く。


ゴ-ヤの花が咲きました。





少し葉っぱをナメクジにやられたゴーヤでしたが

黄色の花を咲かせました。
たった2本ですが
日よけには十分です。
実がつけば豆撰栃尾の油揚げやトーフと一緒に炒め
油揚げチャンプルになります。
少し苦味のあるところがまた美味しい。

昨日義母は骨密度の検査に行きました。
88才で毎日畑に行き
新鮮なものを食べ
定期的にお医者さんにいく。
鬼嫁の私はひそかに義母にあだなをつけています。
「鉄人28号」と・・でも健康だから私もこうして働けるのですから
 感謝感謝・・つい感謝を忘れてしまいます。


2013年6月27日木曜日

登るべきか、登らないべきか

土曜日に新潟の「平標山」へ一緒に行かないかとのお誘いを受けました。
先だって、弥彦山でさえ帰りは楽チンな乗り物を利用した私。
今シーズン散歩もしていない・・全く体力に自信がもてません。
それなのに・・迷っている私。
あの草原に広がるお花畑がよみがえってくるからです。
もう一つは・・チャレンジする事。がんばってみようかって体で感じることが
今の私に欠けていると思って・・・
とりあえず、お昼休みに城山に行って見ようかな?

2013年6月25日火曜日

引越しをしました





毎年、ツバメは豆撰にやってきます。

そして、ツバメ夫婦は巣作りはサボっています。
中古の巣にツバメ夫婦は居住します。横着者です。
ツバメは糞の掃除はしません。
掃除婦をタダで利用しています。私はタダで雇われています。
掃除婦の私は糞の落とされる位置が変わっていたので・・
あらあら・・お部屋が窮屈になり、中古の巣から引越しをしていました。

もうじき子供たちの飛行訓練も終了し飛び立つでしょう。
そして、私の子供たちに「飛び立ちなさい 」と心の中でつぶやきました。

2013年6月23日日曜日

庭の木剪定につき

夫は朝早く起き、庭の剪定。
私も朝食の準備をして手伝いに・・
と思っていました。
88才の義母がしゃかしゃかと切られた枝の始末をしています。

うれしいというより
叶わないなって鬼嫁のため息は続きます。

2013年6月22日土曜日

98歳の作品

昔・・栃尾手まりの作り方を習っていたらしい
それにしても「すごい」の一言。
知り合いのおばあさん98歳の手づくり栃尾てまりです。

少し耳が遠いくらいで・・畑仕事に毎日行くそうです。
健康の秘訣は粗食にあるようです。

私は59歳を目の前に元気でいられるのは15年くらいかしらと
思っていますが・・98歳までとしたら大変です。39年も生きなければなりません。
ああ大変なこと・・・・・。


2013年6月21日金曜日

良いお医者さんってどんな人?

家族の会話
義父「あの医者はなんもみねえで・・はい変わりないですって薬をくいた」
義母「おめさん、血圧はからんがかの?」
義父「はからん」
義母「おれなんか、この間は心電図もとったし、レントゲンもしてくいて
丁寧にみてもいた」
義父「そんげんな、器械はねえみていだ」
義母「はやってねえろがの」
義父「いや、はやってる」

この会話を黙って聞いている私たち夫婦。
義父義母共に88才です。

2013年6月20日木曜日

同じものが好きで共有できる・・・

先日、子供の頃ケンカばかりしていて
私を悩ませていたT君。
彼も大人になって・・・30年以上あったことはないけど
FBで再会。30年前と変わらずスポーツ万能のようです。
私のことを困らせてばかりいましたが、どことなく憎めず
やんちゃでかわいい子でした。
その彼が「花がいい」ってFBにコメントが寄せられた時
すごく嬉しかった。
同じ感覚だ、同じ感性だって・・思いました。
そして今日はS君のFBお気に入りの本に「レ・ミゼラブル」とありました。
またまた感激、感動。私はこの1冊に出会ったから
昔、保育園で働いたのです。
子供たちと共有できる喜びの大きさに気がつきました。

