2015年5月31日日曜日

悠久山に老婆を連れて






実母と叔母をつ連れて昨日は

悠久山へ行きました。
蒼紫神社の階段を登り、3人でお参り。
牧野の殿様のお墓にちょっと参拝?
ツツジの花はもう終わりそう
老婆ふたりを連れて歩く私は
まるで、保育園の先生みたい。
「ここが、猿山です。お猿さんは何しているのかしら?」
「孔雀の羽はきれいでしょ、さあどっちが雄かしら?」
と、ぐだぐだ質問をしながら歩きました。
叔母は
「ああ、良かった何年ぶりだろうか、私は猿が大好きだ」
私は
「そりゃそうでしょ、おばちゃん猿年だからね。」
と何気ない会話に笑みがこぼれます。
園児は83歳、保母は60歳。
悠久山を3人で歩く、お日様も一緒に歩く・・・・・・。



持続力

どうして、こうも持続できないのはなぜだろうかと
考えてみました。
60歳という節目を境に
あれも、これもやりたいと思うわたしです。
しかし、どれもこれも持続できないのです。
朝のお掃除、週一でサッシの溝掃除 をしようと決意するものの1回だけ
行動実施で、その決意から2ヶ月が過ぎようとしています。

次に絶対に歩いて、豆撰に行くと決意したはずなのに
雨が降るといえば止め、時間がないと止め、仕事が忙しいからと止め
最近では週に2回歩けばよい方です。
次に四文字熟語に挑戦したはず、これについては 「塞翁が馬」を調べたっきり・・・・・・。
それなのに、今回は英語に挑戦しようと
英語については娘婿殿が外国人であり二人とも英語圏に住み始めたことが最大の理由
そして、2カ国語以上の会話が出来る人は認知症にならないらしい・・・・・・。
さてはて、いつまで続くであろうか?
今続いているのは
仕事をしていることだけのようであります。

写真は先日の守門岳登山より


2015年5月28日木曜日

時代の波にのって、ビリギャルを



坪田信貴ベストセラー「学年ビリのギャルが
1年で偏差値を40もあげ、慶応大学へ入学した話」
テレビの宣伝と映画館での宣伝にのせられ、
観ることを決意する。
あんまり、期待していない映画だったのですが
なんだか、感動ものでした。
実話とのこと・・・・・・。いつもワクワクした子供に育てたい、
「何」が起きても、子供を非難しない母親に
母親としての素晴らしさを感じました。
「このこはいい子なんです。」と繰り返し、問題を起こしても
深い愛で子どもを支える。
ビリだった娘が慶応大学に合格する映画ではあるが
私は「母親と父親の子育て日記」のように想って観ました。
母親が「辛くって泣いていた時、あなたの笑顔があったからこそ
頑張れた」と娘さやかに語るシーンに涙があふれました。
今回の映画で一番良かったのは、
父親役の田中哲司、母親役の吉田羊、
塾の校長先生にあがた森魚の演技がとても印象的でこの映画の
根底にある「子育て日記」を作り上げているのではないかと思いました。

庭の梅の木です。
庭に植えられ12年でしょうか
実をたくさんつけてくれるようになりました。
育てるのには長い年月が大切のようです。.

豆撰からのおしらせ 




2015年5月27日水曜日

ご安心ください。熊が出るのは慣れています。

昨日熊の話を載せましたが
熊と遭遇することはありません。
お友達が多田さんの家から近いから心配とメールをいただきました。
全然大丈夫です。
こんな、大げさな回覧板が回ってきたので
熊よりもビックリしたのです。
先日は守門岳にものぼりました。
城山、鳩峰、道院は私のお庭です。
全然大丈夫です。
今は、田んぼにはおたまじゃくしが遊び、羽黒トンボ、ギフチョウ、リス、
ウグイス、カッコウ、メジロなどが私たちの心を癒してくれます。
この素晴らしい、のどかな風景に囲まれていることに
感謝しております。
7月ころは蛍の灯りと星空の競演です。
どうぞ、ご心配なく
栃尾にお越し下さい。
あつあつの美味しいあぶらげを食べ、自然散策を楽しんでください。



2015年5月26日火曜日

こんなニュース


熊の話。
「なんだか日本はちょっと変だよ。
とっても山で、のんびりと生活なんかできなくなったよ。
俺たち熊だって、この地球で人間様と暮らしている仲間だぜ。
俺が山から出てきたのには理由があってのことさ
心配なんだよ
福島の原発問題はどうなるんだい?

