2020年2月26日水曜日

栃尾の油揚げ寿司弁当に笑顔



ここ数日は
新型コロナウィルスのニュースばかりで
気がめいっていました。

と同時に
ここ数日はお客様の来店も少なく
頭を抱えていたからです。

そんな憂鬱な中
一本の電話がかかってきました。
お客様から栃尾の油揚げ寿司お弁当のご注文でした。
その前にも予約を承っていましたので
「今日はお弁当デーね」と
厨房に連絡する私の声は
家を出る前とでは雲泥の差です。

厨房でお弁当作りをするスタッフも
いつもより声に張りがありました。

何より嬉しいのです。
些細なことですが、小さなお店にとっては
大きな喜びとなるのです。





















2020年2月23日日曜日

食卓の笑顔






今日は春一番が吹いて
時折、あられも風に舞う。

そうかと思えば雲の切れ間からお日様が
部屋の中まで照らす。
変な一日だ。
さて、
こんな日は簡単であったかくて美味しいものが
食べたくなります。

日本人の好みかもしれません。
昆布でだしを取るだけ
一つまみ塩を加えて「栃尾のもめんとうふ」を
崩さないようにゆっくりと入れて、弱火で温めます。
豆腐の表面はアツアツですが中心は
ちょっと冷たいくらいが
お豆腐の味を楽しむことができます。
お鍋の中でお豆腐がゆらゆら揺れる程度が
食べごろです。生醤油で食べる。

伊豆大島産のにがりで作る「栃尾のもめんとうふ」
大豆のあまさがふんわりと口に広がる。
ビールよりも熱燗で心も体もほっこりは
いかがでしょうか。




おかえりなさい 奇跡の人

吉田病院のすぐ隣に
素敵なカフェがある。
療養入院をしている母を見舞う日に、ランチタイムや
息抜きに立ち寄っていた。
カフェの主は同年齢の女性。
優しい話し方が心をひきつける。
いつしか、家族のこと、仕事のことを話すようになった。

1年前のある日突然、ドアに張り紙。
「入院のためお休みさせていただきます」
ひと月すぎ
三月すぎ
春が来て夏が来て冬が来て
1年が過ぎた。

張り紙はそのままだった。

今月のある日
妹から奇跡の声
「あのカフェ再開したようだよ」

昨日恐る恐る
ドアを開ける。

優しい女性が笑っていた。
お互いに涙が光る。

1年前、交通事故に遭い、3か月の入院生活。
それからリハビリの日々だったそうです。

私と女性が話をしていると
カウターに座っている若い男性が
私をみつめ微笑む。
彼のお母さんとカフェの主はお友達だったと話す。
やっとお知らせができましたと彼は言う。
カフェの再開を心待ちしていたのであろう。
彼のお母さんは亡くなっていた。
彼は亡くなったお母さんの面影を
奇跡の人に求め、安らぎを感じているようだった。

1年ぶりにいただくコーヒーはほろ苦く美味しかった。







2020年2月22日土曜日

河津桜を見に

 



コロナウィルスが心配でしたが
昨年末から予定していた河津小旅行。
マスクに、アルコール、手洗いに注意しながら
音楽家ご夫婦と楽しんできました。


東京駅から踊り子号に乗って約2時間半
車窓からは
ミカン畑と桜が見えてくる。
景色に色が映ると心がウキウキしてくる。

河津駅に下車。小さな駅はなぜか落ち着く。
タクシーに乗って、上流にある古民家レストランに向かう。

人のよさそうな運転手さんは
途中ゆっくりと走りながら
「これが原木です」と枝ぶりの良い大木を見せてくれる。
「年数はどれくらいですか」と尋ねてみる。
「50年くらですね」と古木を褒めたたえる運転手さん。
「私より若いですね」と突っ込みを入れる私。
先輩ご夫婦も
「僕たちの子供ってことですか」とタクシー内は大爆笑。

後日、この原木について調べてみたら
正確には1955年ころと記載。


古木はきっと
「あなたとおなじよ」と笑いながら私たちを見ていただろう。


目的地に着くとそこは確かに竹林だった。
竹林の中にたたずむ古民家は
やまんばの家のようだった。障子戸はすすけ
ところどころ穴が開いている。

トイレは暗くて回りが見えない。
まるで私は紐をつけられた小僧のような気分になった。


ネット検索での画像とは180度違う。
私の求めていた「古民家レストラン」と
大きな大きな差が・・・・・・。
こっそりと紙袋から私は手作りおこわを取り出す。
おこわは自画自賛で申し訳ないが
おいしかった。