2013年6月19日水曜日

おかあさん長生きしますようにと・・

とてもお料理上手なお客様。長岡にお住まいです。
先日長生きするようにとご自分でつくられた
かわいい亀さんを持って豆撰へ。
私の母と伯母と妹の4人分いただきました。
「お母さんとおばさんが長生きしますように」といただきました。


ご主人様は亡くなられて2年・・・まだ涙も乾かないのに
私の母や伯母を気遣ってくれます。
「いつもお母さんお元気?」と・・・。

2013年6月18日火曜日

半袖がなかったから切っちゃいました。

豆撰のスタッフの中に30代のMさんがおります。
彼女は私の声と似ているらしく
よく間違えられております。
声だけではありません。
性格も似ているようです。
「今朝は大変でした・・子供の白のTシャツがあったはずなのに
見当たらないんです。もう仕方ないから長袖を切って縫ってきました。」
と朝駆け込んできました。
保育園に白の半袖で登園する日だったようです。

前日のうちに準備しておかない・・まさに私を見ているようでした。
あらら・・誰に似たのかしら?????
家庭では私そっくり・・でも彼女は仕事は誰よりも気配りの先を見通した仕事する
豆撰にとって大切な人なのです。
これも私に似ています???????????かな???

2013年6月17日月曜日

お父さんはデパートに売っています。

娘がまだ幼い頃の話。
娘はお父さん大好きな子。
虫探し・・カブトムシの幼虫を飼育したり、とかげを飼ったり、せみの幼虫捕り・・・
花や木に自然が好きなのも、お父さんの影響です。
雪ぞりにのって田んぼで遊んだり・・運動オンチの娘が唯一上手なスポーツ、「スキー」を教えたのもお父さん・・
お父さんがいないと「お父さんは?」と
寂しい顔をしました。
そこで私は娘が悪い事をすると「そうね、じゃあ、新しいお父さんをデパートに行って買ってきましょう、とりかえましょう」と
娘は「だめ、だめ、新しいお父さんなんかいらないから、買ってこないで、いい子になるから」と
大粒の涙をこぼして、私に懇願していました。

あれから・・30年。

隣の庭の白い花を愛で・・昨日の父の日に・・昔を思い出しました。




2013年6月15日土曜日

雨模様

朝起きたら少し庭が濡れていました。
雨が少しだけ降ったようです。

今日のお天気はあまりよくありません。
空を見上げ・・
ちょっとがっかり

喜んでいるのは庭のゴーヤ
2本並んで競争していました。

2013年6月14日金曜日

誉められて・・嬉しい気分

最近、とちおのフェイスブックで栃尾を紹介しています。
はじめた頃は軽い気持ちでした。
そのうち、少しずつ「懐かしいです」「思い出します」「続けてください」「楽しみにしています」など
のコメントをいただくようになりました。
また栃尾にゆかりの方々と再会したり
栃尾を通して、お友達が増えたり・・・
なんだか良い気持ちになります。

そして、いくつになっても誉められ?誉められていると勝手に思い込んでいるのですが
嬉しくなります。

栃尾 のバス停から

2013年6月13日木曜日

この季節に・・死んでしまったら

もうじき、私の大好きな叔母の命日がきます。
叔母とは10歳しか年が違わないので私と妹は叔母のことを「ねえちゃん」と
呼んでいました。
57歳の時、肺がんで逝ってしまいました。
叔母は家族を愛し
ふるさとの実家を愛し
穏やか人でした。
私が映画好きになったのも、小学生の私を連れて映画館にたびたび・・
私が本を読みたいと思ったのも叔母の影響です。
小学生の私がちょっと背伸びした本や映画は心ドキドキでした。

「どうして礼子・・私がこんな病気にかかってしまったの?
私は何も悪い事はした事がないのに」・・と
朝陽をみつめ号泣しました。
この一言を最後に病気について語ることはありませんでした。