袋の中にいっぱい詰め込んで、積んでおいても
どうしようもないじゃないか
人間は頭がいいらしいが、何も解決していないじゃないか
本当に心配だよ
山の木の実、川の魚
俺たちは食べて大丈夫かい?
放射能に汚染されているかどうか調べる器械なんてないからさ
人間の食べ物は大丈夫なんだろう?
分けてくださいよ、お願いします。」


2015年5月25日月曜日

認知症の進み方





認知症の実母の初期症状は73歳頃でした。

この時期は、実父の闘病生活と重なって
母の異変に気づくのが遅かったのです。
今振り返れば、会話が少なくなっていました。
同じものをいくつも買ってきて、テーブルの上に放置していたのです。
ゴミの収集、つまり片付けが出来なくなり・・・・・・。
父の健康管理もあって昼食と夕食は私が作るようになりました。
これも、今思えば、母が考えて作れなくなっていたからです。
その後、父は他界、母一人の暮らしになりました。
父の位牌を守らねばならないと気丈に振舞っていたのですが
1年後に、母の双子の姉が急死しました。
この時から、痴呆症の症状急激に悪化したのです。
すぐに、妹夫婦が面倒を見ることになり、同居しました。
そして、今に至っています。症状は緩やかですが進んでいます。
躁鬱の状態です。よい時もあれば、まったく話さない時もあります。
毎日の日課は、簡単な計算問題、これは完璧です。
昨日は簡単な2枚あわせのパズルをしてみました。
しばらく、考えて合わせる事ができました。
やれやれ、といつまで続くのかこの生活と想うと
ため息がでます。
さて、義父です。2ヶ月くらい前からデーサービスに週2回通い始めました。
実母に比べ症状は軽かったはずなのに
みるみるうちに、重くなってきました。
私たち夫婦や義母の世話は随分軽くなり、とても助かります。
でも、症状は加速状態なのです。
家族の中で過ごすのとデーサービスで介護してもらう違いが
ここにあるような気がするのです・・・・・・。

さて、庭をひとまわりするとシャクヤクやエゴの花にミツバチが飛び回っていました。

2015年5月23日土曜日

60歳の登山で一番大きな変化は?
















朝4時半起床、
義父母の朝食準備、
私たち夫婦のおにぎり準備
さあ、着替えましょう。
3年ぶりの守門登山です。
登山服に着替えてみたら
登山服は3年の歳月でなんと小さくなっているではありませんか
鏡に映る私の姿に落胆、失望。
この体で、登れるだろうかと不安は倍増となりました。
それでも、前々から夫と約束していたので
夫婦とはいえ、約束違反はお金で払えない
地獄の刑罰が課せられるでしょう。
この想いは心の中だけにとどめ、守門大岳をめざし
いざ、出陣。
保久礼(ほっきゅれい)から登りはじめました。
新緑の淡色、野鳥のさえずり、タムシバの道案内に
感謝しながら登りました。
キビタキ清水を超え、雪渓を登る。
遠くに越後三山、手前に道院をみながら、白と緑の
コントラストに歓喜の声。
2時間弱にて、大岳頂上に到着しました。
疲れました。
残雪の向こうに聞こえるカッコウやウグイスの歌声に大満足。
写真はさておき、朝食を食べる。最後にコーヒーを沸かす。
もちろん、水は保久礼の清水。うまさは百倍です。
この残雪頂上は私たち夫婦の貸し切り。
1時間のパノラマ上映は終了。
下山。登りとはまた違う風景が私を楽しませてくれます。
しかし、登山服がだいぶ小さくなっていましたので、
下山は登りよりもきつい。
「なにしてる、はようこい」と10回以上夫に叱られ、励まされ
ようやく、下山しました。
そして、決意しました。登山服をもとの大きさに戻すことを・・・・・・。