「これも経験、思い出作りですから」と
私は同伴者に懺悔と言い訳をくりかえし
やまんばレストランから逃げた。

それから、上流を下り桜並木を歩く。

葉桜も対岸を見渡せばこんもり、はなさかじいさんの世界。
ここが目的地。
記念撮影の度に
「顔はアップに撮らないで」と注文は忘れない。


河津桜にさようなら
駅でホテルのバスを待つ。
ベンチに腰を下ろすと
バスは駐車場に待機していた。
やれやれ
無事ホテルに。
あれ
夫は持っていた「おこわ」の紙袋を
ベンチに忘れてしまった。
大事なものでもないので
「いいわ」と私。
「でも、あれが一番おいしかったのに」といわれ
夫はもう一度バスに乗り
河津駅ベンチまで行く。

その結果、「おこわ」の紙袋はなかった。

珍道中は思い出に残る。
次は
ホテルの夕食は
「込み合っていますので
7時半ころのご案内になります」

今回の旅行は「食」に縁がないようだ。

時間は遅かったけれど
海の幸を堪能でき、ほっとしたわたし。

そして
翌日の朝食はバイキング。
食べすぎないようにと私は控えめに
野菜とパンなどを皿にとる。
4人の食事が終わりに近づいたころ
夫がテーブルの請求書を見て
小さな声で
「2900円だ。高いな」とつぶやく。

わたしはそのささやきで
果物とコーヒーのお替り。
旦那様もコーヒーのお替り。


その後は稲取の神社の階段に飾られた
雛人形を愛でぶらぶら散歩。
観光案内で教えてもらったランチのお店、
「古民家ふう」には拒否反応。
海の見えるカフェテラスで普通のランチをいただき
満足するのでした。
普通の人間は普通が一番だった。

2組の夫婦は長岡と新潟に帰り無事小旅行も閉幕。

翌朝
私たち下々の夫婦にお付き合いいただいた
音楽家ご夫婦はさぞお疲れだったのではとメールをすると

あちらも、私に負けないくらいの落ちががあったようです。
駐車券はなくさないように気を付けましょう。

楽しい、楽しい楽しい珍道中に乾杯でした。



















運転手さ


2020年2月21日金曜日

豆撰山の家和の会 2020年第一回ご案内



梅の花がふくらみ
春が駆け足でやってきたような
あたたかい日が続いております。

豆撰山の家にも春の香りが届いております。


さて、春一番の豆撰和の会のご案内です。
4月12日 豆撰山の家にて
大正琴コンサート&小須戸 写真クラブ展を
開催いたします。
ご予約はお電話またはメールにて受け付けております。


予告

5月2日から5月10
長岡出身の平井真夫さん絵画展
5月16日
星田聖子さんによるフルートとオカリナコンサート&
ガラスのメルヘン美術館の作品及び販売も計画しております。

皆様のお越しをお待ちしております。

お問い合わせは0258-53-2014まで



2020年2月18日火曜日

ゲルニカ



原田マハさんは私の一番好きな作家さんです。

去年の暮
蔦屋に行き
原田マハさんコーナで
「暗幕のゲルニカ」を手に取り購入。

だが、本を読む時間を作ることなく数か月が過ぎました。

先日、仕事で東京に行くことになって
新幹線の中で
何を読もうかと本を探す。
読みかけの「暗幕のゲルニカ」が
散らかり放題の棚から1冊。
そしてカバンの中に詰めようとしたら
同じ「暗幕のゲルニカ」が入っていた。


それから数日後
松田祥子ガラス展で開催された大正琴のコンサートに行く。
その楽曲のなかで心に残った
「アルハンブラの想い出」
スペインの宮殿のことらしい。
その説明をご一緒した先輩が語ってくださった。
何十か国も旅をしている先輩の瞳は輝いていた。
さぞ素敵な宮殿であろうと想像する。
物悲しく哀愁が漂う曲・・・・・・。

スペインはピカソの故郷 「ゲルニカ」である。
本の中に描かれているゲルニカの街と
アルハンブラの想い出の曲が交差する。

コンサート終了後に一気に読み残しを完読。

元気なうちに是非行ってみたい国はスペインになった。


2020年2月16日日曜日

映画 教誨師をみて



聞きなれない言葉「教誨師」大杉蓮主演

長岡アジア映画祭主催である。
友達を誘って観に行く。

教誨師と死刑囚のかかわり
重く苦しい題材だ。
観たい反面、観たくない気持ちも心の奥にはあった。

叔父が末期がんと宣告され

ある病院に足を運んだ。
そこでは治療はしない。
患者の心に寄り添った看護をするだけだ。
対応してくれた主任さんは
とてもいいひとだったことを今でも覚えている。
ふと教誨師と病院の主任さんが重なった。