11回目の命日がもうじきやってきます。
そして私は叔母が逝った年を今年は越えます。もうじき59歳。


2013年6月12日水曜日

我が家の朝

私4時起床
義母5時起床
夫5時起床
愛猫4時からウロウロ
義父6時からウロウロ

私の仕事、洗濯、朝食作り、掃除・・ブログ
義母の仕事・・畑
夫の仕事・・写真のとおり。今年初、たまねぎ、キュウリの収穫。

2013年6月11日火曜日

いいはなし

「だっこのしゅくだい」


せんせいが、「きょうのしゅくだいは、だっこです。

... おうちの人みんなにだっこしてもらってね」といいました。

ぼくもみんなも「ええーっ」とびっくりしました。

だって、だっこのしゅくだいなんて、はじめてだからです。

なんかはずかしいとおもいました。

でも、うれしかったです。

いそいでいえにかえりました。

いえにかえって、すぐ、おかあさんに、

「だっこがしゅくだいにでたんよ。

しゅくだいじゃけえ、
だっこして」と小さいこえでいいました。

おかあさんは「へえ、だっこのしゅくだいでたん?」とびっくりしました。

でも、すぐ「いいよ」とにっこりしていってくれました。

おかあさんはすわって、ぼくをひざにのせて、りょう手できゅうっとだきしめてくれました。

おかあさんのからだはぬくかったです。

だっこしてもらっていたら、ぼくのからだもぬくくなりました。

ぼくが「おうちの人みんなにだっこしてもらわんといけん」といったら、

おかあさんがちっちゃいばあちゃんに「だっこしてやって」といってくれました。

ちっちゃいばあちゃんはわらって「おいで」といって、だっこしてくれました。

そして、「大きゅうなったねぇ」といってくれました。

つぎは大きいばあちゃんにだっこしてもらいました。

大きいばあちゃんはぼくをだっこして「おもとうなったのう」といってくれました。

さいごはおとうさんでした。

おとうさんはいきなりりょう手でぼくのからだをもちあげて、どうあげをしてくれました。

ぼくのからだはくうちゅうにふわっとうかんで、きもちよかったです。

おとうさんはぼくをゆっくりおろして、ぎゅっとだきしめてくれました。

おとうさんのからだはぬくかったです。

ぼくはまたしてもらいたいとおもいました。

だっこのしゅくだいがでたから、かぞくみんなにだっこしてもらいました。

さいしょははずかしかったけど、きもちよかったです。

だっこのしゅくだい、またでたらいいなとおもいました。


引用元: (孤独になる前に読んでおきたい10の物語 講談社)

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これは、ある小学校1年生の子の作文です。

こんな、「しゅくだい」が出たら嬉しいですよね。

先生も上手いことを思いつきましたね。

人と人との繋がりが薄れる中、この「だっこのしゅくだい」は、とても大切なものだと思いました。

ぬくもりを肌で感じれますからね。

読むだけで心が温かくなった気がします。

2013年6月10日月曜日

御中元に向けて「冒険」

御中元のパンフ制作にあと一歩です。

今年はパンフに「冒険」をとりいれ、豆撰.栃尾の油揚げTシャツを作ってみました。

さていかがでしょうか?

子供サイズも準備してみました。

2013年6月9日日曜日

親について


この家に嫁にきて35年。



義父も義母も健康。義母は特に健康で毎日朝畑に行きます。
生きがいなのでしょう。

88才を過ぎている義父母に、35年間もの間
気兼ねをしてきた自分をついかわいそうにと思ってしまう。
またこの先を考えるとちょっと
切ないものがあります。
それでも私が保育園に勤められたのも、豆撰で栃尾の油揚げを作ってこれたのも
全部義父母のおかげです。