2015年5月22日金曜日

早起きは三文の徳



今日は車で豆撰へ
いつもの、道を通らず、旭橋から旭町に出て
大町、新町を走りました。
目的は栃尾の雁木通りを見ることです。
私のお気に入りの新町雁木通りは曲がりくねっています。
どうして、ここだけこんな風に曲がってつくったんだろう、
私の記憶では、この造りは昔も今も変わらない。
でも、情緒があって、心が和む風景なのです。
大人になってからは歩く事がほとんどありません。
夢中になってデジカメで写していたら
「あんた、何してるんだね?」と昨日に続きおじいさんの登場。
少し顔が固い
「この通り、雁木が好きなので、撮らせもらっていますが ・・・・・・。」
「そうか、じゃあ教えてやろう、ここはね、武者隠しの場所だ・・・
お城があったからね・・・・・・。」「栃尾には5箇所あるんだよ」
と教えていただきました。
なんと、私は60年もこの街で生活しているのに
知らなかった。本当に馬鹿だと自分にあきれました。
そして、おじいさんに出会って、長いこと不思議に思っていた
曲がりくねった雁木の歴史を知ることができました。
この武者隠しの雁木の言われを知っていたから
五藤利弘監督は栃尾を舞台に「モノクロームの少女」「ゆめのかよいじ」
の映画を撮られていたのかと
あらためて監督の想いを知ったような・・・・・・。




2015年5月21日木曜日

秋葉神社を母と散歩









「ここはどこだ?」という母。

「秋葉さんだよ」と応える私。

秋葉神社は400年前から建っていると話しかけてくる老人。
1000人以上の一人一人の名前が刻んである慰霊碑のこと。
上杉謙信公像は40年前に機屋さんが寄付されたものでいくらだったと思うか?
刻まれた、文字は田中角栄さんだ・・・・・・。
などなど秋葉公園の歴史を聞きながら、母と歩く。
帰り際、「御茶屋さんのお母さんでしょ?」と
母に声をかけるおばさん。
母はただ、にこにことうなずくだけ・・・・・。

新緑から深い緑色にスクリーンの色が変わっている。
空を見上げる狛犬。
お百度参りの石。

母の手をひき
「帰ろうか」と私。
「うん」と応える母。

こわい夢


眠りに入ってすぐに夢をみました。
私と子どもふたり、だれなのかわかりません。
三人の頭上に戦闘機
機関銃がわたしたちをめがけ打つ
どうにかこうにか隠れ・・・・・。
夢から覚めました。
戦争は絶対反対です。
原発再稼働は絶対反対です。

エゴの木の花が数珠つながりに咲きました。
来年も10年後も20年後もこの花をみたい。
私がこの世にいなくなっても
誰かがこの花をきれいと微笑む世の中であってほしい。

2015年5月20日水曜日

両手いっぱいの水

夕べは、いつもより遅くにお風呂に入りました。
湯船にゆっくりつかりながら
両手にお湯をくみ上げ、両手の中のお湯がどうか
こぼれませんようにと一生懸命両手をくっつける私。
この作業?は子供の頃よくやりました。
どうして手の中の水はこぼれるのだろうか
力強く、必死にやっているのに、子供だから力がたりないのだろうか
やり方あるのだろうかと・・・・・。
ふと、この動作を思い出し、やってみたのです。
大人になっても、力を込めても、念じても
自然と手のひらの水は消えてしまいました。

やっても、やっても、やっても出来ない事はたくさんあります。
どうしてうまくいかないんだろう。仕事、子育てなど抱えこむ問題の多さ。
何回も繰り返し、こぼれないように努力してもこぼれる水・・・・・。

まてまて、もう一つ、こぼれる水のわけがありますよ。
大きな悩み苦しみ、解決できないことが
少しずつこぼれてくれから生きていけるのかもしれない。
湯船につかり、ひとり考え込む私。