なぜ、生きるのか。
わからない。
わからないことが生きることなのだろうか。

六人の死刑囚と教誨師の対話に
どこにでもいそうな人間が大変な罪を
犯してしまうのはなぜなのか。

考え込んでしまいます。
教誨師の佐伯の過去にも
重い気持ちになってしまう。


叔父は最期に「ありがとう」と言った。




2020年2月13日木曜日

本場のタピオカで豆乳タピオカ作りました。



お友達から、本場のタピオカと太いストローを
いただきました。
なんとタピオカの原材料はイモの一種。
だから結構重い。
この重いタピオカをお土産に飛行機に乗せて
持ってきてくださったお友達に
感謝が2倍になりました。

タピオカと一緒に自筆のレシピが添えてあります。
本当に気配りの先輩です。

出来上がったタピオカは大粒のキャビアのようでした。

私のひらめきは、豆乳に蜂蜜を入れ
1分電子レンジで温める。
そしてタピオカを入れます。

お好み焼きランチの後、
デザートにいただきました。
もちろん太いストローでチュウ ーチュウ ー。
モチモチした触感と豆乳でなんだか「健康」になった気分。
それから、お土産の黒ニンニクも いただき、
元気もりもり。

コロナであろうがインフルエンザであろうが
豆乳タピオカと黒ニンニクパワーで吹き飛ばして
しまうことでしょう。




2020年2月12日水曜日

栃尾で育った八木典章さん



「私の歩んだ道 ミクロ世界への挑戦」と題した
八木典章氏による新春栃尾商工会講演会。

今回は、異次元世界のテーマと決めつけて
参加希望はしなかった 。


講演当日の朝、
ある方から油揚げの注文の電話が入りました。

「すごい人なのよ、礼子ちゃんも覚えているでしょ」
もし電話がなかったら、私の知らない人と思い、
講演会に行かなかったであろう。


その人は
隣の町の男の子のことでした。
「一緒に遊ぼう」と山の家の玄関にいました。
幼い頃私は、同世代の子供たちと遊ぶことを
好まない内向的な子供でした。
だから、その時、遊んだかどうかの記憶は
ありません。

油揚げのご注文をしてくれた方は
89歳のおばあさん。
私が保育園に通った60年前の、すみれ組の先生です。
永橋先生とおっしゃいます。


講演会のはじまりは
保育園時代の思い出からでした。
永橋先生から見せてもらったエジソンの紙芝居が
運命の道を開いたと話す。
「なぜと考えること、人の役に立つことをしよう」と
若干5歳の彼は思ったというのです。
同じ空間に存在していた私にとって
同年という気軽さと興味本位で
講演会に足を運んでしまったことがとても
恥ずかしくなりました。

高校、大学そして東芝マテリア株式会社にて
超電導の研究までの講演内容は難しすぎるからこそ
研究とその成果はすごいことだと
目を丸くして拝聴していました。

研究成果についてこちらで https://www.toshiba-tmat.co.jp/product/am_other.htm#sec1
https://www.toshiba-energy.com/info/info2019_0415.htm



栃尾が生んだエジソンに拍手を贈ることが
できたことは、私の人生の宝物のような気がしました。
60歳還暦のお祝いの時、その偉人は私の前にきて
「僕を覚えていますか」と言ってくれたことを
今想い出しています。

写真は今日の栃尾です。












2020年2月9日日曜日

日報抄と叔母

80歳を迎えた叔母の若かりし頃・・・・・・。

朝早くから夜遅くまで
タイプライターを打ち、法律書を片手に
頑張っている叔母に私は幼いころから憧れていました。
イタリア映画によく出てくるワンシーンを想うのです。
タイピストは女性にとって、働く女性の代名詞でしたから。
もう一つ叔母が素敵だと思うことがありました。
それは、おしゃれだったことです。
背が高く、やせ型です。
老人といわれる年になっても
ピンクや黄色の洋服をさりげなく着こなすセンスは
一流でした。

そんな叔母もキャリアウーマンから遠ざかり
お茶のお稽古やボランティア活動に
人生の役割を置き換えて楽しんでいました。
私自身、お茶のお稽古に通うようになったきっかけは
叔母の影響もあったと思います。
「お茶を点てるから、遊びに来て」と
認知症の母と私を誘ってくれたある日。

「私もね、認知症になるといけないから、
毎日かかさず、日報抄を書き写しているのよ」 と
10冊以上の大学ノートを私に見せてくれました。

その時から3年が過ぎ
叔母も少し認知症がはじまり、
一人暮らしは大変だからと
老人ホームに入所しました。

今でも叔母の息子は老人ホームに入所した
叔母のために新潟日報をとってくれています。

今日もきっと
日報抄を大学ノートに写していることでしょう。

2020年2月8日土曜日

表参道ネスパス新潟館に




表参道ネスパス新潟館にて2月6日から9日まで豆撰出店
豆撰店頭でしか買えない、豆乳おからコロッケ、
油揚げバーガー、とちおだんご、油揚げロール巻き
などを販売しています。
お近くの方は是非お立ち寄りください。