親が高年齢になると感謝のきもちが薄れていくようです。

昨日は佐渡のカンゾウを見てきました。


2013年6月8日土曜日

夜中の雷に目が覚めて・・

2時頃からなりはじめた「雷と雨」
久しぶりの外の音に目が覚め、それからなかな眠れませんでした。
まさに年を感じます。
あの世にいる父は生前「年をとると眠れなくなる、若いうちはいくら眠っても眠られるものだ」
と私の寝坊を容認してくれていました。

ああ・・・これが年というものか・・・
仕方なく4時前から洗濯と朝ごはんを作りました。

おかげさまで、今は睡魔におかされています。

栃尾の油揚げバーガー好評です。お店で販売中です。油揚げあげたては午後1時までお越しください。生搾り豆乳で作った新商品?いかがでしょうか。

2013年6月6日木曜日

老婆を連れて朝活・・いちご収穫に



叔父の畑に、いつもの老婆を連れて朝活。
6時前に畑に到着。
いちご畑で朝どり、二人の老婆と一緒に、まずは試食。
朝どりは気分も爽快です。
とりながら食べるいちごの甘さは格別。
ふたりともかごいっぱいの収穫で満足な笑顔でした。

2013年6月5日水曜日

生きているからこそ



昨日は老婆2人を連れて、栃尾散策に行きました。
コンビニでおにぎりとお茶を買って・・・
80年も生きてきて・・今、その時を楽しく生きようとしているようです。
一人は母、一人は叔母
二人とも寂しがりやさんです。
一人でいるのが怖いようです。
私が2時間くらいのドライブに連れて行くと、大変喜びます。

苦しい事、辛い事を数多く経験してきている二人の老婆ですが
生きてきたから「今」を楽しむことができると
二人の笑顔に感じます。

私も夫も子供たちも・・みんなそれぞれに悩みを抱え
どうしようもない時を毎日繰り返していますが・・
それは生きているからでしょう。

この二人をみつめ・・・まだまだ20年先・・
少し勇気をだして、もう少し頑張ってみようかと心の中の自分に話しました。


2013年6月3日月曜日

携帯とはなんぞや?

長岡アピタでお世話になる方お二人と待ち合わせ。
「お二人がアピタに着いたらお電話ください。
アピタにいますから」と約束をしました。
私は栃尾からお二人は東京から・・・
アピタに着いた瞬間・・・アレアレアレ携帯がない・・・がーーん
どうすしたらいいの、落ち会う場所も時間も結構あいまい・・・
広くて、以前私は迷子になり、駐車した場所を忘れた事が・・・

携帯がないと相手の方の電話番号もわからない。
豆撰に電話をかけ・・もし電話がかかったきたら「スタバー」で待っていると伝えてください。と
連絡する。なんだかんだするうちにお会いする事ができました。
「おっちょこちょいだね、こんな大事な時に」と叱られてしまいました。
全く返す言葉はありません。笑ってごまかして・・・
ああ、私の人間性がばれてしまった。ショック。

私の予定は 行動は夫、豆撰に必ず伝えておく事。
よし、これで携帯は不携帯でもOK.

写真は昔の郵便局です。

2013年6月2日日曜日

平和の森公園へ





ご縁があって昨日、長岡の町に残る・・戦争の傷跡や、慰霊碑めぐりに同行させていただきました。

原爆の模擬爆弾の話・・多くの人々が防空壕へ・・間違った当時の情報等
語ってくださった方はその時10歳だったと・・・
記憶を思い起こし語る・・・
その時どう、何を思ったか・・・
その時、まだ10歳の年齢は・・悲劇の重さを理解するには難しいものがあったようです。
年月を重ね、記憶をたどり・・
伝え続けておられました。

戦後9年後に生まれた私は・・父母、祖母から聞いた戦争の話を
私もまた遠い記憶をだどり思い出そうとしました。
名も知らない犠牲者・・被爆国の日本。

なぜ日本人はこの世界中が怖かった被害の基を他国にまで行って安全だと
訴えるのか・・このこと方が原爆投下した過去より重いような気がしてなりませんでした。