2015年5月19日火曜日

想い出ぶらぶら







表町から城山へ登りました。

坂道を登り杉林を抜けると
ミヤコワスレの群れに心が弾みます。
毎年このミヤコワスレが見たくて
この季節に登ります。
少し、息が切れ、暑さを感じる頃に清水で喉を潤おす、
森の向こうから聞こえる、野鳥の声に、木々を見上げる。
いつもなら姿が見えるのですが
声しか聞こえません。どうしたんだろう・・・・・・。
蝶の群れに出会う。そっと、そっと、足音を立てないように歩き
デジカメを取り出すと、とたんに逃げてしまう。
しばらく、そっと立ち止まり、蝶が戻ってくるのを待ちます。
蝶と私の鬼ごっこがしばらく続きます。
そして、あきらめたのは私。
山のてっぺんの見えるところに来ると
残雪を発見。雪の周りには、黄色のスミレがまだ残っています。
想い出のように・・・・・・。

城山のてっぺんは気持ちいい。
右に守門岳、左に粟が岳。
私は一体何回この山に登っただろうか
初めて登った記憶は高校生の時。風の調べに40年以上前を想いうかべる私。
きっと、一緒に登った人は私のことは忘れているだろうな・・・・・・と。
遠くに見えるお寺の保育園。15年間、子供たちと一緒に遊んだ日々。
毎年子供たちと一緒に登って・・・・・。
お昼にならない時間なのに、子供たちは頂上着いたとたんに
「お弁当たべていい?」といいます。
私も、時間のことはかまわず、お弁当をいただきます。
おにぎりだけ持って、おかずは子供たちからいただきます。
「わたしのもたべて、ぼくのもたべて」と子供たちはきそって
私の口にお母さんの愛情たっぷりの玉子焼きなどを運んできます。
お弁当の催促も早いけど、食べ終わるのも早く、木に登ったり、虫を追いかけたり
鬼ごっこまでします。
ピンクの制服を着た子供たちの姿が見えなくなると今度は
夫と娘が現れてきました。3歳になった娘がキャベツ人形を抱いて、ポーズをとっています。
夫の頭は黒々としています。二人とも最高の顔をしています。
30年以上前のむかし、むかしの話。
城山へ上った数だけ想い出がたくさんよみがえってきました。
頂上で、私は私の道映画をひとりで観ていました。

2015年5月17日日曜日

5月24日「新潟一番サンデープラス」の取材がありました。





5月24日「新潟一番サンデープラス」

11時40分から12時30分の間に
豆撰のしい発売「豆乳たっぷり!チョコケーキ
ふんわり大豆の香りひろがる「豆乳プリン」が紹介されます。
今日は、その撮影で大忙しでした。
タレントさんは高校生、ミニスカートのとても似合う
satou siori さん。
えくぼの可愛いお嬢さんでした。
なんと、AKB48 team8のメンバーとのこと。
間じかで見つめると、お人形のような顔。
ふふーん、こんなに可愛いのだから
夢中になる 世の男性の気持ちが少しわかる気がしました。
皆様是非ご覧下さい。

http://toyota-team8.jp/news/kanto/20150517-02.php 
こちらで詳しくご覧ください。

新潟でしか、放映されないのは少し残念ですが・・・・・・。
来週は「マツコデラックス」さんが
栃尾の油揚げを紹介してくださるようです。
こちらは、全国ネットです。「月曜から夜更かし」こちらも是非ご覧下さい。