私は実に暢気なもので、お友達のなかよし姉妹の

応援をいただき総勢7人で

「テーブルウェア・フェスティバル2020」見学。

園田芙美子作「遠い海」ガラスの器は

お友達のお友達作品です。

器の底は深い海の色になっていて吸い込まれそうな

美しさです。

亡き叔母を連れて行った沖縄闘病旅行が

映画のシーンのように浮かんできました。


青い海を見つめて、潮風に吹かれる髪を抑えながら

『きれいだね』と遠い海を見つめていた叔母は

57歳でした。



さて本命、表参道ネスパス新潟館にいざ参上、


妹と息子と妹のお友達が一生懸命頑張ってくれています。

感謝感謝です。

そして、お友達のお友達からたくさん買っていただき

感謝感謝でした。



コロナウィルス騒動の最中です。

ちょっと不安もありましたが

それほどでもない東京日常に少しホットして

帰ってきました。
















2020年2月5日水曜日

ゴミをはく人

川沿いを歩き街中に入る。

空はどんよりとしていて

今にも雨が落ちそうだ。

後にも先にも歩いている人はわたしひとり。

遠くから、箒をもつ老人が見える。

その老人は流雪溝のふたをあけて

塵取りに入れたごみを流す。

老人はゴミ収集場所ち散らかったゴミを

善意で集めていたのであろう。

だが、それをなぜ流雪溝に流すのか

憤りを覚えるが、わたしは素通りしている。

きれいな川が自慢の栃尾なのに・・・・・・。

2020年2月4日火曜日

「祝の島」




雪が久しぶりに積もった。

節分に降らなかったから、きっとこの後も

そうたくさんは降らないだろう。

それでも、数センチの雪は

栃尾を静かにする。


いつものように出勤し、机の上に

「またお願いします」と書いてあるB4サイズの封筒が

おいてあった。

長岡アジア映画祭実行委員会代表のSさんの

上手とは言えないが彼の顔を思い出させる字である。


早速開いてみる。

「祝の島」である。監督纐纈あや・・・・

この監督作品「ある精肉店のはなし」は強烈な映画だった。

だから今回も観たいと思っている。

 パンフの最後に

『いのちをつなぐ暮らし。 
 祝島にはそのヒントがたくさん詰まって居る』

と書いてあった。

この一言になんとなく心が明るくなった。

静かな栃尾にも陽はあたっているはずだと思った。







2020年2月3日月曜日

大豆のパワー



三日坊主の私が続けていることがあります。

毎朝生搾り豆乳スムージを飲み始めて

かれこれ、2年が過ぎます。

妹はおからパウダーを毎朝コーヒーに

入れて飲むそうです。

その効果なのだろうか、

私はこの二年間インフルエンザにかかっていません。

妹も同じです。

大豆製品はウィルス予防に免疫力アップに

是非お勧めしたいものです。

また、この季節に

おすすめしたい飲み物に豆乳甘酒。

豆乳3に甘酒1の割合がおすすめです。

今日も大豆パワーで頑張ろうと思った次第です。











2020年2月1日土曜日

ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ

ビートルズフアンからいただいたDVD。

どこにしまったかしらと探しているうちに

いつのまにか忘れていた。




先送りしている「おてがみれしぴⅣ」を今年は

作り上げようとちょこちょこ自宅で仕事ですと

看板をあげ帰宅している私。

ところが、

パソコンに向かっては、閉じ、また開くの繰り返し。

そのできない仕事の隙間に入ってきた誘惑は映画。


今年に入って、映画館で3本。

「お帰り寅さん」 「ジョジョ・ラビット」

「ラストレター」

パソコンから1本。

「スキャンダル」

そして

コロナウィルス対策のマスクを探していたら、

「ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ」を発見。

やっと胸のつかえがとれ、家事も仕事もほったらかし

自室に閉じこもってってすぐさま鑑賞。

ビートルズ好きでもなく、ましてやジョン・レノンについて

何も知らない私なのに。



ジョン少年にはふたりの母がいる。

生みの母と育ての母をもつ少年の葛藤を

自分に置き換えることはできない。

私には母は一人しかいないから。

少年が世界的なミュージシャンとしての成長は

生みの母のDNAを受け継いだから。

物語の後半に起こった交通事故には

予期しなかったことだけに

心が震えて、わたしの心臓は高鳴ってしまった。

その瞬間私は、

まったく映画に関係のない人を想った。



映画とは不思議だ。

自分の好みで観る映画もある。

宣伝にひきつけられて観る映画もある。


友が勧めてくれた映画にはその人の影が見えるような

気がする。