2015年5月16日土曜日

雨の日に観る映画「フューリー」






朝から雨です。
なんとなく、憂鬱な気分でした。
今日から公開される「花蓮」も観たいと思っていましたが
夜、遅い時間なので、残念ながら断念。
実母を連れて散歩するにも雨では無理。
昨日読み始めた本は3ページ目で途中下車中。
そこで、蔦屋に行って、DVDを借りることに決定。
その前に、豆撰のプランターに植えるお花を買って・・・・・・。
たくさんのDVDにどれにしようかな?2、3回くるくるまる。
結局、最初に観ようかなと思った「フューリー」を手に取る。
戦争映画はあまり好きではないはずなのですが
「戦場のピアニスト」「シンドラのリスト」などとはかなり
違った内容で、リアルな感じなので随分迷ったのです。
それなのに手にとったのはなぜだろうと
観終わってから、考えてみました。
今日は雨だったからです。
うまく、説明できませんがたぶん、雨のせいです。
そして、内容は思った以上に、残虐で目を閉じたり、開いたりの
繰り返しでした。戦後70年を考えると、わずか70年前のこの出来事が
とてつもなく、恐ろしく感じられました。
戦争に理由があったとしたら、その理由は何をもって正義とするのでしょうか、
連合国の軍隊も.ナチスドイツの軍隊も、それぞれ戦う人たちは
両親から命をもらい生きるために生まれてきたはずなのに。
この映画のラストに若い戦争経験のなかった青年が戦車の下に隠れ、
それを見つけたのに去っていくドイツ兵。
このシーンが全てを語っていました。
戦争の無意味さ、命の大切さ。
そして、私が生まれてからの60年間、日本は戦争をしない国を守り続けてきている。
これからも、政治に何があろうと、戦争はしない国であると信じているわたしです。

雨があがれば
憂鬱は幸せ色に早変わりしました。
毎日庭の花が変わります。
これが平和ということでしょうか。


2015年5月15日金曜日

転職とシャム猫

先だっての「私と 猫」の続きです。
私より先に、もちろん娘より先に、この家の主のごとく我が家で生活を共にしてきた「シロ」の
行方がわからないまま、数カ月が過ぎたころ
我が家に貰われてきたシャム猫「シェル」。
生後2か月くらいで、母親は高齢出産のためか栄養不足で
歩くのも、よろけて危なっかしい状態で我が家にもらわれてきました。
かいがいしく世話をする、夫と娘。
そして、私も同じ気持ちで シェルの世話をしました。
シェルが我が家にもらわれてきた時は、私が長年勤務していた保育園を退職し、
豆撰立ち上げの準備期間でした。
ワープロからパソコンへの普及は早く
商売をするのには、パソコン伝票を導入することを決意。
その頃は、まだ35歳の若さです。
新しいものへの挑戦は今のように苦にはなりませんでした。
というわけで、日中、シェルはパソコン操作を勉強している私の膝で 過ごしました。
小さいときは本当にかわいいものです。人間も動物も同じです。
栄養状態もよくなり、元気に走り回るようになると
私の仕事の準備も忙しくなり、シェルはひとりで家にいなければならなくなったのです。
ひとりはいやと駄々を言い始めました。とうとう祖母の畑仕事についていくようになりました。
片道歩いて15分ほどかかる山道をリードなしで
ついていく毎日でした。 畑の帰りは疲れたと言い、祖母の肩に乗って帰ってくることもありました。
赤ちゃんの時の栄養不足からでしょうか
大人になっても犬歯が生えなくて、固いものが食べられず、近所の猫とのケンカでは
いつも負けて帰ってきました。
気弱で病弱なシャム猫でしたが、とても人間的で実に賢く、人間の感情をもった
猫でした。幼い娘と姉弟のように庭を駆け回り、夜は娘に抱かれて眠る。
私たち家族にとって、シャム猫「シェル」は素晴らしい家族の一員でした。
しかし、生まれつき、病弱で病院通いは絶えることないシェルの人生は短命に終わりました。

この写真は祖母と娘とシェルの3人が畑で鬼ごっこで遊んでいた時のものです。
シェルの死は家に灯りがなくなり、私は豆撰の仕事に没頭、家族の温かさ、子育ての
大切さが失われ始めていました。
そこで、娘の希望で新しい猫を、今度は妹を迎えることになりました。
この続き、アメリカンショートヘアー「チェリー」の話はまたの機会に・・・・・・。






2015年5月14日木曜日

今年で最後になる稲作

今朝、夫の手伝いをしました。
3反ほどの小さな田んぼに田植えの苗を運びました。
夫は、長い間、おからの有機肥料を中心に
除草剤を減らし、丹精込めて米を作りをしてきました。
でも、今年で最後です。
理由は、田植え機、コンバイン、乾燥機を我が家は持っていないことです。
田植えと、稲刈りは親戚からやってもらっていたのです。
その親戚の人も78歳を超え、我が家の分は負担になってしまったため、
他の人に耕作を全部委託することにしたのです。
苗を運び、しろかきの終わった田んぼを見つめると
夫の苦労が思われ、寂しく切ない気持ちになりました。
夫の口癖は
「有機のうまい米を作って、お前に食べさせたい」でした。
畦作りから毎日の水の管理と春から秋の収穫までは
ほとんど、毎日朝と夕に田んぼ仕事に行く夫でした。
義父が田んぼ仕事をしなくなって15年以上になります。
その間、ひとりで頑張ってきた夫の苦労と喜びが田んぼの水面に写る
さざなみに 思えて、目頭が熱くなりました。

遠い、異国の地で暮らす娘もきっとがっかりすることでしょう。
我が家だけでなく、多くの小さな農家にとって、また日本の農業者にとって
大きな問題になっていても、どうすることも出来ない現実が
とうとう我が家にも押し寄せてきたようです。

「仕方ないね、今度旅行も出来るし、まあいいじゃん?」と笑いながら
寂しさをこらえました。

2015年5月13日水曜日

歩くといろいろなものが聞こえ、見えます。









平から豆撰に歩きはじめると
野草、ツツジの花、、白いテッセン、ツルニチニチソウなどが笑っています。


空にはツバメがすいすいと泳いでいるように飛んでいます。
キジまで私を出迎える。
川原には「カフカの海」から飛び出してきたような、猫殿が
私に何か語りかけるように、じっと私を見つめている。
私は「今日もお会いしましたね、ナカタさん」と声をかける。

歩いて出勤すると
心の宝ものがたくさん見つけられるようです。

2015年5月12日火曜日

応援したい女優さん

五藤利弘監督作品「花蓮」が東京で上映されるようです。
一足早く、長岡アジア祭で観た映画です。
この作品に花蓮とは違うタイプのヒロインを演じている浦井なおさんとおっしゃる女優さんの存在が、この映画の中心的な役割を果たしていると思っています。
ひとりの青年を愛する女性のひとり浦井なおさんです。青年が花蓮に心を奪われていく過程で、女心を素直に演じています。それはでしゃばり過ぎないのに、強い想いを心に秘めているのです。青年と再会出来た喜び、二人で行った神社、トラックの荷台に並んで夜空を見上げるシーンとどのシーンも出しゃばらない、それでいて強い気持ちが観る人に伝わる。主人公花蓮のような華やかさとは違う、日本人の女性を、自然体で演じている。私の好きな女性です。好きな人にとって自分が一番でなくてもいい。この想いに嘘はないから。浦井さん演じる女性と女優浦井なおさんに一番でなくていい。想いが伝えられる女優さんになってほしいと願っています。


銀ぶら

昨日、帝劇に行く前に根津神社でツツジ見学を予定していたのですが
時間に余裕のないこととツツジ祭りは終了との理由で
断腸の思いで予定変更。
かねてより、銀座を歩いてみたいと願う夫に負けて
しぶしぶ銀座を歩くことになりました。
1丁目から7丁目まで歩き、途中「帽子屋さん」に入りました。
気に入った麦わら帽子を見つけ、かぶってみました。
なかなかいい感じ。銀座ぶら記念に購入しました。
さて、食事は、なかなか決まらないで、あっちこっちと廻るうちに
時間がない。遂に、いつものように、なんら変わらないカレーを食べることになりました。
少し、気になったのは衛生面でしたが
まあ、よしにして食べ終わり、帝劇に向かいました。
席に着き、まさかの夫の質問「今日は何だ?」
「レミゼラブルって言ったでしょ」 「・・・・・・。」
25分休憩に入り「寝なかった?」と質問。
すると、夫は「何ゆうてるか良くわからんかったから、少し寝た」
「・・・・・・日本語だけど?」
こんな具合でした。
私は定年したら、この夫と吉本に入ろうか?




2015年5月11日月曜日

レミゼラブルと花蓮の共通点



40年前に初めて、帝劇にて観劇した「レミゼラブル」も今回で4回目の観劇でした。
今回は過去3回と大きく変わった点は舞台装置でした。
舞台の大道具に変わって使われていたのは、画像です。そして照明。
この二つの大きな違いは、観る人にリアル感を与える効果を意図としているようでした。
見慣れたせいか、舞台に映像の多さは少し疑問を感じてしまいました。
多分私が最新の技術についていけないからかもしれません。とは言え、
空間にあふれる一体感は舞台を観る人の心をとりこにしてくれます。
パン一切れを盗んだ罪と、罪を憎む正義について、4回目の観劇で、
私の心の中の疑問が大きくなっているようでした。
結局、そのことについては、答えはみつかりません。
どちらも自分の心にあるような気がします。
パン一切れの罪から孤児をわが子として育てる。
その子供が大人になり、恋をする。
その恋の相手の青年に命をかけて恋をする娘が登場します。
今回はこの娘に言いようのない哀しさを感じ、
五藤利弘監督作品「花蓮」を思い浮かんできました。
タイから父親探しに、日本にやってきた女性が好きになった青年。
その青年を長年思い続けていた女性が重なります。
この気持ちは女心です。と言うことは、
レミゼラブルの演出家も花蓮の監督も、女性の心を持っていることになります。
彼らは中性かもしれない。
そして、舞台も、映画も共通して言えることはヒロインは
一人でないとつくづく感じました。
見る人の目線では、ヒロインは変わるのではないでしょうか。
演出家や監督が描く物語には、主人公は何人もいて、
 登場人物一人一人に想いを込めて、制作しているのでしょう。
この舞台と映画の共通点を発見できたことは私にとって、
大きな収穫であり、女心でした。


2015年5月10日日曜日

母の日に想うタニウツギ

今日は母の日です。
先日の続きになります。
私と母の距離感について、先日書きましたが
その中で、このタニウツギの花の咲くころには深い想い出があります。
祖母の入退院が始まった頃

父母と一緒に山の田んぼに行ったかすかな記憶。
今、思い出すと、父も母も鍬を持っていたような気がします。
昭和33年頃ですから、農作業は全て手作業だったように記憶しています。
母になつかない私ですが
祖母がいなければ仕方ありません。
父母についていくしかなかった。
山道を上り、山を下り、大人の足でも田んぼまでは、30分以上かかるでしょう。
私は、歩いたり、父の背負う、もっこの中に入ったりして
田んぼに、たどり着くのです。
その時、もっこにゆられ、ゆられて見た花はピンクのきれいな花でした。
お花がきれいだった事以上に父母と私の三人で歩いたこの日は
とても嬉しい日だったのです。


この花の名前を教えてくれた人は今は夫となっています。
田植えの頃に咲くから「田植花」であり、正式には「タニウツギ」と。
結婚前に教えてもらった花の名前から、遠い昔の記憶が甦り
母に愛されることはなかったと想っていた20年以上の年月・・・・・。から

母の愛情を想いだすことができたたのです。

そして、母の愛情に気づくことが遅かった私は
子供が出来たら、絶対に私と枕を並べ、川の字になって、寝ようと思いました。
川の字に寝て育てた娘は、遠い国にいってしまいました・・・・・。












2015年5月9日土曜日

ふたりの認知症に

 



小雨が降り出し
今日の予定は大幅に変更となりました。
時計は11時。
実母の分を含め、5人分のお昼ご飯を用意することにしました。
固いものが食べられない義母と実母に合わせて
あぶらげ卵どんぶりを作ることにしました。
キャベツ、ニンジン、タマネギ、鶏肉を刻み始めたら
義父登場です。
何やら実母と一言だけ会話をしました。
二人とも、寡黙。
窓の外に目をやる義父。
ソファアにからだをまかせ、不安定なまま
腰かける実母。
20分後にお昼ご飯の出来上がり。
そこへ、義母登場。
実母に一言声をかけて・・・・・
さあご飯を食べましょう。
すると、「夕飯だか」と義父が義母に聞く。
義母は「なにばかいうってるがあて」とあいなる。
ふたりの認知症に私のこころのため息は
とてつもなく大きかった。
実母は私の布団で今、昼寝です。

この間に、読書しなければと思っています。

本日、朝見つけたたった一本咲いたけしのはなです。
風に吹かれ、静止出来ない。
けしのはなはブランコに乗っている気分で喜んでいました。